精霊馬事件～黄泉逢いの禁忌

■リプレイ

●死出の霊牛
　空地に降り立つ奇怪な影。巨大な茄子の身体に割り箸の脚を持った精霊牛。その背中より生えしは、若き日の姿に戻った独居老人、渋沢・敦郎の身体であった。
（「さて……上手く、時間稼ぎできると良いのですが……」）
　右腕の手袋と袖を白炎に包み、水沢・アンク（クリスティ流神拳術求道者・e02683）は奇妙な姿の夢喰いと対峙した。
　外見だけで見れば、色物と思われても仕方がない敵の姿。だが、その実態は外道そのもの。老人の純粋な願いを利用して、絞り粕になるまで自らの糧にせんとする悪辣な存在。
「大切な方と早くに別れ、長い時を一人で生きていくのは、さぞかしお辛かったでしょう。ですが……」
　そこまで言って、羽鳥・紺（まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339）は言葉を切る。
　説得には、時に厳しさも必要なのは事実。だが、果たして目の前の老人が、こちらの言葉をどこまで聞き入れるだろうか。
「なんじゃ、お前達は……。儂の願いを……恭子に会うのを、邪魔するつもりか？」
　精霊牛の背から生えた敦郎が、ケルベロス達へ悲しげな瞳を向けて尋ねた。
　その顔にあるのは、言うなれば大きく空いた心の穴。瞳の奥に見え隠れするのは、言いようのない虚無の二文字。
「死後の世界に連れて行けとは、笑わせんなよ。あるわけねぇだろ、そんなもの」
　仮に、そのような世界があったとして、亡き妻の下へ行ける保証はない。不敵な笑みを浮かべてマサヨシ・ストフム（蒼炎拳闘竜・e08872）が告げたところで、敦郎の額が微かに動いた。
「敦郎さんがそうして会いに行くことを、天国の恭子さんは望んでいるんですか！？」
　続けて、イリス・フルーリア（銀天の剣・e09423）が問い掛けるが、敦郎はそれに答えなかった。否、ともすれば唇を噛んだまま、視線を落として俯いていた。
「自分の夫が天寿を全うせずに、命を落としてまで自分に会いに来ることを望む……。キサマは、自分の妻がそのような女だったと思っているのか？」
「……黙れ」
　震える声で、イ・ド（リヴォルター・e33381）の言葉に答える敦郎。しかし、そこにあるのは希望でなく怒り。己の夢を邪魔立てする者達への、激しい敵意に他ならず。
「汝ら、邪魔立てすることなかれ！　我の前に立ちはだかるのであれば、その命……ここで消えると知れ！」
　敦郎に代わり、精霊牛のドリームイーターが叫んだところで、茄子の巨体が大きく跳ねた。
「……ッ！？」
　着地と同時に大地が揺れ、その振動は凄まじい衝撃となってケルベロス達へと襲い掛かる。冗談のような外見に反し、敵の攻撃は強烈だ。間一髪、相箱のザラキと共にイッパイアッテナ・ルドルフ（ドワーフの鎧装騎兵・e10770）が身を呈して仲間達を守ったが、その代償は決して小さくはなかった。
「なんと……。この威力、油断はできませんね……」
　幾重にも重なる圧迫感。おまけに敵は、見た目に反して想像以上に素早い。これも全ては、敦郎を取り込み、その想いを糧に力を得た結果だというのだろうか。
「死の辛さも悲しみもよく知ってるなら、命の大切さだって分かるはず！　こんなとこで死ぬんじゃねえッ！　辛くても苦しくても生きろォ！」
　ここで圧倒されるわけにはいかない。額の汗を拭い叫ぶククロイ・ファー（鋼鉄の処刑人・e06955）だったが、しかし死妖霊牛に魅せられた敦郎は、その言葉に耳を傾ける素振りもなく。
「何も知らん者が、知ったような口を利くな！　貴様達こそ、儂の恭子への想いが、どれほどのものかなど知りもせぬくせに！」
