精霊馬事件~黄昏に望む逢瀬

作者:絲上ゆいこ

●渇望
 今も夢に見る。あの日の事を。
 私を庇った貴方が川に転落して、帰ってこれなくなってしまったあの日の事を。
「もう、随分と時間が経ったね。私は、今も、貴方のことを――」
 りんと音を立てる鈴。鈴棒を横に置く。
 貴方が居なくなってから随分と長い時間が立った。
 この古ぼけた仏壇を眺める日々を重ねただけ、同じだけ自らも老いた。
「あなたに貰ったこの命、捨てようかと思った事もあったよ。でも、貴方に助けて貰った命だもの。……でも、もう。私だけ一人で、お婆さんになってしまった」
 忘れられず、この年まで一人でいてしまった。
「あなた以上の人なんて、いなかったのよ」
 クスクスと笑いがこみ上げる。
 逢いたいと思う。逢いたくないとも思う。
 眺める写真の彼は若いままの姿で、自らの掌と写真を見比べてから窓を見上げる。
「やっぱり、本当に居るのね、あなた」
 ――巨大なきゅうりの精霊馬が自らを迎えに来ただなんて、馬鹿げた話。貴方は笑ってくれるだろうか。
 でも、ずっと待っていた事だ。
「ねえ、……あなたは私を迎えに来たのでしょう? あの人に逢いに行かせてくれるのね」
 できれば、もっと若い姿が良かったのだけれど。皺くちゃのこんな顔、貴方には見せたく無いもの。
「ああ。汝が我と一つになるのならば願いを叶えよう。少女の姿で再び邂逅したいと願うのだろう? ……――ギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラ!」
 お化けみたいに大きなきゅうりから黒い靄が溢れ、纏わりつく。
 身体がモザイクに包まれ、皺がみるみる消えてゆく。
「汝のドリームエナジーが、我に流れ込んでいる。ワイルドの力を感じるぞ。汝の望みが叶うまで、汝はドリームエネルギーを生み出し続ける、ああ。なんと心地良い! ――死者との邂逅など、叶うわけも無かろうに!」
 モザイクの衣を纏い少女と化した彼女は、精霊馬と一体となり空を駆け出す。
 一生叶う事の無い望みをその胸に抱いたまま。
「ああ、シュンさん。……やっと、やっと逢いに行けるわ」
 少女の瞳よりぼろぼろと溢れる涙は、モザイクと化して零れ落ちた。

●憧憬
「よー、ケルベロス大運動会は競技も屋台も大盛況だったなァ。お疲れさん。俺も楽しかったぞー」
 掌をひらひらと揺らしたレプス・リエヴルラパン(レプリカントのヘリオライダー・en0131)はケルベロス達を労い、そして頬を掻いた。
「……で、まァ。お前たちを呼んだって事はそういう事だ。旅疲れもあるだろう所に悪いとは思うが、ひとつ仕事を頼まれて欲しいぞ」
 少しだけ申し訳なさそうに言葉を重ね、掌の上に資料を展開するレプス。
「多くのケルベロスクンたちが警戒していてくれた様に。盆だしな、死者への気持ちを悪用するドリームイーターが現れたぞ」
 浮かび上がってきた立体画像は、巨大なきゅうりの精霊馬に腰掛けるモザイクの着物を纏った少女の姿だ。
「若くして亡くなってしまった旦那に、若い姿で再び逢いたいと強く願っていたお婆ちゃん――チエコサンが居てなァ。その願いを嗅ぎつけたドリームイーターがまた悪さをしようとしているんだ」
 このドリームイーターはドリームエナジーを奪うのでは無く、ドリームエナジーを生み出し続ける人間を取り込む事でより強いドリームイーターになろうとしているようだ。
「実際、常にエネルギーを供給してくれるガソリンが湧き出るエンジンを積んでいるようなモンだ。チエコサンを取り込んだドリームイーターは強敵だ。そして、彼女を取り込んだ状態のままドリームイーターを撃破してしまうとチエコサンは良くて大怪我、悪けりゃそのままポックリ逝っちまうぞ」
 と、言う訳で、とレプスはケルベロス達を見渡す。
「お前たちには戦闘をしながらチエコサンを説得して、亡くなった旦那に『逢いに行きたい』という気持ちを諦めさせて欲しい。その望みさえ捨てれば彼女がドリームエナジーを生み出す事も無くなり、精霊馬のドリームイーターは必要の無くなったチエコサンを分離して投げ捨てるようだ」
 ドリームイーターから彼女が離れる事ができれば死亡する危険性は無くなり、ドリームイーターの力も彼女を取り込む前のモノとなるだろう。
「敵のドリームイーターは一体のみ。チエコサンを取り込んだままの状態だとかなりの強敵で力も強く、自らを回復する事もできるようだ。お前たち8人でもかなり苦しい戦いが強いられる事になるだろうなァ」
 チエコの説得に成功して彼女を切り離す事ができれば、精霊馬のドリームイーターの力は八割程度まで下がり、自らを癒やす力も無くなってしまうようだ。
「交戦できる場所は河川敷だ。大きな花火大会が毎年キレイに見える場所らしくてな。彼女の旦那が亡くなった場所でもあるらしいぞ」
 と、言っても今日は花火大会も無く、人払いの必要性も無いだろう、と彼は付け足した。
「お前たちも疲れてるだろう所本当に悪いが、見過ごす訳にもいかねぇからなァ。どうか、彼女の気持ちが悪用される前に助けられるようならば助けて欲しい。――しかしあの呪文、どこかで聞いたような気がすンだよなァ……」
 そして軽く頭を下げたレプスは、ヘリオンへと歩み行く。
 ドリームイーターの悪事を、そして彼女の気持ちの悪用も。阻止する事ができるのはケルベロスたちだけなのだから。


