塵芥の慟哭

作者:秋月きり

「おじいちゃん、おばあちゃん。遊びに来たよー」
 宮崎県都城市。薄い夜闇が降り始めた地方都市の一角に、可愛らしい少年の声が響く。
「おー。宗太か。来たんか。真奈美も武夫君も遠い処、お疲れ様やったね」
 隣の鹿児島に嫁に出た娘一家が里帰りすると聞いたのは昨日の事。久々に賑やかになると笑う妻は今、張り切って晩御飯の準備をしている最中だ。
「んじゃ、宗太。おっちゃんとゲームで遊ぼうか?」
「ほんと?! 遊ぼう遊ぼう!」
 二年前にUターンした慎吾も、年の離れた兄弟の如く甥っ子に構ってくれている。それはとても幸せな光景だった。
 ――それは、とても幸せな光景の筈だった。
「……叔父、さん?」
 そんな光景は一瞬の後に瓦解していった。
 家庭用ゲーム機のコントローラを握ったまま、慎吾の身体が崩れ落ちる。手はずるりと床にこぼれ、眼鏡を付けた頭がボールの如くどすりと畳に転がった。
「「宗太!」」
 噴き出す鮮血から我が子を守るかの如く声を上げる武夫と真奈美はしかし、次の瞬間、一刀の元、切り捨てられる。
 それを為したのは黒衣を纏った男だった。
「安心しなよ。すぐ、キミ達を一つにしてあげるから」
 能面の如き笑顔の男は二人を切り裂き、そしてゆるりと宗太に近寄ってくる。
「逃げろ、宗太! 婆さんと一緒に!」
「逃げなくていいって、言ってるよね?」
 立ち塞がる祖父も、庇うように抱きしめた祖母も切り捨て、男は宗太に詰め寄る。涙で濡れる少年の頬に触れる指は、おぞましい迄に白く。その指が這うように頬、そして首に触れる。次の瞬間響いた鈍い音は、男に指が宗太の頸椎を捻じ曲げ、砕いた音だった。
「さて。これで完成だ」
 男は最後の仕上げとばかりに指を鳴らし周囲を見渡す。同時に集い、出鱈目につなぎ合わさり、人とは思えない造形を生み出していくのは、先程男が切り捨てた一家の屍体だった。
 歪な肉塊の頭に当たる部位に鎮座するのは、不自然な迄に首を曲げた少年の姿だった。
「あ、ああああああ、痛い、イダイよぉぉぉぉぉっっ。おじざぁぁぁん、おじぃざぁぁぁん、おばあざぁぁぁん、ママーーーーっ、パパァァァーーー」
 闇を切り裂くよう、少年の慟哭が砕けた家屋の中に響く。応じるかのようにゆらゆらと揺れる彼の家族だった者の無数の手は、彼の身体から生えていた。

