東京は月まで狂っている

作者:土師三良

●名月のビジョン
 その夜、近所でも仲睦まじいと評判の望月家は月見を兼ねた屋外ディナーに興じていた。もっとも、望月家における『屋外ディナー』とは、築三十五年のマンションの屋上で素麺をすすることなのだが。
「うーん。良い月だねぇ。中秋の名月のプレ版だと思ってたけど、こりゃあ、本番よりも綺麗かもしれないよ」
 夜空の満月に目を奪われているのは、どっしりした体格の母親だ。
 だが、奪われていたのは一時のこと。月ほど優美でないが、彼女にとってなによりも大事なもの――傍らにいる四人の子供たちに視線は戻った。
「ほらほら、あんたらも飯をがっついてばっかいないで、月を愛でなよ。あーもう、風流じゃないねー」
「あのね、母ちゃん。俺ら的に素麺は『飯』じゃないから」
「そう! 素麺は飲み物!」
「だから、もっとガッツリしたものを食べさせてー!」
「ミカはやきにくがいい! やっきにく、やっきにくぅ!」
 不満を並べつつも楽しげに箸を動かし続ける子供たち。
 一家の大黒柱……と呼ぶには少しばかり影の薄い父親が発泡酒をちびちびと飲みながら、微かに頬を緩ませてその様子を見つめていた。
 しかし――、
「な、なんだ、おまえは!?」
 ――滅多に出すことのない大声を発して、立ち上がった。
 あきらかに一般人ではない(「人」の範疇に入るかどうかも怪しい)黒子姿の男が現れたのだ。闇から滲み出るように。
「……」
 男は無言。ただ、望月家の面々を見回して、ニヤリと笑った。
 父親は本能的に危機を察し、恐怖に身を竦ませている家族に叫んだ。
「逃げろ!」
 しかし、遅かった。

 数十分後。
 マンションの屋上には異形の生物がいた。
 肌色をした半ゲル状の生物が二体。
 体長三メートルほどの人型の生物が一体。
 人型といっても、頭部は存在しない。
 その代わり、瞼を縫い合わされた人面が体のあちこちに張り付いている。
 人面の数は六つ。
 そう、望月家の六人だ。
 人型が身を反らせると、人面たちは悲しげな咆哮の六重奏を響かせた。
「むぅぅぅんぁぁぁーっ!」

●陣内&音々子かく語りき
「申し訳ありません……」
 ヘリポートに集まったケルベロスたちに向かって、ヘリオライダーの根占・音々子はいきなり頭をさげた。肩が震えている。
「巷を騒がせている『傀儡使い・空蝉』というクソ野郎の凶行を予知したのですが……阻止はもう間に合いません。皆さんには、その凶行から生み出された屍隷兵を倒してもらいます……ほ、本当に申し訳ありま……」
「やめろ。謝ったところでなにも変わらないし、そもそも音々子が謝ることでもないだろう」
 と、玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)が厳しくも優しい声音で音々子の謝罪を遮った。
「俺たちはやれることをやるしかない。ことの詳細を教えてくれ」
「はい」
 音々子は顔を上げて、語り始めた。
「東京都荒川区在住の望月・雅和(もちづき・まさかず)さん一家が空蝉に殺害され、首なし巨人みたいな屍隷兵の材料にされてしまったんです。しかも、一体じゃありません。スライムみたいな二体のおまけが一緒に行動しています」
 三体の屍隷兵がいる場所は荒川区のマンションの屋上。階下に降りて住人たちの虐殺を始めるつもりだろうが、それよりもケルベロスが現場に到着するほうが速い。空蝉を止めることはできなかったが、より多くの血が流されるような事態を阻止することはできるのだ。
「厄介なことにスライムどもは首なしの屍隷兵と感覚を共有しているみたいなんですよ。つまり、スライムを攻撃すると、首なしの材料にされた望月さん一家も痛みを感じてしまうんです」
「彼らを長く苦しめたくなければ、スライムを放っておいて首なしのほうを先に倒さなくてはいけないということか……」
「理屈の上ではそうなんですが、スライムたちは首なしを庇うような動きをするでしょうから、結局は同じかもしれません」
 音々子はまた俯いたが、眼鏡をずらして涙を拭くと、すぐに顔を上げた。
「望月さんたちに人間としての意識はほとんど残っていません。だから、どのような結果になっても、皆さんを恨んだりすることはない……と、思います。思いたいです」
「いっそ、恨んでくれたほうが少しは気が楽になるんだが……」
 そう呟いた後で陣内は自分の言葉を打ち消した。
「いや、俺たちのような立場の者が楽になっちゃいけないよな」


