作者:藍鳶カナン

●懐中時計
 穏やかな秋の陽射しを受け、曇りを帯びた銀が柔く煌いた。
 ぴかぴかに磨き上げるのではなく、ともにすごした時が降りつもる姿をこそ愛でたい――主のそんな心が窺える古い銀の懐中時計を、長い歳月が刻まれた男の手が撫でる。
「夢のように幸福な時間だった……時を重ねるごとにそう思うよ」
 西洋、恐らく英国人だろうと一目で察せる老紳士が語りかけるのは時計そのものでなく、その懐中時計に象徴される時をともにすごした誰かのようだった。
 窓辺に飾られたセピアの結婚写真。
 若い彼の隣で輝くように微笑む日本人女性が、きっと。
「ふらふら遊学してた孫も戻ったしな……君と私が夢を叶えた店は息子と孫に任せて、私は楽隠居だ。のんびりしながらゆっくり君への土産話を整理して――」
 時が至って天に召される日が来たら、君のもとへいくよ。
 窓の外を見遣り、世界すべてを愛しむように瞳を細めた彼がそう呟いた、そのとき。
 忽然と彼の両脇に現れた奇妙な姿の女達が懐中時計を奪い、大きな鍵で叩き壊した。
 曇る銀の蓋が砕けて舞う。
 時計盤の硝子が割れ、針や内部機構もばらばらになって零れ床に振り撒かれ――彼は謎の女達を誰何する間もなく悲しみと怒りを露わにする。
「なんてことを……! これは私と妻を出逢わせてくれた想い出の……!」
 出逢った時はアンティークながら確りとした可動品だったそれは、ともに長くすごす間に二度と動かなくなってしまったけれど、
「動かない時計なら壊したって構わんとでも言うのかね! 冗談じゃない、これは――!」
 激昂の声は途中で途切れた。
 二人の女達、パッチワーク第八の魔女ディオメデスと、第九の魔女ヒッポリュテが同時に彼の心臓を鍵で穿ったのだ。
「私達のモザイクは晴れなかったねえ。けれどあなたの怒りと」
「オマエの悲しみ、悪くナカッタ!」
 魔女達が奪ったのは彼の命ではなく、悲しみと怒り。
 奪われた感情からはそれぞれ巨大な銀の懐中時計の蓋と時計が生まれて、窓から射す秋の陽射しのなかでくるりと回った。

●時
 どれほど手を伸ばせど指先ひとつ触れ合えない。
 今現在はそうであっても、かつて触れ合えた時間は、愛しいぬくもりを抱くことができた時間は、大切に思い返すほどにいとおしくなる、掛け替えのない宝物。
 琥珀レンズとその奥の瞳に秘めたものを抱くよう、ゼレフ・スティガル(雲・e00179)は僅か一瞬目蓋を伏せてから、天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)に先を促した。
「……そっすね。確かに、そんな風に大切にされてる懐中時計が狙われる気は、してた」
「うん。ゼレフさんがそう言ってくれたおかげで今回の事件が予知に引っかかったんだ」
 パッチワーク第八の魔女・ディオメデス。そして九の魔女・ヒッポリュテ。
 二人が老紳士の懐中時計を破壊して、彼から奪った『怒り』と『悲しみ』から生み出した新たなドリームイーター二体の撃破に向かって欲しい、と遥夏はケルベロス達に願う。
 魔女達は既に姿を消しているが、残されたドリームイーター、巨大な銀の懐中時計の蓋と時計の姿を取る生まれたばかりの二体は、人間を襲ってグラビティ・チェインを得るために動き出すはずだ。
「悲しみから生まれたのが時計で、これが大切なものを壊された悲しみを語るんだけどね、それが相手に理解されなければ、怒りでもって殺しにかかる――って話なんだけど、心から共感したとしてもやっぱり『おまえに何が分かる!』って逆ギレして殺しにくるみたい」
「理不尽っすね! まあでも、デウスエクスならそんなものかな」
「そんなものだよね。危険極まりない敵だから、早々に撃破して欲しいんだ」
 幸い老紳士の家は街外れのポプラの森の中にあり、今から現場に向かえば敵が森から出る前、一般人が被害に遭う前に捕捉できると遥夏は語った。
 暖かな黄に色づいたポプラの黄葉が、穏やかな時のように降り積もる森。
 避難勧告は出ているから、敵と戦うことだけに集中すればいい。
 敵は懐中時計の蓋と時計。戦いとなればその姿どおりに位置取るという。
