幽霊が出ると噂される、古い館があった。
かつては心霊スポットとして持てはやされたりしたが、数年前に肝試しの参加者が大ケガをしたのをきっかけに封鎖され、それ以来、人の出入りはない。
その館の一室、荒れ果てた和室の中央に、『それ』はあった。
ドーム状のモザイク――。
ケルベロスたちがこれまで発見していたものよりもはるかに小さなそのワイルドスペースが、不意に、点滅をやめた。ぱたぱたと反転しながら崩れるように消滅していく。
モザイクが完全に消え去ったとき、代わってその場に横たわっていたのは、柱時計だった。
横幅、高さともに長く、まれに見る大きさの柱時計だ。塗装剥げなど傷んでこそいるが、拵えも見事である。だが作り以上に目を引くのは腹の部分、ガラス戸の内側だ。
本来なら振り子が揺れるそこに、少女が膝を抱えた姿勢で収まっていた。
人形のように端整な、眠る横顔――生命活動はまったく感じられない。あるいは本当に人形なのかもしれない。
呼吸ひとつない静謐と暗黒――それを破るように、和室内の虚空に裂け目が生じた。
開いた魔空回廊から何者かが這い出て来る。指が、手が、腕が、頭が。長大な、モザイク混じりの全身を徐々にあらわにしていく。
黒いそいつが、横たわる柱時計を光る目で捉えた。
『……』
にまりと笑う口から、先端に鍵を生やす長い舌がこぼれた。
●失伝ジョブの末裔
ケルベロスたちによって、ジグラットゼクス『王子様』は撃破された。
同刻、東京上空五千メートル地点――。
前触れもなくジュエルジグラットの『ゲート』が現れた。そして、その中からせり出てきたのは、とてつもなく巨大な『腕』。
愛撫しようとするかのごとく、巨大な腕は地上へと伸びていく。
ゆっくりと……確実に。
「この巨大な腕こそ、『王子様』が最後に言い残した『この世界を覆い尽くすジュエルジグラットの抱擁』ってやつの可能性が高い」
ティトリート・コットン(ドワーフのヘリオライダー・en0245)の発言に、居並ぶケルベロスたちはそれぞれ無言で反応を示した。
本来ならこの『ジュエルジグラットの抱擁』は、創世濁流によってワイルドスペース化した日本全土を完全に支配する、とどめの一撃となったのだろう。
しかし、ケルベロスが創世濁流を阻止したことで、敵のその目論見は頓挫した。
巨大な腕が脅威であることは変わらないが、対処するための戦場がジュエルジグラットの『ゲート』となっているのが大きい。ここで勝利すれば、ドリームイーターに対して致命的な一撃を与えることができるはずだ。
「とはいえ、ドリームイーターもその状況は承知しているみたいでね。来たる決戦に向けて、ドリームイーターの最高戦力『ジグラットゼクス』たちは、対ケルベロス用の切り札をゲートに集めるべく動き出した。その切り札というのが――」
「もしかして、それが失伝した職能(ジョブ)か?」
「ぴんぽーん。正解」
ケルベロスからの問いに、ティトリートは腕で大きく丸を作った。
失伝ジョブとは、今でこそ伝わっていないがかつてごく少数存在した、弱いながらもグラビティを使えた定命の者たちのことだ。
二藤・樹(不動の仕事人・e03613)の調査によって、昨年の七月ごろから末裔と思しき者たちの失踪が相次いでいることが明らかとなり、関わりのある人物の探索が進められていた。
「ドリームイーターが回収しようとしているのは、まさにその、失踪していた彼らさ。そこでキミたちには彼らの救出と、それを邪魔する敵の撃破をお願いしたい」
ティトリートがパソコンのキーを叩くと、壁のスクリーンに古びた館が映った。
数年前まで心霊スポットとして地元で賑わい、今は封鎖された建物。
「人の出入りはないはずだったけど、人以外は出入りしてたみたいでね。この館の一階、奥に和室がある。そこに柱時計が安置されていて、その中に失伝ジョブの少女がいるのが予知で確認できた」
おそらくワイルドハントがそこに運びこみ、今日まで隠していたのだろう。どうやら凍結処理が施されているらしく、その様子はまるで眠っているかのようだ。敵にとっても回収するのに都合がいいだろう。
「ここに送られてくるドリームイーターは『貪欲なる夢喰い』って呼ばれるタイプのようだ。かなりの大型で、その重量を活かした戦い方を得意とするみたい」
