輪廻の花嫁

作者:小鳥遊彩羽

「ここが、噂の廃教会……」
 深夜。目の前にある建物を見上げ、青年はぽつりと呟いた。
 廃教会、と彼が呟いた通り、外観は汚れて外壁が崩れ落ちている所もある。人がいなくなってから随分と経っているのだろう、中庭は地面が見えないほど草に覆われ、噴水の水も枯れていた。
 青年が訪れる理由となった、役目を終えたこの場所にまつわる、とある噂。それは――。
「真夜中に現れる、誓いを繰り返す骸の花嫁……か」
 確かめるように青年が操作するスマホの画面には、件の骸の花嫁について書かれた頁が映し出されている。
「誓いを交わした相手は、呪い殺されてしまう。だから花嫁は、何度も何度も誓いを繰り返す……何故、殺されるとわかっていてもその姿を一目見たいと、誓いを交わしたいと思ってしまうのか。それは……逢いたいと強く願う者の姿をしているから、か」
 青年は、教会の扉を静かに開ける。一歩足を踏み入れた彼の瞳を惹きつけたのは、教会の一番奥、祭壇の向こうに輝く蒼い花のステンドグラスだった。
 朽ちた世界にあってなお、命の息吹さえ感じられるような、煌めき。
 それに見入っていた青年の背後に、一つの影が忍び寄った。
「……っ!?」
「――私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 第五の魔女・アウゲイアスは、青年の胸を貫いた鍵を、静かに引き抜く。
 同時に倒れる青年の傍らに、ゆらりと、蒼い花のブーケを持つ骸の花嫁の姿が浮かび上がった。

●輪廻の花嫁
「六月って言やあ、ジューンブライドってやつなんだろ? だから、そういうのにこじつけて変なやつが出てこねぇかと思ってさ」
「そんなシズネのおかげで、ちょっとこわ~い花嫁さんのドリームイーターの事件を予知することが出来たんだ」
 燈・シズネ(耿々・e01386)の言葉に、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はうんうんと頷きつつ、改めてこの場に集ったケルベロス達への説明に入った。
 とある廃教会で、誓いを繰り返す骸の花嫁という噂がある。その噂に強い興味を抱き、真偽を確かめるべく訪れた一人の青年がドリームイーターに襲われ、奪われた興味から新たなドリームイーターが誕生してしまった。
 青年を助けるために、またこの新たなドリームイーターによる被害が出る前に倒してほしいというのが今回の依頼だ。
「ドリームイーターは一体のみ。レースがいっぱいのシンプルで清楚な白いウェディングドレスを着た花嫁姿の骸骨で、手には蒼い花のブーケを持っている。そこから花弁を飛ばしたり、ブーケを剣に変えて斬り掛かってきたり、あとは左の薬指の指輪が光って飛んで来たりするようだよ」
 例によってこのドリームイーターも、自分のことを信じたり噂をする者に引き寄せられる性質があるので、教会の外にある中庭で戦うのが良いだろうとトキサは続けた。
「骸の花嫁についての噂は、そうだなあ……どうしてずっとここにいるのかとか、何で誓いが呪いになってしまうのかとか、いっそ、誓いを交わしたいってストレートに言ってみるのも、効果があるかもしれないね」
 とは言え、あまり難しく考えずに色んなことを想像してみてほしいとトキサは言い添える。夢の力が強いケルベロスのことだ、花嫁を想う気持ちさえあれば、どのような言葉でも夢喰いを惹きつける力になるだろうから。
 そう締め括り、ヘリオライダーの青年は一連の説明を終えた。
「何にせよ、誓いの相手そのものにはオレ達はなれねぇけど。オレ達の力で、ちゃんとした所に送ってやりてぇよなあ」
 シズネはそう言ってにっ、と笑うと、仲間達へ信頼を込めた眼差しを向けた。


参加者
バレンタイン・バレット(ひかり・e00669)
燈・シズネ(耿々・e01386)
ベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)
ウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)
如月・環(プライドバウト・e29408)
曽我・小町(大空魔少女・e35148)

