羨望

作者:藍鳶カナン

●歓喜
 眩い陽射しが何もかも抑えつけてしまったような、夏の午後特有の静寂。
 蝉時雨だけが響くこの集落にひとの気配は絶えたまま、それでもなお艶やかな濃緑の葉を茂らす梔子が純白の花を咲かせる夏のある日、朽ちゆくばかりの駅舎に『ヒトでない者』の気配があった。
 木造の駅舎は傷み、壁のポスターは色褪せ、ベンチには錆が浮き。けれど仮面の青年――竜技師アウルの手にかかれば、古びたベンチでも十分に実験台としての用を成す。
 路線の廃止でここが廃駅となったのは十年以上前。
 だが、集落にひとの気配が絶えたのは、それに比べれば最近のこと。
 いずれも竜技師アウルの与り知らぬことではあったが、その『最近のこと』で自暴自棄になった実験体を入手できたこと、そして実験がひとまずの成功を見たことは、彼にとっても意義のあることだった。
「お前には歓びが与えられた。目覚めなさい、我が息子よ」
 言いながら実験体の胸に一輪の梔子を放る。
 より強く目覚めを促したのは、恐らく夏花の香りのほう。
「歓び……そうか、俺は力を手に入れたんだな」
「――ひとまずは、ですよ。我が息子、望」
 望(のぞむ)という名の実験体の覚醒を確認し、竜技師は詳細を語った。
 竜技師に移植されたドラゴン因子は望にドラグナーの力を与えたが、ドラグナーとしてはまだ不完全な状態であり、いずれ死に至る。完全なドラグナーとなるためには多くの人間を殺し、グラビティ・チェインを奪う必要があるという。
 望は迷わなかった。
「それしかないんだろ。なら幾らでも殺して完全な力を手に入れるさ。そうして俺はヤツを探して殺してやる。ここの皆を殺した、デウスエクスを……!!」
 現場の状況からデウスエクスの仕業と判断されたが、当時遠出していた望はその姿を見ていない。けれど、胸に滾る憎悪の炎はいつか望自身を焼き尽くしてしまうだろうから。
 竜技師アウルは決して善人ではなく、望に力を与えたことも無論善意からではない。
 だが、見込みのある実験体にデウスエクスの常識を教えてやる程度の情けはあった。
「殺すのは諦めなさい、望よ。不死たるデウスエクスは力尽きればコギトエルゴスム化するだけで、真実デウスエクスを『殺せる』のはケルベロスのみ」
「…………そっか。でもいい、この手でヤツに痛い目を見せられるなら、何だってするさ」
 与えられた大鎌を手に、やがて望は駅舎を出る。
 彼は眩しげに瞳を細め、ぽつりと呟いた。
 ――楽しみにしてたひとがいなくなっても、こうして花は咲くんだな。

●羨望
 ――甘く薫る梔子の花。濃い夏緑の茂みに輝く白花咲く小径の先へ誘われたなら。
「……誰かに逢えるよな気がして、目が覚めたんよ」
 予知夢ってわけやないのはわかっとるけど、とキアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)が柔く苦笑すれば、天占屋さんとしちゃそういう勘みたいなのは無視できないよね、と応じた天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が緩く尾を揺らした。
「で、僕がキアラさんの話を聴いた後に、さっき話した予知が出たってわけ」
 彼女の夢と完全に同じ光景ではないだろう。
 だが夏花咲く梔子の向こうで、竜技師の手により新たなドラグナーとなった青年――望に逢える。そのまま放っておけば人里へ向かい、無差別の大量殺戮を始めるだろう存在に。
「彼にドラゴン因子を移植した竜技師は捕捉不可能。だけどヘリオンで急行すれば望さんが駅舎から出て来たところを捕捉できるよ。……もう誰もいない集落で、近隣には避難勧告を出したから、望さん以外には誰もいないし、誰も来ない」
 廃駅の駅舎前。元は広場だったろうそこにも、周囲の梔子以外には何もない。
 だから、と遥夏はケルベロス達を見渡して、言を継いだ。
「全力で戦ってきて。あなた達に、望さんの撃破をお願いしたいんだ」

