●ある、不幸な事故
世に絶対という言葉はなく、我々は、常に何らかのリスクを抱えて生きている。
なんとも不幸な事故であった。
深山洋平の乗った車は、ガードレールをなぎ倒しながら数メートル直進、街路樹にぶつかりようやく停止した。
状況が悪かったのだ。その日の夜は、降り注ぐ豪雨のせいで路面も視界も最悪であった。
それに、彼は急いでいた。仕事でどうしても立ち会えなかったが、今日は妻の出産予定日だった。無事女の子を出産したという連絡はあったが、やはりどうしても、直接会って労いたい。そんな思いが彼を焦らせ、操作を誤らせた。
(「ああ、行かなくては。恵美……」)
それが彼の最期の思考となった。ぐったりとエアバックにもたれかかると、彼はそのまま絶命した。
大破した車の周りを、ゆっくりと、醜悪な人魚と深海魚が回遊する。
人魚は歪な肉の塊を取り出すと、洋平の死体に埋め込んだ。
びくり、と死体が蠢く。
それは瞬く間に膨張し、腐敗し、また伸縮した。
ぐちゃり、ぐちゃり、と音が響く。
気づけば、その死体は既に原形をとどめていない。
悪臭を放つ腐った汁を垂れ流し、うめき声をあげる怪物――屍隷兵(レブナント)だ。
ゆらり、ゆらり、と人魚は泳ぐ。泳ぎながら、それは微笑んだ。
張り付いたような、感情の見えぬ笑みであった。
「あなたが今、一番会いたい人の場所に向かいなさい」
「あー」
屍隷兵が立ち上がろうとする。いやいや、この箱の中からでなければ。体を固定するベルトを引きちぎった。ドアを強引に殴り飛ばすと、それは夜の道路に立つ。
「会いたい人を、バラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう。そうすれば、ケルベロスが2人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう」
そう言うや否や、人魚はその姿を消した。
「あー。行かなく、ては。め、ぐみ」
屍隷兵に知性と記憶はほとんど残ってはいまい。なら、紡いだ名前は残された最後の記憶であろう。
愛する者の名前。最期に合わなければならぬ人の名前。
屍隷兵が、ひたひたと歩き始めた。その周囲を回遊する様に、深海魚がふわりふわりと泳いでいた。
●屍隷兵をとめろ
「死神『エピリア』。コイツが今回の事件の首謀者だ」
アーサー・カトール(ウェアライダーのヘリオライダー・en0240)が眉をひそめて言った。
なんでも、エピリアは死者を屍隷兵にし、生前愛していた者を殺すように命じている、という事だ。
「屍隷兵はエピリアの言葉を信じて、愛する人をバラバラにして殺そうとしてる、と。うう、嫌ぁな感じだね」
頭をかきながら、フレア・ベルネット(ヴァルキュリアの刀剣士・en0248)が言う。
「ああ、嫌な事件だ。救いがない。だが、我々が屍隷兵を……彼を止めなければ、さらなる悲劇が起こる。それだけは止めなければならない」
アーサーが言った。
屍隷兵となった男を、元に戻すことはできない。だが、彼を放っておけば、彼は愛する妻と、生まれたばかりの娘を殺し、エピリアの手によって新たな屍隷兵とされてしまうだろう。
それだけは、絶対に避けねばならない。
エピリアはすでに姿を消している。エピリアと戦うことはできない。
倒すべき敵は、屍隷兵が1体、深海魚型の死神が2体。個々の戦闘力はさほど高くはないと思われる。
敵は道を歩きながら、愛する者が待つ病院へと向かっている。
とは言え、相当の距離があるため、病院にいる人々の避難などを考える必要はない。
戦場となるのは、事故現場となった夜の道路である。
激しい雨が降っているが、ケルベロスにとっては障害となるようなものではない。