参加者
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
ルイアーク・ロンドベル(幻郷の魔王科学者・e09101)
月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)
筐・恭志郎(白鞘・e19690)
リノン・パナケイア(保健室の先生・e25486)
長篠・ゴロベエ(パッチワークライフ・e34485)

■リプレイ

●月は悲しみを知らず
 団欒の場から惨劇の場へと変わったマンションの屋上を月が冷たく見下ろしていた。
「むぅぅぅんぁぁぁーっ!」
 屋上の中央で慟哭しているのはヒト型の屍隷兵。
 ヒト型といっても、首はない。それでも声を発することができるのは六つの顔が張り付いているからだ。傀儡使いの空蝉の犠牲となった望月家の六人。
 すべての顔が瞼を縫い止められている。
 だから、見えていないだろう。
 足下を這いずり回る二体のゲル型の屍隷兵も。
 ヘリオンから降下したケルベロスたちも。
 最初に動いたケルベロスは、黒豹のウェアライダーの玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)だった。
(「おまえが肥え太る度に俺は衝動に抗ってきた。だが――」)
 頭上で輝く『おまえ』に心中で語りかけながら、ヒト型に突き進んでいく陣内。全身から放射される殺気を覆い隠すかのように、あるいは『おまえ』の光から守るように、無数の木の葉が彼を包み込んでいく。後方に控えるアンセルム・ビドーがステルスリーフを使ったのだ。
(「――今夜は言いなりになってやる」)
 狂月病がもたらす暴力性に身も心も任せ、陣内は『キオネーの自惚れ』をヒト型に浴びせた。
「むぅぁぁぁぁぁー!?」
 ヒト型が悲鳴をあげた。攻撃を受けた場所が凍結している。
 その凄惨な声に耳を塞ぐことなく、イリオモテヤマネコの人型ウェアライダーの比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)が『群青(グンジョウ)』を用いた。
 ジャマー能力を上昇させる青い光を受けたのは、ヴァルキュリアのリノン・パナケイア(保健室の先生・e25486)。コンクリートの地面を蹴って跳躍し、無慈悲な傍観者たる月までの距離をほんの少し縮めた後、スターゲイザーを打ち下ろす。
 またもやヒト型が悲鳴をあげたが――、
「……」
 ――リノンの表情は変わらない。
 ヒト型の絶叫に押されるようにして、ゲル型たちが前に出た。体を広げて、ケルベロスの前衛陣に襲いかかる。
 それらの攻撃をものともせず、銀狼の人型ウェアライダーのリューディガー・ヴァルトラウテ(猛き銀狼・e18197)がキャバリアランページでヒト型に突進した。
 だが、アームドフォートを装着した体は敵の残像を虚しく突き抜けた。先の二人の攻撃が命中したのは、彼らがスナイパーのポジション効果を得ていたからだろう。
「くっ……」
 ヒト型の後方でターンし、悔しげに呻きを漏らすリューディガー。悔しいのは攻撃を躱されたからではない。望月家の人々を救えないからだ。一家の主たる望月・雅和は東京防衛戦の際に一時移入(後に定住したが)という形で協力してくれた、謂わば恩人であるというのに。
