●さよなら
日頃は適当に結うだけの髪を、金魚の簪を射してシニヨンでまとめ。
濃紺の地に白と赤の金魚が泳ぐ浴衣に、金の帯を締めて。
ありったけの夏のお洒落は、浜木綿が咲く海辺で待ち合わせをした少年の為。夏休み前にようやく実った恋の喜び。
けれど。
慣れない下駄に、少女は長い階段を踏み外した。
自宅近くの岩山を越える、海辺への近道。崩れやすくなったその階段は危ないと、人通りは殆どない寂しい場所。
「……まだ、手も繋いでない、よ……そら、くん……、――」
夢心地の高みから転がり落ちた少女は、砂に塗れた手で宙を掻き。そのまま誰に看取られることなく息絶えた。
『あなたが今、一番会いたい人の場所に向かいなさい』
感情の読めぬ微笑を浮かべ、赤い瞳の人魚――死神『エピリア』は、男とも女ともつかぬ醜い異形へ、そう告げる。
『会いたい人を、バラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう』
死したばかりの『少女』に歪な肉の塊を埋め込み、元の容姿など輪郭すら残さぬ屍隷兵に作り替えたのはエピリアだ。
その上で、少女の願いを甘く唆し。
『そうすれば、ケルベロスが2人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう』
言うだけ言うと、連れた深海魚型死神のみをそこへ残し、自らはデスバレスへと帰還を果たす。
ずるり、ずるり。
仄青い魚を伴い、屍隷兵は階段を登る。少年に、会いに行く為に。少年を、バラバラにする為に。少年と、一緒になる為に。
しゃらり、しゃらり。
肉の頭に挿した金魚の簪だけが、夜を連れてくる海風に切なく歌う。
●夏還祭
エピリアという名の死神が、死者を屍隷兵へと換え、その屍隷兵へ愛する者を殺すよう命じているらしい。
屍隷兵は知性を殆ど失っている。が、エピリアの言葉に騙され、ずっと共に在る為に愛する人をバラバラに引き裂こうとしている。
「事件の舞台となるのは、『夏還祭』というお祭りが催されている場所近くです」
海辺に無数に咲く浜木綿をレイのように編み海へと流すことで、夏に別れを告げると同時に、来年も無事に夏が廻ってくるよう祈る祭。
またの名を、白花葬。
「このお祭りへ向かう途中で事故死した少女が今回の屍隷兵です」
口振り重くリザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は悲劇のあらましを語る。
このまま屍隷兵が愛する人を殺め、その人もまたエピリアによって屍隷兵へと換えさせぬ為に。救えぬ少女の魂を、これ以上穢さぬ為に。
「階段を登り終えた屍隷兵は、緩やかな砂地の斜面を下って、待ち合わせの場所を目指しています」
浜木綿が咲き乱れる彼の地こそ、ケルベロス達が屍隷兵とまみえる場。
遠くには、祭に参加し締めの浜木綿の花のような水上花火を楽しみにしている人々の喧騒が聞こえる。
「余人が近付かぬよう、私も手を貸そう」
六片・虹(三翼・en0063)の申し出にこくりと頷き、リザベッタは更なる仔細を細く紡ぐ。
エピリカは現れないが、三体の深海魚型死神を屍隷兵が連れていること。
屍隷兵の強さ事態は、然程でもないこと。
「きちんとした戦略をたてて迎え撃てば、倒すことそのものはそう難しくはないでしょう――ですが」
――皆さんの心には、大いなる負荷をかけることになるかもしれません。
やるせない邂逅を前に、リザベッタはケルベロス達を慮る。
されど、見過ごすわけにはゆかぬのだ。悲劇が悲劇を生むなど、あってはならないから。
「……斑鳩さんが仰っていた通りの事態になってしまいましたね」
浜木綿咲く浜辺。
花火の宵に、事件が起きる。
それは斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)が危惧した通りの悲劇だった。
