濁水の底で

作者:深淵どっと


 学生たちの夏休み気分も、ようやく抜けきった頃の事だった。
「ねぇ、あなた達、怪談話は好きかしら?」
 放課後、世間話に花を咲かせる数人の女生徒の元へ現れる、妖しげな影。
 外套を纏ったその女性は、不思議そうに顔を見合わせながらも、思わず頷く女生徒達を一瞥し、話を続ける。
「季節も過ぎ、使われなくなった真夜中のプールにね、出るらしいのよ……プールサイドを歩く人を水底に引きずり込む……異常に長い無数の青白い手が!」
 ゾッとするような不気味な語り口に、女生徒達は引き込まれ、最後には怯えて目を閉じてしまう。
 恐る恐る瞼を開けば、先程の女性はまるで最初からそこにいなかったのように姿を消していた。
「な、何だったんだろう、今の……」
「……ま、真夜中のプールって、うちの学校かな?」
 それは、いつも通りの日常の中で起きた、ほんの些細な出来事。
 しかし、その些細な異変こそが、事件の幕開けなのであった……。


「……そういうのさ、もう季節外れだと思うんだけどよ」
「まぁ、確かに旬は過ぎたな。しかし、ホラーメイカーと呼ばれるドラグナーが動いている事は、事実だ。シュリアくんが調査してくれた噂も、恐らくはヤツが広めたものだろう」
 既に辟易した表情を浮かべるシュリア・ハルツェンブッシュ(灰と骨・e01293)の話を聞きながら、フレデリック・ロックス(蒼森のヘリオライダー・en0057)はその調査結果に改めて目を通す。
 ある中学校に不自然に広まっている怪談話。
 真夜中のプールサイドを歩いていると、プールの中から伸びる手に引きずり込まれ溺れてしまうと言うものだ。
「ドラグナー『ホラーメイカー』と呼ばれるデウスエクスが、自分の作成した屍隷兵を元にした怪談話を広めていると言う事件が発生している。今回の怪談もその一つだろう」
「怪談に興味を持った学生を、屍隷兵で襲ってグラビティ・チェインを確保しようって事かよ、つまんねぇ小細工しやがるぜ」
 シュリアの悪態に賛同しつつ、フレデリックはヘリポートに集まるケルベロスたちに視線を移した。
「キミたちには、このプールに潜む屍隷兵の撃破をお願いしたい」
 敵を誘き寄せるためにも、時間帯は深夜となる。光源があった方が戦いやすいと思われる。
 また、無数の手、と言う事から敵は1体ではないと予想される。屍隷兵自体はそれほど戦闘力の高い個体ではないが、数を活かした攻撃には注意したい。
「万が一、怪談に興味を持った者が近づいてくる可能性も考慮に入れておきたいな。事前に全ての生徒に声をかけるわけにもいかないだろうし、現地で何らかの対処を施す必要があるな」
 その辺りは、ケルベロスたちの現場判断に任せる。と概ねの情報を伝えたところで、シュリアが改めて口を開いた。
「念のため確認しておくんだけどよ……屍隷兵の仕業であって、本物の怪談話じゃないんだよな?」
「あぁ、飽くまで作り物だ。むしろ、そういう曰くが増えないためにも、早急に片付けてしまうべきだろうな」


参加者
春日・いぶき(遊具箱・e00678)
チャールストン・ダニエルソン(グレイゴースト・e03596)
ルリナ・ルーファ(あったかいきもち・e04208)
ニュニル・ベルクローネス(ミスティックテラー・e09758)
クララ・リンドヴァル(鉄錆魔女・e18856)
羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)