 リューディガーの声は決して大きくなかったが、筐・恭志郎(白鞘・e19690)の耳には届いていた。
「落ち着いてください、リューディガーさん」
 そう言いながら……その実、自分自身を落ち着かせながら、恭志郎は自らの地獄の炎を前衛陣の武器に宿らせた。傷を癒し、命中率を上昇させるグラビティ『燿華(ヨウカ)』。
 当の恭志郎も前衛であるため、ゲル型から受けた傷が少しばかり塞がったが、すぐにまた新たな傷口が開くこととなった。
「んぁぁぁーっ!」
 泣き叫びながら、ヒト型が大きな拳を振り下ろしてきたのだ。その殴打はブレイクを伴っていたらしく、『燿華』がもたらしたエンチャントは消し飛ばされた。
 しかし、すかさず新たなエンチャントが施された。今度のそれは異常耐性。ルイアーク・ロンドベル(幻郷の魔王科学者・e09101)がライトニングウォールを展開したのである。
「悪趣味にもほどがありますね」
 ルイアークはヒト型を見据えた。醜悪な体のあちこちで望月家の人々が涙を流している。縫い閉じられた瞼の隙間から。
 六人分の絶望やケルベロスの重責が心にのしかかり、足が竦んだ。
 だが、ルイアークは逃げなかった。
「帝王は……涙を見せぬものです!」
 中二病的な言動で失笑を買うことの多い自称『帝王』ではあるが、今夜だけはその勇気ある虚勢を笑う者は一人もいなかった。
「お、お、俺も涙は見せないから! 見せなーいーかーらー!」
 ヴァオ・ヴァーミスラックス(憎みきれないロック魂・en0123)が『紅瞳覚醒』の演奏を始めた。いつも目深に巻いているバンダナを更にずり下ろして双眸を隠しているが、情けない泣き顔をしていることは一目で判る。
「しっかりしろ、ヴァオ」
 長篠・ゴロベエ(パッチワークライフ・e34485)が叱咤した。
「望月さん一家はもう死んでる。この屍隷兵が悲鳴をあげるのは――」
 指天殺を食らわせるべく、バトルガントレットに覆われた腕を突き出す。
「――ただの反射行為。自動的に叫んでいるだけだ」
「むぉぉぉぉぉーっ!?」
 ヒト型が悲鳴を発した。だが、攻撃を受けたわけではない。ゲル型が盾となったのだ。それでも『自動的』に悲鳴が生じたのは、ヒト型とゲル型が痛みの感覚を共有しているからだろう。
「やれやれ」
 かぶりを振りながら、オラトリオの月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)が日本刀の『ゆくし丸』を抜き放った。
「原型を留めぬほど改造しておきながら、痛覚はしっかり残しておくとは……ルイアーク君の言うとおり、悪趣味極まりないねぇ」
 彼を含む後衛陣に対して、狼森・朔夜がメタリックバーストで命中率を上昇させ、雪村・達也が『伊邪那岐・伊邪那美』でジャマー能力を上昇させていく。
「かわいそうに」
 空々しい同情の言葉を吐いて、イサギは『ゆくし丸』を振り下ろした。
 切先から撃ち出された時空凍結弾を受けてヒト型がまた声を張り上げたが、今度は一人分の声だった。
 一家の中で最も幼いミカの声。
 それはただの絶叫ではなく、言葉をなしていた。
「お、おがあぢゃぁぁぁーんっ!」
「むぅぅぅぅぅーん!」
 五人分のヒト型の悲鳴が後に続く。
 ミカの声は途切れた。その顔は口を開けたまま、ぴくりとも動かない。『おかあちゃん』が最期の言葉。
「……一人」
 と、アガサが静かに呟いた。

