マグメルの柩

作者:犬塚ひなこ

●歎く屍肉
 昏くて深い宵、鬱蒼と茂る緑の小路。
 木々は足元、草は真横、小路は頭上に。モザイクに包まれた不可思議な空間内に法則性などなく、上下左右が滅茶苦茶に混ざっている。
 その景色はまるで、割れた鏡に映った世界のようだ。
 そして――何かに呼ばれるように辿り着いた森の奥で、『彼女』は泣いていた。

 古木の側に見つけたのは、枯れた花の前に佇む人影。
「お前、は……」
 それを見つけた瞬間、ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)は息を飲んだ。
 調査の最中、怪しげな領域にひとりで踏み込んだときから予想はしていた。だが、いざ目の前にすると如何だろう、戸惑いがなかったと云えば嘘になる。
 灰の髪に藍色の眸。
 傷ついた翼。そして、角と尾は放り出されている。
 身に纏う漆黒のドレスは汚れて破れ、鋭い爪からは血にも似た紫が滴っていた。そのなかでも目を引くのは頬にまで侵食する鱗。そして、瞳から零れ落ち続ける涙。
 あれは自分に似ている。否、自分の裡に眠っている或る可能性の姿そのものであるとネロは本能的に理解していた。
 ネロがそれ以上の言葉を発せずにいると、黒灰の竜の娘は静かに唇をひらく。
「この場所を見つけられるとは、この姿に因縁があるのだろうね」
「ひとつ聞こうか。何の為にその姿を取っているんだ」
 平静を保とうと地を踏み締めたネロが問うと、娘は首を振った。教えぬという意味なのだろうか。そして、死を匂わせる竜の娘は囁くように語る。
「今は秘密を漏らすわけにはいかない。お前に、この手で死を与えてやろう」
 名すら忘れたのか否か。涙を零し続ける屍肉の竜はワイルドハントという呼称すら名乗らぬまま敵意の籠った魔力を紡ぐ。
 その周囲では彷徨う魂めいた光が妖しく揺らめいていた。
「はいそうですかと、易々殺されると思うか。それに……」
 対するネロは薄い笑みを浮かべて身構えた。尤もその裏に隠されたのは虚栄にも似た何かだったのかもしれない。
 そんな中で彼女の脳裏には或る言葉が浮かんでいた。
(『――誇れ、おまえの血統を。流れるものの、どうしようもない正しさを』)
 嘗て老婦人が教えてくれたことはこの身に深く宿っている。恩師が言ったようにネロは今も我が身ひとつを誇り続けているのだ。
 名前。其れは、自分の居所であり、契約を以って力を縛り付ける為の鍵。
「ネロは未だ、此の名を忘れていない。『お前』とは違う」
「……何を訳の分からぬことを。――死ね」
 己に言い聞かせるような物言いをしたネロに向け、敵が鋭い爪を掲げた。
 そのときネロは相手は姿を模しただけの偽物にすぎぬと悟る。しかし、だからこそ在ってはならぬ者だ。あれが正しきものではないと感じる思いは間違ってはいない。
 そして、ネロが瞬いた刹那。
 鋭い藍の眼差しと涙を宿す虚ろな視線が重なり、戦いの幕があがった。

●夜の娘
 ワイルドハントの調査に向かったネロが敵と遭遇した。
 既に戦いが始まっていて危険な状況なのだと語り、雨森・リルリカ(花雫のヘリオライダー・en0030)は仲間達に救援要請を行う。
「皆さま、出動準備をしてくださいです。ネロ様を助けにいきますですよ!」
 詳しい話は飛行中にすると告げ、少女はヘリオンを発進させた。
 事件現場は深い森の奥。
 奇妙なモザイクに包まれた一帯の内部となる。
 其処は元の地面や木々などがバラバラに混ぜ合わされたような奇怪な場所になっているようだ。周辺は纏わりつくような粘性の液体に満たされているのだが、不思議と呼吸や行動は制限されないという。
「モザイク内部に入ったら戦闘音を頼りにネロ様を探してください。領域内はそれほど広くないのですぐに見つかるはずです」
 そして、合流を果たしたらネロをしかと補助して欲しい、とリルリカは告げる。
 彼女のことなので多少は無茶をしているかもしれない。しかし一歩間違えば危うい状態であることは間違いない。誰がどのように彼女を援護するか、またその後にどう戦っていくかが重要になるだろう。
 やがてヘリオンは現場上空に着き、降下準備が整えられる。そして、リルリカはヘリオンから降下していくケルベロス達の背を見送った。
「リカは信じています。皆さまなら絶対にネロ様を助けてきてくださるって――」
 だから、と祈るように両手を重ねたリルリカは瞳を閉じて願う。
 どうか無事で。
 皆さま全員が此処に帰ってきますように、と。


