五月病事件~五月末の病

作者:雨乃香

 気持ちいい五月晴れの外の様子とは裏腹にその部屋には一ヶ月近い締め切られた部屋の陰気な湿気が充満していた。
 部屋の端々に転がるお菓子の袋やペットボトル、脱ぎ捨てられたまま洗濯されることもなく放り出された衣服が山となり、今にも雪崩をうって襲いかかってきそうだ。
「あぁ、窓の外あかるいなぁ……今日もいい天気、なのかなぁ」
 部屋の住人である少女はカーテンの間から差し込む微かな日差しに目を細めるとずるずると万年床とかした布団から這い出す。
「大学いかないと……でも今日は天気がいいからやめておこう……」
 友人達がおいていってくれたお菓子を布団の中へと引きずり込み、少女はそうして今日も異常なやる気のなさに身を任せていた。

「もはや連休も懐かしい五月も終わりそうな昨今、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?」
 やや眠たげな瞳を細めつつ、ニア・シャッテン(サキュバスのヘリオライダー・en0089)はそういって集まったケルベロスたちを気だるげにみやる、見ればいつもはきちんと着こなされている服も今日はだらしなくはだけられ、どこか年不相応な不健康な色かが漂っている。
「五月も終わりだと言うのに……いえむしろ、連休後だから自然でしょうかね? ジゼル・クラウンさんをはじめたくさんのケルベロスの方が予想した通りまだまだ五月病が猛威を振るっているようです」
 あとはまぁわかりますよね? とでも言いたげにニアは首をかしげてケルベロスたちの方を見やる。
「こんかい五月病に侵されているのは大学生の女性の方のようですね、独り暮らしだと誰気兼ねなく自堕落になれますし、このまま放っておくわけにもいきませんね」
 彼女は意識はある状態で家に引きこもっているだけなので訪問すれば会うこと事態は簡単で、あとはウィッチドクターの力で敵を引きずり出すなり、あるいは付近の医療機関に属するケルベロスのウィッチドクターの力を借りるといいでしょう、とニアは端的に説明する。
「居留守を使われても踏み込むことは用意ですが、乙女の醜態を覗き見るのは趣味がいいとはいえませんし、できるだけ出てきてくれるようにがんばってあげてくださいね?」
 詳しい敵の情報についてはデータを送って起きます、とニアは告げて、ずり落ちそうなパーカーの肩を引き上げる。
「五月病も立派な病ですからね、再発を防止するためにも、彼女の心が前を向けるように気を付けてあげてくださいね? 乙女の心は傷つきやすいですから」


参加者
エヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)
月霜・いづな(まっしぐら・e10015)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
伊・捌号(行九・e18390)
ハンス・ガーディナー(禁猟区・e19979)
ティユ・キューブ(虹星・e21021)
瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)

■リプレイ


 よく晴れた五月の空は高く、遮るものの無い陽光が町を眩しく照らしている。郊外の緑多いこの辺りでは鳥の囀ずりも耳に心地いい。
 時刻は十時を少し回った頃、通勤や通学に向かう人の影も疎らで、時おり目にするのは犬の散歩や、ジョギングのために通りを歩いていく人ばかり。
「気持ちのいい晴れ模様ですね」
 ウイングキャットのフリージアを従え、通りをいく人に声をかけたハンス・ガーディナー(禁猟区・e19979)の表情は穏やかで、突如声をかけれた犬の散歩の途中の女性も、
「ええとても、この子も外に出たがって言うことを聞かなくて」
 と、朗らかに返すもの、見ればそのゴールデンレトリバーはフルフルと震え、飼い主の女性の足元に隠れるようにしながら、すぐ近くのアパートの方を見つめていた。
「君は賢い子だね」
 そんな震える犬を優しく撫でているティユ・キューブ(虹星・e21021)に気づいた女性は驚くでもなく、まるで知り合いかのように「あら、どうかされましたの?」と不思議そうに聞く。
「ケルベロスですがちょっとした討伐なので」
 疑問にそう返した瀬入・右院(夕照の騎士・e34690)の示したケルベロスカードを目にした彼女は直ぐに納得したように頷いて「お気をつけて」と頭を下げ、犬をつれて足早に去っていく。
「おつかれさまですわね」
「ご苦労様っす、他の封鎖も大体終わったっすよ」
 去っていく女性と入れ替わるようにやって来た月霜・いづな(まっしぐら・e10015)と伊・捌号(行九・e18390)の二人は封鎖に使用したテープを返しつつ、二人で捌号のチョコレートをもくもくとかじりながらふっとアパートのほうに目をやる。
 それは一見すれば何の変哲もない、街中一風景にしかすぎない。
「とりあえずは一段落、あとはまぁなるようになれ、だね」
 それに釣られるようにティユもそう呟きながら、心配そうにアパートの方をじっと見つめていた。


