●しあわせふしあわせ
この林にはねぇ、幸せな思い出を食べてくれる貘がいるんだよ。
でもねぇ、その思い出が美味しくないと物凄~く怒ってしまうから。気を付けてね。
「なんて、あなたは言ってたけれど。ふう、どっこいしょ」
恵子は大きな石に腰掛けるとバッグから水筒を取り出し――あらやだ、どっこいしょだなんて――頬を赤らめ、キンキンに冷えている麦茶で喉を潤した。
「怒らせちゃったら、どうなるのかしらねえ。天国行きかしら。でも、章さんとの思い出だから、きっと美味しい筈なのよねえ」
ねえ、と語り掛けた先はスマホの待ち受け画面。セピア色の画面にいる紋付袴姿の男性は穏やかに微笑んでおり、その隣、椅子に腰をおろしている白無垢姿の女性は、明らかに緊張していた。
「何度見ても、この時の私かちこち過ぎだわ。章さんは『何度見ても可愛い』って言ってくれたけど…………ああ、駄目ねえ。幸せだった筈なのに……こんなに、苦しい」
だから、食べてちょうだい。章さんの思い出、何もかも全部。
そう呟き、再び歩き出そうと腰を上げた恵子だが、その心臓を貫かれてしまう。だが血は溢れない。貫いた物が魔女の鍵――興味を奪うドリームイーター、第五の魔女・アウゲイアスの『鍵』だったから。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
倒れた満恵の隣に、アウゲイアスの前に新たなドリームイーターが生まれる。それは動物園で見られる、とある生き物そっくりな姿をしていた。
●ハッピー・イーター
失ったからこそ、幸せだったあの頃の輝きが苦しくなる。今回の被害者、深川・恵子が『幸せな思い出を食べる貘』の噂に強く惹かれたのはその為だ。
「苦しくてもその思い出を持ち続けるのか、手放すのか……そこは人に寄るだろうね」
ラシード・ファルカ(赫月のヘリオライダー・en0118)は、ほんの少しだけ笑みを浮かべた後、真剣な表情でドリームイーターの撃破を依頼した。今なら起こりうる被害を防ぐ事が出来る――意識を失った恵子を、助けられると。
「敵はマレーバクそっくりのドリームイーターだよ。ただしそっくりなのは見た目だけ。体高は2メートル近くある」
想像したのか、話を聞いていた花房・光(戦花・en0150)が、小さく『まあ』と呟いた。
体高だけではない。カラーリングもマレーバクの白黒ではなく、白とピンク色。ファンシーな色合いなのは『幸せ』な思い出を食べるから――なのかもしれない。
「現場は林の中。緑豊かな場所だけど、視界には困らないから安心かな。噂話をすれば向こうから現れるから、丁度良い場所を見つけてから始めるといい」
自分の、食べてほしい幸せな思い出。
どうしてこの貘は、幸せな思い出だけ食べるのか。
食べた思い出の、美味しいと美味しくないの違いは?
そんな事を話していれば貘はトコトコ歩いてくる。ちなみに、キュイキュイ鳴くらしい。
毎度お馴染みの問い掛けの後、貘は黄色や黒いモザイクを飛ばして攻撃してくる。ヒールグラビティも持っているので、しっかり対処した方がいいだろう。
「――……俺は、辛くても、ちゃんと持っていたいかな」
そう呟いたラシードが、にっこり笑って『だってさ』と続ける。
「辛いのも幸せなのも、全部俺のものだ。……君達は、どうだい?」
痛みを伴う、幸せな思い出を抱えていたとしたら。
恵子のように貘を頼るのか、他の形で傷みを和らげるのか、それとも――。
「でもまずは、深川さんの為に。そうでしょう、ファルカさん?」
「ああ。託せるのは君達だけだ。頼んだよ」
幸せ喰らう貘退治へ、いざ。
参加者 | |
---|---|
瀬戸口・灰(忘れじの・e04992) |
ルージュ・ディケイ(朽紅のルージュ・e04993) |
雨之・いちる(月白一縷・e06146) |
サイファ・クロード(零・e06460) |
鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420) |
幸・公明(廃鐵・e20260) |
アウレリア・ドレヴァンツ(瑞花・e26848) |
葵原・風流(蒼翠の四宝刀・e28315) |
●幸せについて
ケルベロス達が見つけた恵子の表情は、ひどく弱々しいものだった。そう見えたのは、彼女が意識を失っているだけではないだろう。
