●ただ、かえりたい
終わりは突然やってくる。
夜更けの街。ひと気のない街。静寂を裂いて進む鉄の塊。その先を行く一人の女。
女は自身を照らす光と耳障りな音に振り返り、近づくものが何か理解する。
しかし理解した頃にはもう、どうすることもできない。
まるで木の葉のように、身体が宙に浮き上がる。それからぐるぐると回ってアスファルトに叩きつけられた時、彼女を撥ねた車は闇の彼方へと消え去っていた。
「……っ……ぁ……」
溢れる血と、迫り来る死の感触。
そこから逃れようとして、女は愛する息子の名前を呼んだ。何度も何度も呼びながら、すぐ側にあるひしゃげた箱に手を伸ばした。自分の身体と同じように潰れてしまった、小さなケーキと七本の蝋燭が覗く箱に。
けれども。現実は只々非情。女の意識は薄れ、途切れ、そこには死だけが残される。
――はずであった。
ゆらり、ゆらりと夜を泳ぐ魚が三匹、女の上で輪を描く。やがて来た半人半魚の死神『エピリア』が、微笑みを湛えながら『歪な肉の塊』を取り出して、絶命した女に埋め込む。
途端、死体は異形と化した。ぶくぶくと醜く膨れ上がり、屍隷兵になった。
「あなたが今、一番会いたい人の場所に向かいなさい」
一先ずの目的を果たして、しかしエピリアは微笑みを絶やすことなく告げる。
「そして会いたい人をバラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう。そうすれば、ケルベロスが二人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう」
淡々と紡がれる呪い。それに従って、女だった屍隷兵は歩き出す。
行く先はもちろん、一番会いたい人――我が子の待つ家。
次第に確かとなっていく足取り。帰路を案内するように漂う魚たち。
その姿を見送り、エピリアは自らの領域へと帰っていく。
●ヘリポートにて
険しい顔でケルベロスたちを見回してから、ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は語り始めた。
「死神『エピリア』によって死者から作られた屍隷兵が、事件を起こそうとしているわ」
その屍隷兵は知性を殆ど失っており、エピリアに言われるがまま夜の街を移動して、自らの愛するものを殺そうとするようだ。
「このままでは新たな犠牲者が生まれ、その犠牲者から新たな屍隷兵が生まれてしまう。これ以上の悲劇を起こさないためにも、今のうちに屍隷兵を撃破してちょうだい」
前述の通り、屍隷兵はひと気のない夜の街を歩いて移動している。
「……家に帰るつもりなのよ。人の形をしていても、人とはわからないほど醜い姿になって、それでもまだ」
どうやら屍隷兵の『材料』となった女性は、まだ幼い子供を持つ母でもあったらしい。
自らが死ぬと悟った時、計り知れない絶望が彼女を襲ったことだろう。それを想像しながら僅かな沈黙を挟んだ後、ミィルは努めて事務的な声で続ける。
「幸いなことに屍隷兵の戦闘力は高くないわ。殴る蹴るに体液、そして叫び声と幾つかの手段を用いて力任せな攻撃をしてくるようだけど、回復手段さえ忘れなければ耐えられるでしょう。お供についている深海魚型の死神三体も含めて、よほど油断しなければ止めることは難しくないはずよ」
件の深海魚たちは盾役を任されているようだが、それを利用して突破を図るような判断力が屍隷兵にあるわけでもなし。付近に対処が必要な住民の姿も見えず、戦場は一直線に伸びる街路である。ケルベロスたちは屍隷兵との戦いに全力を向けられるだろう。
「……その戦いは、辛いものになるかもしれないけれど」
「ボクらにしかできないのだから。止めてあげなくっちゃ、ね?」
ミィルの言葉に耳を傾けていたフィオナ・シェリオール(地球人の鎧装騎兵・en0203)が答えて、ケルベロスたちの覚悟を確かめるように言った。
参加者 | |
---|---|
八王子・東西南北(ヒキコモゴミニート・e00658) |
アイン・オルキス(誇りの帆を上げて・e00841) |
巫・縁(魂の亡失者・e01047) |
奏真・一十(寒雷堂堂・e03433) |
