闇に舞う復讐の果てに

作者:白石小梅

●灼けた憎悪の靴を履いて
 そこは、豪奢なホテルであったのだろう廃屋のホール。
 今はくすんだ紅い絨毯。ソファや椅子は打ち捨てられて、窓の外にはしとつく長雨。
 屋内にあった薔薇のアーチはすでに野生化して無差別に茨を伸ばしている。
 いや、今、その薔薇は煌めく花粉を受け、巨大な怪物としてホールを埋め尽くすように伸び上がろうとしていた。
「た、助けて! 誰か! 誰かぁ!」
 廃墟や植物の写真を撮ろうとでもしていたか、不幸にも居合わせた若い男が茨に捕まり、悲鳴と共に攻性植物に呑み込まれようとしている。
 薔薇の攻性植物が、宿主を取り込もうとしたその瞬間。
「父様……母様……お二人の仇のデウスエクスは、私が必ず討ちます」
 呟くような声と共に舞うような銀閃が煌めき、青年は無様な悲鳴を上げて地に落ちる。攻性植物は悲鳴を上げるように身を悶え、奥へと引きさがった。
「ああ、ようやく、デウスエクスを見付けたわ……出来の悪い娘と、お叱りを受けるわけには、いかないもの……」
 斬り裂かれた茨を払い、青年が顔をあげる。
 その視界に映ったのは、黒薔薇のドレスの乙女。
「でも、こんな奴じゃ話も出来ない。仇は誰? どんな種族? どんな顔? 私、何も知らない……」
 その瞳は紅く輝き、雨に濡れたドレスは赤黒く沈む。生々しく飛び散った攻性植物の紅露を、拭うこともせず。
「そうよね。それなら、殺せばいいのよ……! デウスエクスは、全て! 殺して、殺して、まったいらになるまで、皆殺しにすればいい!」
 乙女は顧みない。
 悲鳴を上げて走り出て行く青年のことも。
 肌蹴た肩が寒さに粟立ち、彷徨い続けた身を飢えと渇きが満たしていても。
「邪魔する奴は、誰であっても許さない! そうよ! なぜ最初からそうしなかったのかしら……私って、馬鹿ね!」
 乙女は笑う。高く、細く、引き攣った声音で。
 広間を覆わんと伸び上がる薔薇が放つ、滅びの香りの中で。
「父様、母様……この躰も心も、擦り切れて滅びるまで殺したら……天国で褒めてくださるわよね……ねえ、きっとそうよね……」
 乙女は細剣を翻し、舞うように薔薇に斬りかかる。
 けたたましく笑いながら、まるで死と破滅に焦がれるように。

 ……やがて倒れた乙女の躰を、薔薇の花々が優しく呑み込んでいく。
 まるで眠り姫の閨の如き広間の中で、悪夢に囚われた黒薔薇の乙女の名を。
 マルティナ・ブラチフォードという……。

●踊る復讐姫
 望月・小夜(キャリア系のヘリオライダー・en0133)は、堅い表情で言う。
「螺旋忍軍大戦強襲の際に暴走したマルティナさんの足取りを掴みました。即刻、救出班を編成します」
 彼女は味方の撤退のため、囮として敵陣に残った。戦場を脱していたことは不幸中の幸い。だが暴走者は『理性を失い、怒りのままに無謀な闘いを挑む』というパターンを持つ。
「マルティナさんは両親の仇であるデウスエクスを探し続け、奈良県山間部にある廃ホテルで薔薇が攻性植物化した現場に遭遇します。図らずも襲われた人物を救出するのですが、結果として敗北してしまうのです」
 彼女は放浪の日々に衰弱しきっており、更に敵は狂気を煽る芳香での精神攻撃を得意としていた。相性も悪かったのだろう。
「結果、彼女がマルティナさんが敵に取り込まれてしまいます。敵は元々、暗い紅色の『黒真珠』と呼ばれる品種の薔薇でしたが、暴走ケルベロスを宿主とした結果、その力は強大化。煌びやかな漆黒の花に変色しています」
 小夜は顔を沈め、振り切るように向き直る。
「皆さんの到着時、マルティナさんはすでに黒真珠に心身を取り込まれています。その魂まで呑み込まれる前に彼女を救うことが、今回の任務です」

