蓮花茶房

作者:藍鳶カナン

●蓮のめざめ
 綺麗な光と風の朝だった。
 透きとおる朝の光を連れた風は涼やかに少女の頬を撫で、眼の前に広がる蓮池を渡る。
 水面より高く茂る蓮の葉はまるで緑の海。朝の風に波打つ葉の上には、いくつもいくつも綺麗な蓮の花が咲いていた。
 明るい桃色に朝の光を映しとったような花びらのなかには、夏のおひさまみたいに素敵な輝く黄色。夏のあさの、ひかり。少女にはそんな風に思える蓮の花が緑の波の上にいくつも咲く風景は。
「ごくらくじょうど? 天国ってこんな感じだよっておばあちゃん言ってたよね、ママ!」
 流石はお寺のお庭!
 と笑って振り返ればママもパパもおらず、慌てて見回せば蓮池の真ん中へ繋がる橋の上に二人はいた。橋の先には『さぼう』と呼ばれる和風のカフェがある。
 気持ちいい朝の風がそのまま通り、蓮池の中心から蓮の花を眺めることができるそこで、夏の朝だけ食べられる蓮の実入りのおかゆ。
 家の近くのここへ両親と一緒にそれを食べに来るのが、少女の毎年の楽しみだ。
 早くいかなきゃと駆けだせば、妙に大きな蓮の花がぐりんと少女を向いた。
 え、と少女が足をとめれば、大きな蓮の花の中心の、夏のおひさまみたいな『かたく』がぎゅるんと回って。
 いきなり無数の種を撃ち出してきた!!
「きゃー!!??」
 絶叫した少女が飛び起きたのは自室のベッドの上。
 どきどきする胸をおさえて、なんだ夢かぁ、と安堵の息で呟いた。
「もー! パパが『蓮の花のアレ機関銃になったら面白いよなハハハ!』とか言うから!」
 ゆうべ、いつもの夏のように蓮池の茶房で蓮の実粥を両親と少女で食べにいく約束をした時のパパの言葉がきっとさっきの夢になったのだ。むくれた少女が窓の外を見ればほんのり明るい気もしたけど、夜明けはもう少し先のはず。
 もう少し寝てよう、と少女はベッドに転がった。
 ――そのとき。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『驚き』はとても新鮮で楽しかったわ」
 不意に現れた第三の魔女・ケリュネイアが大きな鍵で少女の胸を一突き。
 傍らには『驚き』から現実化した、大きな蓮の花が生まれ落ちた。

●蓮花茶房
 美しい蓮池の庭園を持つ寺院がある。
 その門前町に住む少女がパッチワークの魔女に『驚き』を奪われ、それを元に現実化した蓮の花のドリームイーターが事件を起こそうとしている――ケルベロス達にそう事件予知を語ったセリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は、改めて皆を見渡した。
「『驚き』を奪った魔女は既に立ち去っていますが、蓮の花のドリームイーターは門前町に留まっています。即刻ヘリオンで向かいますので、まだ被害が出ていない今のうちに、この蓮の花のドリームイーターを撃破してください」
 魔女に『驚き』を奪われた少女も、このドリームイーターを倒せば無事に目を覚ます。

 今から急行すれば、少女の家の近く、寺院正面の丁字路で敵を捕捉できるという。
「寺院の方には避難勧告を出しています。夜明け近い時刻でそうそう出歩くひともいないと思いますし、念のため警察に付近の封鎖をお願いしていますので、皆さんは敵を倒すことに全力を尽くしてください」
 丁字路は戦うのに充分な広さがあり、夜明けが近く、街燈もあるため視界も問題ない。
「敵は皆さんと遭遇次第、モザイクの種の連射で威嚇射撃をして、驚かそうとしてきます。戦闘でも同様の能力を使うはずです。ガトリングガンのグラビティ相当と考えてください」
「ガ・ト・リ・ン・グ・ガ・ン……!」
 敵の技についてセリカが語った途端、真白・桃花(めざめ・en0142)の瞳に夢見る乙女の光が燈った。
「ああん、そんな蓮の花びっくりするに決まってるの、ぜひ逢いに行かなきゃなの~!」