 予知を視た。そう告げるリーシャ・レヴィアタン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0068)の金色の瞳は、涙で濡れていた。
 ああ、とグリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)は嘆きを飲み込む。その理由を察する事が出来る程度には、彼女との付き合いは長かった。
「神野・雅(玲瓏たる雪華・e24167)さんの懸念通り、螺旋忍軍が研究していたデータを元に、屍隷兵を利用しようとする勢力が現れ始めたようなの」
 その一角が螺旋忍軍の傀儡使い・空蝉だ。彼の螺旋忍軍は仲の良い家族を惨殺し、その死体を繋ぎあわせる事で屍隷兵を強化しようとしているらしい。
「生み出された屍隷兵は近隣住民を惨殺し、グラビティ・チェインを奪おうとするでしょうね」
 空蝉の凶行そのものを阻止する事は出来ないが、今ならばまだ、生み出された屍隷兵が起こすであろう悲劇を防ぐ事が出来る。
「だからお願い。せめても彼らが事件を起こさないよう、永遠の眠りに付かせて欲しいの」
 到着は夜の帳が町に降り始めた頃、19時過ぎになる。到着時、一家の暮らしていた日本家屋から屍隷兵が這い出ようとするところに遭遇する形になるようだ。
「屍隷兵さえ倒してしまえば、近隣住民に被害が出る事は無いわ。だから、それだけに集中して欲しいの」
 此度、ケルベロス達が戦うべき相手は家族を繋ぎ合わせ生み出された巨大な屍隷兵が1体、そして余ったパーツで作られた2体の屍隷兵だ。巨大な屍隷兵については、空蝉の目論見通りなのか、強大な戦闘能力を有しているようだ。屍隷兵にしては、と但し書きが付くようだが。
「屍隷兵は少年の身体をベースに、その下に家族――だったものの無数の手足が組み合わさった外見をしている。それと攻撃を当てれば嗚咽混じりの悲鳴を上げて来るから、……心を折られないようにだけ、気を付けて」
「他の屍隷兵は?」
 グリゼルダの問いにリーシャは指を2本立てて、応じる。
「出鱈目につなぎ合わされた手足がさながら、蜘蛛のように見えるわ。彼らは巨大な屍隷兵を守るべく立ち回る。放置しておけば厄介な事になるでしょうね」
 説明を終えたリーシャはふぅと嘆息する。その表情には既に、嘆きの色は無かった。
「お願い、みんな。こんなこと、許しておけないわ」
 凛として。ただそれだけを紡ぐヘリオライダーに、看取りを司る妖精はコクリと頷く。
「それでは、行ってきます。……任せて下さい」
 ここにいる仲間と共に悲劇を終わらせる。その為に出発するのだと、緑色の瞳は告げていた。


参加者
ノル・キサラギ(銀架・e01639)
干支・郷里(紅夜の亡霊・e03186)
芹沢・響(黒鉄の融合術士・e10525)
ルルド・コルホル(恩人殺し・e20511)
バジル・サラザール(猛毒系女士・e24095)
神野・雅(玲瓏たる雪華・e24167)
水瀬・和奏(鎧装猟兵・e34101)
津雲・しらべ(薊と嗤う・e35874)

■リプレイ

●闇の中
 闇の中。少年の慟哭が響く。
 その為だろうか。夜の帳が降り始めたばかりの時刻と言うのに、建屋の中には闇が広がっているような気がする。錯覚だと分かっていても、その全てを払拭する事は難しかった。
(「また、助けられなかった……」)
 闇を覗き込む津雲・しらべ(薊と嗤う・e35874)の想いは如何程ばかりか。自身の大切な者を奪ったドラグナーが今もまた、誰かの大切な存在を奪っていく。その事が堪らなく悲しく、そして悔しくて。
「空蝉とかいうサイコ野郎、ブッ飛ばしてやりたいぜ」
 芹沢・響(黒鉄の融合術士・e10525)の言葉は彼女の気持ちの代弁でもあった。仲睦まじい家族に惨劇を与える空蝉の存在を許せるわけがない。
「また屍隷兵が利用されるのか。糞ったれが」
 腸が煮え繰り返るとはこの事だ、と神野・雅(玲瓏たる雪華・e24167)も怒りを露わにする。屍隷兵の技術を悪用する様にも、無辜の命を、そして家族の絆を弄ぶ思考にも虫唾が走っていた。
「行きましょう」
 グリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)は憤る仲間達を促す。彼女の声に応じ、殺界形成を展開した干支・郷里(紅夜の亡霊・e03186)もまた、無言で歩みを進める。
 ここに集った12人のケルベロス達が浮かべている感情は何れも同じだ。――彼らは、怒っていた。
 だが、その怒りは黒幕である空蝉に届かない。今は、まだ。それも痛い程判っている。
 しかし、それが残した置き土産――屍隷兵によって織りなされる更なる惨劇を防ぐ事は可能。その為に彼らはここに来たのだ。

