その夜の弔い

作者:土師三良

●図画のビジョン
「なにするんだ!? それを返せぇーっ!」
 アパートの一室に絶叫が響く。
 声の主は寝間着姿の老人。
 彼の前には人間ならざる二人の女がいた。パッチワークの魔女たち――第八の魔女ディオメデスと第九の魔女ヒッポリュテだ。
 自宅にいきなりデウスエクスが乱入してくるという事態に遭遇しているにもかかわらず、老人は逃げ出しもせず、魔女たちに食ってかかっていた。
 命よりも大切なものを奪われたからだ。
「返せと言ってるだろうが!」
 ディオメデスの手にある『命よりも大切なもの』は一枚のクレヨン画。就学前の児童が描いたであろう稚拙な似顔絵。おそらく、モデルはこの老人だ。
「その絵はユウくんが描いてくれた大切な……あっ!?」
 老人の顔が絶望に歪んだ。
 ディオメデスが似顔絵を引き裂いたのである。
 四つの紙片と化した似顔絵は彼女の手から離れると、いかなる力によってか燃え上がり、灰になって床に落ちた。
「あああぁぁぁーっ!? なんてことを! なんてことをーっ!」
 老人は床にはりつくばり、灰をかき集めようとした。涙を流しつつ、憤怒の形相で。
 その背中めがけて、二人の魔女が鍵のような物を突き立てた。
「私たちのモザイクは晴れなかったねえ。けれどあなたの怒りと――」
「――オマエの悲しみ、悪くナカッタ!」
 魔女たちが同時に鍵を引き抜くと、老人は意識を失い、倒れ伏した。
 そして、二体の新たなドリームイーターが室内に出現した。
 右手に絵筆を持ったドリームイーターと、左手に絵筆を持ったドリームイーター。一応、どちらも人型をしている。だが、目鼻等の判別できない。右利きのほうはオレンジの粘液に、左利きのほうはブルーの粘液に全身を覆われているからだ。

●ダンテかく語りき
「第八の魔女ディオメデスと第九の魔女ヒッポリュテがまた新たなドリームイーターを生み出したっす」
 少しばかり顔をしかめて、ヘリオライダーの黒瀬・ダンテがケルベロスたちに告げた。
 何故に顔をしかめているのかというと――、
「――けっこう胸糞が悪い事件なんすよ。幸いなことに現時点では死傷者は出ていないっすけどね」
 ディオメデスとヒッポリュテは誰かが大切にしている物を破壊し、その『誰か』が感じた怒りと悲しみからドリームイーターを生み出す。
 今回、標的にされたのは千葉県船橋市に住む宵待夜一(よいまち・よいち)という老人。そして、破壊されたのは、彼の孫の夕也(ゆうや)が描いた似顔絵だ。
「その夕也くんは三ヶ月前に交通事故で亡くなってるんすよ。魔女どもに破られて燃やされちゃった絵は夜一さんにとって宝物であると同時に形見だったわけっす」
 ダンテは悲しげに眉を寄せたが、すぐに気を取り直し、倒すべき敵について語り始めた。
「で、夜一さんの怒りと悲しみから生まれたドリームイーターについてですが……なんというか、ペンキまみれのマネキンかデッサン人形みたいな形をしてるっす。怒りのほうはオレンジのペンキで、悲しみのほうはブルーのペンキ。名前は『G1号』と『G2号』にしておきましょう。言わなくても判ると思いますけど――」
 ダンテは爽やかな微笑を浮かべ、白い歯をキラリと輝かせた。
「――Gは『画伯』の略っすよ」
『言われなきゃ判らねえよ』『いや、言われてもピンと来ないし』『さっきまでのシリアスな空気を返せや、こら!』等の言葉をぐっと呑み込むケルベロスたちであった。
「G1号とG2号は絵筆で塗料を塗りたくるようなグラビティを使ってくるっす。二体のグラビティに差異はありません。活動場所は、夜一さんが住んでるアパートの周辺っすね。特に策を用意しなくても、すぐに見つかると思うっす。夜間なので人払いも必要ないっすよ」
