冬の夜の夢

作者:ふじもりみきや


 しんと冷えた夜のことであった。
 森の奥深く、冬の間だけ人の訪れる別荘の庭。そのまた奥の奥、忘れられた物置の。
 その片隅に、壊れた冷蔵庫が一台、あった。
 冷蔵庫は故障して長いのだろう、うっすらと埃が積もり、その扉が開けられた形跡はもはや見出すことができない。
 おそらくは、もう二度と。動き出すことはないだろう。……と、誰もが思うような箱であった。
 それが、訪れるまでは。
 それは、どこからともなく現れた。
 それは、握りこぶし程の大きさの、コギトエルゴスム(力尽きて宝石化したデウスエクス)に、機械でできた雲の足のようなものがついている、小型ダモクレスであった。
 それは、ひょこひょことどこかひょうきんな動作で冷蔵庫へととびかかる。しばらくは冷蔵庫の表面を歩き回っていたが、そうしたのか突然ふ、と、その中へと消えていった。
 止まったはずの冷蔵庫の時間が動き出す。
 内部をヒールし、体を作り替え。どういうわけか下にはコンベアベルトのような謎の足をはやし。
 そうしてそれは、再び活動を開始したのであった。


「冷蔵庫……あのロマンティックな別荘に冷蔵庫……」
 何やらツボにはまったようであった。浅櫻・月子(朧月夜のヘリオライダー・en0036)はくつくつと笑いながらそのまま押し黙る。萩原・雪継(まなつのゆき・en0037)は苦笑するような、何とも言えない顔であごに手を当ててうーん、と黙り込んだ。
「……とにかく、冷蔵庫のダモクレスが出たのですね?」
「ああ。その通りだ。しかもあの足……」
 くくく、なんて。若干悪役めいた押し殺した笑いが数分続いた後、月子は顔を上げた。
「……まあ、そういうわけだ。とある物置に長年放置されていた家電製品がダモクレスになる事件が発生した」
 まだ少し笑みを残したまま、月子は語る。
「幸いにもいまだ被害は出ていないが、このダモクレスを放置すれば多くの事件が発生し、人々が殺されグラビティ・チェインを奪われる事態になるだろう。……正直、あんな面白おかしい冷蔵庫に殺されるなんて死んでも浮かばれん」
 まあ、どんな死に方でも浮かばれはしないのだろうけれどと。月子は言って一つ咳払いをする。それから、
「故に。可及的速やかに現場に向かい、ダモクレスを撃破してほしい」
 そう。真面目な顔をしていった。それからちょっと、威厳を保とうとするかのように両腕を組む。何もかも手遅れかもしれないがそこはあえて雪継は突っ込まなかった。
「まあ、戦闘自体はそれほど難しいものではない。さっき言ったとおり、こいつは冷蔵庫が変形したロボットのような形をしている。攻撃も、ちょっと寒かったり、ちょっとびりびりする感じだが、特筆して手ごわい相手、というわけでもない」
 標準的なダモクレスであるので、まあ、難しく考えずに行ってきてほしい、と月子は言った。
「現場は家の物置だそうですが、住人の方はそこに訪れるのですか?」
 それで、雪継が尋ねる。月子は少し考え込んで、
「住人……。家というか、別荘というか。別荘を使ったペンションというか。まあそういう感じだけれども、現場となる物置はほとんど使われていないから気にしなくてもいい。事前に事情を話して近寄らないようにしてもらえば、わざわざ逆らう者もいないさ」
 ほとんど使われていないということは、壊してまずいものもあまりないだろう。と月子が言う。雪継ははあ、と両手を組んだ。
「別荘、ですか」
「そうそう。冬の城なんて名前の付いた、それはそれは綺麗な別荘だそうだよ。食事もちょっと一般人では手が届かないような高級な場所だ。……しかし、そんな別荘にも冷蔵庫はあるんだな」
 また笑う。
 ひとしきり笑った後で、月子は咳払いをして、
「まあ、なんだ。早めに片付いたら夕飯ぐらいはご馳走してくれるんじゃないか? 城めいた建物で晩餐会なんてお高くとまっている別荘だけれど、そこは店だ。ドレスだってなんだって、貸し出してくれるだろうさ」
「……ちょっと待ってください。ドレスと、いまおっしゃいましたか?」
「? ドレスぐらい着るだろう。城なんだから。ああ。男性はタキシードか。制服なんて野暮なことは言うなよ。ちょっとしたお遊びなんだから」
「……」
 それにしてもそんなところで冷蔵庫。なんて月子はまた笑うので、雪継は半眼で軽く月子を見てため息をついた。
「まあ、そういうな。私のドレス姿が見たかっただろうが、そこは我慢し給え」
「いりません。……まあでもそれは、あくまでおまけ、ですね」
 そういって話を切り上げないと、いつまでも笑っていそうな月子であった。雪継はとにかく、と一息ついて、
「まずは大事なのはダモクレスの退治ですね。難しい相手ではなさそうですが、気を付けてまいりましょう」
 なんて、話を締めくくった。