　怒りの表情を変えることなく、ククロイの言葉さえも一蹴する。今の敦郎にとっては死妖霊牛の告げる不確かな言葉だけが、唯一の希望になっていた。
「まだです……。まだ、諦めませんよ！　生きている人も、亡くなった人も馬鹿にするような事件なんて……！」
　それでも、ここで退いたら全ては終わりだ。拳を握り締め、朱藤・環（飼い猫の爪・e22414）は覚悟を決めて敦郎を取り込んだ死妖霊牛と対峙する。
　生者も死者も愚弄する。そんな事件で、これ以上の悲劇を起こさないためにも。猛々しく荒れ狂う死妖霊牛の動きを押さえるべく、鋭い蹴りを叩き込んだ。

●亡き妻の瞳
　死者に会いたいという敦郎の想い。それを利用し、力を得た死妖霊牛は、ケルベロス達が想像していた以上に強敵だった。
　俊敏に跳ね回り攻撃を回避するだけでなく、勢いに任せて圧倒し、更にこちらの命中率を低下させる。おまけに、攻撃力も決して侮れるものではなく、それで一群を薙ぎ払うようにして仕掛けて来るのだから堪らない。
　牽制で倒してしまったらという不安があったが、それは悪い意味で杞憂だったようだ。複数の者への被害を防ごうと勤めた結果、盾役に殺到する波状攻撃。結果として一部の者への負担が増大し、そのフォローに回るので手一杯だ。
「諦めよ……。既に、この男の心は我が物だ。貴様達は、ここで無様に死ぬがよい」
　死妖霊牛の紡いだ言葉が無数の呪言となって、戦場と化した空地に広がって行く。冥府の瘴気にも似た異様な力の前に、意識せずとも自然に身体へ震えが走った。
「敦郎さんが精霊牛、お盆を信じているのなら……あなたの亡妻の魂はあなたの家に戻り！　あなたの供養し続けた姿を知っている筈ではないか！？」
「だからこそ、じゃよ。お盆の日にしか会えんのなら、いっそのこと永遠に一緒の時を過ごせた方が、儂にとっても幸せなんじゃ……」
　自分の信じているものを思い出せ。そんなイッパイアッテナの言葉にさえも、敦郎は首を横に振って答えた。信じているからこそ、一年に一度しか会えないことの方が辛い。だから、これからは未来永劫、永遠に同じ時を過ごせるよう、そう願って牛に身を任せたのだと。
「もう止めろ！　死者に会いに行くのはッ！！　今じゃァねえだろオオオオォォォッ！！！！」
　呪いの言葉をかき消すように、ククロイの叫びが空を切る。だが、勢いで押すだけの言葉では、今の敦郎には届かない。
「もう、放っておいてくれ。老い先短い人生……先立たれた妻に会いたいという儂の願いさえ、お主らは聞けぬというのか？」
「それで？　仮に死後の世界が有った所で、アンタはその良い女の元へいけるのか？　懸命に生きた証を捨て、会いたいという聞こえのいい言葉で、バケモノに成り果てたテメェが行けるのは地獄だけだ」
　だから、手遅れにならない内に助けてやる。今なら間に合うから帰って来いとマサヨシが告げたが、それでも敦郎は首を縦に振ることはなく。
「さっきから、貴様こそ何様のつもりじゃ！　お主らには、まだ未来があるかもしれんが……儂には、もう何もない！　何もないんじゃ！！」
　その口から溢れ出るのは、怒りと嘆きと悲しみだけ。過去へも未来へも希望を見出すことのできない、哀れな男の心の叫び。
「奥さまも、あなたと共に時を刻めなかったことは無念でしょうが……」
　ならば、せめて亡き妻の想いを考えて欲しいと、イリスは静かに言葉を紡いだ。
　その上で、改めて敦郎に問い掛ける。亡き妻は、因果を歪めてまで再会を果たすことを望むような、身勝手な女性だったのかと。
「再婚も適わないほどの想いをキサマに抱かせた……それ程の女だったのだろう？　そんな女が、夫の生を軽んじるとは、己には思えん。なれば……もう少し土産話を増やしてから赴いた方が、合理的というものだ」