「蓋が前衛でディフェンダーになって、時計が後衛……メディックみたいだね。その布陣で連携して戦うはずだよ。敵は悲しみを語ったり怒りを露わにしたりするけどさ、会話にならないから話をしようとか思わずに全力で倒しちゃって」
 二体とも倒せば、悲しみと怒りを奪われ意識を失っている老紳士も目を覚ます。
 勿論彼には目を覚ましてもらうよ、と穏やかに笑んで、ゼレフは褪せた冬色を翻した。
 行こうか、と仲間達を促して。
「迎えるひとはいるだろうけど、彼岸への旅立ちの日はまだ先のはずだよね」
 ならばその日まで。
 いとおしい宝物を存分に抱いて、さらなる愛しさで満たして、いつか来る旅立ちを迎えて欲しいと思うから。


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
藤原・雅(無色の散華・e01652)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
海野・元隆(一発屋・e04312)
テトラ・カルテット(碧い小鬼・e17772)
フィアルリィン・ウィーデーウダート(死盟の戦闘医術士・e25594)
ゼー・フラクトゥール(篝火・e32448)

■リプレイ

●幸
 暖かな黄が降りつもる。
 秋の陽射しと落葉が朽ちゆくほんのり甘い香に彩られたポプラの黄葉の森の中、曇る銀の柔い輝きを捉えた瞬間にゼレフ・スティガル(雲・e00179)は地を蹴った。
 時間が物に宿るのかは解らないけれど、
「件の老紳士と共に時を刻んできた懐中時計を穢す権利なんて、誰にもないよ」
「ええ。懐中時計が寄り添ってきた、彼らの想い出を穢すのも同然の所業です」
 樹々が開けた場所でくるり回っていた巨大な蓋と時計のうち、銀に精緻な紋様が刻まれた蓋へ叩き込まれたのは沈まぬ夜に己が炎燈したゼレフの刃、炎の輝きに奔った氷の煌きは、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)が烏羽の刃で揮った冴え渡る剣技によるものだ。
 老紳士の悲しみと怒りから生まれたものとて、所詮はこの蓋も時計も紛い物。
 本物ではない証に巨大な蓋と時計にモザイクの煌きが躍った刹那、景臣は直感的に警告の声を張った。
「――来ます、幻です!」
 途端、暖かな色の黄葉の森をひときわ柔らかな光が染める。
 理によって紡がれる術。だがこちらはウイングキャットを除く全員が理力の耐性を備え、それでもなお躱しきれぬ者達の分は、
「エチル! 一緒に肉壁! ゴー!!」
 果敢に飛びだしたテトラ・カルテット(碧い小鬼・e17772)と『みゃあ!』とやんちゃな声をあげた淡い碧の翼猫が身体を張る。御霊ガチャな少女の縛霊手から紙兵が舞って翼猫が羽ばたいたなら、
「テトラさん、エチルさん、耐性はお願いするですよ!」
 今この手に雷壁の術が無いことが歯痒いが、ならば癒し手として徹底的に癒して浄めると意識を切り替えたフィアルリィン・ウィーデーウダート(死盟の戦闘医術士・e25594)が、二重の浄化作用を齎す清涼な雨で戦場を彩った。
 極上の絹糸を思わせる癒しの雨、心地好く濡れつつ海野・元隆(一発屋・e04312)は雨を突き抜けて、咆哮めくドラゴニック・パワー噴射で絶大な加速を得た一撃を蓋へ叩き込む。続け様に迸ったのはシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)の銃撃、瞬時の高速演算で導き出した蓋の基部、蝶番を破砕すれば、蓋と時計が揃って声を上げた。
『なんてことを! この懐中時計は想い出の……!』
『冗談じゃない! この懐中時計は大切な……!!』
「へえ、そうかい」
 敵が語る悲しみも怒りも柳に風とばかりに聞き流し、藤原・雅(無色の散華・e01652)が音無き風のごとく滑りこんだのは巨大な蓋の懐、鋭い刃に三重の雷気を凝らせて、曇る銀とその精緻な紋様を穿ち無数の罅を奔らせたなら、ゼー・フラクトゥール(篝火・e32448)が確かな狙いで撃ち込んだ凍結光線が無数の罅に氷の花を咲かせた。
