浴衣絵師・椿山の安息

作者:林雪

●狙われた絵師
『世間は何やら騒がしいが……この隙に、我らの作戦が捗るというもの』
『仰る通りです、ミス・バタフライ』
 仮面をつけた女、ミス・バタフライが膝を折るふたりの配下を振り返る。
『では使命を与えましょう。浴衣にのみ絵を染めることを生業としている絵師がいるそうです。その絵師に接触しその仕事の技術を可能な限り習得し、その後……殺しなさい。グラビティチェインは好きにしていいわ』
 跪いていた黒い道化師姿の男が顔を上げ、口を開いた。
『承りました』
 もう一人の、猛獣使い風の姿の配下も恭しく首を垂れる。配下のふたりはよく似た背格好で、どちらも白黒の不気味な装いで統一している。
『この一件がいずれ巡りめぐって我らに覇権をもたらす……まこと、貴女さまのお力は恐ろしい』

●浴衣絵師・椿山さん
「梅雨に入ったばかりで気が早いけど、明けたら夏が来るねえ。この夏は僕も浴衣着てみたいなー」
 ヘリオライダーの安齋・光弦がそう言って軽く笑う。
「ミス・バタフライに狙われたのは、その浴衣に絵をつける絵師さんだ。八馬本・椿山さんって言って、真っ白な浴衣に、そりゃ綺麗な絵を描くんだそうだよ。見てみたいなあ」
 八馬本椿山は着物好きの間では有名な絵師である。特に有名なのは水墨画のような力強い筆致で、花や月、鳥、水などを直に描く浴衣だ。
「椿山さんてね、身長が2メートル体重120キロの、所謂巨漢なんだって。いい絵を描くにはまず筋肉! っていう思想があって、体はムキムキ。重さが5キロの鉄製の絵筆を軽やかに操って、素晴らしく繊細な水彩画風の滲みの絵付けをする名人だそうだよ」
 そのギャップもあって一部熱心な女性ファンらが騒がしかったりもするらしい。
「その椿山さんが、どうしたことかミス・バタフライの標的になってしまった。本当あいつらの狙いって読めないよ。奴らはきっと椿山さんの技術を盗んだ後、彼を殺してしまうだろう。そんなことは阻止しなけりゃ……というわけで、君たちで椿山さんに弟子入りして、敵の標的を逸らして欲しいんだ」
 敵が椿山を狙って彼の工房を訪ねてくる予知は既に出ているが、ここで椿山を事前に逃がしてしまうと予知が変わり、全く予想のつかない場所で被害が出てしまう可能性が大きい。そこで、ケルベロスが弟子として椿山の警護に当たり、あわよくば標的を自分たちに変えさせることが出来る。
「今回は事件の三日前から椿山さんに接触が出来る。事情を説明すればきっと技術を伝授して貰えるだろうけど、敵に職人だと思わせるにはかなり一生懸命修行しないとね。最低でも、見習い程度には。……もしかしたら君たちもメチャクチャ筋トレさせられたりして?」
 椿山のアトリエ兼工房は、滋賀県の山の中にある村の中にある。といっても民家が密集しているわけではなく、かなり長閑な場所である。静けさを愛し、自然に対する尊敬を常に忘れない椿山にとっては、理想的な環境だという。
「アトリエは質素な感じで、裏手には椿山さんが自ら耕してる畑とか、お風呂を沸かすための薪割り場なんかがある。戦闘で被害が出たらヒールすればいいけど、あとはもう少し山深い方へ誘き出すのも手だ。敵が君たちを職人だって思い込めば、修行だよとか言いくるめられるだろうしね。バレない為にも修行頑張ってね!」
 予知によれば敵は男二人組の螺旋忍軍。片方はモノクロで統一した不気味な道化師風の衣装、もう片方も黒いブーツに白いパンツ、黒い軍服風の上着のモノクロ猛獣使いである。
「あっちでもこっちでも螺旋忍軍が暴れてるけど、頼んだよ。無事椿山さんを守護出来たら、彼の絵技を見せて貰って来たら? もしかしたら君らの服にも絵付けしてくれるかもよ」


