青海波と菊

作者:譲葉慧


 桐の箪笥を開ける。引き出しの中に一枚だけ横たえられた畳紙を取り出す。
 そして、ゆっくりと丁寧に畳紙を開くと、中の振袖からいつもの色彩が拡がるのだ。
 うすい亀覗色の青海波の地紋にちりばめられた、大小の菊の花。花の色も珊瑚色や象牙色、薄梅鼠……全体に淡い色合いの振袖は、若い女性向けのものと見えた。
 夢見る瞳でそれを見つめていた少女は、ふと思いついたのか、畳紙から振袖を取り出した。そして、その肩に掛けようとした瞬間。
 どこからか伸びた手が、少女の手から振袖を奪い取る。そして小さな部屋に響く、絹を裂く甲高い音。
 はっと振り返った彼女が見たものは、繕いも出来ないように、わざとずたずたに切り裂かれた着物だった。
「止めて! 死んだおばあちゃんの着物なの! 止めてよ!」
 凶行の主2人は、少女の声に耳を貸さず着物を裂き続ける。
 その姿は半人半獣であり、異国の人間であり、何よりも胸部にモザイクがかかる明らかな異形であったが、少女は異形達に飛びつき止めようとする。
 異形2人は無言のまま、手に持った大きな鍵を立ち向かう少女の左胸に突き込んだ。
 深く少女の胸を穿つ鍵は本来致命傷になるはずだが、血も流れず、少女は軽い音を立てて畳の上に倒れただけだ。
 異形は自分の胸のモザイクを見たが、何の変化も起きていない。だが、そう落胆した様子もなく、倒れた少女へ語りかける。
「大事な着物を破いてごめんねえ。形見の品なんだ? すごく怒ったよね? でも私達のモザイクは晴れなかったよ」
「破れタ着物を見テ、オマエは悲しンダ! 良い悲しみダッタゾ!」
 異形2人の側に、ドリームイーター2体がゆらりと現れ出た。
 まるでマネキン人形のようなドリームイーターが羽織る着物の片方は亀覗色の青海波模様で、片方は淡い色の菊に彩られていた。


「またぞろ魔女どもが動き出したようだ」
 マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)は腕組みをして、ケルベロス達を見まわした。
 パッチワークの魔女達は、モザイクを晴らすため、それぞれの欠損した感情を求めて犠牲者を襲う。結局モザイクは晴れないが、代わりにドリームイーターを生み出すのだ。
 今回は、野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)が目星をつけていたお蔭で予知を行うことができた。事件を起こすのは、第八の魔女・ディオメデスと第九の魔女・ヒッポリュテだ」
 2体一組で現れるこの魔女は、犠牲者の怒りと悲しみを求め、各地で暗躍している。
「狙われたのは、祖母の形見の着物を持つ少女だ。着物を破られた彼女の怒りと悲しみから、着物を羽織ったマネキン2体のドリームイーターが生まれた。それらは、人の居る場所へと向かう。なぜなら誰かに『品物を壊された悲しみ』を語りたいからだ」
「悲しみだけか? 怒りは主張しないのか?」
 不思議そうにバルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)が聞き返した。
「悲しみを理解できない者には怒りをもって報いる。同じ言葉を繰り返すだけのドリームイーターを理解できる者なぞそうそういるものではない。普通は殺害されてしまう。そうなる前に、ドリームイーターを葬るのだ」
 そう言ってから、マグダレーナはある街の地図を取り出し、そしてある一点を指してみせた。
「ここは主にイベントスペースとして使用されているホールだ。呉服市の開催準備で、着物をはじめ、和装に必要な品が運び込まれているところだ。その搬入口を狙ってドリームイーターが現れる」
 ケルベロスの介入なしだと、搬入に従事している人をつかまえて一方的に着物が破れた悲しみを言い募った後、分かってくれないと勝手に思い込んで殺害にかかる。
