砕けたカップと最期の想い

作者:そらばる

●断たれた未来に甘い誘惑
 一瞬の、激しい頭痛。
 白手袋の手元から、上品な食器が床に落ち、儚い音を立てて割れ砕ける。
(「ああ、お嬢様のお気に入りのカップが……」)
 ぼんやりと、それでいて冷静に嘆きながら、尊の体は前のめりに床へと倒れた。
 激痛はすでに過ぎ去り、しかし全身に感覚はなく、指一本とて動かせない。視界はみるみる暗くなっていく。
 自身の体に何が起きたのか、よくわからない。だが、唐突で理不尽な、けれど何者の悪意も介在しない死が、急速に自分を蝕んでいくのだけは、はっきりと実感した。
(「最期に……一目だけでも……」)
「さ、ゆ、り……お……じょ、う、さ……」
 尊の瞳は床に転がるカップの残骸を見つめたまま、ほどなく光を失った。

 若い身空で命を落とした執事を見下ろし、薄ら笑む女怪が一人。
 死神、エピリア。
 深海魚型の死神達を周囲に侍らせ、エピリアは転がる死体に『歪な肉の塊』を埋め込んだ。
 死体は肉体を蠢かせ、ボコボコと質量を増しながら、ぎこちなく立ち上がる。
 細面の執事の死体から新生したのは、醜い瘤に覆われた歪な肉体の、鬼の如き巨躯を持つ、生前の姿とは似ても似つかぬ屍隷兵だった。
「あなたが今、一番会いたい人の場所に向かいなさい」
 呆然と立ち尽くす屍隷兵に、エピリアは言った。
「会いたい人を、あなたの手でバラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう。そうすれば、ケルベロスが2人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう」
 甘い毒のような誘惑を吹き込むと、エピリアはあっけなく姿を消した。
 深海魚型死神と共に残された屍隷兵は、のろのろと動き出す。
「…………ォ、ジョウ……サ……」
 瘤にまみれ、醜く肥大化した両手が、割れ落ちたカップを大切に握りしめた……。

●執事とお嬢様
「ミスタ・尊は、『お嬢様』を深く愛していらしたのね……」
 自身の危惧が的中してしまった事も含めて、メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)は凄惨な予知の内容に表情を曇らせた。
「左様。そこを死神に付け込まれたのでございます」
 戸賀・鬼灯(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0096)は神妙に頷き、事件の概要を改めて語り始めた。
「所はとある資産家の豪邸。令嬢付きの執事を務めておりました尊さんが、突発性の病にて亡くなりました。おそらく、脳卒中に類する症状であると思われます」
 周囲に人はおらず、彼は誰に気付かれる事もなく死亡した。
 そこに現れるのが、死神エピリア。尊の死体を屍隷兵へと仕立て上げ、尊の愛する『お嬢様』を殺すよう命じてしまう。
「屍隷兵と化した尊さんは、知性を殆ど失ってございますが、唆されるままに『お嬢様』――小百合さんの元へと赴き、彼女をバラバラに引き裂かんと動き出します」
 この事態を捨て置けば、尊は小百合を殺し、尊に殺された小百合もまた、エピリアによって屍隷兵とされてしまうだろう。
「悲劇を連鎖させてはなりませぬ」
 毅然と、鬼灯はケルベロス達に訴えかける。
「屍隷兵と成り果てた尊さんを、元に戻す事は叶いませぬ。ですが、せめて愛する者を手にかける悲劇に至る前に、皆様の手で、引導を渡して差し上げてください」

