精霊馬事件~朱に染まりし日を願い

作者:澤見夜行

●朱に染まりし日を願い
 その老人は一人静かに夕暮れに染まる空を仰ぎ見る。
 視界の端に夕日に赤く染まる、まだ青いカエデの葉が揺れた。
「ああ……楓……、出来ることならもう一度お前に……。若く健康だったあの時に戻って、お前に会いたいよ……」
 老人には死に別れた楓という名の妻がいた。
 秋に紅葉するその葉と同じように、明るく美しく、そして聡明な女性だった。
 老人は精霊馬に願う。自分をその背に乗せて、妻の元へと連れて行って欲しいと。
 馬鹿げた願いだが――その願いを聞き届けるものがいた。
 老人の視界の先、空よりナスの精霊馬――いや精霊馬の形を模した、ドリームイーターが現れた。
 しかし老人には、それは願いを聞き届ける神の使いに見えた。
「おぉ……儂の願いを叶えてくれるのか……! 頼む! 今すぐ若返り、妻に会いに行かせてくれ!」
「汝が我と同化し一つになるのであれば、その願いを叶えてみせよう。……ギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラ!」
 ドリームイーターであるナスが怪しい呪文を唱えると、黒い靄が老人の身体にまとわりつく。あっという間に老人は黒い靄に覆い尽くされてしまった。
 そして靄は徐々にモザイクに変わっていき、いつしかそこにはモザイクの衣を纏う、若い男の姿があった。
 男はナスと一体化すると、歓喜に身を震わせた。
「これぞ、これぞワイルドの力! 汝のドリームエナジーが我に流れ込んでくるのを感じるぞ。汝の望みが叶うまで、汝はこのドリームエナジーを生み出し続ける要となろう。そう、死者に会うという絶対不可能な願いが叶うまでな」
 一体化したナスがそう言うと、ナスに同化している男が喜色の笑みを浮かべ静かに囁いた。
「あぁ……楓。すぐだ、すぐに会いにいくよ……」
 そうしてモザイクを身に纏う精霊馬は空へと飛び立ったのだった。
 跡には、老人が手にしていたナスとキュウリの精霊馬が転がっていた。


 ヘリオン内部のミーティングルームに集まったケルベロス達を確認すると、セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は労いの言葉から紡ぎ始める。
「ケルベロス大運動会、お疲れ様でした。
 日本に帰ってきたばかりで疲れていると思うのですが、多くのケルベロスが危惧していた、精霊馬のドリームイーターの事件が発生しているようなのです」
 コンソールを操作し、モニターに資料を表示するセリカ。
「このドリームイーターは、精霊馬に『若返って死別した妻に会いに行きたい』と願った老人の願いを取り込んで、合体して暴れ出そうとしているようなのです」
 心の弱さにつけ込むなんて、許せないですねとセリカは言う。
「おそらく、このドリームイーターは、ただドリームエナジーを奪うのでは無く、ドリームエナジーを生み出し続ける人間を取り込む事で、より強いドリームイーターとなろうとしているのだと推測されます。
 実際、老人を取り込んでいる状態のドリームイーターは、高い耐久力と攻撃力を持つ為、なかなかの強敵となっています」
 モニターにドリームイーターの姿が映し出される。モザイクの衣をかぶり、ナスにまたがり一体化した男が映し出される。
「ドリームイーターの撃破が目的ですが、この男性が取り込まれた状態のままドリームイーターを撃破すると、老人は大怪我をするか、場合によっては死亡してしまうので気をつけてください」
 戦闘を続けながら、老人を説得し、老人が『死別した伴侶に会いに行きたい』という望みを捨て去れば、ドリームエナジーを失ったドリームイーターの耐久力と攻撃力は元に戻ってしまい、役立たずになった老人をドリームイーターは投げ捨て分離するので、死亡させる危険性はなくなるでしょう、とセリカは説明する。
 続けてセリカはドリームイーターについてわかっていることを伝えた。
「敵は死妖霊牛――ドリームイーター一体です。配下などは存在しません。
 『心を抉る鍵』で相手の肉体を斬り裂きながらトラウマを具現化させる攻撃や、モザイクを飛ばし、相手の精神を悪夢で浸食する、精神に影響を与えるグラビティを使用してくるようです。
 また、自身の傷をモザイクで補修するヒール能力もあるようです」
 かなりの強敵ですね、とセリカは言う。
「ですが、説得に成功し老人との合体が解ければ、耐久力と攻撃力は計算上、八割程度下がることがわかっています。またドリームエナジーの供給がなくなるので、ヒールグラビティの使用もできなるでしょう」
 普通に戦えばかなりの強敵であるのは間違いないが、説得できてしまえば撃破は容易いはずだ。
「ドリームイーターは老人と一体化した夕方の公園で出現するようです。人気も少ない為、避難誘導等はする必要はありません」
 最後になりますが、とセリカはケルベロス達を見る。
「ドリームイーターの新たなる力……これがワイルドの力なのでしょうか?
 それにドリームイーターが唱えている怪しい呪文、どこかで聞き覚えがあるように思えます……。
 とにかく、強敵との戦いになりますが、可能であればドリームイーターに取り込まれた被害者を救出してあげてください。お願いします」
 セリカは祈るようにケルベロス達を送り出すのだった。


