金木犀の降る夜に

作者:犬塚ひなこ

●永いお別れ
 金木犀の花の香りがすると彼女を思い出す。
 遠い遠い空の向こうに行ってしまった彼女は儚く笑うひとだった。
 金木犀が好きだという彼女は、この季節になるといつも病室の窓辺から見える花を眺めてちいさな幸せを噛み締めていたようだ。
 或る時、そんな彼女に金木犀の花を模した指輪を贈った。
 とても喜んでずっと付けてくれていたけれど、彼女は次の年の終わりに指輪を返してきた。何故かと問いかけると彼女はこれが大切なものだからこそだと答える。
『わたしにはもう遺せるものがないから……だからね、』
 これをわたしだと思ってずっと持っていて。
 そういって彼女は逝ってしまった。形見として遺された指輪は普段は大事に仕舞っているが、花が咲く季節になると取り出して一緒に庭の金木犀を見ることにしている。
 だが――その指輪は今、砕け散った。

「私達のモザイクは晴れなかったねえ。けれどあなたの怒りと、」
「オマエの悲しみ、悪くナカッタ!」
 破壊された指輪の残骸を蹄で蹴飛ばしながら魔女・ディオメデスは笑う。
 その傍らでは魔女・ヒッポリュテが控えており、項垂れる青年に夢を覗く為の魔鍵を突き刺していた。
「彼女との思い出が……何で、こんなことを……」
 悲しみと怒りが綯い交ぜになった言葉を落とした青年はそのまま意識を失って倒れ込んだ。そして、魔女が鍵を引き抜いた次の瞬間。
 儚げな少女の姿をした二体のドリームイーターが現れた。
『どうして、どうしてなの……?』
『指輪に触れる人は絶対に許さない』
 其々に悲しみと怒りの表情を浮かべた少女型夢喰い。その指には壊された指輪に似たものがはめられている。そうして、新たに生まれたドリームイーターを確かめた魔女達はその場から去ってゆく。
 其処に咲いていた金木犀は風に揺れ、ちいさな花がはらはらと宙に散っていった。

●恋の形見
 パッチワークの魔女によって夢喰いが生み出された。
 大切な形見の品を壊されたうえに夢と意識を奪われた青年の話を語り、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)はそっと俯く。
「魔女たちはとても大切な物を持つ一般人を襲って、それによって生まれた『怒り』と『悲しみ』の心から新しいドリームイーターを作り出すようです」
 今回、具現化したのは指輪をはめた少女の姿をした敵。
 彼女達は青年の想い人だったひとによく似ているようだ。だが、それらは青年の感情から生まれたモノに過ぎずただ模倣された存在だ。敵は現在、青年が倒れている庭から出て近所の人間を襲おうとしている。
 まず悲しみの夢喰いが『物品を壊された悲哀』を語り、それを理解できなければ『怒り』でもって対象を殺すらしい。このままでは罪もない人達のグラビティ・チェインが奪われると話し、アイヴォリーは事件解決の協力を願った。
 そして、アイヴォリーはヘリオライダーから伝え聞いた情報を話していく。
「わたくしたちは敵が金木犀が咲く庭から出る直前に現場に到着できると聞きました」
 従って戦場は青年宅の庭となる。
 此方が戦う意志を見せれば敵も襲い掛かってくるだろう。戦闘では怒りが前衛、悲しみが後衛として攻撃を重ねて来ると予想される。その連携は侮れないが、ケルベロス全員で立ち向かえば勝てない相手ではない。
 反面、決して油断も躊躇もしてはいけない。
 そう語った彼女は腰かけていた椅子から立ち上がる。シナモンクリームを思わせる巻毛がふわりと揺れる中、アイヴォリーは青年の心を慮った。
「大切な物を目の前で破壊されたら悲しくて、怒りを覚えても当然です。それに……」
 夢喰いは彼の大事な人を模り、凶行に及ぼうとしている。
 それは亡き人への冒涜だ。それ故に敵を必ず止めたいと告げたアイヴォリーはショコラ色の双眸を幾度か瞬かせる。
 真っ直ぐに仲間達に向けたその瞳には、真剣な思いが宿っていた。


