●死が2人をわかつ時、その後……
山奥のログハウス。静まり帰った室内。白い清潔なベッドの上で、パジャマ姿の女性がスマホを見ていた。
「空子が好き……」
「なクッキー。たくさん買ってきた! 必ずよくなろう。病気なんかに負けんな!」
スマホに踊る、旦那ちゃんと書かれた人物からのメッセージ。空子と呼ばれた女性は弱々しく目を細めるとメッセージを打ち出す。
「翼君、クッキーありがとう。でも、治るのは無理かなぁ? 今も何時発作がおこるか怖いよ! 早く戻ってきてね」
仕事帰りの翼にメッセージを返信し満足気に頷くと、空子はスマホを持ったままウトウトと船をこぎはじめた。幸せそうに眠る空子。しかし、しばらくすると、その体が小さくけいれんをおこし……、ほどなくして動かなくなった。
そこに、まるで空子が死ぬのを待っていたかのようなタイミングで、赤い目をした異形の死神・エピリアが、深海魚型死神2体をともない音もなく窓から侵入してきた。もはや時の止まった空子に、エピリアは歪な肉の塊を埋め込む。みるみるうちに異形なる屍隷兵へと変貌を遂げた空子。
「あなたが今、一番会いたい人の場所に向かいなさい。会いたい人を、バラバラにできたら、あなたと同じ屍隷兵に変えてあげましょう。そうすれば、ケルベロスが2人を分かつまで、一緒にいることができるでしょう」
エピリアはそう伝えると姿を消した。後に残された屍隷兵となった空子は、深海魚型死神2体を引きつれ、数年ぶりにログハウスから外へと出た。愛する者を、その手にかけるために……。
●死者の安息を取り戻せ
痛ましそうに目をつむるアモーレ・ラブクラフト(オラトリオのヘリオライダー・en0261)が、目頭に涙をためてケルベロスたちへと訴える。
「死神エピリアが、死者を屍隷兵に変化させて事件を起こしています。今回エピリアは、死んだ空子を知性が殆ない屍隷兵にした上で、愛するものを殺すように命じているようです。夫である翼と共にいる為に、その身体をバラバラに引き裂き、同じ屍隷兵にしようと移動する空子。このままだと、空子は愛する翼を殺してしまうことでしょう。そんな事を、許してもいいのでしょうか? いいえ……、いいわけがありません! 残念ながら屍隷兵となった空子を元に戻すことはできません、しかし、せめて愛する夫、翼を殺すような悲劇が起こる前に、死の安息へと、空子を引き戻して頂きたいのです」
熱い口調で語り終え、肩で息をするアモーレに、ハニー・ホットミルク(シャドウエルフの螺旋忍者・en0253)が、冷ましたお茶を出す。
「アモーレ。次は敵と周辺状況についての説明だね」
「ええ、ハニー。そのとおりです。資料を皆さんにお配りしてください」
資料が配られる間、アモーレはハニーがいれたお茶で喉を潤し熱弁に備える。そして、ケルベロスたちへと資料が配られたのを確認すると説明を再開した。
「出現するのは屍隷兵となった空子と、深海魚型死神2体のみで戦闘能力は高くありません。戦闘場所はログハウスから町へと向う小道で人通りはありません。唯一、妻の死を知らず、帰りを急ぐ夫、翼とはちあわせるのが心配な程度となります」
アモーレは資料を読み終えると、まっすぐケルベロス達へと視線を向ける。
「無念にも屍隷兵とされた空子! そして、狙われた翼! 皆様……、被害者の2人を、どうか、よろしくお願い致します」
そして、深々とおじきをしたのだった。
参加者 | |
---|---|
クイン・アクター(喜劇の終わりを告げる者・e02291) |
ルイン・カオスドロップ(地球人のケルベロス・e05195) |
狼森・朔夜(迷い狗・e06190) |
雪村・達也(漆黒纏う緋色の炎剣・e15316) |
ベリザリオ・ヴァルターハイム(愛執の炎・e15705) |
妹島・宴(交じり合う咎と無垢・e16219) |
筐・恭志郎(白鞘・e19690) |