 必要な情報をすべて語り終えると、ダンテは先程までのシリアスな空気をほんの少しだけ回復させて、ケルベロスたちを激励した。
「夜一さんの悲しみを癒してあげることはできないかもしれません。でも、ドリームイーターどもによる新たな悲劇を食い止めることは皆さんならできるはずっす。いや、皆さんにしかできないことなんすよ。だから、頑張ってください!」


参加者
千手・明子(火焔の天稟・e02471)
神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)
綾小路・鼓太郎(見習い神官・e03749)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
サイファ・クロード(零・e06460)
玄梛・ユウマ(燻る篝火・e09497)
有枝・弥奈(滑稽にやって来る乱れ鴉・e20570)
リュイェン・パラダイスロスト(嘘つき天使とホントの言葉・e27663)

■リプレイ

●COLORS OF HATE
「許サナイ! 許サナイ! 絶対、許サナイ!」
 オレンジ色の塗料にまみれた怪人が夜の街路で地団駄を踏み、怒りの声をあげていた。黒瀬・ダンテに『G1号』と命名されたドリームイーターだ。
「泣キソウダヨ! 泣キソウダヨ! モウ泣キソウダヨ!」
 ブルーの塗料にまみれたドリームイーターがG1号の横で体を左右に揺らし、悲しみを訴えていた。名前は『G2号』。こちらの命名者もダンテ。
「許サナァーイ!」
「泣キソウダヨォーッ!」
 叫び続けるG1号とG2号。自らのルーツたる感情を表現しているつもりなのかもしれないが、大袈裟な身振りと甲高い声のせいで、本気で怒っている/悲しんでいるようには見えない。
 それどころか、からかっているように見える。
 孫の形見の絵を燃やされた宵待夜一(よいまち・よいち)を。
 そして、目の前に現れたケルベロスたちを。
「オレンジとブルーか」
 ケルベロスの一人――黒豹の獣人型ウェアライダーの玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)が二色の敵をねめつけた。
「見事な補色だな」
「よく知らないけど、補色っていうのは混ぜると汚くなるんだっけ?」
 人派ドラゴニアンの有枝・弥奈(滑稽にやって来る乱れ鴉・e20570)が陣内に尋ねた。
「あまり美しくはならんね。絵の具の彩度を下げたい時は補色を混ぜて調整したりするんだが……まあ、活かすかどうかは腕次第ってやつだ」
「じゃあ、玄人たる俺の腕を見せてやんよ」
 と、サキュバスのサイファ・クロード(零・e06460)が言った。
「活かすためじゃなくて、ぶっ壊すためだけどな。こいつらのやってること、ホントに胸糞悪いし」
「そうですね。まさに鬼畜の如き所業」
 と、サイファの言葉に頷いたのは綾小路・鼓太郎(見習い神官・e03749)。
 彼らの心の中に渦巻く怒りの激しさはG1号のそれの比ではなかった。全員分の怒りではない。各自の怒りが勝っているのだ。
 とはいえ、鼓太郎は怒りを爆発させるつもりはなかった。
「甚だ残念ではありますが、当の仇たるディオメデスとヒッポリュテの姿は既になし。なれば、心を鎮め、己が役目を果たすまで……」
「鎮められるかよぉ」
 荒い口調で呟きながら、オラトリオのリュイェン・パラダイスロスト(嘘つき天使とホントの言葉・e27663)が妖精弓の弦を苛立たしげに弾いた。
「爺さんの大切な物はもう取り戻せねえ。だったら、こいつらも戻れなくしてやる。この世にな」
「大切な物、ですか……」