参加者
結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)
イェロ・カナン(赫・e00116)
真木・梔子(勿忘蜘蛛・e05497)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
ティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)
クララ・リンドヴァル(鉄錆魔女・e18856)
愛沢・瑠璃(メロコア系地下アイドル・e19468)
マナ・ティアーユ(エロトピア・e39327)

■リプレイ

●金木犀の庭
 宵の頃、家々に燈る灯りが空に滲む時刻。
 或る家屋の裏手にある庭にて、ふたつの影が動いた。少女の姿をしたそれらが紡いでいるのは悲しみと怒りの言葉。
 夢喰い達の話し声を聞き、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)は庭へと踏み出す。
「甘い花の降頻る夜の美しいこと――」
 彼女の囁いた聲に気付いた感情の化身達はそっと身構えた。
「悲しくて苦しいの……」
「許せないの、どうしても!」
 其々が口にする思いを聞いた結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)は首を振り、胸に渦巻く思いを言葉に変える。
「やるせないですね」
 目の前の敵を形作っているのは亡くなった大切な人の思い出の品を壊された悲しみと怒り。自分達に出来るのは、その気持ちから生み出された夢喰いがこれ以上の負の感情を生まぬよう倒すことだけ。
 真木・梔子(勿忘蜘蛛・e05497)は同意を示し、真っ直ぐに夢喰いを見つめた。
「私達では何もできない。とても心苦しいですが……」
 敵を倒すことでしか、青年の悲しみに報いることが叶わないと梔子は考える。
「怒りと悲しみですって? 破壊された指輪に込められた気持ちを利用してるだけのあんたたちにわかるもんですか!」
 ウイングキャットのプロデューサーさんを連れた愛沢・瑠璃(メロコア系地下アイドル・e19468)は思わず激高するが、感情の化身達が反応を示すことはなかった。
「そんなに怒りと悲しみがお好きなら二人だけで仲良くやってなさいって」
 肩を竦めたイェロ・カナン(赫・e00116)は本当にその言葉を向けるべき相手、パッチワークの魔女達への思いを口にする。その傍らでは匣竜の白縹が敵を見据えて警戒態勢を取っていた。
 二人の魔女にこの思いが届くことはないとイェロはちゃんと知っている。だが、彼女達が行っているのは皮肉を言いたくなるほどのことだ。
 マナ・ティアーユ(エロトピア・e39327)はビハインドの真夜と共に庭の片隅に目を向けた。其処には家から漏れる灯に反射する指輪の欠片が見える。
「大切なものと分かっていて破壊するなんて……」
「……。壊されたものは戻りませんけど突然の喪失、その時の痛みを利用されるのはせめて阻止したいものですね」
 本当に、と呟いたクララ・リンドヴァル(鉄錆魔女・e18856)は帽子を被り直した。木の傍には意識を奪われて眠っている青年の姿もある。
 ティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)は彼に危険が及ばないだろうことを確かめ、静かに頷く。本当は夢喰いの手が伸びる前に救いたかったが悔いても変わらぬだろう。
「僕ができることをするぞ」
「ええ、無粋な輩はさっさと塵にいたしましょう」
 ティノの決意が籠った言葉に応えたアイヴォリーは相手からの敵意を受け止める。
 そして、揺れ動く感情の最中で戦いは始まりを迎えた。