似鳥・朗(連ならぬ枝・e33417) |
●魂の救済
湿気を含んだ生暖かい風が、ケルベロスたちの頬を撫でた。
せみの鳴き声が夏の終わりを告げている。
時刻は黄昏時――地平線に沈む太陽が、空を血のような赤で染めあげていた。じき、闇に包まれることだろう。
ケルベロスたちは事件の早期解決を願い、坂道を駆け上がっていた。ふと、視界の端に花が映る。白く儚げに咲く花だ。なぜだろう、胸が締め付けられる気がした。
そして……。
「つ……ば……さ……くん……」
いた。空子だ。いや、空子だったものがそこにいた。身体は肥大化し、鉛色に変わったその肌を、破れたパジャマがボロボロになりながら覆っている。醜く膨れた肉塊。その顔には青緑の血管が浮かんでおり、目の場所には真っ赤な瞳が虚ろにおさまり。血溜まりと化した眼球がただ一点、道の先を――、愛する夫の姿だけを求めている。最愛の夫を呼ぶ声は、壊れたレコーダーを再生させるかのようで。無機質で感情のこもらない呻きとなり果てていた。
そんな空子の前を、ふよふよと漂い先導するのは、たちの悪い伝染病にかかったかのように蒼白い深海魚型死神と、悪意が固まったかのようなどす黒い色をした深海魚型死神。まるで悪趣味なヴァージンロードを歩くかのごとく、空子だった屍隷兵はただ真っすぐに愛する者の元へと進んでいた。
息を呑む音が聞こえた。寒気がするほどに、いびつで真っすぐな愛情を目の当たりにし、ケルベロスたちは、気がつけばやり場のない怒りを零していた。
「死神ってのはホント悪辣っすねぇ。デウスエクスにはわかんないのかもしれないっすけど、死は生きとし生けるものの結末っす。易々と手を加えられて良いもんじゃない……! なるべく、空子さんを穢さないように終わらせてやりたいっ、すね……」
ルイン・カオスドロップ(地球人のケルベロス・e05195)は掠れた声を震わせ。
「共に生きることを選んだ二人の絆をこんな形で踏みにじる行いは許し難い」
似鳥・朗(連ならぬ枝・e33417)は嫌悪に顔を歪ませる。
「死神と言うのはまったく趣味が悪くて敵わんな……、地獄の番犬ケルベロスが地獄から迎えに行ってやろう」
ベリザリオ・ヴァルターハイム(愛執の炎・e15705)は愛憎の炎を口から零した。
「2人だけの愛にわざわざ介入するなんて……無粋だね。思い通りにはさせないよ」
クイン・アクター(喜劇の終わりを告げる者・e02291)は、道化のように振る舞いながらも、細い目の奥に憎悪を宿らせている。
仲間たちの言葉を噛みしめるように、雪村・達也(漆黒纏う緋色の炎剣・e15316)は目を閉じた。その黒衣は、憤怒に揺れる様だった。
すでに人払いは済んでおり、狙われている翼も、サポートとして同行したハニー・ホットミルク(は影・en0253)が保護に向かっている。万が一に備えキープアウトテープも貼られているが、不測の事態はいついかなる時にでも稲妻のように襲い来る。リスクを減らすためにも、急ぐに越したことはない。
戦闘を始めるためバイオガスを発動させようと手をふりあげる達也。しかし、その耳に場違いな音が届く。
ぴろりんっ。
メッセージの着信を知らせる明るい音――。
空子を心配する夫の想いが、あたりに響く。この明るい音が、今までどれだけ空子を力づけてきたのか。
「つ……ば……さ……。だんな……ちゃん……」
屍隷兵となった空子が皮のはがれたボロボロの手で、ただのスマホをいとおしげに胸に抱いていた。
「空子さんの形見です、できれば綺麗な形で取り戻しましょう」
筐・恭志郎(白鞘・e19690)は、後悔の浮かぶ顔をさらに歪め、堪らず目を伏せた。
ケルベロスたちはその想いを受け止め頷く。そして、達也がバイオガスを発動させるや否や行動を開始した。こんな悲劇は一刻も早く終わらせなければならない。最悪の再開を回避させるためにも。
