雪待ちの庭

作者:五月町

●魔女の庭
 その場所は、町から半時ほど歩いた森の奥にあった。
 古い轍の跡でできた道を辿り行き、葉が落ちて少し淋しげな胡桃の木々を追い抜いた先。姿を現したのは、森に溶け込む白壁の古い小さな家。そこでの暮らしを守る結界のように丹精された、慎ましやかで素朴な庭。
 しかし、その心地好く澄んだ空気も、迫る悪意を弾き返すまでには至らない。
 立ち枯れた背高のヒースを束ねた、何者をも拒む気のない垣根の向こう側。遠い日に、心ない者に森の奥へ棄てられた草刈り機の残骸が動き出す。意思を得て、魔法のように。
 その力の源はコギトエルゴスム。機械の足を生やした小さな宝石によって生み出されたダモクレスは、命の気配を手繰っていずれは町へ赴くことだろう。――けれど、その前に。
 それは垣根を越え、無造作に庭を侵すのだ。その先に在るふたつの命を糧とする為に。

●日常は日常のままに
「『魔女の庭』の話を聞いて、興味を持ってね。……それだけのつもりだったのだけれど」
 ミルラ・コンミフォラ(翠の魔女・e03579)は、あたたかな橙の瞳をこころなし曇らせて仲間たちの前に立った。
 場所は奥ゆかしい枯れ森の奥、町から徒歩で三十分はかかるという古い小さな洋館。ひとりの穏やかな老婦人が、愛犬のラブラドール・レトリバーと暮らしている。
 そんな場所に住まうご婦人のこと、さぞ気難しいかと思いきや、人当たりは大層良いという。訪ねる者は隔てなく、初対面だろうとにこやかに『お茶でもいかが?』と迎えるものだから、極めて現代的な暮らしぶりの町の人の中には、興味とほんの少しの警戒も込め、『魔女』と呼ぶ者もいるらしい。
 イングリッシュ・ガーデンを手本に丹精した庭は、独学とは思えない出来栄え。今はちょうど冬支度の頃だが、夏にはハーブや野草が咲き誇り、妖精のひとりやふたり、顔を出しそうな風情だとか。
 ミルラの興味の始まりは、ほんの少しの親近感だった。そしてふと、そんな長閑なところにもしも敵が現れたら──と過った不安をヘリオライダーに託した青年は、思いがけない予知を聞くことになる。
「……本当に襲撃が起こるなんて」
「そんな顔をしなさんな。お前さんの思いつきが助ける人がいるんだ、胸を張れ」
 どんと背を叩いたグアン・エケベリア(霜鱗のヘリオライダー・en0181)に、ミルラはどこか気弱い微笑みを見せる。
「ともかく、『魔女』さんの暮らしを守りたいんだ。良かったら力を貸してくれないだろうか」
「ここからは俺が引き継ごう。あんた方には一体のダモクレスの討伐を頼みたい。昼過ぎには庭に姿を現す筈だ」
 その元となったのは、森の奥に投棄された古い草刈り機であるという。ダモクレスとして生まれ変わったそれは、いずれ町へ下り、人々を虐殺することとなるだろう。その前に、より近くにいる老女が狙われるのも間違いない。
「庭は垣根でぐるっと囲ってあるんだが、家の正面と裏手に一か所ずつ出入りの木戸がある。奴さんは裏手の戸から侵入してくるのが分かってる。そこで待ち伏せればいい」
「事前に敵を探しに向かうことは……できないんだね」
「そうだな。それで予知が変わってしまえば、不測の事態が起きかねん。ご老人が助かる代わりに町が襲撃される、なんてこともあり得る」
 頷くミルラ。仲間たちも倣う。
「ご老人に報せるかどうかは、お前さん方の判断に任せよう。予め逃げて貰うこともできそうじゃあるが、何せ近所まで三十分だ。近くにいてもらった方が守りやすいってこともあるかもしれん」
 元が草刈り機だけあって、ダモクレスの能力はケルベロスの知るところのチェーンソー剣に似ているという。護りごと斬り破る斬撃に、左右の機械腕から襲い来る横薙ぎの刃は炎さえ生む。与えた異常を広げる技にも長けるようだ。
「草を刈る刃に、炎か……なんとか庭に被害を出さないようにしたいものだね」
「簡単とは言えんが、ことさら困難な状況でもない筈だ。あんた方が努めてそう立ち回れば、全て守り切ることだってきっとできるさ」
 グアンは小さな眼を細めた。
「人好きのするご老人だって話だったな。万事上手く運んだら、少しばかり一緒に過ごしてきたらどうだ? 庭の見頃は過ぎてるかもしれんが、冬の準備に忙しい頃だ。あんた方の手があったら助かるだろう」
 薬草と呼ぶところのハーブや野菜、野花や木々が植わった庭。鉢に植え換え屋内へ避難させるもの、刈って根だけを眠らせるもの――そんな作業に同じように瞳を輝かせる客人があったなら、それは老婦人にとっても憩いになるだろう。
 けれど、それらは守り抜いた先に咲かせる花だ。
 不足なく満ち足りた暮らしが、何ひとつ変わることなくこれからも続いていく為に――ケルベロスたちは森の奥深く、魔女の庭へと赴くのだ。


