精霊馬事件~40年想い続けたアナタへ

作者:ハル


「アナタ……私も、そう長くはないでしょう」
 齢70を迎えた女性は、神棚に添えた精霊馬を見上げ言った。
「……今すぐにでも、アナタに逢いたいわ。できれば、アナタと初めて出会った頃のような姿で。アナタが亡くなって、もう40年以上も経つのですもの」
 皺だらけの手は、今までの女性の苦労を表しているのだろう。そして、いくつになろうとも、女性は綺麗でありたいと願うもの。「今の姿を見られて、ガッカリされたくないわ」……そう女性は苦笑する。
 一時、そうした感傷に浸り、女性が神棚に背を向けようとした時。
 庭に、光が射した。何事かと女性が空を見上げると、光の中から4本脚を生やしたキュウリが現れた。その姿は、神棚の精霊馬そのものであり――。
「私を迎えに来てくれたのですか? もう送り盆の度に寂しい思いをするのは嫌なのです。……どうか私を若返らせて、あの人の元へ……」
 女性は、涙を滲ませながら願った。すると、
「その願い、我と一つになるなら考えても良い」
 精霊馬はそう言った。夢中で、女性が頷くと。
「……ギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラギュバラ!」
 夜闇を、怪しい呪文が満たす。唱える精霊馬から黒い靄が発せられ、女性を包む。包んだ霧は、女性にモザイクの衣を纏わせ若返らせると、精霊馬へと取り込んでしまう。
「汝の強き願いにより、申し分の無いドリームエナジーが、我の元へ流れ込んできておる! これこそが、ワイルドの力なのだな! ふ、ふははっ、汝は、汝の望みが叶うまで、ドリームエナジーを生み出し続けるだろう!」
 最も、
「死者に会うなどという世迷い言が叶う日は、永遠に訪れんだろうがな!」
 キュウリに表情があったなら、それは邪悪に歪んでいたに違いない。
 女性は、精霊馬の本性に気付く事も無く。
「アナタ……待っていて下さい。幸子は、すぐにアナタの元へ……」
 未来永劫叶わぬ夢の中で、在りし日の幸子は、薄らと頬笑むのであった。


「ケルベロス大運動会、お疲れ様でした。ケニアにてリフレッシュはできたでしょうか?」
 山栄・桔梗(シャドウエルフのヘリオライダー・en0233)は一先ずそう言うが、やはり帰国すぐに招集されて疲れている者も多く、桔梗は苦笑を浮かべる。
「やはりお疲れの方もいるご様子。そんな中申し訳ないのですが、多くのケルベロスの皆さんが懸念していた精霊馬のドリームイーターが、動きだしたようなのです」
 ドリームイーターは、精霊馬に『若返って死別した妻や夫に会いに行きたい』という老人の願いを取り込み、力としているようだ。
「今までのようにただ奪うのではなく、ドリームエナジーを生み出し続ける対象を取り込んむ事で、より大きな力を生み出そうとしているようです。叶わぬ願いを、いつまでも取り込んだ方々に強いながら……」
 確かに、効率はいいだろう。だが、ある種の永久機関とされてしまった幸子さんを思えば……。桔梗が、普段穏やかな表情に、怒りを滲ませる。
「幸子さんを取り込んだドリームイーターは、普段皆さんの前に現れるドリームイーターよりも、高い攻撃力と耐久力を有しているようです。悔しくも、敵の目論見は上手くいってしまっているようですね」
 また、取り込まれた状態のままドリームイーターを撃破すると、幸子さんは死亡……運が良くとも大怪我は避けられない。
「どうにか、幸子さんを説得して、『死別した伴侶に会いに行きたい』という望みを捨てさせる事ができれば……。そうすれば、ドリームイーターの力も弱まり、ドリームイーターも幸子さんを永久機関とする事を放棄するはずです」
 では……と、桔梗が髪をかき上げると、死妖霊馬についての資料を配る。
「死妖霊馬は、素早さと手数を武器に立ち回る敵です。また、こちらの動きを一時的に止める攻撃を多用してくるので、十分に注意してください。仮に幸子さんを放棄させる事ができれば、攻撃力と耐久力は8割程度まで落とせるはずです」
 戦闘場所に関しては、幸子さんの自宅の庭となる。10坪程度の広さとなり、素早い死妖霊馬の動きを限定するのには適しているだろう。ただ、被害が周囲の家に及ぶ可能性も高い。
「こちらでも避難警告を出しておくつもりですが、死妖霊馬の脅威度もそれなりに高いという事もあり、不測の事態にも十分警戒しておいてください」
 本来、『若返って死別した妻や夫に会いに行きたい』という思いは、大切な人を失った経験がある者なら、誰もが抱くものだ。
「その当然の願いを、捨てさせなければ救えないという状況に追い込んだドリームイータを、私は許せません!」
 桔梗は言い切る。唆すドリームイーターさえいなければ、幸子さんは想いを胸に秘め、堂々と亡くなった旦那さんに逢いに行けたはずだと……。
「その証拠に、幸子さんは旦那さんとの間にもうけた息子さん、そしてそのお孫さんが、明日遊びに来る事を知っているのです」
 だが、そんな感情と同時に、現れた死妖霊馬に不信さを感じるのも事実。
「ワイルドの力……それがドリームイーターの新たな力……なのでしょうか? それに、あの怪しい呪文も、どこかで……」