●憎しみもまた知らず
 月と戦場の間をウイングキャットが飛び回り、清浄の翼でケルベロスたちに異常耐性を付与した。
「みゃあ!」
 主人の陣内に向かって、ウイングキャットは悲しげな鳴き声を発した。なにごとかを訴えるかのように。
 しかし、風を切る音がその声を打ち消した。音の発生源は、陣内の左右の手から伸びる二本のケルベロスチェイン。
「むぅぁぁぁー!?」
 ケルベロスチェインの錘で傷口を抉られた挙げ句に凍結の追加ダメージを受け、更にその凍結の範囲を広げられて(今の攻撃はジグザグ効果を有する絶空斬だった)、ヒト型はよろめいた。地面に転がっていたガラス製のサラダボウルが大きな足に踏み砕かれる。望月家の『屋外ディナー』で素麺の器として使われてた物だ。
 ガラスの破片がヒト型の厚い皮膚を傷つけることはなかったが、何人かのケルベロスたちの心には突き刺さった。
「かわいそうに」
『何人か』に含まれないイサギが先程と同じ言葉を先程と同じように空々しく口にして、先程と同じように愛刀を振り下ろした。
(「皆はこの屍隷兵のことを哀れんでいるようだけど――」)
 先程と違うのは、翼をはためかせて空中にいること。そして、アガサの『群青』を受けてジャマー能力が上昇していること。
(「――私には敵にしか見えない。そう、微塵も躊躇することなく、斬って捨てることができる存在だ」)
 刀の動きに合わせて発動したグラビティは『驟雨の陣』。不可視の刃の雨がヒト型に降り注ぎ、機動力を低下させていく。
(「そう考える私こそ化け物か……心なんて、とうに地獄に喰わせてしまったからな」)
 心に化け物を宿すイサギの眼下では、体を化け物にされた望月家の面々が新たな悲鳴を響かせていた。霧山・和希のグラビティ『蒼褪めた刃』を受けたのだ。
「……」
 苦悶するヒト型を見つめる和希。一見、無表情だが、瞳には怒りの色が滲んでいる。空蝉に対する、狂気にも似た怒りが。
 エリオット・アガートラムもまた怒りを覚えていた。そして、悲しみも。なによりも悲しいのは、哀悼の対象が望月家だけではないことだ。空蝉の事件に彼が対処するのはこれで二度目だった。
「いつか、必ず、空蝉を……倒します!」
 誓いを口にして、オウガ粒子を前衛陣の周囲に散布する。
 ほぼ同時に恭志郎も『燿華』を前衛陣に用いていた。
「ああ、必ずな」
 旅団の後輩たるエリオットの言葉に静かに答え、リューディガーがバスターライフルのトリガーを引いた。発射されたのは通常の光線ではなく、『Donner des Urteils(ドンナーデスウアタイル)』。威嚇射撃でありながら、標的にダメージを与えるグラテビィだ。
『燿華』の重ね掛けやメタリックバーストで命中率が上昇し、なおかつヒト型に足止めが付与されいることもあって、それはヒト型に命中した(威嚇射撃なので本当の意味では命中していないのだが)。『雷鳴(ドンナー)』という言葉を含む名前に相応しい砲声が轟き、ヒト型の動きを鈍らせる。
 少し遅れて、もっと小さな雷鳴が聞こえてきた。ルイアークのエレキブースト。
 それを背中に受けたリノンがリューディガーと同じ姿勢でバスターライフルを発射した。
 フロストレーザーがヒト型へと伸びる。
 だが、その途中で肌色の盾に阻まれた。またもやゲル型が守ったのだ。
「むぉぉぉーっ!?」
 声なきゲル型に代わって、ヒト型が痛みに吠えた。
「そうやって悲痛に泣いても、俺は怯まないぞ。空蝉の野郎が起こした事件の報告書を何度も読んで、イメトレをしたからな」
 ゴロベエがヒト型に迫った。ゲル型の攻撃を受けながらも、意に介することなく、一気に間合いを詰める。
 だが、ゴロベエよりも数秒速くヒト型に到達していた者がいた。
 それはもう一人のゴロベエ。怠惰真拳なるものの奥義『牙懐崩山拳(ガカイホウザンケン)』によって生み出された分身だ。
「おまえは自動的に叫んでるだけ。自動的に叫んでるだけ……自動的に叫んでるだけだ!」
 同じ言葉を繰り返しながら、ゴロベエは分身と一緒に頭突きを、手刀を、掌底を、肘打ちを、膝蹴りを食らわせた。
 目の前のヒト型に。
 そして、心の中で空蝉に。
「むぅぅぅぅーん!」
 五人分のヒト型の叫び。
 それはすぐに四重奏になり、ただ一人だけが意味のある言葉を発した。
「泣くな、ミカ! 大丈夫だ! きっと、ケルベロスが助げてぐれるくぁるぁぁぁー……」
 長男マサキの声。ミカがもういないことに気付いていないらしい。あるいは、断末魔の言葉を空蝉が事前にセッティングしていたのかもしれない。ケルベロスを苦しめるために。嘲笑うために。
「二人」
 マサキが息絶えたことを見て取り、アサガがまたカウントした。
「せめて、ペインキラーが使えたらよかったのですが……」
「そうだな」
 重い声で呟く恭志郎にリューディガーが頷いた。
『ペインキラー』を有する防具を二人は着込んできていた。望月家の面々の苦しみを少しでも減らすために。しかし、『ペインキラー』は戦闘中のほんの一瞬の接触で使えるようなものではなかった。たとえ使えたとしても、屍隷兵と化した者に効果があるかどうかは判らないが。
 彼らが感じているやるせなさを断ち切るかのようにアガサがヒト型を指し示した。
「あれらはかつて人間だった。でも、今は違う。だから……」
「……判ってる」
 リューディガーが答えを遮り、頷いてみせた。
 アガサは小さく頷き返し、心の中で自問した。
(「人間と化け物の境い目って、どこなんだろう?」)
 化け物となった人間のために無駄と知りつつも『ペインキラー』を用意する――そういった心情を理解できるかどうかが境い目なのかもしれない。
 そんなことを思うアガサの心を読み取ったかのように――、
「貴方たちは人だ」
 ――と、陣内が望月家に語りかけた。
「化け物は俺だ……それでいい」
 そして、『化け物』はヒト型に突進した。