参加者 | |
---|---|
ミズーリ・エンドウィーク(ソフィアノイズ・e00360) |
鬼屋敷・ハクア(雪やこんこ・e00632) |
リラ・シュテルン(星屑の囁き・e01169) |
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879) |
ソーヤ・ローナ(風惑・e03286) |
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026) |
デニス・ドレヴァンツ(花護・e26865) |
祝部・桜(玉依姫・e26894) |
一つの花が持つ言葉は、幾つかある。
「浜木綿は、どこか遠くへ、と。清潔だっけ」
なだらかな斜面を埋め尽くす白を、ほぼ同じ形の黄色い花で覆われていない側の瞳に映し、ミズーリ・エンドウィーク(ソフィアノイズ・e00360)は三枚片羽を休めてぽつり呟く。
空と海を塗り潰す朱は、地上もまた同じ色に染め。華奢な百合が寄り集まったような花も、踊る紅蓮を思わせる。
(「まるで、彼岸花のよう」)
同じ科目の花に喩え、祝部・桜(玉依姫・e26894)は浜木綿から視線を移す。
(「これ以上、苦しまぬよう。終わりを、差し上げよう」)
想い交わした男から送られたリボンを海風に揺らし、桜は近付く『肉塊』を見た。
逢いたい気持ちは痛いほどわかる。
「けれど、あなたは、もう――」
●哀
「頼んだよ」
変事は須らく、野次馬を招くもの。故にデニス・ドレヴァンツ(花護・e26865)は人避けの陣を展開すると、警戒役の虹を送り出す。
「――さて」
アンバランスな三枚翼が疾く翔けゆくのとは反対側へ振り返ると、まずは淡い燐光を発する魚体が目に入る。その後ろに潰れた団子を繋げたような人型が。
けれどケルベロス達の耳には、波音や這いずる足音より、涼やかな音色の方が強く響いていた。
しゃらん、しゃらん。
赤と黒の二匹の金魚と水泡を模した水色の鈴が謳う歌に、鬼屋敷・ハクア(雪やこんこ・e00632)は痛む胸を雪色の手でぎゅっと押さえる。
『彼女』を思えば、苦しくて仕方ない。
(「けど」)
灰色の匣竜を従えハクアは顔を上げ、名も知らぬ少女が変じた怪物『金魚』と向き合う。
救えない代わりに。もうだいじょうぶだよ、と。ゆっくりおやすみ、と言う為に。
「がんばろう、ドラゴンくん」
夕焼けの光にハクアがキラキラと銀の粒子を蒔くと、呼ばれた匣竜も己が灰の属性を誰かに送ろうとして――すぐ近くにいた桜を選んだ。
「ありがとうございます」
二つの恩恵に与った少女は短く礼を告げ、そのまま自らの影より黒刃の大剣を召喚すると怪魚たちへ走る。
「峰打ち、ですよ」
ハクアによって授けられた加護は、早くも桜の初撃強化という形で功を成し、金魚を守る怪魚三体をまとめて縛めるのに一役買う。お陰で直後の怪魚たちの桜への反撃は、一体は空を噛むに終わった。
しかも残り二体の牙も、盾を担う桜にはさほど痛いものではなく。
すかさず桜の翼猫であるノラが癒しの羽ばたきをしたのを確認し、リラ・シュテルン(星屑の囁き・e01169)は静かに星図を読み解くように状況を確認する。
「これなら、……、そう」
敵の破壊力は、いつも相手取るデウスエクスと比べるとかなり弱く、癒しの要であるリラが、急ぎ桜へ手を回す必要はない。ならば。
「お願い、します」
「はい!」
リラから飛ばされた電気ショックに内を活性化されたソーヤ・ローナ(風惑・e03286)が、一気に前線へと躍り出た。
「行きます」
野生動物のしなやかさに騎士の豪胆さを纏わせ、超高速の突撃で怪魚たちを一気に薙ぎ払う。破壊を担うソーヤの一撃に、早くも燐光が騒めき始める。