 闇の中。少年の慟哭が響く。
 居間だろうか。他の部屋と比べ、一回り広い部屋の中に、少年はいた。――いた、としか言いようが無かった。
「ああああぁぁぁぁ」
 それは悲鳴だった。双眸から涙を零し、声と共に我が身を覆う不幸を訴えている。
 数時間前――空蝉に襲われる数刻前は、目の前の異形はただの平和を、日常を享受するだけの少年だったのだ。それが無理矢理異形――屍隷兵に転じられ、慟哭している。
「苦しいよな。痛いよな」
 宗太と言う名前の少年だった存在に、ノル・キサラギ(銀架・e01639)は憐憫を告げる。
 本心を吐露すれば、彼を助けたかった。ただの日常に戻してあげたかった。だが、それが不可能である事を痛い程、悟ってしまっていた。
「割り切れるわけない。でも……」
 バジル・サラザール(猛毒系女士・e24095)は嘆きと共にライトニングロッドを構える。それでも、彼女らは屍隷兵を倒さねばならない。それが、地獄の番犬としての義務だった。
「ちっ。いい趣味してやがる」
 ルルド・コルホル(恩人殺し・e20511)の舌打ちは嫌悪と共に鳴らされた。目の前に諸悪の根源がいれば掴み掛らんばかりの彼の言葉に、一同は揃って同意を示す。
 目の前のそれは、あまりにも変容し過ぎていた。予知の中ではただの少年だった彼の面影は、顔しか残されていない。むしろ、残されていなければ、異形が少年であった事を悟らせない外見であれば、どれ程良かったか。その容貌に空蝉の悪趣味さを窺わせた。
 それは少年の顔をしていた。首より下はムカデを思わせる節だらけの胴が伸び、そこから無数の手足が生えている。
「酷い――」
 水瀬・和奏(鎧装猟兵・e34101)は思わず息を飲んでいた。立ち上がった宗太少年の胴から延びる無数の手足、その一つ一つが織りなす様相の理由を悟ってしまったのだ。皺の走る腕が、筋肉質な腕が、そして、白磁のような腕が、彼の家族の成れの果てと告げていた。
「宗太――」
「宗太ぁぁぁぁ――」
 ケルベロス達の侵入と同時に立ち上がった肉人形が、己が守るべき存在の名を呼ぶ。
 一つは老人。一つは中年男性の顔をしていた。それが彼の祖父であり、叔父である事を悟ったケルベロス達の表情は悲哀に染まっていた。
 もはや二人が宗太を守る事は叶わない。守るべき少年は既に空蝉によって変容させられてしまっている。
 それでも、二人は自身から生える部位――おそらく、家族だったモノのそれ――を振り乱しながらもケルベロス達の前に立つ。それが、それだけが、二人が、否、二つの肉人形が抱く想いだった。異形と化した今も、異形と化した家族を守る。その義務感だけを、空蝉は残して行ったのだろうか。
(「――空、蝉ぃっ!」)
 しらべの悲愴な叫びに、答えはなかった。

