血に染まる画布

作者:天枷由良

●紫色の選定
「素晴らしい!」
 一人きりのアトリエで歓声を上げる男。その前にはイーゼルに載せられた一枚の絵。
 油彩の人物画らしいが、なんとも不思議なデザインだ。
 どうやら描く対象を見る視点が一つに定められていないらしい。多少の知識があれば、その画法や創始者たる画家の名前も思い浮かぶだろうが……それはさておき。
「ああ、なんと素晴らしい絵画だろうか。これは紛れもない傑作。もはや私の才が先人たちを超える日も近い。……いや、既に超えてしまったのでは……?」
 男は自らを抱きすくめるようにして陶酔に浸る。
 ……その過剰な自信が、要らぬ客を呼び寄せてしまった。
「確かに、とても素晴らしい才能だと思うわ」
 忽然と聞こえる声。男は驚き、アトリエ中を見回す。
 何処から入ってきたのか、アラビア風の衣装を纏った褐色の女がすぐ傍に立っていた。
 だが、男に理解できたのはそこまで。
「あなたの才能は、人間にしておくのが勿体ない程……。だからエインヘリアルにしてあげるわ。そして私たちの為に尽くしなさい」
 女の言葉は紫の炎に変わって、瞬く間に男を焼き尽くす。
 しかし後に残ったのは死体でも灰でもなく、極彩色の甲冑に大きな筆を携えた巨漢。
 それは女の命令を受けて、夜の街へと飛び出していく。

●ヘリポートにて
「此方の姫宮・楓(異形抱えし裏表の少女・e14089)さんから頂いた情報を元にして、シャイターンがまた新たなエインヘリアルの選定を行うことが予知できたわ」
 ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は横に並んだ気弱そうな女性ケルベロスを紹介すると、予知の説明に入った。
「事件を起こすのは、紫のカリムに選定されたエインヘリアルよ。選定前は、それなりに才能のある画家の男性だったようね」
 エインヘリアルはグラビティ・チェインを獲得するべく、大通り沿いの美術館に向かっている。無辜の人々に危害が及ぶことのないよう、早急に撃破しなければならない。

「現場に到着するのは、敵が美術館の正面入口付近に現れる直前よ」
 猶予は一分程度だと見込まれる。通りを行き交う人々はともかく、美術館の客まで完全に避難させるのは難しいだろう。
「とはいえ、正面入口にも館内にも職員さんがいるし、非常口もあるわ。皆が事情を説明すれば穏便に取り計らってくれるはずよ」
 敵の攻撃方法は、まず大斧のような筆を使った薙ぎ払い。これは直接的な打撃だけでなく、毛先から様々な絵の具を飛ばすため遠距離にも届く。
「それから、みんなの機動力を封じるパレットナイフの大量投擲。さらにはキャンバスに似た、治癒効果のある盾も使うわ。……自信過剰なところから脳みそまで筋肉みたいなのを想像していたのだけれど、意外と小賢しい感じみたいね」
 ミィルは困り顔で唸ったが、すぐさまケルベロスたちにヘリオン搭乗を促した。


参加者
水無月・鬼人(重力の鬼・e00414)
エルモア・イェルネフェルト(金赤の狙撃手・e03004)
姫宮・楓(異形抱えし裏表の少女・e14089)
フェイト・テトラ(飯マズ属性持ち美少年高校生・e17946)
セリア・ディヴィニティ(忘却の蒼・e24288)
アイリス・フォウン(金科玉条を求め・e27548)
ブラッディ・マリー(鮮血竜妃・e36026)
園城寺・藍励(冥府と神光の猫・e39538)

■リプレイ


 ヘリオンから降下したケルベロスのうち、エルモア・イェルネフェルト(金赤の狙撃手・e03004)とフェイト・テトラ(飯マズ属性持ち美少年高校生・e17946)が美術館に向かっていく。
「デウスエクスが現れますわ! 皆さん、早く離れてくださいまし!」
 エルモアが走りながら声を張る。それは雑踏の隅々まで行き渡って、通りすがりの人々を美術館から遠ざける。
 次は屋内向けの指示だ。フェイトが正面入口に職員らしき人物を認め、サキュバス特有のフェロモンを放ちつつ駆け寄った。
 その姿に気づいた相手も視線を返してくる。既に緊張した面持ちなのはエルモアの呼びかけが届いていたからだろう。
「デウスエクスが来ているのです! 中にいる人達を非常口から避難させてくださいです!」
「この正面入口付近は危険ですから、それ以外のところから速やかに退館を。あとは、わたくし達ケルベロスに任せて」
 フェイトに続き、エルモアも端的に事情を説明する。すると職員は、フェイトの凛とした所作に応じるような礼儀正しい返事をした後、指示通りに動き出した。
 ややどたばたとしている感も見受けられたが、フェロモンしかり振る舞いしかり、対象を冷静にさせるわけではないから仕方ない。
 ともあれ、あとは上手く取り計らってくれるだろう。二人は踵を返して、仲間たちの元に戻っていく。
 その仲間。即ち残る六人のケルベロスにフェイトのテレビウムを加えた一行は、呼び掛けなどに回らず敵の出現に備えていた。
 広い通りだったことが幸いしたか、大きな混乱もなくひと気が失せつつある。水無月・鬼人(重力の鬼・e00414)が備えていたキープアウトテープは、何処に張り巡らせなくとも済みそうであった。