 マグダレーナはもう一枚、拡大した地図を見せる。ホール周辺のものだ。搬入口はホールの裏側で、搬入用車両を停めるための広い駐車スペースがある。
「ドリームイーターは、大量の着物があるはずのホール内へ向かおうとするようだ。私にはそういう風に視えた。搬入口付近が戦場となる可能性が高い」
「いきなり戦闘を仕掛けて大丈夫なのかよ? 人、いるんだろ?」
 バルタザールが少し驚いたように問い返す。
「最初にケルベロスがドリームイーターに接触すれば、犠牲者は出ないだろう。幸い、ドリームイーターが惹かれる条件は分かっているからな」
 問いにこう答え、戯れに地図の表面を一度指で弾いてみせてから、マグダレーナはドリームイーターの戦闘能力について語りはじめた。
「青海波の着物を着た方が前、菊の着物を着た方が後方にいるな……どちらも攻めに特化している様子で、彼らの戦いにシナジーはほぼ無さそうだ。攻撃しやすい相手を集中攻撃、ある意味分かりやすいが、油断はできんぞ」
 一台のヘリオンが、離陸していった。離陸許可の順番待ちをしていたが、ここのヘリオンが次の番だ。
 マグダレーナが労わるようにヘリオンの壁を叩くと、搭乗口が開く。
「魔女どもめ、大切な形見の品を損ねるとは、外道もいいところだ。その怒りと悲しみからドリームイーターなぞ生み出しおって……このままでは破られた形見の着物も浮かばれまい。始末をつけるぞ」
 管制から離陸許可を受け、マグダレーナはケルベロスをヘリオン内へと誘った。


参加者
ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)
ジゼル・フェニーチェ(時計屋・e01081)
姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)
奏真・一十(寒雷堂堂・e03433)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
黒木・市邨(蔓に歯車・e13181)
虹・藍(蒼穹の刃・e14133)

■リプレイ


 その街で随一の広さを誇るホールは、呉服市の開催を控え、準備の為の人と物の出入りが絶え間ない。
 混みあっているのはホール裏側の搬入口付近だ。商いの規模を問わず、呉服に携わる人達が自慢の品をホール内部へと運び入れているところだ。
 搬入口周りは関係者用の駐車場となっているが、広々とした駐車場の中で、車が停まっているのは主にホール側の近辺だ。だが、少し離れた場所に佇む一団がいた。着物を拡げているが一見しただけで呉服商ではないことがわかる。
 彼らはケルベロスだ。その違和感を意に介さない者を迎えるためにこの場へやって来たのだ。
 パッチワークの魔女達は己の欠損した感情を求め人を襲い、しかし満たされずドリームイーターを生み出す。そしてその2体が着物に惹かれて呉服市に現れると予知されていた。
 現れるのは着物を羽織ったマネキン人形といった姿で、誰彼構わず着物を破かれた悲しみを語る。怒りと悲しみの欠けた魔女達により、祖母の形見の着物を破られた少女の怒りと悲しみから生み出されたためだが、結局は語りかけた相手を手にかけてしまう。
 被害を食い止めるため、魔女に襲われ意識を失ったままの少女を救うため、討伐せねばならない相手だった。

 伝統模様が大きく描かれた華やかな着物、光の加減で移ろう色味の妙が際立つ着物、それぞれに見どころある着物が丁寧に広げられている。
「着物って特別な感じがする!」
 姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)は、畳紙を開き、深緑の地に淡い橙色の姫百合が描かれた着物を見つけて、にっこり笑った。髪に咲く花とお揃いだ。花柄の着物が色々あって、少し嬉しかった。他のオラトリオの仲間達にも『お揃い』がないかと、秘かに他の畳紙を開いてみる。