参加者
マイヤ・マルヴァレフ(オラトリオのブレイズキャリバー・e18289)
巽・清士朗(町長・e22683)
アーニャ・クロエ(ルネッタ・e24974)
左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)
保村・綾(真宵仔・e26916)
氷岬・美音(小さな幸せ・e35020)
多鍵・記(アヤ・e40195)

■リプレイ


 冷蔵庫の蓋がぺかーっと開く。
 そこから何か冷たい氷みたいなものが吐き出された。
「……っと」
 刃に折鶴の刻印が施された小刀が躍る。左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)は仲間に向かったそれへとかばうように前に出た。いくつかは叩き落とし、いくつかはその身に受けた。
「うわ、冷たい」
「わあわあ、ひんやりしちゃうのです!」
 同じく仲間を守るようにその氷を受けたアーニャ・クロエ(ルネッタ・e24974)がふるふると身を震わせる。まあ、その程度で済んでいるともいえるのだが、寒いものは寒いのだ。
「はい、美音が回復しますね!」
 氷岬・美音(小さな幸せ・e35020)がすかさず声を上げる。アーニャがそれにこたえて、
「うん! 十郎くんの方を先にお願いなのです。ね、ティナ!」
 自分でも回復できるから大丈夫、とウイングキャットのティナが元気良くうなずいた。
「了解しました。では……」
 ウィッチオペレーションを行おうとした。その美音に向かって、もう一度冷蔵庫の扉が開く。中がびかびか光ろうとした、その時に、
「させないよ!」
 マイヤ・マルヴァレフ(オラトリオのブレイズキャリバー・e18289)が駆けた。その口へと流星のごとき蹴りを叩きつける。
「素敵なお城にダモクレスは似合わないよね、退治するから覚悟して!」
 がすがすと冷蔵庫にダメージが入る音。ウィィ、とそれはコンベアな足をくるくる回して離脱しようとする。
「うんうん、冷蔵庫。この冷蔵庫……。どー見ても似合わないから! 片づけちゃおうなのじゃ!」
 その奇妙な動きに一度、保村・綾(真宵仔・e26916)は大きくうなずいて。
 ジグザグに変形した刃で、その傷口を広げるように切り裂いていく。ががが、と冷蔵庫にあるまじき大きな音を立ててクルクル回転した。
「……」
 多鍵・記(アヤ・e40195)はその様子をじっと見つめる。まるで得物を前にした猫のように二つに結わえた夜色の、しっぽのような髪が揺れた。
「忘れられた秘密の箱も、舞踏会に行きたかったのかしら? 御免なさい、南瓜の馬車にあなたを変身させる魔法は持っていないの。私がつかえる魔法なんて……」
 ほらこの程度。と、地面に描いた守護星座が光り始める。仲間たちと自分を包み込む。初めての依頼はいろんな種類の緊張が入り混じって、少しだけ焦っているようにに彼女は力を溜めた。そして……、
 巽・清士朗(町長・e22683) が駆けた。後退していた冷蔵庫に一瞬で肉薄する。霊力を帯びた一閃はその故障個所をさらに広げるようにして切り裂いた。
「やれ……硬いな!」
「――その花は、あなたを逃がさない」