 小さな声で独白して、玄梛・ユウマ(燻る篝火・e09497)が複雑な表情で『大切な物』かもしれない物を見た。愛用の武器『エリミネーター』。あるダモクレスの部位を剥ぎ取って作った鉄塊剣だ。
「もうさ? 罪のない人を狙うのはやめようよ、マジで」
 と、サイファがG1号とG2号に語りかけた。
「そんかし、オレたちがいくらでも相手してやるからさ」
「泣キソウダヨ! 泣キソウダヨォーッ!」
 G2号が体を揺らすのをやめて、左手の絵筆を振り上げた。
「許サナイ! 許サナァーイ!」
 G1号も地団駄を踏むのをやめて身構えた。武器は右手の絵筆。
「え? 今、『許さない』って言った?」
 準備運動とばかりに腕を振り回しながら、弥奈が聞き返した。
「それはこっちの台詞。許しを乞うべきは――」
「――貴様らだろうが」
 と、後を引き取ったのは竜派ドラゴニアンの神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)。
 その静かな声に轟音が続いた。錨型のドラゴニックハンマー『溟』の砲音。
 発射とほぼ同時に晟の後方で無反動砲のバックブラストさながらに黄金色の粒子が飛散したが、発生源は『溟』ではない。鼓太郎とユウマがメタリックバーストを用いたのだ。
 晟の放った竜砲弾がG1号に命中し、その姿を灰色の爆煙で覆い隠した。
 一方、オウガ粒子群はケルベロスの中衛陣――千手・明子(火焔の天稟・e02471)、弥奈、ボクスドラゴンのラグナルを包み込んだ。
「はい、任した!」
 明子の胸の辺りに向かって、弥奈が手の甲を勢いよく振った。思わず『なんでやねん!』という台詞をあてたくなるツッコミの仕草に見えるが、その正体は命中率を上昇させるグラビティ『レイザースラップ』である。
「はい、任された!」
 切れのいいツッコミを受けた明子がG1号に突撃した。二人分のオウガ粒子に彩られた大脇差『墨染櫻』が一閃し、轟竜砲の爆煙の残滓もとろもオレンジ色の体をジグザグスラッシュで斬り裂いていく。
「ベテラン女流漫才コンビ張りのコンビネーションだな。じゃあ、俺は――」
 G1号の前から素早く離脱する明子を横目で見つつ、陣内が『Le chrysantheme(ル・クリザンテム)』を発動させた。標的はG2号だ。
「――あの青い奴とドツキ漫才でもやっとくか」
「ナ、泣キ!? ソウダヨォ!」
 攻撃を受けたG2号の声は当惑の響きを含んでいた。『Le chrysantheme』の影響によって、砕け散る菊の花の幻影を見たせいだろう。
 だが、幻影は副産物に過ぎない。そのグラビティが相手に与えるのは――、
「モウ泣キソウダヨォォォーッ!」
 ――怒りだ。
「許サナァーイ!」
 自身と同じ感情を付与された相棒に呼応するかのようにG1号が吠え、ケルベロスに反撃した。オレンジ色の塗料を絵筆で掬い取り、前衛陣に浴びせていく。幼稚な嫌がらせに見えるが、立派なグラテビィだ。粘性の塗料は前衛陣にダメージを与えるだけでなく、刀身にまとわりつき、あるいは銃身に詰まり、攻撃力を低下させた。
 だが、G1号の攻撃力もまた低下することとなった。陣内のウイングキャットにキャットリングを食らったのだ。
「泣キソウダヨーッ!」
 リングに斬り割かれた相棒の痛みを代弁するかのようにG2号が吠え、左手の絵筆でブルーの塗料を飛ばした。怒りに駆られたのか、狙いは後衛の陣内。もっとも、陣内はそれを見越して魔法耐性の防具を着込んできたので、ダメージは半減しているが。
「よーし! 催眠鬼盛り作戦、いっくせぇー!」
 ドラゴニックハンマーを砲撃形態に変えながら、陣内の横でサイファが叫んだ。
「おう!」
 リュイェンが応じ、妖精弓を構える。
 轟竜砲が火を噴き、ハートクエイクアローが放たれた。どちらも標的はG1号。