 そして程なく、ケルベロスたちの身体を揺らすような騒がしい足音が聞こえてくる。
 倒すべきエインヘリアルが姿を現したのだ。極彩色の甲冑に大きな筆といった装備は想像以上に風変わりで目立つ。そんな装いで来るくらいだから、やはり予知に違わぬ過剰な自信家なのだろう。
「ま、芸術家はある程度傲慢でも良いかなーって思うけど」
「自信過剰は、いいことばかりじゃないよ……たまには、異なる視点から物を見ないと、ダメ」
「そうだね。鑑賞する側の自由を否定するのは許せないな」
 言葉を交わして頷くアイリス・フォウン(金科玉条を求め・e27548)から、園城寺・藍励(冥府と神光の猫・e39538)はまず視線を、ついでアームドフォートの砲口をエインヘリアルへと向けた。
 あれは自惚れが招いた結果なのだろうか。ふと憐憫じみた考えを過ぎらせた時、姫宮・楓(異形抱えし裏表の少女・e14089)の呟きが耳に入る。
「華道家とか画家とか……謙遜が美徳になりえると思うけど……」
 迫り来る彼といい、別に悪事を働いていたわけではない。ただ少し驕り高ぶる部分があったと言うだけだ。
 それで生命を奪われるどころか、侵略者の尖兵として使われるなど。まさかそんなことを望んでいたはずがないだろう。
 ならば何かを傷つけてしまう前に倒すのが、エインヘリアルになってしまった彼にとっての救いかもしれない。
 藍励は僅かに狙いを修正して先制の一撃を放つ。夜の冷たい空気を裂いて飛ぶ破壊の力は、エインヘリアルの巨体を一瞬で飲み込んでいった。
 微かに呻く声が聞こえる。そこへ間断なく詰め寄って、ブラッディ・マリー(鮮血竜妃・e36026)がナイフを突き出す。
「本当の芸術を見せてあげるわ、ヘボ画家さん」
 言うが早いか、素早い刺突が鎧を容易く貫いた。ブラッディの手には枷がはめられていたが、その状態で戦うのも慣れたものらしい。
 しかし巨躯の戦士は、たじろぎもせず反撃に転じる。先にねっとりとした絵具を滲ませる巨大な筆が薙ぎ払われて、ブラッディの身体を浚いながら他のケルベロスたちにも鮮やかな色を飛ばす。
「おっと、あぶないあぶない!」
 アイリスが踊るような身のこなしで鬼人を庇うと、フェイトのテレビウムも楓を守ってから閃光を放った。
 その眩い輝きにエインヘリアルは悶え、筆を力一杯握り直してから憎らしげに唸る。
 怒っているようだ。どうやらテレビウムの行動が気に食わなかったらしい。
「芸術ってのは難しいもんだが……」
 それを作り出す者の扱いもまた然り、ということか。
 鼻息荒く敵意を剥き出しにする相手に呟いて、鬼人が右手に携える刀で斬り抜けた。空の霊力が込められた刃は派手な防具越しに深々と巨漢を裂き、怒りの炎をより強くさせる。
 3mもの体躯で吼える様は迫力あるが、同時に滑稽でもあった。
「芸術の素晴らしさ、難しさ……偉大な作家達の苦悩。言い聞かせたところで、もう何一つ解りやしないな」
 戦場が此処であるのも生前からの縁だろうというのに。鬼人は敵を見据えて嘆く。
 そしてセリア・ディヴィニティ(忘却の蒼・e24288)はオウガ粒子を散りばめながら醜態に眉を潜める。