●あるべきかたち
 金木犀の香りも吹き飛ばすほど鋭い光の環が庭を駆け巡る。
 怒りと悲しみ、二体の夢喰いが同時に飛ばした一閃を受け止めるべくイェロと梔子が前に飛び出した。
「へぇ、なかなかじゃねぇか」
「ここは任せてください」
 イェロは光環を弾き飛ばし、梔子は受けた痛みに耐える。平静を保つイェロではあるが敵の力が相当なものであることは悟っていた。
 すぐにクララが衝撃を受けた梔子に癒しの力を施していく。
「不変のリンドヴァル、参ります……」
 その声と共に冥界硝子が魔法陣から飛び立った。その間にレオナルドが竜槌を振りあげて怒りの少女に接敵する。
「パッチワークの魔女……お前達は一体どこまで」
 轟竜の砲撃を放ちながら敵を穿ったレオナルドは魔女達への思いを零した。
 其処へ瑠璃と翼猫の放つ一撃が重なる。瑠璃は黒色の魔力弾を、プロデューサーさんは引っ掻きで敵を斬り裂く。
「もっともっと行くわよ!」
「怒りと悲しみのために人の大切なものを壊すなんて許せません」
 マナも仲間の癒しを担うべく身構え、真夜に攻撃を願った。その瞬間、敵の背後に出現した真夜が薄く笑う。それと同時に衝撃が敵を襲った。
 仲間達の連撃に続いたアイヴォリーは指先を怒りの夢喰いに差し向け、時空を凍結させる一閃を解き放つ。
「まずは相手の攻撃の要から、ですね」
 アイヴォリーは標的を見つめながら相手が攻撃手であることを感じ取っていた。ティノも同様のことに気付いており、行動で以て応える。
「ああ、援護するぞ」
 九尾扇を掲げたティノは仲間達が立つ位置を見据え、それを識陣として破魔力を拡げていった。ティノから授けられた力を受け、梔子は地を蹴る。
 梔子による電光石火の一撃が夢喰いを貫き、更に其処へイェロが放つ流星めいた蹴りが見舞われた。ふたたび敵から光の攻撃が放たれそうな最中、イェロは未だ不仲な匣竜に冗談めかして追撃を願う。
「花ちゃん、お願い出来る?」
 その言葉に白縹はつんとそっぽを向いていたが、次の瞬間には激しい竜の吐息が敵を襲っていた。
「許さない……!」
 反撃として怒りの夢喰いがレオナルドを狙い打ったが、即座に梔子が庇いに走る。仲間が見事に役割を果たしていると感じながらクララは悲しみの夢喰いを注視した。
 後方の敵は前衛の夢喰いを癒しに入っているがどうやら癒し手ではないようだ。そんな判断を下したクララは地に守護星座を描く。そして、ぽつりと呟いた。
「あ、あの。思い出には、喜怒哀楽が付き纏います」
 青年にとってあの指輪は想い人そのものなのかもしれない。だが、彼への共感や同情よりもクララの中では平常心の方が勝っていた。裡に抱える膨大な量の知識が心を押し潰しているのだろうかと気付いたクララだが、今は考えるべきではないと頭を振る。
 其処から巡った癒しと守護の力が仲間を包み込んだ。
 戦いは続き、激しい攻防が続く。
 マナは懸命に仲間の癒しを担い、敵の動向をしかと窺っていた。
「気を付けてください、また来ます。真夜もお願いね」
 仲間に呼び掛けつつ彼にも気を掛けるマナは仲間を支え続ける覚悟を抱く。
 マナからの注意を聞いたアイヴォリーは怒りから繰り出される一閃を避け、改めて夢喰い達を瞳に映す。其処に居るのは、青年が抱いた感情そのもの。
「でも、本当に大切なものは奪えやしません」
 アイヴォリーは敵の頭上に灼けた断罪のギロチンを顕現し、怒りを真っ二つに切り分けた。悲鳴と共に怒りが崩れ落ち、戦う力を失う。