●慟哭
 少年の叫びとケルベロス達の怒声が重なる。痛みに嘆く少年はしかし、ケルベロス達を切り裂かんと、己の腕を、その先に生える爪を振るった。
「僕はやるべきことをするだけだ」
 飛び出し、両刃斧でそれを埋め止めた郷里は淡々と文言を紡ぐ。
 郷里にとって、少年は見ず知らずの存在だ。彼がどのような人物だったかなど、知る由もない。故に気持ちは動かない。目の前の屍隷兵たちは、デウスエクスの作り出した尖兵。それだけの存在だ。
「だから、救おう。歪な生を終わらせることで」
 それが、今、彼らにもたらす事の出来る唯一の、そして絶対の救いなのだから。
「その悲しみも、恨みも、怒りも、憎しみも、全部、貰うから。安らかに、眠って。復讐は、私たちが、果たすから……」
 肉人形から噴き出す毒霧を一身に受け、それでも踏みとどまるしらべの嘆きは囁きの如く響く。
 しらべの髪に揺れる薊の華はその現れだった。数にして15本。それが、復讐の名を抱く彼女の誓い。
「――すぐ、終わらせる」
 少年の抱く痛みも、彼を守ろうと世界にしがみ付く家族たちの痛みも、その全てを終わらせなければいけない。
「コードX-0、術式演算。ターゲットロック。演算完了」
 その為ならば、鬼に戻ろう。泣く子供に武器を振るっていた悪鬼に戻ろう。自身の悲嘆すら演算領域に叩き付け、ノルは表情を歪ませる。
「魂を刻め、刻下刻撃」
 それが、彼の決意だった。白銀のリボルバーから放たれた弾丸は肉人形の肩を穿ち、鮮血を撒き散らした。
「――っ?!」
 穿ったものが人であった証を目の当たりにし、ノルが息を飲む。
「目を逸らしたっていいんだぜ?」
「でも、あんたは……」
 背を支える二人の友人からの言葉は、絶対の信頼が寄せられていた。心を痛め、嘆きを口にしようと、ノルは前を見て進む。それを自分達は知っていると陣内は煌きを纏う蹴りで、グレッグはオウガ粒子の散布による補助を行いながら、友に告げる。
「救いがあるとするならば――」
 雅の振るう白刃は肉人形の身体を抉り、肉片を虚空へ回せる。――彼らに救いなど無い。あるとするならば、彼らが過ちを犯す前に終わらせる事だけだった。
「おぢいぢゃぁぁああんっ。おじじゃぁぁぁんっ」
 苦痛に呻く肉人形を前に、少年の悲痛な叫びが響く。
 オウガ粒子を放出するしらべの視線は真っ直ぐに少年――少年だった屍隷兵――に注がれていた。目を逸らさず、全て見届ける。そう決めていた。
「さっさと楽にしてやる。あんま抵抗すんじゃねぇぞ」
 ルルドの拳は裂帛の気合の下、畳の床に叩き付けられる。彼を中心として放出された振動波は屍隷兵らの足元を襲うものの、肉人形達はそれを跳躍して回避する。
「――っ!」
 短い舌打ち。元々肉体労働は得意ではない。本命の屍隷兵一体にでも当てられただけ僥倖と考えるべきか。
「判ってるでしょ、和奏。……こうするしかないって」
 和奏からの銃弾は、己に言い聞かせる様な文言と共に紡がれる。屍隷兵が、そして肉人形たちが悲鳴を上げる度、その美しい表情が悲痛に歪められていた。だが、それでも、彼らそのものの存在を許容する事は出来ない。打ち砕くしかないのだ。
 判っている。それもまた、ケルベロス達のエゴだと。空蝉に利用される彼らを放置すれば、グラビティ・チェインを求めて近隣住人達を襲うだろう。殺戮劇が繰り広げられる事は間違いない。だが、全てを失った彼らにそれを問う事は出来ない。――二度目の死を迎えて貰うしかないのだ。
 それがケルベロス達の望みの全てで、そして、自分達のエゴの押し付けだと判っていた。
「正直、心折れそうね」
 傷付いた郷里に緊急手術を施すバジルは溜め息と共に言葉を吐き出す。崩壊に向かう屍隷兵達の姿を目に、悲鳴を耳に、咽る様な血の匂いすら脳に焼き付けながら文言を紡ぐ彼女は、共に仲間の治癒を行うグリゼルダの視線に気付いたのだろう。心配かけまいと、それでも気丈に微笑む。
「――心を蝕むからって逃げないわ。毒を食らわば皿までよ」
 毒の文言を強調しながらの台詞に、グリゼルダは頼もしさと悲しさの混じった複雑な表情を見せていた。
「それが、みんなの決意だよ」
「判っています。――でもっ」
 旗を振る聖女の幻影を召喚するユルの言葉に、グリゼルダは言葉を詰まらせる。デウスエクスによる地球侵攻に、同じく侵略者だった戦乙女が何を思うのか。ただ、緑色の瞳に宿るそれが悲哀と憤りである事に、友人として安堵を覚えずにいられない。
「頼むぜ、親友の相棒ッ! 三毛猫キャリーの道具店、営業開始だぜッ!!」
 立ち塞がる肉人形に対峙する響は叩き付ける様にシャーマンズカードを配置する。喚び出したエネルギー体は三毛猫の耳を持つ獣人。ぼえーっと酷い、否、個性的な歌声が破壊音波と化して肉人形の一体を殴打する。重なる黒彪の息吹もまた、同じ肉人形に叩き付けられ、破壊を撒き散らしていく。
「出来るだけ早く楽にしてやるからな。――痛むだろうけど、もう少しだけ我慢してくれよ」
 彼の決意もまた、悲愴な想いで紡がれていた。
 そして、一手遅れ、暗殺者の影が走る。郷里の銃弾は肉人形を貫き、その足を打ち砕いていく。
 それは、終わりの決意を示す一撃だった。
「――終わらせる」
 誰しもそれを願っていた。これ以上、この家族達が苦しむ理由など無いと告げたかった。身勝手な空蝉への怒りを攻撃に転換しながら。