樒・レン(夜鳴鶯・e05621) |
王生・雪(天花・e15842) |
伽藍堂・いなせ(不機嫌な騎士・e35000) |
鹿目・万里子(迷いの白鹿・e36557) |
●
しんと静まり返る夜更けの街路。規則正しく置かれた電灯に、ぼんやりと照らされる九人のケルベロスたち。
その内の一人、伽藍堂・いなせ(不機嫌な騎士・e35000)から天に向かって、白く細い煙がゆらゆらと伸びていく。射抜くような目でそれを追っていたいなせは、すぐに興味を失って視線を手元に落とし、持参したランプに火を灯す。傍らには、路地裏の闇から切り出したように真っ黒いウイングキャットのビタが、ひっそりと佇んでいた。
いなせだけでなく、今日集ったケルベロスには従者連れが多い。同じウイングキャットながら、ビタとは正反対の真白い毛並みを持つ絹を王生・雪(天花・e15842)が。オルトロスのアマツを巫・縁(魂の亡失者・e01047)が。そして水のボクスドラゴン・サキミを奏真・一十(寒雷堂堂・e03433)が。さらには獣人のビハインド・チノアを鹿目・万里子(迷いの白鹿・e36557)が伴って、極めつけに八王子・東西南北(ヒキコモゴミニート・e00658)がテレビウムの小金井を従えている。
大小合わせて十五もの影が道を塞ぐさまは中々に見応えあるが、しかしケルベロスたちの表情は殆どが険しく、瑣末な会話をする素振りも伺えない。
それは迎え撃つべき敵が、にべもなく拒絶できるほど単純な存在ではないからだろう。幼き子を持つ母親の死体で作られた屍隷兵。種々様々な出自を持つケルベロスとて、そこには想い、感じることが少なからずある。
(「……絶対に許せません」)
事件の元凶たる死神エピリアへの怒りを燃やして、俯きながらも拳を握る東西南北。多感な時期に苦しむ彼を慈愛に満ちた胸で抱きとめ、支えてくれたのは他ならぬ母であった。
決して満点の親ではない。夜な夜な家を空ける母が何をしていたか、同じサキュバスの血が流れているのだから東西南北にだって分かる。
それでも自分を愛し、救ってくれた唯一人の大好きな母。その関係性の芯なる部分は、屍隷兵にされた女性と子供に置き換えても、恐らく変わらないはず。かけがえないものが失われたのだと考えれば考えるほどに込み上がる感情は、心を突き刺し、身体を震わせた。
救えないのなら、彼女の手が汚れる前に。そう決意して顔を上げれば、視線の先に――まだ敵の気配はなく。
代わりにあったのは、雪の白い肌。
「もし、入用でしたら」
「え、あ……ど、どうも」
淡い微笑と浮世離れした雰囲気に狼狽え、目を背ける東西南北に雪は灯りを一つ託すと、つっと元いた位置に戻っていく。それから携えていた赤い手鞠を物憂げに見て、街路の果てへと目を移した彼女は、悲劇を連鎖させまいとする覚悟を滲ませていた。
その凛とした横顔を見ながら、万里子も同じように強く思う。
(「ここで、止めなければ……!」)
脳裏に過るのは、件の女性が持っていたケーキと蝋燭のこと。
あれが我が子の成長と幸せを祝う誕生日のために用意されたものであることは明白。もう少しだけ世界が優しければ、親子には夜明けとともに素晴らしい一日が訪れていたはずなのにと、思わざるを得ない。
だからせめて、死神に言われるがまま最愛の子を手に掛けるような真似だけは。決心してもずきりと痛むものがあって、万里子はチノアを見やった後、両手で胸元を押さえた。
その疼きは、敵の姿を認めたことで強くなる。ぽつりぽつりと地平に湧き出た青い光に導かれて、重い体を引きずるように進む、肉の塊。
「事ここに至っても、どのような感情を向けるべきか……わからんな」
一十は彼方を見据えたまま言って、一つ息を吐いた。醜い死神どもは是非もなく叩き潰すとして、人の親とは到底思えない存在に成り果ててながら、まだ人の名残に突き動かされて来る屍隷兵を、どのような心持ちで相手取るか。
やはり哀れだと思うのが、最も適切だろうか。
(「ならばその、哀れな母親の行く手を阻もうとする私達は――いや」)
半ばで思考を止めて、縁が小さく首を振った。いくら親というものに縁遠い男でも、それ以上に考えれば剣先が鈍るかもしれない。
