夜明け前

作者:譲葉慧

 宵のうち、海辺からは穏やかな波の音が聞こえて来る。夜空は晴れており、海原からそよぐ風も緩やかだ。明日も良い日よりになるだろう。
 海沿いにたたずむ小さな村には、家々の明かりがと灯っている。
 その中の一つだけが、決して多くはない明かりの群れから離れていた。だが、ぽつんと1軒建つ家の中の光景は、他と変わる所はない、家族団らんの光景だ。
「良かったね。天気予報、明日も晴れるって!」
「明日も大漁だといいわねえ」
 小学生くらいの女の子が大きなちゃぶ台に小鉢を並べてゆく。その隣では母親が、炊飯器からご飯をよそっている。それが皆に行きわたると、いただきます、の言葉とともに、夕食が始まった。
「今年は海に魚が集まってきている。昔に戻ったようだ」
 魚の煮つけをほぐしながら、祖父が言う。口調は多少ぶっきらぼうだが、皺の奥の眼は昔の活気を思い出して愉し気だ。
「隣の港でも獲れてるそうだよ。こんな年は久しぶりだねぇ」
 明日の水揚げが楽しみだ、そう言い祖母は破顔する。
「だからって明日も大漁だと決めつけるのもな。海の機嫌はわからない」
 ご飯のお代わりをする父親の肌は陽に焼けて赤銅色だ。慎重な物言いをしてはいるが、それは真意ではなさそうだ。彼もまた、明日の豊漁を半ば信じているらしい。
 そんな父の顔を、男の子がじっと見つめる。
「ねえ父ちゃん。いつになったら俺を船に乗せてくれる?」
「……もう少し大きくなったらな」
 はぐらかされたと思ったのか、更に男の子が言い募ろうとした時だった。
「それは無理だ、諦めろ」
 冷え冷えとした低い声が、緩やかに流れる憩いの時を断ち切った。

 黒衣の闖入者によるそれは、ほぼ一瞬で終わった。彼は血だまりに倒れる家族を見遣り、まだ息のある父親が家族に伸ばす手を無造作に踏みつけ、とどめを刺した。
 そして、彼は何かの肉塊を懐から取り出し、父親に埋め込み、それを中心として死せる家族の身体を接ぎ合わせてゆく。そうして生み出されたものが自ら動き始めたのを確認すると、『残った』手足を手早く接ぎ合わせ、用件は済んだとばかりに家を後にする。
 明日を奪われた者の慟哭が去る者の耳朶を打つが、彼は一顧だにせず、深まる夜闇の中に消えた。


 ヘリポートでは、マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)がケルベロス達を待っていた。待ち構えていたといった方が正しい。
「螺旋忍軍によって屍隷兵が作り出されたぞ。神野・雅(玲瓏たる雪華・e24167)の見立て通りだった……!」
 もともとマグダレーナの鱗は赤いが、怒気のせいで更に赤みが増しているようだった。
 屍隷兵は、死んだ人の肉体を繋ぎ合わせて作られている。それが現れるということは既に犠牲となった人がいるということだ。
「今回屍隷兵を作ったのは、傀儡使い・空蝉という螺旋忍軍だ。奴は、強い屍隷兵を作るには、強い絆を持つ者同士の身体を接げばよいと考えたようだ。そして行動に移した……仲の良い家族を全員殺害し、屍隷兵の材料としたのだ」
 怒気孕むマグダレーナの声に対し、バルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)は一言も言葉を発しない。だが、彼の眉間の皺はいつにも増して深く、眼は剣呑な光を発している。
「一度屍隷兵になった者の命を取り戻すことはできない。更なる犠牲を防ぐために、そして犠牲となった人の尊厳と鎮魂のために、直ちに現場に向かい屍隷兵を止めてくれ」
 向かうべき現場とは、そして屍隷兵の持つ力はいかなるものか。説明の為にマグダレーナは、まず地図を取り出しヘリオンの壁に張ってみせた。
 小さな漁村全体の地図だ。村の中心から少し離れた一点をマグダレーナは指す。
「現場はここに建つ一軒家だ。他の家から離れた場所にあったがゆえに、ここに住む漁師の一家が狙われたのだと思う。直ちに出発したとして、到着は深夜、夜明け前となる。屍隷兵は、夜明けと共に村へと動き出すようだ。それまでに作戦完了せねばならない」
 距離的に他の村人に戦闘の余波が及ぶ心配はなさそうだ。地図を見、バルタザールは呟いた。
「もしかして漁に行こうとしてるのかもな……屍隷兵はどんな戦いを仕掛けて来るんだ?」
 問われたマグダレーナは、語り始める。資料は無いようだ。屍隷兵を図で説明する気にはなれないのだろう。
「家族の体幹を基に作られた体長3メートル程の屍隷兵1体と、手足を集めて作られた1メートル程の屍隷兵が2体だ。戦い方は、手足が体幹の前後に位置して支援に徹し、体幹が攻撃を仕掛けてくるようだ。連携は厄介だが、対策すれば順当に勝てるだろう。さほどの強敵ではないと見ているが……」
 その言葉の先について、誰も問わなかった。屍隷兵の発する言葉や叫びは、犠牲者の記憶が基になっている。彼らの絶望や苦悶を、戦いの間目の当たりにし続けることになる……。
 束の間落ちた沈黙を、マグダレーナは断った。
「許さんぞ、螺旋忍軍め……だが、私には戦う力はない。それが出来るのはお前達だけだ。辛い任務だが、どうか全うして戻ってきてくれ」
 彼女に呼応するようにヘリオンが一揺れし、戦士を迎え入れるため搭乗口を開いた。