 清士朗の言葉にアウレリア・ドレヴァンツ(瑞花・e26848)がこたえる。呼び声に、燃えるような赤が咲く。一斉に、艶やかに。美しいその風景は小屋の中に広がり世界を塗り替えそして眩むような芳香を以て逃げることを封じた。
 壊れた冷蔵庫が扉を開けようとする。それを萩原・雪継(まなつのゆき・en0037)が剣の雨を叩きつけることにより封じる。
「後……少しです!」
 雪継の言葉に美音も薬液の雨を降らせる。
「凄く素敵な建物で、最高の一夜を過ごす……。そのためにも、ダモクレスはきちんと倒しましょうね。頑張りましょう!」
「はい。ゆっくり休みましょう。そのために……」
 励ますように癒す。アーニャも光り輝く月のオーラを降らせて傷を癒して言った。十郎がかし、と軽く頭を掻く。
「放ったらかしにされた冷蔵庫は気の毒と言えなくもないが。ここはまぁ、さっさと退場してもらうのが良さそうか」
 似合わないし。とまではいわない。何となく自分があのキラキラした雰囲気に自分が合わないような気がして、人ごととは思いきれなかったのである。
 ともあれそれはそれ。星型のオーラを敵に蹴り込んで十郎は振り返る。それにアウレリアはぱちりと双眸瞬き、
「……何故冷蔵庫なのかしら。四角いからかしら?」
 なんとなく言って花月姫を傾ける。緩やかな弧を描く斬撃でその鋼を切り裂いた。特に冷蔵庫である意味はないのだろうが、妙にロボット浪漫があふれる機体である。
「さて、本日はたまの実戦訓練だ。上手くしのぎきれればあとでご褒美をやろう」
「私は師匠のサーヴァント!」
 安定していた冷蔵庫の足が削れてぐらつく。そこを清士朗が雷の霊力を帯びた刀で突き崩した。手伝いに来ていたリリィが張り切るように言って頷き、回復を補助する。
 ぱかん、と壊れかけた冷蔵庫の扉が再び開いた。再び氷が吐き出される。
「く……っ」
 氷が当たって記が小さな声を上げる。すかさず綾が、
「援護を致そう! 頼んだのじゃ! ……もうねちゃっていいのじゃよ。おやすみ冷蔵庫さん! ……我らが王よ、我らに尊き祝福を」
 ふっくらボディの猫の王様を召還する。猫様は杖を振ると癒しのオーラを放った。ウイングキャットのかかさまも一緒に支援を行う。
「あ、ありがとう……」
 小さく記は言う。初めての依頼。一瞬、誰もそんなことは思いはしないのだけれど足手まといになってないかしらと記は言いかけてその言葉を飲み込んだ。
「大丈夫、多鍵さんは僕よりもお強いですよ」
 それに気づいたのか、ぽんと雪継がその背を叩く。
「僕が言うのもなんですが、一緒に頑張りましょう」
「……そうね。寒さを忘れるほどの熱い炎で吹き飛ばしてあげる!」
 頷きあう。半透明の御業が炎弾が放たれ、斬撃が冷蔵庫を襲う。ぼろぼろになったそれにラーシュがブレスを吐き、マイヤは運命と約束のこもったオウガメタルを全身で覆い、
「それじゃ……行くよ! 楽しい今日のご飯と明日のために!」
 拳を叩きつけた。
 ボスボス、とくすぶるような音が聞こえる。
 それで、冷蔵庫は機能を停止した。


「そういうわけですので、申し訳ありませんがあの物置の冷蔵庫は……」
 戦いが終わり清士朗が説明すると、執事さんやメイドさん風の店の人はたいそう感謝して、「よろしければ一泊していってください」と申し出てくれた。
 素敵な衣装。美しい城で夢のような夜が始まる。

