歪なる工作

作者:林雪

●悪夢のバースデー
「お父さんお誕生日おめでとう!」
「おめでとー」
「ぱぱおめれとお!」
 孝之が会社から帰宅するなり、娘3人が派手にクラッカーで出迎えた。
「うわびっくりした……耳がキーンってなったじゃないか」
「何それ、もっと素直に喜びなよ」
「おばーちゃんの言った通りだったね」
 長女の美央と次女の美羽が、大人びた口調でそう言うと、祖母がニコニコと頷く。
「そうなのよ、孝之は子供の頃から素直じゃなくてね」
「何だ、母さんまでグルか……」
「ぱぱ、おみみきーん!」
 末娘の美亜を抱っこしながら、孝之はキッチンへ向かう。
 そこへ。
「ただいまーっ! お寿司到着!」
「え?! み、美弥子!?」
 いつもは仕事で22時まで帰らないはずの妻の声に驚く孝之に、美央がしれっと解説した。
「ママ、今日定時で上がらせてくれなかったら資料全部破棄しますって上司の人脅したって言ってた」
「な、なんてことを……」
「おしゅしー!」
 美亜が孝之の腕から飛び降りて、走り出す。後を追って皆で玄関へ向かった。
 だが。
「え……?」
 立っていたのは美弥子ではなかった。正確に言えば、美弥子は玄関に屍となって倒れていた。
『ひいふう……女ばかりか。いや、男がひとり。ではこれが土台だな』
 傀儡使い・空蝉は酷薄な目で孝之と家族を見回す。手には美弥子の血のついた刀を持ったまま。
「ヒェッ……!」
 腰を抜かす母、娘たちも何が起きたか理解できず、立ち竦む。
「ま……ママ……?」
「美央、美羽。美亜連れて二階に行きなさい。おばあちゃんはパパが……」
『行かせない。誰も、どこにも行かせない。お前たちには永遠に傀儡となってもらう』
「い……いや、パパ、パパあーッ!」
『心配ない、すぐにひとつにしてやろうぞ』
「娘たちに手を出すなァあっ!」
 あっという間の凶行。孝之の絶叫虚しくほんの数分のうちに家族を皆殺しにした空蝉は、歪な肉塊を取り出すと孝之の斬り裂かれた腹にそれを埋め込んだ。そして手足をもぎ、そこに妻の腕を、娘の足を……。
 悪夢の工作が終わり、空蝉はその場から姿を消した。残されたのは。
『オォオ……、お、オ……』
 生まれたばかりの屍隷兵は、ひどく悲しげな咆哮をあげるのだった。

●一家惨殺事件
「絶対に許せない。こんな奴をのさばらせてはおけない」
 ヘリオライダーの安齋・光弦は静かに怒りを滾らせて事件を語り始めた。
「強力な屍隷兵を作るには、仲の良い家族を材料にするのがいいと考えた狂った奴が現れた……螺旋忍軍の傀儡使い・空蝉ってヤツ。残念ながらこいつの凶行そのものは止められないけど……生み出された屍隷兵が更に人殺しをしてしまうことくらいは止められるはずだ」
 空蝉はなるべく仲の良さそうな家族を狙って惨殺し、その身体を材料にして屍隷兵を作り出す。いかに元が人間であっても、屍隷兵になってしまった今、意志など関係なく近隣の人間を殺してグラビティ・チェインを奪うだろう。
「明るくて賑やかで……近所の人たちともとても友好な関係を築いていた家族だったそうだけど……きっちりと撃破して欲しいんだ。彼らはもう、屍隷兵でしかないから」
 悲劇の連鎖を断ち、被害者をひとりでも少なくする。それが今出来る精一杯の事だと光弦はまっすぐにケルベロスたちを見た。
 現場は都内、北区の郊外。空蝉が押し入ったのは二世帯住宅で、被害者は内藤孝之とその妻美弥子、孝之の実母の依子、そして美央、美羽、美亜の三姉妹の計6人。玄関で両親と祖母を殺し、父親の死体を引きずりながら、二階に逃げた子供たちを追い詰めて殺したようだ。
「父親の身体をベースに、家族のパーツを組み込んで作られた身長3メートルほどの屍隷兵と……その残りを寄せ集めて作られた比較的小さい屍隷兵が3体いる。戦場は惨殺現場の家の中だ。被害者たちの変わり果てた姿が他者の目に触れる前に、撃破を」
 淡々と告げたつもりだが、光弦も説明しながらそのおぞましい事実に声を詰まらせた。が、これが自分の仕事だと気を取り直す。
「正直、気分のいい仕事じゃない。でもケルベロスにしか出来ない仕事だ。頼んだよ」