 望は竜技師に与えられた簒奪者の鎌とそのグラビティを揮う。
 そして、未完成ゆえにドラゴンに変身することはできないが、
「竜語魔法は一つ使える。鹵獲術士さんも使えるよね。『ドラゴニックミラージュ』だよ」
 未完成とはいえ望はもう既にドラグナー。
 かなりの戦闘力を有し、すべての技が相当な威力を持つはずだ。
「油断禁物でお願い。自分が劣勢になっても望さんは逃走より攻撃を選ぶだろうしね」
「――逃げへんの? 先に一般人殺して完全なドラグナーに……とか思ったりせんのやね」
 話に聴き入っていたキアラがふと薄荷緑の瞳を揺らし、疑問を口にすれば、遥夏は彼女達ケルベロスを再び見渡し、眩しげに瞳を細めた。
「多分。戦いになればあなた達がケルベロスだってことは解るはずだしね、きっと望さんはあなた達から目が離せなくなる。得た力とか胸に燻る感情だとか、そういうのをぶつけずにいられなくなると思うんだよね」
 この世界で、広大なこの宇宙で、唯一デウスエクスを殺せる存在、ケルベロス。
「……彼はきっと、あなた達に羨望を抱いてるだろうから」
 デウスエクスとの戦いへと赴くケルベロス達の眩しさ。それを良く識るヘリオライダーの一人が吐息で笑んだ。
「……ん。わかったんよ」
 今度は苦笑でなく柔く笑み、キアラがそう紡げば、足元の夜色テレビウムがきゅっと手を握ってきた。小さなその手を握り返し、キアラは仲間達へ笑みと言の葉を向ける。
「うちらが行かんとあかんよね。うちらで望の全部を受けとめて、終わらせたげるんよ」
 純白に咲く夏花、梔子の香りの――その先で。


参加者
ルビーク・アライブ(暁の影炎・e00512)
キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)
未野・メリノ(めぇめぇめぇ・e07445)
虹・藍(蒼穹の刃・e14133)
ルイ・カナル(蒼黒の護り手・e14890)
ヨハン・バルトルト(ドラゴニアンの降魔医士・e30897)
メィメ・ドルミル(夢路前より・e34276)