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
リナリア・リーヴィス(クラウンウィッチ・e01958)
ヴァーツラフ・ブルブリス(バンディートマールス・e03019)
九条・櫻子(地球人の刀剣士・e05690)
月霜・いづな(まっしぐら・e10015)
東雲・平八郎(猛者を求めし継承者・e27319)
小鳥谷・善彦(明華の烏・e28399)
レムル・ドルクルス(ドワーフの鎧装騎兵・e37058)

■リプレイ

●椿山のアトリエにて
 滋賀県の山中。静かな朝に響くのは、主である八馬本椿山氏の低い声である。
「皆で筋トレした後は、朝飯が美味いぞ。98、99、100!」
「お、終わった……!」
 ゼエゼエと息を切らすのは鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)。ケルベロスたちは『浴衣の絵付け名人』のところへ弟子入りに来ているのだが、朝はこの特別メニュー筋トレから始まる。言うまでもないが、椿山氏自身は既に日課の筋トレ2時間をみっちりとこなした後なのである。
「こ、これで、5キロの筆……持てるかな……」
 やる気スイッチオン、ということでメガネをかけたまま筋トレに挑んだリナリア・リーヴィス(クラウンウィッチ・e01958)が、腕立て伏せでガクガクする腕を摩りながらそう言うと、椿山が明るく笑った。
「5キロは俺用だ、お嬢さんにはお嬢さんにあった筆がある。一番しっくり来るのを選ぶといい」
「めざせ、まっするれでぃ! でございますね!」
「うう、体中が筋肉痛ですわ……」
 月霜・いづな(まっしぐら・e10015)と九条・櫻子(地球人の刀剣士・e05690)のふたりも筋トレに勤しんだ。昨日、椿山の元を訪れてからすぐに筋トレ、昨日の修業は結局それで終わってしまったのだ。
「筋肉痛か、そいつはいい。その痛みに逆らわず筆を動かすと自分だけの線が引ける」
「そ、そういうものですのね……わかりましたわ」
 メニュー自体はハードなのだが椿山の人柄と、何よりそこはケルベロス、黙々と筋トレをこなしていく。
「平八郎さん、重石もう一個増やすか?」
「おお、椿山殿。ありがたきお言葉。是非、お願いしましょうぞ」
 東雲・平八郎(猛者を求めし継承者・e27319)の返事を受けて、椿山がその背に乗せている重石をひとつドスリと足し、トレーニング参加のディークス・カフェインの背にも同じものを置いた。
「……あー……なんだこの既視感……」
 ヴァーツラフ・ブルブリス(バンディートマールス・e03019)が指立て伏せを止めぬまま椿山を見てそう呟くと、隣で並んで汗を流していた小鳥谷・善彦(明華の烏・e28399)が応じた。
「俺もいるんだ、ああいう知り合い。猫好きで、料理が得意で……っ」
「根の優しい野郎、かよ……覚えありすぎんぞ」
 筋肉ってすげえんじゃねえのかもしかして、と、しみじみ思わずにいられない二人であるが。
「お前さんたちも体力余ってるみたいだな?」
「………っ!」
 ドスゥドスゥ! と不意討ちで裸の上半身に重石を足され、息を詰めるヴァーツラフと善彦。
 そこへ、ひょっこり戻ってきたのはレムル・ドルクルス(ドワーフの鎧装騎兵・e37058)。椿山の元へ悪びれず歩み寄り、報告する。
「……お山、みてきた……」
「そうか、この辺りはいいだろう? 空気の色が街とは違うんだ」
 椿山は特にレムルを叱るでなし、基本的に自由なスタイルの修業であるようだ。
「汗流したら飯にしよう。沢山炊いておいたから、沢山食べてくれ」
「まあ、せんせいおてずから、ごはんを!」
 いづなが藍色の目を丸く見開いてそう言うと、椿山が慌てる。
「菜は期待しないでくれ、料理が得意なわけではないんだ」
 その様子を見た善彦が、声をかける。
「師匠、昼飯は俺手伝わせて貰うぜ。俺も一人暮らしだから何でも一通りは出来るつもりだ」
「私もお手伝いします」
「では、わたくしも」
 リナリア、櫻子もそう告げると、椿山は子供っぽく笑った。
「おお、飯を皆で作るというのも楽しそうだな!」
「……気難しさの欠片もねぇな……」
 様子を眺めていたヴァーツラフがボソリと呟く。ヒノトは妙に奮起した様子である。
「うー、なんか俺すげえ頑張るぞって気になってきた! もっかい筋トレするぜ!」
 朝食の後、椿山が仕事をする、と言いつつ野原向かったので、ケルベロスたちもその後について行く事にした。またしても肉体修業か? と身構えた一行だったが。
「好きにスケッチでもしててくれ。絵が苦手なら言葉でも、ただ見てるだけでも。なんなら昼寝してたっていいぞ」
 放任主義、と言うべきか。仕方がないので皆思い思いに、修業と思しき事を始めた。
 リナリアは得意の花の絵を色も含めて鮮やかに描き、櫻子は筋トレ中は外していたトレードマークの眼鏡を復活させ、山々や木々の木漏れ日などの風景をつぶさに観察してスケッチしていく。そう言えば、今回のチームはリナリア、櫻子、レムルと眼鏡っ娘率が高い。
 ヴァーツラフは鉛筆を走らせてかなり写実的な樹木の絵をサラサラと描いていき、平八郎も近くの清流の音など聞きつつ、趣味の書を生かし水墨画のような川と、そこに上がる勇壮な花火の絵図のイメージを膨らませていった。
 いづなは折角広い場所なので、と、動物変身でゴールデンレトリバーの子犬へ姿を変えて草原を疾走。筋トレのイメージで、健全な精神は健全な肉体へ……と思った筈だったが、途中から単に走るのが楽しくなっていった模様。
 レムルはクロッキー帳を手に、一見するとぼーっとした様子で、辺りを眺めて回っている。
 んー、とクロッキー帳の自分の絵を眺めてヒノトがため息を吐く。あまり上手くない、と自覚があるのだが、それを覗き込んだ椿山は言う。
「絵は形じゃない、線の素直さが一番。いい絵じゃないか」
「線ー?」
 言われる意味はよくわからないのだが、とにかくこのままでいいのだと背を押されてヒノトは一心不乱に鳥や花の絵を描き続ける。
 善彦は一足先に椿山宅へ戻り、片付けと昼の支度などに取り掛かる。中々変わった感じだが、嫌いな感じはしない。何より自らも和の文化を愛する身、椿山の様な職人がデウスエクスに狙われるなどという暴挙は絶対に許せない。その気持ちは、ケルベロスたち全員に共通していた。
 朝は筋トレ、昼は野外でスケッチという名の自然浴、夜は工房で道具の説明などを受け……そして、三日目の朝が過ぎる。