 突入時、マルティナは黒薔薇に包まれ、夢うつつの状態。その精神は直情的かつ刹那的。我儘な幼い娘のような状態に退行しており、殺戮の夢に囚われている。
「ですが、寄生直後なので救出は可能です。同時にケルベロスでもあるため、多少荒っぽい救出でも死ぬことはありません」
 だが敵はマルティナの暴走した力を吸い上げ、圧倒的な攻撃力で攻め立ててくる。当然、そんな過負荷に晒されれば彼女の心身は悪夢の中で苦しみ、それが更に敵の力を増す。
「そこで普段通り敵にヒールを掛けながら闘って負荷を和らげ、更に彼女に語り掛けてあげて欲しいのです。彼女の心は甘い悪夢から引き戻そうとする声に強く反発するでしょうが……その心を取り戻しさえすれば暴走は収まります」
 それはつまり敵が力の源を失い、弱体化することを意味する。
「即ちこれは、復讐に囚われた彼女の心へ、皆さんの想いをぶつける闘い。デウスエクスの苛烈な攻撃の中、それが出来るのは皆さんだけなのです」

「私も行く。彼女とは、共に任務を果たしたこともある……協力させてくれ」
 アメリア・ウォーターハウス(魔弓術士・en0196)が、立ち上がる。
「ええ……悪夢に沈んだあの人を、救い出してください……よろしくお願いいたします」
 小夜はそう言って頭を下げた。


参加者
土竜・岳(ジュエルファインダー・e04093)
癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
湯島・美緒(サキュバスのミュージックファイター・e06659)
紗神・炯介(白き獣・e09948)
リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)
リーン・ツァンデベルン(月霧のヴァルキュリア・e24637)

■リプレイ

●黒薔薇の聖域に
 今という時は瞬く間に凍てついて。
 永劫に手の届かぬ過去となる。
 巻き戻すことは、もう出来ない。
 この世界では、誰もがそれを知っている。
 乙女の両親は、戻ることはなく。敗れた闘いに、やり直しはない。
 だから……。

 だから今、番犬たちは走る。秋雨の中を、暗闇の廃墟へと。
「……マルティナさん!」
 扉を開けたリーン・ツァンデベルン(月霧のヴァルキュリア・e24637)は、息を呑んだ。ビハインドのサイトさえも。
(「……大きい。彼女の力が、そうさせたのか」)
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)も目の前の威容に眉を寄せ、相棒の猫を反射的に押し留める。
「これは……」
 アメリア・ウォーターハウス(魔弓術士・en0196)が、その足を一歩引く。
 廃ホテルのホールは今、黒い茨が覆う伸び上がる闇と化していた。
「マルティナさん! あの日の約束通り、助けを呼んで戻ってきたわ……! どこにいるの!」
 リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)が左右へ目を這わせ、黒薔薇は鎌首をもたげて番犬たちを睥睨する。
 互いに相手を確認しあった数秒の後、声を上げたのは癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)とボクスドラゴンのりかー。
「いたよ! あそこ! マルティナさん、迷子のお迎え隊参上だよ!」
 渦を巻くように咲き誇る漆黒の閨の中心に。
 核として、贄として、人質として……そして怪物の心として君臨する眠り姫。
 それが、番犬たちの探し求めた者。
 怪物は彼女の復讐心と力を糧に育まれ、彼女は怪物の閨の中で殺戮の夢に酔う。
 紗神・炯介(白き獣・e09948)は、耐えるように下唇を噛んで。
(「これが、彼女を囚えた夢。まるで僕自身の内側を見るようだ……これは彼女の本心なのか、敵の催眠に因るものなのか……」)
 サポートの瑞澤・うずまきも、麗しくも悍ましいその光景を前に青ざめる。
(「これが暴走……その末路。もし、リズ姉が暴走したらなんて考えたらボクは……」)
 リーズレット・ヴィッセンシャフト(淡空の華・e02234)がその頭に優しく手を置いて、ボクスドラゴンの響を解き放つ。
「大丈夫。サポートには七人も来てくれているし、助けたいって気持ちはみんな同じだ! 救出頑張ろうな! さあ、マルティナさん救出作戦発動だ!」
 続いて前に歩み出るのは、湯島・美緒(サキュバスのミュージックファイター・e06659)と、土竜・岳(ジュエルファインダー・e04093)。
「あの時、倒れてしまった私たちを守って、マルティナさんが暴走したって……後で聞いた時はショックで……笑ったりできませんでした。今度こそ、みんな笑顔で帰りましょう」
「ええ。マルティナさんとは、これまでご縁はありませんでしたけれど……仲間を守る為に自分の身を犠牲にして戦い続けた方と聞いています。絶対にお救いしますよ!」
 その胸元に眠り続ける乙女を抱いたまま、黒薔薇はその蔓を大きく広げる。
「マルティナさんを……こんな形で喪ったりしない。必ず、連れて帰ります……!」
 リーンの一声に合わせ、全員が武装を解き放つ。
 長き空白に、決着をつけるために。