 屍隷兵と化した尊は、屋敷の別館最上階にある小百合の私室を目指し、廊下を徘徊する。
 事は別館で起きる為、離れた本館に詰める他の使用人達は異変には気づかないし、別館にも近寄らない。避難誘導・人避けなどは不要だ。
 しかし、最大の懸案である小百合の身柄の確保は、そもそも事前に行っている暇はないという。
「小百合さんは別館の異様な雰囲気に気付き、様子を探りに私室から出て来た所を、別館最上階の廊下にて尊さんと鉢合わせしてしまいます。皆様が駆けつけられるのは、早くとも、彼女が長い長い廊下の遥か先に、屍隷兵の姿を視認した直後になりましょう」
 ケルベロス達はこの二者の間に立ちふさがり、戦闘を行う事になる。
 敵は屍隷兵と化した尊と、深海魚型死神が二匹。エピリアはすでに痕跡も残さず立ち去っている。
「深海魚型は屍隷兵を守る形で行動致します。屍隷兵は常に両手を合わせて握りしめた状態で行動し続けております。拳で薙ぎ払う、拳で叩き潰す、足で踏み潰す、などの単純な攻撃を行って参りましょう」
 深海魚型はもちろん、屍隷兵自体の戦闘力もさほど高くない。しかし屍隷兵の向かう先には『お嬢様』がいる為、万一にも突破されぬよう、それなりの立ち回りは必要だろう。
「失われた命を、今際に愛する人の姿を求める純粋な想いを、無残に踏みにじる……かくなる非道を、決して見過ごせはできませぬ」
 鬼灯は重たげな睫毛をいっそう伏せ、沈痛に言葉を紡ぐ。
「愛する人を、その手にかけさせぬ為……尊さんを、どうか止めて差し上げてください」


参加者
綾小路・鼓太郎(見習い神官・e03749)
据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)
螺堂・セイヤ(螺旋竜・e05343)
メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)
ジャック・スプモーニ(死に損ないのジャック・e13073)
月岡・ユア(月歌葬・e33389)
月見里・ゼノア(鏡天花・e36605)
赤橙・千宙(見習い刀剣士・e40290)

■リプレイ

●襲い掛かる悲劇
 ……屋敷の様子が、いつもと違う。
「どうしたのかしら……」
 言い知れぬ予感に突き動かされて、小百合は廊下に出た。異様に静まり返った廊下に、小百合の足音だけが響いていく。
 やがて角を曲がり――遥か正面に、見たこともない異物を発見した。
 辛うじて人の形をして見える、醜悪な、瘤だらけの化け物。
「え……っ」
 小百合は口を覆って絶句した。しかし遠目では本当にそれが化け物なのか、確信を持てない。
「ど、どなたでいらっしゃいますか……わたくしの邸宅に、どのようなご用件でしょう……?」
 気を取り直し、小百合は精一杯に呼びかける。今この別館の主人は自分なのだからと、自身に言い聞かせながら。