続いたリラの翼猫、ベガの爪にも怪魚は同様の反応を示す。
「成程。ならば――味わってみるか?」
感じた終わりの予感の侭に、デニスは月の如き銀色に輝く狼に咆哮を上げさせた。煌く赤い瞳は獰猛に、駆けて、跳んで、喰らって、一体の死神の永遠の命を疾く解く。
『ヴヴっ』
けれど、そこでようやく。散った燐光に紛れて、金魚が木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)へ突進を仕掛けた。
「ごめんっ」
「気にするな! 命を弄ぶ者の思惑に、負ける訳がない!」
庇いが間に合わなかったミズーリの喰いに、ウタは不屈の意思を示す。それに、金魚の今の一撃は、それまでが嘘のように早かった。まるで、恋する誰かの腕に飛び込む少女のように。
(「俺が一番、背格好が似てんのかもな」)
「それでもな!」
去来した切なさを、ウタは力に換える。歌声に乗せ紙兵を躍らせ、後ろに立つ者たちに自浄作用の因子を根付かせた。
しゃらん。
「せめて二人が出会う前に」
鳴り止まぬ音色の源、艶やかな簪を視界の端に収め、斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)が構える。
浮き立つ感情の名残の痛ましさ。本来の彼女なら、『こんな姿』は晒したくもないだろうに。特に、恋仲の相手なら。
「疾く、散華と参りましょう――散り逝く極まで、惑い続けなさい」
花霞を美しいと感じる心も、最早お忘れでしょうか。
哀れみを花として、朝樹は怪魚たちを鮮やかな紅の混沌で覆う。そうして具に怪魚たちの動きを観察し、朝樹はミズーリへ的確な一言を投げた。
「左です」
「了解だ!」
示された意味を正しく察し、ミズーリは低空を滑り自分の左手側の怪魚へ翔ける。
「イイさ。『悲しい思い出』は『陽気』なあたしが連れてくから」
すれ違いざま、金魚へ囁いたのは花言葉から思い至った決意。
「あんたの願いは、絶対にきちんとしたカタチで叶えてみせるから……!」
骸花心中奇譚。とある愛の結末を語った悲劇的なソロギターの調べを奏で、ミズーリは二体目の怪魚にピリオドを打つ。
見る間に戦いは決して行く。
命の炎が消える寂しさを――自分と同年代の若者であれば猶の事――胸に、ウタは力を振るう。
(「まだまだこれからだもんな。心残り、あるよな」)
だからこそ、その想いをも利用し、更に命を狩ろうとする輩には虫唾が走る。
(「人の命を、思いを、玩具にしやがって。死神め!」)
「俺達が止めてやろうぜ。愛する者をその手で引き裂くなんて、絶対にさせちゃダメだ」
ウタの熱い訴えに、リラは華奢な足で大地を強く踏み締めた。
全てを救いたいと願い、生かす事を志として努力して来た。だのに、今は迷う。
(「何が、救い?」)
自分なら、大切な人を殺めるのは望まない。
でも、殺されてでも一緒に居たいとは、願うかもしれない。
それでも。
(「殺させない」)
――殺させたくない。
●散華
美しい簪の歌に反し、男か女かも不明な肉の塊。トリガーは不慮の事故だ。それがなければデウスエクスの介在もなかった。
(「運命って残酷なモンだ」)
夕映えに赤く燃えるバケモノへ肉薄し、ウタは奥歯をギリリと噛む。
幸せが、早く逢いたいと急く心が、少女の足を滑らせた。何とやりきれない顛末。
けれどウタは判っている。
(「あんたを止めることが、その手を血に染めさせないことだけが――」)
自分たちが彼女にしてやれる、せめてものコト。
「手加減なしだ! お前の鼓動(ビート)が止まるまで、俺の炎は止まらないぜ!」
『ア゛あぁ゛っ』
守る怪魚を失った金魚へ、ウタは渾身の逆巻く紅蓮の炎を叩き込む。悶え苦しむ声は、既に人のものではなかった。そして第二の命の灯も、もう消えようとしている。
「黄泉路を彩る灯りを添えましょう」