「いきなり種を連射されたらびっくりしますよね。ですが、このドリームイーターは自分の驚きが通じなかった相手、つまり威嚇射撃に驚かなかった者を優先的に狙う性質があるようですから、そこを巧く利用すれば有利に戦えるかもしれません」
 戦闘となれば敵は当然威嚇ではなく本物の攻撃をしかけてくる。
 護りに入ることなく攻めに徹するだろうから、敵の性質を利用するか否かでかなり戦況が変わるはず、とセリカは続け、ふと表情を和らげた。
「油断すれば皆さんでも危険ですが、逆を言えば、しっかり策を練って臨めば問題なく勝利できると思います。無事に討伐が終われば、じき夜も明けますし、寺院の蓮池の茶房で蓮の実粥を振舞ってくださるそうですよ」

 夏の朝、蓮の池の中央にある茶房でいただく蓮の実粥。
 澄んだ湧水で炊いた白粥は塩のみのシンプルな味付け。だけどお米と一緒に炊かれた蓮の実はほっくりと栗のような食感でほんのり甘く、粥と噛みしめれば滋味がじんわり広がっていくのだとか。
 少し冷まされた粥はほんのりと温かく、添えられている甘辛い蓮根のきんぴらと、冷たい鰹出汁にオクラを浸したおひたしは心地好いひんやり感。冷たい緑茶にふわりと蓮が香る、蓮花茶もついてくる。
 精進料理ではないが、心にも体にも優しそうなその朝餉は。
「ああん、絶対美味しいに決まってるの~!」
 竜しっぽを弾ませ、みんなで逢いにいきたいの、と桃花がケルベロス達を振り返る。
 驚きから生まれた蓮に、蓮の花々と蓮の実粥に逢いにいって。
 そうしてまた一歩進むのだ。
 この世界を、デウスエクスの脅威より解き放たれた――真に自由な楽園にするために。


参加者
スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)
姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)
帰月・蓮(水花の焔・e04564)
葉室井・扨(湖畔・e06989)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
ウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)
苑上・葬(葬送詩・e32545)

■リプレイ

●蓮花開花
 夏の夜闇がほんのり群青色に透け始める暁の頃。
 閑雅な寺院の門前に広がる町はいまだ静謐な夜の眠りの中、それだというのに寺院門前の丁字路で一足早く朝の光を開花させた巨大な蓮花は、風情も遠慮も知らぬとばかりに派手な銃声を轟かせ、涼やかな大気をたっぷりと震わせた。
 夜の静寂を破ったのは路面を抉った威嚇射撃、そして平然と相対したディフェンダー達を狙って前衛陣を呑み込んだ種の弾丸の嵐だ。
「撃たれたら撃ち返す! いくよー、撃て撃て~っ!!」
 威嚇射撃って驚かせるためのものだもんね、と後衛で敵の期待どおり存分に驚いてみせた姫百合・ロビネッタ(自給自足型トラブルメーカー・e01974)が確り照準合わせた愛銃から撃ち返したのは時をも凍らす弾丸、鮮麗な桃色に咲き誇る花弁に薄氷が張ると同時、
「何事にも動じぬ性質が幸いするとはな。……鈍感な訳ではないぞ?」
「ええ、勿論。鈍感なのはあの無粋な巨大蓮花のほうでしょう、正に散華に値しますね」
 同じ盾たる仲間達とともに巨大蓮花の銃撃を引き受け、咄嗟に翳した縛霊手で種の弾丸をいなした苑上・葬(葬送詩・e32545)がヒールドローンを展開。先程大きく瞬きした驚愕の表情はどこへやら、仲間の頼もしさに余裕の笑みを覗かす斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)も鎖を奔らせ前衛に三重の守護魔法陣を描きだす。
「蓮池を騒がせずに済むのは幸いだけど、いずれにせよ早々に終わらせたいところだね」
「同感です。花托は蜂の巣にも喩えられますが、此方が蜂の巣にされないうちに、ぜひ」