●塵芥の如く
 肉人形の一体がひしゃげ、動きを停止する。浮かぶ苦悶の表情は、利用された無念故か、それとも、再び家族を守る事の出来なかった嘆き故か。
「――ごめんなさい」
 アームドフォートの一斉射撃で止めを成した和奏は胸を押さえ、沸き上がる痛みを抑え込む。
「恨んでくれてもいいぜ」
 獣化した殴打でもう一体を打ち砕いた響もまた、同じの痛みに耐えていた。彼らを助ける方法はなく、ケルベロスに出来る事は殺す事のみ。それが判っていても、現実を受け入れるのは容易ではない。嘆きはしかし、全て終わった後だ。まだ、終わりを迎えていない。
「ああああああっ」
 残された屍隷兵が再度慟哭する。二度も家族を失う事態に浮かぶ張り裂けんばかりの痛みは、確かにケルベロス達が刻んだものだった。
「ああ。俺達は俺達の意志でお前を殺すんだ」
「――君の痛みを必ず、あいつに届ける」
 いっそ残虐な迄の表情を形成するルルドと淡々とした声の郷里が走る。屍隷兵の歪な生を終わらせる為に。
「燃えろ、その宝石が尽きるまで」
 ルルドの拳を覆うのは鉄製の手甲だった。そこから飛び出す影狼の名を持つブラックスライムは屍隷兵の傷口を抉り、侵し、燃やし、駆け巡る。それは濃紺色の焔を想起させた。
 焔が消えぬ屍隷兵を切り裂くのは郷里の振るう刃だった。表皮を、そして肉を切り裂き、断つ一撃に屍隷兵の口から悲鳴じみた叫びが零れる。
「私は至り損ねた者……それでも、深淵の底を覗いたから……出ておいで……生を憎む者達よ、蹂躙の時だ」
 しらべの詠唱が呼び覚ますのは、古き器物達。付喪神の百鬼夜行かくやの行進は屍隷兵の足を穿ち、その蹂躙は出鱈目につなぎ合わされた肉塊を打ち砕いていった。
「これが、うちらの煉獄や。共に眠らんかえ?」
 朱に染まる瞳で終わりを、終末への誘いを告げる。
 嘆きと共に牙が走る。痛みを癒すべく、ケルベロス達の血肉を己が血肉に転じようと伸びる少年の首は獣の如き唸り声と共に治癒の力を振るうグリゼルダへと向かっていた。
「黒彪!」
 間に割って入り、それを受け止めたのは響の命を受けた黒彪だった。
「足裏から毒素を取り込みましょう」
 お返しとばかり、バジルの詠唱が放たれる。詠唱と共に撃たれた黒影弾は屍隷兵の影を侵食。毒となって本体そのものを蝕む。
 慟哭が、悲鳴が木霊した。
「バジルさんっ」
「前を見なさい、グリゼルダちゃんっ。――貴方の役目を果たしなさい!」
 叱咤の声に頷き、グリゼルダが治癒を黒彪に施す。全ての傷を癒す事は出来なかったが、それでも、そこに浮かぶ痛みを緩和する事は出来た。
 視線の先の屍隷兵は次第に追い詰められていく。強力な存在とはヘリオライダーの弁だったが、それも、並みの屍隷兵と比べて、だ。策も連携も、全て用意周到に構えたケルベロスにとって、苦戦する相手でもない。爪を、牙を受け止め、逆にその身を梳っていく。
 そう。家族の絆を冒涜し、作られた屍隷兵にケルベロス達に敗北の理由は無かった。
「これで、終わらせよう。歪んだ命を、解放する。さぁ、眠れ。土に還って輪廻の輪に戻るんだ」
 雅が走る。手に携えた得物は竜を切り裂く為に鍛えた刃。だが、切り裂くのは竜の肉体だけではない。悪しき竜の陰謀すら、その破邪の刃は切り裂く。
「我抱きしは空虚。万物流転、時間逆行、時の門よ開け――」
 右手に降りた呪術師の御霊に導かれ、刃を振るう。ありとあらゆる概念から解き放たれた一撃は、屍隷兵の身体を袈裟懸けに切り裂いた。
「――ごめんな。助けられなかった。ごめんな」
 謝罪に意味が無い事を知っている。嘆きが彼に届かない事も理解している。
 それでもノルは言葉を紡ぐ。
 空蝉は――これを為した悪鬼は宗太を、少年の命をどう捉えていたのだろう。路傍の石か、それとも塵芥の如くか。
 許せない。
 宗太の、そして犠牲になった家族達の怒りを抱き、ノルは引き金を引く。
 銃声は一度だけ、破砕音として響く。吐き出された銀の弾丸は寸分違わず、屍隷兵の眉間を穿っていた。
「――ごめんな」
 慟哭はもう、響かない。
 全てを終わらせ、膝から崩れ落ちたノルの身体を駆け寄ったグレッグと陣内が支える。
「――屍隷兵、動きを止めました」
 光と消えていく屍隷兵を見送るグリゼルダが、ぽつりとその終局を口にする。震える声が、悲しい戦いの終わりを告げていた。