 蓋は時計の盾、ならばまず盾から各個撃破を狙うというのが皆の総意。
 だが長期戦を覚悟したとおり、相手もたやすく倒れる敵ではなかった。
『壊れたのに更に融かすのか燃やすのか! この銀の蓋を――!!』
 憤怒を吼えた蓋が宙に翻り、雅が放った幻影竜の炎を押し潰して相殺。更には雅自身をも潰さんと襲い来た一撃を迷わず景臣が引き受ける。落葉の褥に叩きつけ抑え込む蓋の一撃が然して痛打にならぬのは、精鋭かつ護り手たる彼が黒き外套で更に威を軽減させたから。
 決して侮れる相手ではない。
「その強靭さは、盾たる蓋としての矜持かの」
 賞賛するように紡いだが、敵が矜持より何より個体の戦闘能力で勝っていることはゼーの眼にも一目瞭然だ。鋭く老獪な眼差しで後方から狙いを定めた瞬間、老いた竜の戦士は宙に舞った。くれてやるのは蓋を星の重力に繋ぐ流星の蹴撃、同じく狙撃手として狙い澄ました白き鳥めくボクスドラゴンが息吹を重ねるが、
『なんてことをなんてことを、壊されたなんて信じたくない……!!』
 悲痛な声を上げた時計の針が逆回転した途端、蓋に刻まれた傷や異常の多くが消える。
「おや、時を戻すとは……ことわりに反しているのではないかな」
 ずるいなぁと雅は大して心動かされた風もなく呟いたが、強力な癒しもさることながら、二重の浄化はジャマーたる彼も意識せずにはいられない。
 盾たる蓋への集中砲火で癒し手たる時計が攻撃よりも回復に手数を割くならば、蓋の状態異常は二重の浄化により早々に霧散する。
 状態異常の重ねがけによる弱体化には期待できない。ということは、
「確実に当てて高火力を叩き込む、ガチの正攻法が一番効くってこった」
「そのようですね。なら――」
 三種のホーミングを掌中に収める元隆が楽しげに口の端擡げたその刹那、陽炎めく闘気が精鋭クラッシャーの破壊力を乗せた気咬弾となって蓋へ喰らいつく。シィラが素早く視線を奔らせれば、
「シィラ君、こっちに!」
「お借りします!!」
 気配を察したゼレフが鉄塊剣を翻し、正確無比な狙撃手の跳弾射撃がポプラの樹々でなく刃に跳ねて銀の蓋を直撃、盛大に打ち砕いた、次の瞬間。
『ああ! この怒りをどうしてくれよう!!』
 蓋の叫びとともに、黄葉の森が光に染まった。
 後衛を狙った光が咄嗟にフィアルリィンの盾となった景臣の瞳を夏陽のごとく射抜けば、光溢れる彼の視界に、眩いひまわりのごとき笑みが咲く。
 最愛の妻が笑う。小さな娘の無邪気な笑声が響く。
 手袋の裡で薬指の銀が甘い熱を帯びる。けれど警鐘のようにこめかみが痛むのは――。
 この幸福な時間が二度と戻らぬ、その事実と罪悪感が心を刺すから。
 息苦しいほど幸福な幻にシィラの意識も融けかけた。
 小さな世界が優しくも狡い鳥籠であるとも知らず、片眼鏡越しの誰かの眼差しがシィラを通し別の誰かに注がれているとも知らず、髪梳く指の甘さに擽ったく笑った、幸福な日々。
 だけどそれも、過去のものだ。
「景臣さん! あたしのとっておき、食べちゃって!!」
 鮮やかな紅に煌くのは癒しと浄化を秘めた飛びきり美味なテトラの菓子、
「その懐中時計から幸福な時間を得ていいのは今はもう、あの老紳士だけのはずです!」
 魔女達が理不尽な破壊で不当に奪った彼の感情、それを元にした力で紛い物の懐中時計が与えてくる紛い物の幸福。それがまるで老紳士の時を二重に穢している気がして、凛と声を張ったフィアルリィンは、仲間を包む幻を清らな雨で一気に洗い流した。

●夢
 小さな世界を満たす大気そのものさえ、優しい幸せに溢れていた日々。
 戻りたいと思ったことが一度もないと言えば嘘になるけれど。
「わたしは、進み続けます!」
 誰かの面影を重ねたものでなく己自身を世界に証すべく、シィラは駆けて星の力を喚ぶ。成層圏の彼方から来たる流星雨は無数の鉛玉、ひとたび敵を捉えれば決して逃さずすべての星が巨大な懐中時計の蓋を穿つ。
 透かし鍔の下がり藤に彩られた刃で景臣が放つ斬撃、長い銃身に地獄を燈してゼーが叩き込む炎の破壊、陽炎のごとき闘気を凝らせ敵を喰らう元隆の気咬弾。銀の蓋へ浴びせられる集中攻撃が刻む軌跡を端から時計が『なかったこと』にしていくが、