参加者
アリス・ティアラハート(ケルベロスの国のアリス・e00426)
ドローテア・ゴールドスミス(黄金郷の魔女・e01306)
藤原・雅(無色の散華・e01652)
星野・優輝(戦場は提督の喫茶店マスター・e02256)
片白・芙蓉(兎頂天・e02798)
鏡月・空(藻塩の如く・e04902)
ファルゼン・ヴァルキュリア(輝盾のビトレイアー・e24308)
アデレード・ヴェルンシュタイン(愛と正義の告死天使・e24828)

■リプレイ


「こんなものかしら?」
「空からも確認したのじゃが、一先ず幸子の家周辺をグルリと取り囲むことができておったぞ」
 片白・芙蓉(兎頂天・e02798)が、パンパンと手を叩きながら顔を上げると、光の翼を輝かせたアデレード・ヴェルンシュタイン(愛と正義の告死天使・e24828)がそう報告してくれる。
「ご老人が多くて、少数だけど避難に手間取っている人達がいたよ」
 幸子宅の玄関前には、藤原・雅(無色の散華・e01652)の姿もある。
「でも、もう大丈夫。キープアウトテープもあるしね」
「なら、安心ですね」
 そして、補足するように雅が言うと、アリス・ティアラハート(ケルベロスの国のアリス・e00426)がホッと息を吐いた。
「不愉快な敵だ」
 だが、ファルゼン・ヴァルキュリア(輝盾のビトレイアー・e24308)が呟いた言葉に、アリスは即座に表情を引き締める。庭に回れば、そこには死妖霊馬の姿があるはず。存在を裏付けるように、ただならぬ悪意が漏れてきていた。
「同感です。……あまり褒められたものではありませんね。大切な人に会いたい気持ちを踏みにじる行為は」
 鏡月・空(藻塩の如く・e04902)の脳裏に蘇るのは、今も穢され続けている妹の魂。武装を握る空の手は、怒りによって小刻みに震えていた。
「40年……長いワね」
 ドローテア・ゴールドスミス(黄金郷の魔女・e01306)以外の者からすれば、途方もない年月と言える。さしものドローテアも、幸子の寂しさは想像する事しかできない。
「幸子さんと同列には扱えないかもしれないが、俺にも気持ちは分かる。俺も、大切な人を失った過去があるからな」
 星野・優輝(戦場は提督の喫茶店マスター・e02256)が言った。彼らはケルベロス。順風満帆な人生を送ってこれた者はそう多くない。だが、だからこそ、幸子を理解する上で、不可欠な人材のはずだ。
「今日に限っては、手加減も慢心もなしよ!」
 芙蓉が頰を軽く叩き、庭に踏み込む。ここより先は戦場。
 幸子が抱き続けた、40年の長きにわたる愛を、今一度封印させるという難題に、ケルベロス達は挑むのだ。