 ……だから乙女は、復讐に身を焦がす。
 いつか滅びた時、父と母に褒めてもらうために。
「次は、アンタね……」
 悪夢の中、口の端を歪ませて乙女は細剣を抜き放つ。
 花吹雪くかすみがうらを背景に、現れるのは夾竹桃を背負った青年。
『さあ……絡め取られて、死ね!』
 それは永遠に続く、孤独な復讐劇。
 だが何故だろう。
 傍らにいた誰かの声が、聞こえたような気がするのは……。

●身を沈めた乙女
 無数の茨が押し寄せる。
 りかーに属性付与を任せて、飛び込んでいくのは、和。獣の一撃で茨を引き千切り、眠る乙女を横目に見て。
「ボクは、君の過去は知らない。仇がどんな奴なのかも知らない……けどね。このまま終わりで、それでいいの? 復讐ができればそれでえぇん?」
 無数の蔓が追い縋る。だが衝撃波の嵐が、それを打ち破った。
「協力する。煩わしい蔓くらい、いくらでも掃ってやるぜ」
 それは天音・迅の放った、訃報の拳牢。
 作られた空隙に飛び込んだ黒豹の獣人は、集った仲間たちを見返して。
「人ってのは、その人の過去だけでできているわけじゃない。関わった全てが輪郭を浮かび上がらせる。それはもう一つの真実だ。さて、マルティナ……君の『肖像』はどうだろう」
 迫る蔓を、陣内の多節棍が打ち払う。
 薔薇の痛みに眠り姫が苦し気な呻きを漏らすと、呼応するように茨が伸び上がる。
 だが。
「自分たちの為に、愛する娘が身も心も擦り切れて、己を顧みず復讐の刃を振るう……そんなことを望む親がいるでしょうか。自分たちの復讐の為に全てを捨てた貴女の姿を見て、果たしてご両親は微笑んで下さるでしょうか!」
 迫る茨から皆を守るように、岳の癒しの電磁波が包み込む。うずまきもまた、その守りに己の力を重ねて。
「そうだよ。待っててくれる人が居るんだから、ちゃんと帰らなきゃ………だよ……!」
 闇を押し返すバリアの中、リリーはその拳に癒しの力を結集する。
「三ヶ月……この時を待ち望んでいたわ! 思い出して、マルティナさん! かすみがうらでも、オウガメタル救出でも、舞鶴でも……そしてキングとの戦いでも……皆貴女に護られて切り抜けたよ。こんな……黒く染まって殺戮に奔るなんて、らしくないわ!」
 癒しの一撃が、茨を巡る。囚われた乙女が我を取り戻さぬ限り、黒薔薇を殺すわけにはいかない故に。
 そして薔薇が放つのは、不可視の一撃。割り込んだ炯介の右腕が、空間がねじれるような異質な感触に掴まれ、暴発する。
「っ……! サイコフォース……あの時の……」
 地獄のような戦場で、青い機体の首をねじ切った、あの一撃。今、その力が暴走の果てに牙を剥く。
 炯介の瞳が血塗れの右手から、眠る乙女へ向き直って。
「やぁ、マルティナさん……君を、迎えに来たよ。復讐を否定するつもりは無い。それが君の覚悟なら。でも独りで戦うには限度がある。倒すべき相手がいるなら手を貸そう。でも……」
 倒すべき者。攻めかかる茨を蹴り破り、脳裏を掠める影を払って。
「君は……ここで終わるつもりか? 楽になりたいだけなのかい?」
 その問いに滲む苦悩を、美緒もこの三月、背負い続けてきた。
「マルティナさん……その、ごめんなさい! 私はあの時……ディザスターキングとの戦いの時、自分がいないとダメだって、そう思ってて……無理し過ぎちゃって、それで途中で倒れて……もっと皆を信じていればって」
 語りながら、上手く言葉の出てこないもどかしさに、美緒は首を振る。その肩を叩いたのは、リーズレット。
「大丈夫。伝える手段は言葉だけじゃないさ。美緒さんのギターに合わせて、ボクも一緒に歌うよ! いつもはボクの応援歌を歌うけど、今は、伝えたい気持ちを重ねる!」
 二人は頷いて、歌い上げる。
 どんな辛い悲しみでも、いつか癒え。
 悩んでもなお、前に進む。
 その想いを、忘れないで。と。
「みんな……!」
 その歌声に押されるように、リーンの前で仲間たちは巨大な闇に飛び込んでいく。
 その背にそっと、マヒナ・マオリが手を触れて。
「マルティナは今、復讐で頭がいっぱいかもしれない……でも、普段は凛々しく振る舞ってるあの子も、ケルベロスである前に1人の女の子。私も旅団の仲間だから、それをよく知ってる」
 その絆は、戦場にだけあるのではない。そう語る瞳に力をもらい、リーンは涙を拭った。
 彼女の支援に支えられ、サイトと共に闇の中へと飛び込んで。
「私、マルティナさんがお姉ちゃん代わりになってくれるって、凄く嬉しかったのですよ……! また一緒にお風呂入ったりしましょう! ねえ、マルティナさん!」
 迸った御業が、迫りくる闇を引き千切る。
 全ては、彼女に想いを届けるために。