 またもや爆煙がG1号を包み、そこにエネルギーの矢が飛び込んだ。
「許サナイ! 許サナイ! 許サ……ヌァッ!?」
 爆煙の奥から聞こえてくるG1号の咆哮が途切れた。二本目のハートクエイクアローが突き刺さったのだ。
 それを放ったのは新条・あかり。
「人の怒りを、悲しみを、絶望を……そんな単純な色で語らないでよ」
 彼女の呟きに弦の音が重なった。三人目の射手は明子。今度の攻撃もハートクエイクアローだ。
「くらえー、催眠攻撃ぃ!」
 矢が命中したのを見届けると(爆煙はもう晴れていた)、明子は努めて明るい声で叫んだ。普段の彼女なら、努めなくても明るい声を出せるのだが。
「奴の機動力を削ぐ。その間に催眠で畳みかけろ」
 晟が跳躍し、G1号にスターゲイザーを打ち込んだ。好敵手と目している明子が『努めて』いることには気付かない振りをして。
 主人の動きをなぞるかのようにラグナルが空中で弧を描き、ボクスブレスを放射した。
 ジグザグ効果によって傷口が広げられ、そこに――、
「四発目!」
 ――弥奈のハートクエイクアローが抉り込んだ。
「ヴァオも頼む!」
「よっしゃー!」
 サイファの指示を受け、ヴァオ・ヴァーミスラックス(憎みきれないロック魂・en0123)が二つのバイオレンスギターを合体させた。
「黄金のギター神と呼ばれた俺様が皆の期待に応えないわけにゃあいかねえよなぁ!」
 それを聞いた晟が視線をあらぬ方向に向けて――、
「……」
 ――何事かをぽつりと呟いた。
「聞こえたぞぉー! 今、『呼んでないし、期待もしてない』って言っただろぉーっ!」
 晟に怒鳴りながらも、ヴァオは『ヘリオライト』の演奏を始めた。通常時よりもジャマー能力が上昇しているが、それは自称『黄金のギター神』の技量によるものではない。比嘉・アガサが幻夢幻朧影を施してくれたからだ。
「がおー!」
 申し訳なさそうな目でアガサを見て、『ダメな主人ですいません』とでも言いたげに鳴きながら、ヴァオのサーヴァントであるイヌマルがパイロキネシスでG1号を燃やした。

●COLORS OF HEART
「どうやら、作戦成功のようですね」
 鼓太郎が前衛陣に向けて『紅瞳覚醒』を演奏し、ポジション効果のキュアで状態異常のいくつかを取り除いた。
「はい」
 ユウマが頷き、チェーンソー剣を振るった。G1号に蓄積している状態異常(大半は催眠だ)をジグザグ効果が悪化させていく。
「連携が得意な二人組だったのかもしれませんが、こうなってしまっては連携もなにもありませんね」
 戦闘開始から数分を経た今、G1号とG2号は悲喜劇の登場人物と化していた。もしくはシュールなコントを演じる芸人か。
「許サナァーイ!」
 催眠に惑わされ、何度となくG2号を攻撃するG1号。
「泣キソウダヨォー!」
 怒りに突き動かされ、G1号のキュアよりも陣内への攻撃を優先するG2号。
「補色は互いを引き立てることもできるが――」
 哀れなG2号に陣内がまたもや『Le chrysantheme』を食らわせた。それがもたらす怒りのせいで彼は攻撃の矢面に立っているのだが、大きなダメージは受けていない。防具の耐性が合致している上に鼓太郎が『心照御霊ノ祝詞(ココロテラスミタマノノリト)』で癒し、なおかつ見切りが生じているからだ(G2号は遠距離グラビティを一種しか有していなかった)。
「――怒りと悲しみなんて、引きたてなくてもいいんだよ。潰し合って、消えちまえ」
「そうだ! 潰し合え! 喰らい合え! 夢の残骸どもが! あっはっはっはっは!」
 リュイェンが笑った。愛らしい声で。怒りに顔を歪めて。
「……おまえ、怖ぇよ」
 と、震えながらリュイェンの傍から後退るヴァオの肩をアガサが叩いた。
「じゃあ、後はよろしく」