参加者
ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)
ミルラ・コンミフォラ(翠の魔女・e03579)
森光・緋織(薄明の星・e05336)
メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)
シエラシセロ・リズ(勿忘草・e17414)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
エリオット・アガートラム(若枝の騎士・e22850)
フィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)

■リプレイ


「あらあら、大変だこと……」
 枯れ草の甘い香が漂う庭。現れたケルベロス達を喜んで迎えた魔女こと老婦人は、物騒を極める予知にもおっとりと呟いた。
 失礼ながら、と言い出すのはジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)。
「ご婦人、差し支えなければそちらの……」
「ウィルよ。私の恋人のようなものね」
「おや、それは素敵だ」
 茶目っ気溢れる婦人に、藍染・夜(蒼風聲・e20064)は来たる戦を思わせぬ笑みで応える。
「ふふ、本当だ。では、そちらのウィルと共に室内にてお待ちいただけないだろうか」
 掌にすり寄ってくるレトリバーに微笑んで、ジゼルは帽子を胸に続きを依頼する。
「全てが済んだら声を掛けます。それまでどうか、物音がしても外には出ないでください」
 重ね乞うミルラ・コンミフォラ(翠の魔女・e03579)の心遣いにはゆるり頷き、
「ええ、仰る通りに。貴方がたが戦ってくださるのね?」
「はい。必ずお守りします」
「心配しないで! お庭も魔女さんもウィルも、みんなみんな守るよ」
 礼を尽くすエリオット・アガートラム(若枝の騎士・e22850)の傍ら、笑顔を輝かせるシエラシセロ・リズ(勿忘草・e17414)。
「どうぞお気をつけてね。これもお仕事なのでしょうけど」
 庭の精の加護がありますようにと厳かに呟き、魔女は愛犬を家へ促した。見送った八人の眼差しがしんと冷える。

 高い陽が少しだけ風を暖めた頃。
 裏木戸目掛け一直線に森を突き進む物音は、油断なく待ち受けるケルベロス達の耳にはっきりと届いていた。
「来るよ──3、2、1!」
 刃の回転を恐れることなく跳びかかったのは、薄紅の六翼。
「その先は、キミの仕事場じゃないんだ」
 散り輝く星の塵とともに迎え撃つシエラシセロの蹴撃に、夜の白刃が息を合わす。眩く輝いた刃が撓み、棚引くその残像はさながら翼のよう。
「──さて。冬備えの枯れ森に、先ずはひとひらの閃華を」
 速い。逃す隙なく喰らいついた一閃が風切り音を溢せば、ミルラは指先から爪先へとふうわり落とした星の輝きで後に続く。
 老婦人とその恋人は言うまでもなく、
「彼女が手をかけた緑たち──ひとつも燃やさせはしないよ」
 舞う足の軌跡に続きを描き、流星が鋼の装甲を撃ち抜く。敵が立て直す前に、今度は魔法のように伸びる蔓が動きを封じにかかる。
 森光・緋織(薄明の星・e05336)は言わずと呼吸を揃えた。
「これほどの庭を成すまで、どれだけの思いが向けられるか……」
 傍らの友が手掛ける庭を緋織は識っている。故にこそ、この場は譲れない。繰り出す虹色の蹴撃に、幼い笑み声響かせて並ぶのはメアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)。
「魔女の庭を荒らすだなんて、はしたないこと!」
 空より垂らした七色の帯が、緋織のそれに続く。華やかな二撃に反撃の鋸刃が振り上がれば、不意に背後に立ち上がる影がある。
「抱き締めて、ママ!」
 少女の呼び掛けに微笑みの気配を残し、ビハインドは翳りの気配を纏う抱擁で敵を拘束した。
 さらに一転、迸る閃光の鞭が敵を打ち据える。巧みなステッキ捌きから一撃放ったジゼルの立ち位置は、一貫して敵の視界から庭を庇う。
「庭を損なう為に生まれた訳ではあるまいに」
「ええ、美しくも懐かしい『魔女の庭』……傷つけるなど!」
 祈るように構えたエリオットの剣。翻り地に突き立てば、忽ち華やかな星図が拓かれ、守り手たちに加護を与える。
 こくり頷いたフィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)は、木戸を守るように手を広げた。
「この庭は、これから冬をこえるんだ」
 青く繁る野草もなければ、求められるのは刃ではなく寒の備え。襲撃者になど構ってはいられないから、
「力を、とどけて」
 静かに囁く声に応えるはオウガメタル。放射状に花咲く銀白の粒子が、仲間に眠る力を目覚めさせる。
 怒りにかられ荒れる刃はメアリベルへ。けれどそれを受け止めたのは、
「……させないよ」
 鋭き傷にも微笑む緋織。この身で誰かを守れるのなら、痛みなど怖くない。