■リプレイ


 夜の学校というものは、言うまでもなく不気味なもので、怪談には事欠かない。
 それが、幽霊の出やすいと言われる水場であれば、むしろ出ない方がおかしいのではないだろうか。そんな風に『作られた怪談』を終わらせるために、ケルベロスたちは夜のプールを訪れる。
「あなた達、ここは今からわたし達ケルベロスが調査致しますから、今日は帰りましょう?」
 ホラーメイカーの作り出した怪談に興味を持ってやってきたのだろう。数名の生徒がケルベロス達に遅れてプールを訪れるが、クララ・リンドヴァル(鉄錆魔女・e18856)の穏やかな言葉に顔を見合わせ、慌てて引き返す。
 その後姿を眺めて春日・いぶき(遊具箱・e00678)は少し楽しそうに零す。
「気持ちはわからないでもないですけどね。深夜の学校ってなんだかわくわくしません?」
「私は……あまり近付きたくないですが、やっぱり惹き付けられる人はいるみたいですね。人払いは徹底しましょう」
 確かに、日常と非日常の混在する、表と裏の隙間のような感覚は人々を惹き付けて止まないようだ。
 生徒達が離れるのを確認し、羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)は殺気をプールの周辺に漂わせていく。この気配によって一般人は近づき辛くなる筈だ。
「私達はも念のため辺りを見ておくわ。みんなも、気を付けてね?」
 そして、更に数名でテープを張り巡らせプールを囲み、ユリア・フランチェスカ(オラトリオのウィッチドクター・en0009)を中心に数名が周辺の警戒に当たる。これだけやれば、戦闘中に一般人が紛れ込んでしまう事態は防げるだろう。
「それじゃあ、私もここを離れますが……頑張ってくださいね、シュリアさん。何、いつも通り殴り倒せば良いですよ」
「……当たり前だろ、相手はただの作り物だぜ? いらねーこと言ってんじゃねぇよ、ガキ」
 いつも通り意味深な笑顔の灰木・殯を追い払うように、シュリア・ハルツェンブッシュ(灰と骨・e01293)は蹴りを入れる。
 そう、今回の相手はドラグナー『ホラーメイカー』の作り出した人造デウスエクス。怪談に沿って作られているとは言え、間違っても幽霊などではないの、だが。
「作り話なんて、ちょっと白けるかも。ね、マルコ」
 と、傍らに抱くクマのぬいぐるみを優雅に撫でるニュニル・ベルクローネス(ミスティックテラー・e09758)のような者もいれば……。
「そ、そうだよね、本物のオバケじゃないんだもんね? ……ねっ!?」
「うん、見た目だけだから、大丈夫だよー」
 ぷるぷる震える手で、ボールジョイント式の取り付けライトを角に付けようと奮闘するルリナ・ルーファ(あったかいきもち・e04208)のようにビビりまくりな者もいる。
 寝ぼけ眼をこすりながら、フリューゲル・ロスチャイルド(猛虎添翼・e14892)も改めて補足はする、が……宵月すら映さない澱んだ水面は、確かに恐怖心を煽るには十分過ぎるほど不気味だ。
 まるで、どこまでもどこまでも沈んでいくんじゃないか、そんな予感すら過ぎるかもしれない。
「これが『真夜中のプールで美少女が水泳の練習』、とかだったらよかったんですけどなぁ」
 屍隷兵を迎え撃つ準備は万端。プールから少し離れた位置でチャールストン・ダニエルソン(グレイゴースト・e03596)は軽く笑う。
「チャールストンさん」
「そしてそこから始まる恋物語! ついにおじさんにも春が! え? あぁ、そうですね、仕事仕事――」
 いぶきの声に、視線をプールへと戻すチャールストン。
 同時に、水飛沫と共に無数の細長い何かが水面より飛び出した。
 それは、腕だ。まるで水面から月へ向かうように伸びる青白い腕は、優に5メートルは越える長さである。
「えぇ、お仕事の時間みたいですよ」