 他のお客さんも誰もかれもが美しく上品に着飾っていた。もちろん店なのである程度は融通が利いている場ではあるのだけれど、冬の城に相応しい光に満ちていた。
「森の中のお城なんてとても素敵なのです……!」
 白のドレスに青のフリル、星や月のアクセを着飾って。アーニャはキラキラ目を輝かせ席に着く。隣にちょこんと子供用よりも背の高い、ティナ用の席も用意されていた。
「本当に。こういうところは縁がなかったですから……。すごく、憧れます。たくさん楽しみたいですね」
 美音もドキドキを抑えきれない、といった顔で席に着く。綺麗な薔薇の花柄のドレスが、ふわりと揺れた。
「ふわわ、みんな綺麗。ラーシュ、わたしはどう? 似合う?」
 周囲をくるくる見回しながら。マイヤはふんわりしたクリーム色のドレスを着て隣にちょこんと座るラーシュに声をかける。大丈夫、とでもいうようにラーシュは頷いた。
「! ととさま、綾、ドレスにあう?」
 はっと綾は隣のアラドファルに声をかけると、アラドファルも笑って似合ってる、といった。
 ふむ、と清士朗も周囲を見回して席に着く。連れのリリィとはまた後で待ち合わせである。今頃着替えに四苦八苦しているだろう。
「……」
 十郎はタキシード。仏頂面で席に着く。なんてことは無い。どうにもネクタイが面白くないだけだ。連れ添いのレイラは髪を纏めてアップにし。純白のエンパイアラインドレス、胸元に青のリボンと雪の結晶、肩にはケープ。美しく飾っていたが、気が気ではなさそうな十郎をくすくすと楽しげに見ていた。
「ふふ……。みなさん、素敵。もちろん、あなたも。……ねえ?」
「え!?」
 一同を見渡し、アウレリアが微笑んだ。花のコサージュが沢山ついた薄桃のロングドレスは、腰の後ろに大きなリボンが付いていて、彼女によく似あっている。
 髪にはコサージュと揃いのヘッドドレス。
 胸元には銀十字の古いネックレス。
 左手の薬指には指環。
 ひらひらのドレスを嬉しそうに纏って。アウレリアは優雅に席に着いた。
 話を振られて、記が思わず声を上げる。ねえ、と言われた雪継も、少しだけ、慣れぬ礼服にぎこちない様子で。だがしっかり笑顔でうなずいた。
「はい、とても」
「そうだといいけど。わたし、こういう場は初めてだからよくわからなくて。ドレスもネイルに合わせて選んでもらったから。……でも」
 そうだったら嬉しいな、と。記ははにかむように笑った。
 白薔薇レースとパールで彩ったピンクベージュのネイルと自分に合うドレスを。そうお願いして選んでもらったドレスは愛らしいピンク色だった。星のようにきらきらと、パールやレースがふんだんにあしらわれている。髪型も変えて、猫のしっぽはほどいて大きな白薔薇の髪飾りを。
 可愛すぎて少し気恥しいのだが、似合っているようなので何よりである。そんな表情の記を、アウレリアは優しく見守っていた。
 そして皆が席に着き、今日という夜が始まる。
「おつかれさま。今宵の魔法に、出逢いに感謝をして……」
 アウレリアがそういって乾杯を。ある者はお酒を。またお酒を飲めない者はジュースに替えて、それに応じた。