参加者
橘・芍薬(アイアンメイデン・e01125)
リリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775)
夜刀神・罪剱(星視の葬送者・e02878)
リィ・ディドルディドル(悪の嚢・e03674)
キーリア・スコティニャ(老害童子・e04853)
紗神・炯介(白き獣・e09948)
ウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)
天喰・雨生(雨渡り・e36450)

■リプレイ


 夕日に照らされた川のせせらぎ。ぬるい風が肌を撫でた。
「ここに来るのは随分久しぶりね」
 巨大な精霊馬に乗り寄り添い、瞳を細める少女。
「あの日以来近づきもしなかったもの」
 彼女が腰掛けた空を駆ける馬は、川上の宙を揺蕩うように同じ場所を行ったり来たりしている。
「綺麗ね、あなた」
 そこに響く、砂利を軋ませる足音。
「その姿で会いに行ったら旦那さん何て言うかしらね?」
 赤髪を靡かせて橘・芍薬(アイアンメイデン・e01125)は首を傾いだ。
 奥さんを庇い、転落して亡くなった旦那。
 立派だ、と思う。
 しかし、残された奥さんはずっと未練を抱えていた事だろう、とも思う。
「喜ぶかしら。昔と同じように一緒にいられることを。それとも、――悲しむかしらね? あの日、生きて欲しいと庇ったあなたがこっちに来ちゃって」
 芍薬に言わせれば、旦那は身勝手だと思ってしまう。
 しかし。彼女を庇いたいという気持ち、彼女に生きていて欲しいと言う気持ちは本当だったのだろう。
 言葉にはっと目を見開いた少女が振り返る。
 その目前には既に。芍薬の握ったリボルバー銃が吐き出した弾と、そしてウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)の拳が迫っていた。
「ハロー、地獄の番犬が会いに来たぜお嬢さん」
 叩きこまれた鋼拳と弾は、砂埃を巻き上げて河川敷に精霊馬を転がす。
 そこにテレビウムの九十九が転がってきた馬にアーミーナイフを振り上げ、更に追撃を行った。
「こんばんは、チエコ」
「こんばんはっ!」
 目を白黒させる少女を見下ろし、リィ・ディドルディドル(悪の嚢・e03674)が囁く。
 リリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775)も正反対のテンションながらリィに習ってペコリとお辞儀だ。
 挨拶をしながら構えたリリウムのライフルの照準はそのまま。銃口が光弾を吐き出す。
 ケルベロス達が口々に話しながらも、次々に叩き込まれる連撃。
「耳を貸すな! こいつらは我々の邪魔をしに来たのだ!」
「ケル、ベロス……?」
 回避をしようと転がった精霊馬が吠え、モザイクを吐き出す。少女は抱きついたまま呆然と呟いた。
「若返って嬉しい? でも残念ね。たぶん旦那さんにはそれじゃ会えないと思うわ」
 庇おうと飛び出したボクスドラゴンのイドの尻尾をひっつかんだリィは、そのままモザイクに叩き込み。
 イドを放り投げると一気に駆け、馬へと踏み込む。
 死後の世界はしっくり来ないし、死者に会いたいとも思わない。