 意を決して歩を進め始めた所で、遠くから騒々しい複数の足音が聞こえてくるのが分かった。さらなる異変に小百合が身構える間もなく、前方にある中央階段から、突如、背に翼を生やした人影が躍り出た。
「無事か……まだ距離は十分あるな」
 小百合の姿を認めてぶっきらぼうに呟くと、突如現れたドラゴニアン――螺堂・セイヤ(螺旋竜・e05343)は、小百合を背に庇う形で、正面の異形へと向き直った。
「はーい通行止めでーす、申し訳ありませんが止めさせてもらいますよ」
 階段を駆け上がった勢いのまま、ズサーッ!と異形の進路に立ちふさがったのは月見里・ゼノア(鏡天花・e36605)。
 それに続いて、ケルベロス達が続々と廊下に馳せ参じる。招かれざる珍客達に、小百合は寸暇身を怯ませ、目を白黒させつつも、いっそう歩みを速めようとした。
「あ、あなたがたは一体……」
「ケルベロスです。お嬢さん、それ以上は近寄らないでください」
 紳士的に呼びかけたのは、据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)。
 その一声で、小百合は呑み込みよく、素直に足を止めた。
「では、あれはデウス――」
「ぉ……ォ、ジョゥ、サ……」
 小百合の言葉を遮るように、異形が不気味な声を上げた。
「ざ……ゅ……り……ォ、ジョ……ゥ、ザ……」
「えっ」
 自身の名を呼ばれた事に、小百合が動揺を見せた。予感を秘めた眼差しが、否定を欲してケルベロス達へと向けられる。
 取り出した香に火を近づけながら、赤煙はそっと目を伏せた。焚かれた煙が、匂い立つように周囲へ広がっていく。
「彼の言葉は貴女を呼んでいるのではありません……死ぬ間際に思った言葉を、死神が繰り返させているだけです」
 決定的な言葉はなくとも、小百合が真実を理解するには、それで十分だった。
 聡明な令嬢は声なき悲鳴を上げながら口元を両手で覆い、後ずさる。今にもその場に崩れ落ちてしまいそうに震える体を、傍らに駆け寄った近衛木・ヒダリギ(森の人・en0090)がしっかりと支えた。
「お嬢さん、とても辛く悲しいでしょうが……彼を救う事にもなりますので辛抱を」
 南瓜のマスク越しに小百合をまっすぐ見つめながら、ジャック・スプモーニ(死に損ないのジャック・e13073)は言い聞かせる。
「……難しいとは思いますが、あの方の主として、泰然としてお待ちください」
 綾小路・鼓太郎(見習い神官・e03749)は痛ましげに顔を曇らせながらも、主たるもののあるべき態度を小百合に請う。
 小百合はもはや言葉もなく、立つのもやっとといった態。彼女を支え、戦場の外に残るヒダリギへと、セイヤは端的に呼びかける。
「万が一敵が抜けた時には、頼む」
「わかってる。……気をつけて」
 ヒダリギが神妙に頷き返すと同時に、戦場は煙に包まれ、閉ざされていく。残酷な現実から、小百合を少しでも遠ざける為に。
 涙に歪む異形の姿を、それでも小百合は、煙が完全に視界を遮る最後の瞬間まで、食い入るように見つめていた……。