参加者
守屋・一騎(戦場に在る者・e02341)
スヴァルト・アール(エリカの巫女・e05162)
火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)
鏑木・郁(傷だらけのヒーロー・e15512)
リリス・セイレーン(空に焦がれて・e16609)
アーニャ・シュネールイーツ(時の理を壊す者・e16895)
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
差深月・紫音(死闘歓迎・e36172)

■リプレイ

●惨劇
「……心配要らない。誰にも、見せないから……」
 突入する前に、と守屋・一騎(戦場に在る者・e02341)はバイオガスを振り撒いてその家を覆い隠した。被害者の家族の姿を、近所の誰も目にすることのないように。もはや人ではなくなったその姿ではなく、生前の仲のいい親子の姿だけが人々の記憶に留められるようにとの祈りを籠めて。同時にスヴァルト・アール(エリカの巫女・e05162)と差深月・紫音(死闘歓迎・e36172)の手によってテープが張り巡らされ、玄関口が塞がれる。
「そちらは?」
「済んだよ」
 スヴァルトの視線の先には、裏口にテープを張り終えた火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)がいた。朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)も念入りに、間違ってもテープの内側に一般人が残っていないかどうかを確かめる。
「ひな、……」
 鏑木・郁(傷だらけのヒーロー・e15512)は恋人であるひなみくの様子をそっと伺った。前だけを見ている彼女の目が、怒りに燃えているのがわかる。無茶な事はして欲しくないが、気持ちは郁とて同じだ。
 やりきれない気持ちは、ここからが本番だった。
 家に入ったケルベロスたちの目の前に広がったのは、惨劇と呼ぶ以外ない光景。玄関には足を取られかねないほどの血溜まり、天井まで飛び散った赤。そして人を引きずったのだろう筋も、やはり赤い。人間の中にはこんなにも沢山の血が流れているのかと、目を覆いたくなる光景。
「……!」
 環が絶句する。よろめく環の身体を支えるように手を伸べつつも、アーニャ・シュネールイーツ(時の理を壊す者・e16895)もまた唇を戦慄かせていた。
「こんな……こんな酷い事って……」
 ただ幸せに、平和に暮らしてただけの家族から突然奪われた日常。
「こんなこと、許されていいはずがないわ……」
 リリス・セイレーン(空に焦がれて・e16609)の紫の瞳が揺れる。リリスの記憶にはない、家族というもの。彼女のイメージの中に、何よりあたたかくて優しいもの、尊いものとして刷り込まれているそれを、文字通り引き裂いたデウスエクスの所業は到底許されない。
「……っ」
 一騎が苦虫を噛み潰したような顔をする。こんな事件を引き起こしておいて、首謀者の空蝉はどこかでのうのうと成り行きを見守っているのに違いないのだ。虫酸が走る。遭う事があれば、生きている事を後悔させてやる。
 玄関を過ぎ、部屋の奥へと進む。目指す相手は探すまでもなく室内にいた。
 男性らしき身体をベースに、アンバランスな四肢が組み合わされ、無理矢理盛った肉はこの世ならぬシェイプを描く。
 身の丈3メートルはあろう、不完全なる神造デウスエクス、屍隷兵。その足元に、腰までくらいの背丈のやはり屍隷兵がチラチラと動いていた。千切った身体のパーツを粘土にでも刺すようにして作られた醜い姿、しかもそのパーツの端々は、それが元は幼い子供であった痕跡を生々しく残しているのだ。
「Anja……、Erja……」
 冷静さを保つつもりだったスヴァルトの口から、思わず零れたのが誰の名であるのか。幼く遠い過去の暴力的な記憶が、彼女の脳内で一瞬暴れた。皆、それぞれに弱い部分を揺さぶられながらも、今は戦いに向き合わなくてはならない。つらい任務だった。
「これだから……命を弄ぶ奴はいけすかねぇんだよ……」
 室内に散ったドス黒い赤を見遣っていた紫音が口を開いた。紫音の目端にさした紅とは似ても似つかぬ、闇に汚された血の色。生きた血を流し合う死闘をこそ楽しむのが彼の望みであって、一度死んだ者の肉を捏ねるような真似に心が躍るはずもない。
「……ごめんね」
 じっと、倒すべき敵である屍隷兵を見つめていたひなみくの表情が、一瞬幼子のように歪む。こみ上げる悲しみを、怒りで捩じ伏せたそれ。果たすべき任務を果たすだけ、それでも詫びずにいられない。
「せめて、せめて人を傷つける前に……私たち、もう、それしかできないから……」
 滲みかける視界を必死に拭い、環は戦闘配置につく。
 今からケルベロスたちは、この、6人家族を元にして作られた歪な敵を倒さなくてはならない。