「時計を回復で手一杯にさせるだけでも十分だ、兎に角回復不能ダメージを重ねていくか」
「ですね。付け入る隙もなさそうですし、根気よく削っていきましょう」
「だねぇ。弱点なしってほんと、盾としちゃ申し分ない蓋だ」
 即座に元隆は加速させた猛打を直撃させ、互いの見立てに頷き合った景臣とゼレフも手を止めることなく蓋への攻勢に身を任す。
 多彩な技を操る敵であればこちらが翻弄されただろうが、操る技が限られた敵ゆえに防具選択の基準を絞りやすいのが幸いだった。浄化の使い手も潤沢で催眠への対策も十分以上、寧ろもっと攻めていこう、とゼレフが皆へ掛けた声に雅が迷ったのも一瞬のこと。
 三重の炎や毒を刻んでもそのひとつひとつに二重のキュアがかかるのだ。状態異常を充分重ねがけできたと思える状況を創るのは難しく、それは蓋を撃破し敵が時計のみになっても同じはず。
 自陣の一番手として動けたなら、三重に護りを破る雷刃突で連携の起点となることでその力を存分に活かすこともできただろうが――。
「まあ、そこまでの練度はないことは自分で判るしね。了解、ダメージ優先でいくよ」
 ここは三重の追撃で押していくべき、と断ずれば雅はすぐさま両手の斬霊刀で風を裂き、苛烈な衝撃波を迸らせた。
 暖かな黄葉を降らす森に射す陽光が僅かに角度を増す。
 決して少なくない攻防を重ねるうち、元隆を庇った翼猫が巨大な蓋の下で骨の砕ける音を響かせたが、
「エチル!!」
「大丈夫です、すぐ綺麗に治すですよ!」
 光翔けるようなフィアルリィンの魔術切開に澱みはなく、共鳴する膨大な癒しがたちまち深手を癒せば、彼女の鮮やかな施術を横目にゼレフが馳せる。くるり身を翻す曇る銀、だが敵を逃さぬ刃が陽射しと巨大な蓋を貫いた。
 短い詠唱は別れの言葉。
 詞が成ると同時に溢れた銀白の炎が揺らめき踊って巨大な蓋すべて灼きつくした、刹那。
『なんてことをなんてことを! 壊れてもう元に戻らないなんて……!』
 大きな悲嘆と共に、時計から光が膨れ上がった。
 癒し手の破魔が紙兵の加護を吹き飛ばす。
 微細な粒となった紙吹雪の靄が晴れたなら、柔らかな光の中に愛しいひとを見た。
 もしかすると夜毎に夢へ逢いに来てくれているのかもしれないけれど、朝に目覚めるたび夢の記憶は泡沫のように、あるいは地獄の炎に灼かれたように消えてしまう。
 薄れ、褪せていくばかり、と諦めていた遠い日の幸福がゼレフの胸裡を満たす。
 けれど。
「ここで膝を屈するようなあなたではないでしょう?」
「――当然」
 懐郷とも恍惚ともつかぬ胸裡の痺れは、肩を叩いた友の掌の熱と注がれた気で霧散した。好い夢見てたのになんて軽口を叩きつつ迷わず時計へ刃を躍らす彼に、お許しを、と景臣は笑み返す。
 旅立ちの訪れは、まだ先の『いつか』のもののはず。
 友にも、己にも、件の老紳士にも。

●時
 暖かな黄に染まる森に光が満ちた瞬間、眼前に空と海が開けた気がした。
 遥かな青。水平線は雄大な弧を描いて地球のまるみを教え、潮騒や波の音と同じくらいに慕わしい、傭兵仲間の声さえ聴こえた気がして――。
 彼らと何処までも勝ち進めると信じていた。あの頃は。
「戻りなくないとは言わんさ。だが、今が嫌いってわけじゃないんでな」
 惑わされやしないと元隆が続けた途端、光の花々が降り注いだ。
「やはー! 美少女の癒しだよっ!」
 ひとが歩んできた時はすべてが宝。一秒一秒が黄金の積み重ね。
 其々に千差万別、千紫万紅。ゆえに掛け替えのない宝物として時を胸に抱く者は、幸せな幻に己の幸せな時を投影してしまうのだろう。その宝をこんな風に使うなんて。
「ちょっと頭にキちゃうかも☆ いつか諸悪の根源な魔女達に贖わせちゃんだから!」
「だね。それで件の老紳士の無念が晴れるかはともかく、報いはあっても良いだろう」
 ――六根清浄、急急如律令。
 妖精靴で森に舞うテトラが踊らす花の癒し、翼猫と力を分け合う彼女の浄化を補うべく、雅は唱えた呪を結んだ刀印に重ねて、冴ゆる印で三重に幻の穢れを斬り祓う。瞬時に澄んだ世界に描かれる軌跡は箱竜の突撃、表面の硝子が砕ければ、巨大な時計が悲哀を叫ぶ。