■リプレイ

 柔らかな夜の光が差し込む世界。その片隅に打ち棄てられた教会の中庭に、ケルベロス達は静かに足を踏み入れる。
「やれやれ、今度はおよめさんと戦うのかあ」
 そう呟くのは、奇しくも先日、幸せな二人を狙う夢喰いと戦ってきたばかりのバレンタイン・バレット(ひかり・e00669)だ。
 そして今度の夢喰いは、誰かを愛しく想う心を呪いに変える骸の花嫁である。
「ヒトの愛だとか、恋だとか、なぜこんなにも狙われてしまうんだろうね……」
「愛や恋とは人を動かす強い感情であるから、でしょうか。ですからきっと、ドリームイーター達も魅入ってしまうのでしょう」
 バレンタインの呟きにベルノルト・アンカー(傾灰の器・e01944)が静かに応え、そして続けた。
「語られている噂話では、花嫁は逢いたいと強く願う者の姿をしているのだとか」
 そして、その結末を知りながらも探し求めるのは――想えど逢えぬ人であるからこそ。
「逢いたい人に、望めば逢えると言うのは……とても幸福な事です」
 その時脳裏に浮かんだ誰かの姿に、ベルノルトは束の間目を伏せた。
 曽我・小町(大空魔少女・e35148)が思い描く骸の花嫁の正体は、花嫁衣装に身を包んだまま命を落とした花嫁そのもの。
「誓ってくれそうな人には良い顔して、何度も違う人と誓いを交わしちゃうなんて。……中々の性悪だと思わない?」
 悪戯っぽく微笑んで、けれど小町はこう続けた。
「……本当に誓いを交わしたい人はもう居ない、って思えば。寂しいのは分かるけど、ね」
「骸の花嫁かぁ……骸になってまで誰かを待ち続ける、とかなんスかね?」
 そう語る如月・環(プライドバウト・e29408)の頭の上では、ロシアンブルーのウイングキャット、シハンが退屈そうに丸まっている。
「俺は気長な方じゃねッスから、それだけ誰かを愛しても、ただひたすら待ち続けるだけの人生だなんて耐えきれねぇッスよ」
 小さく肩を竦めつつ、環は自身が思うことを皆の前で語る。
「逢いたいと強く願う者の姿をしているのは、いつまで経っても相手の理想の『お嫁さん』でいたいってのは、やっぱり女の子の願望なんスかね?」
 そこまで言って、環はどこか気恥ずかしそうに眉を下げて笑った。
「と言っても俺は……まだ、自分の運命の相手なんて分からないんスけどもね」
 環に続いて口を開いたのはウィリアム・シャーウッド(君の青い鳥・e17596)だ。
「誓いを繰り返す骸の花嫁、ね。初めにそんな話をしたヤツは、一体どんなことを考えてたんだろうな」
 彼女が誰を待っているにせよ、その待ち人が訪れることはない。
 何故なら、この『花嫁』は、呪い殺される側の願いの形であるからだ。ならば、
「――そりゃ永遠でも誓っちまうでしょうよ。……もっともそのくらいしねェと、『代価』にならない、のかもな?」
 ウィリアムはちらりと教会の建物へ視線をやり、腰に帯びた打刀と脇差――肌身離さず傍に置くその二振りの柄頭に手を触れさせた。
(「……俺のハニーは生きてるんで、誰の顔してるんだか見てみたかったんですけど」)
 本来の『彼女』の願いは、最早知る由もない。
「骸の花嫁……彼女の心は何を求め、想って歪んだ誓いになったんだろう、ね」
「誓いってのはよくわからねぇが、呪い殺して何度も繰り返すってのは、なんでだろなあ」
 ラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)の言葉に頷きつつ、燈・シズネ(耿々・e01386)も思う所をそのまま口にした。
「誓いというものが時を経て、呪いと変わるメカニズムは理解できるよ」
 切なる願いと、人間の情念。それらは要は紙一重なのだとアルシェール・アリストクラット(自宅貴族・e00684)は推論を重ねる。
「元の噂は、逢いたいと願う者の顔をした花嫁が現れると言う。しかし、過去がなく逢いたい人間が居ない場合には――どんな顔をして現れるのかな?」
 やはりモザイク状になるのだろうか。
 それとも、失われた記憶の奥底から何者かが現れるのか。
 それはアルシェールにとってはとても興味深いことであったのだけれど――。
「……さて、続きはモザイクの花嫁にご退場願ってから考えるとしよう」
 アルシェールは呟き、ふと視線を巡らせる。
 次の瞬間、モザイクの欠片が星のように瞬いて、闇の中に浮かび上がった白いドレスがふわりと揺れた。
「ようやっとお出ましですかい、顔無しハニー?」
 にっと口の端を釣り上げ、ウィリアムはモザイクで覆われた花嫁の顔を見る。
「風情も何もあったもんじゃねェ。ま、少年にゃホラーじゃなくて良かったかい?」
「勿論だよ。だって骸の花嫁だよ? 顔がモザイクで本当によかったって思ってるよ」
 悪戯に笑みを深めるウィリアムに、当然のことと言わんばかりにアルシェールが応じた。
「おっと、骨のおよめさんでたの? 戦わなくっちゃ!」
 おわったら人助けをして、きれいな青い花もみてみたい――と、バレンタインはその場で軽く飛び跳ね、準備運動もばっちりだ。
 純白のドレスに覆われた骸の身体。大切そうに抱かれたブーケの蒼が、悲しいほどに鮮やかな色を帯びてそこにあった。
 ベルノルトは、先程自身が紡いだ言葉を振り返りながら、骸の花嫁へと声を掛ける。
 ――逢いたい人に望めば逢えると言うのは、とても幸福な事。
「誓いを重ね続ける貴方にも――、いえ、無粋でしたね。……始めましょうか」

