盲目の恋は復讐心となりて

作者:水無月衛人

「んぅ……んぐっ……ぐっ……」
 荒い吐息と苦痛に満ちたくぐもった声が響く。
 ほの暗い部屋の中には、両腕を縛り吊され猿ぐつわを噛まされた女性の姿があった。
 その顔は酷く腫れ上がり、全身からは幾らか血も滲んでいる。
「まだ……足りないみたいね……。これだけ痛め付けても、まだ助けてもらえると思ってるんだ……?」
 絶望の表情でただ震えるだけの絵里子と呼ばれた女性に掛けられたのは、強烈な殺意の込められた抑揚のない声。
 彼女の眼前では、虚ろな眼差しの女が立っている。
 ……いや、女と表現するには少し違和感がある。身体は羽毛のようなものに覆われ、人と形容するにはいささか躊躇する容姿をしていたからだ。
「……そうだ。それじゃあ、今度はこれで……もっと痛い思い、させてあげる……」
 その獣染みた女は、引きつった笑いを浮かべながら一本の剃刀を取り出すと、それを恐怖で震える絵里子の耳元にあてがった。
「何でも思う通りになると思わないで……。貴女が……貴女がいる所為で、私は徹さんに振られたんだから……。勇気を振り絞って告白したのに、絵里子さんが好きだからって……! 貴女の所為で、私の気持ちは滅茶苦茶にされたのよ!」
 興奮して呼吸を乱した女だったが、今度は絵里子に顔を寄せて愉快そうに囁く。
「大丈夫……まずは耳からよ……。耳が終わったら、次は口を引き裂いて、それから目ね。目玉をえぐり出して……ふふっ、綺麗な絵里子さんが痛みに悶える姿、楽しみだわ……」
「んんぅっ!? んんんんんっ!」
 絵里子は必死に逃れようと身悶える。が、その抵抗も虚しく、女の手は無情にも振り下ろされた。

「加害者は下山一枝、被害者は高橋絵里子。共に都内の商社に勤めるOLです」
 ヘリオライダーのセリカ・リュミエールは、事件の当事者となる二人について説明する。
「事件の発端は、一枝さんが同僚男性に振られた事です。男性は絵里子さんに想いを寄せているために告白を断ったようで、それを理由に一枝さんは絵里子さんを逆恨み……という構図ですね。絵里子さんは男性に好意を持たれているというだけで、完全に一枝さんの自分勝手な復讐という事になります」
 色恋沙汰の末路という話にセリカはやや難しそうな顔を見せる。が、その表情はすぐに真剣なものに変わった。
「もちろん、この件は単なる痴情のもつれではありません。一枝さんがわずかに抱いた悪意に、デウスエクスが付け入った事で引き起こされる惨劇です」
 そう言うと、セリカは机の上にもう一枚紙を差し出した。そこには人型をした鳥の図が描かれている。
「敵の名前はビルシャナという鳥人間型のデウスエクスです。強い復讐心を抱いた人と契約を結んで融合し、力を与えると共にその人の恨みを増幅させて復讐を遂げさせる存在です」
 そこまで言うと、セリカは真に迫った様子で身を乗り出した。
「復讐の契約が完遂されてしまうと、一枝さんの身体と意識が乗っ取られてビルシャナが完全な状態となってしまいます。それを阻止するため、絵里子さんが殺されてしまう前に討伐をお願いします!」
「場所は郊外に放棄された廃屋です。人目に付かない場所が犯行現場である事が幸いして、現場までの移動、戦闘ともに特に障害はなさそうです」
 セリカが続けて地図を広げる。印の付けられた現場地点は細い車道が一本通っているだけで、後は荒れ地が幾らか広がっているだけのようだ。
「敵はまだ契約の完成前……ですが、戦闘能力はそれなりにあります。この個体は強力な単体攻撃である孔雀炎、複数目標を攻撃する氷系魔法の八寒氷輪、特殊な経文で単体を催眠状態に陥れるビルシャナ経文という三つの攻撃方法を駆使するようです」
 どれも遠距離攻撃である点を補足して注意を促す。
「目標は絵里子さんの救出。ビルシャナを撃破する事が作戦の目的です。苦痛と絶望を与える、というのが復讐の目的のようですから、現場を見られたからと言ってすぐに絵里子さんが殺されてしまう事はないはずですが……。追い詰めると何をするか分からないので、対応は早めにお願いします」
 そこで言葉を切ると、セリカは俯いた。
「一枝さんは……彼女自身が復讐を諦めてくれれば、助かるかもしれませんけど……。それには一枝さん自身の精神面に拠る部分が大きいので、こちらから出来る事はほとんどありません……」
 自分の言葉にセリカは幾分か悔しさを滲ませるが、すぐに顔を上げて再び向き直った。
「どちらにしても、ビルシャナを彼女の身体から追い出すには戦闘による無力化しか方法はありませんから、皆さんは戦いに集中することを優先してください」
「失恋で迷った心が殺意の刃に変わる……か。とても悲しくて、苦しい話だね。……でも、どんなに悲しくても間違った事はしちゃいけない」
 セリカからの話を聞き終えて、相沢・創介は憂いを帯びた表情で溜め息を吐いた。 
「行こう。デウスエクスに付け入られたとは言え、彼女が自分勝手な殺意を抱いてしまった事は事実だ。助けられなくても、せめてそれが間違っているって事を教えてあげなくちゃ」


