●雨降りカフェの夢
その日はしとしとと雨が降っていた。
まるで悲しみの雨のようだと感じ、青年は窓辺から外を眺める。
此処は静かな森の傍に建つ小さなカフェ。外に掲げられた傘型の看板には店名である『雨宿り』という文字が刻まれている。その名の通り、この店は雨降りカフェだ。雨を愛する主人が雨をモチーフにして建てたものであり、落ち着いた雰囲気の良い店だった。
雨の降っていない日はBGMとして雨音が流れる。
店の特徴は中央にある中庭のテラス席。庭全体を覆うような大きな雫色のパラソルが立てられた其処は本当の雨が降ってもカフェを楽しめる場所となっていた。
珈琲を愉しみ、本を読み、雨の雰囲気に浸る。それはとても素晴らしいこと。
――だが、この店は間もなく閉店する。
「今日も客は一人も来ない、か……最後の日なのにな」
扉を潜ってすぐのカウンター席の奥で店主の青年は項垂れていた。
胸裏に浮かんでいるのは後悔の念。雨が好き。それは今でも変わらないが、この店の経営はうまくいかなかった。
場所が悪いのか、コンセプトが伝わりきっていないのか、常連はいない。たまにちらほらと客が訪れてはいたが、晴れの日ならともかくわざわざ雨の日に中庭のテラス席を使う客もいなかった。
そして、雨降りカフェは今日で営業を終える運びとなった。
窓を伝ってゆく雨の雫は自分の涙のようだ。青年がそう感じた、そのときだった。胸に思い衝撃が走り、聞き慣れぬ女の声が響く。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『後悔』を奪わせてもらいましょう」
「何だ、って……?」
青年はその場に倒れ、意識を失う。
声の主である魔女ゲリュオンは彼に突き刺した魔鍵を引き抜き、店を後にした。
やがて其処に青年の『後悔』を具現化した夢喰いが現れる。店主そっくりな姿をしたそれは店内を見渡したかと思うと、にやりと口元を歪めた。
●雨宿りは森の傍で
閉店を迎える雨降りカフェにドリームイーターが現れる。
そのような未来が予知されたのだと語り、スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)は仲間を集めた。
「やあ、集まってくれたね。そうだよ、また夢喰い関連の事件らしいんだ」
スプーキーは頬を掻きながら皆に解決の協力を願う。
宜しく頼んだよ、と告げた彼はヘリオライダーから伝え聞いた情報を語っていった。
場所は小さな森の傍にあるカフェ。
静かな佇まいの店は雨をモチーフにしており、雨降り時の雨宿りを楽しんで欲しいという思いが込められた場所だった。だが、経営状況は見ての通り。
「悪くはないと思うんだけどね、現実はそうそう上手くいかないということかな」
元凶の魔女は既に姿を消しているようだが、奪われた後悔を元にして現実化したドリームイーターが店内にいる。このままでは夢喰いは店の外に飛び出して無理矢理に客を捕まえ、店内で人を殺してしまう。
被害が出る前に敵を倒したいと告げ、スプーキーは詳しい話をはじめた。
「敵は一体。件の店主の姿をしていてウェイター風の格好をしているよ」
今からすぐに店に向かえば今日最初の訪問者になれる。
そのままいきなり戦闘を仕掛けることも出来るが、この類の敵には別の対抗策もあるとスプーキーは語る。その方法とは客として心からカフェを楽しむことだ。
そうすれば夢喰いは満足して戦闘力が減少する。
そうして、スプーキーは一応の参考にとカフェのリーフレットを取り出した。
「この店のお勧めは淹れたての珈琲。それから雫型のゼリーを閉じ込めた琥珀糖だよ。後はショートケーキにサンドイッチに、喫茶らしいメニューが揃っているね」
各自で何を頼むかは自由。
おそらく敵は此方から戦いを仕掛けない限りは中庭の席にケルベロスを案内する。
あとは雨の音を聴きながら自分なりに楽しめばいい。今の季節は中庭に紫陽花が咲いているのでゆっくりと鑑賞するのも良いだろう。
そうして敵を満足させてから倒した場合、戦闘後に意識を取り戻した被害者の後悔の気持ちも薄れ、前向きに頑張ろうという気持ちになれるらしい。