●慈しみさえ知らない
 戦いは続き、ヒト型は何度も泣き叫び、望月家の人々は次々と息絶えていった。
(「もし、あの時、敵を殲滅できていれば……」)
 恭志郎は思い出さずにいられなかった。
 螺旋忍軍の屍隷兵の研究施設を襲撃した時のことを。
 そして、ケルベロスとして覚醒した日に抱いた万能感や高揚感のことも。
(「ケルベロスなら、なんでもできる。目の前にいる人を必ず助けられる。そう思っていたのに……」)
 すべての人を助けられるわけではない――その残酷な事実に打ちのめされながらも、恭志郎は戦い続けた。戦い続けるしかなかった。
「あんたぁーっ!」
「むぅーん!」
 五つ目の顔――三津子が最期の叫びを発し、ヒト型の慟哭はついに一人分になった。
「五人」
 悲しみのカウントを続けるアガサの横でリノンが『サタナス・ズレパニ・ビオス・テーレウシス』を用いた。
 鎌を手にした影が現れ、ゲル型を斬り裂く。その攻撃でゲル型は完全に沈黙したが、リノンが狙った相手はヒト型のほうだった。
(「また、盾に防がれたか。ヒト型のほうを先に倒すつもりだったのだが……」)
 心中で歯噛みするリノン。
 そんな彼の耳朶を叩くのはヒト型の苦しげな絶叫……ではない。
「うぉぉぉーっ!」
 陣内の咆哮だ。
 前衛にシフトした彼は狂月病の影響で理性を喪失し、野獣さながらにヒト型に食らいついていた。
「少し落ち着こうか、玉さん?」
 イサギが声をかけたが、陣内は聞き入れなかった。いや、聞こえていないのだろう。
「玉さん、玉さん、玉さ……陣!」
 珍しく声を荒げて、自らを『化け物』と見做した剣士は同じく『化け物』を自認する友の襟首を掴み、後方に引き倒した。
『陣』と呼びかけたのは彼だけではなかった。
 アガサも冷静に、事務的に、しかし、想いを込めて、その名を口にしていた。
 赤毛の少女とともに。
 呼びかける代わりにヒールを施した者もいた。
 遠之城・鞠緒だ。
「これは、あなたの歌。想い、覚えよ……」
 倒れた陣内の胸に手をあて、鞠緒は『レチタティーヴォ「昇華の書」』を発動させた。
 そのグラビティに想起されたイメージ――今は亡き者の名を陣内が呟く。
「な、ぎ……」
 そうしている間もヒト型はケルベロスたちを攻撃していた。
 標的となったのはゴロベエ。
 しかし――、
「んぁーっ!」
「がおー!」
 ――咆哮に咆哮を返して、オルトロスのイヌマルが巨大な拳を小さな体で受け止めた。
「そろそろ、終わりか?」
 衝撃で吹き飛ばされていくイヌマルと入れ替わるようにしてゴロベエが一気に踏み込み、再び『牙懐崩山拳』を見舞う。
「終わらせたい……ですね」
 回復役に徹していたルイアークが間合いを詰め、『第五皇帝禁呪・追憶零式(ツイオク・ゼロシキ)』で攻撃した。
 ヒト型の体がぐらりと傾いだ。
 しかし、なんとか持ち堪えた。
 そこにリューディガーが迫る。
「必ず、倒す。空蝉を……」
 エリオットとの誓いを改めて口にして、彼はゾディアックソードで破鎧衝を叩き込んだ。
 攻撃を受けた拍子に、望月家の最後の一人――雅和の左目を綴じていた糸が解れ、瞼が開いた。涙に潤んだ瞳にケルベロスたちの顔が映る。
 濁った血ととともに雅和は言葉を吐き出した。
「す、すみません……」
「なぜ、謝る?」
 と、後方にいたリノンが初めて声を発した。
「おまえが謝るな。私たちに謝るな」
「ほ、ほ、本当にすみ、まずぇ……」
 ヒト型はゆっくりと倒れた。巨体が地面に触れた瞬間、べちゃりという嫌な音がした。背面にあった顔(三男のミツルだ)が潰れた音だろう。
「……六人」
 アガサが最後のカウントをした。
「気を抜くな。まだ終わったわけじゃない」
 自分自身に言い聞かせるように呟いて、リューディガーが二体目のゲル型に攻撃を加え始めた。