魔獣のような外見ではあるが、回収作戦に起用されるだけあって知性もあり、こちらの言葉も理解できるようである。
「強敵だけど、そこで重要になるのが敵の思考と行動。敵はケルベロスが邪魔してきたら、撃退してから少女の回収を行うつもりみたい。だけど、『自分が敗北する可能性が高い』って思った場合は、少女を魔空回廊から『ゲート』に送るのを最優先でやり遂げようとするんだよ」
この送り届ける行動は完了まで二分ほど必要とし、敵はその間、それ以外の行動をとることができない。つまり二分間、こちらが一方的に攻撃できるわけだ。
「これを利用すれば、たとえピンチな状況だってひっくり返せるかも。うまく利用してみて」
ちなみに敵は、ケルベロスたちが少女を害する可能性をまったく考えていないようだ。無防備な同胞を傷つけるわけがない、といったところか。だが戦況いかんによっては、回収を阻止するために少女を殺すことも選択肢となりうる。
「できれば、そんな事態は避けてほしいけどね。本来この事件は、タイミング的に介入できる余地がなかった。それができるようになったのは、キミたちが日本中で探索を行ってくれたから――キミたちが、連れ去られるだけのはずだった少女の運命を変えたんだ」
たゆまぬ活動のすえに紡がれた、細い糸のような可能性。
どうか、最高に幸せな形で結んでほしい。
参加者 | |
---|---|
エピ・バラード(安全第一・e01793) |
狼森・朔夜(迷い狗・e06190) |
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711) |
影渡・リナ(シャドウランナー・e22244) |
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083) |
ヨル・ヴァルプルギス(グノシエンヌ・e30468) |
フューリー・レッドライト(赤光・e33477) |
ルチル・アルコル(天の瞳・e33675) |
●しばしば現実が夢を壊す
『貪欲なる夢喰い』が和室へ這い出ると同時に、魔空回廊は静かに消失した。
畳を擦る音を闇に響かせて、夢喰いが柱時計の扉ガラスを覗き込む。内部を確認すると、元から笑ってるような顔にいっそう笑みが増した。
こじ開けるよりも柱時計ごと運んだ方が楽だと考えたのか、夢喰いがおもむろに匡体に覆い被さる――和室に複数の人影がなだれこんだのはそのときだった。
「待ってくださいドリームイーター! その子は連れて行かせ……」
威勢良く言い放つエピ・バラード(安全第一・e01793)の声が尻すぼんだ。震える腕からテレビウムのチャンネルが滑り落ち、畳にぼてんと転がる。
和室は数部屋分の広さがあったが、夢喰いの全長七メートルにも及ぶ巨体のせいで狭く感じる。爛と光る点のような双瞳と目が合い、エピの顔が音をたてて青ざめた。
「何なんですかあれ……こんな危険な仕事だなんて聞いてません!」
「強そうだし、わたしたちだけで勝てるのかな?」
その恐怖を影渡・リナ(シャドウランナー・e22244)も共有していた。斬霊刀を構えてはいるものの、その切っ先はリナの心を映したように小刻みに震えている。
「だいじょうぶ、わたしたちなら勝てるよ!」
そんな二人を励ましたのはイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)だ。緋色の瞳を輝かせ、明るく微笑む。
「閉じ込めた女の子を攫っちゃうなんて、そんなひどいことはさせないよ。みんな、がんばろうね!」
「……比嘉。俺たちが防御の要だ」
エピとリナが不安を隠せずにいる一方、フューリー・レッドライト(赤光・e33477)は油断ない視線を前に向けていた。夢喰いが置き直した柱時計に、心の中で「必ず助ける」と呟きながら、声だけを背後に飛ばす。
「前に出すぎるなよ。常に庇えるよう、最適な間合いを保て……――比嘉」
「うるさいな。聞こえてるよ」
いかにも眠そうに比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)は返した。腕を伸ばして欠伸する様はしなやかだが、戦場に立つ覚悟が備わっているようにはとても見えない。