どうするかは皆との相談次第だと告げ、スプーキーは薄く双眸を細めた。
「閉店するのは悲しいけれど、彼は悪い事をしたわけじゃないんだ。折角だから僕達が最後の客として雨の時間を楽しもうじゃないか。そうすれば、きっと――」
まだ若い青年店主の新たな門出を応援できる。
そう信じたいと話したスプーキーは仲間達を見渡し、行こうか、と誘った。
たとえ後悔が満ちていたとしても青年の心が奪われて良いわけではない。新たな未来を拓く為にも今こそ、ケルベロスの力が必要なときだ。
参加者 | |
---|---|
日咲・由(ベネノモルタル・e00156) |
灰木・殯(釁りの花・e00496) |
スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608) |
メルカダンテ・ステンテレッロ(茨の王・e02283) |
英・揺漓(絲游・e08789) |
エルピス・メリィメロウ(がうがう・e16084) |
レオン・ヴァーミリオン(リッパーリーパー・e19411) |
安海・藤子(道化と嗤う・e36211) |
●雨と中庭
しとしとと、疎らに響く雨音。
傘を片手に顔をあげれば、視線の先にはひっそりと佇む静かなカフェがある。
「雨ですね、今日も」
宛ら雨粒のようにぽつりとつぶやき、メルカダンテ・ステンテレッロ(茨の王・e02283)は店構えを瞳に映す。随分と洒落たカフェでコンセプトも悪くはないと感じたが、如何せんこの店は閉店が決まっている。
日本の雨は湿っぽすぎたのかとメルカダンテが首を傾げる中、エルピス・メリィメロウ(がうがう・e16084)はジャンプで水溜まりを越え、ぱしゃぱしゃと水を弾けさせながら店の扉へと駆けてゆく。
「雨降りカフェ、たくさん楽しみたいなあ。ミンナ、王様も早く行こう」
「うんうん。雨降りカフェ、なんて雰囲気のある名前~」
エルピス達に続いた日咲・由(ベネノモルタル・e00156)も歩みを進め、扉近くの窓から店内を覗き込む。そして、スプーキー・ドリズル(勿忘傘・e01608)が扉をひらいた。
同時に来客を報せるドアベルが雨音の中に響く。
「御免ください、噂の雨降りカフェは此方かな」
「見事な紫陽花と珈琲の薫りに惹かれた者ですが、席はありますでしょうか?」
スプーキーが尋ねれば、灰木・殯(釁りの花・e00496)が続けて問うた。すると其処に店の主――否、彼の姿を模したドリームイーターが振り向く。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ!」
営業スマイルを向ける夢喰い店主は中庭の席がお勧めだと微笑んだ。店内は芳しい珈琲の香りに満ちており、英・揺漓(絲游・e08789)は仄かに目を細める。
目の前に居るのは敵だが、先ずは『後悔』を拭い去らねばならない。
「珈琲ブレイクを遠慮無く、存分に楽しませて頂こう」
「折角のカフェなんだもの。楽しまないと損よね!」
揺漓の言葉に安海・藤子(道化と嗤う・e36211)が頷き、レオン・ヴァーミリオン(リッパーリーパー・e19411)も同意を示す。
レオンは偽店主を一瞥し、皆で中庭の席に行こうと誘った。
「ああ、ちょっとコーヒーと片手でつまめるものでも一つ」
序に軽い注文を告げた彼は振り続ける雨を眺める。雨脚があまり強めでは困るが、今日の雨は丁度良い塩梅だ。
ゆるりと過ごすには良いと感じ、メルカダンテとエルピスも中庭に歩を進める。
由はウイングキャットを、藤子もオルトロスのクロスを連れて席につく。どうやら偽店主は夢喰い故に細かいところは気にしていないらしい。
中庭にはやわらかな雨音が絶えず聞こえる。
スプーキーは皆がそれぞれに好きな席に座ったことを確認し、頭上に広がるパラソルを見上げた。雨粒に客人が濡れてしまわぬようにと配慮されたそれは店主の人柄を映しているかのようだ。
「……素敵なテラス席だね」