ケルベロスとしてこの場に立つ限り、敵に手心を加えることは決して許されない。
「どんな理由があろうとも……斃さなくてはならないのだ」
「うむ。あれは俺たち人が止めねば」
鞘と剣を握りしめて呟く縁に、樒・レン(夜鳴鶯・e05621)が答える。
「エピリアとやらには何れ報いを受けさせるとして……奴に亡骸を利用させる切っ掛けを与えたのは、他ならぬ人。心無き人が遠因となったものには、同じ人が始末をつけねばならん」
それは救いにも償いにもなりはしないだろうが。そう言葉を切って、レンは滑るように敵の元へと駆けていく。併せてアイン・オルキス(誇りの帆を上げて・e00841)も走り出し、ぐんぐんと速度を上げながら両脚に光を集約する。
「死んだ体に朦朧とした思考が混ざっていれば、碌な事も考えられんだろう。ならば、先に待つ光景を見ぬまま絶えて行け」
ただ倒すべき肉の塊目掛けて、冷ややかに言い放つアイン。
彼女が先を行くレンを追い越し、敵群に向けて打った蹴りが、戦いの始まりを告げた。
●
使役する従者もなく、攻めに全力を傾けた攻撃は強烈。勢いそのままに過ぎていくアインを追うこともできず、薙ぎ払われた深海魚型の死神たちと屍隷兵が耳障りな悲鳴らしきものを上げる。
しかし、それに動じる様子など毛ほども見せず、レンが曼珠沙華の葉と花弁から数多の分身を作り上げ、死神の一つを取り囲む。
「――夜鳴鶯、只今推参」
言うが早いか、繰り出されるのは四方八方からの斬撃。此方も凄まじい威力の技は逃げ道を与えず、早くも深海魚を一尾、細切れにしてこの世から消し去った。
僅かに慄く素振りを見せて、それから残った死神たちは反撃を試みる。敵意を剥き出し大口開き、レンに向かって宙を泳ぐ。
だが、先に伸びた歯牙は一つに戻った忍びでなく、その前に割り込んだ東西南北の肩に。
「っ……!」
大した傷にはならない、とはいえ痛みは痛み。じくじくと生気が吸い取られていくような感覚を堪えて、東西南北は黒縁眼鏡の奥で妖しい輝きを放つ瞳を動かした。
そして気色の悪い深海魚の、眼かどうかも定かでない器官と間近で視線を交える。吸い取られた分を取り返すように強く、強く瞳を凝らしてじっと見つめれば、牙の食い込みが緩んで、魚はふわりと宙に浮く。
さらに同じことを、もう一匹の死神にも。まさしく目で殺すと言わんばかりに睨めつけられ、まだ獲物を捉える前の牙には僅かな迷いが生じた。
それは付け入るのに十分な隙。
「さて、不慣れな役だが尽力しよう――雪くん!」
呼びつけた仲間に、一十が満月の如く光る球を放る。光球の秘められた力に湧き立つものを感じつつ、サキミからも水の属性を分け与えられた雪は刀を抜き、絹に攻撃の指示を出しながら地を蹴った。
その足取りは跳ぶとも走るとも違うもの。極北から吹く風が地を撫でるように、密やかながら激しく戦場を舞う雪は何処からともなく吹きつけた桜吹雪に身を紛れさせ、死神から屍隷兵までを纏めて一太刀で切り抜けていく。
そして打たれた死神の片割れ、まだ東西南北の近くをふよふよと泳いでいた魚は、アマツの一睨みで激しく燃え上がったところを絹の尻尾から飛んだ輪に縛られ、音もなく忍び寄るチノアの矢で頭から尾まで一息に貫かれて地に落ちた。暫くのたうち回った後、それは崩れて形を失い始める。
「他愛ない……が、念には念を入れるとしよう」
道に吸われていく魚の亡骸は捨て置き、縁は剣で守護星座の陣を描いた。程なく輝き始めた陣は此方に戻ってきたアインや、レンを庇った東西南北など前衛を務めるケルベロスたちを少しばかり癒やしつつ、異常に対する耐性を引き上げる。
そのまま縁はフィオナ・シェリオール(地球人の鎧装騎兵・en0203)にも合図を送って、ヒールドローンを散布させた。同時にいなせが放ったものも合わせ、戦場に飛び交い始めた大量の小型無人機はビタの清浄なる羽ばたきに乗り、未だ暴れる気配を見せない肉塊からの攻撃を警戒して、前衛陣の周りで漂う。
そこでようやく、最後の死神が自我を取り戻したように牙を剥きなおすも、なにせケルベロスたちは大軍で、攻めも守りも付け入るところがない。結局は主たちを庇って立つサキミの耳を齧るのがやっとで、その与えた僅かな傷も万里子の振りまくオウガ粒子に埋められて、早々に意味を無くした。