参加者
アルフレッド・バークリー(殲滅領域・e00148)
神崎・修一郎(地球人の刀剣士・e01225)
桜乃宮・萌愛(オラトリオの鹵獲術士・e01359)
琴月・立花(霧裂く刃・e03244)
ジルベルタ・トゥーリオ(紫銀の騰蛇・e03599)
アリス・ドール(機械仕掛けの殴殺姫・e03710)
クリスティア・マーレイ(シャドウエルフの鎧装騎兵・e05505)
アルベルト・アリスメンディ(ソウルスクレイパー・e06154)

■リプレイ

●人知れぬ復讐の現場
 月明かりの下、木々のざわめく音だけが聞こえる人気のない街外れ。
 影を潜め、放棄されて酷く朽ちた日本家屋の前までやって来たケルベロスたちは、明かりも点いておらず一見誰もいないように静かな現場を見て息を呑んだ。
「……ふん、あんな辛気臭い所でこそこそと。的外れな復讐も然り、場所選びも然り、やり方全てにダメな性格が出てるんだよ」
「まったくッスね。そういうの、男はむしろ逃げてくだけだってのに勝手な事をしくさって……。一発くれてやんなきゃ気が済まねぇッス」
 一同が神妙な面持ちでいる中、口々に否定的な言葉をハッキリ並べたのは神崎・修一郎(地球人の刀剣士・e01225)とアリス・ドール(機械仕掛けの殴殺姫・e03710)だった。二人は今にも殴り込みを掛けんばかりの様子で、まだ見ぬ敵にいら立ちを見せている。
 一方で、クリスティア・マーレイ(シャドウエルフの鎧装騎兵・e05505)は冷静な様子を崩さず、二人をやんわりと諭した。
「同情を持ちすぎるのも良くない……とは言え、やり過ぎで絵里子さんに被害がでないようにしないとね」
 その言葉に、一同は顔を見合わせて頷き合う。
「私たちが敵の相手をするから創介ちゃんは絵里子ちゃんの救出を優先してお願いね。彼女の無事が何より優先なんだから」
「分かった。一枝さんの事はみんなに任せるよ」
 ジルベルタ・トゥーリオ(紫銀の騰蛇・e03599)から行動の最終確認を受けた創介が了解したところで、ちょうど警護用ドローンの準備を済ませたアルフレッド・バークリー(殲滅領域・e00148)が合図を出した。
「よし、それじゃあ行きましょう。人の心に付け入る邪悪な魔物を叩きのめしに」

