サヨナラを貴方に

作者:こーや

 ピロン。
 男のスマートフォンが鳴る。慌てて画面を見れば『生まれました。母子ともに元気です』という義母からのメッセージ。
 頬を紅潮させながら男は急いで返事を打った。『ありがとうございます。あともう少しで病院に着きます』と、興奮のあまり何度も打ち損じながらなんとか文を組み立てた。
 そして男は病院への近道、頼りない電灯の暗い階段を駆け下り──足を踏み外した。
「あっ、あああ……!?」
 長い階段の、頂上に近いところから下まで転がり落ちる。
 体は止められない。足を踏み外した時点で、後頭部を強かに打ったのだ。
 ドシャっと地面に投げ出された男の体は小刻みに痙攣を繰り返し、ついにはそれさえも止まってしまった。
 瞳孔が開いた男の眼前に異形の女が姿を現す。
 その傍らには深海魚型の死神。
 異形の女『死神・エピリア』が未だ温もりの残る男の頬を一度、二度と撫で、さらには歪な肉の塊を埋め込んだ。
「会いたいのでしょう? 触れたいのでしょう? お行きなさい。会いたい人を、バラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう」
 ピクリ。男の体が動いた。のそり、緩慢な動きで起き上がる。
 エピリアはトンと男の背を押した。
「そうすれば、ケルベロスが2人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう」
 そう言ったエピリアが姿を消すのと同時に、屍隷兵と化した男は2体の深海魚型死神を引きつれ歩き出した。
 妻の名前を何度も呟きながら。

 ご存知の方もいる思いますが、と河内・山河(唐傘のヘリオライダー・en0106)は前置きをして。
「『エピリア』いう死神が、亡くなった人を屍隷兵に変化させる事件を起こしています」
 山河は吹き抜けていく風を遮る為に唐傘を持ち直す。
「死神のやり口は嫌なものが多いですけど……エピリアのはその最たるものです」
 エピリアは、死者を屍隷兵にした上で、その屍隷兵の愛するものを殺すように命じているのだという。
 山河が予知したのは今野・ミナトという30代前半の男性が屍隷兵となり、出産したばかりの妻と、生まれたばかりの子供を殺そうとするもの。
 屍隷兵と化した死者は知性を殆ど失っており、エピリアの言葉に騙され、愛する者と共にいる為に、愛する人をバラバラに引き裂こうと移動しているのだ。
「このままやと、ミナトさんは奥さんとお子さんを殺してしまいます。殺されたお二人も……エピリアによって屍隷兵にされてしまうでしょう」
 ミナトを元に戻すことは出来ない。彼の死亡も覆せない。
 悲痛な表情を浮かべる山河はさらなる悲劇を阻止してほしいと告げる。
「ミナトさんは病院へ向かっていて、うちがヘリオンを飛ばして追い付くんはその道中になります。人気がほとんどない道を移動していますから、追い付いてすぐに戦闘になっても問題は無いでしょう」
 戦闘に困るような道幅ではないが街灯は少ない。
 屍隷兵・ミナトにはグロテスクな外見の深海魚型死神が2体同行している。
 外見自体は同じだが、片や青、片や赤と体色が違うので見分けやすい。どちらも仄かに発光しているので、見失うことは無いだろう。
 死神は噛み付いて生命エネルギーを奪う、空中を泳ぎ回って態勢を整える、周囲の怨念を弾丸として放つという3つの技を使う。
 屍隷兵は体当たり、殴る、噛みつくといった単調なもの。
 説明を終えた山河は悲し気に目を伏せた。
 眉を顰め、話を聞いていた秋野・ハジメ(沈む茜・en0252)はふぅと息を吐いた。
「抱きしめたかっただろうにね。……うん、止めよう。彼は、奥さんと子供さんを幸せにしたかっただろうしね」


参加者
ファルケ・ファイアストン(黒妖犬・e02079)
鉄・千(空明・e03694)
ウィゼ・ヘキシリエン(髭っ娘ドワーフ・e05426)
水無月・実里(希う者・e16191)
朝影・纏(蠱惑魔・e21924)
クローネ・ラヴクラフト(月風の魔法使い・e26671)
天乃原・周(出来損ないの魔法使い・e35675)
影守・吾連(影護・e38006)