参加者
水守・蒼月(四ツ辻ノ黒猫・e00393)
樒・レン(夜鳴鶯・e05621)
天宮・陽斗(天陽の葬爪・e09873)
輝島・華(夢見花・e11960)
一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)
ノイアール・クロックス(魂魄千切・e15199)
レイラ・クリスティ(蒼氷の魔導士・e21318)
唯・ソルシェール(フィルギャ・e24292)

■リプレイ

●偽りの願いは醒めども、真の想いは消えず
 夕暮れ時の公園に音もなく『ソレ』は現れた――死妖霊牛。精霊馬のうち牛を司るナスのドリームイーター。その背にはモザイクの衣を被る男が一人。
「あぁ……楓、どこにいるんだ」
 公園に植樹されたカエデを虚ろな瞳で仰ぎ見ながら男が呟く。その声は失ったものが見つけられず、弱り果てた声だった。
「汝の思い人を探そうではないか。そうだ次は人の多いところへ探しに行こう」
 ナスが愉快そうに声を上げた。その目的は更なるドリームエナジーを手に入れるために他ならない。
「楓……カエデ……」
 ナスに揺られるがまま、死妖霊牛がその場を去ろうとしたその時、朱に染まる空より八つの人影が舞い降りた。
「妻恋しさの余り人殺しの片棒を担がされる……それでも会えるなら構わん、と思うかも知れないが……止めさせて貰うぞ」
 天宮・陽斗(天陽の葬爪・e09873)が言うが否や、死妖霊牛に飛びかかり『スターゲイザー』による足止めを行う。
 突然の奇襲に、されど死妖霊牛は驚くことなく体勢を整える。
「ケルベロスか……良い機会だ、新たな力見せつけてくれようぞ」
 モザイクの衣が広がる。殺意が周辺へとまき散らされる。
 朱に染まる公園で、死妖霊牛との戦闘が始まった。