●憎悪の亡者
「やっと……やっとこの時が来たわ……」
 廃屋の中の広い居間。大黒柱に縄で腕を括り付けられた絵里子を前に、一枝は虚ろな眼差しで彼女を見下ろしていた。
「絵里子さん。貴方を傷付けてあげられる時が来たのよ……」
 屈み込んで絵里子の顔を覗く。目を合わせた彼女は、同僚の変貌に目を見開いて恐怖していた。
「んん……んぅ……」
「泣いてもダメよ? じっくりと痛みと絶望を味わわせてあげるんだから……」
 そう言って立ち上がり、何かを準備しようと背を向ける。と、その直後に襖が勢い良く開かれた。
「誰!?」
 一枝が振り向いて侵入者の姿を確認するよりも先に、ダッシュで飛び込んだ修一郎とアリスがその脇腹に強烈な斬撃と蹴りを叩き込んだ。
「ぐあぁっ!」
 無防備な状態を狙われ、一枝はもんどりを打ちながら壁際まで大きく吹き飛んでいく。
「うくっ……だ、誰よ貴方たち! どうして、どうしてここが分かったの!?」
「その質問に答える義務はないッス。彼女を解放して、復讐なんてキッパリ諦めるッスよ」
「ふざけないで! 絵里子さんは今から地獄を見るのよ! その責任があるの!」
 一枝は叫ぶと、ポケットから剃刀を取り出して飛び掛かるように絵里子に向かう。
 しかし、その刃は絵里子には届かず、間に割って入ったアルベルト・アリスメンディ(ソウルスクレイパー・e06154)の腕をわずかに切りつけた程度で終わる。
「あー、いててて……これくらいならダメージにもならないとは言え、やっぱり痛いものは痛いなぁ」
「このっ……! 邪魔をしないで!」
「……醜いな。その取り憑かれた姿だけじゃなく、考え方も意思も醜い」
「うるさい! 殺さないと……絵里子さんを、苦しめて殺さないといけないのよ……!」
 笑いと恐怖と焦りと興奮で顔を歪ませた一枝が、ぶるぶると身体を震わせる。
「理由が間違っていれば、結果も間違うよ。絵里子さんを殺して悲しむのは誰だろう? ……それはもちろん、君の大好きな彼だよね?」
「徹さんが……?」
 クリスティアの言葉に、一枝は一瞬悲しそうな顔を見せる。が、その表情はすぐに狂気を帯びた笑みに戻っていった。
「……違うわ。確かに少しは悲しむかも知れない。けど、結果的には絵里子さんの魔性から解き放たれて幸せになるのよ。私と二人でね……!」
 ふらふらとした足取りで呪文を唱えるようにぶつぶつと言いながら、一枝は手にしていた剃刀をその場に捨てる。
 と、突然顔を上げると鬼の形相で叫んだ。
「貴方たちに邪魔なんてさせない! 私は絶対に、復讐を遂げてみせるのよ!」
 彼女の周囲から氷の輪が無数に飛び出し、彼女の周囲にいた修一郎たちを襲う。
「ちっ……!」
 修一郎は咄嗟に身を翻して回避するが、アリスとアルベルトは身を守るので精一杯だった。
「くぅっ!」
「うきゃあっ!」
 不意打ち気味の攻撃で動きの止まったケルベロスたちの隙を突き、一枝はさらに追撃を狙って氷の輪を周囲に作り始める。
 が、それが放たれるより先に、遠目から飛んできた青く光る一筋の光が彼女を捉えた。
「うああぁぁっ!?」
 一枝が大きくよろけると、その周囲に出来つつあった氷の輪は霧散していく。
「絵里子さんを恨んでも根本は何も解決しないわ。……もし、徹さんが絵里子さんとは別の女性を好きになったらどうするの? その度にその人を恨んで殺すの? ……そんな馬鹿な話ないでしょう?」
 ジルベルタが少し冷めた視線を一枝に向ける。すると、今度は言葉に詰まって困惑の表情を浮かべる一枝だったが、もう一度自身の感情を振り切るように叫んで攻撃に移った。
「違う! 違う違う! 絵里子さんが徹さんの気を迷わせただけで、今回は特別なのよ! 絵里子さんさえいなくなれば……!」
 彼女の感情に呼応するようにして、激しい炎が巻き起こる。それはやがて孔雀のように火の粉を振りまきながら、絵里子を庇うアルベルトの元へと向かっていく。
 絵里子を背後にして動けないアルベルトだったが、その彼をさらに庇ったのは琴月・立花(霧裂く刃・e03244)のビハインドだった。
 ビハインドはどこか物憂げな様子で静かに佇んだまま、炎を正面から受けて耐えきる。
「愛の悲しみを知っている私のビハインドも、あなたには否定的みたいね」
「この……!」
 一枝はさらにもう一撃を狙って炎を起こし始める。が、十分に炎が成長する前に桜乃宮・萌愛(オラトリオの鹵獲術士・e01359)が日本刀を振りかざして飛び掛かった。
「あぐっ……!」
 刀が円弧を描いて一枝の手を切り払う。
「頑固な人ね。そこまでして認める事を拒絶するなんて……!」
「うるさい! 私の邪魔ばかりして、生意気な連中め……!」
 囲まれ始めた事を嫌い、一枝は間合いを取ろうと後ずさる。その動きに修一郎が反応し、彼女との間合いを素早く詰めた。
「……そうはいかねぇんだよ」
 鋭い踏み込みから斬霊刀による突きが一枝の肩口に突き刺さる。大きく仰け反りながら壁に激突するのを見て、ジルベルタが叫んだ。
「創介ちゃん、今よ! 絵里子ちゃんを!」
 ジルベルタの合図を受けるが早いか、創介が絵里子の元へと一気に駆け寄る。
 それを一瞥して認識した一枝は、衝撃による痛みも無視して慌てて立ち上がった。
「絵里子さん! ダメよ、貴女は私に殺されなくちゃいけないんだから!」
 一枝は走り出しながら氷の輪を作り出す。と、アルフレッドの操る無数の小型無人飛行機──ドローンたちがその行く手を遮った。
「舞え、『Device-3395x』!」
 水晶のように透き通った特殊なドローンがほの暗い室内で微かに煌めきながら、一枝に纏わり付くようにしてその動きを阻害する。
「何よこれは……! 邪魔を……邪魔をしないで!」
 狂ったようにドローンを振り払おうと暴れるが、無数かつ不規則な動きを繰り返す無人機たちをなかなか捉えられない。
「絵里子さん、解放してあげるのは後になるけど我慢してね」
 一枝がDevice-3395xを相手に手を止めている間に、創介が縄を切って絵里子を柱から解放すると、そのまま抱き上げて走り出す。
「絵里子さん! 行かせないわ!」
「……それはこっちの台詞よ。その盲目にすぎる眼では、私の太刀筋は見切れないでしょう?」
 咄嗟に炎を起こし、絵里子を追いかけようとした一枝の行く手を遮ったのは立花だった。彼女は身体ごと大きく回転させて、斬霊刀の一閃で一枝の身体を切り払った。
「ああぁぁぁっ!」
 衝撃で体勢を崩し、一枝は朽ちて軋む床の上を派手に転がる。その手から放たれた炎は大きく逸れて天井に当たり、古い木造家屋を燃やし始めた。
「うぅ……」
 屋内に火の手が上がる中、うめき声を上げながら一枝が顔を上げた時には、もうその視界に絵里子の姿はなかった。
「ああ、絵里子さん……。どうして……どうして貴女ばかり助けてもらえるの?」
 しばらく涙を流し打ち震えていた一枝は、ゆっくりと立ち上がると狂気に歪んだ顔で一行を睨み回した。
「……許さない。絶対に貴方たちを許さない……!」
 その恨みの対象は、既にケルベロスたちへと移っていた。