 死んだ両親に会ってみたいと思ったことも、あまり無い。
 リィにとって彼女の気持ちは、羨ましいような不思議なような。よくわからない気持ちに満ちた物だ。
「リィは別に、死にたいと願う人間を殺すくらい訳ないわ。旦那さんが死んでから何年も経ったでしょうに、色褪せない願いというものは、悪くないものだと思う」
 そう、結局は何を願おうと人の勝手だ。
 何があるか分からない世界、もしかしたら死ぬ事で本当に彼女の願いは叶うかもしれない。
「けど。今のあなたでは普通に死ぬより、よっぽど再会は難しいんじゃないかしら?」
「ええ、それは悪い夢。あなたも本当はそれに気づいてるんじゃない?」
 芍薬が跳ね退き、リィの拳と馬の棒のような足が交わされる。それと同時に地に星座が刻まれた。
 加護を与える光は仲間を照らし、紗神・炯介(白き獣・e09948)の金瞳を揺らす。
「――ご主人の事、ずっと想い続けてきたんだね。……君を迎えに来たのはデウスエクスだ。奴は、君と君のその願いをただ利用しているだけなんだ」
 千罠箱と記された和風のミミックが、大口を開けてきゅうりに喰らいつき。
 扇を揺らすキーリア・スコティニャ(老害童子・e04853)より、七色の煙が燻った。
 ――七つの大罪よ、煙へと姿を変え、力を与えよ。
「お主の夫は死者の国。生者にはどうあっても届かない場所なのじゃ」
 朗々と響く声音は、キーリアの見た目からは想像がつかぬ程に落ち着いた響きに聴こえ。
 罪の名を関した煙が仲間を癒やし、加護を与える。
「その精霊馬は天国行じゃない、俺らが地獄へ連れてかなきゃいけねェ代物なんでね」
 砂利を弾いて着地したウィリアムも頷き、自らを覆うオウガメタルを手の甲の上で滑らせた。
「……もう二度と逢えない人に逢いたい。その気持ちは痛い程理解が出来る」
 その呟きと緋色の瞳の奥には、深い深い切望が覗く。
 夜刀神・罪剱(星視の葬送者・e02878)は十返りの刻を真横に構え、喉を鳴らした。
 切望。
 そう、罪剱自身にも逢いたいと願う相手がいる。
 死者。彼女に逢えるなんて、夢のような事があるのならば。
 それがどんなに僅かな希望だろうと縋ってしまうかもしれない。
 ――少なくとも、その可能性を罪剱には否定ができなかった。
「……けどな、それは駄目なんだ。喪失というのは二度と戻らないからこそ尊いものなんだ、価値があるものなんだ」
 死者に再び逢えるという事は、その死に対する冒涜だ。
 死の尊ぶべき価値を奪う、死者への冒涜だ。
「それを理解して尚、逢いたいというのなら俺はもう貴女を止める事は出来ない」
 駆ける刃。
 振り下ろされた刃を受けた精霊馬は身体を軋ませ、地を蹴って押し返す。
 その上に降り落ちて来たのは、一本足の高下駄だ。
「旦那さんの元に行こうとして、それでも助けられた命を捨てずに。お婆さんになるまで頑張ってきたんだね」
 柔らかく響く言葉。精霊馬の上に立った天喰・雨生(雨渡り・e36450)は彼女を見下ろす。
「けれど今、貴女が旦那さんに逢いに行けば、その命は捨てることになるよ。それは貴女もわかってるはず」
「黙れ!」
 吠え、身を捩り暴れだした馬から半回転して飛び降りる。
 雨生の持った身の丈程の筆は解け、ヌンチャクと化した。