 身軽な格好に慣れているロビネッタ自身にとって、きっちり着付けられて勝手の違う晴れ着は、いつもと違う特別だ。その裾や袖を捌きながら戦うとまでは、中々いきそうにない。
 着物に惹かれつつも手に取るに留めているのは、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)も同じだ。時節は秋、紅色の流水紋に濃淡の紅葉が緩やかに散る一枚に目が留まる。地は、彼女の髪と同じ温かみのある白だが、裾の方はほんのりと上気した頬を思わせる紅が混じっている。
「この着物、綺麗ね。羽織って、みる?」
 ジゼル・フェニーチェ(時計屋・e01081)はアイヴォリーの手から流水紅葉文の着物を受け取り、彼女の肩にそっと羽織らせた。滑らかな正絹はアイヴォリーの華奢な肩に沿うように馴染んでいる。
 今度はジゼルの番だ。アイヴォリーと一緒に何枚も着物を見るが、どれも選び難くて迷ってしまう。髪の灰色に合わせるか、瞳の緑色に合わせるか……それとも、敢えて対比する色を選んでみるか……一つに選びきれない。
「この着物なんてどう?」
 悩み尽きない二人に、黒木・市邨(蔓に歯車・e13181)が開いて見せた包みは、月夜を思わせる少し黄色味の混じる紺色だ。大輪の白い花が裾に描かれている。
「その花は月下美人だね。帯も白にして……帯締めを髪の花と同じ色にしてみるのもいいかも」
 そう言う市邨は、萌黄色の小紋に藍色の羽織を着ている。色味のはっきり異なる二色だが、彼の着こなしはしっくりと自然体だ。
「市邨、とても似合ってますね。素敵です」
 アイヴォリーに笑みを返した市邨は、洋装のものとはまた違う衣擦れの音、いつか聴いた音に似たそれに、ふと故人を思い出していた。彼の育ての親である老爺の装いと思い出と。
(「和装が好きなひとだった」)
 和装を着た時は、自然と居住まいを正している。市邨にとって、凛と気を張るその感覚は好ましいものだ。
「みんな、着物良く似合ってるな」
 くるっと回ってみてくれ、と、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)に頼まれ、アイヴォリーとジゼルは着物を羽織ってゆったりと回ってみせた。白と紺と、紅葉と月下美人と、それぞれ彩が翻る。
 綺麗! と拍手してから、後でなと言い残し、アラタは自分のやるべきことへと向かった。共に行くのはネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)だ。ドリームイーターが現れるまでもう間は無い。二人は拡げられた色彩から遠ざかり、駐車車両の陰へと隠れた。
 着物に惹かれ、ホール搬入口へ向かおうとするドリームイーターは、その途上で仲間達が拡げている着物を目にすることになる。そうなるように仲間達は駐車スペースで位置取りしている。
 一度仲間達にドリームイーターの注意が向かえば、ホールにいる人達が狙われることは無いだろうと言われていた。だが、戦場に迷い込む人がいないとも限らない。犠牲を無くするため、戦場への立ち入り禁止を徹底しておきたいところだった。
「二つの着物の紋様、元は破られた一つの着物の紋様だったんだな」
 アラタは囁いた。形見の着物は、地紋の青海波にとりどりの菊の花が咲いていたのだという。
「綺麗な品だ。それだけで痛ましいが、形見の品だろうに、替えの効かない唯一を、よくも踏み躙ってくれたものだ」
 ネロはそう応え、もう元の姿には戻せないからな、と吐息のように呟く。
「健やかな成長を願う祖母の願いがこめられていたのかもしれない。もう叶わないのだろうが」
 そう言ったアラタの瞳を、ネロは静かに見返した。
「しかし、着物にまつわる思い出までは破れまい?」
「……そうだな。そして少女の思いから生まれたドリームイーターに罪は無い。無いまま終わらせなければならない」
 それが、ケルベロスの仕事だ。交わした言葉はそれきりで、アラタとネロは沈黙の裡に時を待つ。