 イェロは一体目の終焉を見届けた後、悲しみの夢喰いに視線を移した。
「残るはきみだけだ」
 悲しげな表情を崩さぬ少女に向け、イェロは音速の拳を振り下ろす。いたいけな少女の姿であれどそれを形作ることは青年への冒涜に等しい。
「容赦はしない。する意味はないからな」
 ティノはイェロが放った一撃に続く形で駆け、炎を纏った蹴りを見舞った。小柄な竜の少年が舞うように身を翻して攻撃の射線をあければ梔子が跳躍する。刹那、星型のオーラが敵に向けて蹴り込まれた。
 更に瑠璃が光り輝く呪力と共に斧を振り下ろす。今よ、と瑠璃が告げた合図を受けたレオナルドは敵を見つめ、先に倒れた怒りが発していた言葉を思う。
「お前達は……」
 一度は言い淀んだレオナルドだったが地獄の炎を刃に纏わせ、敵に肉薄した。
「生み出された存在でも、そこに宿る気持ちは……きっと本物だったんだろう」
 だからこそ、その感情は弄ばせたくない。
 レオナルドの振り下ろした焔は迸り、涙を流す悲しみの化身を斬り裂いた。
「大切なもの、だったのに……!」
 よろめいた悲しみの少女は苦悶の声をあげながら叫ぶ。
 マナは間近で目の当たりにした感情の発露に揺らぎそうになった。もし自分が大切な物を壊されてしまったら、と考えたら胸が締め付けられる。だが、僅かに俯いたマナの傍には真夜がしかとついていた。
「そう、ですね。負けてなんていられません」
 きっと悲しみの力もあと少しで削りきれる。最早癒しは不要だと感じたマナは真夜と共に攻勢に入り、古代語魔法を紡いだ。
「亡き人は今も側に。わからないでしょう。貴方達には」
 クララもマナ達に続き、鋭い一閃で敵を穿つ。瑠璃はプロデューサーさんに呼び掛け、杭打ち機を大きく掲げる。
「夢喰いの思い通りにさせないわよ!」
 敵は癒しの盾で身を守ったが、それすら突き破る勢いで瑠璃達は突撃した。梔子が追撃に入り、レオナルドも更なる一撃を与える為に掛ける。
「お前達の気持ちは良くわかった……だから、安らかに眠れ」
 居合いの構えから放たれた斬撃が敵を斬り裂き、陽炎が戦場を揺らがせた。それらを受けた夢喰いは恐れ慄く様子を見せ、ケルベロス達に背を向けようとする。
 その動きに気付いたアイヴォリーは逃走させまいと回り込み、ティノを呼んだ。
「ティノ、そちらはお願いします」
「後ろは任せろ。思いの侭、務めるがいい」
 彼女の指示めいた呼び掛けに少しだけ昔を思い出したティノは不思議な心地良さを覚える。されど表情や仕草には出さず、願われたことを務める。
 ――縫い止めろ、世界を航る黒の舟。
 詠唱と共に巡るのは叛逆の時界。衝撃は強く、振動は時の針より速く。不確かな脈動を刻みつけた力はティノの手によって顕現した。
 それによって敵の動きが止まった刹那、アイヴォリーが雪さえも退く凍気を放つ。
「――!」
「もう、終わりにしようぜ」
 声なき悲鳴をあげて膝をついた夢喰いの前に立ったイェロは手を翳した。
 少女の姿をしたそれから零れ落ちる涙は或る意味では本物なのだろう。しかし、その感情を返すべき青年がいる。
 刹那の内に落とされたのは白き一閃。後に残るは冱つ結晶の柱。
 マナとティノは次の一撃で敵が倒れると悟り、アイヴォリーとクララ、レオナルドも終わりを見つめた。梔子は仲間達からの眼差しを受け、拳を振りかざす。
「これで最期です」
 そして――降魔の力を宿した真拳が少女の形をしたものを貫いた。