 揺れる艶やかな黒髪と浴衣は、夏夜の風流を感じさせるに充分なもの。だが、庭には決定的に異質な存在が、その風流を穢していた。それこそが、幸子の浴衣を覆うモザイクであり――。
「そこにいるのは何奴だ!」
 人語を解す奇怪なキュウリである。その正体は、精霊馬をモチーフに生み出されたドリームイーター『死妖霊馬』。
「それはこちらの台詞です。幸子さんの純粋なお気持ちを利用して……ドリームイーターさん、あなたは一体何をしようとなさっているんですか!?」
 死妖霊馬がケルベロス達の方を向く。すると、アリスのライトによって、夢見心地の幸子の顔が照らされた。その幸せな想像が、未来永劫叶わないとも知らず……。
「ずっと愛してきたのね……旦那様を、自分を置いていったと恨むことなく、ずっと……」
「……」
 その表情を見て、芙蓉は幸子の魂の美しさを知る。一途に思い続けるのは、言葉で言うほど簡単ではなく、まして、傍にいない者を思い続ける難しさは、言うに及ばない。だからこそ、芙蓉は目が合った幸子に穏やかな笑みを返した。まずは敬愛を。そして、これから起こる事に、謝罪のために軽く目を瞑る。
「汝……幸子よ。眼前の者は、汝の望みを邪魔する者なり! ゆえ、願え! さすれば、邪魔者を我が掃除しよう」
 だが、風情を介さぬキュウリにより、一瞬ケルベロス達に向いた幸子の目が閉じられる。そして、溢れんばかりのドリームエナジーが死妖霊馬を包み込んだ。
「ふ、はははははっ! ケルベロス、恐るるに足らず! ギュバラギュバラギュバラ!」
 放たれたのは、ケルベロス達を拘束する禍禍しい影。
「俺に任せてください!」
「生者の思い、死者の願い……その両方を踏み躙る邪悪なものめ! 覚悟するがいい」
 空が、刀剣封鎖・改を構え、影の前に立ち塞がる。瞬く間に空の肉体を、影が縛り上げた。鎌を投げつけたアデレードが、死妖霊馬の攻撃を中断させる。
「皆、様子を見ながら戦いましょう。後味の悪い結末なんて、誰も望んでいないでしょう?」
 ドローテアもまた、気合いを入れてパラライズを吹き飛ばす空を援護するように、跳び蹴りを繰り出した。
「幸子さんが旦那さんを忘れることができないのは分かる! もしも生きていれば……そう思った事は、何度だってあるだろう!」
 旧日本海軍の白の詰め襟と腕章を纏い、優輝が言う。
「だけどな、現実を見失っちゃいけない! 人はいつか死ぬ……幸子さんなら、分かっているはずだ!」
 経験は、自分達とは比べものにならない。苦労したからこそ、吸いも甘いの知っているだろう。優輝の言葉に、だが幸子は耳を貸さない。ルーンアックスがキュウリを傷つけても、幸子の願いがすぐにヒールしてしまう。
「梓紗、皆を応援してあげてくれるかしら!」
 死妖霊馬は、攻撃力に加え、早さ、そしてヒール力も優れているようだ。負けじと梓紗も動画を流す。
(旦那様の言葉を直接伝えられれば、それが一番なのだけれどね!)
 芙蓉はそう思いながら、「御業」を鎧に変形させドローテアへ。芙蓉ならば不可能とも言えないが、旦那に今の幸子を見せる訳にはいかないだろう。
「逢いたい気持ちを否定は……できないな。当の私が同じ思いを痛い程に抱えているのだから、できるはずもない」
 ファルゼンの槍が、苛烈に容赦なく死妖霊馬と幸子に降り注ぐ。だが、死妖霊馬の高速突進を捉えきれず、槍は空を切り、フレイヤがファルゼンの隙をカバーする。
「幸子よ、そなたの心の中にいる旦那は、お主の事を見守ってくれているはずじゃ! 人の理を越えるような事を、望むような旦那じゃったのか!? 若返ってまで、アチラに来て欲しいと望むような男じゃったのか!?」
「そうですよ、幸子さん! そのお姿で、旦那さんがお喜びになられると? 紛い物の姿ではなく……ご天寿を全うされて、ありのままの姿で――」
 地獄の炎を纏った吸魂の大鎌が、時間を凍結する弾丸が、なんとか死妖霊馬の動きを制限しようと吹き荒れる。アデレードとアリスは、細心の注意を払いながら敵の動きに対応しながら言葉を投げかけると、再度幸子の目が薄らと開いた。
「望んでいるのは、そなたが今しかできぬ生を謳歌することのはずじゃ!」
 然るべき時のために、思い出話の種を育む。薬液の雨を前衛に注ぎながら、アデレードとアリスが手応えを得たのも束の間。

 ――本当に?