「飾る前に、少し日に当てて虫干ししておいた方が良いのかな」
 虹・藍(蒼穹の刃・e14133)は、朱色に扇模様の振袖を大きく拡げた。金糸銀糸を惜しみなく使った逸品で、晴れの日の主役が着るに相応しい品だ。側には、細かな手刺繍が施されたこれも豪奢な帯と、帯締めも揃えている。敢えて目を引く品を前面に押し出すことで、ドリームイーターを呼び込む意図だ。
「女性におかれては、多少派手なくらいが目を引くな」
 奏真・一十(寒雷堂堂・e03433)は、藍の選んだ品を見て得心した様子だ。彼自身の装いは、葡萄色のやたら縞に、襟元と帯は差し色の鉄紺、羽織は鈍色と、抑えた色合いが秋めいている。
「着崩れてはいないか? 不慣れでいかん」
 身じろぎをし、着付けの心得がある藍に尋ねた一十の眼がすっと細められた。待ち人、ついに来たれりだ。

「大事な着物が、破れちゃった……」
「どうしよう……どうしよう……悲しいよう……」
 抑揚のないか細い声で、ドリームイーター達はケルベロス達に訴える。だが、そのあまりに平坦な物言いは、本当に悲しんでいるのか測りがたく、およそ共感もし難い。
「響かぬな」
 ドリームイーターの繰り言を一十は一言の下に切って捨てた。
「わかってくれない!」
「ひどい! わかってくれない!」
 お為ごかしすら欠片もない有様に、口々にドリームイーターは言い立てる。
「破れたのではない、破いたのだ。歪に作り出された果ての悲しみも怒りも、虚ろな器が説いたとて、何ひとつ人の心に響くものか」
 ひどい! と叫ぶドリームイーターは、あっさりとその本性を現し、ケルベロスへと襲い掛かる。
「その柄、青海波っていうんだ。見たことあるよ!」
 ロビネッタは瓶覗色に波を象った模様の着物を羽織ったドリームイーターへと呼びかけた。しかし、彼女の銃口はその後背にいる菊模様の着物のドリームイーターへと向けられている。
 二丁拳銃の連射が穿った12発の弾痕は、どうやら何かを象っているらしいが、その正体はロビネッタしか知らない。ともあれ、菊の動きは穿たれた風穴により少々ぎこちないものになっている。
「お前様には、少し大人しくしてもらう、ね」
 ジゼルのアームドフォートの砲塔が転回し、菊へと照準を定める。風穴を更に広げ、その動きをより確実に封じるのだ。全砲塔からの斉射は、容赦なく菊花を貫いた。
 青海波と菊。二体のドリームイーターは、攻め手であることがわかっている。素の攻撃力が高いのは青海波だとケルベロスは予想しており、先に倒す心積りでいた。
 だが、菊が癒しのグラビティを使用できることもまた予知されており、菊から青海波への回復行動により、青海波の撃破が長引くことをケルベロスは恐れた。二体の連携度は高くないとのことではあったが、実際に交戦してみなければその辺りの感触は掴めない。
 そこで選択した作戦は、菊へある程度の攻撃を加え、菊自身の手数を自身の回復で封じるというものだった。ロビネッタとジゼルが菊を狙ったのはその為だ。
 青海波は、己の訴えを退けた一十へと迫る。羽織った着物の一翻は、鋭く打ち付ける幻の白波を生じ、人の身を切り裂く。本来穏やかな波を現す青海波とも思えぬ様相だが、これがドリームイーターの本性なのだとすれば、合点が行くというものだ。
 強そうに見えない外見に反し、幻がもたらした斬撃は、うつつに深い傷を残し消えた。余韻のように残る眩惑が、一十の足取りをふらつかせる。
 ジゼルがウイングキャットのミルタへ目を向けると、ゆるやかな羽ばたきで風を起こし、一十と周辺の仲間を清らかな風で包みこんでいた。ジゼルをミルタはちらと見返し、当然の仕事だと言いたげに、ふわりと飛んでいった。次に翼の恵みが必要なときに備えるために。
 だが、まだ完治には足りない。菊の狙いも一十近辺にあるらしいのを見てとると、藍は意図していた雷壁の術を中止し、ロッドで一十を殴りつける。同士討ちかと思われるほどの打擲は、生命力の循環を早め治癒力を高める、れっきとした癒しの技だ。身体に忍び込び、眩暈の元となっていた幻の断片も打撃で散り散りに砕かれた。