●奇襲作戦
「本当に手伝わなくていいのか? 足手まといにはならんつもりだが」
「万が一にも手に怪我なんかされたら、それこそ文化財産の喪失だぜ先生」
 ヒノトに真面目に言われて、椿山は肩を竦めたが、素直にケルベロスたちの指示に従った。どんなに椿山の体格が良くてもそこは普通の人間である。デウスエクスと戦えるのは、ケルベロスにしか出来ない仕事なのだ。
「じゃあ俺は離れの工房で仕事してるよ」
 元の工房に残ったのは、リナリア、善彦、平八郎、櫻子の四名。
 勿論そんな事とは知らず、二人組の螺旋忍軍は椿山の工房を訪ねてきた。どちらも白黒の不気味な雰囲気で、背格好は似ていた。道化師姿の螺旋忍が、戸口をガラリと開けた。
『失礼。椿山様の仕事場はここであろうか』
「あら、お客様ですの?」
 特に無礼を咎めだてはせず、しらりと櫻子が応じた。
『我らは椿山様の絵付け技をご伝授賜りたく参った者』
 言葉遣いは丁寧でも、全身から漲る殺気が隠せていない。今すぐに殴りつけたい気持ちを抑えて、平八郎が言った。
「師匠は急ぎの仕事が有るゆえ、教えを請いたいのであれば我らが基礎を教えよう」
「先生に教わりたいなら、まず最低限の試練を乗り越えてからじゃないとね」
 平八郎とリナリアの顔を交互に見ていた猛獣使い風の男に、横から善彦が声をかけた。
「丁度いいぜ、そろそろ風呂沸かす時間だ。山に薪取りに行くから、ついて来いよ」
「ああ、もうそんな時間ですわね」
『風呂……薪取り……?』
「侮るなよ、修業の一環じゃ。さあ、これを持てい」
 平八郎が示したのは、何故か大きな石がいっぱいに詰まった大きな籠。
『……?』
「山から預かったものは、山に返さないとだめに決まってんだろ」
「あと、筋トレも兼ねてます。先生は筋肉のない人には何も教えませんよ」
「そうですわ。まずは筋トレ。全てはそこからです」
 善彦とリナリア、櫻子に畳み掛けられ、道化師が警戒しつつも、顎で猛獣使いに合図を送った。
『おい』
『……承知』
 猛獣使いに重たい籠を背負わせ、四人は一番険しい山の道を選んであらかじめ決めておいたポイントへと向かう。敵もデウスエクス、そう簡単に疲労はしないが状況が読めずに当惑している様子である。道が山深くなってきても、四人に対し襲いかかって来る様子もない。どうやらあくまでも、椿山との接触をするまでは大人しくしていようという、任務に忠実なタイプの敵であるようだ。
「射程に、入った……」
 一方の、奇襲班のレムルが皆に小声で合図する。
「戦闘、開始……」
 各々身を隠しているヒノト、ヴァーツラフ、いづなは頷くと敵の姿を確認し、戦闘態勢に入る。木立の上ではエトとディークスも支援役として控えている。完璧な待ち伏せ、そして。
「古の龍の眠りを解き、その力を解放する」
『……?!』
「桜龍よ、我と共に全てを殲滅せよ!」
 櫻子が、ふた振りの日本刀をスラリ抜き放ち、古の竜にも似た軌跡を描く一撃を猛獣使いに食らわせる! 桜の花の飛び散るが如き、激しい剣。
『ぐおぉ!?』