参加者
アバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)
雨之・いちる(月白一縷・e06146)
レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)
野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)
ラズリア・クレイン(天穹のラケシス・e19050)
ローデッド・クレメインス(灰は灰に・e27083)
サラキア・カークランド(水面に揺蕩う・e30019)
朴実・木蓮(無自覚マッドサイエンティスト・e30169)

■リプレイ


 岩がちな高台に、一つだけ明かりが灯っている。時刻は未だ夜の中、大きな街ならいざ知らず、明日の漁に備え寝静まるこの村では、それは目を引いた。
 それでも、普通なら夜更かししているのだろうと思うはずだ。だが、ケルベロス達は知っていた。明かりが灯っているのは、それを消す者がもういないからだと。
 しじまに響く潮騒が高台へ歩みを進める彼らの足音を消し、夜の帳が姿を隠してくれる。それらに紛れ、高台に建つ家に住む家族を基に造られた屍隷兵を夜明けまでに討伐するのだ。
 アバン・バナーブ(過去から繋ぐ絆・e04036)は、岩場の上に立ち、村の中心へと向かう道の先を見つめた。彼の夜目を通して見ても、この辺りに人の姿はない。ここから望める村の全景にも、まばらな電信柱の光があるばかりで、動く者の姿はなさそうだ。戦闘の余波が村人に及ぶことはまず無いはずだ。
 潮風が、不意に強くアバンに吹きつける。彼の蒼い髪に幾房か混じった黒い髪が闇に溶き流れるようにそよいだ。
『死体』『傀儡』『実験台』『螺旋忍軍』……これから相対する屍隷兵にまつわるそれらの言葉が、アバンの脳裏にこびりつき、故郷の記憶を侵し揺さぶる。しかしそれに身を委ねてはならない。しかし、そう思い口を閉ざし、言葉を封じても、湧きあがるこころの動きまでは止まらない。だから黒い髪は彼の代わりに潮風に叫ぶのだ。悲しみと、怒りと、そして復讐心を。
 村の方を念の為もう一度見遣るアバンの側に、岩場を登ったレスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)が立った。彼の銀色の瞳も村の方を見据えている。
 小さな漁港。海と共に生きる人々。大漁の日の活気。遠い遠いレスターの記憶の先にある光景は、きっとこの漁村の日々でもある。そのささやかな日常が夜に紛れて踏み躙られた。高台の家の家族は殺害され、その身体は隣人を害する為の道具にされようとしている。生と死を諸共に奪われ辱められた彼らは、グラビティによって真の死を得るしか途はないのだ。
 思いを馳せる二人の間に言葉は無かった。どちらが促すともなく岩場を降りると、仲間と合流し言葉少なに見えた状況を報する。それを受けて各々夜間戦闘に備え光源を灯した。全員の準備はすぐに整った。が、時の流れがそこで止まったかのように皆が動きを止める。
「……さっさと片づけるぞ」
 ほんの一瞬の逡巡を破ったのは、ローデッド・クレメインス(灰は灰に・e27083)だ。採るべきはただ一つの途、ならば死せる者には速やかな眠りを、生ける者の傷口が広がりきり進めなくなる前に。