 菊は着物を穴だらけにされ、守りに入るかと思いきや、攻めに出た。花弁一枚一枚が火焔でできた菊花が着物から散り出でて降り注ぐ。だが、ボクスドラゴンのサキミが翼を拡げ、乱れ飛ぶ火焔を身体で受け止めた。じゅうと音を立て、身体から蒸気が上がる。傍らで一十も仲間を庇い、火焔をその身で受けたのに気づき、ぷいと一十の側を離れてしまう。どうやら自分の真似をするなということらしい。
 アイヴォリーは宙でとんぼ返りを打ってから急降下し、青海波の着物の裾をエアシューズで思いっきり踏みつける。着物に引きずられた形の青海波は、よろけて体勢を崩している。胴体ががら空きだ。
「――蔓、草、出番だよ。往っておいで」
 その隙を逃さず、市邨は青海波の隙を腕で示す。彼の導きに従い『蔓』と『草』、跳ねるように伸びる白の勿忘草と、やや躊躇いがちにその後を追う黄のイぺーが羽織った着物ごと青海波をきつく縛り上げた。マネキンに似た体躯が甲高い軋み音を立ててひび割れ、破片が地面に落ちる。
 纏わる蔓草に動きを縛られた青海波へ、次いでバルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)がリボルバー銃の一発をお見舞いする。弾は幻の波を操る腕に弾着し、更に体躯の破片を飛び散らせる。
 ケルベロスとドリームイーターの応酬は激しさを増しつつあった。閃くオウガメタルの銀光、ウイングキャットの翼の羽ばたき、そして藍が今度こそ喚びだした、滝と流れる雷の壁がケルベロスを支援する。
 ロビネッタとジゼルの再度の牽制攻撃を受けてやっと、菊は自身の回復行動を始める。攻勢が緩んだその時が戦況を巻き返す転機であった。仲間全員の最大攻撃力をこの隙に叩き込む。それが叶わなければ消耗戦の始まりだ。そろそろネロとアラタの人払いは済んだだろうか――。
 突如、青海波の身体全体が拉げた。捻り縊るその力は、物理法則のはるか先、贄の血肉を身に受けた女の孕む魔そのものの顕現だ。
「本当は、君のような君のような綺麗な着物に使うのは気が引けて堪らないがね」
 柩の魔女ネロは、束の間、青海波の砕けた身体とよれよれの着物に痛まし気な視線を向けたが、裏腹に、その身に秘めた魔はまだ物足りないとばかりに彼女の裡でのたうつ。
 傷んでいるとはいえ、なお着物の瓶覗色の光沢は目も綾だ。アラタが両手を広げ、身体から発した銀閃が映える。
「傷つけるのは本意じゃないが、せめてお前達を綺麗なままで還すのがアラタ達にできることだ!」
 二人の合流を受け、本来の戦力を得たケルベロスは、一心に青海波へと攻撃を集中させる。一方で青海波は、先程とは裏腹の穏やかな波間の幻を至近で相対するケルベロス達へと投げかける。
 穏やかな波は、藍やミルタと先生によって仲間のため生み出された風流や雷の勢いを弱めてしまう。それは高揚を不自然に抑え込もうとする、作り物めいた平穏さであった。
 だがそれすらも、今のケルベロスにとっては機の一つだ。多数を巻き込むとはいえ、先に繰り出された白波の幻よりも明らかに威力自体は低い。
「ここが頑張りどころだよ!」
 野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)が空に描き出すのは、波を打つ心電図だ。命の証である心臓の鼓動、しかし地獄と化した彼女の心臓が拍すのは、生を紡ぎ、死と寄り添う表裏一体のそれだ。弱まりつつある心電図は、青海波のものである。
「さあ、もう一度」
 市邨は、首を僅かに下へ傾げ、添う勿忘草とイぺーに眼差しを送った。紺の肩口にはらりと桜の花弁が落ちる。彼らの力でみるみるうちに数を増やした花弁は、季節違いの桜吹雪となる。奔流と化した花弁は死を運ぶ轍だ。桜色は波揺らぐ瓶覗色を貫き、永遠の凪を海へともたらした。
 青海波の身体は完全に砕け、纏った着物は影形もなく消え去った。