「沢山ご飯を食べましょう……!」
 美音が目を輝かせている。お上品にちょっぴり乗ってくる料理に、この三倍は食べたいですなんて言ってしまったのは秘密だ。
「わあ」
 アウレリアもその目くるめく料理の数々に目を輝かせる。こういう場は慣れていないながらも穏やかに美しく食事を進めた。
「なにこのお肉、食べたことない柔らかさ……!」
 くっ。と記も口元に手を抑えた。さっきワインが飲みたいお年頃だからそれっぽく葡萄ジュースで乾杯とかしていたのに、高貴さが崩れた一瞬だったが本人はいたって本気だ。
「うん、わかる。口の中でお肉がとろけるって、こういう事を言うんだね」
 マイヤが至福の表情で、美味しい~。と同意した。一口、食べては頷き。頷き。とっても幸せそうに目くるめく料理に目を輝かせる。
「どのお料理も美味しすぎて……しあわせ」
「料理も豪華でどれを食べればいいか目移りしちゃいます。……ほら、ティナも」
 何かをこらえる記。アーニャはティナへも声をかけたりしていて、
「ひゃ、みんななんでそんなに上手に食べるのじゃ!? ドレス、汚さないようにしなきゃなのじゃ!」
 綾はそんな彼女たちに遅れまいと。一生懸命なのであった。
「……」
 そんな彼女たちを、雪継が微笑んで見守る。内心では楽しそうで、見てるだけでうれしいな、とか思ってる。
「……」
 対する十郎は、慣れぬ様子で言葉少なく。清士朗はさすがにこういうところでは堂々としていた。
 同じ食事は出てもその食べ方はそれぞれで。賑やかに話をしながらも時は過ぎる。
 食事が終わると誰とはなしに一人、また一人と席を立ち。そして各々思うところへ散っていった……。


「ととさま! 綾ってば今日は寝るまでおひめさま~って気分なの! だからー抱っこしてお外連れてって!」
 ドレスで走れない綾にアラドファルは恭しくお辞儀をした。
「お任せあれ、お姫様」
 手を取って甲に軽く口付けをし抱き上げるアラドファル。きゃあっと綾はかわいらしく飛び上がる。
「今日のととさまってばとってもカッコいい!」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいな」
 城を歩き庭に出て薔薇の絡むブランコを見つけると、二人はそこに腰を下ろした。ゆっくり漕ぐとゆらゆらと、揺り籠のような心地よさ。
「今日の綾はいつもより大人びて見えて、綺麗だ。たまにはこういうのも良いな」
 まるでおとぎ話のようだとアラドファルが言うと、綾は胸を張る。
「お姫様綾の大冒険ね! ととさまが悪い魔法使いにさらわれたら、綾が助けに行くわ」
「素敵なお伽噺だな。そのお話の最後はきっと……」
 他愛のない幸せな話を薔薇のブランコの中で語る。綾も懸命に起きていたけれど、12時が近くなると瞼も落ちてしまう。それに気づくとアラドファルはそっと彼女を抱き上げてその場を後にした。
「12時前に眠ったからきっと、夢の中で魔法は続くかな……」

「……お、似合うではないか」
 解散して何気なく訪れた長い階段の踊り場。ドレスに着替えたリリィを迎えて清士朗が言った。黄色いオフショルダードレスに華やかに髪を結いあげたリリィは、いつもの彼女とはやはり違って見えた。
「ふふ、弟子にも衣装、でしょ?」
 少し照れたようにリリィも答える。その表情はいつもの彼女のもので、そして今夜この瞬間、彼だけのものだった。清士朗も笑った。
「たまにはこういうのも良かろう、乾杯」
 中庭を見下ろしシャンパンのグラスを交わす。
「見せたかったな……先代にも」
 光あふれるお城の中で、ぽつんとリリィはつぶやいた。「どんなに背伸びしても子供扱いだったから」なんて無邪気に。
 その言葉に清士朗は目を見開きしばし、絶句する。リリィは顔を上げた。
「なぁに清士朗さん?」
「……いや」
 その表情に、清士朗は首を横に振る。不意に遠くから、音楽が聞こえてきて。清士朗は軽く咳払いをして手を差し出した。
「一曲如何かな、シンデレラ」
「? はい、喜んで」
 自分の手を取るリリィに、清士朗はぼんやりと考える。そしてそんな思考から逃れるように、彼は微笑むのであった。
 自分の真実を知った時、このシンデレラは……。