街灯もあり、周囲は十分明るいだろう。
人通りや車通りは殆どないが、念のため、対策をした方がいいかもしれない。
「酷な任務だが、これ以上の悲劇を起こさせるわけにはいかない。辛いかもしれないが、作戦の成功と、君達の無事を祈っている」
そう言うと、アーサーは頭を下げ、ケルベロス達を送り出した。
参加者 | |
---|---|
キルロイ・エルクード(復讐の鐘を鳴らす者・e01850) |
光宗・睦(上から読んでも下から読んでも・e02124) |
山之祢・紅旗(ヤマネコ・e04556) |
深山・遼(縁風・e05007) |
音無・凪(片端のキツツキ・e16182) |
ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754) |
鹿坂・エミリ(雷光迅る夜に・e35756) |
菊池・アイビス(コウノ獲リ・e37994) |
●雨の中で
ざあざあと。
雨が降っている。
「嫌な雨だねぇ」
キープアウトテープで道路を通せんぼした山之祢・紅旗(ヤマネコ・e04556)が、空を仰ぎながら呟いた。
空に月はなく、重い雨雲が空をふさいでいた。
雨は涙のように、悲哀の叫びのように、強く、強く降り注ぐ。
「……ああ、嫌な雨だ」
帽子を深くかぶりながら、キルロイ・エルクード(復讐の鐘を鳴らす者・e01850)が同意した。
仮面の奥の感情は見えない。しかし、抑えきれぬ感情が、言葉から感じ取れた。
「そっちの封鎖、終わったか。お疲れさん」
同様に、一帯の封鎖を行っていたハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)が、紅旗の労をねぎらった。
「そっちもお疲れ様。まぁ、本番はこれからだけどねぇ」
肩をすくめた。そう、本番はこれからだ。なんて嫌な仕事だろう、と紅旗は思う。
(「この心臓が痛いような感じ、やっぱり嫌だなぁ」)
呟きは、心の中で。夜の闇に沈みそうになる気分を何とか引き留めようと、紅旗は強く、手を握りしめた。
「まったく、ひどい雨だ。タバコもすえやしない」
忌々しそうに、ハンナが言った。せめてどうにかして気分でも変えたい物だが、現実はそれすら許してくれない。
「向こうのチームは? 連絡はあったか?」
キルロイが尋ねる。今回の標的である屍隷兵たち、それを挟むようにして、道路の向こう側では、別れた別班が、此方と同様に道路を封鎖している。
「まだ。こっちから連絡入れてみるよ」
音無・凪(片端のキツツキ・e16182)がスマートフォンを取り出し、答えた。
番号を入力する。呼び出し音が鳴った。それを聞きながら、凪はぼやいた。
「……夜は好きなんだけどな……こんな夜は勘弁願いたいぜ……」
「はい、丁度連絡を、と思っていたところです。こちらの封鎖も完了しました」
スマートフォンを片手に、鹿坂・エミリ(雷光迅る夜に・e35756)は、通話相手、凪へと言った。
会話しつつ、仲間たちに目配せする。頷きを返されたエミリは、
「はい、此方も移動します……では、また会いましょう」
一度通話を打ち切った。
「向こうのチームからだよね?」
光宗・睦(上から読んでも下から読んでも・e02124)の問いに、
「はい。あちらも道路の封鎖が完了したので、目標に向かって移動を始めるとの事です」
「そっか。もうすぐ……なんだね」
睦は道路の先、やがて遭遇するであろう屍隷兵たちを見据えた。
「……大丈夫? 辛いなら、フレアさんと一緒に援護に回っても……」
沈んでいるように見えたのだろう、深山・遼(縁風・e05007)が心配そうに声をかけた。