妹島・宴(交じり合う咎と無垢・e16219)は、仲間を煌く光で包み込んだ。翼さんに、愛する者の変わり果てた姿など、見せたくはない。なんとしてでも、到着前に撃破しなければならない。
光を受けたケルベロスたちが動く。
「つ……ば……さ……くん……」
空子は、一瞬ケルベロスたちに顔を向けるが、すぐに視線を切った。あなたたちは違う。私が求めるのは、愛する人だけ。その姿はそう言っているかのようだった。
「……ごめんなさい。倒します……今は倒すしか、出来ない」
消え入るような掠れた声で、恭志郎は屍隷兵にゆらりと近づいた。過去、屍隷兵研究を根絶できなかったことがこの事件を招いたのだと、自責の念に駆られている。
目の端を煌めかせ、恭志郎が刀に手をかける。屍隷兵に光が落ちた。
(気に入らない。ああ気に入らねえぞちくしょう! こんな事件、すぐにでも大元から絶って終わらせてやる!)達也の地獄化された右腕が、ゴウゴウと燃え盛っていた。まるでその怒りを燃やすように。振り下ろされた鉄塊剣が屍隷兵を切り裂き、おしつぶす。しかしその怒りは、この事件の元凶に向けられていた。
「キィィィィィィィィン」
低い金属音のような唸り声をあげ、蒼白い深海魚型死神と、どす黒い深海魚型死神がユラユラと屍隷兵の前を漂いはじめた。
「こいつはもう人じゃねぇデウスエクスだ。被害が出る前に倒す! しかし……」
狼森・朔夜(迷い狗・e06190)の顔が歪む。脳裏には懸命に生きた夫婦の姿がよぎる。ああそうだ。せめて翼にこの戦いは見せたくない。早く。早く戦いを終わらせなければ。狼の耳を悲しげに折りたたみ蹴りを放つが、その思いを愚弄するように、蒼白い深海魚型死神が攻撃に割り込んだ。
その横では、朗が忌々しい記憶を振り払うように、御業によって屍隷兵を鷲掴みにしようとしていたが、どす黒い深海魚型死神がその身体を呈して受け止めていた。
「こいつらまさか2体とも……! 早く安らかな眠りに戻したいのに、趣味悪すぎっすよ……!」
ルインは悲しげに顔を歪ませると、やりきれない想いをぶつけるように、蒼白い死神を力の限り蹴りつけた。
勢いよく地面に叩きつけられた死神を、悪魔のようなシルエットが悠然と見下ろした。穏やかな所作で掲げられた手に、どす黒い魔力弾を収束し、ゴミを捨てるように叩きつける。クインの黒い怒りが死神を包み込んだ。
「翼と遭遇する前にカタをつける。知らない間に愛する者が死んだばかりか、私達に殺されるのを見せるわけにはいかん!」
漆黒の翼をはためかせ、ベリザリオは力任せに死神を殴りつけた。こんな健気な、悲しい死に方を穢し、愛する者を殺させようなど、見過ごせるはずがない。
深海魚たちが、その身体を不気味に光らせ、煌く光が屍隷兵の傷を塞ぐ。
「つ……ば……さ……つ……ば……さ……」
幻影を追うように、最愛の者を求める屍隷兵は、ぶっきらぼうに進路をふさいでいたベリザリオを薙ぎ払った。
しかし、地面に叩きつけられたのは、身を盾とした恭志郎。外傷はそれほどでもなさそうだが、目を見開き、脂汗を流しながら頭を抱え込んでいる。
その刹那、緑光が煌めいた。同時に恭志郎の身体を蛍火が包み込み、癒していく。
光の先を見つめれば、闇に揺らめく黒髪の青年。それはサポートに駆け付けた木下・昇(永遠のサポート役・e09527)だった。
ケルベロスたちは目配せすると、一気呵成に敵へと躍り掛かった。一刻も早くこの苦しみを終わらせるために。
●あなただけを見つめて
「ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン」
2匹の深海魚は甲高い悲鳴を響かせ、空へとその姿を溶かした。
残る屍隷兵も追い詰め、既に夫を求めるその脚は、這うようにでなければ動かないほどに消耗している。決着は近い。それなのに、ケルベロスたちの表情は歪んでいた。