■リプレイ

●渇望
 真夏の陽射しは苛烈だった。
 大気そのものが輝き、落ちる影はどこまでも濃く。
 強い陽射しが風さえ抑えつけたようなその世界で、戦いへ赴く者達が風となる。
 濃く艶めく夏緑、真白に輝く夏花。咽返るような緑の匂いと朝の夢の如く甘い花の香り、旺盛に茂り咲き誇る梔子に囲まれ抱かれた廃駅前の広場で、ケルベロス達は新たに生まれたドラグナー、望に出逢った。
 ――踊ろ、望。最期まで一緒に。
 梔子はダンスのお誘いの花。キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)はケルベロスコート纏う己自身を花代わりに彼を誘う。彼女を、彼を、此方側へ繋ぐ楔。
「うち、キアラっていうんよ。『光り輝く』って意味。君の名前に似とる気が、してるん」
「見てのとおり、俺達はケルベロスだ。――始めようか、望」
 眼差しを交わす、唯それだけで充分なはず。ルビーク・アライブ(暁の影炎・e00512)が初夏にまみえた夢の娘がそうであったように、望もまた即座にすべてを理解した。
「――……っ! 上等だ、ケルベロス共!!」
「受けとめます!!」
 彼が閃かせたのは右手の大鎌でなく左の手、一瞬で顕現した幻影竜が迸らせる灼熱の炎は咄嗟に盾となった未野・メリノ(めぇめぇめぇ・e07445)が受けたが、真夏の陽射しさえも焼き尽くさんばかりの炎熱はルビークの胸奥の熾火も煽るよう。
 辛うじて望が呑み込んだ言葉さえ理解して揮うは太陽の影に重ねた神速の稲妻、最早既にヒトでない青年は鋭い槍撃を大鎌でいなしたが、
「かかっておいで――って後ろから言うのは卑怯かな。けど、私達でとどめをあげる」
「あなたはもうひとではない、ひとには戻れない。それなら……!」
 夏空から蒼き流星が望へ落ち、明けの羽ばたきの下から奔った蔓草が彼を絡めとる。
 後衛から確実に獲物を捉えた虹・藍(蒼穹の刃・e14133)、純白に薄桃滲む髪を躍らせて舞うアウレリア・ドレヴァンツ(瑞花・e26848)が望の動きを鈍らせた隙に、
「かくれんぼっちゃん、メリノのとこに行ったって!」
「ありがとうございます! ……負けません、よ」
 天占屋の唇から踊った瑠璃の鱗粉と詠唱、キアラの許から馳せた星食みの仔が痛みも炎も独り占めしてくれる様に笑んで、礼から詠唱に繋げたメリノの歌声が光で咲かせるタイムの花々が並び立つ仲間の力を高めていく。
「頼んだぜ、外すんじゃねえぞ」
 光の花々に重なる輝きは、メィメ・ドルミル(夢路前より・e34276)が三重に解き放った流体金属の粒子。だが精鋭揃いの前衛陣より己にこそ超感覚の覚醒が必要だろうと彼自身の眼力がメィメにそれを教える。事前の情報どおり相手の戦闘力はかなりのものだ。