 そして残る菊に間合いをはかる暇も与えず、ケルベロス達が肉薄する。カバーする青海波なき今、高威力の近接戦闘が仕掛けられる。
「よーし、一気に畳みかけちゃおう。着物だけに!」
 ロビネッタは、時止めの弾丸を生成し、弾倉にリロードした。連射の必要はない。ただ一発の弾丸で充分だ。果たして命中した弾丸は、菊へ冷気を届ける。
 ケルベロスの集中攻撃により、菊に貼りついた氷は徐々に面積を増やし、その身を蝕んでゆく。その状況に菊は一瞬、躊躇うような仕草を見せ……大輪の菊が、アイヴォリーの側で爛漫に咲き乱れようとするのを、ジゼルが割り込み、身体で受け止めた。仄かな菊の香りとそれに不似合いな衝撃が襲うが、彼女はそれに耐えきった。
 ジゼルの後背から菊の面前へと躍り出たアイヴォリーは嘆息する。
「ああ、破くには惜しい程美しい彩!」
 けれど、もう終わりにしなければならない。けれど――せめてこの瞳に焼き付けておきましょう。
 アイヴォリーは冷製の一皿を銘に持つ秘儀を執り行った。身体を魔力が巡り、秘儀が完成しつつある。挽き刻みそして形どられた秘儀の末に残るは、命数の尽きた菊の姿だ。
 かつて人型だった身体に、菊の色合いだけが鮮やかに残る着物の端。夢喰の造りだした幻は、現の世界から去らねばならない。一十は辛うじて現につなぎ留められている菊の正面に立ち、鬼神と化した腕で正拳突きを繰り出した。真っ向からの一撃は、菊の身体を今度こそ粉々に砕き、そして菊の着物も秋の日差しの中に、融けて消えた。


 アスファルトがへこみ、柵が吹き飛ばされた駐車場を、藍と一十はヒールして回ってゆく。ヒール後、地面のラインや柵に何故か伝統柄が浮かんだのは、二人の心もちも影響しているのだろうか。
 市邨とアイヴォリーは呉服市の関係者に安全確保の知らせと、借りていた着物を返しに行った。ホール建物には損傷はなく、借りた着物や小物も、戦闘に巻き込まれないよう気を使ったお蔭で、無事に返せる。貸してくれたのは素晴らしい品だったから、呉服市で飾られたら、訪れた人の目を愉しませてくれるだろう。
 そして、今頃、着物を破られた少女は、自宅で目覚めているはずだった。アラタは彼女へと思いを馳せる。
「着物としては無理でも、リボンや小物にして側に置くことは出来る」
 破られた着物はヒールでも元に戻せない。だけど、喪失をずっと悼み続けるのは、悲しすぎる。彼女には悲しみと怒りを乗り越えて欲しかった。
「そっか! 着物はリメイクできるんだ」
 アラタのアイデアに、少ししょんぼりしていたロビネッタが、おばあちゃんと一緒にいられるね、と相好を崩した。
「目覚める彼女が早く元気になるといいな」
 空を見上げるアラタの側に、ホールから戻って来たアイヴォリーが立つ。
「籠められた想いと記憶は残る筈だから――そう、気付けますように」
 駐車場を丹念にヒールするイチカも同じ願いを空に託していた。羽織った白衣は大切な人のお下がりで、持ち主が変わった今も、これからもイチカと一緒に未来へ歩んでゆく。
(「もとどおりにはならなかったとしても、この変化も、この子と一緒に辿ってきた歴史のひとつになりますように」)
「お前さん、襲われた子のとこに行くのか?」
 駐車場を出ようとするネロに、バルタザールが声をかけた。
「伝えたくてな。想い出まで裂かれたわけではないと。君が元気になります様にと」
 慰めにもならなかろうが、と微かに笑うネロに、行ってやんな、とだけバルタザールは応える。
 晴れ渡り少々眩しい秋空の下を、夜の娘は慰撫の手を携え往き去った。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年10月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 0
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