 ばしゃばしゃと水をかき分け、プールサイドのケルベロス達に襲いかかる無数の手。手。手。その数計10本。
「うーん、これは……壮観ですね――うわっ」
 霊的な怖さ云々以前に、単純に生理的に悍ましい光景にチャールストンも思わず真顔である。
 その長さはプールの端から余裕でプールサイドをカバーできる程長く、やや後方に構えていたチャールストンや紺にまで届こうとしていた。
「させませんよ!」
 水底に引きずり込もうと伸びる手の群れに、いぶきが立ち塞がる。
 敵の本体が澱んだ水の中に潜んでいることもあり、咄嗟に反撃に転じるには難しいが、仲間を守る事くらいはできるだろう。
 そして、同様にルリナも襲いかかる腕に全身全霊で立ち向かう――が。
「これやっぱりオバケだよね!? 偽物でもオバケはオバケだよね!?」
 開幕数秒で恐怖が臨界点に達してしまっていた。一応、仲間を庇う目的は成功している。
 だが、実際問題どう考えてもこれは怖い。
「ルリナさん、大丈夫、落ち着いてください。焦らなければ簡単に振り解けますよ」
 そんな彼女をクララがサポートし、仲間たちへの被害を抑えていく。
 確かに纏わり付かれれば厄介ではあるが、ケルベロスの力なら水底に引きずり込まれる前に容易に引き剥がせる。
 予想以上のリーチに後手には回ったが、それもここまでだ。
「このままやられっぱなしと言うわけにもいきませんね!」
「ヨク、お願いね! 夜はちょっぴり冷えるからあったかくしちゃっていいよー!」
 伸びる手の合間を見つけ、動き出したのは紺とフリューゲル。
 紺が矛槍をプール上空へと投げ付けると同時に、定位置であるフリューゲルの頭上から飛び降りた文鳥のヨクが杖へと姿を変える。
 拡散する槍刃が豪雨のように降り注ぎ、濁水の底で獲物を待つ屍隷兵に襲いかかった。
 最早、そこは彼らのテリトリーではない。炙り出されるように水面からプールサイドへと飛び出した5体の屍隷兵。そこに杖へ変じたヨクの放つ爆炎が炸裂する。
 一方、爆炎の熱風を遠ざけるように吹く、穏やかな風が仲間たちの身体を癒やしていく。
「……トラウマになりそうですなぁ」
 攻勢に回った隙に戦闘態勢を整えていたチャールストンだったが、炎の中から這い出てきた屍隷兵の姿に、思わず表情を引き吊らせていた。
 先程見えた青白い長い腕、その根本には同じく病的な色を滲ませた人の形があった。
 この腕の長さのせいで脚はほとんど飾りである。両腕を虫のように動かしながら、べちゃべちゃと這う姿は、最早幽霊とは違った意味で怖すぎる。
 いきなり目の前にこれが出てきていたら、流石に驚いていたかもしれない。だが……。
「作り話に用はねぇんだよ!」
 水気をたっぷり含んでアンバランスに崩れた眼孔が攻撃対象を捉えた瞬間、その視界を潰すように緋色が駆け抜けた。
 屍隷兵達を斬り裂くシュリアの緋色は、プールサイドを照らす明かりや炎よりも強く、そして鋭い。
 先手を許すのは最初だけ、とばかりに、ケルベロス達は反撃を重ねていく。
 最初の奇襲にこそ戸惑ったが、チャールストンを始めとした戦列の立て直しも問題は無く、こうして正面からぶつかってしまえば戦力面で劣る事もない。
「キミ達は淑女に対するマナーがなってないね? 少し、『彼ら』と一緒にお勉強をするといい」
 腕の力を使ってニュニルへ1体の屍隷兵が飛びかかる。
 だが、その腕が彼女の身体へ触れるより早く、虚空をステッキが揺れた。
 瞬間、冥府の扉より溢れ出た南瓜お化けが屍隷兵達へ飛びかかる。愉快なリズムに彩りを添えるのは、屍隷兵の呻き声。
 ニュニルへと飛びかかった1体は、瞬く間に彼らの玩具にされ、遊び潰されるのであった。