それは、屍隷兵の動きがケルベロスたちの心を惑わしたからだ。屍隷兵の攻撃は、攻撃ではなかった。ただ、自分の進路を阻むものを弾いているだけ。その先には、愛した者の姿しか映っていない。
「つ……ば……さ……くん……」
魂の残骸が、魂の伴侶を求めて手を伸ばしていた。
ぴろりんっ。
また場違いな音が響いた。
愛する妻の身を案じる旦那の、温かな心を表す音が。
「だんな……ちゃん……。だんな……ちゃん……」
意識など、とうに無いはずの屍隷兵が、音に反応して進む速度を速めた。まるで、肉体が反応したかのように。
しかし……、このまま、この屍隷兵が翼の元にたどり着いたらどうなるだろうか。屍隷兵は、愛し気に翼を抱き寄せ、そしてバラバラに切り裂くだろう。そうなる前に倒せたとしても、翼に会わせてしまった時点で、穏やかな愛で包まれた最愛の妻の記憶が、化け物の姿で汚されてしまう。愛する者の死という、ただでさえ全身の血が凍り付くような悲劇が、化け物の姿によって消せない傷となり、この先10年経っても20年経っても、翼が生き続ける限り彼の生を切り刻むだろう。そんなことは許せない。そして、誰よりも、誰よりも、今ここで翼を求める肉塊の持ち主が、それを許せないだろう。救わなければいけない。翼を。空子を。
「頼む。もう、眠ってくれ……」
朔夜は祈るように屍隷兵を見つめた。気丈な金の瞳が、今は哀しみに曇らされている。
屍隷兵の足を宴、ルイン、クインが払い、その腕を、恭志郎の鎌が切り裂く。その身体を、達也が放ったガトリングガンによる連射と、朔夜の稲妻を帯びた槍が貫く。朗の御業と、ベリザリオが叩き込んだ網状の霊力が、その動きを鈍らせ、ダメージを蓄積させていく……。そして……ついに屍隷兵は動きをとめた――。
ぴりりりりん、ぴりりりりん。
屍隷兵の胸に抱かれたスマホが、空子の声を求めて泣き出した。
「つばさ……こ……こ……だよ……………………」
意識を取り戻したわけではないだろう。しかし、最後にソレは呟くと、まだ人間だったころ。空子だった時のように、幸せそうに船をこいだ。
「いつか必ず、屍隷兵の技術を絶やしてみせるから」
動かなくなった空子に、恭志郎が苦しそうに決意を手向けた。
●天国と地獄
空が闇に染まっていた。気がつくと昇の姿はなく、路上に倒れ伏す空子の亡骸があるばかりだった。
薄闇の中、ひと際まぶしく光るものがあった。空子のスマホだ。なにかを主張するかのように光を放っている。恭志郎はその右手から、形見のスマホを優しく受け取った。
しかし、亡骸は既に限界がきていた。空子の指は灰のようにボロボロと崩れ、空へと混ざる。
その様子を見て、クイン、ルインは空子の遺体をなんとか留めたいと、近づいた。できることなら、翼に届けてあげたい。できることなら、綺麗なままに。崩れゆく空子の身体に、クインがヒールの光を灯した。しかし、空子の身体は崩れてゆく。堪らずルインも光をかざした。消えるな。頼む。消えないでくれ。翼さんと、綺麗なまま別れさせてあげたいんだ。憐憫の想いが煌めく。が、空子は穏やかな光に包まれながら、闇へと溶けていった。――誰かが地面を叩きつける音がした。
ブルルルルルルン。
車のモーター音が近づき、ヘッドライトの明かりが、ケルベロスたちを照らし出した。翼が来たのだ。
窓からは、ハニーが顔を出している。暗くてハッキリとは見えないが、つらそうな顔をしているように見えた。
トラックがとまり、引き締まった体の男が姿を現す。両手には、零れんばかりの荷物をかかえている。
「おぉ、本当にケルベロスだ、かっちょいい! ……っと、違う」
翼は大げさに作った笑みを浮かべた後、コホンと咳払い、