 件のアパートの一室のドアからは近づく前からどこか陰気な雰囲気が漏れ出していた。
 一見したところではそれといっておかしなところは無いように見えるのだが、その前に立ち尽くす三人もなにか、を感じているのか、ほんの少しだけ表情を曇らせ、顔を見合せている。
 その時三人の端末が同時に、一度だけ震えた。周囲の封鎖が終わったことを告げる仲間達からの合図に、アウレリア・ドレヴァンツ(白夜・e26848)とエヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)それに、蓮水・志苑(六出花・e14436)の三人は息を呑み、頷きあった。
 手筈通りにとまずは志苑が小さく咳払いをして、呼び鈴を鳴らし、暫くしてから口を開く。
「ごめんください」
 しかし、返る声はない。
「最近教室で見かけないと思って、心配になってきたのだけれど……」
「私も同じ講義だけど、全然見ないから心配で……大丈夫……?」
 アウレリアの心配するような声、それに続いてエヴァンジェリンも口ごもりながら辿々しく言葉を並べる。だが、部屋の主が動くような気配は感じられない。
「ノートも、もってきたの、きっと必要だろうと思って、少しでいいから顔、見せてほしい」
 すがるようなエヴァンジェリンのその言葉に、微かに部屋の中でなにかが動いたような気配がする、逸る気持ちをおさえ、彼女らはゆったりとした口調で彼女に対し言葉を重ねていく。
「貴方の好きなお菓子ももってきたのよ」
「ちょうどお昼前の小腹のすくお時間ですし一緒にどうでしょうか?」
 アウレリアと志苑がお菓子を手にそう声をかけると僅かながら、扉が開かれる。
 締め切られている部屋の中は外の明るさと対照的に暗く、電気もついていないのか、おいそれと中を覗くことはできない。
 例え電気がついていたとして、その陰気な空気の漏れ出す隙間から中を伺うことはできなかっただろう、その隙間を塞ぐ様に女性が眠たげな瞳を開いて外を覗きこんでいたからだ。
「ご、ごめんなさい……その、寝たきりで、部屋も散らかりっぱなしで、人前に出られる状況じゃない、から お菓子とノートだけ置いていって貰えると……」
 申し訳なさそうにいいつつ、わざとらしい下手な咳、家族すらも騙せそうにないその演技に対しどう反応したものか、そんなことを考えるよりも早く、アウレリアは決断を下していた。
「ごめん、ね? ……そういうわけにはいかないの」
 言葉とともに彼女はどこからともなく取り出した施術黒衣を羽織り、微かに開いたドアの隙間から手を伸ばす。
「貴方の体に巣食うその病魔を治療しないと」
 伸ばした手が反射的に閉じられた扉に挟まれながらも彼女の手を取る。
 苦悶の表情を浮かべながらもアウレリアはそのウィッチドクターにだけ許された、病気を病魔として呼び出し打ち倒す力を顕現させる。


 それは小さな少女のように見えた。ぶかぶかの寝巻き姿に、手には枕とぬいぐるみ、眠たそうに半開きの瞳を擦りながら、周囲の状況を確認するように視線をやると、大きくあくびをひとつ。その頭部から延びる渦巻く一対の角を除けば人の子供といっても誰も気づかないだろう。
「上手くいったようですね」
 もしもの時の為にもう一人のウィッチドクターとして補助に回る準備をしていたハンスが物陰から姿を現すと、それに続くように直ぐ側で待機していた他のケルベロス達も病魔を迎え撃つべく躍り出る。
「疑ってた訳じゃないんだけど、ほんとにいるんだね五月病の病魔って……人間って凄い」
「環境の変化に対する不安や、心配事からのストレス 心の免疫力が低下して体が動かなくなる、まさに心の病気です」
 ティユの微かな驚きに、志苑も同じように感じたことがあるのか、病に犯された少女を庇うように言いながら、目の前の敵を見据えた。
「それにしても、なんで羊なのかしら」
「ねるときにひつじさんのかずをかぞえるから?」
 首をかしげるアウレリアの疑問にいづながゆったりと返し、納得するアウレリア、そんな二人の雰囲気と、敵の様子も合間ってっどこか和やかな空気を醸し出されていた。
「……何にせよ、倒すだけ」
 しかし、そのまま放置しておくというわけにもいかない。エヴァンジェリンが武器を構えるのに合わせ他のケルベロス達も武器を構えた。
「いきましょうか」
 彼女の声とともにアウレリアが雷の障壁を仲間を守るように展開、それを受けてケルベロス達は一切に攻撃を仕掛ける。