 花嫁の持つブーケが膨らみ、そこから無数の蒼い花弁が舞い上がる。狙いは後衛、だがそうはさせないとばかりにアルシェールと環、そして小町のウイングキャットであるグリが立ちはだかる。
「誘き出された間抜けには、地獄の番犬の顎をくれてやるよ」
 踊る花弁の隙間を縫うように踏み込んだウィリアムが、噴流に乗せて螺旋の杭を乾いた骸の身体へ穿つ。
 その隙に、アルシェールはまず士気を高めるべく色鮮やかな風で前衛陣の背を押した。次にオウガメタルの煌めく粒子を重ねる準備も出来ている。敵を確実に倒すため、能力の底上げという下準備を徹底するアルシェール。その傍らに付き従うビハインドの執事が、見えざる力で花嫁を縛り付けた。
「花嫁さん残念! 誰一人、連れて行かせやしないわよ?」
 メディックとして力を振るう小町も、傷を癒すと同時に感覚を研ぎ澄ます輝きを前衛の仲間達へ送る。続いてベルノルトが黒鎖で密に描き出した魔法陣が、強固な守りを重ねた。
「しっかりと働いてもらうぜ、相棒!」
 流れるように始まった戦いの中、霊力を帯びた紙兵を振り撒きながら呼び掛ける環への返事代わりに、ようやく動き出したシハンが翼を広げて風を生む。
「その衣装はこんなコトをするためのモノではないぜ! ――燃えろ、太陽!」
 バレンタインが愛用の銃から放ったのは太陽の欠片たる炎の魔弾。空洞の心臓を貫かれた花嫁が眩いばかりの灼熱を纏い、夜空の下で舞い踊る。
(「――どんな花よりわがままで、意地っ張りで、うつくしかった」)
 離れ離れになって久しいけれど、今でも彼の心に強く在る――おひさまのような『アイツ』のことを、バレンタインは想う。
 あの頃はまだ子供で、『アイツ』の心がわからなかった。
(「でも、もう一度逢えたなら……」)
 あの時とは違う言葉を、想いを、伝えられるだろうか。
「……逢いたい奴がいねぇわけじゃねぇんだけどなあ。まあちいとケッコンには早いな」
 脳裏に咲く面影にふと眦を緩め、シズネはモザイクがかった骸骨にしか見えない花嫁目掛け跳躍した。
 獣のそれへと変じた手足に重力を乗せて、疾く翔けたシズネが刻むのは重量のある一撃。そこに、ラウルが星の瞬きを纏わせた蹴りを重ねた。
「……っ、」
 翼猫のルネッタが翼を羽ばたかせて澄んだ風を運ぶ中、ラウルは白いドレスを纏った骸を痛ましげに見やる。
 その眼差しの揺らぎを、シズネは見逃さなかった。