 かつての自分たち。つまりエインヘリアルたちの支配下にあったヴァルキュリアも、新たなエインヘリアルを生み出す役目を担っていた。
 そこから定命の身に至るまでの経緯はひとまず置いておくとして。彼女たちから見れば、この『選定』は歪んだものに他ならないだろう。
(「認めて、たまるものか」)
 沸々と湧き出た想いは右の眼から蒼い炎の形を成して溢れ、応じて輝きを増す光の粒が前衛を務めるケルベロスたちの感覚を鋭敏にしていく。
 その只中で楓が祈るように願い、囁いた。
「私の中の脅威……お願い……もう戻れない魂に……安らぎを与えて……!」
 途端、少女の気弱さは影を潜める。そして現れた傲岸不遜な存在は、敵に一笑すると全身を真黒い液体金属で覆う。
 右手には斬霊刀を模した刃。左手には穂先に螺旋を纏う槍。物々しい風体で身構える楓は、いますぐにでもエインヘリアルに死を齎してしまいそうだったが――彼女が動くよりも早く、彼方でアームドフォートの主砲が咆えた。
 戦いの火蓋を切った一撃と似て非なる力が巨漢に襲いかかる。それを撃ち出したエルモアは流麗な砲台群を操作しながら駆けつけ、あっけらかんとした様子で言う。
「まぁ、なんと奇天烈な」
 口元を掌で隠しつつの講評に巨躯の戦士は筆を振り回す。しかしエルモアは意に介さず、さらに語る。
「だいぶ派手なんじゃないかしら。自惚れ具合が分かりますわね。その点、わたくしが美しく完璧なのは――」
 事実、と言いかけたあたりでエルモアは口をつぐむ。
 いきなり謙虚になったわけではない。つい先日も似たようなことを言ったばかりだなと、思っただけだ。
 それはさておき。エインヘリアルは反論を言葉でなく行動で示し続けている。単に荒っぽいだけなのだろうが、見ようによっては作品を否定された芸術家が憤慨しているようにも思えた。
「なぁに? もしかして、ここに見に来た人を狙うのは自分の作が評価されないから?」
 無邪気な声音で煽り立てるアイリスが、そうでないならまず私達に認めさせてみてと続けてから一転、悲嘆を込めた歌で藍励に破剣の力を宿す。
 その光景を見やりながら少し思案したフェイトは、後衛より攻めに加わることを決めると超鋼金属の巨大ハンマーを変形させて竜砲弾を撃ち放った。
 よく狙い澄ました一発が重装を物ともしない破壊力をぶちまける。思わず敵が足を止めた一瞬に、楓が目にも留まらぬ速さの槍撃を繰り出す。
 貫かれた巨躯が、稲妻にでも打たれたかのように震えて固まった。対して楓は、間近で見れば見るほど騒がしい色合いにも眉一つ動かさず、黒槍を引き抜いて飛び退く最中で脳裏にある画家の言葉を過ぎらせる。
(「……芸術家は自分に才能があると思うと駄目になる。職人が如く仕事をして初めて救われる………だったか?」)
 エインヘリアルになった男も、絵の道で生きていたのなら知っていそうなものだが。
「ま、死んだ奴に無用な説教は要らぬか」
 今更聞かせたところで何になるわけでもない。楓は余計な考えを消し去って次の攻撃機会を伺う。
 その間にも、他のケルベロスたちは斬撃や砲撃でエインヘリアルを追い立てていく。