次の一手で、恐らく三匹目も露と消える。ならばとケルベロスたちは――特に前衛の者たちは、降り注ぐ粒子の影響で鋭敏になった感覚を巨大な肉塊に向けた。
ずしり、ずしりと大地を揺らして近づくそれは、人の形こそしていても到底、人には見えない。いっそ中身を知らないままでいたのなら、ただの異形と簡単に切って捨てられたのかもしれない。
「あなたはもう、死んでるんです」
小金井の流す動画に励まされ、肩の痛みを振り払った東西南北が、通じないとは思いながらも肉塊に語りかける。
「死神にそそのかされて我が子まで道連れにするなんて……そんなの、生前のあなたの望みじゃないはず」
生前、という言葉を吐くのに、また胸が締め付けられる。ケルベロスたちの思考と台詞、一つ一つが、一人の女性に訪れた死を確かなものにしていく。
そうして苦悩を味わいながら紡いだ言葉は――哀しいかな、やはり欠片も届かない。返答の代わりに振り下ろされる両腕は、小型無人機の群れを叩き落としながら東西南北へと、慈悲もなく迫る。
避けるのは難しくないはずの単純な打撃。けれど重苦しい空気が泥のように纏わりついて、足を引っ張る。やむなく両腕を重ねて黒縁眼鏡の前に置き、青年は来る衝撃に備えて歯を食いしばった。
――しかし。
「死んだなら大人しく墓地で寝てろ。動き回ってんじゃねェよ」
痛みは訪れず、腕をのけて開けた視界には緩く波打つ黒髪が揺れる。
「お前も母親だったなら、子供がどんな大人になるだろうって何度となく思っただろ? 殺しちまえば、全部そこで終わんだぜ」
歪な腕と真っ向から力比べをしつつ、いなせは僅かに沈んだような、或いは嘲るような声で言った。
母親になりそこねたからこそ、なのか。母親になりそこねたくせに、なのか。真意は肉塊にも仲間たちにも伝わることなく、ともすれば当人にすら定かでなかったかもしれない。
そして言わずもがな、言葉で何が好転するわけでもなく。また一つ重さを増した両腕を、いなせは押し返しながら叫ぶ。
「……嗚呼、死体に言っても虚しいだけだなド畜生!」
●
夜闇に木霊して消えていく台詞の通り、この戦いは只々虚しい。
虚しさのあまり、ケルベロスたちは得られるものがないと分かっていても、次々に言葉を吐く。
「っ、私にも――! 私にも子どもがいます! 五歳の、男の子が……」
両手をきつく握りしめて、万里子は半ば悲鳴じみた声を上げた。同じ母として、叫ばずにいられなかった。
「貴女のお気持ちは痛いほど理解できます……でも、思い直して下さい! 死神の囁きに従えば、貴女が願うお子さんの幸せと未来は永遠に失われてしまうのです!」
「そう、貴女の願いは……いや、お前の願いは子供を危険に晒すだけだ」
だからこそ。縁は口を噤んで空高く跳び上がり、肉塊の行く手を遮るように真正面から蹴りつける。直後にアマツが地獄の瘴気を解き放つと、人型の敵は僅かながらに膝を折った。
けれども、それは止まらない。ずるずると不浄なる身体を引きずりながら、名状しがたい叫びを発して前に進む。
「貴様のやることを否定はせんが、その姿では望みなど叶えられまい」
意識をもっていかれそうな音に耐えて脚に力を込め、淡々と言いながらアインが最後の魚を蹴り落とした。
先刻の見立てに間違いはなく、力尽きた醜い死神は消滅していく。その様子を流し見てから刀を握り直し、雪は身体に巻き付けた灯りが示す最後の敵に狙いを定める。
肉塊の最上部には目も鼻も口も、顔と呼べる部位は何一つ無い。けれども雪は、そこに子を想う母を視て、囁く。
「……なりません」
大切な人と共に在りたい。多くの者が理解を示す屍隷兵の嘆きを、雪もまた深く理解していた。それは、こうして戦場にいるときでさえ手放せない義妹の形見が、何よりも示している。
然れど叶えられない願いが、叶えてはならない願いがあることも、雪は知っている。
そうしたものと相対して、できることはただ一つ。
「この先に行っては、なりません」
断じて、一太刀。冷たい閃きが吹雪となって街路を抜け、屍隷兵から嘆きすらも奪い去った。