●かたちなきもの
 その終わりは呆気なく、夢喰いは崩れ落ちる。
 まるで花が枯れていくかのように散ったそれは霧散し、無に還った。クララはいつものように長手袋を脱ぎ、その場にふわりと落とす。
「わたし達にはこれ以上は何も出来ませんけど……」
 視線を落としたクララが見つめたのは粉々になった指輪の残骸。
 形が変わればもう別物。しかし、壊れたものをそのままにしておくわけにもいかない。
 マナ達が青年を解放している間、アイヴォリーやレオナルドをはじめとした仲間達が残骸を拾い集めてゆく。
「大切な人との思い出の品……集められたのはこれが全てです。この指輪をどうするかは、貴方しだいです」
 レオナルドはアイヴォリーに借りたハンカチに包んだ指輪の欠片を差し出し、目を覚ました青年に渡した。散った金木犀が今年もまた咲くように思い出は残り続ける。
「指輪は砕けてしまっても……そこに込められた思い出は変わらないはずです」
 そうであって欲しいと願ったレオナルドだったが、青年は浮かない顔のままだった。クララは黙り込む彼の傍でそっと願う。
「その悲しみを、少しだけ分けて下さいませんか」
 すると、瑠璃も思いの丈を語った。
「人も指輪も形ある限り永遠なものなんて無いわ。でも、大昔の歌も作った人がもういなくても今でも愛され歌われるように、人の想いも記憶も忘れない人がいる限りずっと続くわ。だから指輪がどんな形になったとしても彼女との思い出は……ずっと忘れないであげて」
「言葉でいうのは簡単だけどな」
 しかし矢継ぎ早に告げた瑠璃の言葉は届いていないようだ。
 マナは気落ちしている青年の心を思い、自分の耳元のイヤリングに触れた。真夜と揃いの大切なものだからこそ、彼の怒りや悲しみがとても分かる気がする。
「大切ですよね。遺されたものならばなおさら……」
 マナの思いも瑠璃が既に伝えた言葉と似ていた。だが、青年が塞ぎこんでしまった今はどう伝えればいいのか分からない。
 そのとき、イェロが首を振った。
「喪った後に遺されたものは何も指輪だけじゃなかっただろうぜ」
 形あるものは目に見えて安心する。けれどそれが寂しくないように置いていった物なのだとしたら、きっと持ち主が心配するだろうとイェロは青年の肩を叩く。
 するとはっとした彼が顔をあげた。
 指輪は悲しんでもらう為に遺したものではないはず。前を見て欲しいと梔子も語り、自分なりの決意を言葉にする。
「あなたの苦しみを作った、あの二人の魔女は必ず倒します」
 約束します、と梔子は拳を握って思いを伝えた。彼は無言のままだったが彼女の思いが嘘ではないことは悟っているようだ。
 それまで皆を見守っていたティノは意を決し、青年に問いかける。
「指輪を託されたとき、その人は嘆いていたか?」
「いや……」
「思い出したなら、この先どうしたらいいかはもう、解っているのではないか?」
 首を振る青年にティノはもう一度問うた。自分は彼ではないから嘆きも怒りも解らない。だが、この庭に咲く花のことは解る。
 花は手をかければ必ず応えてくれる。大切な人が好きだった金木犀が必ず秋に咲くならば、形になるものが無くともそれが答えだ。
 お前がその想いを忘れなければいい、とティノが思いを伝えると青年は掌の中の指輪の残骸を強く握り締めた。
 アイヴォリーはその様子を見てさぞ大切な品だったのだろうと胸を痛める。
 でも、と彼女は感じたことを話してゆく。
「思うんです。本当の形見はきっと――『貴方』です」
 彼女が産まれて、生きて、恋をしたから今の貴方がそこに居る。
 生涯彼女の面影を追って生きてもいい。想い出を抱いて別の誰かを愛してもいい。貴方がどんな道を歩いたって、その足跡は彼女の生きた証。
 アイヴォリーの思いを聞いた青年は俯く。
 金木犀がひとひら散り、甘い匂いがやさしく広がった。花の欠片のように零れ落ちた涙は見ないふりをしてアイヴォリーは囁く。
「ねえ、だいじょうぶです。本当に大切なものは、ちゃんとここに、ありますよ」
「……ありがとう」
 一言だけ伝えられたその言葉が今の彼に伝えられる精一杯の思いだった。だが、それだけで十分だと仲間達は感じる。青年のこれからを思い、イェロは握っていたひとかけらの水晶片を夜空の星にかざして物思いに耽った。
 想いはきっと形無き、形あるもの。
 ふいに香る甘い金木犀の香りに引き戻され、不思議な懐かしさを感じた。過ぎる思い出に淡く綻んだイェロは夜風に散る花を追いかける白縹を呼び、双眸を細める。
 花が甘くなるまで、もう少し。
 金木犀の降る夜に、想いの形は一度壊された。
 けれど――それはもう一度、本当に大切なものとなって心の中に宿った。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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