軽く開いた掌を上向け、朝樹は再び薄紅の霧を舞わす。但し今度は、少女への手向けとして。
(「操られし無為の呪縛から解き放たれて、宙を自由に泳ぎ――」)
少女であった肉塊を霞柵が覆いゆく様から、朝樹は夕暮れる空へ朝焼けの眼を馳せた。
終わりの果て、彼女が高天原で咲き誇れるよう。来世で恋仲と巡り会う為に。
「――安らかにお眠りなさい」
混沌の花嵐に屍隷兵が膝をつく。一瞬、頬を透明な滴が伝ったように見えたのは幻か? なおも金魚は、低い姿勢でずるずると這いずり続け――ようとした、その時。
「突然の離別にアンタは肉を添える、だって? それじゃ花は裂けるだけ。キレイに還せないじゃん! なっちゃない、ナンセンス!!」
吼えたミズーリが金魚の前に立ち塞がる。ただし糾弾は彼女へではなく、これを成した死神へ。無駄なのは百も承知。それでも言わずに居られなかった。
「ココで終わらせる為に、あたし達が居るんだ……! アンタにも愛は、あるのかい?」
訊ねるフレーズは、技を正しく構築させる必須要素。そうでなければ、ミズーリは問いなど紡がない。だって、分かり切っているから。金魚は今も、恋しい人の元へ行こうと必死だから。
「伝えたいコトはある?」
悲しい旋律を聞かせ乍ら、ミズーリは金魚に耳打つ。希望は細い糸。果たして、その先は魂に繋がる。
『ゾ、ラ……。ぞら、そら、そら、そら、そら』
――そらくん。
「降されし力を、ここへ!」
全員の耳に届いた呼び声に、ソーヤは血を吐く思いで力を練り上げた。時に癒し、時に破壊する活殺自在の拳。此度は壊す為に、金魚へ伸べる。
炸裂する波動に、浜木綿の花弁が空へと舞う。
弔いの雨に、ソーヤは思う。確か、花言葉は――。
「そんな姿になっても、会いに行くんだね――でも、ごめんね」
魔力で編んだ雪花いちりん。喚び出す合図を設えて、ハクアは白く微笑んだ。
金魚の少女。つらかったろう、苦しかったろう。そんな同情がハクアの胸にある。しかし、択べる道が一つなら。全てを、氷と雪で覆い隠し。
「こんにちは、また会えたね」
膝を軽く折ってハクアが迎えたのは、優しい面差しの老紳士。されど彼がステッキで地面を突くと、金魚の足元に鋭い氷の花が咲き。肉の躰を刺し穿つ。
(「こんな終わり、あんまりです」)
凍て付いた処にドラゴンくんの体当りを受け、ぼろり左手の捥げた肉塊の姿に、桜は眉間に力を入れる。そうしないと、心が負けてしまいそうなのだ。
(「もっと優しい終わりであってほしかった」)
「っ、リラお姉さま!」
全てを飲み込み殺して御業で金魚を鷲掴みにし、桜は友の名を呼ぶ。そうする事が、互いを鼓舞するのを知るように。そして想いを継いだ癒しの少女も、星杖を構える。
「星達が揺蕩う世界へ、」
(「大好きなひとに、逢いたかった、ね。手を、繋ぎたかった、ね」)
星屑迷宮への誘いを唱えるリラの胸には、謝罪が溢れていた。
(「逢わせて、あげられなくて。手を繋がせて、あげられなくて。ごめん、ごめん、ね……」)
泣くな、己に懸命に言い聞かせ、リラは杖を握り締める。
「ようこそ――さようなら」
せめて最期は優しい夢を。密かに祈り、リラは星々の謳で金魚を惑わせ、命の欠片を散らす。
ノラとベガも、デウスエクスへ爪を立てた。肉塊は、もう身動ぎ一つ出来ず。けれど、様々を削ぎ落された姿に、デニスは愛らしい少女の貌を垣間見た。
(「……一番、逢いたい人か」)
死神の酷な仕業。哀れを憂い、紫の双眸でデニスは金魚をひたりと見据える。
「私にも、逢いたい人がいるよ。もう逢う事の叶わぬ――愛おしい人だ」
陽の下で微睡むのを好む男は、夢見るように優しく囁く。そこに、誰かが居るかの如く。
だが、同時に。デニスは代償に力を得、人知れず苦悩する愛娘を想う。
(「――危うくて、心配なのだ」)
真白き鳥のような少女は、壊れてしまわないだろうか?