 死妖霊馬の、嫌らしい声が、幸子の心を乱す。
「男など、若い姿の方がいいに決まっている。年老いた嫁と再会したいと、本心で思うだろうか? 小娘共には分からずとも、汝なら分かろう?」
 心を寄せ、愛したのは一人だとしても、幸子は多くの人間と関わって生きてきた。その経験が、悲しくも死妖霊馬の問いを肯定してしまう。
「皺だらけの、あんな姿……アナタにはとても……」
「なら、これまで必至に生きてきた自分の姿を恥だと思うのかい?」
 幸子を納得させてはいけない!
 ――祓い、清め、護り給え。詠唱と刀を使った印で仲間に順に加護を捧げながら、雅が夢に籠もろうとする幸子を引き留める。
「貴女の背の君は、手も顔も皺だらけになったとしても、それでも貴女の隣で穏やかに過ごす日を思った事もあるやもしれないよ?」
 現代とは違い、昔の結婚の意味は重い。今を軽視する訳ではないが、覚悟がいるものだったのも事実。それは、人の人生を、幸子の人生を背負うという意味だ。その中には当然、老いてからも含まれていたはず。
「幸子さんの皺は、重ねた時の分だけ彼を思っていた……そういう証だと私は思う。経験も、他の人も関係ない。大事なのは、幸子さんの頭の中で生きる彼が、今の幸子さんを見てどう思うかだ。もう一度聞くよ、今の姿を恥だと思うのかい?」
「……っ」
 雅の問いに、幸子の表情に動揺が浮かぶ。ドリームエナジーにも乱れがあったのか、空に向けられた幸子の涙を流す姿は、彼の心と身体に異変をもたらさない。
「アタシもそれなりに経験を積んできたつもりよ。愛しさも、寂しさも、辛い思いも……逢いたい気持ちもアタシなりに分かるつもり。だけド、貴女はその気持ちを利用されているだけなのよ」
「ええ、そいつに従って、あなたの大切な人に会えるなんて保証はどこにもありませんよ? そいつは、そんな気はサラサラなく、最初からあなたの力を吸い尽くすことが目的なんです!」
 ドローテアと空の言葉は、紛う事なき真実。
「嘘……あの人の所へ行けると、もう一度会えると、私に言ったのよ!」
 だが、そう易々とは幸子も信じない。
「ええ、信じたいでしょう。でも、罠なの。このままでは、貴女は間違いなく不幸になるわ。デウスエクスに操られ、息子さんやお孫さんにまで手をかけることになるかもしれないわ」
「……ぇ?」
 息子、そして孫。ドローテアの出した名前に、幸子は劇的な反応を示し、呆然とする。
「そうだよ、あなたには他にも大切な存在がいるはずだ! 辛い日々を一緒に耐えてきた家族が! 幸子さんには、残されたその人達の気持ちが分かるはずだ!」
「彼の忘れ形見を棄ててしまえば、彼は大層悲しむだろう!」
 好機を逃してはならない。優輝の加速したハンマーが、呪縛を撒き散らす死妖霊馬を穿つ。追撃するのは、雅の匠の技だ。
「息子さんとお孫さんも貴女に会うのを楽しみにしているはずです――っ、ファルゼンさん!?」
 アリスの目の前で、庇いに入ったファルゼンが突進され引きずられる。死妖霊馬に付与された守護を無効化するアリスの斬撃と説得を、ファルゼンは同時に守って見せたのだ。
 石化して反撃もままならない身体ながら、ファルゼンは血を吐くように告げる。
「もう疲れて、会いたいとまだ言うなら、私がソイツごと送ってやる」
 言い過ぎだと、優輝と空がファルゼンを止めようとする。だが、冷静ながらも彼女が内に秘める熱量の大きさを感じ、何も言えなくなってしまった。
「だが、そうでないのなら……お前が感じた寂しさを、他の者にさせてやるな。残された者は、間違いなくお前の事を想って悔いるぞ? ――お前の、子供と孫なのだからな」
 ファルゼンは、幸子が望めば迷わず先に告げた言葉を実行するだろう。だからこそ、ここまで彼女に言わせた死妖霊馬への敵意は昏く、深い。
「断言してあげる。貴女は、最高に美しい人よ。だから、そんなぽっと出の間男に抱かれるなんてやめなさい」
 ――ファルゼン、よくやったわね。帝釈天・梓紗に守られた芙蓉が、ファルゼンにエネルギー光球をぶつけながら幸子に手を差し伸べる。
「貴女と旦那様の人生を、そんな馬鹿相手に売り叩いては駄目よ。だって、それキュウリよ? 貴女を旦那様の元へ連れて行く馬車には相応しくないわ」
 芙蓉の手は、現実には届かずとも、心に届けばそれでいい。彼女の魂の美しさを芙蓉は信じている。いつか、さぞ美しい姿で、旦那と再会できるだろう事も……。
「……不味い……」
 その瞬間、死妖霊馬が呟いた。
「汝はもう必要ない。邪魔だ」
 そして、死妖霊馬によって合体を解除され、意識と若さを失った幸子が庭を無造作に転がっていく様をケルベロス達が見せられた瞬間、死妖霊馬の死が確定した。