「そう簡単には、やらせないッスよ!」
 閃く蒼花の剣を身体を張って受け止めた環へ癒しの力を届けるべく、小町は口を開く。
「――折角の素敵なドレスでも、あたしのお城には入れないわよ?」
 白と黒の二対の翼の翼を広げ、小町は紡ぐ。
 月に住まう――全てを拒む白き魔女の物語にして、虚無と安らぎと癒しの歌を。
 そして歌い上げられたその果てに高く聳え立つ、白銀の城。
 初手に重ねられた万全の守りと、アルシェールによる『下準備』、そして小町と環、及びサーヴァント達による手厚い癒しの甲斐あって、ケルベロス達は安定した状況の中、着実にドリームイーターを追い詰めていた。
 スナイパーゆえに、時に鮮烈な威力を伴う可能性もあったドリームイーターの火力も、ジャマーに身を置いたベルノルトによって早々に封じられ、攻撃が一巡したその次にはベルノルトは的確に空の霊力を帯びた刀を振るい、花嫁の傷口をを瞬く間に斬り広げていた。
 幾度かの攻防を経て回復の手は足りていると判断したアルシェールが、青銀の跳ね馬たる愛用の靴に炎を纏わせ激しい蹴りを放つ。
「おれも続くぜ、シェル!」
「頼んだよ、バレット君」
 呼ぶ声に応じたアルシェールが素早くその場から飛び退いた次の瞬間、まるで空から降ってきたようなバレンタインが、アルシェールと同じ炎纏う鮮烈な蹴りを叩き込んだ。
 花嫁へ終焉を与えるべく、ケルベロス達は最後の攻撃に移る。
「雷煌の輪よ、その光で我が敵を拘束しろぉッ!」
 煌き輝く雷の輪が飛び交う姿が描かれたカードを手に、環は力ある言葉を解き放つ。
 カードから放たれた光輪が花嫁を捉え、骨の身体に電流を流し込んだ直後、刀を手にベルノルトが花嫁の元へと踏み込んだ。
「そろそろお帰りの時間ですよ。もう二度と、惑わされることのないように」
 繰り出したのは血流の動線を全て断つ斬撃。
 骸の花嫁は血の代わりにモザイクを散らし、殊更に動きを鈍くする。
「……、――っ」
 純白のドレスに、重なる面影。花嫁へと銃口を向けたラウルは、引き金に添えた指を動かすことがどうしても出来なかった。
 顔を覆うモザイクの向こうに、焦がれた微笑みが映ったような気がして。
「――余所見してるヒマがあんなら、オレの背中でも見てろ!」
 夢に囚われそうになった意識に、叩きつけられた叱咤の声。
 同時に噛み付く勢いで胸倉を掴まれ、ラウルは目を瞠る。
「シズネ……」
 闇の中でも鮮やかに灯る橙色の光に、心を繋ぎ止めたラウルは口元に笑みを浮かべて。
「……仕方ねぇな、――お前の背中、守ってやるよ」
 向けられた言葉に背を託し、シズネは刀を手に骸の花嫁の元へ駆けた。
 刹那、花嫁を貫いた弾丸はまるで欠けた星を導く標のように煌いて。
「誓いの相手はいねぇけど、ちゃんと送ってやるさ」
 シズネが刀を抜き、鞘に納めるまでのほんの一瞬に閃いた太刀が無数の斬撃を伴って、夢の残滓を斬り刻む。
 ――永遠に続く『繰り返し』はここでお終い。
「……恋人が生きてて良かった、って思うべきなんだろうな」
 誰にともなく、ウィリアムは独りごちる。
 生きていなかったら。その『もしも』は考えなくても良いことだけれど、思考を巡らせずにはいられない。
 もしも彼女がこの世界のどこにもいなくて、あの骸の花嫁が彼女の姿を取って現れたら。
(「――俺はきっと、誓っただろう。……抗えずに」)
 迷いを振り払うように、ウィリアムは腰に帯びた二振りの刀を抜き、異国の言葉を口に乗せる。
「サヨナラだ、顔無しハニー」
 闇の中、ふわりと舞った光を刀に纏わせ、ウィリアムは花嫁との距離を一気に詰めると、光の刀で骸の花嫁を斬った。
 溢れる光の中で、モザイクが弾ける。
 そして、骸の花嫁は静かに、在るべき場所へと還っていった。