■リプレイ

●人の在り方
 ちか、ちかと頼りなく光る街灯の側を屍隷兵となった今野・ミナトがゆっくりと進む。
 人間で在ったことは分かるが、人間では無いと分かる体の動きは鈍い。
 その周囲を泳ぐように浮遊するはうっすらと輝く2体の死神。
 ふいに、空にいくつかの光が増えた。
 気付いた素振りも無いミナトに対し、死神はパッと散開する。
 タタタタタッ。
 9人のケルベロスが舞い降りる。
 着地するや否や、水無月・実里(希う者・e16191)は獣のように駆けた。
 刃をさらけ出した刀を振るう。描かれた緩やかな弧は赤い死神の尾びれを斬り裂いた。
「私は、私の役目を果たすまでだ」
 自分に言い聞かせるように実里は呟いた。
 影守・吾連(影護・e38006)はミナトをひたと見据え、爆破スイッチを押す。
「ごめんね、ミナトさん。ここであなたを止めるよ」
 吾連の前方で巻き起こる爆炎。様々な色合いの爆発は最前の者達の士気を高めるが、彼らの心中の煙はそのままに。
 爆風が晴れるよりも早く飛び出した鉄・千(空明・e03694)の顔には表情こそ無いものの、月色の瞳が濡れている。
 繰り出した電光石火の蹴りが赤い死神を貫いた。
 腰に提げた花籠が千の感情に合わせ、踊る。
「……うん、吾連。止めるのだ。だから背中は」
「分かってる、任せてよ」
 心も支えるから、と吾連は胸の内で付け加える。
 吾連にとって千は友人である。
 実力を知っているから心強くもある。けれど、千はケルベロスであると同時に、同い年の優しい女の子なのだ。
 だから、彼女の心を少しでも支えられるよう、傍で見守ると決めたのだ。
 青い死神がふるりと体を震わせると、その周囲で禍々しい黒がいくつも渦巻いた。
 黒は弾丸へ姿を変え、後衛に放たれる。
 シャーマンズゴースト『シラユキ』はすぐさま天乃原・周(出来損ないの魔法使い・e35675)の前に飛び出した。
「シラユキ、ありがとう」
 己の代わりに攻撃を引き受けたサーヴァントに短く礼を告げる。
 周は、齟齬を来たさぬよう作戦をすり合わせておくつもりであったが、直前にすり合わせたところで遅い。
 それに誰かに合わせたところで他の誰かがずれていればずれは大きくなるだけだと気付き、思いとどまったのだ。
 一度、目だけを動かして戦場を見渡す。
「悲しい事故だ。だけど、やらなきゃ!」
 周の腰にあるライトを含め、光源は6つ。充分だ。
 シャッと地面を滑り、跳びあがる。流星の煌きと重力を乗せた周の足が赤い死神に叩き込まれた。
 軽やかに着地した周にミナトが襲い掛かる。
 人間ではありえない口の開き具合。
 咄嗟に割って入ったクローネ・ラヴクラフト(月風の魔法使い・e26671)の腕にミナトが喰らいつく。
 クローネは肉体と心、二重の痛みに眉を顰めた。
「会いたい気持ちは判る、けど……」
 肉を噛みちぎられ、ぼたぼたと血が流れ出る。
 秋野・ハジメ(沈む茜・en0252)がクローネに分身をつけ、その傷を癒すもクローネの表情は変わらない。
 ミナトの進路を阻むべく降り立ったケルベロス達。
 クローネの立つ、その遥か先にはミナトが求める者達がいる。
「その腕に、きみの大切な人を抱かせるわけにはいかないんだ」
 カコン。
 流れ星の欠片を用いて作られた杖を砲撃形態へ変形させる。
「ごめん」
 クローネはちらりとミナトを見遣ると、攻撃対象たる赤い死神に竜砲弾を放つのであった。