 沈黙のうちにケルベロスが家の前に立った時、家の扉がはじけ飛び、光を背に異形の影が我がちに中から出て来た。ケルベロスの持つグラビティ・チェインに惹かれたのか。
 その姿は、予知された内容と違わない。家族全員の胴に一対の手足だけがある『体幹』、残りの家族の手足が組み合わさった球状に見える『手足』が2体。寸分、違わない。
 ケルベロスを認識した体幹は、か細い叫びを上げた。徐々に声量が上がってゆく叫びは、何かを伝えるための表現方法がそれしか無いからなのかもしれなかった。そして、口の無い手足は、ただ蠢くだけだ。
(「どうして海にいくんだろ」)
 野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)は、叫びを聞き思う。夜明けと共に屍隷兵は海辺の村へと下りてゆくのだという。グラビティ・チェインを求めてのことだろう。だが、それだけなら夜のうちに村へ下りればいいはずだ。
(「海がみたかった? 船に乗りたかった?」)
 わななき震える体幹の叫びが、かすれてゆき、途切れた。
(「かえりたかったのかな?」)
 よろよろとケルベロスへ向かい走り出す体幹と、追従する手足に向けて、イチカは目を閉じそっと首を振った。
(「だけど、海以外の寄り道はだめだ」)
 屍隷兵となった彼らの道行は、もはや悲しみを増やすだけのそれだ。それだけはだめだ。だけど代わりに――。
(「ぜんぶ終わったら、海までつれてってあげる」)
 ひそやかな約束を、イチカは屍隷兵と交わす。逝く時を選べなかったのなら、せめて眠る場所だけでも。
 再びイチカが目を開けると、凛と顔を上げ屍隷兵を見据える、ラズリア・クレイン(天穹のラケシス・e19050)の姿が目にはいった。その瞳には思いを心の奥に仕舞いこみ、逡巡を断ち切った者の青い光が宿っていた。
「貴方がたを倒します。恨んでくださっても構いません」
 もし屍隷兵に心があるならば、その方が楽なのだ。行き場のない思いを叩きつける相手がいる方が、例え筋違いでも恨む相手がいることが。
 そして、ケルベロスにとってもそれは同じだ。それが唯一の救いといえど、何の罪もない犠牲者を死で報いたことは言葉を変えても変わらない。肉を斬り骨を断つ、手に残る感触がその事実を忘れさせてくれるわけがない。……恨み憎まれた方がよいのだ。
 そう、ラズリアとて逡巡は存在していた。そしてそれは、屍隷兵が間合いに入って来た今、断ち切る他はないのだった。