「チッ……」
「眠かろうがなんだろうが問題ない」
小さく舌打ちをこぼすフューリーの隣、ルチル・アルコル(天の瞳・e33675)が淡々と呟いた。呟きながら、意味ありげに目を狼森・朔夜(迷い狗・e06190)に向ける。
「役立たずにさえならなければな」
「……何見てんだ、おい」
朔夜が金瞳を細めた。上着のポケットに手を突っ込んだまま、肩で風を切るようにルチルに詰め寄る。
「睨む相手が違うんじゃねぇか? 役立たずはそこのビビってる二人か、てめぇの箱だろ」
「どんぐりの背比べか。やる気の欠片もないお前とて大差はない。せいぜい足を引っ張らずにいてほしいものだな」
ミミックのルービィが恐怖で硬直している真上、両者間の空気が帯電したように張り詰める。慌ててイズナが割って入るが収まりそうにない。
「『はぁ……醜イ。トても醜いわ』」
やや離れた場所で瞑目するヨル・ヴァルプルギス(グノシエンヌ・e30468)の表情は夜凪の湖面のように静かで、唇すら動きがない。嘆かわしげに溜め息をついたのは、ヨルのドレスにくっつく金髪の少女人形だ。
「『無様すぎて見てられナイわね』……『ケリドウェン。あなたは粗相のないよう……承知していますね?』」
続いて、つば広帽子に乗っかる少女人形が恭しい口調で念押しし、ヨルの傍らを飛ぶ梟羽のウイングキャットが顎を引いた。しかし、それがどこか上の空に見えたのは気のせいだろうか。
「とにかく、わたしたちは負けないから! 覚悟してね!」
仲裁を試みつつも弾き返されたイズナが、気を取り直したように夢喰いに宣言する。
そんな彼女の槍刃の先で。
『……ニィ』
黒い唇を愉快げに吊り上げ、夢喰いが畳を蹴立てた。
●一人で持ち上げる気のない石は二人でも持ち上がらない
それは迫る黒い壁のようだった。重量と密度を備えた四足の巨人が障子や調度品を粉砕しながら、地響きをあげて突進してくる。
「散れ!」
フューリーが鋭く命じたときには、重い衝撃が鉄塊剣越しに彼を襲っていた。長身が冗談のように宙を舞い、壁に叩きつけられる。
だがフューリーが稼いだ一瞬の隙に、リナは敵の死角へと回り込めていた。雷電を帯びた刀身を夢喰いの脚に深く食い込ませる。
「いける!……えっ!?」
確かな手応えを覚えたリナが刀を引き抜こうとした瞬間、夢喰いの巨体が激しく震えた。斬霊刀を敵の脚に残したまま、リナが衝撃に尻餅をつく。
「ちょっと! まだわたしが攻撃してるのに!」
非難の矛先は夢喰いの背に向いた。
そこでは踵落としの要領で着地したルチルが、脚を旋回させていた。黄金の具足がしなり、夢喰いの後頭部に突き刺さる。
見事な回し蹴りに、夢喰いはただ首を曲げ、自らの背を振り仰いだだけだった。そんなものか――目が雄弁に語るのをルチルが見たとき、足場が突如傾く。
「こっちに倒れてくるんですか!?」
ルチルを振り落とそうと夢喰いが倒れ込む先で、エピが悲鳴をあげた。チャンネルが画面のフラッシュで抵抗するが、不調なのかいまいち動きが悪い。まったく食い止められず、巨体がエピの頭上に落ちかかる――このとき、わたわたと駆け付けたルービィが突き飛ばしてなければ、エピは畳の染みと化していたかもしれない。
だが受難はまだ終わりではなかった。エピとルチルに夢喰いの手が伸びたのだ。衝撃でろくに動けぬ二人が、まとめて鷲掴みにされる。
夢喰いの口まで運ばれる寸前、緋色の蝶が敵の拳に触れた。
イズナの蝶の力で動きを止めた腕を、ヨルの魔法矢の連射が射抜いた。反射的に開いた拳から、囚われていた二人がまろび出てくる。
「なんだ今の攻撃は。わたしたちまで巻き込むつもりか」
ルチルの第一声は感謝ではなかった。怒声にイズナが竦み、ヨルは微塵も表情を動かさないが、人形が不満をあらわにする。
「『まア、恩知らずな人!』」
「ごめんね、助けようと思って……っ!」
弁解するイズナが息を呑んだときには、夢喰いは眼前にまで迫っていた。突進に撥ね飛ばされ、イズナとヨルが畳に転がる。
「比嘉、なぜ庇わない!」
「なぜって、なんで? いちいちうるさいな」
よろめきながら起き上がるフューリーの詰問に、心底面倒そうにアガサは返した。とはいえ、さすがに怒らせたと感じたのか、頭を掻きながら百戦百識陣を展開する。