 悪夢の外で薔薇が傷を負うほどに、悪夢の中の闘いは深まる。
『困窮する同胞たちの為に! 負けられぬ!』
『さあ、最大の力で薙いであげましょう』
 蟻の騎士や、ダリアの女たち。
 だが現れる敵の声の向こうから、ひどく濁った音がする。
 悪夢の膜の向こうで、誰かが誰かの名を呼ぶ声が。
「……うるさい。うるさい!」
 敵もその声も斬り薙いで、乙女は進む。
『生意気ね。逆らわずに、こびとさんにおなりなさい』
 巻き戻すことはもう出来ない。
 そうわかっていても、彼女は独り過去の闘いをなぞり続ける。
 まるで破滅を望むように……。

●呼び声に振り返り
「ん……っ!」
 強く反応した眠り姫。だが引き出そうにも、黒く舞い散る花びらの中で斬撃が乱舞する。
「桜花剣舞ならぬ黒薔薇剣舞か! まあ、薔薇が桜を散らすのはおかしいもんな……でも、技は同質。見目の違いがあるだけだ。私の前で、仲間を惑わさせはしないぞ!」
 リーズレットが放つ光の壁が、前線で闘う仲間たちを包み込む。
「面識はなくとも、ブラチフォードさんを無事救出出来るよう全力を尽くします……! ご指示を!」
 そう叫ぶのは、玄梛・ユウマ。放たれる斬撃を、受け流しつつ。
「うん、頼む! あの斬撃を近寄らせないでくれ! 前・中衛の援護は、私に任せろ! 迷いなく、行っけー!」
 リーズレットの指揮に猫も任せ、陣内はその身一つで茨の下へと滑り込む。
「大切な人がいなくなってしまう辛さは、どれだけ周りが気遣おうと本人にしかわからない……だから俺は『大事な人を取り戻したい』と必死に手を伸ばす人の助けになりたい。その為に、ここへ来た」
 その一閃は、足元を掬うように、地を走る薔薇の根を絶つ。
「ぶつけろ、皆の想いを」
 土煙を上げて身を崩す黒薔薇。唸るが如く空気を震わせ、怨念を刃に変える。現れるのは、持ち手のない剥き出しの刃の群れ。
「死天剣戟陣……! くっ!」
 後衛に降り注ぐ刃の嵐。祝福の矢で援護していたアメリアが、肩口を裂かれる。
(「アメリアさん! 暴走した精鋭の力は彼女が受け止めるには重すぎるんだわ!」)
 リリーは思わず振り返る。だが。
「大丈夫。私がいます。後ろは、顧みないで。彼の言うように、想いを届けてあげてください」
 そう語るのは、彼方・悠乃。癒しの力を全開にして。
 リリーは大きく頷いて、眠る乙女に向き直った。
「貴女は護る者。決して復讐に囚われた殺戮者なんかじゃない……! 皆で戻ろう……マルティナさんの力が必要なの! あの時の約束を果たすのは……今よ!」
 跳躍する彼女の隣に、共に跳ぶのは炯介。
「ああ……あの日、皆の盾となった君の覚悟は、ここで死ぬ為のものではなかったはず。僕に見せた君の覚悟は、誇りは……そんなものではないはずだ」
 過剰なダメージを恐れる必要はない。
 すでにヴィルフレッド・マルシェルベが癒しの木の葉を舞わせて、衝撃を和らげている。
「やぁ炯介。僕も助けるよ。マルティナさんと面識はないけど……あの闘いの報告は見た。あんな行動できる人を、復讐に駆られたままに死なせるわけには行かないよね」