 横から捌き、受け止める。
 暴れる馬の動きを御すかのように、雨生のヌンチャクが跳ねる。
 左半身の魔術回路が赤黒く輝き、雨生は華奢な身体をぐんと撓らせた。
 きっと彼女は旦那さんの怒った顔も、悲しそうな顔も、笑った顔も、嬉しそうな顔も。
 旦那さんが彼女を庇ったその日の顔も。覚えている筈だ。
「どうか、これまで貴女が守ってきたものを捨てたりしないで。いつか自然に旦那さんの元に逝く日まで、守ってあげて」
 ステップから跳ね上げるように、雨生は激烈な一撃を叩き込む。
 これはデウスエクスの見せる悪い夢だ。死んだ人にはもう会えないのだ。
「人の気持ちを弄んで、あの世の使いを模してるなんて気が利いてるじゃない」
 具現化した光の盾が芍薬より弾け、イドを癒やす。
「わたしにはおばーちゃんの気持ちも、旦那さんの気持ちも! どっちもきっと分かんないですけど!」
 リリウムはお婆ちゃんでは無い。そして勿論旦那さんでも無い。
 故に、気持ちを理解するなんて難しい。
 ピンと立てた耳は、それでも精一杯の気持ちを伝えようと緊張する耳だ。
「ですけど!」
 リリウムは身を捻り、変形する巨大な鎚を振り上げ叫ぶ。
「1個だけはわかります! おばーちゃんが誰かに騙されるのは、旦那さんにとってきっと悲しいことなのです!」
 リリウムは、リリウムの知っている事しか言えない。
「そうだ、今の君の事をご主人も心配しているはずだよ」
 穏やかに同意をした炯介は頷く。
 馬に零れ落ちるのはインクのような黒い染み。
 肚の奥に隠された感情が染み出すように、じわと広がる黒い滲み。それは癒されぬ、蠢く呪い。
「会いにいくときは泣きながらよりも、笑ってるほうがきっと素敵なのです! ――だから、ドリームイーターなんかに負けないでください!」
「さぁ、デウスエクスなんかに負けないで。最後まで胸を張って頑張ろう。 ――大丈夫。ご主人もきっと、君を見守っていてくれるから」
 伝える言葉は何処か祈るようだ。
 じわじわと広がる黒い染みは腐食したかのように馬の身を蝕み、強い気持ちと共に吐き出された砲はキュウリを貫いく。
「ぐ、う……!」
 キュウリ体からモザイクが吹き出し、自らにぽっかり空いてしまった穴の修復を始める。
 炯介には死後の世界の事なんて、分からない。でも、今回の形では逢える可能性は無いだろう、と言う事は分かる。
「戻って、おいで」
 炯介は囁く。銀糸の長い髪が風に靡き、彼女と視線が交わされる。
「……!」
 呆然とした様子の少女は、ぎゅうとキュウリにしがみ付く。
「もう、待てない……」
「救ってもらった命を粗末にしてでも行くなんてことすればあの世で夫に叱られるぞい?」
 老獪と笑ったキーリアが口を開き。彼女の呪いめいた言葉の続きを紡がせる事は無い。
「天寿を全うしてからでないといかんのじゃよ」
 キーリアに伴侶は居ない。
 しかし、62年生きてきたこの身にその気持ちが理解できない訳でも無い。
「世の理は覆りはせぬ。故に逸ってはならぬのじゃ、今の生を謳歌しきらねば死んでも未練しか残るまい」
「イヤー、俺も女心がわかんねェワケじゃないですけどね。でも、俺が旦那なら、お婆さんになったアンタにこそ逢いたいと思いますよ」
 肩をすくめるウィリアム。彼に逢いたい程の死者はいなくとも、恋しい人に逢いたい気持ちは強く理解できる。
 ケルベロスを突き飛ばして距離を取ろうとした馬に、愛しい鞘を撫でてから地を踏み込んだウィリアムは鋭く飛びかかった。
「そうね。彼が愛したのは今のあなたでなく、皺くちゃなババアの方だと思うわよ」
 リィは頷き翼を大きく広げ、ウィリアムと反対方向から身体を撓らせて鞭のような蹴りを繰り出す。
 旦那さんは自らが死してでも、彼女を守りたいと思った人なのだ。
 ウィリアムは瞳を細める。
 命を張って助けた愛する人が、長生きして、天寿を全うして逢いに来る。
 年月を刻んだその手を握る。
 守る事しか出来なかった男に、それ以上の誉れはあるだろうか。
「こいつは男の我儘なんでしょうケド、アンタから逢いに行くなんて止してくれ」
 少女の瞳が再び潤み、モザイクがこぼれ落ちる。
「――時よ止まれ」
 世界を刻むように、鎌を横薙ぎに振るう罪剱。
 一瞬だけ、時が止まった様な気すらした。動きを止める精霊馬。
 隙を逃さずウィリアムは優しく彼女の手を引く。
「その日が来るまで。旦那の拾い上げた命を、その手で確り握ってていて欲しい」
 その言葉に少女は掌をぎゅっと握り返し。彼は老婆と化した彼女を抱き上げる。
「芍薬!」
 大きく翼に風を孕ませたリィが引き剥がした老婆をウィリアムごと宙へと放り投げ、叫んだ。
「オッケー! ……お帰りなさいませ、なんてね」
 緩衝材としてのウィリアムより取り上げたチエコに、芍薬は笑いかけた。