「――そんなにキュビズムが好きなら、全身キュビズムみたいにしてさしあげますわ!」
 予知で男の作風を掻い摘んでいたせいか、勢い任せの台詞を吐いたエルモアがバスターライフルから光線を撃ち出す。
 気圧されたエインヘリアルが体勢を崩して、無数のパレットナイフが宙へと舞った。本来ケルベロスを狙うはずだったそれらは、まるで小さな墓標の如く次々と地面に突き刺さる。
 これでは瞬くほどの時間すら稼げない。足止めに打たれるはずだった武器を蹴散らして、ケルベロスたちは一層苛烈に攻撃を仕掛けていく。
 とりわけブラッディには恐ろしげな雰囲気が漂っていて。
「先人の模倣しか出来ないような三流芸術家に相応しく……いいえ、勿体無いくらい芸術的に殺してあげましょう」
 過激な衝動を吐きつけながら振るう短剣は、極彩色の甲冑を紙でも裂くかのような容易さで斬り裂く。
 その度にエインヘリアルの怒りは膨れ上がり、しかし同時に様々な不調も悪化して心身両面からの自由を奪い取る。
 満足に動くこともできければ、威圧的な巨体も木偶か案山子。
 テレビウムが攻撃を引き付けている分だけ狙われる機会の少なかったフェイトが、よくよく狙い澄ました竜砲弾を甲冑のど真ん中にぶち当てる。それによってまた足が止まった敵に、藍励が自分の背丈よりも大きな長槍をフルスイングして叩きつける。
 さらに矢継ぎ早、鬼人が神速の突きを放って抜ければ、楓は威力十分の槍撃で甲冑を穿ち、アイリスも全身を光の粒子に変えて突撃。
 彼ら前衛陣は、セリアが治癒を兼ねて振り撒くオウガ粒子の力で一時的ながら狂的なまでに鋭敏な感覚を得ていた。その感覚に頼って繰り出す技の数々は、全て会心の一撃といっても過言ではないほどのダメージを敵に負わせている。
 一方でエインヘリアルといえば、まともだったのは最初の一撃くらい。
 制御できない感情に半ば操られる形で振り回す筆は前衛陣にばかり向く。しかし鮮やかな色を塗りつけた先から、セリアが苛烈な想いを孕んだ粒子で塗り潰していくものだからまるで意味がない。
 そうこうしているうちに狙いを定めることすらままならなくなり。ついには全身を蝕む不調の影響で、大事な武器をも取り落としてしまった。
 拾おうにも頭の天辺から爪先までが麻痺したかのように強張っている。
 そこでエインヘリアルが選んだのは、キャンバスに似た盾で猛攻を凌ごうという随分消極的な手法だった。
 殻に篭ったようでなんとも見窄らしい。セリアは蒼炎に哀れみを含める。
 だがそれも束の間。アイリスの歌声から盾を打ち破るための力を託されていた藍励が、身の丈ほどもある大剣でキャンバスを修復不可能と思わせるほどに斬り刻む。
 これで万策尽きただろう。
「ま、なんだ。芸術家の作品が評価されるのは、死んで暫く経ってからだぜ」
 避けられない死を目前とする敵に向かって呟いた鬼人が、その口調と同じように緩やかな弧を刀で描く。そこへブラッディが軛から解き放たれたように駆けて、空の霊力を帯びた刃を振りかざす。
「限界まで研ぎ澄まされた殺神技術の美しさを教えてあげる」
 至極機嫌良さそうな台詞を言い切る前に短剣は振るわれて、もはやガラクタに成り下がっていた甲冑を根こそぎ剥ぎ取っていく。さて、次は腕か足か。
「悪魔の鎌が狙っているですよ!」
 そう言ってフェイトが狙ったのは、首。悪魔のシルエットをした影が忽然と湧いて、エインヘリアルの首を鎌で薙ぐ。
 それで頭がごろりと落ちてくることはなかったが、影が夢幻でないことはくっきりと残る傷が示していた。
 もっとも本人は確かめようもない。アイリスにも突き穿たれたその姿は、エルモアの左肩部にある主砲の一発に攫われる。
 そして回復は不要と見たセリアが迫り。
「……さようなら。貴方には、冥府の昏い水底がお似合いよ」
 別れを告げながら繰り出した拳から流れ込む力は全てを凍てつかせる氷に変じて、エインヘリアルを蝕む。
「どんな評価を下されるか、あの世で待ってるんだな」
 鬼人が刀を収めつつ言った。
 瞬間、じっと敵を見据えていた楓が、敵の足元に大きな爆発を引き起こした。
 血まみれ細切れの帆布が一瞬で燃え尽きる。そしてエインヘリアルの巨躯もまた、始めから存在などしていなかったかのように焼き尽くされて消えた。
「自らを誇ること。それ自体は万人に等しく赦されるべき権利だけれど」
 己の世界に心酔して溺れることは憐憫と侮蔑しか生まない。
 爆炎の名残に向かって言いつつ、せめて安寧をとも思うセリアには、どことなく悲しげな色が滲んでいた。


 現場は幾人かのケルベロスによって修復された。
「皆、お疲れ様……」
 藍励が労いの言葉をかけている。それに答えながらも、ブラッディの思考はエインヘリアルを生み出した元凶、忌まわしき選定を続けるシャイターンたちへの殺意に満ちていく。対照的に楓の戦意はすっかり失せて、元の気弱な少女らしい雰囲気が戻っている。
 一方、鬼人は恋人から貰ったロザリオに手を当てていた。
 今日の戦いも無事に終わった。カリンの木で作られたそれに祈りを終えて、後は帰るばかりであったが――。
「せっかく来たんだ。見ずに帰るのは惜しいぜ」
 足は家路を辿らず美術館へと向く。
 どうやら同じことを考えていたらしく、エルモアが目を向けてきた。
「個人的には、キュビズムよりロマン主義などの方が好みなのですけれど」
「なんだ、詳しそうだな」
「当然ですわ。美しいもの同士は惹かれ合うのですから」
「……そうか」
 倒した敵よりよっぽど選定されそうなレプリカントの台詞を流す鬼人。
 その視界には、脅威の排除を称えるように扉を開く職員の姿が見えていた。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年12月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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