　同じく、イ・ドも思い留まるよう敦郎に告げたが、果たしてその言葉を聞いた敦郎は、なおも感情を爆発させ。
「合理的？　若造が、何をほざくか！　そんな理屈だけで、儂と恭子の仲を語るでないわ！！」
　その身を深く死妖霊牛へと委ね、再びケルベロス達へ襲い掛からんと迫って来た。
　純粋なまでの妻への想い。それが強過ぎるからこそ、敦郎の怒る気持ちも解る。だが、ここで彼の行動を認めてしまえば、それは更なる悲劇しか生み出さない。
「いいかげんにしてください！」
　再び大地を揺らさんと死妖霊牛が脚を振り上げたところで、環が身を乗り出して敦郎に叫んだ。
「私、恭子さんも……空の上からおじいさんのこと、ずっと見てると思うんです……。姿は見えなくても……声は聞こえなくても……必ず、どこかで見てると思うんです……」
　死者は何も語らない。だが、その死を乗り越えられずにいれば、死者は生きている者に『痛み』しか残さない。そして、同時にそれは死んでからもなお、亡くなった者を悲しませることに繋がってしまう。
「こんな形で再会して、本当に恭子さんは喜んでくれるんでしょうか？　悲しいって、寂しいって気持ちのままのおじいさんを見て……願いのために利用されてる姿を見せられて……笑って迎えてくれるって、本気で思ってるんですか！？」
　最後の方は、殆ど嗚咽の交じった言い方になっていた。しかし、そんな彼女の言葉を聞いた瞬間、先程まで猛々しく荒ぶっているだけだった敦郎の顔が、まるで雷に打たれたかのように固まった。
「今、貴方が奥さんに会いに行っても彼女は悲しむだけで、歓迎はしてくれません。喜ぶ事は決してありませんよ」
「人ならざる術を使って恭子さんに会いに行ったとしても……、恭子さんは悲しむと思います」
　なぜなら、きっと彼女は敦郎に生きて欲しいと願っているから。そして、いつか本当に会う時に、笑顔で再会できることをが、本当に大切なことだから。そんなアンクやイリスの言葉に、敦郎は力無く苦笑して。
「そうか……そうじゃな……。儂が良くても、恭子が悲しむというのなら……もう少しだけ、常世での生を紡がせてもらおうかのぅ……」
　妻に先立たれ、人生に希望を見失った男。自分を大切にすることを忘れた敦郎だったが、相手を大切に想う心までは失っていなかった。そこに訴え、失う前に止められたことで、辛うじて踏み留まらせることができたのだろう。
「えぇい、役立たずめ！　汝は、もう用済みなり！」
　願いを完全に放棄した敦郎を、死妖霊牛が荒々しく吐き出す。それを見たアンクとイリスは倒れている敦郎のことを横目に見つつ。
「ここからは気兼ねなく行けそうですね。……クリスティ流神拳術……」
「銀天剣、イリス・フルーリア……」
　改めて茄子の化け物と対峙し、叫んだ。
「「……参ります！！」」

●黄泉路へ帰す
　死妖霊牛が敦郎を吐き出してしまうと、そこから先は早かった。
　力の源を失った故か、敵の攻撃には先程までの激しさが感じられない。そればかりか、攻撃の種類も単調なものとなり、自慢の機敏さも生かせていない。
「大地の力を今ここに――顕れ出でよ！」
　長引く戦いで散々に蓄積した重圧感は、イッパイアッテナの顕現させし清浄なる力によって除去された。その隙に相箱のザラキが敵の尻へと噛み付いて、深々と牙を食い込ませ。
「逆巻け、其の命！」
　換装されたイ・ドのアームが、疑似螺旋とも呼べる力を強引に敵の身体へと捻じ込んで行く。
「お、おのれぇ……。ワイルドの力さえ我が物にしていれば、このようなことには……」
　無様に倒れ伏す死妖霊牛だったが、もはや立ち上がることさえ悪足掻きに過ぎない。気が付けば、上空より環の呼び出した多数のドローンが、高電圧の障壁を展開したまま降下して。