「このたびは、ありがとうございました。なんでも、そこの道でデウスエクスが暴れていたらしいじゃないですか。いや、急いで帰らなくちゃいけないのに往生して困ってたんですよ。なんど突っ切ってやろうかと思ったか……。あぁ、これはつまらないものですが、お礼の品です。よければ持って行ってください」
ペコペコ頭を下げながら、ケルベロスたちの手に、クッキーの缶やら、日曜大工で作った道具やらを握らせていく。
「皆さん、よろしければ家に来てください。一緒にクッキーでも食べながら、お茶でもいかがですか? あぁ、時間からしたら夕食の方がいいかな。そうだシチュー。シチューを一緒に食べましょう。妻の好物でしてね。やぁ、こんなにいっぱい人が来たら、あいつも喜ぶだろうなぁ」
翼はやや早口で喋りながら、ケルベロスたちを車にのせようと、背中をグイグイ押してくる。気を使い空子の発作は伏せているが、本当はすぐにでもかけつけたいのだろう。
そんな翼の様子を見ると胸が痛んだ。しかし、伝えなければならない。空子はもう、この世界にはいないことを。耳と尻尾をうなだらせた朔夜は、口をひらき、唾をコクリと呑み込むと、凛とした声で事情を伝えた。
空子がもういないこと。その死をデウスエクスに利用されたこと。今、自分たちがそれを止め、空子は遺体も残さずに瞬くように消えたこと。
翼は黙りこくった。朔夜は顔をそらした。今、どんな顔をしているのか。直視できるはずもない。ただ、事件を防げなかった。申し訳ない。と頭を下げることしかできなかった。
翼は急に、弾かれたように走り出すと、トラックに飛び乗った。
「そんなはずはない。あいつはきっと寝てるだけなんだ。今すぐ戻れば、きっと……」
ぴりりりりん、ぴりりりりん。
恭志郎が握るスマホが輝き、翼の呼び出しに応えた。
「そんな……」
翼の手からスマホが零れ落ちた。妻の安否を確認するためにかけた電話は、非情にも妻に起こったことを雄弁に語っていた。何故これが、今ここにあるのか。先ほどまで妻とメールをしていたスマホが。答えは、なんど都合の良い回答を導こうとしても、一つしか浮かばなかった。つまり、この人たちの言ったことは、本当なのだ。翼は、ハンドルを力いっぱい、叩きつけた。
「翼さん、これだけは伝えておくっすね。空子さんの死は、デウスエクスと関係なかったっす。彼女は人としてその一生を終えたっす。とっても、とっても、穏やかな死に方だったっすよ……」
せめてもの救いになれば……。ルインは囁くように伝えた。翼はハンドルに頭を押し付けて、なにも応えない。
「空子さんは遺体を利用されていただけだ。本心から人を傷つけようとはしなかったし誰も殺める事はなかったよ」
達也も空子を偲ぶように目を伏せながら、翼に伝える。翼は力なく車から降り、絞り出すような声で呟いた。
「空子は……、安らかに、逝ったんですね……?」
達也が優しく翼の肩を叩く。翼は、拳を固く握りしめた。
「想像してみてくれないか? おまえらの大事な人、家族でも友だちでもいいけどさ……。そういった人たちがだ。仕事を終えて返ったら、化け物になったので退治されましたって聞かされるんだ。納得……できるか?」
静寂が響いた。かける言葉など、見当たらなかった。達也はその言葉をただ受け入れた。ベリザリオもまた、その様子を見て静寂を纏った。私たちを憎むのもいい。それも喪失を埋めるには必要な事だ。しかし、翼は目をぎゅっとつむったあと謝った。
「いや……、すまない。これは八つ当たりだ。皆は俺たちのために頑張ってくれたんだよな。それも命をかけて。それは本当にありがたいと思ってる。……でも、……だけど」
翼の瞳から、大粒の涙がこぼれる。
「間に合わず、こんな事になってしまって申し訳ありません……」
恭志郎はそっと翼の前に空子のスマホを差し出した。ガラスの割れた、どこにでもあるスマホ。ただ、そのデコレーションが持ち主の名前を伝えてくれる。翼はガラスの割れたスマホを、宝物を扱うかのように優しい手つきで受け取った。