ずっと此処を訪れたいと想っていたんだ、とスプーキーが告げると偽店主は嬉しそうに笑った。もし彼が本物の主ならば更に喜んだだろう。
揺漓は一度だけ目を閉じ、そっと思う。
(「願わくば此の雨が店主にとっての慈雨でありますよう」)
先ずは自分達が最善を尽くそうと決め、仲間達は銘々にメニューを広げた。
雨降りカフェの最後の一日が善きものとなるよう願って――。
●琥珀の雫
雨の滴が紫陽花を伝い、地面に落ちる。
跳ねた雫が店の灯を幽かに反射してきらりと光った。見て、と藤子が示した先に目を細めた殯は暫し花が雨に打たれる光景を眺める。
「こうしてみると良い雰囲気ですね」
そして、メルカダンテもこれを風情というのだろうと理解した。
「まあ、……梅雨時期にはよいのかもしれませんが、少ない時期はコンセプト的に厳しいのかもしれません」
少女が思うのは、故に惜しいということ。
そう感じるのは由も同じらしく、軽く息を吐いて肩を落とす。
「店内も雰囲気あるのになあ。お姉さんなら常連になるのに勿体無いよう……」
カフェメニューも雰囲気のあるものばかりなので勿体無いと思うが、いつまでも嘆いていても仕方がない。由はメニューを広げて全部欲しいなあ、と悩み始める。
その間に注文を決めていた者達の品が運ばれてきた。
珈琲に紅茶、琥珀糖にサンドイッチ。
雫型のゼリーが閉じ込められた琥珀糖は青く透き通っており、スプーキーは皿をそっと掲げて小さな世界を見つめた。
「やあ、これは素敵なものだね。この琥珀糖も君の手作りなのかい?」
スプーキーは店主に問いかけるが、夢喰いである彼は答えない。次の品を運ぶためにテーブルの横を通って厨房裏に行ってしまった。
なるほど、と頷いたスプーキーと揺漓は敵が求めるのは客が個人や連れ同士で楽しむ姿なのだと感じる。
次の品が運ばれてくる間、揺漓は静かに目を閉じた。
雨の音と、匂い。其処に珈琲の香りが交ざったこの場所は穏やかだ。
「雨降りに傘の下で雫を頂く、見事な雨尽くし。此れは雨の日が楽しくなりそうだ」
「そうゆうのはま、嫌いじゃないからね。ちゃんと傘さえあればノスタルジックな風景を楽しむ余裕もできるってもんだしね?」
レオンは珈琲のカップを持ちあげ、薫りを楽しんでから傾ける。
こんな時間を作ってくれるなんてドリームイーターもたまにはマシなことをしてくれるらしい。そう感じたレオンは雨の軌跡を瞳に映した。
「お洒落だわ。ね、クロス」
藤子が足元のオルトロスに視線を向けると真っ直ぐな眼差しが返ってくる。
そうして、持ち込んだ本を開いた藤子は静かな時間に浸った。ゆっくりと雨音を楽しみながら、読書をして、たまに資料をまとめて息抜きにコーヒーと琥珀糖に舌鼓。
中庭に咲く綺麗な紫陽花を愛で、満喫するのは平和な時間。
エルピスは同じテーブルに座るメルカダンテが紅茶を静かに楽しんでいる姿をちらりと見る。せっかくの時間、邪魔にならないようにとエルピスはおとなしくサンドイッチを頬張った。おいしい、と思わず言葉が零れる。
「王様みてみて、雫の琥珀糖は雨粒よりもきれい!」
「美しい食べ物ですね。琥珀糖、と言うのですか」
宝石のようだとメルカダンテが感想を口にすると、エルピスはわくわくした様子で想像を巡らせた。土の中にいれたらおいしい雫の琥珀糖が沢山できるかなあ、と零れた夢のある話にメルカダンテは双眸を薄く細める。
「半分どうぞなの、王様への貢物!」
「これをわたくしに? ありがとう、エルピス。甘いな、……おいしいです」
「ふふふのふー。サンドイッチもおいしいのよ」
嬉しそうに笑いながらエルピスは犬のように尻尾をぶんぶんと揺らした。そのことに気付いたメルカダンテは、かわいらしいこと、と小さく呟く。
少女達のやりとりを見守っていた殯は、彼女達も花のようだと称した。
外に目を向ければ紫陽花。独特の花が広がる中、ゆっくりと流れる時を楽しむ。
「やはりいい場所ですね。誠、贅沢な一時かと」
メニューを運び終わり、店内に控える夢喰いへと、殯は想いの通りに伝えた。彼を通じて店主にも一片が響くことを祈り、殯は珈琲カップを傾ける。