「あ……うん、大丈夫。ちゃんと、カクゴはしてきたから」
答えて、睦は笑った。強がりだろうか? それは遼にはわからなかった。
ただ、彼女もケルベロスだ。彼女が覚悟を決めているというのなら、そうなのだろう。そう、信じることに決めた。
「そう……じゃあ、一緒に、彼の愛する人を守ってあげましょう」
そう言って、柔和な笑顔を返す。
「おう、ワシらでちゃーんと、決着つけたらんとな」
菊池・アイビス(コウノ獲リ・e37994)も同意した。
「行きましょう」
エミリが言った。
「彼の愛する人。彼の尊厳。守りましょう。私達で」
エミリの言葉に、皆が頷いた。
そしてケルベロス達は戦場へと向かう。
敵との遭遇まで、あと少し。
雨は上がらない。
けれど、戦いのときは刻一刻と迫っていた。
●前哨戦
2班で連絡を取り合い、攻撃のタイミングを合わせることになっていた。かくして2班は無事に合流、首尾よく挟撃を行う形となった。
「まずサカナ野郎を潰す! 屍隷兵の足止めは任せた!」
最初に飛び出したのはハンナだ。バトルオーラ、『硝煙』をまとわりつかせた拳から放たれたオーラが、深海魚型死神の身体に突き刺さる。
不意の直撃を受けた『深海魚』が、甲高い悲鳴を上げた。
「了解した。ここで止まれ。お前をこれ以上先に進めるつもりはない」
遼が『吠えた』。魔力を込めた遼の咆哮は、屍隷兵の足をすくませる。同時に、ライドキャリバー、『夜影』が飛び込んだ。敵をまとめてスピンに巻き込み、足止めを行う。
続いて、キルロイが銃弾をばら撒いた。雨の中でなお、立ち上る硝煙。仮面の奥の瞳は怒りに輝く。
「まったく……嫌な雨だ。嫌な夜だ」
吐き捨てるように。キルロイが言った。
「速攻でやっつけるからねっ!」
睦が全力で駆け出した。『深海魚』に狙いを定め、電光石火の蹴りを放つ。『深海魚』の急所に突き刺さる蹴りの一撃。
「affinitas――行きましょう」
エミリが言った。その言葉に応えるように、オウガメタル、『affinitas』はその身の輝きを解放。前衛のケルベロス達に超感覚を与える。
「陽が沈めば月が昇る。今は、月の時間だよ」
紅旗の言葉と共に放たれたものは、清浄な気を内包した金剛石輝く手製の弾丸。それはあまりにも清く、あまりにも浄く。それ故に、あらゆる毒を、あらゆる生をも許さぬ、真に清浄なる浄化の一撃。
紅旗の『残夜の月(ザンヤノツキ)』は屍隷兵へと突き刺さる。腐った血をまき散らして、膨らんだ肉の塊が破裂した。
あー、と屍隷兵が呻く。痛みはないのか。それとも、もはやそう感じる事すらできないのか。その緩慢な動きに変化はない。
「絶対に行かせない。今の君を、進ませるわけにはいかないんだ」
そう言って、紅旗は歯を食いしばった。
凪の斬霊刀、『天華』の白い刀身が闇夜に輝いた。
「嫌な仕事はさっさと終わらせるに限る」
神速の一撃は『深海魚』の一体を切り裂く。
「同感や!」
アイビスがオウガメタルによる一撃を、『深海魚』にぶちかました。
(「さて、連中の攻撃がフレアに届かなければいいんだけど……」)
凪が胸中でぼやく。と、その横を何かが通り抜けた。
「クフ、フ……こっそり……内緒でつまみ食、い……」
すれ違いざまに呟かれた言葉。その影は闇夜をかけ、『深海魚』をブラックスライムで以て丸のみにする。
凪がフレアへと目を向ける。フレアは笑顔で、ひらひらと手を振った。とりあえず、此方は大丈夫、という意思表示のようだ。戦場をかけた影――ケルベロス、リップ・ビスクドールは、どうやら闇夜に紛れ、フレアのサポートを行っていたらしい。
「なるほどね。じゃぁ、こっちはこっちでやらせてもらうぜ」
一つの懸念を解消された凪が構える。屍隷兵たちに動きがあったのだ。