「え? もう帰っちゃうの? ちょっと待ってよ! イジられるのは嫌だけど、放置されるのもなんか不安だから! 不安だーかーらー!」
 だが、不安を覚える必要はなかった。勝負はもう決している(それを見て取ったからこそ、アガサは撤収したのだ)。
「さて、終わらせましょうか。まずはオレンジから!」
 傷だらけのG1号の懐に明子が飛び込み、『墨染櫻』による絶空斬で更に傷を増やした。
「ユールーサーナーイー!」
 体をのけぞらせて絶叫するG1号。
 そこから明子が離れ、入れ代わるようにユウマが肉薄し、連続攻撃『チェイントリガー・リタード』を仕掛けた。『エリミネーター』が重い唸りとともに乱舞し、G1号の体のあちこちを斬り裂き、叩き潰し、削り取っていく。
「ええ、許しませんよ」
「グオォォォーギャアァァァーン!」
 断末魔の叫びを残して、G1号は頽れた。いや、『崩れ去った』と言うべきか。人型だったのも今は昔。もはや原型を留めていない。
「泣キソウダヨォー!」
 無残な死体の前でG2号が悲痛な叫びをあげた。
「戦友の死を嘆いているですか? それとも、同じ言葉を機械的に繰り返しているだけですか?」
 愛剣『虚蒼月』を抜き放ち、鼓太郎がG2号に問いかけた。
「後者だろう。こいつが悲しみの意味を知っているとは思えない」
 そう言いながら、G2号と同じ色の肌(鱗?)を有する晟がゲシュタルトグレイブの『淌』を突き出した。
「泣キソ……ウェッ!?」
 おなじみの台詞が苦鳴に断ち切られた。竜の頭部を模した刃がG2号の顔面を刺し貫き、青い電光を発して抉り抜いたのだ。
「……グウォッホ、グウォッホッ!」
 晟が『淌』を引き抜くと、G2号は激しく咳き込んだ。今のグラビティ『霹靂寸龍(ヘキレキスンリュウ)』を受けた際、塗料が口に入ったのかもしれない。
『霹靂寸龍』が与えた影響は他にもあった。顔の一部の塗料が剥がれ、目と思わしきものが剥き出しになっている。
 その目に少年の姿が映った。
『虚蒼月』を手にして突き進んでくる鼓太郎だ。
「泣キソウダヨォー!」
 G2号は叫んだ。聞き飽きた言葉ではあるが、先程までとは違う響きがある。命乞いをしているつもりなのかもしれない。
 しかし、鼓太郎はそれを聞き入れることなく――、
「……」
 ――なにも言わずにグラビティブレイクで斬り捨てた。
 それは感情の揺らぎに左右されることのない、冷静かつ冷徹な一太刀。
 最初に宣言したとおり、彼は怒りを完全に鎮めていた。
 そう、鎮めただけだ。
 消し去ったわけではない。

「駆けつけるのが遅くなってごめんなさい」
 明子が深々と頭を下げた。
 G1号とG2号が生み出されたアパートの一室。中央に置かれた座卓に寄り掛かるようにして、夜一が胡座をかいていた。ケルベロスたちに介抱されて意識を取り戻したのだが、まだ一言も口を聞いていない。
 彼のうつろな目は明子ではなく、弥奈に向けられていた。
 ヒールのグラビティで夕也の絵の復元を試みている弥奈に。
 もちろん、復元できるはずがない。それは弥奈にも判っていた。判っていても試さずにはいられなかったのだ。
 しかし、奇跡は起きなかった。灰は灰のまま。
「……」
 無言でうなだれる弥奈。
 その肩にリュイェンが手を置いた。
「ごめん、爺さん。この絵、もう直せねえみてえだ」
 小さく震える肩に手を置いたまま、リュイェンは夜一に詫びた。反対側の手は強く握りしめられている。その拳もまた震えていた。
「ホント、ごめんな……」
 夜一は反応を示さない。だが、声は聞こえているのだろう。いつの間にか、うつろだった目にまた涙が滲んでいる。
 晟が長躯を屈め、弥奈の前に散らばっている灰をラグナルと一緒にかき集めた。