●安寧を
 闇の中、もはや慟哭は響いていなかった。
 当然だ、とグリゼルダは独白する。慟哭するべき少年だったものはもはや、無に帰してしまった。慟哭が響く理由などない。
 ――その筈だった。
 聞こえる声は、ケルベロス達が浮かべる嘆き。悔悟。そして、決意。
 この世ならざるモノと化した為、光と消えた遺体達へ形ばかりの埋葬を施した郷里は、ただ手を合わせる。先の約束、それを違えるつもりは無いと誓いながら。
 手を合わせていたノルとバジルもその誓いに同意を示す。今、この瞬間、空蝉が生む被害者は増えているだろう。――それを、捨ておくつもりは無い。それが、彼らの決意だった。
「願わくば、あの世で家族が再会し、幸せに過ごせればな」
 屋敷を後にしたルルドの呟きに、一同は頷く。死後の世界の有無は死神ならざるケルベロス達の与り知るところではない。だが、そうであればいいと切に願ってしまう。
 その想いは響も同じだった。せめてあの世では仲良く平和にと、願ってやまない。
 そして雅は月に吼える。その声が、彼女の慟哭は、何処まで響くと言うのだろうか。
「誰も、誰も、救えなかった。糞ったれがっ!」
 自身の無力を嘆く彼女の手には、屍隷兵を切り裂いた感触が残っている。竜でも敵でもなく、ここに残る瑕疵は確かに、犠牲者の柔肌だった。
「……いつまでも好き勝手できると思うな!」
 そして、和奏は怒りを紡ぐ。こんな悲しみは一刻も早く、終わらせなければならない。
「静かに眠って……。おやすみなさい。……さようなら」
 しらべが紡ぐは葬送。戦闘の跡を、そして虐殺の跡をすべて、治癒の力で消しながら、それでも嘆きは消え去らない。
 いくら此処を綺麗にしようとも、ここで平和な営みを育んでいた一家はもう何処にもいなく、それを元に戻す事は出来ないのだ。
「あいつは、倒さなければならない」
 空蝉に壊された者を想い、悲痛なまでに表情を歪める。
 それが彼女の抱く誓い。復讐。そして、罪だった。

作者:秋月きり 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 7
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