屍隷兵が腕を振るうと、皮膚の一部が裂け、腐った体液が迸った。腐った汁はハンナへと襲い掛かり、
「っと、やらせねぇっての!」
凪がとっさにそれを庇う。
「悪いな、助かる!」
ハンナの礼に、
「そっちは攻撃に専念してくれ!」
凪が返す。
一方、『深海魚』達もふよふよと宙を泳ぎ始めた。
1体は自身を回復し、もう1体は遼へと襲い掛かった。
その鋭い歯による攻撃を武器で受け止める。死神の力により体力を吸い取られるのを感じながら、遼は『深海魚』を睨みつけた。
「お前達死神のおぞましさは増すばかりだ……!」
攻撃が緩んだすきを見て、後退する。
ハンナが地獄の炎をまとわりつかせた武器で『深海魚』を攻撃する。『夜影』に騎乗した遼は、『夜影』の銃撃の援護を受けつつ屍隷兵に斬りかかる。すかさずキルロイの銃弾が屍隷兵に襲い掛かり、その腕の肉を抉った。
睦は『深海魚』へと駆ける。ほぼ密着状態で拳からオーラを放ち、『深海魚』を打ちのめす。
エミリは『affinitas』より放たれた治癒の輝きを、前衛のケルベロス達へ浴びせた。
紅旗の竜の幻影と、凪の地獄の炎弾が屍隷兵の肉体を焼いた。アイビスの鋭い飛び蹴りが『深海魚』を捉える。
屍隷兵が叫びながら、両手をでたらめに振り回した、周囲一帯への無差別攻撃である。これは前衛のケルベロス達が受けることになった。
一方、2匹の『深海魚』はふよふよと浮かびながら、恨み声をあげる人面めいた弾を発射。前衛のケルベロス達にさらなる追撃を加える。
「やるじゃないか? だがね!」
ハンナが叫び、『硝煙』をまとわりつかせた拳から、再びのオーラ攻撃。遼は再び咆哮を上げ、『夜影』はスピン攻撃を行う。
「報いを受けろ」
キルロイが呟き、『深海魚』を撃った。『深海魚』は身をよじらせ、尋常とは思えぬほどの悲鳴を上げる。
それは、犯した罪の数が多ければ多いほど痛みが増す、とされる銀の弾。相手を悔恨と絶望の底へ叩き落とす、断罪の一撃。
『罪人を抉る銀弾(カルプリットキラー)』その名のままに。今、罪人は罪過に焼かれる。
「てめぇには、よおく効くだろうよ」
その言葉と同時に、『深海魚』はこの世から消え失せた。残る『深海魚』は1体。
この勢いを殺したくはない。睦は手にしたナイフの刃を変形させ、『深海魚』へ一気に接近、『深海魚』を切り裂いた。エミリと紅旗が前衛のケルベロス達に回復の光を/花のオーラを浴びせ、凪が屍隷兵に斬りつける。
「――ほいじゃあこれで」
アイビスが、細い帯状の螺旋力を、手刀から放った。それは『深海魚』へと向かって飛び、標的に接近するや、尖鋭に変形。
『辰(タツ)』と名付けられたその一撃は『深海魚』を刺し貫いた。
悲鳴を上げる間もなく、『深海魚』はこの世から消滅する。
「さて、これで護衛はのうなった。残るは、アンタだけじゃ」
アイビスが言った。
そう、彼の言う通り。残る標的は、屍隷兵ただ1体。
だが、ある意味で、ここからが本当の戦いの始まりでもあった。
●愛する人よ、愛する人よ
屍隷兵が雄たけびを上げ、ケルベロス達へと突撃する。振り下ろされた拳を、遼が受け止めた。
「……魂は既にここにはない。ただの肉の塊となったお前を消す事に、戸惑いはない」
あえて冷徹に。遼が言った。
ああ、そうだ。
きっと魂があったのならば。
彼は、止めてくれと懇願しただろう。
「……このままいくと、あんたは大切なものを失っちまう。そんな事は、望んじゃいないだろ?」
ハンナが屍隷兵へ、オーラを飛ばす。屍隷兵の身体が、少し崩れた。
「往け!」
遼が叫んだ。途端、そこに何かが現れた。
それは、姿の見えぬ地獄の番犬。
結ばれた印より現れた不可視の存在。