(「大切な人を失う苦しみも痛みもわかるの――わたしも、失くしてしまったから」)
気まぐれな風も、病の種も彼女をさらえぬよう、アウレリア・ドレヴァンツ(瑞花・e26848)は恵子にストールを掛ける。
「光、無茶、しないでね? 何かあれば大声で呼んで」
「ありがとう。約束するわ。……アウレリアさん」
姓ではなく名前を呼んで。はにかみ笑った花房・光(戦花・en0150)が恵子を背負いやすいよう、雨之・いちる(月白一縷・e06146)は手を貸した。
「光、おばあちゃんをお願いね」
「ええ。雨之さん達も、気を付けて」
2つの天色が交わり、互いにしっかりと頷き合う。
駆け付けたティアンと共に、光が恵子を安全な場所まで運んでいき、彼女が巻き込まれないよう安全を確保した後に、ケルベロス達は幸喰いの貘の噂話を紡ぎ始めた。
「ここには想い出を食べてくれる獏がいるのですって。食べて欲しいと思う想い出、みなにはあるの?」
「幸せな思い出かぁ、蓮華も……」
アウレリアがゆるり向けた問いに、鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420)は言い掛けた言葉を止める。あれは幸せって言えるのかな。ぽつり呟く胸中には、いつか見た真白な姿と悲しい思い出が浮かんでいた。
――ニャア。
すぐ隣から聞こえてそちらを見れば、翼猫・ぽかちゃんが心配そうに見つめている。蓮華が笑顔を返す中、サイファ・クロード(零・e06460)は小さく考えた。
「幸か不幸か、もうそこから歩けない! って程の強烈な思いを味わったことないんだよ……言ってみれば平常心?」
何故なら平常心は玄人の標準装備と、けらけら笑って――ああ、でも。
「そんなオレのところにも貘は来るのかな?」
だってある意味幸せな玄人だから。それに――。
(「オレはまだ何も失っていない」)
終始軽いノリを見せるサイファに、いちるはくすりと笑う。
「私は無い、かな」
大切な人達と穏やかに過ごした思い出は、ありふれた日常のものばかり。どれも大切だから食べて欲しいとは思わない。それに。
「辛い思い出は……私が戦う糧だから」
静かに聞いていた葵原・風流(蒼翠の四宝刀・e28315)は、自分にも大切な親友との思い出があると口を開いた。それは、ヴァルキュリアである彼女が『ケルベロスの力に目覚める前』の思い出で。
「ですが、その親友を手にかけた時に、辛くてもその思い出と共に生きていくと心に決めました。なので、思い出は食べさせるつもりはありません」
身を裂く想いも経験も。それらは全て強さであり誇り。
確かな言葉で語る2人を見たからか、ルージュ・ディケイ(朽紅のルージュ・e04993)は、恵子がここへやって来た理由に目を伏せた。
「幸せな思い出があるからこそ今が辛い、忘れたいなんて事があるのだろうか。もしそんな事があるなら、とてもとても悲しい事だと思う」
誰かを忘れたいほどに辛いという事は、それだけその人を愛していたのだろうとルージュは言った。だからこそ、こんなに悲しむほど大切な思い出は望んで消すべきじゃない――とも。
「幸せな思い出、かぁ。俺にはちょっとよく分らないけれど」
幸・公明(廃鐵・e20260)は、ヘリオライダーの顔と言葉を思い出し、うん、と頷く。
「獏の餌にはもったいないね」
ふわりと掴み所の無い笑みを浮かべ、また、頷いた。
手放し、食べられた思い出がもう戻らないとして、幸せの味を知るのは件の貘のみとなる訳だが。
「思い出ってのは誰かとのものでなくても良いんだろうか」
瀬戸口・灰(忘れじの・e04992)は、もしも、と皆を見る。
「凄く旨い酒を呑んだ日の思い出を食べたりしたら、貘も酔ってしまうのか……」
美味しくないと怒るという噂だ。思い出の内容が酒ならば、もしかするともしかするかもしれない。少し、見てみたい。
「此処にいるみんな、いろんな思いを抱えてるんだね」
そ、と微笑みぽつり呟いたいちるが――全員の目が、仲間達とは別方向へ動く。
●幸せの味
大きな体、白とピンクの色。恵子の興味から生まれた貘形の夢喰いは、キュイキュイ鳴きながら姿を現した。円らな目がケルベロス達を見つめ、声が響く。
ぼくは、なぁんだ。
むにむに動く口から聞こえた少年とも少女ともつかない声へ、風流は凛と返す。