「まあ、ヒールくらいはしとくよ。名前どーすっかな。『痛いのとんでけ陣』……『てきとーにやろうぜ陣』でもいいか」
「おい、こっちにも回復をよこせ!」
投げやりに扇を振ってもグラビティは機能する。それを見てルチルがヒールを要求するが、返って来たのは低い嗤笑だ。朔夜が見せつけるようにブレイブマインをヨルたちへ施している。
「だっせぇな……何がよこせだ。命令してんじゃねぇよ! 〝役立たず〟はそこでビビりどもと転がってるのがお似合いじゃねぇの?」
「サクヤ、お前……!」
「待ってください! ヒールなら、あたしがしますから! だから……」
侮辱に打ち震えるルチルを引き止めるように、エピが袖を掴んだ。得物を失って「私の刀が……あれがないと……」とうわ言のように繰り返すリナを視界の端に入れつつ、涙目でオウガ粒子を散布する。
「だから、あの夢喰いを何とかしてください! あたしがヒールしてるうちに、早く!」
「……」
完全に他人任せな願いに、ルチルが唇をきつく噛む。苛立ちを紛らわすようにルービィを蹴飛ばした。サボってるのがバレたと思い込んでルービィがわたわたと敵に向かっていく。
――戦いの行く末はこの時点で明らかとなっていた。
夢喰いの行動は単純だ。何度も突進を繰り返しては、ときおり孤立した誰かを掴んで噛みつく。
対処はしやすい。それなのに、ケルベロスたちは常に後手後手だった。
単純に夢喰いの膂力が強く、回復に専念せねばならないという事情もある。しかしそれ以前に、恐怖に負け、仲間をなじり、絆を欠いた状態で渡り合えるような手合いではないのだ。
「『いいかげん、回復以外もなさい』」
ヨルの人形が不機嫌そうに指示するが、無視しているのかケリドウェンは清浄の翼をやめない。それを叱るでもなく無言のままヨルは魔法矢を放った。しかしそれは運悪く、イズナがほぼ同時に繰り出した槍と衝突し、敵に当たる直前に散ってしまう。
「ご、ごめんね。また、邪魔しちゃった……」
項垂れるイズナに、元気に振る舞う余裕などもうないようだった。そこにいるのは彼我の力量差に打ちのめされた、ただの少女だ。
「もう嫌! もう嫌です! こんなに怖い思いをするなんて! チャンネル、あたしたちだけでも逃げましょう!」
わめくエピは涙で顔中がどろどろだ。テレビウムの手を引いて、一目散に和室入口へと駆け出す。
「わ、わたしも、一緒に行く!」
「待て! バラード、影渡!」
リナがそのあとに続いて走り出し、フューリーがその背に怒鳴る。だが二人が逃走をやめたのは制止を聞き入れたからではない。頭上を通過して投げ込まれた調度品や折れた柱などが、轟音とともに入口を塞いでしまったからだ。
「あ、あああ……」
絶望そのものの表情で二人が振り返る。背後には投げ込んだ張本人たる巨影が迫っていた。その手が、立ち尽くすリナを鷲掴みに持ち上げる。
「は、放して……!」
『オレ、聞いダ。けルべろす、弱い、ケド、群れルと、強い』
夢喰いが初めて意味ある言葉を紡いだ。満身創痍のケルベロスたちを見下ろすその顔は、紛れもなく嘲りのそれだ。
『でも、オマエラ、違ダ。オマエら、群れても、弱イ……仕事、地球人、連レ帰るダケ。オレ、たいくつ。腹、へる』
夢喰いが握り締める力を強め、リナの呻き声がか細くなる。
『オマエラ、でざーと』
拳の中で、鮮血が噴出した。
●拍手を。お芝居は終わりだ
『ア、え……』
鮮血――モザイク混じりのその体液に動揺したのは夢喰いだけだった。
その間に、敵の親指を幻影雷刃槍で斬り落としたリナは、畳の上に着地している。
「そろそろいいかな。もう演技はやめ、一気に決めるよ!」
その顔に先刻までの怯えはない。降りかかる血をかわすように駆けた先にあるのは、敵の脚に刺さったままの刀だ。柄を掴み、疾走の勢いを殺さぬまま引き斬る。
絶叫をあげながら夢喰いがリナを追いかけるが、その鼻先を高速回転する腕がかすめた。チョップする要領で夢喰いの肌を削っていったのは、あろうことか先ほどまで泣きじゃくっていたはずのエピだ。
「引っかかりましたね、チェイサー!!」
まるで別人のように晴れ晴れとしたエピの追撃から逃れながら、夢喰いは困惑を隠せずにいた――こいつら、恐怖に震えていたはずでは!?