「さぁて、せめて少しは楽しませてくれよ、なっ!」
 気迫の一声と共に放たれたシュリアの拳が屍隷兵の顔面を捉える。鈍く砕けるような音と共に、フェンスに叩き付けられた1体はそのままぴくりとも動かなくなった。
 流れはケルベロスに向いている。このまま問題無く片は付くだろう。
 だが、屍隷兵はそんな劣勢など気に留める事もなく、ただただ目の前の獲物へとその腕を伸ばし続けていた。
「いつの間にか、すっかりジャンルが変わってる気がします」
 怪奇現象ものかと思って蓋を開けたらゾンビ映画だった、そんな気分になりつつ、紺は影の弾丸を撃ち込んでいく。
「手短に片を付けましょうか、これ以上濡れるのもいただけませんしね」
「同感だね。と言っても、少し遅いかな……」
 狙うは各個撃破。紺の放った弾丸に続き、いぶきとニュニルの攻撃が更に1体の屍隷兵を沈める。
「まぁ、下に水着を着てきたのは正解だったかな」
 持ち上げた服の端から覗くのは、今年新調したばかりの青色の水着。
 時期が時期なら、プールで泳ぐのも悪くはなかったが、今日は残念ながら精々防水対策が良いところだろう。
 残る屍隷兵は後2体。その内の1体も、フリューゲルの剣から放たれるオーラに晒され凍りついていく。
 そして、悪趣味な氷の彫像と化した屍隷兵を、チャールストンの弾丸が粉々に砕く。
「はい、これでおしまい、と……さて、後1体ですが」
「あぁ、それならあっち、だけど……な、何だか大変な事になってるね?」
 最後の1体は、2人からプールを挟んで対岸側のプールサイドにいた、が……そこにはフリューゲルの言う通り、屍隷兵の存在が霞む程の異様な光景が広がっていた。
 端的に述べると、ゆるい雰囲気で荒ぶる巨大な羊で溢れていた。どうやらルリナが召喚した幻影らしい。幻影ではあるが、その羊神の争いに巻き込まれて屍隷兵は何だかもみくちゃになっている。
「これは……とどめを刺してよいのでしょうか?」
「お願いクララさん!」
 戸惑うクララに、やや遠目から届くルリナの声。
 もふもふぶつかり合う羊神を掻い潜り、クララは紫の光刃を最後の屍隷兵へ突き立てる。
 すっかり弱りきっていた屍隷兵の息の根はその一撃で止まり、長い腕がだらりと力無く地面に落ちる。
「……えぇっと、終わった、みたいです」


 屍隷兵との戦いが終わり、羊達も何だかんだ満足したのか消えて行く。
 夜相応の静けさが戻ったところで、クララは身に付けていた長手袋をふわりと落とした。
「……終わった? もうオバケいない?」
 一拍遅れて、ルリナの震えた声。羊を呼んだ本人は、それどころではなかったようだ。
「終わりましたよ、もう大丈夫です」
 未だ警戒する彼女を安心させるように、クララは優しく声をかける。
「さて、と……八月の昼下がりなら泳いで帰るのも良さそうだけど、流石にこれじゃ厳しそうかな」
 ニュニルの視線の先には、戦闘ですっかり散らかってしまったプール。
「きっと来年も使うプールですよね。壊した箇所は補修しましょう……それと、噂の青白い手は退治された事も学生さん達に伝えないといけませんよね」
「あ! それなら、ボクちょっとこの辺りを見てくるよ。まだ近くにさっきの人達もいるかもしれないし、テープも回収と……ユリア達にも教えてこないとね!」
 いぶきの提案にケルベロス達はそれぞれ、プールの補修へ移る。
 そして、フリューゲルは元気に駆け足でプールの外へ。普段ならとっくに寝ている時間だが、激しく体を動かしたお陰で眠気はすっかり覚めているようだ。
「子供は元気だなぁ。ま、ちょっと物足りないが、良い運動にはなったかな」
「いやいや、ハルツェンブッシュさんも元気さでは中々……しかしこれ、使わないなら水抜いちゃあ駄目なんですかね?」
 そうすれば、そもそもとしてこんな事件は起きなかったのでは。シュリアと一緒になって仕事後の一服を楽しみながら、チャールストンは思う。
 まぁ、恐らく学校側にも都合があるのだろう。きっと、抜いてたら抜いてたで排水口に潜む何とかとか言い出すに決まっている。
「何にしても、今回は無事に終わってよかったです」
 一歩間違えば、あの生徒達が犠牲になっていた所を未然に防げたのだ、紺の言う通りかもしれない。
 しかし、この静かな夜空の下、今日もホラーメイカーはどこかで怪談と屍隷兵を生み出している。
 本当に犠牲者を無くすためにも、いつかは必ず、それを止めなくてはならない。

作者:深淵どっと 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 8
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