『識炎(シキエン)』により現れた地獄の番犬は、確かな存在感を持って咆哮を放った。
同時に、『夜影』が炎をまとい突撃する。
地獄の番犬の牙に切裂かれ、炎の突撃を食らい、屍隷兵の身体が大きくよろけた。
「『お前さん』は悪くない。ああ、そうさ。『お前さん』は、何も悪くはない」
キルロイの声には、同情の色があった。だが、その射撃は苛烈なまま。激しい銃撃を、屍隷兵へと浴びせた。
「教えて……あなたの、想い……!」
睦が駆けた。走りながら、こぶしを強く握る。『虹架拳(アフター・レイン)』は、その一撃を受けた相手の無念や悲しみ、憎悪などを感じ取るとされる。
拳が、屍隷兵に突き刺さった。
想いは。無念は。ただ一つ。
『会いたい』
ただそれだけ。
それ故に――睦にとって、それは不意打ちを受けたような気持だったかもしれない。
負の感情を受ける覚悟はしていた。悲哀と怨嗟の声を受ける覚悟はしていた。
屍隷兵に残っていたのは、ただ会いたいという感情。
言い換えれば、それはただ、愛だけが残った状態。
あまりにも綺麗で、あまりにも醜悪な、愛の残骸。
それがこの屍隷兵なのだと――。
「――こんな、のって」
呆然と、呟いた。涙が一筋、頬を伝った。
「睦さん!」
エミリが叫ぶ。その声と、自身を包む回復の光で、睦は我に返った。
「大丈夫ですか? 一体何が……?」
エミリの問いに、睦は、ぐいっ、と涙をぬぐってから、
「ゴメン、大丈夫だよ。後で説明するね。今は、止めなきゃ。あの人を」
答える。
一瞬、エミリは困惑したが、
「分かりました。今は、戦いに集中しましょう」
屍隷兵を見据える。
「絶対に、君を進ませない。君の愛した人を、君に傷つけさせはしない」
紅旗が再びの『残夜の月(ザンヤノツキ) 』による射撃を試みる。銃撃は屍隷兵を貫く。屍隷兵は、まだ止まらない。まだ。
「素材が人間だろうと、“オマエ”はもう、元の人間じゃねぇんだ」
凪が言いながら、斬りかかった。
そうだ、もはや屍隷兵は、元の人間ではない。
そうでなければ、本当に、本当に――誰も救われない。
割り切らなければ、と凪は思う。
割り切らなければ。きっと、この一撃は、心に陰を残してしまうから。
「もうええんじゃ。もう、眠れ」
アイビスがパイルバンカーを突き刺す。
体の大半をぼろぼろにしてなお。屍隷兵は、まだ、歩みを止めようとはしない。
「行かな、ければ。行かなけれ、ば」
屍隷兵が言いながら、腕を振り回そうとした。だが、うまくゆかない。
ぐちゃり、ぐちゃりと言いながら、身体は崩壊を続けている。
それでも、歩みを止めない。
「そうだな。もう、いいだろ」
ハンナが言った。拳を強く握り、
「こんなものしか、手向けに出来ないけどよ。受け取ってくれよ。……じゃあな」
『鉄の拳(フィフティ・キャリバー)』が、屍隷兵の身体を貫いた。
●雨は止まずに
ハンナの『鉄の拳(フィフティ・キャリバー)』が、屍隷兵の身体を貫いた時、勝敗は決した。屍隷兵は消滅した。後には何も残らなかった。
まるで、全てが出来の悪い悪夢を見ていたかのようだ。
でも、今日の出来事が、決して夢ではなかった事を、ケルベロス達は痛いほどわかっていた。
「……会いたい。それが、彼に残されていた最後の感情、ですか」
エミリが沈痛な面持ちで、言った。
睦が、事故現場に花を捧げながら、頷いた。
「本当に……愛していたんだね。お嫁さんと、子供の事……それだけが、残る位に」
言って、睦は目を伏せた。
エミリは瞳を閉じた。
(「彼は確かに、あなたを……愛していたのですね。たとえその身が穢され、侵されたとしても……愛する心だけは最後に残っていた」)