「ぼーっとしてる暇はないぜ!」
 間髪入れずにヒノトが獣の拳を同じく猛獣使いの腹に叩きこむ。全員で標的を合わせてあるのだ。
「椅子、わかってるよね」
「つづら、おしごとのじかんですよ!」
 偶然にも自身のミミックに声をかけるタイミングの合ったリナリアといづなのふたり、一瞬顔を見合わせてから武器を構える。
「耐久力も試験の一環だから、このあとの攻撃にも……なんてね」
「ぎじゅつとは、ひとのたからにございます! それが、わからないひとたちには、まっするぱわーで、おしおきいたしますの!」
 リナリアの靴底が猛獣使いの顔面を踏み、いづなの御業が炎を巻き上げる。椅子とつづらも、主の意志を受けてか凶暴に襲いかかる!
『おのれケルベロスども! 謀りおった!』
 道化師が吼えるが、まだ混乱している様子である。
「おい、重そうなモンもってんな?」
 ヴァーツラフが猛獣使いの背の籠に目がけて蹴り飛ばすと、バランスを崩した敵は石をばら撒きつつ盛大にすっころぶ。
「あんたもほったらかしじゃ退屈そうだな。一緒に遊んでやるよ」
 道化師と猛獣使いの役割分担が、攻撃手と盾役だと見て取った善彦が、双方を巻き込むべく詠唱を開始した。
「人の真を映すは陰なり……あんたら『コレ』が見えるかい?」
『なッ』
 地に落ちた影が手となりまるで蛇にも似た動きで敵ふたりに絡みつく。這う這うの体でそれを振り払った猛獣使いの頭上に、レムルの静かな声が降る。
「椿山さんの……技術も、命も……」
 次の瞬間、ドガッ、と重たい踵が猛獣使いの脳天に炸裂、呻き声が上がる。着地を決め、振り返ったレムルが、抑揚のない声で、だが確実に敵への怒りを滲ませて告げる。
「……あなたたちには、あげない……」
『おのれ……おのれ職人などと、修業などと讒言で我らを陥れたな!』
「何の、これが最後。儂らを倒したら修業は終わりじゃ。もっとも……生き残ればの話じゃがな!」
 恫喝と共に、平八郎の重たい一撃がやはり猛獣使いに叩きこまれた。
 奇襲にまんまと嵌ったことで、一方的に攻撃を受ける羽目になった敵は、道化師が回復を図るも後手では既に遅く。
「筋トレの……修業の成果を見せてやるぜ!」
 ヒノトの閃光槍に盛大に貫かれ、動きの覚束なくなった猛獣使いを、いづなが平らげる。
「おおかみさま――おおかみさま、わたくしに、お力を! いざや共に参らむ、昼ひなかの天座す霜と呼ばれしや、清き宮の護り部よ。 月の姫、月の彦、しろがねの爪牙打ち鳴らせ!」
 技の反動で動きの鈍っていたヒノトはリナリアが介抱するが、被弾ダメージというよりは精神的なものだと安堵する。
 銀の獣が去った後、残された黒い道化師にヴァーツラフが至近まで踏み込んだ。
「味わいな」
 囁くような一言の後、見舞われるのは特殊徹甲弾。十二分にその威力を喰らい尽した敵に、とどめの一撃を下したのは、櫻子。
「これで、決まりですわ」
 愛刀を、抜いた時と同じ静けさで鞘へと納め、正面からの拳の一撃!
 額をバックりと割られた道化師は、声も立てずに絶命したのだった。