●恋と孤独と
 徐々に火の手が回っていく中、戦いは既に大勢を決した状況になっていた。
「大勢でちょこまかとうるさいのよ! 大人しく殺されなさい……!」
 なかなか攻撃の狙いを定め切れず、一枝は痺れを切らした様子を見せる。
 彼女の身体はもう傷でボロボロだった。それでもなお殺意を弱めぬ彼女に、ケルベロスたちの方も徐々に沈痛な思いに包まれつつあった。
「いい加減、復讐とか殺すとかそんな事ばかり言ってないで少し落ち着いて! こんな事をしていたって何も残らないわ。ほんの少し自分と向き合うだけで、考えはきっと変われるんだから!」
「いつまでもうるさい小娘ね! 貴女も仲間を傷付けて、その痛みを感じるといいわ!」
 そう言うと、一枝は萌愛に向けて理解できない呪文のような言葉を発し始める。
「あれは……」
「……ネロちゃん!」
 ジルベルタが指示を出すと、ウイングキャットのネロが素早く萌愛の前へと飛び出す。
 一枝が発した経文の魔力はそのままネロを覆い、彼女の意識に入り込む。
 直後、反撃を試みようと一枝に飛び掛かる姿勢を見せたネロだったが、経文の力により彼女は無意識に庇ったはずの萌愛に向けてそのするどい爪を振り上げた。
「おっと!」
 しかし、今度はアルベルトが萌愛をその場から突き飛ばして身代わりになる。
 ネロの鋭い爪は彼の脇腹を引っ掻いたが、狙いが定まらなかった事が幸いして深手にはならずに済んだ。
「へへっ、なかなか味な真似をするじゃないか。でも、これくらいじゃ僕らを崩す事なんてできないよー」
「……気に食わない」
 と、一枝は攻撃の手を止め、呆然とした表情でぽつりとそう言った。
「気に食わないわ……。庇い合って、助け合って……貴方たちみたいな連中が、私は一番嫌いなの!」
 その怒りは誰に向けたものか。その場ですぐに攻撃を再開しない事が、全てを語っていた。
「私の事は誰も気に留めてくれないくせに、私の邪魔をする時ばかり結託して……そんなに私が嫌いなの!? どうして私だけ一人なの!?」
 自分の顔を両手で鷲掴みにしてうずくまる。
 彼女の発した言葉の意味を察したアルフレッドが一枝に言葉を掛けた。
「もしかして、あなたは孤独を埋め合わせたかっただけなのですか?」
「え……?」
 一枝が驚いた表情でアルフレッドを見る。彼は続けて、思い当たった事をそのまま口にした。
「……それは本当に徹さんを愛していると言えるのでしょうか」
 その一言の疑問に、一枝は明らかに狼狽する。
「ち、違うわ……。私は徹さんを、愛してる……。そう、愛してるのよ……」
「お願いだから、もう認めて。失敗を認め、それでも繰り返して、そして成長するのが恋でしょう? それを否定するのなら、あなたがしているのは恋なんかじゃないわ」
 萌愛がもう一度説得の言葉を投げ掛けると、今度は消え入りそうな声で否定の言葉を漏らした。
「やめて……」
 さらにクリスティアが続く。
「もう絵里子さんはここにいないんだ。復讐劇は失敗で終わったんだよ。君が次にしなけりゃいけないのは、誰かを恨み続ける事じゃないはずだよ」
「やめて! もう戻れない! 戻ってはいけないの! 殺すか殺されるか、それしか残ってないのよ!」
 その言葉を強引に否定し、傷だらけの身体でもう一度攻撃に出ようとする。
 ……が。
「愚かな女……そんなに望むなら、全てを無に還してあげるわ」
 静かにそう言い放った立花が斬霊刀で一枝の身体を薙ぎ払った。刃は彼女の身体をするりと通過し、一拍の間の後に大きな切り傷を刻み込む。
「ぎゃああぁぁぁっ!」
 二つの声が重なった悲鳴を上げて、一枝は壁にもたれて崩れ落ちる。片方の声の主は、彼女の中に潜んだビルシャナ。
 ビルシャナは不完全な融合状態にも関わらず、無理矢理に一枝の身体を動かそうとする。が、そんなものはもはやただの悪あがきに過ぎなかった。
「……殺すか殺されるか、お前が自分で選んだ道だ。最後は責任を持ってそいつを連れて行け」
 一枝の前に静かに立った修一郎が、刀を一文字に構える。
「終わりだ。一ノ太刀……紅葉!」
 炎に煌めいた切っ先が一筋の軌跡を描いた。
 直後、一枝は唸り声を止めて糸が切れたように力をなくす。同時に、彼女の身体から霧のようなものが溢れ出し、そのまま虚空へと掻き消えていった。