 戦いはケルベロス達に不利な状況で始まった。
 死妖霊牛と同化した男を救い出す。それはある意味人質を取られていることと同義だ。しかも人質の救出には男を説得し、男の願いを、意思を変える必要がある。
 男を救い出すまでは全力を出すわけにはいかない。行動阻害を続けながら、男の説得を続けていた。
「あなたの奥様は、どのような人だったのでしょうか」
 一之瀬・瑛華(ガンスリンガーレディ・e12053)が言葉を紡ぐ。
「……わたしは奥様ではないから、確かなことは言えないかもしれません。でも、それでも。
 奥様は色んな事を積み重ねて生きてきた今の貴方を愛し、来るべき時に訪ねてくれることを望んでいるかと思います」
 愛し合った二人に見た目なんてきっと、重要ではないと瑛華は言う。
 妻を一途に想い続ける男の心。その心を大切にして、最期まで生き抜いて欲しいのだと訴えた。
 死妖霊牛に同化した男は「カエデ……楓は……」と虚ろに呟く。
 死妖霊牛のナスは空を駆けながらモザイクを飛ばし攻撃を続ける。瑛華を狙う一撃を水守・蒼月(四ツ辻ノ黒猫・e00393)が庇い攻撃を通さないように立ち回る。
「ええ、そうです。そんな力で若返って……、それで楓さんに会いにいって、本当に喜んでくれますか?」
 瑛華に続くように、『ライトニングウォール』を展開したレイラ・クリスティ(蒼氷の魔導士・e21318)が口を開く。
「すべてを捨てて、あってはならない力を使って……本当に笑ってくれるでしょうか?」
 亡き妻が望むのは、残された者が精一杯生きて、生き抜いて、幸せに生きることではないのか? レイラの思いは死妖霊牛に強く訴えかけた。
 二人の言葉に同調するように、死妖霊牛に肉薄しながら唯・ソルシェール(フィルギャ・e24292)は説得する。
「亡き奥方に若返って逢いたいという想いは、その奥方が亡くなられた年齢によってはわからなくもないでしょうが、それ以前にドリームイーターと同化して精霊馬……ナスと同化していては、若返る処の話ではありませんわ」
 そんな姿では、たとえ亡き妻に会えたとしても貴方と分からない。それよりも異形の姿と恐れられるだろう、とソルシェールは言う。
 死妖霊牛の放つ無数のモザイクを超加速で回避しながら突撃し死妖霊牛を吹き飛ばす。『キャバリアランページ』を見舞いながら諭すように男へ言う。
「間違えないで。貴方は貴方足り得るからこそ、これまで歩んだ人生を、先立たれた奥方に伝えられるのですから」
「楓……私の、儂の願いは間違っていたのか……?」
「余計なことは考えるな。汝の願いは我にしか叶えられぬ。もっとドリームエナジーを生み出すのだ」
 男の虚ろな双眸に光が宿りかける。だが、死妖霊牛たるナスの甘言は再度男の心を夢へと埋没させる。
「華、大丈夫か?」
「ええ、陽斗兄様。大丈夫です」
 陽斗に気遣われながら戦う輝島・華(夢見花・e11960)は、甘言を繰り返し、老人を取り込み続ける死妖霊牛が許せなかった。
 もし自分が大切な人との別れを経験していて、その人にもう一度会わせてあげると言われたら、間違いなく気持ちは揺らいだだろう。
 だからこそ、そこにつけ込み自らの力の糧にするのが許せなかった。
 華は『殺神ウイルス』と『斉天截拳撃』で死妖霊牛の行動を阻害しながら、その背に乗る男に話しかける。
「お爺様は奥様が亡くなられた後も、生きていて色々な事があったはずです。お爺様が今まで生きてきた証、それを捨て去り若返って奥様に会いに行って、どんなお話をするおつもりですか。楓さんはそれを喜ぶような方でしたか」
「楓……楓はきっと……いや、楓なら……」
 男に苦悶の表情が生まれる。
「まだ楓さんの所へ行くのは早いです。今を精一杯生きて欲しいと私は願います」
 華の言葉に、男に迷いが生まれ始めた。
 ナスから生み出された『心を抉る鍵』が空を踊る。その隙間を縫うようにモザイクが飛ばされ悪夢が浸食してくる。ケルベロス達の攻撃は即座にモザイクが補修を行っている。
 勢いが落ちることない死妖霊牛の攻撃を、『マインドシールド』と『ステルスリーフ』を駆使しながら隊列を維持するのは樒・レン(夜鳴鶯・e05621)だ。
「大事な人にまた会いたいとの気持ち、よく判る。だが――」
 レンは伝えていく。
 貴方が時をかけて育み、或いは情熱を傾けた様々な事柄――仕事、子供や孫、友人知人――その全てを捨て去るというのか、と。貴方が居なくなれば悲しむ人が大勢いるのではないか。
「全てを捨て去り大事な人たちを悲しませる……そんな貴方の姿は奥方を悲しませることになるのではないか? 誰よりも貴方が判っている筈だ」
 皆が言うように、寿命を迎えるその時までは懸命に生き抜き、この世に生を受けた証として精一杯人生を味わう。そうあるべきだとレンは言う。
「さすればきっと、運命のその日が来たら。奥方は貴方を笑顔で迎えると、俺は信じる。
 さあ、奥方に恥ずかしくない生き方を続けるんだ。胸をはって奥方に会えるその日まで、な」
 レンの言葉が男に突き刺さる。
「うぅ……そうだ、楓は……そんなことは許さない……そう、楓は……」
 何かに苦悩するように頭を抱える男。若々しかったその姿は徐々に年老いていく。
「悩む必要などない……汝は我と共にあればいいのだ……!」
 モザイクの衣が男を包み込む。しかし、そのモザイクは最初の頃より濃くなっていた。
 死妖霊牛の動きが、徐々に鈍くなっているのをケルベロス達は感じる。あと一押しだと誰もが感じていた。
 前列に立ち、一番死妖霊牛と接触していた陽斗が初めて説得の為に口を開く。
「ぐだぐだ言うのは性に合わん、俺から聞くのは唯一つ。ご老人、あんたの奥さんの名の花言葉は知っているか?」
 カエデの花言葉――男は当然知っていた。