●夏の装い
「そうか、俺を殺すと世界の覇権がなあ?」
「まっこと、螺旋忍軍の考える事は解らんのう」
「わたくしたちにも、どういうしくみなのか、わかって、おりませんが……」
 平八郎といづなの説明に軽く頷き、椿山は豪快に笑ってみせた。
「まあ悪いが俺はそう簡単には死なん。頼もしい弟子たちも出来たしな」
 無事に椿山を守り切り、ケルベロスたちは椿山の仕事場で茶を振る舞われていた。
 しばしあってヴァーツラフが絵付けを求めると、椿山はその仕事を快諾した。
「俺の絵はどうも面白味がな……題材は任すぜ」
「根の真面目さが出ちまうんだろうな……よし、題材はお前さんそのまんまがよかろう」
 真面目だぁ? と言われたヴァーツラフ自身が訝し気に眉を止せる横で、リナリアとヒノトは『そのまんま』という言葉に引っかかったようだった。
「……似顔絵でしょうか?」
「それはちょっと……柄としちゃどうだ?」
 だが。
 巨大な硯と、噂の5キロの鉄製の筆から生み出されたのは、墨痕鮮やかな狼の猛る姿。白地の浴衣の背から躍り胸元へ、心の臓を目がけて己自身に挑んでいくような、そんなしなやかな獣の姿である。それを一瞬で描いて見せた。眇めていたヴァーツラフの目も一瞬見開かれる。
「おお、その力強い筆致……! 儂もそれを目指したいものじゃ」
「すげーな師匠……」
 思わず声を上げた平八郎と善彦。皆、初めて目にする師匠の技に、無邪気なまでに目を奪われる。ここでの生活を通じて、少々椿山の性格が伝染したかのようだ。
「……やはり、現役の技は違うな……」
 ディークスもこれには舌を巻く。
「先生! 俺にもこの花描いてくれないか」
 と、ヒノトが懐から取り出したのは。
「ほう、菖蒲か。美しくて素直な花だな」
「へへっ、友達がくれた花なんだ」
 椿山が次の作業へと移る横で、リナリアと善彦も筆を取る。もう少しだけ軽い筆を。
「私も、うちで預かってる子たちに、描いてプレゼントしてあげたい……」
「俺も仕上げにかかるか」
 そこへ、隣室から着替えを終えた櫻子が入ってくる。
「似合うかしら……?」
 自分で染めた桜の花が咲き乱れる清楚な浴衣を身に着けた櫻子の頬は、皆の注目に同じく桜色に染まる。
「まあ! まるで、ゆかたにはながさいたよう!」
「いい柄に仕上がったな、品のいい桜だ、よく似合う」
 弟子の仕事に目を細める椿山。
「……出来た……」
 満足げな呟きを洩らしたのはレムル。散歩で見てきた山の色、それをそのまま自由な筆で浴衣に染めたのだ。
 花柄、花火柄、クロッキー帳の落書きよりももっと自由に絵を染める楽しさこそが、この職人の仕事の魅力なのかも知れない。
 漲る力に支えられた、美しい夏の装い。目を細めたいづなが、祈るように言う。
「どうか、たえることなく、つがれてゆきますように」
「ゆっくりくつろいで行ってくれ。正直言うとな、ここ数日賑やかだったから、お前さんたちが全員一度にいなくなってしまうのは寂しくて敵わん。これぞ団欒、これぞ安息、だ」
 案外本音で言っているらしい椿山氏。この善良なる芸術家を守れた事を心から安堵しつつ、来る夏への期待を語り合い、和やかなひと時を過ごすケルベロスたちだった。

作者:林雪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年6月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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