 フィーラが音にする禁断の断章は、夜の意識により強くあれと囁きかける。
「あの庭をみたいんだ。……邪魔は、させないから」
「そうとも。越えて行きたくば──とは今日は言うまい」
 いとけないフィーラの言葉に、ジゼルは瞳だけで微笑んだ。思い出の庭を想起させる庭に、守り抜く意思はなお堅きものとなる。
 肌の下に秘めた機械仕掛けが、旋回する刃を露わに敵を穿つ。負けじと騒ぎ立てる敵の刃は再びメアリベルを目指すものの、
「まあ! 騎士さま、おけがを?」
「いいえこれしき、小さなレディ」
 盾たるエリオットがそれを防いだ次の瞬間には、乱れなき月の一閃のもと、夜が斬り伏せている。
「読みが甘いか、或いは俺達を侮ったか……容易く突破を許しはしないと知れ」
「そう、余所見は禁物だよ」
 止まり木のように空へ掲げたシエラシセロの腕から、翼を広げ光の鳥が発つ。それは夜の隼の一閃と対めいて、鋭い滑空の果てに敵を地に叩き伏せた。
 強かな一撃を残し掻き消える間際、ひらり残した光の羽。それが主へ返る間にも、ミルラは蔓のようにするりと敵の懐へ滑り込む。
(「勇気を奮うなら──きっと、今」)
 守りたいものの為に。胸に宿る熱を一際燃え上がらせて掻き切る斬撃の連なりは、一度たりと敵の視界にその姿を映さない。
「この虹は僕らの幸いにして、貴方には終わりを告げるもの……!」
 受けた傷などものともせず、跳躍の頂から虹を降らせるエリオット。愛らしいカーテシーに揺れた裾を翻し、踊るメアリベルは花の癒しを呼ぶ。
「お行儀の悪いダモクレスさん。でも、踊る花たちが癒せない傷なんて、ないのよ」
 誇らしげな花の舞踊から敵の目を逸らす『ママ』のポルターガイストに、メアリベルはにっこり笑う。
「一撃だって通さない。あのヒースの垣の一角だって、傷つけさせないよ」
 緋織の指先に灯った魔力が、紅く底光りする刃と化した。僅かな時間差で地へ、そして敵の足許へと突き刺さり追い上げるそれは、敵の攻撃を森の方へと誘導していく。愛された庭を見せまいとするように。
「庭だけじゃ、ないよ。だいじょうぶ……まもるから」
 流れ出すフィーラの詠唱はエリオットへ。矢面に立つことはなくも、娘は紡ぐ癒しで仲間を守り、援けるのだ。
 戦場に結ばれた縁も絆も切り裂かんとする無粋な刃。交差した二刃がちりりと放った炎がメアリベルを襲う。けれど、
「平気よ。さあ、はやく終わらせましょう?」
 その衝撃は、重ねた術により相応に和らいでもいる。澄まし顔の少女に微笑みを、敵には苛烈な白雷の一閃をくれ、ジゼルは凛と言い放った。
「あの庭に君の出番は無い──大人しくしてもらおうか」