●命の在り方
 朝影・纏(蠱惑魔・e21924)は呪いの塊となってしまった黒い液体を槍に変化させ、死神を貫く。
「彼を二度死なせることになるのね……子供に会えない無念を抱かせたまま」
 闇夜に紛れるような黒髪がしゃらりと踊り、闇夜を彩ったかのような黒い瞳が揺れた。
 あの時──纏がハクロウキを討てていればこんなことは起きなかったのだろうか。
 屍隷を生み出したのは冥龍だから、あの時点で、いや、しかし……。いくつもの可能性と推測が纏の脳裏を過る。
 やるせない。
 他者の為に感情を動かすことがあまりない纏だが、責任の一端は己にもあるのではと、罪悪感めいたやるせなさが心に波を立てる。
 ぐるり、赤い死神が円を描いて宙を泳いだ。
 死神が帯びる仄かな光がその軌跡をなぞる。
 ファルケ・ファイアストン(黒妖犬・e02079)は鮮やかな緑の目を細める。
 最前のいる赤い死神の弱点が分からない。しいていえば、『理力』による攻撃を仕掛けたのはここまででただ1人だけ。ゆえに試したくはあったが、『理力』によるグラビティの『フレイムグリード』の用意が無く、断念する。
 代わりに、ファルケは黒い液体の形を変えた。落ちないように空いた手で帽子の天を抑え、勢いよく腕を振るう。
 淡い光を黒が飲み込んだ。
「やるせないね」
 ファルケの目は、見悶えして液体から逃れる死神へ。
 けれど、本当に見ているのは違う。見知らぬ姿、想像するしかないミナトの妻子。
「ミナトさんの死そのものは」
「不慮の事故じゃ。仕方ないのかもしれないのじゃ」
 ウィゼ・ヘキシリエン(髭っ娘ドワーフ・e05426)の言葉にファルケは頷く。
 新たな命の誕生と共に命が失われる。それは悲しいことで。
「それだけに、残された家族のやり場のない気持ちを思うと、とてもつらいね」
「じゃからこそ、エピリアが許せないのじゃ」
 充分な照明がある。ドワーフたるウィゼの夜目による補助は必要なさそうだ。
 ウィゼはつけヒゲをしごくと、勢いよく腕をミナトに向けた。
 アヒル型ミサイルがミナトに降りかかる。
 悲鳴は無い。
「ァ、ナ、コ」
 濁った音がミナトの口から流れ出る。
 元の音ではないものの、それが人名だと誰もが分かった。
 屍隷兵となったことで人としての発声器官が狂ってしまったのだろう。
 ウィゼの眉が険しく吊り上がる。
「ケルベロスが二人を別つまでとか勝手なことをぬかしおって、離れていても繋がり続ける想いもあるのじゃ」
「そう……そうだね」
 周は一度静かに瞼を閉じた。
 するりと翡翠色の絵本の装丁を撫でると、いつものたおやかな笑みを伴って目を開く。
「出でよ、レヴィアタン! その咆哮を聞かせたまえ!」
 周が呼び出した幻影の咆哮は戦場の大気を震わせる。
 呼応するように実里の両腕と両足が獣化した。
 事情はどうあれ敵は殺す。
 それが実里のいつも通り。それが実里の役目。
「ああ、吐き気がする」
 けれど、実里の内の何かがざわついている。チラチラと見え隠れするそれが、実里をどうしようもなく苛立たせる。
「実里ちゃん?」
 どうしたのかと言いたげなハジメの声は、実里のしなやかで強靭な筋肉が地面を蹴った音に紛れ込む。
 発達した爪が死神を捉えた。
「切り刻む」
 深々と刻まれる爪痕。
 荒屋敷・鈴の鎖が守護の魔法陣を描き終えた途端、夜暗をかたどったような娘──纏の指が赤い死神の生命ごと気脈を断った。
 ずしゃりと地面に落ちた死神に構うことなく、纏は無言のまま次なる標的を見据える。
 纏の視線と千が氷結の螺旋が青い死神に放たれたのはほぼ同時。
 氷が死神を覆う間に、吾連は溜めたオーラをクローネに送る。
 青い死神は千目がけ一直線に宙を走り、ガッと大口を開いた。
 そこに、オルトロス『お師匠』が己の体を滑り込ませる。
「ハジメさん」
「りょーかい、任せて」
 吾連の声かけに応え、ハジメは最前に立つ仲間達を小型無人機に警護させる。
 ウィゼの腕から伸びる蔓触手がミナトに絡みつく。
 己を締め付ける蔓に構わず、否、構う知性も残っていないミナトは乱暴に拳を振るった。
 今度は『守』の仲間も間に合わず、千の肩に衝撃が走る。
 ぼろり。
 千の眦から涙が零れ落ちた。
 無表情のまま、千はぼろぼろと涙を流す。
「ごめんミナトさん」
 こんな終わらせ方しか、出来なくて。
 せめて最期まで見届けてしっかり目に焼き付けよう。
「それしか、できないから……」
 千がそう思えばそう思うほどに涙で視界が滲む。
 パタタと、千が流した涙が地面を濡らす。
 吾連が静かに口を開いた。
「奥さんとお子さんの命を守る。ミナトさんが手を汚すことなく、人として逝けるように」
 それしか出来ないのではない。それが出来るのだと、語るように。
 吾連の行く先を照らすべく、アレキサンドライトがちらりと輝いた。