 緑髪に蓮花を咲かす葉室井・扨(湖畔・e06989)にとって蓮は縁深き花、螺旋忍軍達との共闘時の戦術を脳内で修正しつつ実らす黄金の果実の輝きが前衛陣を抱擁すれば、その名に花を戴く御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)が夜明けの流星となって巨大な蓮花へ落ち、威嚇射撃に驚くふりをした主とは反対に平静を保ったオルトロスが、暁めく刃で眩い黄の花托へ斬りつけた。
 少女の夢の舞台は蓮池の庭園だったが、幼い『驚き』から生まれたドリームイーターとの戦いの舞台は、事前情報どおり庭園を擁する寺院の正面、門前町の丁字路だ。
 水上ならぬ路上に咲いた巨大蓮花は桃色に朝の光が射したような花弁を満開にし、夏陽を思わす花托を猛然と回転させて数多の弾丸を撃ち出してきていた。その様は確かに。
「……機関銃……まあ、分からぬでは無いが、のぅ……」
「微妙そうだね。僕は素晴らしい造形美だと思うけどな」
 此方も花の名を戴く帰月・蓮(水花の焔・e04564)、前衛を呑み込んだ弾丸の嵐を矛たる仲間の分までその身に受けた彼女が痛手でなく敵の姿に苦笑を洩らせば、威嚇射撃の折にも驚く代わりに敵をそう賞賛したスプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)が小さく笑む。
 淡く光が溶ける群青色の世界を鮮烈に貫いた神速の稲妻、黒鋼の釣鐘草連なる雨樋めいた鎖の舞、盾たる仲間達の連撃が巨大蓮花を捉えれば、
「蓮の花機関銃わかる超わかる、多分男なら一回は考えたことある位にはわかりますよ」
「ああん、乙女にもわかる浪漫ですともー!」
 愉しげに笑みながらもウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)が矛たる役割を果たすべく、雷の霊力を凝らせた愛しき打刀で一気に巨大花を穿ち、罅割れた花托めがけて真白・桃花(めざめ・en0142)もガトリングガンの銃声を響かせた。
 紅蓮という言葉は紅色や桃色に咲く蓮を指すだけではない。
 燃え盛る焔の色にも喩えられる言葉だが、炎の魔力で赤熱した巨大蓮花は完全なる紅蓮。夜明け前の攻防の中、群青の黎明を鮮紅に染めた敵の銃撃が苛烈な威力で帰月・蓮を抉り、灼熱の爆炎で焦がしたが、耐性を備えた防具や幾重もの護りの加護がその威を殺し、更に、
「――そちらへ行っては、いけない」
 涼やかな声音で扨が詠唱を紡いだ途端、夜風よりも清涼な水の気配が花の名の娘を抱く。泉のごとく澄んだ癒しと浄化の心地好さに微笑した帰月・蓮は、光射す水面から出て空へと咲くよう地を蹴った。
 泥濘の中から光を咲かせる蓮の花、その姿も生き様も美しいと思うから。
「同じ名を戴き、誇りに思う身として……このような蓮の花は野放しに出来ぬ!」
「蓮は智慧や慈悲を象徴する清浄な花。だからこそ、あんたには早々に散ってもらおうか」
 明けの月を思わす彼女の剣閃が巨大な花弁を散らすのに続くのは御堂・蓮、先程青蓮華を抱く縛霊手から紙兵を撒いた花に縁深き彼も、紛い物の花を再び地に墜とすべく跳躍する。
「そっか、蓮さんも蓮くんもそのまんま名前の由来が蓮なんだね、名前は大事!」
 花の名を戴く二人が見舞う月と星、その攻勢に笑みを咲かせたロビネッタが連射したのは名探偵に憧れる少女らしい銘を冠する銃。残らず敵に命中した数多の弾痕が『R.H.』のサインを描けたかどうかは――個々の判断に委ねるとしよう。
 少女の銃撃もかなりの威力だが、攻撃に特化した巨大蓮花の銃撃は更にその上を行く。
 けれど威嚇射撃に驚かぬ者を狙う習性を衝かれた敵の弾丸は相性の良い防具で身を固めたディフェンダー達に集中、幾重もの加護や確かな癒しと相俟って痛打を与えられずにいた。
 夏とはいえ夜明け前の風は清流のごとく涼やかなもの。
 確かに此方が掴んだ戦場の風、心地好いそれに背を押される想いで朝樹が解き放つのは、敵の爆炎を押し返さんばかりの凍気を見舞う氷の騎士。三重の氷に覆われた花托が勢い良く回転するが、その狙いは朝樹ではなく。