それが救いであるように、エミリには思えた。例えどれだけ踏みにじられても、最後に残ったもの。今回はそれが利用される形になってしまったが、どれだけ穢されても、侵されても、それだけが残るのだとしたら。
「最初はびっくりしたけど……うん、きっと、素敵な事なんだと思う」
睦は笑顔で言った。少しだけ、寂し気な笑顔だった。
睦は、捧げた花に視線を向け、手を合わせると、
「あなたの代わりに、あなたの家族を……この世界を、私達は守り続けるから……だから、ゆっくり休んで」
そう言った。エミリも瞳を閉じて、心の中で祈りをささげた。
「風邪をひくよ」
紅旗が、アイビスへ言った。
アイビスは無言で、雨に打たれていた。
紅旗はそれを、黙ってみていた。
そうしたい気持ちは、紅旗にもわかっていた。
「遣りきれんよなぁ」
ふと、アイビスが口を開いた。
「遣りきれんよ」
吐き出すように、アイビスが言った。
「すまんなぁ。恨み言はいつか、そっちで聞くわ。だから、今は……」
呟くように、話しかけるように、アイビスが言った。
「ほんと、遣りきれないねぇ」
紅旗はそう呟いた。
2人はそうして、しばらく雨に打たれていた。
(「不快だ。不愉快だ。ああ、ひどい気分だ」)
屍隷兵……いや、深山洋平が消えてしまった場所で、キルロイは十字を切って祈りをささげた。
ひとまず事件は終わりを迎えた。
だが、キルロイの怒りは収まらない。
そうだ。そうだとも。キルロイが怒りを向ける相手は、まだのうのうと生き残っている。
「死神共。てめぇらは俺に喧嘩を売ったぞ。それも、最高に最悪の方法でだ」
呟いた。空を見上げる。雨が、仮面をつたった。それは、怒りの涙にも似ていた。
「報いは受けさせる。必ず。必ずだ。覚悟しろよ。てめぇらは、俺を怒らせた」
誓いを胸に。キルロイは新たな戦いの始まりを決意した。
ハンナは自身の車の運転席に乗り込んだ。濡れた髪をかき上げて、タバコを取り出そうとして――やめた。
こんな時に吸ったって、不味いに決まっている。
思わずハンドルを殴りつけそうになるのを、必死でこらえた。
全く、嫌な夜だ。嫌な事件だ。最悪なのは、この事件の顛末を、何も知らぬ女に告げなければならない事だ。
自分で選んだこととはいえ。
少しばかり、気持ちがささくれ立つ。
ハンナはシートに深く身を預けた。少しだけ休んだら、出発しよう。
ハンナは深く息を吐いて、窓の外の景色を眺めた。
何も知らぬ、幸せな人々の生活の光が見える。それが、少しだけ、心を穏やかにしてくれた。
「……お疲れ様、凪さん」
「遼姉ぇ……」
「……本当に、お疲れ様。辛かった……わよね?」
遼の言葉に、凪は一瞬、頷きかけて、すぐに首を振った。
「いや……なんてことないぜ。ああ、よくある事だ」
遼が、凪の隣に立った。
しばし、沈黙が、辺りを支配した。
雨の音だけが、ざあざあと響く。
「初めてかもしれない」
凪が、呟いた。
「夜をさ。嫌な夜だな、って思ったの」
遼が、凪の頭を撫でた。
「……今度、お花をあげに来ましょう」
遼の言葉に、凪は頷いた。
事件はひとまず幕を下ろす。
ケルベロス達の心に、消えぬ何かを残して。
月はまだ顔を見せず。
分厚い雲が夜空を覆う。
ざあざあと。
雨が降っている。
作者:洗井落雲 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年9月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 6/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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