巨体が前のめりに倒れ込む。立ち上がろうと、道に震える両腕をつく。
「さぞ寒かろう。……が、しかし。求める温もりまで、辿り着かせる訳にはいかんのだ」
体勢を立て直す間など与えない。躊躇なく振り抜かれた一十の拳が、肉塊の一片を吹き飛ばす。
ひっくり返るように転げて一回り。そのまま蹲る敵にサキミが体当たりを仕掛け、絹は鋭く伸びた爪で肉を抉り、チノアが金縛りをかける。
一気呵成の猛攻。じっと見やっていた万里子も、やがて唇を噛みながら異国の小ぶりな弓を構えた。
番える矢は、チノアのグラビティ・チェインを元としたエネルギー。意を決して放てば矢は蒼毛の狼に姿を変え、遙かなる草原を疾風で靡かせるように駆けて肉片を斬り落とす。すると奇怪なことに裂け目から新たな呻きが聞こえて、それは万里子の表情を一層こわばらせた。
「……チッ」
まるで呪いの如き音に眉を顰めて舌打ち、いなせが攻性植物を伸ばす。絡みつかれて締め上げられ、自由を掠め取られた敵にレンが一言「すまない」と零してから、迦楼羅天の真言を唱えて巨大な超金属の杭を打ち込み、飛び退く。
そして入れ替わりに二つの鎖が屍隷兵を囲って、螺旋を作りながら天へと昇っていく。操る東西南北は幾分和らいだ身体の痛みと、対照的に強くなるばかりの胸の痛みに耐えて力を注ぎ、鎖の間に火柱を生み出す。
柱は不死鳥が羽ばたくように激しく燃え盛り――僅かに足りなかったか、安寧を祈る東西南北の前に、まだ肉塊を残したままで消えた。
「ア……アァ……」
焦げて異臭を放ち、今にも崩れんばかりの身体で嘆きながら屍隷兵は這いずる。
ただ、ただ愛する子のもとへ。もはやケルベロスの存在すら意識に無いような動きは、あまりにも鈍く。
縁が鞘を振りかざして跳ぶのと同時に、一十は如意棒を振った。
(「やさしい母親のまま、ひととして世を去るが良い」)
異形となっても変わらない愛情を汲み取りつつ、闘気を帯びた武術棍が肉を真上から叩く。直後、大地を割らんばかりに鞘の一撃が打ち込まれ、肉塊は弾けて散りながら方々で形を失い始めた。
それは悍ましい光景で、見るにも聞くにも耐えないはずのもの。けれどケルベロスたちは、穢れの中に母親の声を聞いた気がして、その場にじっと立ち尽くす。
早すぎる別れを詫びるような、そして幸せを祈るような。か細い声は程なく消えていき、やがて静まり返った街路には、十五の影だけが力なく佇んでいた。
●
「全く、終わりはしたが……やりきれんな」
アイズフォンを操作しながら、アインが呟く。
戦いから暫くの後。ケルベロスたちは、女性が最初の死と遭遇した場所に移っていた。
「……サキミよ、そのケーキは舐めてはいかんぞ」
幾人かと並んで黙祷を捧げ終わったところで、一十は相棒に釘を刺す。当のボクスドラゴンは澄ました顔で「そんなことするわけないでしょう」と言わんばかりに、そっぽを向いた。
そんなサキミの前には潰れた箱と、ケーキに蝋燭だけでなく。他にも女性が持っていた私物が転がっている。多くのケルベロスが望む通り、それらはいずれ遺品として、子供の元に帰るはずだ。
ただ少しばかりの時間も必要となろう。レンが言う『遠因』の一端を解決するのは、ケルベロスでなく然るべき職の人々。
(「全てが終わったら必ず、うちまで送り届けますから」)
その時は「ただいま」と。祈りを捧げ終えた東西南北は目を開き、女性が帰ろうとしていた彼方を見やる。
「なに、息子殿はきっと全てを乗り越え、未来を拓いていかれるだろう。それを楽しみに休まれよ」
レンは片合掌を解きながら言って、ケルベロスカードを取り出す。残された子に、ケルベロスとしてできる限りのことをしてやるつもりなのだろう。
(「故に……などとは、申せませぬが」)
どうか安らかに。
最後まで子を想い続けた母に向けて、雪も静かに祈った。
作者:天枷由良 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年9月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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