●命の逝く先
 ミナトも死神達も強敵ではない。
 ケルベロス達の作戦通り、順調に事は進んでいる。
 ファルケは己へ放たれた黒弾にリボルバー銃を向け、撃ち落とす。
 そして驚異的な速さで再度引き金を引き、弾丸を青い死神に叩き込んだ。
 大きく跳ねあがった死神の体を実里が斬りつけると、ずしゃりと地面に崩れ落ちた。
 これで残るはミナトのみ。
 ファルケはぐいと、帽子をいつもよりも深く被る。
「遺体を損傷させるのは気が引けるね」
「だね。ここからは、それしか出来ないしさ」
「今回ばかりはいっちょやってやりますかとは言えないな」
 苦さを湛えたファルケとハジメの言葉。
 そうしなくてはならないのは分かっている。手を抜いて取り逃がすのが一番不味い。
 最初に吾連が言った言葉をファルケは口にする。
「きちんと止めよう」
 その言葉を合図にウィゼは大きく踏み込んだ。
 高速演算で導き出した構造的弱点に痛烈な一撃を叩き込む。
 バシンッと響き渡った音に合わせ、纏は『瞳』をミナトに向ける。
「もう貴方に幸せな未来は残されていないから、せめて幸せな過去の夢の中で」
 その瞳を視てしまったなら、思い出すでしょう。幸せだったあの頃の情景を。
 その瞳から目が離せぬなら、幻を見るでしょう。今は遠いあの過去の幻影を。
「ァア、ナァ……コ……」
 ミナトが再び妻の名を口にすると、纏は刹那、目を伏せた。
 レッドレーク・レッドレッドの大鎌が夜を駆ける。千の斧が振り下ろされる。
 ケルベロスがグラビティを繰り出すごとにミナトの体は欠けていく。
 胸の奥のあまりの苦しさにクローネは顔を歪めた。
 会いたい、触れたいという最期の願いを歪めた形で叶えてしまう、そんな死神のやり方をクローネは好まない。
 けれど、大切な人を抱きしめたいというミナトの願いを、叶えてやることは出来ない。
 クローネは声を震わせながら古代語を詠み上げ、石化の光線を放った。
 これが最後の一撃。
 それを理解していたからこそクローネは走った。
 直撃を受け、傾き始めた体を咄嗟に抱きとめる。
 きっと、ミナトの大切な人も彼を抱きしめたかったと思うから。せめて最期は抱き締めて送り出すのだ。
「……おやすみ、お父さん」

 敢えて靴音を鳴らしながら吾連は千に近づく。
 背後から聞こえる音が終わらぬうちにと、千はゴシゴシと涙を拭った。涙は止まらないが、それでも優しい吾連に心配を欠けたくない。
 吾連が隣に並ぶと、千はパッと身を翻して強く手を握った。
「だいじょぶ!」
 辛いのは自分だけではないと、もっと辛い人がいるのだと分かっている千の手を、吾連は優しく握り返す。
「……ミナトさんの魂が、ご家族のところに帰れるといいな」
 その拠り所にと、2人はミナトの遺品を探し始めた。
「手伝うわ」
 纏もそれに付き合う。手伝いに来てくれた鈴には、これが終わったら礼をするつもりだ。
 その間に周はヒールも用いてミナトの遺体を整える。
 屍隷兵化により人外となってしまった体を戻してやることは出来なかった。
 子供、抱きたかっただろうね。願い、叶えさせてあげられなくてごめん。天国でそっと、見守ってやってくれよな。
 そう黙祷する。
「せめて奥さんと最期の話をさせてあげたかったのう」
 ウィゼの独白。
 ヘリオンで病院に送ってやれたなら。電話ででも会話させてやれたなら。
 そう思わざるを得ない。
 それが出来ないことが、ウィゼの心中をさらに苦くする。
 ファルケは何も言わず、代わりにケルベロスカードを取り出した。
 遺体と遺品が遺族の元に帰る時、これも一緒に渡してもらうつもりだ。
 こんなことがあったからこそ、しっかり生きて、育っていくために使ってほしいとファルケは思うのだ。
 クローネは己の肩を抱くレッドレークの手に、手を重ねた。
 せめてミナトの大切な人たちの未来を守れたことが、彼の救いになればと願いながら。
 実里は1人、何も言わず、何もせずに帰路につく。
 未だ吐き気は収まらず、苛立ちも残ったまま。
 その意味も分からぬ実里が足を進める度に、大切な人達の元に帰るための道標であるドッグタグが胸元で小さく踊るのだった。

作者:こーや 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年9月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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