「そう、『美しい変化』だ。誰とも知れぬ者の力を借り、姿だけ変えたその在り様は本当に『美しい』か。胸を張って会いに行けるのか」
 空飛ぶ死妖霊牛を『スターゲイザー』でたたき落とし、『轟竜砲』でその場に釘付けにしながら陽斗は冷静に言葉を伝える。
「……奥さんは彼岸からずっと見ていただろうさ。ありのままのあんたの、ありのままの話を聞きたいんじゃないのか」
 男――老人はモザイクに包まれた自身の手を見つめる。
 そこには確かにあったのだ。楓とともに過ごした日々の思い出が、そして失ったあの日からの想いが。
「奥さんを失った悲しみを経て今の貴方が在るんだから、今を大事にする事は奥さんを想う事と同じっすよ。自分の人生と奥さんへの想いを、大切にして欲しいっす」
 相棒のミミ蔵と共にグラビティによる行動阻害を続けながら、ノイアール・クロックス(魂魄千切・e15199)が言った。
「儂は……いやだが、楓は……」
 後一押し。だがその一押しが見つからない。
 いまだ老人はドリームエナジーをドリームイーターに与え続けている。
 強力な攻撃の前にケルベロス達も徐々に疲弊してきていた。
 苦悩を続ける老人に、ノイアールは語気を強く言い放つ。
「奥さんに、夫が自分の死から何も受け取らなかった姿を、本当に見せたいんすか? ここでの勝敗がどうあれ、情けない姿に変わりないっすよ!」
 ノイアールの言葉に、終始口を噤んでいた蒼月が加わる。
 蒼月は正直ふざけるなと思っていた。
 嘆いてしょぼくれて、死妖霊牛と化した姿で会いに行く気なのか? それで相手が大喜びするのか。
「貴方が会いたいって相手は一緒に歩んできた、積み重ねて来た時間を全部無かった事にした姿で会う方が良いって言ったの? その姿、若い頃の彼女が良いって言ってる様なもんだよね。彼女を傷つけるつもり?」
 蒼月は正面から斬り捨ててる自覚はあった。でも言葉は止まらない。
 死妖霊牛が、言葉を連ねる蒼月に狙いを定めモザイクを飛ばしてくる。
「自分のありのままの姿で会おうと思う自信もなく、偽りの若さで会うと。彼女の前で『嘘』をつくと、本気でそれで良いの?」
 その言葉が老人の願いを、意思を反転させた。
「あぁ、そうだ……。楓は、いつも凜乎として偽ることを嫌う、そんな姿に憧れ、愛した……儂はなぜこんなことを……」
 老人が我に返ると同時に、モザイクの衣が消えていく。
「ばかな……ドリームエナジーが。……これまでか!」
 ナスが驚愕しながらも、不必要となった老人を自身より放り出す。
「危ない!」
 サポートとして周囲をよく見ていたレイラが、咄嗟に老人を抱き留める。
 老人は衰弱しているものの、怪我も無く五体満足であることがわかった。
「ご老人は無事です」
「では、あとは――」
 レイラの声にソルシェールが頷くと、全員が緩慢になった空飛ぶナスに眼を向ける。
「アイツだけっすね!」
 ノイアールの言葉を合図に、ケルベロス達の攻勢が始まった。
「おのれ、新たなドリームエナジーを手に入れねばならんか」
 ナスだけとなった死妖霊牛が、フラフラと空を飛びながらモザイクを放つ。だがその攻撃に勢いはない。
「ここからが、アンタの斜陽の時っす!」
 攻撃を交わしながら飛びかかるノイアール。『ジグザグスラッシュ』の最後に『陣状逸陽(ジンジョウイチヨウ)』で追い打ちする。深く突き刺された武器から気が送り込まれ、内部に負の影響が与えられた。
「炎の精霊よ。すべてを焼き尽くす、炎の加護を与えたまえ」
 赤く燃え盛る魔法陣から翼竜の姿をした火精が召喚される。レイラの『サラマンドラヴェール』が前列の仲間に加護を与える。
「皆さん、とどめを!」
 レイラの言葉に後押しされるように、ソルシェールが疾走する。
 ナスが呻きを上げながら『心を抉る鍵』を振り抜く。
「遅い!」
 勢いのない鍵を交わすとソルシェールは駆けながら唱える。
「――冒涜と罪業 永久の贖罪 地獄の閂は折り、開け放たれる」
 『舌の業火(ゲヘナフレイム)』。ソルシェールのかつての力の断片が重圧となって死妖霊牛に襲いかかる。
 動きを止める死妖霊牛に加速しながら突撃。接触と同時に『稲妻突き』が繰り出される。
 ナスの実を撒き散らしながら吹き飛ぶ死妖霊牛は、しかし更なる追撃を回避しようと移動する。
「いいよ、出てきて一緒に遊ぼうよ」
 蒼月の『幻術『狩猟解禁』(ゲンジュツ・ハンティングタイム)』によって生み出された大小様々な猫が死妖霊牛に向かって駆ける。
 どのように逃げても追いかける猫たち。そこにレンと陽斗が追撃をかける。
「人の優しさ故の心の弱さに付け入り惑わすとは許しがたい。今涅槃へ送り届けてやる。覚悟!」
「神威よ此処に、獲物を狩るが如くしなやかに」
 レンの『森花分霊撃(シンカブンレイゲキ)』が、芙蓉の花びらを自身の分身へと変えて包囲攻撃するのに合わせて、陽斗の目にも止まらぬ高速の連続蹴りが見舞われる。
 二人は互いに目配せし、同時攻撃を決めていた。
 だがそれだけでは終わらない。
「さあ、よく狙って。逃がしませんの!」
 華の掌の中で生成された花弁が死妖霊牛に向かって飛びかかる。『風に舞う花弁(カゼニマウハナビラ)』が確実に死妖霊牛を切り刻む。
 満身創痍の死妖霊牛は、残る力を振り絞り遠く空へと逃走を図った。
 だがしかし、瑛華にとってその距離は射程圏内だ。
「……捉えました」
 銃声が鳴り響く。その一発の弾丸は死妖霊牛に吸い込まれるように撃ち貫く。
「おぉ……失われる……ワイルドの力、新たなドリームエナジーがあぁ……」
 誰に聞こえるわけでも無く死妖霊牛が呟くと、その姿はモザイクを散らしながら消えていった。
 そうして、精霊馬のドリームイーターは消滅したのだった。


