精霊馬事件~届けたかったひと言

作者:南天

●裏切りと後悔
 開け放った縁側からぬるい風が届いた。
 昼間の熱気をいまだに含んだままの空気を、きちきちきち……とコオロギの鳴き声が震わせている。
 老女はちょんと座って仏壇と向かい合っていた。夏のこの時期になると思い出さずにはいられないのだ。
「ねえ、あなた。私に怒ってるんじゃない?」
 老女の連れ合いは年老いてなお快活な男だった。ほがらかで、笑顔が素敵で、頼りがいがあり、きっぱりとしていて、何より自由を愛していた。彼女自身、彼のそんな在り方に惚れていた。
「死ぬときはひと息にさ、きれいに死にたい。管と薬で命をつながれて生き長らえるなんてごめんだよ」
 亡き夫の口癖をぽつりとこぼす。
 交通事故だった。病院に運ばれたときにはもう意識はなかった。このまま処置を続けても意識が戻る見込みは極めて薄い、と医者が言っていたように思う。
 ただ、決断ができなかった。半ば無理に押し切って行わせた延命処置。半年ののち、枯れ葉のようにくしゃくしゃに衰えた夫の姿を見慣れたころに、彼女はようやく決断ができた。
「あれから何年も経ったけど、あなたは一度も出てきてくれませんでしたね。私、ひと言だけでも謝りたかったのに……ねえ、やっぱり怒ってるんじゃない?」
 他愛のない独り言をこぼすうちに、来ないのならばこちらから会いに行けばいいのでは、と思いつく。そして次の瞬間には、会いに行きたいという願いになり、心のうちで具体性を持った。
「その願い、かなえてやろうか。我と汝が一つになれば容易いことよ」
 音もなくそばに現れていた大きな精霊馬。その申し出に老女は一も二もなくうなづいた。
 返答を受けた死妖霊馬はすかさずギュバラギュバラギュバラギュバラ……と怪しげな呪文を唱え始める。その声色は黒い靄のようになり、老女の身体を覆い尽くした。靄が晴れたその後には、老婆ではなくモザイクでできた衣をまとった若い女性がひとり。
 女性はふらふらと精霊馬に腰掛けて、その身を異形と一体化させた。
「いいぞ……汝のドリームエナジーが次々と我に流れ込んでいる。その望み叶う時までドリームエナジーを生み出し続けてくれ。その代わり、我は汝に力を貸そう」
 死者に会うなどという不可能な望みが叶う日までな、と死妖霊馬はほくそ笑む。
「あなた、いま会いに行きます。どうか私に謝らせて……」
 夢うつつの中で夫に語りかける女性を乗せて、精霊馬は飛び去っていった。

「ケルベロス大運動会、お疲れさまっす! 激戦につぐ激戦、そして大フィナーレ……正直、感動したっすよ!!」
 だから本音を言うと休んでてほしかったんすけど、そういうわけにも行かないんすよね……と、黒瀬・ダンテ(オラトリオのヘリオライダー・en0004)は申し訳なさそうに口ごもった。彼いわく、多くのケルベロスが危惧していた精霊馬のドリームイーターによる事件が発生しているという。
「こいつは、精霊馬に『死別した夫に若返って会いに行きたい』と願うおばあちゃんの思いを取り込んで、合体して暴れ出そうとしてるみたいっす。ただドリームエナジーを奪うんじゃなくて、そもそも『ドリームエナジーを生み出し続ける人間』をその身に取り込むことでより強いドリームイーターになろうとしているようっすね」
 実際その考えは功を奏しており、老人を取り込んだ状態のドリームイーターは通常時よりも力強く、かつタフであるらしい。
「それと、取り込まれたまんま倒しちゃうとおばあちゃんも大怪我をするか、場合によっては死んじゃう可能性があるんすよ……」
 でもでも、とダンテは鼻息荒くケルベロスたちに訴えかける。
「でも、うまく説得して『夫に会いたい』という望みをおばあちゃんが捨ててしまえばエナジー供給が止まって敵の強化も元に戻るっすし、敵から見て役立たずになったおばあちゃんも解放されるっす。そうしたら、ドリームイーターだけを撃破できるはずっすよ」
 強化された敵を相手に戦闘しながら説得を成功させる、というのは難題だが、どうか罪のない一般人を救ってほしい……とダンテは述べた。