●認めたくない弱さが故に
 燃え盛る部屋の真ん中で横になった一枝の顔には、自嘲と共に満足そうな表情が浮かんでいた。
「さすがに目は覚めたッスか? これ食って少しでも元気出すッスよ」
 アリスに差し出されたチョコを苦笑しながら口の中で転がす。その甘さをしばらく堪能してから、一枝はゆっくりと口を開いた。
「本当はね、恨みを晴らしたいと願う前に一度考えていたの……これは自分の内面の問題だと。……でも、それを認めたら、深い穴の底に落ちてしまうような気がして……。出口の探し方を知らなかったのね……」
 そこまで言って目を伏せる。
「誰かに導いて欲しかった……何かにすがっていたかった。……でもそれは間違い、ただの甘え。頭の中で愚かな復讐を囁く声にすら、救いを求めてしまったんだもの……」
 一枝はゆっくりと視線をケルベロスたちに向けると、今度は曇りのない自然な笑みを浮かべた。
「……貴方たちには感謝してるわ。必死になって言葉を掛けてくれたのは、貴方たちだけなんだから……」
「そんな……僕たちはあなたを助けてあげられなかったのに……」
 アルフレッドが肩を落とす。と、一枝は小さく首を振った。
「十分過ぎるほど助けてもらったわ。こんな安らかな気持ちで最期を迎えられるなんて、考えてもいなかった事だもの……」
 死に際した人間の穏やかな顔に、その場にいる誰もが掛ける言葉を失う。
 雰囲気を察した一枝は、もう一度苦笑を浮かべると話を続けた。
「……それと、酷い事をしてごめんなさい。できれば絵里子さんにも謝りたかったけど……彼女にはただ、貴女を殺そうとした凶悪な女は死んだとだけ伝えておいて。悲しんでもらう権利はないし、彼女に余計なものを残したくない……から」
 少しずつ、一枝の言葉から覇気が薄れていく。その瞬間は、もう目の前だった。
「さようなら……。ほんの少しだけ……最後に良かったと思える瞬間をくれて……ありがとう……」
 最後に感謝の言葉を残して、一枝は静かに息絶えた。
 それを待っていたかのように、周囲の炎が勢いを増す。危険を察知した一同がその場から離れると、直後に一枝の亡骸は激しい炎の中に消えていった。

作者:水無月衛人 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年9月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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