●肉体と魂
 大型の屍隷兵が、壁になるように、前へ。その背に隠れて3体の小型が、身を寄せ合うように。
 もはや、元の家族ではない、人ではないものだとわかっていても尚その面影が見えてしまうのは心ある者ならば仕方のない事だった。
「……っ、いくぞ……!」
 胸の痛む光景にも、郁の中の正義は目を逸らすことを許さない。殺された人たちは、もっとずっと痛くて苦しい思いをした。
(「この程度の痛みに、俺が耐えられないでどうする」)
 郁が繰り出した如意棒は、小型の胸を真っ直ぐに突いた。奇妙にひしゃげた悲鳴を上げて簡単にバランスを崩した小型屍隷兵の隣で、大型が慟哭した。
『ガァ……!』
「……貴方がたをそんな姿にした者は、我々番犬が、鎖で地獄へ繋ぐと約束しましょう」
 乱れた心を胸の奥に仕舞いこみ、スヴァルトは御業を呼び出し目の前の『敵』を倒す戦いに臨む。
「……好きに恨むといい。私たちを」
 大型屍隷兵の唸る声から顔を逸らすようにして、環が黄金色の果実の力で仲間を守護する。仲間も、きっと屍隷兵にされた家族たちも苦しんでいる。その心の痛みに苛まれつつもアーニャは息をつめて前を向く。
「終わらせ、なくては……それが出来るのは、私たちだけだから……!」
 エネルギー光弾の反動がアーニャの身を揺らし、浮かんだ涙を散らした。お願いだから、これ以上傷つかないで欲しい。そう願いながらも攻撃を仕掛けなければならない矛盾がアーニャを苦しめた。
「……タカラバコちゃん、お願い」
 いつになくそっと、ひなみくがミミックのタカラバコに額を寄せる。戦いは戦い、手を緩めないが、敵の同士討ちを誘う攻撃だけは控えるよう指示を出す。リリスが足止めにと飛び出すのに合わせて、タカラバコも大型に張り付いた。
「私は……」
 ひなみくが謳う言葉は記憶に遮られる。
 パパと、ママは。混ぜられた。
「謳おう、世界を――」
 パパと、ママは。あの日、死神に。
 緑の目の、碧の眼の、翠の眸の怪物。来て。
「うあぁああぁ!」
 ひなみくの目に異様な光が宿り、次の瞬間、振りかぶった拳は小型の1体にめり込んでいた。
『ギャ、ヒィ!』
『グァアアア!』
 攻撃を受けても受けても両手を広げるばかりだった大型屍隷兵が、小型を攻撃された瞬間、悶絶するような悲鳴を上げた。
「もう……もう!」
 環が両耳を塞ぎたいのを堪えて首を横に振った。シャッと空を切り裂くような咆哮で紫音がそれをかき消した。
「……少し静かにしてな。こっちも急ぐからよ」
 戸惑い、たたらを踏む大型に一騎が足払いをかける。接敵の瞬間、どうしても拭えない心が敵である屍隷兵の姿を通して、一家の父親だった男に話しかける。
「……きっと貴方も」
 守りたかった。愛する子供たちを。どこにでもいる、当たり前の父親の愛情は死して道具にされて尚、その大きさを誇示するのだ。同情を禁じえない、それでも、一騎は退けない。そこだけは揺るぎない。
『……ガァアオオオ!』
 大型が千切れそうに腕を振りつつ、吼えた。今度こそ環が蒼白な顔でそれを真正面から聞いてしまう。しかも。
『ヴゥ……ヴ……』
 ずっと大型の後ろに隠れていた小型が一斉に飛び出し、環とアーニャの腕に纏わりついた。
「あいつが盾、他がお邪魔役か……」
 紫音の見立てはどうやら間違いなかった。攻撃の為の布陣と言うより、ただ生きようともがく屍隷兵たち。
「あ、あ……」