参加者
倉田・柚子(サキュバスアーマリー・e00552)
ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)
平坂・サヤ(こととい・e01301)
キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
シンシア・ミオゾティス(空の弓・e29708)
アリシア・クローウェル(首狩りヴォーパルバニー・e33909)
ミアリベル・ミスリルハート(ミスティルテインの槍・e35776)

■リプレイ

●柩
 揺蕩う光、彷徨う魂。
 眩む視界、零れ落ちる涙の雫に紫黒の薔薇。それは、心の根底に必死に押し隠していた恥ずべきもの。まるで総ての過ちが引き摺り出されたかのよう。
 ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)は揺らぐ己の躰を支え、醜く変貌しそうになる感情を抑えた。
「その姿で在る事を、赦さない――!」
「お前の赦しなど請わないさ」
 ネロが咆える竜のように叫ぶと黒衣の娘は淡々と返す。刹那、その指先がネロに差し向けられたかと思うと、魂ごと揺り動かされる衝撃が駆け巡った。
(「あれは……」)
 齎された惑いの中、視えたのは少女の姿。未だ何も識らなかった。力を得る事を選んだ、愚かな自分自身だ。
 まぼろしの少女が視えたと同時に、脳裏にあの声が蘇る。
 ――アンタ、俺と取引をする気は?
 ――抗え。死ぬまで。そのうつくしい躯が骸になるまで。俺のものに成り果てるまで。
 早春の夜、冴え冴えとした月光の下で運命の撃鉄が起こされた時。
 そして、思い出すのは恩師の深い溜息。
「……ごめんなさい、」
 花唇から零れ落ちた懺悔が向く先は何処にもない。
 過去のまぼろしに苦しむネロを見遣り、竜の娘は墓標めいた幻影を顕現させた。彼女に更なる痛苦が齎されようとした、そのとき。
 妖精の加護を宿した一矢が宙を裂いて飛来し、敵の腕を貫いた。
「ネロ!」
「お待たせしましたあ。ネロ、無事です?」
 戦場にキアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)と平坂・サヤ(こととい・e01301)の声が響き、ネロの思考は現実に引き戻された。
 まぼろしが取り払われたのはテレビウムのスペラによる援護が施された故。そして、放たれた一閃は敵との間に割り入った倉田・柚子(サキュバスアーマリー・e00552)がしかと肩代わりしていた。
「ネロさん、手伝いに来ましたよ」
「大丈夫? 痛いところないかな?」
 柚子は恋愛色塗料の癒しで自らの傷を癒し、シンシア・ミオゾティス(空の弓・e29708)も月の癒しで以て仲間を回復する。更にシャーマンズゴーストのマー君が仲間を庇う形で布陣し、ウイングキャットのカイロも援護に入った。
 その一瞬の間に西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)とアリシア・クローウェル(首狩りヴォーパルバニー・e33909)がワイルドハントを電光石火の蹴りで穿つ。
「パーティーには間に合いましたか?」
「助けにきましたよ、ネロさん」
 正夫は冗談めかして遅刻ですけれど、と付け加え、アリシアも思いを言葉にした。
 ミアリベル・ミスリルハート(ミスティルテインの槍・e35776)は仲間達の迅速な行動に頼もしさを覚えつつ、味方へ向けて癒しの果実をみのらせる。
「あれは……内面はネロ様ではなく全く別のナニカに感じますの」
 初めて見る相手ではあるがミアリベルは敵から異様な雰囲気を感じ取った。心配そうな彼女の視線に気付き、ネロは呼吸を整え乍ら薄く双眸を細める。
「何とか大丈夫だ。ありがとう、皆」
「……よかった。こっからはうちらもいっしょに」
 確りとした反応にキアラは安堵を覚え、シンシアとアリシアもそっと頷いた。
 一斉攻撃を受けた敵は僅かに体勢を崩してしまっていたが既に立て直し、番犬達に並々ならぬ敵意を向けている。
「新手か。これ以上、秘密を知られるわけにはいかない」
 敵が語る秘密や姿を模されたネロのなかみも気にはなった。だが、ゆるりと首を横に振ったサヤは星の力を紡ぎ、守りの加護を広げてゆく。
「こたえを持っているのは、どうやらあなたじゃあないようですねえ」
 故に屠るのみ、とサヤは心を決める。
 そして、憂う魂を纏った竜の娘と番犬達の視線が鋭く交差した。