「合体状態だと充ち満ちたパワーを活かして突撃してきたり、強力な脚で蹴り上げてきたり、一体化してる若い女性……おばあちゃんを使った攻撃をしてくるっす。合体が解けなければ回復行動は取らず、とにかく攻撃だけをしてくる感じっすね」
 実に手強い相手だが、幸いなことに敵は一体。周囲に人気はないため純粋に戦闘に集中できるのが救いだ、とダンテは説明する。
「説得に成功して合体が解ければ、攻撃力も耐久力も8割程度まで下がるっす。それにともなって攻撃もやや消極的になるっすから、そうなったら畳みかけるチャンスっすね!」
 拳を振り、ニヤリと笑いながらダンテは語った。

「このドリームイーターの呪文、どっかで聞いたような気もするんっすけどね……」
 と、思い悩むもダンテは首を振り、ケルベロスたちを見る。
「とにかく、おばあちゃんの後悔する気持ちにつけこむなんてとんでもないヤツっす。どうかケルベロスの皆さんの力で成敗してやってほしいっす!!」


参加者
メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)
連城・最中(隠逸花・e01567)
天津・総一郎(クリップラー・e03243)
ジュリアス・カールスバーグ(山葵の心の牧羊剣士・e15205)
百鬼・ざくろ(隠れ鬼・e18477)
宝来・凛(鳳蝶・e23534)
天泣・雨弓(女子力は物理攻撃技・e32503)

■リプレイ

●激情
 すすり泣きと共にその精霊馬は遠ざかり、後悔の念と、自身に向けた怨嗟をまとい戻ってきた。
「うちもね、会いに行きたい、一度話したい人はおるよ。せやけど、こんな形で……!」
 決死の覚悟で叫びぶつけるも、宝来・凛(鳳蝶・e23534)の声が届いている様子はなかった。いや、その様子を確かめる余裕すらない、というほうが正しかった。
 高速で天駆け、戦列をなぎ払い、また遠く離れる飛翔体。
「貴女はただ、生きていて欲しかった! 悲しかった! 寂しかった! それだけではないですか!」
 そのとき、女と目が合った。
 連城・最中(隠逸花・e01567)は言葉を紡ぐのやめ、半ば本能的に身を固める。背筋に流れる汗を感じた次の瞬間、最中と異形の精霊馬は恐るべき速度で接触していた。
 樹木を、地面を、そこにある諸々とケルベロスたちを一緒に貫き、吹き飛ばす大質量の矢と化した異形。番犬は宙に飛ばされ、土はまくれ上がる。
「我が名を以て命ず。其の身、銀光の盾となれ」
 メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)の魔力と言霊を受け、オウガメタルのAtlasが動きを見せた。Atlasが生成した分体は害意に反応する流体盾となり、直撃をもらった最中を癒やし、守護する。土礫の雨が降る中、メイザースは戦況の不利を感じていた。
「まあすごい執念ですね。とはいえ、此方も黙ってられないですよ」
 言いつつ、ジュリアス・カールスバーグ(山葵の心の牧羊剣士・e15205)は宙で受け身を取り、着地するなり低い姿勢で敵へ向けて駆ける。遠ざかる精霊馬が反転する一瞬……最も速度がゼロに近づく点を狙って肉薄し、敵の下より月光斬を放った。緩やかな弧を描く斬撃が死妖霊馬を切り裂く。
「……すみませんっ!」
 すかさず、天泣・雨弓(女子力は物理攻撃技・e32503)が上から跳び蹴りを合わせ、ジュリアスの放った刃をより深く食い込ませんとする。魅入られた女の気持ちが痛いほどわかるが故に雨弓は怒り、利用されている女を思い、その瞳に涙を浮かばせていた。
 ジュリアスと雨弓、両名のコンビネーションが死妖霊馬を捉える。だが、返ってきた感触は鋼のようであり、敵の見た目に反したタフさを理解させられた。まとわりついた虫を落とすように異形は身を震い、速度を上げて離脱。再度の体当たりを狙ってスピードを増してゆく。
「これが市街地に出ていたら……ここで抑えられたのは幸いと考えるべきか。だが、この流れはよくないね」
 ファミリアロッドを握りしめ、メイザースはつぶやいた。
 異形に操られた女の、もはや形骸化した謝罪の言葉が近づいてくる。