由もこくりと頷き、テーブルに注文品を並べて撮った写真を改めて眺めた。
「雰囲気が最高だから料理も美味しいよう!」
写真とは裏腹に既に半分以上を食し終わっている由は満足気。その通りだね、と同意した揺漓も琥珀糖の甘さと珈琲のほろ苦さをじっくりと味わっていた。
「此処を知るのがもっと早ければ良かったな」
揺漓はカフェで飲む珈琲が何よりも好きだと感じている。それゆえに店主には総じて尊敬の念を抱いていた。惜しいと思う気持ちはあれど、最後の客になれたことにも不思議な感覚をおぼえる。
雨垂れのメロディを肌に纏って過ごす時がこんなに心地好いなんて。
素晴らしいね、と口にしたスプーキーはふと時計を見遣る。気付けば入店してから随分な時が流れていた。
偽店主は笑顔を浮かべており、満足したような様子が感じ取れる。心なしか纏っていたオーラも弱まっているような気もした。
そろそろ頃合いだと判断した彼は皆に視線を送る。そして、合図の言葉を紡いだ。
「ご馳走様でした」
「さて、店主さんの後悔を砕こう。次の一歩を踏み出すために」
レオンは立ち上がり、偽店主を手招きして呼ぶ。藤子やエルピス、由や殯も席を立ち、近付いてくる夢喰いを見据えた。
素敵な時間を楽しんだならば、やるべきことは後悔ごと敵を倒すだけ。
「お代の代わりに……僕達が、明日へ進む為の助けとなるよ」
未だ年若い彼の再出航の力になりたい。その未来を拓く為にも偽者は屠る。スプーキーがそう宣言した刹那、戦いが始まりを迎えた。
●後悔は消えゆく
夢喰いに一度戦いを仕掛ければ、後はいつも通りに動くのみ。
「どんな相手でも手は抜かないからねぇ。いくよう」
由はウイングキャットに呼びかけ、雷杖を大きく掲げた。雷撃が戦場となった中庭に迸る最中、翼猫は清浄なる翼を広げる。
敵が動く前に藤子も身構え、面を外して敵を見定める。そして、藤子は前衛に向けて紙兵を散布してゆく。
「さぁ、少々の邪魔など無視して暴れてこい」
凛々しい言葉を聞き、クロスが地を蹴った。咥えた刃で敵を斬り裂いた番犬に続いてメルカダンテが敵の側面に回り込む。
「行きましょう、エルピス」
「まかせて! いっぱい、どーんって頑張るのよ」
王が少女の名を呼んだ刹那、二つの力が炸裂した。片方は雪さえも退く凍気。もう片方は嘘吐き狼の威嚇。
鋭く大きな力が敵を貫く最中に殯も攻勢に出た。鋭い視線を敵に向けた殯は不敵な笑み浮かべ、敵へと手を伸ばす。
「さあ、早々に追い込んでしまいましょう」
放たれるのは離別の華。氷でできた真紅の花が迸り、敵の力を奪い取った。
夢喰いも魔法の雨を降らせて対抗するが、その攻撃の威力はどうにも弱い。カフェで楽しんだ結果が出ていると感じ、揺漓やレオンも間髪入れずに攻勢に入った。
スプーキーも先程口にした琥珀糖を思い、店主に報いようと拳を握る。
敵が降らせた魔の雨は物悲しい。
だが、それは人を傷つけるものであってはいけない。雨を好み、雨を愛した店主が居たからこそこの店が在ったのだから。
「容赦はしないよ」
そっと口にしたスプーキーは林檎飴を彷彿させる深紅の弾丸を撃ち放った。破裂した紅は血より鮮やかに夢喰いを染め上げ、固めて自由を奪う。
其処から戦いは巡り、激しい攻防が繰り広げられた。
されど敵は弱体化した身。ケルベロス達はあっという間に夢喰いを追い詰め、弱らせるに至っていた。
「店主さんのココロ、返してもらうの!」
エルピスが狼めいた動作で以て飛び掛かり、其処に合わせてメルカダンテが指先を敵に差し向ける。
「終わってしまうのは残念なこと。けれど、雨もいつかは止みます」
ゆえに、とこの戦いの終わりを思った少女王は凍結弾を解き放った。援護に回っていた由もウイングキャットと共に攻撃に移っていく。
「今日の雨はいいものだったけど、悲しいだけの雨は終わらせるよう」
由が超鋼拳を振るった次の瞬間、翼猫が放った尻尾の輪が敵を貫いた。殯と藤子は頷きを交わし、更なる一撃を入れるべく左右に回り込む。
「――其処です」
殯が放つ竜爪の一閃が敵を斬り裂き、その身を揺らがせた。クロス、とその名を藤子が呼ぶとオルトロスは神器の瞳で夢喰いを睨み付ける。