 連れ添って池のそばまで歩く。清らかな水の音が聞こえだすと、ようやく十郎はほっとしたようにネクタイを緩める。レイラは笑う。
「お疲れさまでした」
「そっちもな。食事、美味かったな」
 正直な話、ネクタイが窮屈すぎて少食になったことは秘密だ。
「はい、美味しかったですし…ああいったところで豪華な食事、初めてです」
「そうか。気に入ってくれたなら、よかった」
 十郎はふっと顔を上げる。本当にレイラはお姫様みたいで、今日一日の、いろんな疲れが吹き飛んだ。
「……よく似合ってるよ」
「え」
 一瞬。レイラは黙り込んで、
「恥ずかしいので、あまり見ないでください……」
 なんだか急に、とても照れてしまった。それもまたとてもかわいくて、十郎は手を差し出す。
「ここは静かだし、月明りだけだから、少し踊ってみないか?」
「……はい。喜んで。……ああ、けれど踊りはあまり得意じゃないので」
 申し出に、一瞬。嬉しそうな顔をして。けれどレイラは一呼吸置く。そしてそっと、
「エスコート、お願いしますね?」
「勿論。俺だって大して心得は無いが……、気儘に、魔法が解けるまで」
 その手に、自分の手を重ねた。


 夜の薔薇はことさら香りが強かった。
 足元には光を蓄える石があり、それ以外の灯りはない。冴え冴えとした月あかりと朧げな足元の輝きのみを頼りに、美音たちは歩いた。
「わぁ、素敵な薔薇の花々ですね。今、美音が何処に居るのか分からなくなりそうです」
 ふわわ、と美音が顔を上げる。頷いてマイヤが一つ角を曲がると、もう一度。分かれ道に行き当たった。
「赤い薔薇と白い薔薇。不思議の国に迷い込んだみたい。どっちに行く?」
 言いながらも、マイヤの瞳は輝いている。まるでどちらに行けば迷えるだろうかなんて言っているようで。心なしかラーシュの目が優しいお兄さんだった。
「そうねえ……あちらはどうかしら?」
 微笑みながら、手で示す。ドレスの裾を少し摘まんでアウレリアは右の角を曲がった。
「段差がありますね。みなさん、気を付けて」
 雪継が声をかける。アーニャは小さくうなずいて、そっと周囲を見回した。
「一面薔薇の迷路すごいですね……」
 顔を上げるとまた薔薇の道が続いている。祖の咲き誇るさまと香りに圧倒される。
「薔薇に包まれたこの迷宮に、心まで迷い込んじゃいそうなのです」
「ふふふ、今日は心も道に迷っても平気。みんな一緒だもの。楽しいわ。今宵の魔法が解けてしまうのが惜しいほど!」
 ふぁっ。と、記が声を上げた。また薔薇だったから。天を見上げると月もある。マイヤはそっと顔を上げた。
「夜の薔薇ってこんなにも綺麗なんだね。わたし、知らなかったよ。みんなは薔薇が好きなの?」
 あぁ、お城の時計台が見える。そろそろ魔法のとける時間だと気が付いて、マイヤはぎゅっとラーシュを抱きしめる。
 なんと幸せな。美しい夢なのだろう。
「薔薇は、大好きよ。けど」
 アウレリアが応える。マイヤの声色に気が付いて、そして微笑む。
「みんな、とても似合っているわ。薔薇が褪せても、きっとここでつないだ縁は褪せないでしょう」
 ラーシュと目が合えば、あなたも素敵よと微笑んで。
「わたしはバラの花のことを、今日を切っ掛けに、とっても好きになりそう。ケルベロスとしての初めての御仕事としても、忘れないの」
 記が言って、少し笑った。幸せですとそんな風に。
「さあ、そろそろ行きましょう! 迷うと12時に間に合わなくなってしまうのです……!」
「それもまた、良いかもしれませんが……。おやすみなさいを言うのは、まだ先ですね♪」
 アーニャの言葉に美音がうなずき、そしてみんな歩き出す。マイヤは一度だけ、薔薇の庭を振り返った。
 夢のような一日が終わる前の束の間の時間。
「でも思い出は残るから」
 それはきっととけない魔法と、夜の薔薇が言っていた。

作者:ふじもりみきや 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 0
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