 眠たげにあくびをかみ殺す少女へと向け、文字通り一番槍を突き込むエヴァンジェリンの高速の一撃。少女はその一撃を頭部の角で受け止める。とはいえ、それで威力を殺しきれるわけではない、ふらふらと頼りない足取りで地面に座りこんだ彼女に対し、志苑が刀を手に踏み込む。
 紫電を纏う切っ先は容赦なくその体を貫き、その寝巻きを切り裂き、ころころと転がった少女はその衝撃に取り落とした枕を拾い上げ、服についた汚れを払いながら、それが切り裂かれているのに気付くと、悲しげに動きを止め、それを振り払うかのごとく大きく伸びをした。
「……なんか、小さい子、苛めてるみたいな、気になってきた……」
「その気持ちはわからなくはないけど、放って置く訳にもいかないだろう?」
 エヴァンジェリンの小さな呟きを聞いていた右院は、自らも鼓舞するようにそう言いながら、歌を歌い上げる。失われた人々を悼むその歌に呼び寄せられた、病に倒れた人々の魂が目の前の病魔を倒すためにケルベロス達にその力を分け与える。
「ん……私も、なんだかあの子を見てると、やる気が……」
 戦闘に巻き込まれないようにと、女子大生を守るため移動し周囲に紙兵を振りまいていたティユもまた急に襲いくるその気持ちに抗いがたく、ボクスドラゴンのペルルはその主の変化に気付いたのだろう、力ない彼女に自分の力を分け与えるように、その体を強く抱きしめる。
「あれ……?」
 瞬間、先ほどまでの彼女を苛んでいたやる気のなさが一瞬にして吹き飛ぶ、まるで催眠をかけられていたかの様だ。
「いつの間にか敵の攻撃を受けていたようですね。なかなか侮れなさそうです。いづなさん皆さんの治療を」
「おまかせください」
 舌足らずな、やや間延びした返事。年相応なそれと裏はらに真剣な表情。
「燃しきよめ、流しそそぎ、吹きはらいたまう――阿奈清々し」
 ついで響く声は朗々と。
 穢れを祓うその祝詞は力持つ言葉により、仲間達のそぎ落とされたやる気をその心に取り戻させる。
「見た目に反してなかなか味なまねをしてくれるっすね」
 捌号は目の前でいつの間にか起きていた出来事に素直に驚きながらも、その対処にと仲間達の足元へと守護の陣を展開し、次の行動へと備えをとる。
「果たしてどれほど意味があるか、フリージア」
 ハンスもまた敵のそのいつ襲い来るともわからぬ不可視の攻撃を警戒し、ウイングキャットのフリージアに命を下し、同時に攻撃を仕掛ける。
 フリージアの放つその尾のリングはドーナッツを模したもので、それに囚われ動きを封じられているというのに、病魔の少女はどこか楽しげで、ハンスの獣化した拳による一撃を食らってころころと転がっても、その笑みを崩すことなく、ころころと笑って見せている。
「これは思ったよりも骨が折れそうだね」
 右院の言葉にケルベロス達は頷きながらその少女を再び見据える。
 例え攻撃でなくとも、どうにも遣り辛さを感じてしまうのは、仕方のないことだろう。