「これは……連射が来ます、スプーキーさん!」
 彼の声とほぼ同時に爆ぜた銃声、だが標的となった男は錨と竪琴の紋を抱く軍装を翻し、咄嗟に放った気咬弾で種の連射を相殺。
「流石、斑鳩の目は確かだね」
「ふふ、花火の時もそうだったけど、二人とも頼もしい限りだよ」
 続け様にスプーキーの手許で火を噴いた双頭銃口から迸った弾丸が彗星のごとき尾を引き氷ごと敵を貫けば、癒し手たる扨も瞳を細め、差し伸べた腕から蔓草を躍らせ攻勢に出る。
「葉室井殿もな。皆頼もしくて心強い限りだ」
 癒しを最優先に立ち回る彼が打って出るのは紛う事なき優勢の証。これなら戦いの終焉も遠くあるまいと確信し、葬も迷わず電光石火の蹴撃を打ち込んだ。
 勢いを増す戦場の追い風は更なる援護を得て加速する。
 爆炎の弾丸の雨霰、紅蓮の銃撃が御堂・蓮のオルトロスを直撃したが、
「空木はわたくしに任せて!」
「助かります、千手さん」
 彼の相棒の名を呼んだ千手・明子(火焔の天稟・e02471)が即座に癒しの気を注ぐ。
「いやあ~蓮クンは女連れとはな~やるなァ~。いいねェ、明け方から見る美人は!」
「おや、隣に花が咲いたかと思えばあきらだったのか。お久しぶりだね」
 思わずウィリアムが振り返ったのも一瞬のこと、軽妙なその声とは対照的な漆黒の残滓で強固に敵を縛めれば、癒し手として並び立った知己に笑んだ扨も大鎌で巨大蓮花を散らしにかかった。
「ねっ蓮、わたくし花咲くような美人ですって!」
「ハイ、ヨカッタデスネ」
 二人の言葉に嬉々と声を弾ます明子へ応えた御堂・蓮の声が棒読みになったのは巨大花を爆破するために精神を集中させたからですほんとうです。
 皆の猛攻とともに重ねられる数多の縛め。それらが巨大蓮花の力を削いで、苛烈な弾丸の嵐が空振りに終われば、この好機が勝機とばかりに葬が一気に彼我の距離を殺した。
 艶やかな大輪は見事だったが、清浄なる朝には代えられない。
「斑鳩殿の仰るとおり、散華といこうか」
「花は散るのが世の定めですしね。さあ、踏み止まらずに逝きなさい」
 降魔の力宿す拳で穿つ花托、紛い物ながらも花香る命の味わいに葬の口許が笑みを引き、彼以上に笑みを深めた朝樹が甘い痺れを齎す薄紅の花霞で巨大蓮花を抱擁する。
「美しいのぅ。この中で散るなら此奴も本望だろうて」
 藍の瞳を細めた瞬間、稲妻の輝き燈す帰月・蓮の槍撃が貫いたのは最早回転さえも叶わぬ大きな花托、
「少し惜しくはあるけれど、きっと見事な散り際を見せてくれるだろうね」
「うん、きっと! ってなわけで、一気に畳みかけちゃうよー!」
 眦を緩めながらもスプーキーの銃口の狙いは迷いなく、ロビネッタの銃声も強気に果敢に爆ぜる。二人の愛銃から放たれた弾丸が街燈とガードレールに跳ねて躍ってあらぬ方向から巨大蓮花を貫けば、文字どおり朝飯前で終わらせますか、と口の端を擡げたウィリアムが、世界で唯ひとり彼だけが揮える術を織り上げた。
「何せ、素敵な朝と朝餉が待ってるんでね」
 刹那、世界を染めたのは夜明けを思わす紫苑の彩。
 美しい紫苑は凍えた者を包み込むよう花を抱き、幸福なる冬の火でその命を灼き尽くす。紫苑に桃の花色を透かし、巨大蓮花は光の散華となって世界に融けた。
 荒れた路面も皆の癒しに潤され、丁字路には幻想の蓮花が咲く。
 浪漫満開な敵だったの~と桃花の尾が弾む様に目元を和ませ、
「蓮の銃も格好良かったけれど、僕は君の銃の方が好きだな」
「ああん、わたしもとってもお気に入りなの~!」
 笑みでスプーキーが告げれば、黄金色でかっこいいのを、って工房にお願いしたら銃口に花が咲いたの~と内緒話のように彼女が明かす。
「そんじゃ皆で仲良く朝ご飯といきますか。朝飯前はいいけど流石に空腹が堪えますわ」
「だよね! ほら、夜明けだよー!」
 同族達の様子に笑んだウィリアムが皆を促せば、誰より早く朝陽を見つけたロビネッタが瞳を輝かせた。おはよう、と明るく告げた挨拶は皆と生まれたての太陽へ。そして。