初めて見る、妻のスマホの中身。恥ずかしいからと、絶対中身は見せてくれなかった。次の瞬間、画面を見る翼の表情が固まった。
メモがあった。『ハッピーエンドを向えた私から翼君へ(遺言だよ!)』と書かれたメモ。翼は即座にメモ帳を開くが、瞳からは涙がとめどなくあふれ、読むことが出来ない。
「もし……彼岸へ逝く前に伝えたいことがあるのなら。ぼくが代わりに伝えますよ、空子さん」
宴は、顔をあげれない翼からスマホを受け取ると、訥々とそれを翼へと伝えていった。空子からの最後の想いを――。
●死の先をゆくものたち
翼くんが、これを読んでいるということは、私はもういないのですね……。
今の翼くんを思うと、とても心配です。きっと悲しくて泣いているのでしょうね。
だって、私だったら絶対泣いちゃうから。
でも……、泣かないでください!
だって、泣く必要なんて、ぜんぜんないんだから♪
思えば翼君のおかげで、いい人生でした――。お礼を言いたいことも山ほどあります。
ありがとう。発作に怯え、震える手を優しく握ってくれて。
ありがとう。心を痛める私のために仕事を続けてくれて。
ありがとう。いつも笑って励ましてくれて。
――大好きだよ翼君。愛しているよ翼君。本当に……、大好きだよ!
結婚する時に誓ったね、死が2人をわかつまでって……。
でも、死を身近に感じるようになった今、私はこう思うんだ。
死が2人をわかったとしても、終わらないものはあるんじゃないかって。
例えばだよ。2人で星を見てる場面を思い浮かべてね。
「綺麗だね」
って翼くんがいって、私は何て言うと思う? そう、正解!
「ふふ、翼くんほどじゃないけどね」
だよ! ほらね、隣にいなくても一緒でしょ!
だからね……、死が2人をわかつとも、この想いは永遠にあなたと共に――。
これからも、この想いを末永くよろしくお願いします。
あなたと添い遂げた、空子より♪
「空子さんは最期まで、あなたの事を想ってた。死の際で想える誰かがいるって、凄いことだと思います。独りで逝った訳じゃない。ちゃんと心に貴方が寄り添っていたから」
宴の目の端から雫が零れた。
「死が二人を分かつまでではなく、二人を分かつともその想いは消えることがないのだろう」
朗が息を呑みこんだ。
「空子は……どこで逝ったんだ?」
車から降りてきた翼は、ふらふらした足取りでそこへと向かった。手には、形見のスマホと、今わの際に届けると約束していたクッキーの缶が握られている。その場所にたどり着いたとき、翼はあるものを見て崩れ落ちた。
「空子……」
その手のひらには、空子の愛した白い花が握られていた。白のカーネーション。
「空子……これからもずっと……一緒だ……」
みるみるうちに翼の顔が崩れ、泣いているような笑っているような顔になった。宴とルイン。2人のドクターが、翼の元に寄り添った。願わくば、苦難に満ちた生を歩んできた人も、死した後は穏やかに居られますように。死者が安らかにある事が、生者の救いとなりますように。ルインは、翼が悲劇に負けない事を祈った。
その向こうでは、ゴウゴウと燃える炎が立ち昇っていた。達也の右腕が、朗の左腕が、朔夜の右腕が、ベリザリオの声が、クインの、恭志郎の――地獄化した灼熱の怒りが、メラメラと闇を焦がしていたのだった。
作者:ハッピーエンド |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年8月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 6/感動した 10/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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