 時間の経過と共に、死妖霊馬の攻撃が空を切る回数が増していた。幸子がいたからこその多様な攻撃手段であったのだ。著しく弱体化した死妖霊馬を。
「貴方の邪悪な未来……灼き尽くします……!」
「お前は同じところに逝けると思うなよ? 地獄の炎で消してやる」
 色鮮やかなアリステアの花を咲かしたアリスの空色、そしてファルゼンの紅蓮の炎が蹂躙する。
「アンタの魂は塵も残さないわ。私に劣らず可愛くて美しい幸子の魂に誓ってね!」
 芙蓉の「御業」が死妖霊馬を握りしめる。
「そういう訳ですので、あなたには退場願います。ここはあなたがいていい場所ではありません」
 ここは、幸子と夫……その家族が時を紡いできた聖域。今まで堪え忍んできた憂さを晴らすように、強く握りしめられた刀剣封鞘・改が投擲され、「御業」に捉えられた死妖霊馬に罅を入れる。
「優輝よ、今じゃ!」
「分かってる!」
 前線でクラッシャーとして動いてきた優輝の身体には、いくつもの傷。それをアデレードの緊急手術にて癒やしてもらった優輝は、ルーンアックスで死妖霊馬の罅をさらに拡大させる。
「チェイン接続開始。術式回路オールリンク。封印魔術式、二番から十五番まで解放……いくワよ。《蠍の星剣/Scor-Spear》!」
 容赦する必要はなし。だが、幸子を雑に扱いいらぬ怪我を負わせた事に、ドローテアの怒りは収まらない。幾重もの術式が起動。魔法の力を帯びた剣が生み出されると、赤の道筋を描きながら死妖霊馬の急所を狙って襲い掛かる。
「ギュバラギュバラギュバラ!」
 死妖霊馬の唱える呪文は、所詮は一時しのぎ。だが、雅に呪縛を躱された事で、
(あの呪文……暴虐の、幻狼? だったかな……?)
 一時しのぎにすらできなかった。
「だけど、今は――」
 まずは、死妖霊馬を仕留めることが肝要だ。幸子が解放された今、雅の凪の心を動かせるものは存在しない。斬霊刀が空の霊力を帯びる。放たれたそれは、ドローテアの攻撃によって露出した死妖霊馬のコアを破壊し、地獄へと送り返すのであった。


 庭と思い出の詰まった家屋は、雅の藤の花や、アデレードが降らせた雨と共に元の姿を取り戻している。多少の幻想的な見た目も、孫が喜ぶとむしろ好評である。
「助けるのが遅れてごめんなさいね!」
「いいえ、むしろこっちが感謝しなきゃ。ありがとう、皆さん」
 幸子の怪我を優しく癒やしながら、芙蓉はすっかりいつもの調子。白の軍服を着た優輝に対し、「白は私の色なんだけど?」などと冗談交じりに難癖を付け、テンション高く騒いでいた。
「息子さんやお孫さんと楽しい思い出を沢山作って……旦那さんの為にも……日々をしっかり生きて下さいね」
「ありがとう、お嬢ちゃん」
 アリスの頭を幸子が撫でる。その温もりを守れたことに、アリスの胸中を温かいものが満たした。
「幸せだったと、旦那様に言える人生にしましょう?」
 ドローテアの座右の銘は「人生、余裕をもつこと」だ。焦らず、ゆっくりと、歩めば良い。幸子の待ち人は、その先に必ずいるはず。
「なんなら、エステや岩盤浴なんて試してみるのはどうかしら?」
 いい店知ってるワよ? そう笑うドローテアに、幸子も釣られて笑う。
 そして――。
「40年想い続けたアナタへ。幸子は、今日もアナタを想っています」
 皺だらけになろうとも、幸子はそう言葉にできる幸せを、誰かを愛する幸せを噛みしめ、ケルベロス達にもう一度感謝を告げた。

作者:ハル 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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