「私たち、痛くするかもしれませんー。けれど、あなた達の痛みと苦しみを、私は忘れません。ずっと一緒ですよー」
 サラキア・カークランド(水面に揺蕩う・e30019)は、屍隷兵へ向けて腕を伸べた。夜の世界にほの白く浮き上がった腕の先、掌から燃えたつ竜が飛び立ち、相対する手足へと食らいついた。掻き消そうとする手に己が身の残滓を残し、炎の竜は消える。
 まるで体幹を守ろうとするように、手足の1体が通せんぼするように多数の手を拡げ、足を踏ん張っている。そして、機を伺っていたもう一体の手足が飛び跳ねると距離を詰め、ローデッドへ蹴りの連打を放つ。再び間合いを取った手足は、これ見よがしにローデッドの視界の端で姿をちらつかせ、注意を引きつけている。
 手足のそれら動きは、あらかじめ伝えられていた通りだった。体幹の戦場での立ち位置は、手足の支援対象であるとしか判明していない。それが何であれ、まずは手足を倒し、支援を削いでから体幹を倒すのが結局一番早く戦いが終わるだろう、そうケルベロスは判断していた。
 朴実・木蓮(無自覚マッドサイエンティスト・e30169)は、その唇から古代の力ある言葉を紡ぎ出した。肉体を硬化し、動きを縛める呪いの光が手足を襲い、幾本かの脚がびくりと痙攣する。
 目まぐるしく動き回る手足に対し、体幹の動きは少ない。おぼつかない足取りで身体を支えながら、身悶えするように声なき声で哭く。
 人の聴覚で認識できないその声は、ケルベロス達の足元に黒い潮流を生み出した。死せる海の潮汐は、足に絡みつき、果てまで人を連れ去るのだ。生と死の境界を遥か超えた先の先まで。
 一瞬が過ぎ、潮汐が消えた後にも、足元には潮流の余韻がわだかまり、動きを縛める。この状況はいけない。
「舞って」
 雨之・いちる(月白一縷・e06146)は魔術で生成した桜の花弁に己の魔力を篭め、風に乗せて仲間へと送った。舞い落ちる花弁は、仲間に邪を払う力をもたらし、黒い潮流に触れると、ふわりと融け、浄化の力で潮流と共に彼方へ消え去ってゆく。
 次いで、アバンが解き放ったのは眩い銀色の光だ。オウガメタルの放つ粒子が光と化し、仲間の視覚を通じ、第六感ともいえる感覚をその刺激で目覚めさせる。増大した感覚は容易く屍隷兵の隙を見つけるはずだ。近接戦闘中の仲間達全員が銀の光の恩恵を得れば、戦闘能力の底上げを図れるだろう。
 いちるとアバンの回復支援で、癒えきれない負傷はあるものの、仲間は安定して戦っている。二人の手が足りなくとも、他の仲間が適宜フォローする形で負傷は対策できそうだ。
 守りの支援があれば、攻めの支援もある。イチカは、初撃で使用したライトニングロッドを持ち替え、ほぼ生身に見える利き手の肘から先を回転させた。高速回転する腕の突き込みは、摩擦熱で手足の表皮を焦がし、肉を剥き出しにする。守りの薄くなったそこを狙えば、より深い傷を与えられる。彼女の攻撃に追従し、バルタザール・パラベラム(戦備えの銃弾・en0212)も星型の気を蹴り込み、傷を拡げた。
 総身に攻撃を受けた手足は、たちまちのうちに瀕死になる。もう一体の手足が必死に血の絆もて傷を癒し続けたが、ケルベロスの集中攻撃を凌ぐには不十分であった。間をおかず倒れ横たわる。
 そして、集中攻撃はもう一体の手足に移った。守りに徹していた手足に比べ、修復能力こそ高いが明らかに脆い。不調はあまり効果はないが、純粋な火力だけであっけなく倒れてしまう。その間、体幹も攻撃を放ってくるが、ケルベロスを突き崩すには未だ至っていない。
 最後に残された体幹は、幾度目かの無音の哭き声を発した。この場の音の一切が引き潮のように去ってゆき、代わりにここではない何処かの海が奏でる虚ろな潮騒が、ケルベロスをその地へと誘う。踏み入れれば二度と戻れない地だ。
 黄泉路への誘いを振り切ってもなお、隙あらばケルベロスを引きずり込もうとする黄泉の気配が強く残り、彼らの全身から自由を奪う。いちるとレスターの手によってその気配は大方消し飛ばされるが、どうやら、体幹の哭き声が喚ぶものは、対象を強く強く死へと引き寄せる力があるらしい。長期戦は避けたい相手だ。
 だが、手足を先に倒した戦術は間違ってはいない。守りと癒しを失った体幹をケルベロスはただ攻めるのみだ。しかし、体幹は手足を大きく上回る耐久力を持っていた。強靭な体幹の表皮が傷だらけになる頃には、ケルベロス側も負傷の蓄積が溜まっていた。
 そんな時だった。
「母ちゃん、痛いよおぉ……」
 男の子の泣き声が響き渡る。釣られたように、女の子の泣く声も混じる。
 戦場に衝撃が走った。誰もがこの屍隷兵は叫ぶだけで、喋ることは出来ないと思っていた。いや、思いたかった。
「痛いの痛いの飛んでけー。ほうら痛くない、痛くない……」
 母親と思しき優しい声が子供達をあやす。だがその語尾は苦痛に歪み、力無く消えてゆく……。
「っ、ごめん、ね」
 いちるの瞳が揺れた。視界がぼやけ、いちるはきつく目を閉じた。駄目だ。今くずおれては駄目だ。悲しみに己を委ねては駄目だ。戦場に立った時、波立つ心を飲み込んで、彼らを救おうと決めたのは他ならぬ自分なのだから。
「痛い……です。身体の傷なんかよりも、心の方がもっと痛い」
 呻くようにラズリアは呟いた。そして身に纏うオウガメタルのアイギスに、囁いた。ほんの少し貴方の勇気を分けて、と。
「あああ!」
 アバンは戦場を裂く絶叫を上げた。心の奥底で蓋をしていた筈の黒い思念が奔流となって立ち上る。支援に徹していた身体が攻めに転じようとする。だが、寸前でアバンは衝動を押しとどめた。
「そうじゃねぇだろ……! 一番悪いのって誰だよ、一番辛いのって誰だよ……」
 体幹はその腕を、埋め込まれた母親と子供へ伸ばそうとしているが、長さが足りていない。逞しい腕は、父親のものと見えた。家族を守れず無念を抱えて死んでいった一漁師。その陽に焼けた腕が諦めたようにだらりと垂れた。
 レスターの銀に燃える右腕が火勢を増した。同じだった。守れなかった。全てを失った。目の前の父親とただ一つ違うのは、自分が生き延びたこと。
 ……いや、そうではない。あの日からずっと、己は生ける屍ではなかったか? 今を自分は『生き』ていると言えるのか? ならばやはり同じなのだ、彼と。
 竜骨剣『骸』に轟々と銀炎を纏わせたレスターの一撃が、怒りに任せて振り下ろされる。その剣筋には何の技巧もなく、己の腕まで折れよと言わんばかりのただただ力任せの一撃だった。
 知己のいつもらしからぬその様子、そして傷つく仲間の姿、それこそがローデッドにとっての痛みだった。体幹は、家族の生前の記憶を拾い上げて声を再生しているだけにすぎない。故にその発する言葉は、痛みは伴っても傷にはならない。そうでなくてはならない。
「傷が深くなってきたら、泣いてみせる。……それが空蝉の仕込みか、えげつねェな」
 敢えて仲間にそう言って見せたローデッドに木蓮とサラキアが応える。
「とびきりの悪趣味ですね。ですが、ということは」
「これでお終い、そういうことにしましょうねー」
 木蓮は、両手で攻性植物を繰った。朴の木を基にした攻性植物からは、見る間に棘の生えた紅い果実たちが成り、ひゅんひゅんと木蓮の周りを飛び回る。
「高周波フレイル起動! せめて痛みを長引かせないように、限界まで出力を上げます!」
 びっしりと生えた朴の実が、体幹をしこたま殴打し、その棘を震わせて追い打ちをかけ暴れまわった。流血で赤の色味が更に増した朴の実は、そこまでして、やっと満足したかのように木蓮の元へ戻る。
 ぐらりと体幹の足元が揺らぎ、音を立てて両膝をついた。それでも、体幹は末期の哭き声を上げるため、身体を引き起こそうとあえいでいる。
 その声を上げさせてはならない。サラキアはその魔力をもって剣を組み上げた。その細い刀身は屍の身体を突き通すため、剣を組成するその水は、この海と同じ青だ。彼女はその剣を手に、静かに体幹の前に立つ。
「この痛みに溢れた世界で、せめて安らかな最後を。理を正し、在るべきものを在るべき場所へ」
 死した肉体は大地へ、魂は輪廻の裡へ。侵された生と死の理は正され、そこへ還ってゆく家族が受けた痛みは……簒奪の魔女サラキアだけのもの。
「――悪い夢はもう終わりですよー。どうか、お眠りなさいな?」
 五体を駆け巡る痛みを耐え切り、サラキアは戦いの終わりを告げた。