「やはり侮れる相手ではありませんね」
「ええ。ですが、彼を人殺しにさせるわけにはいきません。――絶対に」
 羨望も、決して届かぬものへの渇望も、ルイ・カナル(蒼黒の護り手・e14890)にとれば肌身で識る馴染みのもの。望の諦念や苛立ちにまでも共鳴しつつ彼が前衛に描く三重の星の聖域、頷いたヨハン・バルトルト(ドラゴニアンの降魔医士・e30897)は癒し手として並び立つキアラのテレビウムが動画を流す様を確認し、鎖を奔らせ前衛に守護魔法陣を敷く。
 薫る夏花、朽ちゆく駅舎、元はきっとここで生まれ育ったヒトだったろうドラグナー。
「――往くね」
 明けの瞳に映るものすべてが心に切なさを呼ぶけれど、頼もしい仲間の気配と足元を彩る加護に笑み、花月映す愛刀を抜き放ったアウレリアは迷わず翔けた。
 蝉時雨さえ途絶えた夏日の静寂に激しい剣戟の音が響く。
 真夏の陽射しを強く弾く大鎌の斬撃も、陽射しに輝く大気が更に眩まんばかりの幻影竜の炎も、望の攻撃はいずれも苛烈な威で襲い来た。序盤はヨハンとルイが広げる守護魔法陣で耐え、辛抱強く敵の力を鈍らせ味方への加護を重ねるところと撃ち込むメィメの石化の魔法光線は大鎌に弾かれ、返す刀とばかりに彼を狙った斬撃をキアラが受けとめる。
 大鎌の刃と彼女が纏うオウガメタルの金属音が谺した瞬間、その横手からメリノが揮った超重の一撃も躱されたが、望の左手が閃くより速く、
「バイくん!!」
 竜の槌の陰から思いきり跳ねたミミックが彼の腕に喰らいついた。
 仇を殺すことは叶わず、ただ苦痛を与えるだけ。
 そのために無辜の人々を贄にするのも厭わない。
 虚しさも身勝手さも望自身が痛いくらいに理解しているだろう。
「でも、あなたが復讐の前に成す凶行を認めるわけにはいきません!」
「認めてくれなんて思っちゃいないさ、俺には他に手がないだけだ!」
 ただの、力なき地球人のままではデウスエクスに掠り傷ひとつ付けられはしない。そして未完成のドラグナーは大量殺戮で自らを完成させねばいずれ死ぬ。
 恐らくは彼が仇を捜し出すより早く。
 そして、何もせぬまま定命化するよりも、ずっと早く。
「そう言うあんたはどうやってケルベロスになったんだよ! 何をすれば俺もケルベロスになれたのか、教えてくれよ!!」
「それは……っ!!」
 喉も裂けんばかりの望の叫びにメリノは言葉を詰まらせる。
 答えられなかった。解ってしまった。ルイを始め、何人かは初めから解っていただろう。
 羨望。うらやましいと思うのは、自分もそうなりたいと望むから。
 ――なりたかった。望はそう思ったのだろう。デウスエクスを殺せる、ケルベロスに。