 その力は、決して強くはなかった。簡単に振りほどけそうなのに、それなのに。
 ヤメテヤメテ。モウヤメテ。
 そう訴えかけたのは、自分か彼らか。
「ごめんなさい……力が足りなくて、ごめんなさい……」
 アーニャもまた、腕に纏わりつく敵を敵として見られずにいた。それを振り払おうと、ひなみくが叫ぶ。
「……そいつらは敵、人だったけど、もう敵なんだ!」
 が、その声はキャァア! というもう1体の小型の奇声にかき消された。
「……っ……」
「ハアッ!」
 郁の真っ直ぐな拳が、容赦なく小型を殴り飛ばした。同時にスヴァルトが環の腕に纏わりつく1体を引き剥がし、気を籠めたオーラを環に注ぎ込む。
「同じことを繰り返させないこと……それが、残された者の務めです」
 一瞬スヴァルトの声がひどく寂しげに聞こえて、環が金色の目に力を取り戻す。
「そうだよ、私たちがやらなきゃ誰が!」
 続いてアーニャが、ひなみくが呪縛を振り払って立ち上がる。
「……これ以上、この家族を苦しませるわけにはいかないっ」
「わたしは、あなたたちをブチ殺す!」
 キャノンが大型を狙い撃ち、ミサイルの雨が小型3体に降り注いだ。叶うなら、なるべく同時に葬ってやりたいとひなみくは先に郁が吹き飛ばした個体に攻撃を畳み掛けた。
「Bloom Shi rose. Espoir sentiments, a la hauteur de cette danse……」
 リリスが呼び出すのは幻の薔薇、それでも甘く香りを放つ。もはや戻らない時を、戦場を嘆く心を優美な舞いに隠してリリスもまた小型に攻撃を続ける。
 紫音が頭上高く掲げた手の先に、無数の刀剣が現れる。化粧に負けぬ鮮やかさの紅の着物が戦場にはためき、落とされた剣はその色を映して煌く。
「……死んだら終わり、それですべてじゃねぇか。そこを覆すってのはいただけねぇよ、なぁ?」
 誰よりも軽妙な調子で敵に語りかける紫音の平静さは、どこか狂気を孕んでいながら仲間たちの心を支えた。
 憎んでいい。恨んでいい。呪って、罵って、全て吐き出してくれればという自分の想いは、親子の情の前に無力であるのだと一騎は思い知る。彼らは怒ってなどいないのだ。ただ嘆きによって歪んだ形に再生された命を浄化しなければ、痛みは終わらない。
「戦うしか、出来ない」
 一騎の放ったブラックスライムが、全てを浚うように敵に食らい付く。
 決着に、そう時はかからなかった。大型は牽制から徐々に蓄積された攻撃で、徐々に足元が覚束無くなる。振り回した、父母の腕も、だらりと力なく下に下がる。
「……もう、終わりにしましょうね」
 スヴァルトが、何故か幼子に語り聞かせるようにそう告げる。
「……ッ、フル、バースト……っ!!」
 時を巻き戻せたなら。アーニャの悲痛な願いと共に放たれたテロス・クロノスが小型のうちの1体を撃破、間髪入れずにリリスが放った炎の蹴りが2体目を粉砕。
 もはや声にもならぬ呻きを怨嗟の如く、悲鳴の如く発しながら最後まで大型は小型の前から退かず、小型もまた、ケルベロスたちの攻撃を妨害しようと動いた。
「また会う事がありゃ、今度はもっと楽しく死合いてぇもんだな……」
 悲鳴を上げる最後の小型を、紫音の剣が切り刻んだ。崩れながらも吼える大型に、引導を渡したのは。
「この一撃で終わらせる……!」
 終炎。郁の炎の大剣が大型の胸を重く貫き、そうして不幸なる魂はようやく、全てから解放された。