「予想はしてましたけど……あまりに酷いです……」
 口を押え、木蓮は仲間達に家族の亡骸から探った記憶を語った。夕べの団欒、そして突然の惨劇。最後に視えたのは、家族へ伸ばした父親の手が踏みつけられるところだ。殺戮者は父親以外の家族を一撃で殺害しており、恐らく皆一瞬の苦しみで逝ったのであろうことがわかった。わかったのはそこまでだった。
 家族の亡骸は、ケルベロスの手で海を望む場所へと葬られた。無残すぎるその死を晒すことは、死者も隣人も望まないはずだ。アバンが簡素な岩の墓標を立てる。
 小さな墓標に、ラズリアは家族の冥福を祈り、そっと目を閉じた。どうか、どうか、このご家族の魂が安らかに眠れますよう……そして伏した目を再び上げた時、その星を映す瞳には、痛みと共に傀儡使い・空蝉への怒りが宿っていた。
「いつまでも、好き勝手はさせないのですよー……絶対にその尻尾、掴んでみせます」
 簒奪した家族の痛みに懸け、サラキアは誓う。
 木蓮もその思いは同じだ。今日はこの事件に関わっているはずの空蝉の有力な手がかりらしいものは見つけられなかったが、帰った後も調査を続ければ見えて来るものもあるはずだ。