「目標確認。あとは頼みましたよ！」
「なっ……！　うがぁぁぁっ！？」
　電撃に押し潰されるような形になり、動きを封じられる死妖霊牛。そこへ迫るは拳を固めた、ククロイ、マサヨシ、そしてアンクの３人。
「いけ好かねえドリームイーターだな！　ぶちのめすぞ！　キバァ！！」
　まずはククロイが鋼の拳を叩き付け、マサヨシとアンクもそれに続く。天高くカチ上げられた敵が落下して来たところへ、それぞれの炎を固めた拳を正面から突き出し。
「まさか逃げねぇよなぁ？　弱った爺騙しくさって手に入れた力で、さぞいい思いをしようとしたんだろ？　ブッ殺される覚悟くらいできてるよなぁ？」
「まあ、答えは聞く必要もなさそうですけどね」
　この間合いでは、外す方が難しい。獰猛な笑みに顔を歪めるマサヨシに、アンクは苦笑を交えて答え。
「我が炎に焼き尽くせぬもの無し――我が拳に砕けぬもの無し――我が信念、決して消えること無し――故にこの一撃は極致に至り！」
「決めます……！　外式、双牙砕鎚(デュアルファング)！！！」
　重なり合う蒼と白。研ぎ澄まされた必殺の拳が巨大な茄子の身体を貫き、割り箸の脚を焼き尽くす。噴き出す炎は夕陽に照り映える空の色さえ、真昼に戻さんばかりに輝いて。
「光よ、彼の敵を縛り断ち斬る刃と為せ！ 　銀天剣・零の斬！！」
「消え去りなさい、あなたの世界は終わりです」
　一閃にて動きを止めた敵へ向かい、イリスの翼より放たれし光の刃。それに重ねるようにして、紺の放った夜色の影が、無数の銃弾の如く敵を貫く。
「オォ……オォォォォッ！！」
「残念ながら、黄泉路へ旅立つのはキサマの方だったらしいな」
　紡がれる光と影の二重奏。陰影の狭間に飲まれ消えて行く悪辣な夢食いへ、イ・ドが静かに背を向け、呟いた。

●今を生きる
　夕刻の空地に静けさが戻り、草の間から虫達の声が聞こえて来る。死妖霊牛より吐きだされた敦郎の姿も、いつしか老人のものへと戻っていた。
「あなたの亡妻への恭子さんへの思いは本物です。敦郎さんが恭子さんに対して納得できることを望みます」
「しわくちゃになるまで操を立てたアンタが、そこまで愛しているなら、さぞいい女だったんだろうな」
　イッパイアッテナとマサヨシの言葉に、何かを思い出したのだろうか。溜息を吐いて立ち上がる敦郎だったが、その顔と瞳に憂いは無く。
「これからは、奥さんに胸を張って会いに行ける様に生きてみませんか？」
「恭子さんの思いも継いで……生きましょう、敦郎さん」
　アンクとイリスの言葉に、頷く敦郎。そう、死ぬのはまだ早い。笑顔で天寿を全うしてこそ、亡き妻も喜んで彼のことを迎えてくれるはず。
「どうやら、最後の最後で甘事に惑わされなかったようですね」
「うむ、実に合理的な判断だ」
　紺とイ・ドが見送る中、敦郎の背を追い掛ける二つの影が。
「もし、よかったら……私達にも、お線香をあげさせてください」
「お盆だから、奥さんも帰って来てるはずです」
　だから、一緒に迎えに行こう。そんな環とククロイの手を取り、敦郎は涙を拭いて二人へと告げた。
「ありがとう……。まるで、孫達に囲まれておるようじゃ。これは、まだしばらくは逝けそうにないのぅ……」
　そちらへ行くのは、もう少しだけ待って欲しい。夜の帳が落ち掛けた空に輝く一番星。その向こう側に亡き妻の微笑む姿を見たような気がして、敦郎は無言のまま天を仰いでいた。

作者：雷紋寺音弥	重傷：なし 死亡：なし 暴走：なし
種類： 公開：2017年8月25日 難度：普通 参加：8人 結果：成功！
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