『ああ、粉々になってしまった私の時計……!』
「さて、此奴も早々に片付けて、件の紳士の目覚めぬ夢を終わらせねばの」
 暦がひとめぐりする時を生きたゼーは胸裡に燻るものを抱えたまま、狙い定めた銃口から眩い光弾を迸らせた。抱いたものは風化せず、時に彼の角のごとく捻くれ複雑玄妙な紋様を織りなすけれど。
 ひとの心そのもののような、深く鮮やかな趣を感じさせてくれる敵かと期待していたが、この巨大な懐中時計はゼーの心を震わすものではなかった。
 怒りを語っていた蓋、悲しみを語り続ける時計。
 心から共感した者も殺しに来るというのは、この蓋と時計がドリームイーター、すなわちデウスエクスであり、人間を襲ってグラビティ・チェインを奪うのが目的であるからだ。
 老紳士の悲しみと怒りという『感情』から生まれた彼らは、老紳士の『心』ではない。
 魔女達が奪ったものは、老紳士が重ねてきた時そのものでもないから。
「こいつらがお爺様がすごした素晴らしい時間を知ってるわけない、ってことだね!」
「ええ。掛け替えのない宝物のような時間――それは、そのひとだけのものです」
 老紳士の心や想い出そのものならすべて受けとめるつもりだったが、テトラはあっさりと割り切って紙兵の加護を敷く。本物の懐中時計はとうにその針を止めていて、眼前の時計の針も直に止めてみせるけど、自分達や老紳士の時を刻む針が止まるのは、今ではないから。
「彼の感情、取り戻させてもらいます」
 凛と響いたシィラの言葉に重なる銃声、黄葉と陽射しの世界に弾丸が跳ねて躍って時計を撃ち抜き、巨大な針の逆回転を誘う。時計が回復一辺倒に追い込まれたなら、たとえ時間がかかろうとも最早勝利に手が届いたようなもの。
 遡る時計の時を追いかけるよう喰らいつき、幾度も時の流れを引き戻す。
 過ぎ去った時に焦がれる心を振り切るよう、時計に時の軌跡を刻み込む。
 二度と戻らない。それを眼前の時計にも思い知らせるよう、景臣は凍てるような、けれど紅い炎で時計の命と熱を喰らう。不思議と凍てる彼だけの紅炎、透ける輝きに重ねゼレフが時計に突き立てた刃は、奇しくも熱を贈る銀白の炎を踊らせた。
 幻であっても、あの幸せな時間を。
「ありがと、見せてくれて」
 ――さよなら。
 礼代わりに贈る、終わりの時。
「あと一押しですね、お願いするですよ!」
 癒しの術に徹しながらも気勢は皆と共に攻める心地のフィアルリィン、彼女が揮う雷杖が迸らせた輝きは元隆の芯で時を刻み続ける鼓動を賦活し、彼の力を跳ねあげる。
「過去は取り戻せんが、時は終わっちゃいない。今も繋がってるもんだ」
 俺も皆も、爺さんも。
 黄葉つもる森の大地が傾城魚の背に変わる。巨大なアカエイが跳ねて時計を深海の底へと引きずり込む。海原に生きた元隆が解き放つのは海の秘術。敗北と喪失を経たからこそ彼の秘術はデウスエクスを屠る力を得て、ドリームイーターの時を永遠に止めて霧散させた。

 紛い物の懐中時計は消えたけれど、本物の懐中時計の残骸は、窓辺にセピアの写真を飾る自室で目覚めただろう老紳士の傍にあるはずだ。
「念のため、彼の無事を確認しにいってみたいですね」
「そうだね、いこうか」
 森の奥へ瞳を向けたフィアルリィンの眼差しをゼレフの瞳も追った。
 彼にとっての思い出のかけらを、一緒に拾い集めることはできるだろう。
 懐中時計は元に戻せずとも、彼の裡にある『中身』に寄り添えるように。
 靴の下で落葉が音を立てる。
 傾く陽射しは今日の終わりだけではなく、秋の終わりも招くよう。
 戻らずとも繋がっていて、この先も繋がっていく――愛しい、時。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年11月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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