●家族
 怒りを力に変えて戦う、と思いつつも今はそれが揺らぐ。この家族を襲った惨劇の前に、怒りは果たして意味を為すのか。
「せめて、みんなが幸せな時間を過ごしていた形で残したいの」
 そう言って、リリスは壊れた壁や床をヒールしていく。遠からず、惨殺現場として処理されるだろう家だとわかってはいる。それでも、己の家族を知らないが故に家族というものへの憧憬が人一倍強いリリスは、思いやりをかけずにはいられない。そんな姿がスヴァルトには一層痛ましく見えてしまう。出来ることなら、もはや誰の目にも触れぬよう、全て燃やしてしまいたい程に……そんな思いで、部屋の窓外をふと見遣る。
(「……どこかで、見ているのなら」)
 スヴァルトの瞳が尖る。こんな胸糞の悪いやり方をする奴は、必ず叩き潰してやる。今は姿の見えぬ敵に、無言で宣戦布告する。
 弔いをしてやらなきゃな、と紫音は庭へ向かう。
「どんな形であれ、俺たちが終わらせた命だ……」
 墓を作ってやりたい気持ちはあるが、ここで出来る事は限られる。ふと、小さな庭に作られた花壇に目が行く。三姉妹が植えたのか、凛と赤いサルビアの花がそこに揺れていた。寄り添って咲く姿が、家族のそれに重なる。環がゆっくり歩み寄って、花の傍らにしゃがんだ。
「こんな思いさせたくなくて……、ケルベロスになったのにな……」
「……」
 堪え切れなかった涙が、ぽろぽろと環の頬に零れ落ちる。力のなさに打ちひしがれ、膝を抱いて座り込む環の背に、紫音が黙ったままぽんと手を置いた。いつしか庭に出てきたリリスが、花壇に向けて持参していた花束を置く。寂しい花園にならぬよう、その魂が安らぐよう。
 アーニャもまた、庭へ出て空を見上げた。秋の空は悲しい程に澄み、きっと家族の魂はこの空を通って天国へ行くのだと信じたくて。
「また、一緒になれるように……」
 静かに祈り、涙を流すアーニャの傍らでは、一騎が佇んでいた。アーニャの腕に絡み付いていた屍隷兵の、細く曲がった腕を引き剥がした感触は、当分忘れられそうにない。
「……次、は」
 皆幸せに。そう続けたかったはずの一騎の言葉は、喉につかえて出てこなくなってしまう。次って何だ。幸せに生きていた時を奪われた人たちに、次も何もない。今出来る事は本当に『次』の犠牲者を減らすことだけ。守れない力には何の意味もない……のしかかる無力感を振り払って、一騎もまた遠い空を見る。
 弔いの言葉も詫びの言葉も口に出来ず、郁にすら背を向けてただ唇を噛んでいたひなみくが、漸く口を開いた。
「郁くんが、あの人たちを殺してくれて、良かった」
 黙ってその背を見守っていた郁が、短く答える。
「……うん」
「……許せない。……許せない……」
 何が良かったのか、何を許せないのか、郁には全てが鮮明に伝わった。彼らの姿を見ている事すら耐えられない程に、痛みを分かってしまった傷ついた心、この悲しみを生み出した最悪の敵、空蝉への怒り。
「俺も、許せないよ。ひな」
 人を殺し、仲間の心を傷つけ、郁の大事な人の唇を血が滲むまで噛締めさせた。
「……あいつを許さない」
 血と涙に濡れた戦場で、心傷つき、涙し、戦う事でケルベロスたちはそれぞれに確信した。一日も早い空蝉の撃破。それだけが自分たちに出来る弔いなのだと。
 サルビアの花は、静かに秋の風に揺れるだけ。

作者:林雪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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