 時折襲い来る眠気や、やる気の減退に抗いながら、攻撃を仕掛けていくケルベロスに対し、病魔の少女はのらりくらりと攻撃をやり過ごし、アパートやその周囲の敷地の方が分かりやすく損傷を被っていく。
 そんな戦いの中にあっても、相変わらず少女はマイペースで、女子大生もティユに庇われたまま眠りこけている。
「病気に意味があるかは知らねーっすが。聖なる聖なる聖なるかな、神威の時間っすよ」
 言葉とともにステップインする捌号。
 花序にに合わせるようにボクスドラゴンのエイトが少女へとブレスを見舞う。寝返りを打つようにそれを避けた少女に対し、捌号の放った蹴りがその体へと吸い込まれる。軽い少女の体は衝撃に吹き飛ぶものと思われたが、蹴りに宿る重力の力によって少女は吹き飛ぶどころか、地へと強く叩きつけられた。
 枕を片手にべたりと地に張り付いたその体を、地を這うようなハンスの炎を纏った蹴りによる追撃が捕らえ、炎に包まれた体はごろごろと地面を転がり、少女は目を回し倒れ込む。
 まるで漫画のようなその少女の様に躊躇いを覚えつつもエヴァンジェリンは全力の一撃を見舞う。
「涙も声も、凍らせて」
 呼気に乗せた冷気は刃を冷たく研ぎ澄ませ、放たれる斬撃は獲物を狩る鳥の如く早く鋭く、少女の体を貫き、その体を凍てつかせる。
 潰され、焼かれ、凍らされ、それでもむくりと起き上がった少女は大きく緊張感のない欠伸をしてみせる。
 するとそれは機を伺っていたアウレリアに伝播しすぐさまその隣の右院にまで伝染する。
「ろくな攻撃はしてこないけど、こんなのが世の中にはびこったと思うとぞっと――」
 言葉の途中で右院は襲い来る眠気に負けて意識を落とし、小さな寝息をたて始める。三大欲求の内の一つに強烈に語りかけるこの病がもしも爆発的に流行るようなことがあれば一体どうなってしまうか。
 眠気に逆らいなんとか意識を保ちながら戦うアウレリアは囁くように請い願う。
「――星を謳うエルダル、妖精の民よ。力を、貸して」
 掌に宿る輝きが眠りこける右院の体をやさしく包み、倒れこむ彼の体をふわりと優しく地に落ろす。
 そうしてほっとしたのも束の間、急にフラりと立ち上った右院。
「遅延の棘スリサズよ、敵を捕らえよ」
 古き神を意味する文字の刻まれた石を用い、生み出した魔法の茨で少女の動きを止めたかと思えばすぐさま再び眠りにつく。
 ネトゲのボスのリポップ待ちで培った技術がこんな風に役に立つとは当人も思ってはいなかったであろう。
 相変わらずどこか緊張感の足りない戦場、だが、積み重なる攻撃に少女ももう限界なのだろう、最初ほどの余裕はなく、丸まり、枕を被って頭を抱えるようにして攻撃を耐えるので精一杯のようだ。
 一気に畳み掛けようと仕掛けるケルベロス達の攻撃はさらに苛烈さを増していく。
 それを拒絶するように少女は小さく身を丸める。
 するとその周囲を歪んだ空間が包んでいき、眠たげな少女を世界から隔絶し始め、その中心で少女は安らかな表情を浮かべ微睡む瞳を閉じようとする。
「おっと、おねむの時間じゃないよ?」
 その眠りを妨げるのは、ティユの放つ、目にも留まらぬ神速の拳。周囲の歪む空間を打ち砕かれ、少女の体はべちゃりと無防備に地に投げ出された。
「おやすみのじかんは、もうおわりにいたしましょう」
 少女に対し、いづなは言葉とともに背負っていたミミックのつづらをけしかける。
 つづらの振るうエクトプラズムで形作られた武器が少女の体を貫き、その体を地面へと縫いつけ、いづなの腕に寄り集まったオウガメタルの形作る拳が少女の体を強かに打ちつけた。
 ころころと地面を転がった少女は大の字に身を投げ出し、その姿は霞み、徐々に消えていく。
 眠りこける右院と女子大生と、ぼろぼろになったアパートの周辺だけを残して。


 被害者の女性が目覚めると、すでに辺りの修復は終わっており、目の前に広がるのは見慣れた景色と、見慣れぬケルベロス達の姿。
「目が覚めましたか?」
 志苑の言葉に、女性は頷きながらも、まだ意識がはっきりとしないのだろう、どこかぼんやりとした瞳でケルベロス達を見つめている。
「今は無理をなさらず」
 労わるような彼女の言葉に、女性は再び瞼を閉じかけ、
「あ、ああぁあー!?」
 自らの現在のだらしない、着たきりの寝巻きと、しばらくお風呂にも浸かっていない現状を思い出し、悲鳴をあげ、顔を真っ赤に染め、ケルベロス達が反応をする暇もない程の速度で部屋へと取って返し、そのままチェーンロックをかけた。
「えっとその……お部屋の片付けを手伝わせてほしいの」
「いろいろと聞きたいこともあるの、ここを開けてくれないかしら?」
「ここで負けたら同じことの繰り返しだよ」
 女性陣がそう声をかけても天岩戸はしばらく開く様子もない。
「あの様子だとしばらく時間がかかりそうですね」
「すね、扉蹴破るわけにもいかないっすし」
 右院の言葉に扉の前から離れた捌号も同意しつつ、はてどうしたものかと首を傾げる。
「私達にこの場で出来ることはないでしょう。ですから、買い物にでも行きましょうか、ちょうどお昼時です」
 ハンスの提案に二人は頷いて、三人連れたって昼時の街へと向かって歩いていく。
 何事もなかったかのような平和な街並み、そこに彼女が向かっていけるようになるのはもう少し時間が必要であろう。

作者:雨乃香 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年5月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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