●煙の向こうの死闘
 赤橙・千宙(見習い刀剣士・e40290)にとって、これが初めての依頼だった。緊張と不安を隠しきれず、そのうえ小百合と尊の悲劇とあって、常日頃からの困り顔が輪をかけて暗い面持ちでいる。
 見かねて、ゼノアが飄々と声をかける。
「大丈夫ですか? あんまり気負わない方がいいですよ~」
「あっ、あああごめんなさい、お気遣いありがとうございます……!」
 慌てて礼を返し、千宙は大きく深呼吸をした。
(「落ち着いてやればきっと大丈夫……」)
 息を吐き切った瞬間には、普段の情けない表情はきっぱりと消え、隅々にまで気合が充溢していく。
「お嬢様と執事の身分違いの悲恋……これがロマンス小説だったらハッピーエンドなのでしょうけど、現実はそうじゃなかった。……哀しいわね。しかもエピリアに悪用されるなんて」
 メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)はやるせなく眉をひそめた。
「死者の想いを弄ぶなんて赦されるコトじゃない」
 死神が作り出した歪な姿を正面に見据え、月岡・ユア(月歌葬・e33389)が呟く。
「突然の死は悲しいね……けど、コレ以上先には行かせられない」
 宙を泳ぐ深海魚型死神を引き連れ、のろのろと歩み進める屍隷兵は、しかし一瞬たりと立ち止まる事なく、小百合を目指している。ぶくぶくと瘤に膨れ上がった肉の下に埋もれながら、辛うじて覗ける瞳に宿るのは――主への、縋るような想い。
「ォォォ……ジョゥ……サ……」
 鼓太郎はぎりりと歯を食いしばった。神職と執事、仰ぐ主は違えど、同じく奉仕する身。一言つきつけてやらねば気が済まない。
「己が心傾けた主に、狼藉を働くとは何事ですか。――それでもなお進むなら、貴様は最早尊にはあらじ!」
 その一喝が、戦いの火蓋を切って落とした。
 鼓太郎の「紅瞳覚醒」による守護を得て、真っ先に飛び出したのはセイヤ。
「尊……おまえに愛する者を傷つけさせる等という罪、決して犯させはしない……!」
 死者を弄び、大切な者を殺させようとするエピリアへの強い怒りを、古流武術特有の身のこなしに乗せて、煌めく蹴撃を『尊』の左側を泳ぐ深海魚型に打ち下ろす。
「手遅れと言う言葉で終わらせる事はできません。まだやらねばならぬ事は山程ありますからな」
 呟き、赤煙はドラゴンブレスを吐きつける。群を巻き込む炎。右側の深海魚型が『尊』を庇い、より激しく炎に巻かれていく。
「悲劇はシェイクスピアの作品だけで十分ですので……安らかに眠っていただきますよ、従者殿」
 気取った物言いに剣呑な感情を潜ませて、ジャックはクイックドロウで左側の深海魚型の牙を撃ち抜いた。
「ォジョ……ウ……ザ……」
 『尊』は壊れたように同じ言葉を繰り返し、しっかと握りしめた両拳で、前衛を横薙ぎに払った。よろめき、幾人かは守護を砕かれながらも、ケルベロス達は衝撃を難なく耐えきった。
「貴方がそうやってぞんざいに扱ってどうするの。……『それ』を、ミス小百合に届けるのでしょう?」
 握りしめられた両手の下に隠されているであろうものを見透かすように、メアリベルはシャイニングレイを解き放った。
「コレが終わったら、その手に握り締められた想い、皆でちゃんと彼女に届けてあげるからね」
 『尊』に優しく呼びかけながら、ユアは禁縄禁縛呪で深海魚型を縛り上げる。
「避けられぬ別れ……切ないですが、だからこそ残された人がしっかりと見送らないといけません」
 己の影を切り離し、実体化させるゼノア。影は模倣すべき形を失い、闇となって周囲を暗く染め上げ、敵群を包み込んで体の自由を奪っていく。
 ケルベロスは一丸となって、徹底して深海魚型を攻め立てていく。深海魚型は泳ぎ回り、治癒でもって戦いを長引かせようと対抗するが、焼け石に水。深海魚型死神はあっけなく追い詰められていく。
「まだまだこれからですぞ。しっかり狙ってください」
 赤煙がメタリックバーストを広げていく。
 超感覚を得て、無数の光の剣による死天剣戟陣を降らせて最後の深海魚型を葬り、千宙は屹と『尊』に向き直る。
「小百合さんには手を出させはしない……!」
 ケルベロスの戦意が、いよいよ『尊』一人を包囲した。
 深海魚型の死を一顧だにせず、未だ小百合を呼び続ける、憐れな屍隷兵を。