 二人のサポートに支えられ、影の刃と石化の一閃が、薔薇を斬り裂く。
「戻って来て! マルティナさん!」
「目を覚ませ……! マルティナ・ブラチフォード!」

 濁った音は次第にはっきりと響いてくる。心の奥に。温かく。
 振り払うように闘う乙女は、青いダモクレスの首を掴んだ。
『小癪な、雑兵が……!』
 負け惜しみをねじ伏せて、その頭を切り落とす。
 そして思わず、口にした。
「みんな、行ってくれ! 行……」
 みんな? いや、己の後ろには誰もいない。何もない。
「……」
 本当はもう、気付いている。
 これは、過去をなぞった夢に過ぎないことも。
 遠く響くあの声が、己を呼ぶ声であることも。

●そして歩み出す
「歌います。何度でも。伝え切ります。追憶に囚われず、前へ進む者の歌を。あなたの心に届くまで。巻き戻すことはできなくても。先へ進むことは出来るはずだから」
 美緒は歌う。心と技の全てを込めて。
「私、甘え方がよくわからなくて……こんな時なのに、なんて言っていいのかわからない。でも今は精一杯、あなたに甘えたい。あなたに甘えてもらいたい。だって私たちは、家族みたいなものだもの……帰ってきて。お願い……お姉ちゃん!」
 言葉は拙く、斬撃は鋭く、リーンは斬り進む。従者のサイトと共に。
 斬り裂かれ、歌声に灼かれて、縮んでいく黒薔薇。勝つだけならば、このまま攻めればいい。
 だが。
「聞いてください。この集った仲間たちの声を。貴女が愛する人や友、仲間と笑顔で過ごす日々……本当は、それこそご両親が望まれていることではありませんか? 貴女自身が幸せに、笑顔で過ごすことこそが。ご両親への何よりの贈り物ではないのですか!」
「そうだ。思いだせ、マルティナ・ブラチフォード。君の誇りも戦いもここで終わるようなものじゃないやろ。沢山の人が君の帰りを待ってる……! 一緒に帰ろう!」
 岳と和が、その手に宿した癒しを叩き込む。
 綻びていく茨を通じ、温かい活力が眠り姫の胸を打つ……。

 悪夢の中を揺らした衝撃に、細剣が手から落ちる。
『どうして放すの? 復讐を果たすんでしょう?』
 黒薔薇の乙女は、そう語る。いつの間にか鏡のように、乙女は己と向き合っていた。
「……逃げられやしないな。自分の心からは」
『そうよ! あなたは私。復讐に血の花を咲かせ続けることが、あなたの望みなの!』
「ああ……そうだ。私は復讐と、身の破滅と、その先で父様と母様に褒めてもらうことを……望んだ」
 乙女は俯いて、自嘲する。
「でも……それが全てじゃないんだ。あの声が、それを思い出させてくれた」
 黒薔薇の乙女は唇を震わせ、顔が青ざめるほどの憎悪を込めて睨む。
『……復讐を忘れさせやしないわ。絶対に!』
「忘れはしないよ。言った通り……それも私だ。そしてそんな私のまま……私は進まなければならないんだ……」
 乙女が顔をあげた時。
 そこにはもう誰もいなかった。
 そして夢が、綻びる。