「逢いたいと願うのは、恐らくきみだけじゃない。それはきっと――いけないことじゃない」
獣の爪を研ぎ、デニスは金魚に語る。
「きみを、行かせるわけにはいかない。きみはきみであって、もうきみではないから。彼が愛したきみであって、きみではないから」
『ぞぉおおらあああ゛』
悲痛な絶叫を、デニスは銀狼の咆哮で掻き消し、
「さようならとおやすみを、きみに贈るよ」
――しゃらん。
妻を亡くした夫と、娘を愛する父の顔で、少女の命に正しい終わりを捧げた。
平穏と共に祭の気配が戻る中、人待ち風情で立ち尽くす少年は、とても探し易かった。
「……これ」
爛れ崩れた肉塊から救い上げた簪を、ミズーリは『そら』へ差し出す。
リラが「せめて」と化粧を施したけれど、肉塊はやはりただの肉塊で。
「……」
「受け取ってあげて?」
悔しさに継げぬミズーリに代わり、ハクアは泣くのを耐えて微笑む。
「……ありがとう」
そらは何かを察したようだった。その上で彼は簪を受け取り、二匹の金魚をするりと撫でた。その仕草にリラは堪らず走り出す。
「『諦めない気持ち』というのも、ありましたね」
そらの背中を見送り、ソーヤは浜木綿が持つ花言葉の一つに心馳せる。
多分、彼女は。前々から、約束の場所に来ていたのではないだろうか。だからこそ、そこを待ち合わせに選んだのではないだろうか。
(「――浦の浜木綿、……」)
古の歌人が詠んだ句を、ソーヤは思い出す。
君を想う。でも、実際に逢うことは――。
「……」
ソーヤの溜め息を、暮れゆく浜を吹く風が浚う。
●白花葬
祭囃子を駆け抜け、砂に膝から崩れたリラは杖に縋った。
泣くな、泣くな。
叱咤せねば、力を入れ過ぎたせいで血が滲んだ手のように、視界も揺らいでしまいそう。けれど痛いのは――。
(「少しでも、君を、救えたの、でしょうか」)
「リラあねさま」
凍てた背に、綾は抱き着き懸命に手を伸ばす。いつもと違うあねさま。でも戸惑いより心の痛みを和らげたくて、手を手で包んだ。
「綾ちゃん……」
伝わる優しさに、リラの瞳が遂に潤む。
「……水上花火、観にいこうか」
「うん、見に行こうっ」
ゆるり立ち上がり、リラは繋ぎ止めてくれた少女へくしゃり笑む。
――ありがとう、大好きよ。
でも綾は思うのだ。一杯頑張らなくても、いつも笑おうとしなくていいのだと。そういう時は、じぶんがぎゅうっとするから。
『金魚』を殺めておきながら、自分は恋人の腕に飛び込むなんて。本当は、悪い事な気がするのに。
「……ヴィンセント」
顔を見たら耐えられず、桜は身を預け。ヴィンセントも少女を抱き締め、その背を幾度も幾度も優しく撫でる。
きっと、金魚もこうしたかった筈。それはもう、永遠に叶わなくなった。
「世にあるものは全て等しく、終わりを迎えるもので。死ぬときは、皆一人」
恋人の鼓動を頬で聞き、ヴィンセントにとって『知り過ぎる』口調で桜は別離を語る。
「とても当たり前で、ずっと知っていたことなのに……今日は、堪らなく寂しくて悲しい」
「――オレは。オレが知らない終わりを、桜が決まった事のように言うのが、悲しくて、寂しい」
お願いだから、ひとりなんて言わないで。ずっと傍にいるから。
ヴィンセントの温もりに包まれ、桜は祈る。せめてあの子の魂が、安らかであるよう。
「……お願いがあるんですが」