「シハンの目の色みたいで、綺麗だぜ」
 環が見上げる先は、蒼い花のステンドグラス。共に見つめる相棒のシハンは蒼い煌めきを瞳に宿し、そしてまた環の頭の上に収まった。
 終焉を迎えたこの場所で、誓いを交わす骸の花嫁はもういない。
 それでも、残された『蒼』は――再びその時が来るのを待ち続けているかのように、淡い光を受けてただ静かに咲いていた。
「ハローハロー、確かにこいつは綺麗だが、野宿はさすがに風邪引くぜ?」
 ウィリアムの声で意識を取り戻した青年は、事情を知り、申し訳なさそうに頭を下げた。
「吹っ切る切っ掛けは要るかもしれないけれど、でも無茶はしちゃいけないわ」
 事情がわからなくとも、彼の背を押す切っ掛けになれば。そう思って小町が告げた言葉に目を瞠る青年に、ラウルが静かに問い掛けた。
「君は……誓いを捧げてまで逢いたい人がいたの?」
 青年は暫しの逡巡の後に静かに頷き、そして、
「でも、もう逢えないんだと、やっとわかった気がします」
 そう言うと寂しげに微笑み、命を救ってくれたケルベロス達へ再び深く頭を下げた。
 朽ちて尚在り続ける蒼花の美しさに目を細めつつ、ベルノルトは仔細を尋ねることなく静かに青年へと告げる。
「……帰りの灯りをお貸ししますよ」
 ありがとうございますと答えた青年の声は、微かに震えていた。

 大きな蒼い花を前に、バレンタインは自身の心に今も咲く花を思い出す。
 故郷の森で出逢った、お日様のような小さな蒲公英。気が強く、意地悪をされたこともあったけれど、最期のその瞬間を見届けた――大切な、初恋の花。
 その小さな肩に添えられる、小さな手。
「……シェル」
「キミのことだ。故郷を、思い出していたのだろう?」
 アルシェールの声に、小さく頷くバレンタイン。
 傍らに立つ彼が、過去に想いを馳せることが出来るのが、アルシェールには少しだけ羨ましく感じられた。
 過去に縋るものも逢いたいと思える者も、何もないまま生きていくしかないというのは、そうするしかないとわかっていても、途方もないことのように思えて。
 けれども、アルシェールはただひたすらに、前へと歩み続ける。
(「……負けやしないけどもさ。僕は貴族だから」)

 蒼花の硝子に彩られた世界は、ただ静謐で清らかで。
「ねえ、シズネは永遠の誓いを交わしたい……そう思える人と出逢えたことはある?」
「オレにはそんな相手に逢った記憶はねぇけど。……ラウルには、いたのか?」
 シズネが問う声に、ラウルは静かに答える。
 宵を照らす月のように迷う自分を導いて、見守り続けてくれた人。
 叶うならば逢いたいと、懐かしげに笑む横顔。
 蒼花を見つめる薄縹が愛おしげに色づくのに何故か心を揺さぶられながら、シズネはラウルの心を引き止めるように無意識に手を伸ばした。
「オレには愛も永遠の誓いもよくわかんねぇ。けど、もうこの世界にいないだろうソイツに、……おめぇの手を離して、逢いに行かせやしない」
「――彼女から託された約束と、シズネがくれた約束があるから」
 だから、自分は今もここに、――君の傍にいるのだと。
 己を映す燈の色に、ラウルは静かに微笑んだ。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年6月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 8
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