 屍隷兵が一掃された戦場に雨が降り始めた。
 アンセルムがメディカルレインを使ったのだ。仲間たちの傷を癒すために。
 薬液の雨に打たれながら、恭志郎と朔夜は望月家に黙祷を捧げた。朔夜は何度か口を開きそうになったが、必死に抑えつけた。溢れ出そうになる悲しみと怒りの言葉を。抑えつけずに溢れ出したとしても、まともな言葉にはならなかっただろうが。
 アガサもまた黙祷していた。腕の中で震えるウイングキャットを優しく撫でながら。
 ウイングキャットの視線の先では陣内が倒れている。彼の傍に屈みこんでいるのは新条・あかり。狂乱する陣内に呼びかけた三人目の少女。
「お疲れさま。よく頑張ったね」
「……」
 月光を遮るためのアイマスクをあかりの手で装着されると、陣内は半ば意識を失った状態で呟いた。『今は亡き者』ではなく、今ここにいる者の名を。
 リューディガー、ゴロベエ、ヴァオは屍隷兵の遺骸を人間の形に戻そうとしていた。リューディガーとゴロベエは黙々と。ヴァオは子供のように泣きじゃくりながら。
 だが、上手くいかなかった。人体を構成するパーツが足りない。あまりにも足りない。
「本物の花は用意できませんでしたので……これで許してください」
 異形のままで死んだ望月家の面々にルイアークが花を供えた。
 サラダボウルの破片をヒールで加工して作ったガラスの花だ。

 敗北感に打ちひしがれた勝利者たちを月が冷たく見下ろしていた。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 9/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 8
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