「『幸せな夢を食べる獏』と言いたいところですがあなたは違いますね。食べた幸せな夢をモザイクにして吐き出している時点で別物です」
「全くもってその通りだ」
ルージュが響かせたのは同意の声と、鼓膜に轟きそうな激しい音。激しく巡るギザギザ刃で斬りつけると、貘は手足をじたばたさせてジャンプし――ポンッ、と黄色いモザイクを放った。
公明の頭上に飛んだモザイクが一気に落ちる寸前、ぽかちゃん先生が飛び込む。
「ニャッ!」
「あっ……!」
蓮華は目を開くが、ぽかちゃん先生が起こす清らかな風を見て、きりりと表情を引き締めた。すかさずぽかちゃん先生へと放ったのは、バチバチ爆ぜる癒しひとつ。
嬉しそうに尾を立て鳴く翼猫にサイファは笑い、にやりと貘を見る。耳塞いどけ、と注意した時にはもう遅い。
マンドラゴラの絶叫にのまれた貘が飛び跳ね転がる。それでもすぐにシュタッと立つが、風流はその場へ縫い止めるような流星の蹴を見舞った。
続いて駆けた電気ショック――アウレリアからの癒しで圧を増し、強大な流星となったいちるの一撃が白とピンクの体を蹴り飛ばした。
育ててくれた祖父母に誇れる自分でありたかったから、どれだけ辛く苦しく、悲しくても逃げなかった。誰にも自分と同じ思いをして欲しくないからと戦い続け、その想いを忘れぬようにと、痛みを伴う思い出は胸の奥深くへ。
「私の思い出、お前にはあげない」
何もかも全て、与えてやるものか。
続いて響いた轟音は、竜槌を勢い良く振るった灰による一撃。衝撃で右へ左へ体を傾け堪えた貘と目が合い、灰は片手を軽く上げて笑う。
「悪いが食い意地の張ったのがすぐ近くにいるんでな」
緑のリング纏った尾をぶんぶん揺らした夜朱が、その翼で癒しの風を吹かせながら胸を張っていた。何でも食べようとする夜朱と比べれば、幸せな思い出専門と贅沢ではあるが、寧ろグルメな奴だと思う。
そして灰を見つめる常盤緑の目は輝いていて――。
「……うん、期待してる目で見ても、夢は食べられないからな?」
ぺたりと倒れる耳としょんぼり目。一瞬流れた和む空気に公明はああ、と笑い、並び立つミミックへ意識を向ける。
「ハコさん、俺達も頑張りましょう」
途端、飛び出したハコがガブリと貘に噛み付いた。その勢いと貘が上げる悲鳴に公明は一瞬固まるも、スイッチを押して前に立つ仲間達の力を上昇させる。
カラフルな爆煙が流れて消える直前、合流した光の放った黒鎖が後衛の足元を駈け抜け、ティアンの起こした魔法の木の葉がぽかちゃん先生をくるくると包み込んだ。
駆け付けたのは彼女だけではない。深雪の作る狐火が貘を取り囲み、そこから更に小さな狐火が雨霰と降り注いで、重ねるように昇が見舞った稲妻纏う槍撃が貘の体を後退させる。
「実に頼もしい――な!」
ルージュは笑い、ぐるんと振った『Der Gevatter Tod』で斬り付ける。
虚纏った刃の一撃に貘がキュイイ、と鳴いた。ぶるると体を震わせ、全身から発した黒いモザイクをぽかちゃん先生目掛け放ってくる。
「っ、と……!」
寸前で庇った灰の視界に赤が映った。それはアウレリアがゆるく紡いだ呼び声に応え、咲いた禍々しい赤。1つだった色はあっという間に広がり、濃密な芳香が貘を捕らえて絡み付く。
「ヒールなら蓮華達メディックに任せて!」
「ああ!」
後ろからの声に灰は一言応え、蓮華と光の癒しが降り注ぐ中、後ろの片足をついていた貘へと一瞬で迫り、影の斬撃を見舞った。
夜朱の放った緑の輪も貘を斬り裂き、サイファは『よっ』と軽い声と同時、貘の体に触れる。内部で爆ぜた螺旋が傷を刻み、モザイクの欠片をぽろぽろ溢していった。もしあれが誰かの――自分の思い出だったら。
(「思い出は不幸も幸せも全部抱えていきたいかな。……忘れるのも、忘れられるのも怖いってだけなんだけど」)
そしてふと感じた熱は、風流が『誓い』を――過去に囚われず、今と未来を見据えて前に進む意志を溶岩へ変えたもの。
足元に生じた熱が一瞬で噴出するのは、貘からすればたまったものではないだろう。公明は、貘が甲高い声を響かせながら飛び跳ね、あちこちからモザイクを溢す姿を見て気付く。
柔和な眼差しの奥、無意識下でしっかりと捉えていたのは勝機と綻び。
「こんなものしかご馳走できないけど」
叩いて撃って焼いて、斬って貫いて焦がす。