様子が変わったのは二人だけではない。いまいちトロかったサーヴァントたちまでもが果敢に攻めたて始めている。鬱陶しいエクトプラズムを夢喰いが薙ぎ払おうとするが、ルービィに迫る拳はフューリーが鉄塊剣で食い止めた。靴底で畳が削れる。
「まさか実力差で吹き飛ばせたと思ってはいないな?……見くびるなよ」
刹那、突風が起こった。吹き荒れる暴風がフューリーの髪と外套を弄び、そのときには風を巻いて振り下ろした『激昂』が夢喰いの巨体を逆に弾き飛ばしている。
そして、そうなる展開を読んでいたかのように、ルチルは敵の真上に跳んでいた。
「その口を二度と開かなくしてやろう」
断頭の瀑布がごとき斧の斬撃が、夢喰いの頸部を縦に切り裂く。濁った苦鳴が轟くが、それを掻き消すようにイズナが槍を無数に突き込んだ。
「すっかり騙されたね。えへへ、良かったでしょ♪」
不安などないかのようなイズナの笑顔を、夢喰いは数秒、呆然としたように眺めていた。
直後、貼り付いたような笑みが強張ったとき、夢喰いは畳を蹴りつけ柱時計へと転進している。
「させるかよ、糞野郎が」
追尾する朔夜は依然、怒気を漲らせていた。だがそれは味方に対してではない。
簡単には倒せない敵を油断させるために全員で芝居を打った。
優勢だと誤認させるために不和を演じ、弱者を演じ、怒りをひた隠してきた。
策が成ったこの瞬間、最後の二分間にすべてを解き放つと誓って。
加速した朔夜の超鋼拳は、魔空回廊を開きつつある夢喰いの背中にめり込んだ。体組織が破断していくのが、手応えとして朔夜にダイレクトに伝わってくる。
それを皮切りにケルベロスたちのグラビティが殺到した。炎が、刃が、光弾が、ただの的となった巨体を容赦なく蹂躙する。
一分以上続く猛攻にさらされ、夢喰いの全身はすでに死者のそれだ。だが執念か、柱時計に手を伸ばす――これを魔空回廊に放り込めば任務は達され……。
『……!』
その手は柱時計を掴む前に地に落ちた。加速度円舞曲――自身を傀儡人形と変貌させたヨルが、常軌を逸した速度と体術で敵の腕を切り落としたのだ。
「こいつで終わりだ――」
やる気のなかったアガサはもういない。代わって拳を引き絞るのは、獲物を射程圏に捉えた獣。
「――……消し飛べ」
轟音とともに着弾した拳を起点に、夢喰いの背中にヒビが走った。漆喰のように肉体が崩壊していく。
『そン、な……ポンペリポッサさまぁ……』
音もなく魔空回廊が閉じたとき、彫像のように砕けたドリームイーターの肉体もまた消滅した。
●ならば夢で現実も壊せる
「お疲れ。皆、なかなかの芸達者だったよ」
苦笑しつつ、アガサは軽口を叩いた。わりと普段通りに振る舞っていたアガサは、皆の演技を楽しめる立場だったかもしれない。
「かなり情けなかったり、酷いことを言った気がする……その、ごめんね」
「わたしもだ。演技とはいえ暴言を吐くのは、実に不愉快だった」
恥ずかしさと後ろめたさが同居したような表情でリナが目を伏せ、ルチルも同調する。もっともルチルの場合はその不満が演技にリアリティを与え、攻撃の爆発力にもなっていたようだが。
「本気で演技したんだから、気にしないで。それより」
「『ええ、少女を助けると致しましょう』」
イズナとヨルが促し、一同は柱時計に駆け寄った。留め金を外してガラス戸を開けると、そこには予知通り、膝を抱えて眠る少女がいた。
「怪我はないみたいだな」
本来の丁寧な所作で、朔夜が無事を確認する。柱時計が雑に扱われていたように見えたが、かすり傷もなく、少し離れて窺っていたフューリーもひとつ息を吐く。
「ひとまず安全なところまで運びましょう」
エピの提言は皆も思うことだった。壊れ物を扱うように、軽い少女の体を抱き起こす。
「もう大丈夫だ、わたしたちがいる」
耳元でルチルに囁かれても、少女は目覚めない。
それでも、確信に近い何かがあった――彼女の時は今、再び動き出したのだ、と。
作者:吉北遥人 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年12月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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