 埋葬を終え、家を片づけ、全ては終わったはずだった。だが、白んできた空の下、墓標の側から去りかねている者達がいた。
「全員繋いで誰も残らなかったことは良かったのかどうかわからない」
 墓標の前でイチカは呟いた。家族全員で一緒に逝くことと、大切な家族を喪いながらもそれを背負って生き残った誰かがいることと、それはどちらが良い事なのだろう。
「けどよ、家族に生き残りがいたら、お前さんは全力で助けようとしたんじゃないか?」
 それが答えにならねぇかな、そう言い、バルタザールはすっかりと明るくなった日の出前の海、薄青色の世界を見つめた。
 そんなやり取りの後ろで、いちるはぎゅっと掌を握りしめ、未だ収まらない諸々の感情を、一人仕舞いこもうとしていた。それは余りにも彼女にとって無理矢理すぎだった。仕舞いこむには大きすぎる痛みを耐えるため、握りしめた掌に爪が食い込んでいる。
「いちる殿」
 聞き慣れた声が、いちるの名を呼ぶ。いちるがゆっくりと振り向くと、伽羅楽・信倖(巌鷲の蒼鬼・e19015)が立っていた。彼はもう一度、いちるの名を呼んだ。
 もう、無理だった。いちるの天色の瞳から、一時に涙が溢れ、滴となってこぼれ落ちる。
「……苦しい」
 いちるの、くしゃくしゃの泣き顔を涙が止め処なく流れ、濡らす。信倖はそれ以上何も言わず、彼女が泣き止むまで、ただ側に寄り添った。

 夜が明けてゆく。陽が昇る様を眺めながら、レスターは一服した。まずい。
 地平線の太陽を眺めるレスターの眼差しをローデッドは知っていた。それは自分自身も左目の奥に持ち合わせているものだ。常は閉じている左目をうっすらと開くと、薄氷の色をした炎が揺らめいた。その名を『復讐』という。
 蒼炎を死者へと手向け、ローデッドは再び左目を閉じた。佇むレスターの肩を叩き、高台を下りてゆく。
 墓標の前に一人残ったレスターは、半ば地平線に登った朝日を見つめた。墓に眠る死者が二度と見る事のない、今日の始まりを告げる光だ。彼らはデウスエクスに襲われ死んだ。村人達にはそのように伝えられるのだろう。
 だが、彼らが如何にして誰に殺され、そしてどれだけの苦しみを背負い死んでいったのか、それを知るのはその姿と死に様を瞼と心に刻み込んだケルベロスしかいない。
 死んだ彼らは語る言葉を持たない。しかし言葉はなくとも見届けた者達にただ一つの言葉を語りかけるのだ。
「応報せよ」と。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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