●決断
 精霊馬の後ろ蹴りが羽猫を捉え、放られた紙くずのようにはじき飛ばした。彼女は地に落ちるのを待たずして霧散する。
「瑶ッ!?」
 パートナーをやられた凛が思わず声を上げた。
 最後の瞬間に目が合った彼女の無念を思い、歯噛みする。
 武装を強く握りしめて、けれど悩み、仲間たちに目をやった。
 誰しもが傷つき、しかし攻めあぐねていた。
「そろそろ……やべえんじゃねえか!」
 再び離れんとする精霊馬の尻に追いすがり、天津・総一郎(クリップラー・e03243)は螺旋の力をまとった拳撃を打ち込んだ。攻撃の際に発した言葉は仲間に向けたもの。しかし、自身の迷いを振り払いたい、という願いもこもっていた。
 事情をろくに知らぬ第三者がわかったような口ぶりで声をかけたとしても、それはウソにしかならない。たとえ異形に魅入られていたとしても、女の思いに真摯に向かい合いたい、と総一郎は考えていた。『爺さんに会いたい』という気持ちは奪わない。奪うのはこの人が抱えている後悔と罪悪感だ、と純情な青年は定めて言葉を練った。だが、彼の実直な思いは想定外に強力だった敵の実力と、一体化した女の荒ぶる精神状態によって砕かれつつあった。
「あなたの旦那さまは大事な奥さんのわがままを聞いてくれない頑固者?」
 百鬼・ざくろ(隠れ鬼・e18477)は負傷者の回復の合間を縫い、説得を続けた。積み重ねた仲間の言葉を思い出し、取り込まれた女の錯乱状態と敵の恐るべき速度を省みて、ひと言ひと言、簡素に切り取った言葉を力強くぶつけてゆく。
「貴女が思ったように、旦那さまだって貴女にも自由に生きてほしいと思ってる筈よ!」
 精霊馬が迫り、大地がめくれ上がる。
 身に叩きつけられる衝撃を踏ん張って耐え、去りゆかんとする女の背に向けて、
「あなたの大事な人のこと信じなくって、どうするの!?」
 狙いのワードを放つ。
 瞬間、異形の上の女のすすり泣きが止んだ気がした。
 しかし精霊馬は反転し、ざくろたち後衛めがけて猛スピードで迫る。
「まずい……!」
 最も近場にいたリューディガー・ヴァルトラウテ(猛き銀狼・e18197)が駆けるも、異形の速度には追いつけず、その一撃を許してしまった。
 声を上げたざくろに向かったと思われた蹴足が触れたのは、今まさに攻撃に移っていた雨弓だった。彼女の放った鋼の拳と死妖霊馬の蹴りがかち合い、しかし雨弓は吹き飛ばされ、宙高く舞う。砕かれた超鋼の破片をきらめかせつつ、彼女は遠く飛ばされ、受け身なきまま地に落ちた。
「もう、やるしかないやろ……!」
 武器を持ち直し、凛が叫ぶ。
 押し殺した気持ちが溢れるかのように、右目の地獄の炎がいや増した。
 炎より生まれた紅い胡蝶が彼女の周りを舞い踊り、非道な敵をその激情で燃え尽くす機会を待っていた。

●光明
「散って、はらはら。裂いて、ばらばら。凍えて、さよなら」
「影無き刃――捕らえられるものならば」
「武装混剛!! ヨーツイブレードおぉぉ くぁらたけわりいぃぃ!!」
 ざくろの放った氷の花弁が異形を凍みつかせ、次いで最中の繰り出した神速の斬撃が身を切り裂き、ジュリアスが号令とともに変形させた巨大刀剣が異形の体を地面に叩きつけた。
 説得から戦闘に切り替えたケルベロスたちの猛攻をもって、ようやく死妖霊馬と番犬たちとの戦いは戦いになりつつあった。それでも、前半に負ってしまったハンデは重い。癒やしきれぬ疲労と傷を溜めつつある仲間たちを見て、常にないほどに心を乱されつつリューディガーはオリジナルのヒールドローンを展開した。
「救護部隊、出動! 全力を以って我らが同朋を援護せよ!」
 最前線に立つ兵士用の独自カスタマイズの末、通常のものよりも回復範囲が狭くなっているものの、その効果は強烈で、最も損害を受けている前衛たちの傷をまたたくまに塞いでゆく。しかし、その薬効を見てもリューディガーの心は落ち着かない。
「自由を愛したご主人なら、後悔に、死した己に囚われずに愛した貴女には朗らかに自由に生きてほしいと願うのでは?」
 ペトリフィケイションを放ちつつも、メイザースは死妖霊馬に声をかけ続けた。
「それならば、会いに行ったら怒られてしまうよ?」
 精霊馬に一体化した女を見つつ、言葉を紡ぐ。
 着物といい身体といい切り裂かれ、血を流しつつ亡き夫に謝罪を繰り返すその姿は、年長のメイザースをしても心かき乱されるものがあった。
 だが、祈るような彼の気持ちをあざ笑うかのように、死妖霊馬の勢いは増し、傷ついた女のすすり泣きは残響を残す。