●死の影
 宵の森は酷く昏い。
 だが、仲間が背を支えてくれる今は心細さなど微塵も感じなかった。体勢を立て直したネロは地を蹴り、改めて敵を見据える。
「よくもネロの醜い部分を選り抜いてくれたものだ」
 跳躍と共に電光石火の一閃で敵を穿ち、ネロは身を翻した。
 其処に空いた射線を貫くようにキアラが駆け抜け、ワイルドハントに肉薄する。
「さあうちらも君を見た。お相手、してくれるやろ?」
 炎を纏った蹴りを見舞ったキアラの後方では、スペラが両手を広げて仲間を守る気概を見せていた。
 更に正夫が駆け、竜の娘に向けて拳を振り上げる。かの存在は気に掛かるが、わからないものを考えても意味がない。
「まーアレだ、おっさんの下手なダンスじゃ場が冷めるかもしれないけど」
 恥かかない内に終わらせましょ、と軽口に笑みを乗せた正夫は降魔の力を宿した一撃で相手を殴り抜いた。
 連撃を見遣った柚子はカイロを伴い、未だ癒しきれていない分の回復に努める。桃色の霧と清浄なる翼の力が重なっていく中、柚子はネロに呼び掛けた。
「煩わしい部分は私たちに任せて存分に叩いてあげてください」
「シンシアも援護するよ! マー君、たぶん痛いけど頑張るんよ!」
 医療魔術を施すシンシアは相棒に仲間の守護を願い、ネロの傷を塞いでゆく。
 だが、次の瞬間。
「煩わしいのはどちらだか」
 竜の娘が呟き、サヤに向けて魔力を放った。黒き波動が自分に迫ったと気付いたそのときには既に彼女は幻に包まれていた。
 一瞬でサヤの視界に広がったのは、自分だけにしか見えぬもの。
「……この気配を、サヤはよく知っていますよ」
 目を瞑ればすぐ其処にある、からっぽで底抜けの闇。敢えて瞼を閉じたサヤはそれを振り払おうともせず、敵の方に向けて氷の一閃を放った。
 すぐに癒すから、とシンシアが呼びかける最中、アリシアは攻勢に入る。
「何処でだれが相手だろうと生きて一緒に帰りましょう」
 打ち放った拳で衝撃を与えたアリシアは決意の言葉を口にした。ミアリベルがこくりと頷き、手にした杖を強く握り締める。
 そして再び果実の加護を仲間に広げたミアリベルは緊張を押し隠した。
「ケルベロスとして、役目を果たしますの……」
「最前線に立つからには毅然と美しく捌いて見せましょう」
 だが、ミアリベルの思いに気付いた柚子が励ますように言葉を紡ぐ。ピンクインクでサヤの心的外傷を癒した柚子はカイロに気を抜かぬよう呼びかけた。
 続けてスペラが凶器を振り回し、キアラも旋刃の一撃で敵を狙い打つ。
 その際、感じたのは異質なもの。
「魔力の質が違てる。ほんに別人やね」
 ネロと敵を見比べたキアラは思う。ネロに過る想いの糸はきっとたくさんあるだろう。けれど、それが絡まって雁字搦めにならないように。そう願ったキアラは最後まで仲間を援護したいと強く願った。
 だが、同時に何故か手負いの仔を追い込んでいる感覚だ。首を横に振ったキアラは妙な思いを振り払った。
 戦いは巡り、正夫は標的との距離を一気に詰める。
 見れば見るほどに、かの姿はネロに似ていた。されど絶対的に違う者でもある。知り合いに似た姿をどうこうするのは気が引けたが、殴らないとは言っていない。
「その姿は、他人が勝手に晒して良いもんじゃないでしょう? 彼女に対する侮辱、愚弄するなって話でしょ。私はね、怒ってるんですよ」
 正夫は左手で敵の顔を掴み、右手で全力の一撃を叩き込んだ。
 同時にネロが狙われていることに気付いた正夫はそのまま敵の前に立ち塞がる。刹那、竜の娘の蹴撃が彼の身を穿った。
 瞬間的に正夫の前に過去の光景が広がる。
 去った妻、泣く娘、助けられなかった命。だが、それは忘れてはならぬものだ。誰かを傷つけた上に立っているからこそ挫けるわけにはいかない。
 正夫が踏み留まったところへ、柚子による癒しの霧が施される。
「トラウマまみれの相手ですね。ですが、思い通りにはさせません」
 柚子がしかと身構える傍ら、サヤは涙を流し続ける竜の娘を見つめていた。そして、とん、と軽い身のこなしで跳躍したサヤは靴先に星の力を宿す。
「あなたのなみだは、どうやったら止まるのでしょーねえ」
 瞬く光が衝撃と共に打ち込まれ、森を淡く照らした。その光を導き代わりにしたネロは禁果の魔力を紡ぐ。
「なあ、覚悟は出来てるんだろ。一切合切、すべて還して貰おうか」
 対象を捩じり斬るが如く、奔流となった力が駆け巡った。ネロは決して敵から目を逸らさぬと心得、夜空めいた藍の眸に娘を映す。
 ミアリベルも攻撃に移る隙を見つけ、指先を敵に差し向けた。
「微力ながら参ります」
 声と共に弾丸が放たれ、侵食する影がワイルドハントを貫く。アリシアも其処に続き、背後から旋刃の一撃を見舞った。
「その紛い物の姿、断ち切ってあげますよ」
 アリシアの鋭い蹴撃によって一瞬だけ標的が傾ぎ、体勢を崩す。
 シンシアはその機会を逃すまいと地を踏み締めた。刹那の内に駆け出したシンシアは樹の幹を足場にして高く跳びあがる。
「マー君、いくよっ」
 手にした弓を華麗に操るシンシアは黒山羊の因子を宿した矢を放った。攻性寄生因子活性弾が次々と敵に打ち込まれる中、マー君も神霊撃を見舞う。
 巡りゆく戦いは激しく、されど番犬達の有利に進んでいた。