 茜色に染まる公園。夜は近い。
 沈み行く夕日を眺めながら、付近の修復を行うのはレイラとノイアールだ。
「楓の花言葉、実は他にもあるんです」
 レイラが言う。それは『大切な思い出』だと。
「その思い出を胸に、生きていくのが人間なのでしょうね」
「そうっすね……」
 ノイアールは思うところがあるのか、どこか寂しげだった。
 死妖霊牛が消滅した空へ向け、レンが瞑目し片合掌をする。
 ソルシェールも一人静かに夕暮れに想いを馳せた。
「きっと今、しあわせだよね」
 空を見上げ、瑛華が呟く。想起するのは、車椅子の背を押してくれていた父の在りし日の姿だ。
 救出した老人は目を覚ますと、お礼を告げた。
「楓は自分を偽ること嫌う、聡明な女性だったんだ。それが原因で早くに亡くなってしまったけれど、後悔せず安らかに逝ったんだよ。あぁ、お前さん達の言うようにあの姿で会いに行けばきっと叱られていた。本当にすまなかったね。ありがとう」
 きっと老人は二度と間違った願いは抱かないだろう。ケルベロス達は感謝する老人の姿からそう思った。
「ふぅ……」
 緊張が解け華が息を漏らす。それを見た陽斗が頭を撫でながら声を掛けた。
「華もお疲れさん、おにーちゃんが何か奢ってやろうか」
「陽斗兄様。ふふ、ではお言葉に甘えてしまいましょうか?」
「あ、僕も行く」
「自分も行くっす!」
 蒼月とノイアールが陽斗の言葉に乗っかり、夕暮れ沈む公園内が騒がしくなった。
 老人は見上げる。朱に染まるカエデが、静かに揺れていた。
「ふふふ、初めてお前とここへ来た時を思い出すよ。あの時も騒がしくて……」
 思い出の中の姿は若いまま。けれどもう偽ることはない。
 君の知らない思い出を土産に、いつか必ず会いに行くよ。
 老人は人知れず微笑むのだった。

作者:澤見夜行 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
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