●決して解かぬ両手
 ケルベロス達は胸を痛ませながらも、粛々と攻撃を打ち込んでいく。『尊』は本能的にそれに対抗しながら、どうにか隙を見て小百合の元へと進攻を再開しようとする。
「ォ、ジョ……ゥサ……ォ……ジョゥ……サ」
 激しいグラビティを浴びながら、『尊』の連呼はやまない。
 激戦のさなか、ケルベロス達もまた小百合の様子に気を配る。バイオガスは戦場の内側から外への視界を妨げない。
 小百合はすでに支えを必要とせず、ヒダリギの傍らに自力で佇んでいる。何かを堪えるように胸の前で両手を重ね、涙を湛えた瞳で、一心に、戦場へと視線を注いでいる。煙でろくに状況もわからないだろうに……きっと今にも『尊』の元へと飛び出してしまいたいだろうに。
「……そう、それでいいの。……あれはミスタ尊じゃない。理想の執事として死んだミスタ尊に大好きなお嬢様を殺させるような責め苦を負わせないで」
 フェアリーブーツの力で高々と跳び上がりながら小百合を視界に捉え、メアリベルは囁くように呟いた。
「お嬢様は主たるものの本分を果たしていらっしゃる……今の貴方はいかがですか、尊さん!」
 鼓太郎は心照御霊ノ祝詞で治癒を施しながら、真摯に呼びかける。
「本当ですよー。もっとしっかりしてくださいよ、執事さん!」
 対照的に飄々と、からかうように言葉を投げかけながら、アイスエイジを高速詠唱で叩き込むゼノア。その手元ではナイフを翻し、はや追撃の構えだ。
「こちらですよ従者殿」
 ジャックは惑わすような動きでフレイムグリードを叩き込み、敵の攻撃を誘う。思考力の低い『尊』は簡単に釣られ、両拳をジャックめがけて打ち下ろすも、堅い防護に阻まれ効果は限りなく薄い。
(「突然の不幸な死……その痛みがどれ程のものか。突然の死ほど悔いが残るだろうに」)
 ユアはまっすぐに『尊』を見つめながら、「幻影のリコレクション」を歌い上げる。
 セイヤが前線で激しく斬り込み、ユアが距離を置いて的確に撃ち込む。メアリベルとジャックが敵の気を惹き、赤煙はどっしりと構えて不測の事態に備える。ゼノアと千宙は数多の弱体化を叩き込み、さらに増幅させていく。敵の攻撃はほとんどが盾役に受け止められ、多少の消耗は鼓太郎が即座に癒していく……ケルベロスの布陣は見事に機能し、屍隷兵を容赦なく封殺していった。
「死んでそんな姿になっても彼女が大切なんだろう! おまえが彼女を傷つけてどうする!」
 セイヤは体内に溜め込んだグラビティを瞬間的に解放した。壱之秘剣・神薙。斬られた事を悟らせぬ神速の居合が、屍隷兵を一太刀に伏した。
 肥大化した巨体が、ぐらりと傾ぐ。
「――今です、決着をつけましょう!」
 鼓太郎は凛と声を張り上げ、ありったけのグラビティ・チェインを込めた強烈な一撃を叩き込んだ。
 ユアの紡ぎ出す旋律が曲調を変える。
「彼女に触れさせてあげれなくて、ごめんね? どうか、安らかに……」
 死創曲。それは、死を創造する様な美しくも残酷な歌。己には彼を倒して弔うコトしか出来ないけれど、歪な姿でサヨナラなんて悲しい、だから、せめてこの月光で彼の最期を飾ってやる……赤き月光の刃で、美しく。
 ゼノアは再び影を実体化させる。My shadow's。『尊』の感覚は得体の知れぬ闇に鎖されていく。
「……彼らの最後の時、邪魔はさせません」
 ここにはいない死神に突きつけるようなゼノアの呟きは、ひどく暗い影を落として響いた。
 ビハインドのママと共に躍り出たのは、メアリベル。
「ミスタ尊は最期までミス小百合を愛してた。執事の誇りと義務をまっとうして死んだの。そんな彼の死後をだれにも穢させたりなんかしないわ!」
 二人を襲った悲劇に心痛めながら、斬り下ろされるリジー・ボーデン。巻き起こる鋭利な斬風が肉を穿ち骨を断つ。
「終わりにしましょう、従者殿」
 誰かの『大切な人』に手を掛けねばならない苦々しさを滲ませながら、ジャックはブラックスライムを変形させていく。それは黒い猟犬。英国の伝承を模した黒犬が屍隷兵に喰らい付く。
「屍隷兵……尊さんを倒し、小百合さんを救う……これ以上悲劇を繰り返してはいけません……絶対に……!」
 千宙は自身に言い聞かせるように呟きながら、手にした扇に光の霊力を極限まで注ぎ込んみ、振り抜いた。いつか見た流星。霊力を纏った斬撃が、荒々しく宙を駆け、敵を斬り裂く。
 もはや身動きもままならぬ『尊』が、重たげに持ち上げた片足を、赤煙の両手が捕まえた。
「謝りませんぞ」
 短く断り、赤煙はそのまま自身の体をきりもみ回転させる。
 投げ飛ばされた巨体は、凄まじい轟音と共に館の床に沈んだ。
「ォ、ジョゥ…………――さ……ゆ…………り……」
 最期の瞬間まで、『尊』は決して、握りしめた両手を緩める事はなかった。