 悲鳴のような音が、空気を揺さぶった。茨が身悶えするようにのたうち、漆黒の薔薇は徐々に紅色に戻っていく。
「……!」
 迫りくる番犬たちを恐れるように、甘く乾いた滅びの香りが放たれる。それはつまり。
「薔薇が自分で身を守り始めましたわ……マルティナさまの力を使わずに。説得が利いたのですわね! 皆さま、今です!」
 霧城・ちさが、味方に最後の癒しを放つ。
 縮れ擦り切れながら、薔薇の怪物は贄を手放すまいとしがみ付いて身を退いた。
「逃がしません! その人を、返して貰います!」
 美緒の放った竜の弾丸が、もがく薔薇を弾き飛ばした。眠り姫の躰がふわりと浮かび、薔薇の本体と僅かに離れる。
「……!」
 贄を手放してなるものかと、茨が伸びる。それを撃ち払ったのは、リーズレットの輝ける矢。
「よし! 救出だ! 落ちる前に、受け止めて!」
 炯介と、リーンが走る。
 悲鳴のような金切り声を上げて、薔薇が跳躍する。僅かに繋がった一本の蔓を引いて、乙女の肢体を奪わんと。
 しかしその頭上には、すでに四人の影がある。
(「皆の願いが果たされるように。あの日の恩を一生返し続けるために……。仲間たちが、その体を抱き留めるなら、俺はお前の幕を引こう……!」)
 陣内は、刃を構え。
「あの人には、節目節目の闘いで、何度も窮地を救ってもらった恩義があるのよ……暗闇に染まった薔薇なんかに、もう邪魔はさせない。あの時の作戦を、今、完了させるわ!」
 リリーは、螺旋の力を紡ぎあげる。
「黄玉の石言葉は、希望と友情……私たちは、仲間と共に支え合い、闘っている。復讐の念を吸った黒薔薇よ、あなたにもそれを伝えましょう!」
 岳と和はロッドを重ね、その背後にはサポートの仲間たちが連なって。
「よおっし、終わりまで完璧にいくよ! りかー! みんな! 準備えぇな! 後始末の一撃や! せえぇー、のっ!」
 最大の力を込め、仲間の援護の下に加速した総撃。
 追いすがる蔓が千切れ飛び、薔薇は粉々に消し飛んだ。
 その後ろで、滑り込むように眠り姫を受け止めたのは、炯介とリーン。
「お姉ちゃん!」
 縋りついたリーンが視線を落とせば、いつの間にか、漆黒のドレスはいつもの白い軍服へ戻っている。抱き留められた腕の中で睫毛が震え、ほんの僅かに乙女は目を開いて。
「ありがとう……聞こえたよ……みんなの声……」
 青ざめた唇がそう紡ぐと、彼女は緩やかな寝息と共に目を閉じる。炯介の頬に、ようやく僅かな微笑みが浮かんで。
「お疲れ様……ずっと、心配していたよ」
 短い歓声と共に、仲間たちが走り寄ってくる。
 長い空白と、孤独な闘いの日々は、ここに終わったのだ……。

●帰るべき場所へ
 迎えのヘリオンが、やって来る。
 皆の用意した、温かな飲み物や食べ物を積んで。
 震える乙女は、毛布や上着に包まれ、やがて目を覚ますだろう。
 こうして黒薔薇の乙女、マルティナ・ブラチフォードは番犬の群れへと帰還する。

 両親を喪った痛みも、復讐の炎も、押し込められた己自身も、消えることは決してない。
 巻き戻すことは、もう出来ない。
 けど。
 創造する世界は、きっと運命を変えるだろう。
 そう。彼らの紡ぐ歌にはまだ、続きがあるのだから……。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 5/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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