 今頃ベッドで目を覚ましているだろう、驚きを取り戻した少女へ贈るもの。

●蓮花茶房
 薄群青の濃淡に彩られていた世界に朝の光が満ちて、鮮明な色彩が息を吹き返す。
 寺院の楼門を潜れば朝の風もひときわ清浄に感じられ、緑の葉が波打つ蓮池にかかる橋を渡り、荷葉とも呼ばれる蓮の葉を渡る風、すなわち荷風が吹き抜ける茶房へ至れば、改めて見渡す花景色に感嘆の吐息で帰月・蓮が笑んだ。
「清々しい朝だな。咲き誇る花の何と美しいことか……」
「心洗われるとはこのことだな。新しい朝に、新しい己と出逢えたような気持ちだ」
 緑葉の波上に明け空の桃色と朝の光を咲かせる蓮花。
 先の敵には及ばずとも大輪を誇る花は朝風に波打つ葉の彼方此方で凛と空を向いて咲き、清しく香る風と光が胸に満ちる心地で葬も紅の双眸を細めて見入る。
 荷葉の上に結ばれた朝露も透明に光を踊らせ、この雫も浄土の水のごとく清らかですねといっそう穏やかに微笑んだ朝樹が、
「毎葉蓮に、漁山紅蓮……成程、明け空色の蓮揃いというわけですか」
「朝の花に詳しいってのが朝樹らしいねぇ。――と、そろそろ乾杯の頃合かな」
 蓮花の名を挙げれば扨も笑みを零した。愛刀の銘たる甲斐姫の花が無いのは少々残念で、けれど膳が運ばれてくる気配には更に頬を緩めずにはいられない。
「大丈夫ですか、千手さん」
「ええ大丈夫、眠気も吹き飛んだわ!」
 御堂・蓮は微睡みの海に漕ぎだしそうだった連れを気遣うが、蓮の実粥を前にした明子は瞳の輝きを取り戻し、祝盃ならぬ祝椀をと扨が音頭をとれば各々が蓮花茶を手に取って。
 ――乾杯!
「それじゃあ、生きて味わう極楽を」
「ええ。――いただきます」
 極楽浄土の光景に抱かれて摂る至福の朝餉、どちらからともなく笑み交わすスプーキーと朝樹が丁寧に手を合わせたなら、皆も倣って、いただきます。
 優しい白粥をほんのり彩る淡黄の蓮の実、色濃く艶めく蓮根のきんぴら、透明な鰹出汁に浸るオクラの緑。彩りからしてもう和を感じる朝餉にロビネッタの声が弾む。何しろ普段の朝食はパンやシリアルだから、
「すっごく新鮮! 日本人になったって感じがする……いや日本人だけど!!」
「新鮮さわかるわかる、こういう処も皆で食べるのもだけど、俺も和食自体が新鮮ですわ」
 瑞々しい明るさ弾けるような少女の様子にウィリアムも破顔し、素朴ながらも滋味溢れる朝餉に舌鼓。大勢での朝餉も良いものだのぅと笑みを綻ばせ、帰月・蓮も箸を進めていく。
 甘辛さと蓮根のしゃきしゃき感が嬉しいきんぴらも、冷たくも風味豊かな鰹出汁たっぷり含んだオクラのおひたしも美味だけれど、淡い塩味が米の滋味を引き立てる白粥とともに、ほっくり崩れてほのかな甘さで滋味を深める蓮の実が何より帰月・蓮の心を惹いた。
「蓮の実をいただくのは初めてだが……何とも美味だな。桃花殿は如何だ?」
「ああん、これはいけない美味なの、癖になっちゃう味なの~!」
 楽しげな笑みで訊いた帰月・蓮に弾む声と尻尾が応える様に、朝餉の滋味に緩む葬の頬が更に綻んだ。儀式を執り行う一族の長たる身に和やかな朝餉は無縁だったが、
「真白殿を見ていると妹の小さい頃を思い出すよ……と、すまぬ、貴殿は成人であったか」
「ふふふ~。このきゃっきゃうふふは世を忍ぶ仮の姿、しかしてその実態は希代の悪女! って、ああんちょっと言ってみたかっただけなの~!」
 思わず零れた言葉を詫びるも、彼女的には悪女っぽいらしい顔が一秒と保たない様に再び葬は笑みを綻ばせ、彼らのやりとりに朝樹も吐息を転がすように笑う。
「僕にも弟が居りますよ。家に帰ってこない不良でしてね、桃花さんのように素直であればもっと可愛げもあるのでしょうが……」
「うう、解りますなのうちの弟もそんな感じ~」
「あはは、でもそんな風に言えるのも家族仲良しの証拠って気がするよ!」
 芝居がかった溜息をついてみせる朝樹に頷く桃花、二人を見遣ったロビネッタがとびきり明るい笑みを咲かせた。賑やかな食卓は楽しくて、憧れの和朝食もいっそう美味。