「大切に育てられてきたものだもん。全部、全部守るよ。……必ず!」
 大鎌が兆すのは星の凶相。背の翼とともに振り抜くシエラシセロの一閃が、敵の気力を奪い取る。
 敵の鋸刃はいよいよ狙いを失し、地面に突き刺さった。甲斐なく土を抉る回転刃に澄んだ一瞥を向け、夜は内心で機械の嘗てに思いを馳せる。
「君も樹々を整えたり、作庭に用いられたりしていたのかな」
 けれど不幸は、ここで仮初めの命を終えることにはない。本来在るべくもない勤めで命を荒らすことこそ、真に不幸だ。
「勤めお疲れ様──懐かしい庭園の夢に還ってお休み」
 冴えた剣閃が光に溶ける。翼の如き残像を連れ、迷いなく振り下ろされた一刀が現の終わりを予告すると、
「来たる冬の中でお眠り。──真白い雪の夢を贈るから」
 淡く優しく、けれど明確な終わりへの意思を秘めるミルラの声に、枯れ森が氷の気配に満ちていく。
 辺りを白き霞に染める、氷の霧。冷ややかに香る氷の花が辺りを咲き染める──幻に囚われたダモクレスが花一片を散らす前に、触れたそこから奔る氷が機体を戒める。
「それなら光の楔を打ち立てるよ。夢が終わらないように……!」
 戦場を覆う氷霜を、緋織の槍が照らし出す。光り輝く一尖は、冬の幻を縫い留めるように深々と敵を貫いた。まだなお動き出そうとする刃を、
「さあ、マフェット嬢のおでましよ! 切れない糸で絡めとってあげる。おとなしくお眠りなさいな!」
 謳い上げるメアリベルに応えて渦巻く影。中から這い出でた大蜘蛛の強靭な糸にかまれ、庭荒らしの刃はぎちぎちと軋んで止まった。
 武器も退路も封じられたダモクレスの軋みを、澄んだ流星の綺羅音で掻き消したのはエリオット。
「この大切な場所を壊させはしません。守ってみせます──騎士の名にかけて!」
 そして、ケルベロスの名にかけて。
 地に落ちた星が瞬きを増していく。輝きの頂点で蹴り出した脚が、最後の一撃を敵に撃ち込んだ。
 星の光を反射しながら、ダモクレスの断片が消えていく。──悪意の欠片も残らぬその煌めきはさながら、穏やかな庭に織り成される妖精の物語のようだった。


「労らせてちょうだいな。昂った心を鎮めるにはぴったりのハーブティーがあるのよ」
 再度の訪いを迎えたのは、そうなると知っていたかのような朗らかさ。
 老婦人と愛犬ウィルに迎えられ、庭を望む一室でのティータイムが始まった。