其処に生まれた隙を突いた藤子は自らの周囲に氷を呼び出し、龍の姿を与えた。
「我が言の葉に従い、この場に顕現せよ。そは静かなる冴の化身」
詠唱に応えた氷の龍は爪と牙を用いて敵を蹂躙していく。その衝撃がかなりのものだと察したレオンも止めに向けて力を紡いだ。
「さあ、笑って死んでいけ。ここが君のエンドマークだ」
地を這いずる鎖となった影が敵に襲い掛かり、相手から機動力を奪い去る。
スプーキーはその一瞬の隙を狙い、銃口を向けた。刹那の間に放たれた弾丸が敵を縫い止めるように迸り、致命傷を与えた。
今だよ、と告げた仲間の声を聞き、揺漓は真白きオーラを右拳に纏う。
――打ち砕け。
真っ直ぐに夢喰いを見据えた揺漓が渾身の一撃を繰り出した。その一戦は白き花を咲かせるが如く、後悔と一緒に敵を突き崩す。
そして、その拳が下ろされたとき。戦いは静かな終幕を迎えた。
●雨の日の過ごし方
夢喰いは消失し、中庭には雨の音だけが響く。
周囲には倒れた椅子とテーブルが散乱しており少しばかり荒れてしまっていた。だが、元のように片付けてしまえば問題は無い。
「これで万事解決ってところなのよう」
ね、と由が目配せを送るとウイングキャットは尻尾をぴんと立てた。
「ミンナでお片付けなのよ」
「ではわたくしも。琥珀糖のお礼です」
エルピスが椅子を持ちあげ、メルカダンテもテーブルの位置をなおしていく。けなげな少女達に対し、重いものは自分が持つと殯が申し出た。
雨の中、和やかに進む修復作業。その間にレオンや藤子達が眠っていた店主の様子を見にいった。
「ああ、マスターが起きたよ。怪我なんかはなかったようだ」
レオンの報告に一同は安堵を覚え、軽く状況の説明をする。納得した様子の店主は肩を落としたが、その表情はこころなしか明るかった。
「不思議と胸のつかえが取れたみたいです。その……ありがとうございました」
「お礼には及びませんよ。こちらこそ感謝をしなければ」
告げられた礼に殯は首を振り、当たり前のことをしただけだと話す。すると、レオンがふと店主に願った。
「もしよければ君の淹れたコーヒーをいただけないかな? なに、外はほら、雨だから。しばらくゆっくり雨宿りがしたいだけさ」
「あと、知り合いへのお土産として琥珀糖を頂けないかしら?」
藤子も最後の客として改めての注文を告げ、明るく微笑む。その言葉に店主の青年はもちろんだと答え、珈琲と琥珀糖の用意を始めた。
揺漓は店主の背を見つめ、今日で終わってしまう店を眺めた。
「俺はきっと忘れない。この珈琲と雨の香りを」
揺漓は刻み付けるように呟き、店内を満たす心地好い薫りを楽しんだ。
まだ雨は降り続いているが、きっと彼の心に晴れ間が覗いている。雨が降っていた方が良いのだろうかと可笑しそうに笑み、スプーキーは顔をあげた。
まだ店が閉まる時間ではない故に、暫くは此処でゆっくりできるだろう。
そして彼が実は、と話したのは雨に辛い思い出があること。
「けれどこのお店のお陰で……雨宿りが少し好きになれた気がするよ」
――本当に、ありがとう。
感謝の言の葉と共に、スプーキーは瞼を閉じた。
耳を澄ますと穏やかでやさしい雨の音が聴こえる。きっと雨はただ哀しいだけのものではない。思い出に残る雨もあるのだろう。何故だか、そう思えた。
作者:犬塚ひなこ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
|
種類:
公開:2017年6月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
|
||
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 0
|
||
あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
|
||
シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
|