 お菓子ばっか食べて! と叱られるのが日常茶飯事だから、ロビネッタが『蓮の実粥って美味しいんだよ!』と言ったなら、きっと大いに驚くに違いない。今の家族も、生き別れの育ての親も、そして、彼岸にいる生みの親も。
 談笑絶えない食卓の楽しさが増すほどに、箸も気づかぬうちに進むもの。
 蓮の実粥を食べ終えた帰月・蓮が至福の吐息を洩らした。
「ああ、誠に美味であった……して、おかわりなど……いただけるものだろうか」
「うん、大丈夫だよ。ボクも蓮の実粥おかわり済み」
 そわそわと厨房を窺う彼女にさらりと笑んだ扨はこれで五杯目とは口にしなかった。が、何気に数えていたウィリアムは笑みを噛み殺しつつ、さらっと入ってすんなりと腹に収まるもんなァと相槌を打つ。次いで、
「どうよスプーキー、オタクの料理も美味かったしなあ」
「そんな! 僕のは趣味の男料理だよ」
「まったまたァ、謙遜ナシでいこうぜ、何か新しいレシピ思いついちゃったりしません?」
 話を振れば年上の男が赤面したが、片肘で軽く小突いて促せば、彼の眦が和らいだ。
 思案気ながらも楽しげに蓮花咲く景色を数瞬眺め、スプーキーが口を開けば、
「甘酒なんてどうかな。お粥に米麹を加えて発酵させた後、善哉風に蓮の実を添えて」
「あ・ま・ざ・け……!」
「ほう、甘酒から自家製とはやはりかなりの腕前と見た」
「機会があればぜひボクもご馳走になりたいものだねぇ」
 途端に甘酒らぶな竜の娘の尾が跳ね、帰月・蓮も興味津々な様子で瞳を輝かせ、心底から扨が頷くから、皆に御馳走できれば嬉しいよと面映い心地でスプーキーも笑み返す。
 善哉風って素敵ねと明子の声もいっそう弾んで、
「この朝餉に加えて、隣に蓮もいれば完璧な蓮のフルコース!」
「蓮のフルコースには帰月さんも含まれるんです?」
「っ!!」
 少女のようにはしゃぐ連れに御堂・蓮がしれっと応えれば、突如御指名された帰月・蓮は蓮花茶を吹きかけたのは堪えたが、
「花もひとも蓮がいっぱい! これってハスハスするっていうんだよね!!」
「……っ!!」
 無邪気なロビネッタの追撃で蓮花茶が気管にヒット。
「帰月殿、お気を確かに!!」
「あれ。もしかして全然違う?」
 和服の袖口で口許を覆って咽せる帰月・蓮、反射的に彼女の背をさする葬、大変な様子にぱちぱちロビネッタが瞬けば、
「ありがとう苑上殿。しかし誠に、天真爛漫な少女は無敵だのぅ……」
 大変なのが治まったらしい蓮の娘の声音が笑みに変わって、皆の笑みもひときわ楽しげに弾けて咲いた。
 普段は寝食を忘れて読書に耽溺する性質の御堂・蓮も食卓の雰囲気に釣られて箸が進み、久々に美味というものを確り堪能できた心地。わたくし蓮を頼りにしているのよ、と明子が紡ぐ言葉にも、そっけなくも何処か素直な声音で『どうも』と応える。
「何が違ったんだろ。でも蓮花茶にハスハスするといい香りだよ!」
「確かに、ロビネッタの言うとおりだねぇ」
 透きとおる緑茶の香りに重ね、華やかに蓮花が匂い立つ。
 蓮がいっぱいと変わらず主張する少女に面白い縁だと笑って扨も蓮花茶を口へと運んで、朝樹も涼やかな滴を喉へと滑らせた。胃の腑へ落ちれば、朝餉の滋味も蓮の実の甘味も魂の芯まで染み渡るよう。
「……泥中の蓮、か」
「ええ。ただ綺麗な処では咲けない花です」
 独り言めいたウィリアムの言葉を掬い、その意を識りつつ更に深めて微笑む。
「蓮の実は心臓の働きを助けると聞くしね。まさに、命の花だ」
 曙光の瞳を細めた朝樹の視線を追って、スプーキーも夏の朝に光咲く花へ瞳を向けた。
 清も濁も呑んで、命は生きて、咲き誇る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年8月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 1
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