●羨望
 鮮やかにしぶく血の匂い、炎に焦がされる地の匂い。
 真夏の陽射しの中でそれらが濃さを増すばかりの戦場にも、ふとした拍子に真白な夏花が甘やかに薫る。この地に咲く梔子の花を楽しみにしていたのは、
 ――彼の、大切なひとだったのかしら。
 胸にそんな想いが萌せばアウレリアは知らず古い銀十字の気配を探してしまう。
 望が魂と引き換えても構わないと思う程に欲したのだろう、力。だけど、大切なひとの、母の命を代償に力を与えられたアウレリアにとって、それは望んだものではなくて。
 けれど、それでも。
「受けとめましょう、アウレリアさん。それが力を『得た』私達の、責務」
「ええ。ええ……そうね。目を逸らすわけには、いかないもの」
 淡い苦さで笑む藍が『得てしまった』と言外に滲ませたのを正確に感じ取って、明け色の星を煌かせたアウレリアが放つは月光の斬撃、斬られた右肘に望の意識が向いた瞬間、藍は指輪から顕現させた光の剣を一閃、彼の左肩を深々と斬り裂いた。
 疫病兵器が死を振りまく中で唯ひとり生き延び、力に目覚め――。
 だがそれを羨ましいと思う者もいるのだろう。
 唯ひとり残され、すべて喪っただけだったのだろう、眼前の青年のように。
「――……!!」
 鮮紅の血が派手に溢れだせば咄嗟にヨハンは望へ癒しを向けかけて、理性と深呼吸でその衝動を捻じ伏せた。仇敵と憎む相手もおらず、戦禍で親しい者を喪ったこともなく。けれど彼の痛みを想うほど、救えなかった命に、救えない命に胸が痛む。
 改めて雷杖を握りしめた瞬間、
「藍! ドラゴニックミラージュが来るんよ!!」
「望むところです! さあ、今度こそかかっておいで!!」
 流れる血にも構わず左手を翻した望の挙動にキアラが声を張り、反射的に藍が構えたのは竜の槌。巨大な幻影竜が顕現した刹那の一撃、防具耐性の援けを得たそれは炎が迸る可能性そのものを凍結させ、竜語魔法を相殺した。
 光り輝くと名付けられた少女が望の懐へ跳び込んでいく。望という名前もヨハンには光の如く感じられた。希望、願い――そんな、心の光。
 彼の命は救えない。けれど。
「その名を、殺人者の名前にする訳にはいきませんから……!」
 決意とともにヨハンは、望の挙動を縛り命を削る雷を撃ち込んだ。
 少しずつ、少しずつ戦いの天秤は傾いていく。
 だがいまだ予断は許さず、
「……っ!!」
「未野さん!」
 凄絶な斬撃をその身に受けたメリノの身体が傾ぎ、ヨハンが華奢な背を受けとめた。
「アウレリア!」
「任せて、ルビークに合わせる!」
 駆動音が唸りをあげる刃で望の傷を斬り広げたルビークが彼を押し返せば、間髪を容れず跳び込んだアウレリアが空の霊力を乗せた刃で追い撃ち、その隙にヨハンが癒しを揮う。
「少しだけ我慢してください、すぐ手術します」
「……大丈夫、まだ戦えます、から」
 仲間の盾となるがゆえに被弾が多く、サーヴァントと命を分かち合う上に大鎌の斬撃にも幻影竜の破壊にも耐性を持たないメリノは癒しの効かぬ傷がもう危険域にまで嵩んでいる。
 彼女がまだ立ち上がれるのはルイとヨハンが丹念に重ねた守護魔法陣の加護あればこそ。魔法陣が痛手を軽減していなければとうに力尽きていたはずだ。
「抑え込みます!」
「ああ、徹底的に封じてやる」
 病床から伸ばした手で掴めたものは本当に少なくて、両親の命も手から零れていった。
 羨望も苛立ちも怒りも諦めも、すべてがかつてルイの心を染めた彩。
 だからこそ望に伝えられる言葉などなく、代わりにすべての想いを綯い交ぜにしたような漆黒の残滓でルイは望を三重に縛める。迷わず距離を殺すのはメィメ、歪な稲妻型に変じたナイフを揮い、幾重にも刻まれた縛めを強めて掠れた声で紡ぐ。
 本当に力を揮いたい相手がいるのなら。
「おれらと長々戦いたかねえだろ。しょうがねえから、おれより早く寝かしてやるよ」
「――……っ! ふざけんな!!」
 眼に見えて挙動を鈍らせた望の刃は陽射しのみを裂き、絶叫だけが耳朶を打つ。
「……分かっている」
 様々な縛めに囚われてなお瞳に炎を滾らす望へルビークが踏み出した。今も、最初も望が呑み込んでしまった言葉が解ってしまったからこそ、彼が受けとめる。
 ――何で今更来るんだ。どうして集落が襲われた時に来てくれなかったんだ!
 理不尽な言葉だ。
 呑み込んだのはなけなしの理性ゆえか、激情を巧く言葉にできなかっただけなのか。
 けれど。
「君も、俺にとっては守りたい者の一人だったよ」
「――……俺は、俺より、ここの皆を護って欲しかった……!!」
 反駁されるのを承知で伝えた言葉に、望の双眸から涙が溢れだした。
 だがそれでもなお望の裡で滾る仇への憎悪は消えぬと識るから、ルビークは地獄と化した左腕に燈る弔いの灯をその身に纏う暁の竜に重ねた。夏の午後に暁の焔が燃え上がる。
 業も魂もすべて灰に還す焔に望は灼かれ、けれど焼き尽くされることはなく――。