●魔女の涙
 踊る竜踵、憂う魂導、そして嗤う墓標。
 飛び交う魔力は烈しく森の木々を揺らした。キアラは敵が徐々に弱っていると確信しながら、弓弦を引き絞る。
「君がうちの友達に牙を立てるなら――」
 この手は涙を拭えない、と告げたキアラは一矢を解き放つ。シンシアとマー君も頷きあい、更なる一撃を与えに駆けた。
「そうだよ、友達のピンチに頑張らない理由なんてないから!」
 其処に柚子が続き、超鋼拳で敵を殴り抜いた。柚子はカイロにそのまま皆を癒すように願い、身構え直す。
「仲間のピンチをも救う、それがケルベロスです」
「はい、その通りですの」
 柚子に機を合わせたミアリベルは左足に宿る地獄を燃え上がらせた。蒼く輝くように燃え盛る焔は揺らめき、ひといきにワイルドハントに叩きつけられる。
 ミアリベルの炎に重ねる形でアリシアも燃える蹴撃で敵を穿った。
「……アリシアの炎で無残に燃えろ」
 元々、紛い物である身体ならば四散しても問題ないだろう。冷酷に言い捨てた少女は身を翻した。
 竜の娘は傷付き、齎される痛みに息喘ぐ。
 サヤはネロに似たその姿に傷ましさを覚えたが、戦う手は決して止めなかった。そして、サヤは友に問う。
「ネロは、あれをどうしたいのでしょうか」
 すると彼女は真っ直ぐに敵を見据えたまま、しかと答えた。
「ネロは、あれを捻じ伏せんと気が済まない」
 あれに喚び起こされた憂いも動揺も何もかもネロの手で葬り去るべきだ。彼女の思いを汲んだサヤは頷き、掌を胸の前に掲げた。
「あなたがそれを望むなら、サヤはちからになりましょう」
 その意志を推すように指先が敵に向けられ、死の可能性が集約されてゆく。
 因をこの手に。果はその足元に。
 常世の境界が描かれていく最中、竜の娘の魔力が迸った。しかし、すぐさま柚子がそれを肩代わりして力を弾き飛ばす。
 正夫は仲間に礼を告げ、最期に近付く為の一撃を繰り出した。
「私の友人を傷つけ、弄ぼうとした対価です。ハラワタに何が詰まってるのか晒してもらいましょうか?」
 放たれた磨崖撃は言葉通りに敵の腹部を穿ち、重い痛みを与える。
 そんな中でキアラは問いかけてみた。
「教えてくれへんかな、それでもうちらはきっと探す。歯車は廻ってしもたから」
「……」
 だが、敵は静かに首を振る。答えぬならばとアリシアは螺の力を解放する。
「アリシアが斬り捨ててあげます」
「果たせぬならば、最後に――」
 その一閃によってよろめいたワイルドハントは魔力をネロに向けて放った。次の瞬間、再びネロに心を蝕む幻影が宿される。
「ネロちゃん、今だよ!」
「カイロ、全力の癒しを」
 しかしすぐにシンシアと柚子、カイロが癒しの気力を巡らせた。
「ネロ様、お願い致します」
「さて、終曲というところかな」
 ミアリベルも仲間に最後を託し、正夫も決着を見守る姿勢を取る。そして、サヤは緩やかな声で囁いた。
「ここに居るネロがネロですゆえ、サヤはネロのがすきですから」
 だから、と彼女の背にそっと触れたサヤは終幕を願う。
 顔をあげたネロは花唇を緩く噛み締め、幻を振り払った。無邪気に微笑むその姿も、腐り落ちたもう一人の自分も、総て。
「わたしが、ネロが、この力で捩じ伏せてやろう」
 彼女は死の隣に在りその顛末を慰める者、柩の魔女。尊き贄として屠られた魔の先達に哀悼を示し、躰に稀なる術式を孕ませたネロは嗣ぎし魔法を紬ぐ。
 そして――。