 肩に乗せた九十九と跳ねた芍薬は、精霊馬の弱体化した気配に笑みで唇を歪め。その横で低く構えたキーリア。
「気持ちを利用して踏み躙る、清々しいくらいにロクでもないのじゃ」
「元いた地獄が生ぬるいってことその身体に刻んでやるわ」
 心を弄ぶような相手にはそれでもまだ甘いかもしれないがならば更にお見舞しよう。
 逆巻く烈風。熱が赤く掌を染め漲るグラビティが空気を爆ぜさせる。
「エネルギー充填率……100%! いくわよ、インシネレイト!」
「千罠箱、合わせるのじゃ。――黄泉へ旅立つのはお主だけで良い、デウスエクス!」
 大きく口を開けた千両箱の横を駆ける、キーリアの魔力光。
 芍薬の一撃に大きくよろめいたキュウリの身体が、その光に貫かれた瞬間硬直したように見えた。
「あっ、トドメな感じですね! まかせてくださいっ!」
 リリウムが絵本を開く。現れるのは大きな大きなボス猫だ。
 楽園を築くことの出来なかった猫は、巨体で馬にのしかかる。
「貴女の葬送に花は無く、貴女の墓石に名は不要」
 その影に寄り添うように。
 一気に加速した罪剱は、空の霊力に満たされた刃を横薙ぎに振るう。
 薄切りにされ砕けながらも、敵は未だ闘志を失っていなかった。
 声なき声で吠えた馬はその細長い身体の先に鋭いモザイクを氷柱のように研ぎ澄まし、身を震わせる。
「そこまでよ」
 馬が仲間へと狙いを定める前に距離を詰め。
 あえてその身を貫かせる事で敵の勢いと武器を奪ったリィが、片手で封印箱に押し込まれたイドを叩きつける。
 血とモザイクを零しながら、馬飛びの要領で地を蹴った彼女は短く仲間の名を呼んだ。
「ウィリアム」
「おう、強くぶん殴ってやりますよ。――Every cloud has a silver lining」
 手心は与えない。夕焼けを割いて尚眩い光が溢れ。
 舞う様な動きで放たれるリィの蹴り。流星めいた軌道に虹色が溢れ、つま先がキュウリの頭を貫き弾く。
 雨生は細く細く息を吐き、グラビティが回路を駆け巡る感覚に身を委ねる。
 もう、自分以外誰も居なくなってしまった。
 逢いたい気持ちは解る。解るからこそ。
「――さあ、天を喰らえ」
 その気持ちを利用しようとする事だけは、絶対に許しはしない。
「我が名は天喰。雨を喚ぶ者」
 全てを貫く駆ける水は、精霊馬の身体を裂き。
 大上段に振りかざした刃。煌々と燃える地獄の色は青白い。
 炯介は壊れかけの精霊馬を見下ろし呟いた。
「いつか、……地獄で会おう」
 振り下ろされた黄泉の剣。
 モザイクと化した馬は膝を折ると、ぼろぼろとモザイクを零し溶け消え逝く。


「大丈夫かしら、怪我は無い? リィに怪我があるのは解るから癒やすわよ」
「さて、家まで送ろうかお嬢さん」
 九十九が応援動画と共に踊る。
 芍薬の柔らかい光に包まれて尚、座り込んだまま立てないチエコに手を差し伸べる炯介。
「助けてくれてありがとう、……また、人に助けられちゃったのね」
「お主が無事で、お主の夫も安堵しておろうよ」
 跳ねる千罠箱。キーリアはカラカラと笑い、気にするなと手を振った。
「……?」
 耳を立て、リリウムは星が煌めき出した空をキョロキョロと見上げる。
 何だか誰かの優しい視線を、感じたような気がしたのだ。
 それはきっと、気のせいかもしれないけれど。
「今日こうしてここに皆が来たのは、もしかしたら、旦那さんが力を貸してーって皆を呼んだのかもですね!」
 イドを肩に載せ、並んで空を見上げるリィ。
 そんな事あり得ないと言ってしまうのは簡単だ。
「そうだとすれば、素敵ね」
 刀の位置を整え直しながら、ウィリアムは呟く。
「……ま。愛する人を守って死ぬのが本望だなんて勝手だよな。解ってる」
「そうかも、しれないね」
 小さな独り言を拾ってしまった炯介は、瞳を閉じて小さく相槌を打った。
 銀色の長い髪が夏の風に揺れる。
「……まあ散々言っておいてアレだけど、全く説得力無いよな」
「気持ちに嘘はつけないよ」
 肩を竦め歩み出す罪剱に、肩を竦め返した雨生は足を止めて。
 少しだけローブを擡げて空を見上げる。
 山の空は、吸い込まれそうな程の星を輝かせていた。

作者:絲上ゆいこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 5
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