「形はなくなってしまったが――」
 夜一に語りかけながら、なにか入れ物はないかと周囲を見回すと、あかりが小さな宝箱をそっと差し出してくれた。
「――それでも、これは貴方が持っておくべきものだ」
 宝箱にすべての灰を納めると、晟はそれを座卓に置いた。再び立ち上がった時、首にかけられたゴーグルが揺れて蛍光灯の光を反射した。夜一は知らないだろう。そのゴーグルが晟の『持っておくべきもの』であることを。
「残念ながら、我々が貴方にしてさしあげられることはありません」
 晟の横で鼓太郎が言った。淡々とした声。だが、そこに込められた想いに偽りはない。
「しかし、思い出の仇はケルベロスが討ち果たします。必ず……」
「そう、必ずな」
 と、話しに加わったのは、部屋の隅にいた陣内だ。
「あんたに代わって、いつかあのクソ野郎どもの横っ面をぶん殴ってやるよ。だから、爺さん。その報せを持ってくるまで、待っていてくれ。この世でな」
 陣内の肩からウイングキャットが飛び立った。
 降りたところはユウマの肩。
 ウイングキャットからなにか伝えられたわけではないが、彼の主人が最後に付け加えた『この世でな』という言葉の意を汲み、ユウマは夜一に訥々と語りかけた。
「えーっと、なんていうか……宵待さんに元気でいてほしいって、夕也さんもきっと望んでいる……と、思うんですよ。だから……こんなこと言うのは余計なお世話かもしれませんが……生きてください」
「……」
 夜一はなにも答えずに腕を伸ばし、灰の詰まった宝箱を手に取った。
 その様子を見ながら、ユウマが遠慮がちに繰り返す。
「生きてください。精一杯……」
「俺も『余計なお世話』をするぞ!」
 と、今にも泣きそうな顔をして、サイファが宣言した。
「これから、ここん家にちょくちょく顔を出す。だからさ、爺ちゃん、俺になんでも話してよ。なんか聞かせてよ。正直、それで爺ちゃんの傷が癒せるかどうかは玄人の俺にも判らないけど……俺、爺ちゃんの話が聞きたいんだよ」
「俺も顔を出すから! 週一で!」
 ヴァオが意味もなく腕を振り回して叫んだ。『今にも泣きそうな顔』どころか、もう泣き顔になっている。
「言葉にしたいこととか、言葉にできないこととか……そういうのがあるのなら、僕も聞くよ。いつでも呼んで。これ、僕の電話番号」
 リュイェンが座卓にメモを置いた。少しは落ち着いたのか、口調が戻っている。
「そんなことを言われてもな……」
 と、夜一が初めて言葉を発した。涙を浮かべたまま。
「話すことなんて、なんにも――」
「――あるでしょ」
 明子が割り込んだ。
「夕也君よ、夕也君。夕也君のことを話して」
「……ユウくんのこと?」
「そうよ、夕也君のことを教えてちょうだい。貴方の思い出の中の夕也君がわたくしたちにも思い描けるようになるまで」
 明子の声の余韻が消え、室内が静寂に包まれた。
 夜一は押し黙り、宝箱を手にしたまま、石のように動かない。
 しかし、やがて――、
「ユウくんは……とても優しい子で……」
 ――ぽつりぽつりと語り始めた。
 ごく普通の平凡な、しかし、彼にとってはかけがえのない存在だった子供の話を。
「それに絵を描くのが好きで……大きくなったら……漫画家になるって……」
 ケルベロスたちは無言で耳をかたむけた。
 どこにでもいるような、しかし、今はもうどこにもいない子供の話に。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 11/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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