●希望
 拒むよう突きだした左手から顕現した幻影竜。
 暁ごとルビークを焼き尽くさんとした炎を、全身全霊でキアラが受けとめた。
 眩い灼熱が世界を灼く様は己の翼ではドラゴンには届かないと影の中で震えて泣いた日を思わせて。けれど蒼銀にカンパニュラ咲く胸甲が炎の威を軽減してくれる。前の夏に目蓋に触れたラムネの冷たさは今も胸にある。弾ける炭酸の音、爆ぜる雷の音。
「ありがとヨハン! スゥ!」
「行ってください、ノルベルトさん!」
 癒しの電撃で賦活してくれたヨハンと瓶ラムネの動画を流してくれたテレビウムに笑みで告げ、少女は電光石火の蹴撃を望に見舞った。いこう、望。
 君もうちも、立ち止まってはいられへんから。
 このドラゴニックミラージュが、望の最後の攻撃となった。
「……最後まで全力でお相手させて頂きましょう。せめてもの、手向けとして」
 数多の縛めで殆ど自由を奪われ、もはや満身創痍となった望に対し、ルイはあくまで礼を以って振舞った。敵に尽くす礼など持ちはしない。だけど倒すべき相手ではあっても、望はルイにとって敵ではなかったから。
 ――結びし誓約の元、我が呼びかけに応えよ。
 星辰の剣に宿った青は東海の青、青龍王の輝きを燈した刃でルイが望へ雷の楔を穿てば、最後までケルベロスらしく戦い抜くと誓ったメリノが流星となって翔けた。
「託してください。貴方が、望んだものを」
「誰が! 俺は、俺の手で……っ!」
「傷つけはできても本懐は遂げられねぇって、あんたもわかってんだろ!」
 掠れた声を力の限り張り、メィメは世界で唯ひとり彼だけが揮える術を織り上げる。
 無二の夢を代償に築き上げた魔術体系。けれど本末転倒だった。おれも、あんたも。
 あんたの仇をあんたの手で絞めさせてやりたい。けれどそれは叶わぬ夢で。
 ――だから、あんたの夢は、おれがもらっていく。
 ひとのかたちで生きる獏の青年はそう紡ぎ、攫う夢の代わりに永き冬の眠りと常春の夢を贈るべく招来した夢の怪物を差し向ける。撓やかな褐色の指先に虹色を燈した藍が望の胸を捉える。
「メィメさんが夢をもらうなら、貴方の恨みは、私が持っていってあげる」
「俺の恨みは! 俺が晴らすんだよ!」
 真夏の陽射しよりも強く煌く星虹の弾丸、幾重にもそれに穿たれてなおも望が猛るように吼えるから、アウレリアは彼の激情に引きずられぬよう一瞬だけ目蓋を伏せて、詠唱を唇に乗せた。
 ――その花は、あなたを逃がさない。
 刹那、炎天下の地に燃えるような花が咲き溢れた。赤く、紅く、朱く。されど梔子の如く眩むように甘く薫る、花。だが葬送の花々に囚われてもいまだ望の激情は消えず、ならばとルビークが再び弔いの灯を燈さんとした。灼けるほどに焦がれる己が想いを、彼自身もまだ灰にできずにはいるけれど。
 果てのない想いに、終着を。
 けれど暁が燃えるより速く、
「お願いみんな、うちに……!」
 響き渡ったのは希う声。同時にキアラは地を蹴った。
 今ほど己が降魔拳士であることを意識したことはない。
 抱きつかんばかりに跳んだ。抱きしめるように引き寄せて、降魔の力を宿した右拳で彼の左胸を貫いた。熱い血潮が拳を、腕を濡らす。
 だが、それ以上に――流れ込んでくる魂が熱い。
 魂が喰らわれるのに気づいた望が大きく眼を瞠る。
 ――喰らわれた魂は降魔拳士の力になる。彼女の、『ケルベロス』の力に、なる。
 感覚でそれを察したのだろう。
「……連れていってくれ、キアラ」
 熱い吐息でそれだけ言って、望の体は世界に融けた。
 そして、彼の魂は。

 ここに誰もいなくなっても、梔子の花は咲き誇る。次の夏も、その次も、ずっと。
 花は誰のためでもなく、自ら輝くために生きるから。

 過日に死した集落のひとびとへ祈りを捧ぐ。
 けれど。彼女が彼の魂を連れていくのなら。
「望さんへの鎮魂の祈りは……いらないかな」
「必要ないだろ。おれ達はこのまま、ケルベロスとして歩いていけばいい」
 小さく笑んで藍が紡げば、自身の髪を掻き混ぜながらメィメが応えた。
 歩み続けるなら、デウスエクスと戦い続けていくのなら。
 いつかそれとは判らずとも望の仇と出逢い、それとは気づかぬままに彼の仇を討つこともあるだろう。それなら、やはり。
 ――あんたの夢を分けてもらって、俺も持っていったって、いいよな。
 途絶えていた蝉時雨が響き始めた。
 流れる夏風に梔子の花が揺れ、命の輝きを誇るように、薫る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年7月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 8/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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