「これはカモミールとエルダーフラワー……でしょうか」
「それに、甘いわ! きっと蜂蜜も入っているの」
 熱々のお茶をじっくりと味わうミルラに、無邪気なメアリベルの声が重なる。
「それにオレンジピールを少々ね。お詳しい方で嬉しいわ」
「自分もハーブティーを淹れたりしてるんです」
 嬉々として注ぎ足されるお替わりに、ミルラの瞳に陽が滲んだ。指先だけでも体だけでもなく、心まで熱が沁みていくよう。
「助けてくださっただけでも有難いことなのに、お手伝いまでお願いしていいのかしら」
 居並ぶ笑顔が何よりの返事。ハーブを刻む鋏を動かしたり、刈り取ったばかりの穂を束ねたりと、手作業混じりのティータイムだ。
「不器用な僕でも出来る事があって良かった。……この香り、ウィルも好きなのかな?」
 切り取ったレモンバームの葉に鼻先をひくつかせるウィルを撫でる緋織。ぺろりと舌で返る答えに笑って、大きな頭を抱き寄せる。お友達ができてよかったわ、と目を細める老婦人。
「……それにしても見事な庭だ、ご婦人。故郷グラストンベリーの庭が偲ばれます」
「おや、ジゼルさんも? 僕もこの光景を見ていると、故郷を思い出してしまって」
「まあ、貴方がたは本場のご出身なの? 色々とお話を伺わせていただきたいわ」
 郷愁の滲む夕暮れの果てのようなジゼルの瞳、青く明るく澄み渡るエリオットの瞳が、老婦人を映して煌めいた。喜んでと紳士的に応じつつも、二人の声音には楽しさが滲む。
「本当に綺麗な庭ですね。ずっと一人で手入れを?」
「ええ、夫が亡くなってから始めたの。お陰で心穏やかに暮らせているわ」
 穏やかな語り口に、ミルラは凪いだ笑みを深めた。和やかで温かな在りかたは真白く、植物を慈しむ老いた手はどこまでも優しい。
 言葉交わす二人はまるで師と弟子──或いは祖母と孫、だろうか。ふと浮かんだ連想に緩む唇へ、夜はカップを引き寄せる。つい微笑んでしまうのは、
「……此れも魔女の魔法?」
「貴方がそう信じるのなら、きっとね」
 悪戯っぽく口の端を上げる老婦人の服の裾を引いたのは、乾いたローズマリーの葉をむしり終えたフィーラ。
「魔女さま。ハーブティーの作り方、教わりたいな」
 食事や飲み物をご馳走してくれる大切な人たちがいる。受け取るばかりの自分だったから、
「フィーラも、ごちそう、したいの」
「それは素敵ね。どんなお味がいいかしら?」
「おいしくて、元気が出るのがいい」
「わ、たくさん種類があるんだね! あれは何? こっちのはお花?」
 棚に並んだ硝子瓶をなぞり始める二人に、興味津々のシエラシセロが混じる。歌うように連ねる薬草の名にくすり、笑み溢れたのはミルラと緋織。
「なんだか──ね」
「ああ、まるで歌の一節みたいだ」
「パセリにセージ、ローズマリーにタイム? 植物の名は魔女の呪文なのよ」
 ほのぼのした遣り取りに目を細め、夜はさてと席を立った。
「騒がせた詫びに、庭の手入れを手伝おう。あちらの株は鉢に移すと仰っていたね?」
 答えを諾、と受け止めた瞬間にはもう、庭へ出た夜の掌は鉄のシャベルを手にしている。しっとりと重い土を涼しい顔で掘り上げる青年に、ミルラが腰を上げた。
「僕も手伝うよ、夜。こういう仕事は好きなんだ」
「ああ、では其方を……」
 力強くも優しい手が次々に続き、庭は大急ぎの冬支度を始める。

「……ふう、植え替えはこんなところでしょうか」
「ええ、それで全部。残りは雪の下で春を待つの」
 エリオットが最後のひと鉢を室内へ運び込むと、老婦人は目を細めた。
「お疲れ様、本当に助かったわ。手が悴んでいない?」
 痛いほど冷たい水で洗った手に、老婦人はクリームを差し出した。植物の青い香りが広がった指先を興味深げに見つめ、シエラシセロは問う。
「ねえ魔女さん、ボクよく怪我しちゃうんだけど、傷薬になるようなものとか知りたいな」
「あらあら、お転婆さんだこと。それならエルダーフラワーはどうかしら。今は時期じゃないんだけれど、挿し木を分けてあげましょうね」
「えっ、さっきのお茶の?」
「そう、お嬢さん方のお肌にも良いのよ。小さな傷ならたちまち治ってしまうわ」
 小さな鉢に譲り受けた命の気配。これが傍らにあれば、温かな遣り取りのすべてを思い出せそうだとシエラシセロは思う。
 穏やかな魔女と愛犬、そして仲間たちとの時間。ひとつも溢さず覚えておきたい。

「妖精さんはどこにかくれんぼしてるの?」
 踊り出しそうな足取りで庭を行くメアリベルこそ妖精のようだ。
 花壇に木の洞、花から葉へと、探す視線が跳ねていく。ウィルをお伴に行く道往きは、懐かしい屋敷の庭を思い出させて。
「……あのお庭とこのお庭は繋がってるかもしれない」
 遠く、二度と手の届かない場所と知っているけれど──兎穴に飛び込んだら、もしかしたら。
 覗き込む少女の小さな背に、魔女の声が届く。
「メアリちゃん、ハーブとアーモンドのクッキーはいかが?」
「! 食べるわ!」
 ぴょんと兎のように駆け出すメアリベル。地面から顔を上げ、微笑ましく見送った夜は、手招きする婦人に了解の手を振って──ふと、気付く。
「あぁ……雪だ」
 晴れ空のどこからか、ふわりと迷い来る冬の使者。
 今年初めての白いかけらは、捉えた掌に音もなく消えてゆく。その冷たさが体温に馴染んでしまう前に、夜はそっと願いを託した。
 この庭に、笑顔がいつまでも咲き続けるように。守り抜いた命の息吹が、次の春には一斉に芽吹くように──と。

作者:五月町 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年12月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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