●見送る者達
 バイオガスが晴れていく。
 どっと全身に満ち溢れた安堵に、千宙はその場にへたり込んでしまう。
「終わ……った……」
「だいじょうぶか?」
「あっありがとうございます……!」
 戦闘終了を待ち侘び、駆け寄ったヒダリギの手を借りながら、千宙は小さくはにかんだ。
 戦いに勝ったケルベロス達には、まず、何を置いても確認すべき事があった。
 うつ伏せに絶命する『尊』の握りしめられたままの両手。おそらくは床に叩き付けられる衝撃を殺す為に、頭上に差し出されたそれを、開かせる事。
「……助けられなくて、すまなかったな……。おまえの愛する者は無事だ……。だから、安心して眠ってくれ……」
 呼びかけ、セイヤは力と存在を失いつつある両手をほどきにかかった。
 幾人かで協力して開かせた掌を見ると、白い陶器の破片が瘤だらけの肉に埋め込まれているのがわかった。皮膚を裂いて突き刺しているのではなく、瘤の中に融合させて、守るような形で。……こうする事で、それ以上の破損を防いでいたのだろう。
「あとは、任せた」
 破片の全てを取り出し終えて、ユアは言葉少なに、カップを仲間達に託すと、荒れ果てた廊下の修復に取り掛かった。
「初めに砕けた時の状態のまま、ですか……」
 遺体を白布に包み整え終えた鼓太郎が、取り出された破片を見下ろし、小さく吐息を漏らした。
「……これなら、原形を取り戻すのは容易いでしょうね」
 言いながら、ジャックは集めた破片にヒールを施す。
 復元されたカップには、瑞々しい白百合の柄が描かれていた。
「……せめて、これだけでも」
 鼓太郎が顔を上げ、見やった先には、静かに佇む小百合の姿。
 目元を腫らしながら、気丈に耐え、待ち続けていた小百合が、楚々としてケルベロス達の元へと歩み寄る。
「……屍隷兵がカップを守っていたのは、尊さんの最期の行動を真似していただけの事でしょう。裏を返せば、尊さんが貴女を最後まで心配していたという事です」
 赤煙は言葉を選び、小百合の心を少しでも慰めるように諭した。……あの屍隷兵にどの程度尊の人格が残っていたのか、本当の所は誰にもわからない。
「彼は最後の最後まで貴女の事を想っていました。このカップが何よりの証拠です……見送ってあげてください」
 ゼノアも促すように、それだけを伝えた。
「ミスタ尊は、きっとミス小百合に紅茶を届けようとしていたんだわ」
 死者を生き返らせるのは無理でも、その願いを汲むことはできる。メアリベルが思い至ったのは、とても子供らしい、優しく無邪気なものだった。
「尊さんの気持ちに応えてはもらえませんか?」
 赤煙に促され、小百合はおずおずと、けれど確かに自分の意思で、白百合のカップを受け取った。
 メアリベルはそっと微笑んだ。
「ミスタ尊の形見……大事にしてね」
 両手でしっかりとカップを包み、小百合は『尊』の前へと震える足で歩み出る。すでに光の粒子となって消滅を始めていたその姿に、再び涙が滲み、ついには膝が砕けてしまう。
「……っ、尊さん……っ」
 両膝をついて泣き崩れる小百合を、セイヤが支えた。
「大切な者を失うのは辛い……。だが、それでも、どうか強く生きて欲しい……。尊もそれを望んでいるはずだから……」
 小百合は泣き伏しながらも頷く。何度も、何度も。
 ケルベロス達は各々の想いを胸に、小百合と尊の別れを見つめた。
 ユアは静かに歌う。死者を天に送る、自分だけの歌。哀しき死を迎えた彼が天に無事に昇れるよう、祈りながら。
「……せめて最後は人間として、安らかに……」
 千宙は小さく呟き、黙祷を捧げる。
「残される側と言うのは……やはり辛いものですねぇ……」
 ジャックは自身が失った人々を彼方に想う。育ての親と、自らの手で決着をつけた親友を……。
 『尊』の消滅を、小百合の悲嘆を、恋人達の別離を壁際で見守っていたゼノアは、ふと窓の外を仰いだ。日差しは赤みがかり始めている。
 暖かに染まり変わっていく別館に、小百合の嗚咽だけが細々と響き続けた……。

作者:そらばる 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 13/キャラが大事にされていた 0
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