「……人が亡くなる直前まで残っている機能ってご存知ですか? 聴覚なんです」
 その時、戦線とはやや離れた方向から声がした。
「思い出してみて下さい……貴女は愛する旦那様にたくさん声を……時には謝罪の言葉を掛けてきたのでは、ないでしょうか?」
 その声はか細く、その言葉は途切れ途切れで。しかし、徐々に歩み寄りつつ、確固たる意思をもって放たれる言霊は割り込みヴォイスの効果も相まって、剣戟を通りこえて異形の上の女の耳へと注がれた。
「そのことを知っているからこそ……彼はあえて夢に出なかったのではないですか?」
 すぐにでも倒れ伏したいとわめく身体を鉄塊剣で支えつつ、後悔に囚われた女に近づく。言いつつ、バランスを崩した。とっさに近づいただいふくが主人の身体を押し戻しつつ、ヒールを施す。駆けつけた小さなパートナーにちらりとに目を合わせ、片目をつぶって感謝を贈る。そして、再び女を見据えて、
「悪夢に囚われた……そんな貴女を旦那様が見たら、きっと、悲しんでしまいますよ?」
 額を染め身を流れる鮮血を思わせず、ほがらかな笑顔とともに放ったそのひと言。
 そのひと言が、異形にかどわかされた女の魂を解き放った。

●決着
「俺の太陽は勢いよく昇るけどよォ~、オメーの太陽は沈む時だぜ!」
 総一郎による、天高く昇る太陽の姿をイメージした連撃が死妖霊馬を打ち上げた。ジュリアスの一撃がその傷をさらに広げ、最中のサイコフォースが追い打ちをかける。
 女と分離した後の死妖霊馬は弱々しいものだった。合体時との実力差は、それだけ老婆の持つ後悔の念が強かったということ……凛は怒りに顔を歪ませつつ異形を蹴って上に跳んだ。落下とともに縛霊手で死妖霊馬の身体をがしりと掴み、
「大切な思いや歳月を食物にしようなんて、許さへん……夫婦の思い出を弄ぶような輩は、此処で消したる!!」
 その手をつたい、地獄の炎より変じた紅い胡蝶たちを異形へと移す。たちまち業火の花が咲き、精霊馬を焦がし焼いた。そして地面に縫い止めんといった勢いで叩きつける。
「あなたは絶対に許しません。……さようなら悪夢さん」
 雨弓が駆けた。
 ざくろとメイザースのヒールを受け、ギリギリまで回復できた身体に鞭打ち、異形に止めを刺すことのみを考えて馳せた。
「この斬撃、あなたに見切ることができますか?」
 剣舞神楽。目にも止まらぬ二刀の斬撃は死者を送る舞のようであり、強い後悔に苛まれ続けた女を慰めるようであり、雨弓自身の過去、洗脳されて夫を殺めてしまったその後悔を剣が表わしたかのような激しいものであった。

●『ありがとう』をあなたに
「できる限りのことはしておいた。後は頼む」
 ケルベロスたちのヒールを受けて命は取り留めた老婆を救急隊員に預け、リューディガーは現場の修復作業に戻った。
「結局、最後までしゃべれへんかったけど……あれでよかったんやろうか」
 えぐれた大地にヒールをかけつつ、凛が苦々しくつぶやく。
「でもよ、最後に一度だけ『ありがとう』って言ってたぜ」
 総一郎がぽつりと返した。
 戦闘後、傷ついた老婆に向けてヒールをかける中で、ケルベロスたちは懸命に言葉をかけ続けた。戦闘中には伝えきれなかったこと、自身の中に渦巻く思い、それらを回復のグラビティに乗せて老婆に注いだ。
 うわごとのようにごめんなさい、ごめんなさいと未だつぶやき続ける老婆に対し、総一郎が選んだ言葉は慰めでも共感でもなく、素直な実感だった。『アンタは自分の愛する人を最期まで助けようとしたんだ。それなのに謝られちゃ、もし俺が爺さんだったら困っちまうぜ』……その言葉が聞こえてか聞こえずか、老婆の謝罪が止まったのは気のせいだったのだろうか。
「ありがとう、ですか」
 最中の心に思い描かれたのは、疎遠のまま死別した祖父の事。
 もし、自分が彼にひと言届けるなら、それは懺悔か決意か。
 否。
 それはきっと、老婆と同じく……。

作者:南天 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 2/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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