●花は枯れども
 竜の娘がその場に崩れ落ち、その姿が融けるように消失する。
 時を同じくして周囲の液体も消え去り、辺りは極普通の森に戻った。柚子はカイロを抱きあげ、息を吐く。
「あるべき形に戻ったようですね」
「ワイルドハント……一体何者ですの」
 柚子の声に頷いたミアリベルは敵が消えていった空間を見つめた。シンシアも共に戦い抜いたマー君を労いながら辺りを見渡す。
「大変な敵だったね。でも、勝てて良かった!」
「アリシアもそう思います。完全勝利ですね」
 安堵交じりの息を吐き、アリシアは小さく笑んだ。はっとした正夫は戦いに本気になり過ぎたと気付き、恥ずかしさを覚える。しかし、誰も倒れていない現状を確認して薄く双眸を細めた。
「まぁ皆無事ならそれで良いかぁ」
 うんうん、と何度か頷いた正夫は森の木々を見上げる。
 戦いを終えたネロはひとり、古木の側で揺れる枯れた花を瞳に映していた。
 己を模したあれは自らの躰を放り出して好きなように泣いていた。その姿を羨まなかったと云えば嘘になってしまう。でも、とネロは思いを胸中に秘めた。
「……ネロは未だ、ネロだ」
 誰にも聞こえぬ声で落とした呟きは静かな風に乗って消えていく。宵の森の中、木々の合間から犀利な月光が射す様は如何してか、あの日に似ているように思えた。
 そんなネロの側で、サヤは微笑む。
 彼女の裡に何が渦巻いているのかは敢えて聞かない。そのかわりにサヤは何時も通りの語り口で問いかけた。
「ところで、おなかが空きませんか。ごはんを食べて帰りません?」
「すいた! うちらみんなで、美味しいもの食べにいこ!」
 するとキアラが率先して手をあげ、スペラも両腕をぱたぱたと振って応える。キアラもそうすることでネロを励ますことが出来ると思ったのだろう。
 仲間の心遣いと普段通りのやりとりがとても心地好かった。
「ああ、行こうか。待っている子達もいるだろうから」
 ネロはサヤ達の隣に歩み寄り、きっと帰りを心待ちにしてくれている愛しい少女、そして仲間達のことを想う。
 惑いも過去への憂いも消えたわけではない。
 けれど、今の自分には以前は持っていなかったものや、確かな居場所がある。今は其処に帰ろうと決めたネロは歩き出す。
 その後ろ姿を見送るかのように、森に咲く花がやさしく揺れていた。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年10月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 7
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