愚痴なら幾らでも。お酒でも飲んで今日の事を忘れるかい? と敢えての軽口でソーヤを迎えてくれたのはレオンだった。そんなレオンへ、確かに耐えるには重い仕事だったけれど、今までもなかったわけではないと応えた女は、珍しく奢りますよ、と笑った後に切り出した。
「私が戻ってこれないくらいの怪物になったら、殺してくれませんか?」
その時の自分は、そうは思わないかもしれないが。だからこそ、今の私からの――。
「ま、そうなったらね」
でも、君を殺すのは君に頼まれたからじゃない。僕の意思。僕の責任、僕の権利で、僕の義務。
「『君に頼まれたから』なんてふざけた理由でやってたまるか」
はっきりと言い放ち、男は女の手を引き祭の輪に溶ける。
出来なかった少女がいるなら、その分ソーヤが――。
生きたい。
夢を叶えたい。
そういう願いに応え、未来を拓くのがケルベロスだと、ウタは改めて胸に刻んで、編んだ浜木綿を海へと還す。
追って奏でるのは、鎮魂曲。地球の重力の元、命が廻るように。
デニスは何を想い、事後のひと時を過ごすのか。ミズーリはどんな眼差しで、自分の彩に似た花たちが、波間を漂う様を見送るのか。
ドラゴンくんを抱き締めたハクアは、自ら流した白いレイが、徐々に遠退いていくのを眺め続けた。
「救うって、むずかしいね」
ぽつり漏らすと、腕の中の匣竜が顔を上げる。その円らな瞳しか、ハクアの目元が微かに赤い事を知らない。
否、今はまだ。誰にも見られたくなかった。
堪え切れずに泣いた跡など、見せたくはない。
暮れゆく陽、去りゆく夏。晩夏に感じる物悲しさは、届かぬ日々を思い起こすようで。
(「――郷愁めいている、か? 或いは、進めなかった未来か」)
懐かしむ過去など持たぬのに、と夜は浜木綿浮かぶ海を瞳に映す。
常ならば見向きもしない朝樹からの招き。誘った当人も、来ないと言う選択肢もあったろうにと嘯く。
「還りたいのでしょう、夜都。真昼の居なくなった夏へ」
並びもしない夜を朝樹は微笑み見る。
「彼女を葬ったのは僕ではない。貴方ですよ」
さぁ、まじないにどうぞ。
差し出した白いレイにさえ、夜は一瞥も呉れず。語られる言葉は、尚の事。片割れの無言の拒否に朝樹は笑みを深め、祈りの花を自ら還そうとして――刹那、朝樹の眼差しが無と化す。
空からは、昼の名残が消え。世界には夜の帳が下りて来る。何れ迎える朝へと刻を廻らす為。しかし廻りは何時途絶えるとも知れない。命に不意の終わりが訪れるのと同じに。
暗い海を揺れる白は、手招く女の細い手を思わせ。夜はそっと首を振る。
姉を愛おしんだことなどない。けれど嘗てへ戻れるなら。
(「ひとを愛す未来もあっただろうか」)
決して在り得ぬifに、夜は目を細めた。夜天を閉じ込めた瞳に、浜木綿を迎える光の花が咲く。
――呪いも祝いも同義。
夏を還す儀式も、生者の気紛れ。しかし朝樹は波間の白と、咲いては消える白を美しいと思う。
定まりし運命は覆らぬ。
ならば、航海の灯とする為に、瞼に焼き付けよう。
この美しき夏の終わりを。
作者:七凪臣 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年9月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 5
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