「甘いも苦いも、幸せも、横取りじゃ本当の美味しさは知れないよ、君」
そこにハコの作り出した武器がザクザクと突き刺されば、貘が響かせる声は酷くか細いものになっていた。それを戦場に響いた咆哮がかき消す。
貘の目に映るのは姿を現した邪竜と、己の血を捧げた魔導書を手にし、じっと見つめてくるいちるの姿。
「誰の思い出も、食べさせはしないよ」
自分達のものも、恵子のものも。
終焉詠う咆哮は更に強く響き、貘の全てを喰らい尽くした。
●不幸せは、幸せへ
樹の幹にもたれている恵子は、事情を知らなければ眠っているように見える。倒れた時についた汚れは、その時出来た傷と一緒に綺麗になくなっていたからだ。
「光ちゃんがやってくれたの? ありがとう!」
「あ、いえ、そんな」
蓮華から真っ直ぐに感謝を向けられてか、光の尻尾はぱたぱたと。
それから少しして、恵子の目がゆっくりと開いた。
ぱちり、と何度か瞬きするが、状況が掴めないらしい。自分の手を包む温もりに、いちるの両手に何度か視線を向け、そしてケルベロス達を見つめる。
「ええ、と」
「大丈夫。あなたの幸せは食べられてなんかいませんよ」
公明の言葉に、恵子が『え、』と零す。その時、自分がここへ来た理由を思い出したようだ。震える瞳を見て、公明は深川さん、と改めて名を呼ぶ。
「きっと、あなたの幸せは、天国で旦那さんと『おいしかったね』って笑いあう為のものです」
「章さんと……」
「……人生の先輩にすみません」
公明は小さく頭を下げ、アウレリアも恵子の傍に座ると彼女の瞳を静かに見つめた。
「痛みも苦しさも、喜びも、その度合いも感じ方も人ぞれぞれなのだと思う、わ。わたしは……例え苦しくても、忘れたくない」
だから。
「あなたが――覚えていてあげて。誰が忘れても、旦那さまの分まで」
あなたが愛した旦那さまを。
あなたを愛した旦那さまのことを。
静かに重ねられた言葉に、恵子の瞳がどんどん潤んでいき、唇が震え始める。自分が手放そうとしていたものが、どれだけ愛おしいものなのか。悲しみの重みで沈んでいたそれを、思い出したのだろう。
「あ、ああ……わたし……」
震えていたのは唇だけではなかった。しわだらけの手に、姿にいちるは亡き祖母を重ね見て、両手で包み込む。その温もりと、何も言わず傍にいる事が恵子の心に安らぎを取り戻させたのか――震えは少し、おさまっていた。
「ねえ、これから新しい恋を探すってのはどう?」
「え?」
なんて。見上げてくる恵子にサイファは肩を竦めてみせた。
「オレごときになびかないだろ? 爺ちゃんじゃないとダメだよな」
自分もそうだ。その人じゃないと、嫌だ。だから章だけを全力で愛せる恵子もきっとそうで、だからこそ、誰よりも眩しく可愛い人に見えて仕方がない。
「……こほん。もし本当に忘れたら、爺ちゃん、拗ねちゃうんじゃないかな。覚えててあげてよ?」
「ああ……そう、そうね……章さん、拗ねるとひたすらお掃除をする人で」
名前を、思い出を口にしたからか。恵子の目から、ぽろ、と涙が零れた。
夜朱がにゃあにゃあ鳴きながら、恵子の周りを心配そうに飛び回る。そんな翼猫を、灰は定位置である自分の頭に乗せると恵子と視線を合わせた。
「幸せは1人で抱えたままよりも自慢する位でいいと思う。笑って話せる思い出は聞いた人にも幸せな思い出として残るんだ」
美味しい料理を食べた事、誰かと話した事。人それぞれの幸せに優劣もなければ味に旨い不味いもないさと笑いかける。
「幸せだった一瞬以外にも色々な事があって、その結果の思い出だ。簡単に捨ててしまえるものじゃない。……俺でも良ければ聞くからさ。幸せだった事を忘れないでくれ」
夫だった人を。
愛した人を。
その人との思い出を、全て。
ほろほろと涙を流していた恵子が、袖で涙を拭う。すん、すん、と鼻を鳴らした後、ケルベロス達を1人ずつ見つめていって――微笑んだ。
「忘れないわ。世界で1番素敵な、私の旦那様の事」
作者:東間 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年7月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 2
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