夕暮れ時がゆっくり過ぎ去っていくと、茜の空は次第に藍を帯び――やがて溶け合い、得も言われぬ藤色に染まっていく。
「えっと、逢魔時……って言うんだっけ」
彼方に沈む夕陽の残り火が、最後の輝きを放つこの刻ならば、不思議なものも誘われるのではないか。そんな淡い期待を抱いた少女は、街外れの城跡へふらりと足を運んでいた。
「夜な夜な啜り泣く、姫様の亡霊……ここで待っていれば、現れるかな」
今はもう城壁の名残が微かにあるだけだが、かつて此処にはお城が聳え、それはそれは美しい姫が居たとのこと。藤姫と呼ばれたその姫は、ある時身分違いの恋に落ち――叶わぬ想いに身を焦がした末、病に倒れて亡くなったのだと言う。
「最期まで愛しいひとに会いたいと願って、死んだ後も彼を想って泣きはらし……ずっと城跡に留まっているとか。悲恋だよねえ……」
物悲しいけれど、命果ててなお相手を想い続ける乙女心に、少女はうっとりと頬を染めた。そんな訳で、城跡で姫君の亡霊を見たと言う噂を聞いた時、彼女は何としてでもひと目見たいと思ったのだ。
「何でも亡霊に見つかってしまったら、一緒に想い人を待とうと魂を奪われるなんて聞いたけど、大丈夫だよね……遠くからこっそり観察すればっ」
今も城跡に咲き続ける、見事な藤の花――同じ名を持つ姫君の亡霊が啜り泣く光景はきっと、切ないまでに妖しく美しいのだろう。ごくり、と少女が唾を呑み込んだその時、不意に背後から突き出された鍵が、彼女の心臓を貫いていた。
「……私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
黒衣を靡かせて囁く魔女もまた、この世ならざる雰囲気を湛えていて。ゆっくりと意識を失う少女の瞳に映ったのは、暮れゆく空が落ちてくるような、艶やかな滝の如き藤の花。
――そしてその横には、藤の簪と着物を纏った姫君のドリームイーターが、決して離れないと言うようにはらはらと涙を零していたのだった。
「藤の花咲く城跡に、夜な夜な啜り泣く姫……ですか」
それが今回狙われた『興味』なのだと、予知の内容を聞いた北郷・千鶴(刀花・e00564)は、秀麗な美貌をすっと引き締める。きっちりと着物を着こなした彼女の佇まいは、姫君と言うよりは武人のようで――説明を行うエリオット・ワーズワース(白翠のヘリオライダー・en0051)の背筋も、何時しかぴしっとしたものへと変化していた。
「そう……不思議な物事に興味を持ち、実際に調べようとしていた子が、ドリームイーターに襲われ『興味』を奪われてしまう」
興味を奪った、第五の魔女・アウゲイアスは既に姿を消してしまっているが――奪われた『興味』を元にして現実化したドリームイーターは、ひとびとを襲う為に動くだろう。故に、被害が出る前に撃破して欲しいのだと、エリオットは金の髪を揺らしてお辞儀する。
「これを倒すことができれば、『興味』を奪われてしまった被害者も、目を覚ましてくれるからね」
――元になった噂は、城跡に現れる姫君の亡霊だ。藤姫と呼ばれる彼女は、身分違いの恋に苦しみ病で亡くなったとされていて、今なお現世に留まり想い人に焦がれて涙を流し続けているのだとか。
「実際の話かどうかは分からないけど、城跡には綺麗な藤の花が咲いていて、もしかしたら花になぞらえて噂が生まれたのかも知れないね」
藤の花言葉は、恋に酔う。或いは、決して離れない。その言葉通り、藤姫は出会ったひとを離さないとされ――自分と一緒に想い人を待ち続けようと、魂を奪ってしまうらしい。儚げな姫君の姿をしているが、亡霊らしく足元は霞がかっているようだ。
「ドリームイーター……藤姫は、人間を見つけると『自分が何者であるか』を問いかけて、正しく対応出来なければ命を奪うみたい」
今回は『藤姫』と答えるのが正解だが、撃破が目標になる為、どう対応しても良いだろう。なお、相手が若い男性であった場合、想い人を重ねて執着してくる可能性もある。
「それと、自分のことを信じていたり噂している人が居ると、その人の方に引き寄せられる性質があるから、それを利用すれば誘き出しも可能だね」
此方から探す必要も無く、有利に戦えるのであれば色々工夫してみるのも良いだろう。道ならぬ恋や、自分の想い人について――などなど、恋に纏わる話で盛り上がるのがお薦めだろうか。
「戦いの際は、心を揺さぶったり呪詛をかけたり、じわじわと身動きを取れなくしてくるだろうから、気持ちを強く持って戦ってね」
そう言えば、と其処で千鶴は、城跡に咲く藤の花について想いを巡らせていた。陽が沈み、夜の帳が下りる頃――薄闇に浮かび上がる藤の濃淡は、さぞ見ごたえがあることだろう。
「其々が灯りを手に、城跡を巡ってみるのも良いでしょうか。姫君の噂を弔い、私たちが僅かな時でも寄り添う事で、慰めになるのであれば――」
凛とした所作で千鶴は刀を携え、悲劇を断とうと歩き出す。その後ろをウイングキャットの鈴が、しなやかな尾を揺らしてゆっくりと追いかけていった。
参加者 | |
---|---|
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069) |
ゼレフ・スティガル(雲・e00179) |
北郷・千鶴(刀花・e00564) |
吉柳・泰明(青嵐・e01433) |
ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754) |
伽羅楽・信倖(巌鷲の蒼鬼・e19015) |
デニス・ドレヴァンツ(月護・e26865) |
氷月・沙夜(白花の癒し手・e29329) |
●届かぬ想いの行方
逢魔時の空は茜と藍が混ざり合い、まるで燃え上がるような藤の色をしている。ふと視線を地上に向けてみれば、其処には見事に咲いた藤の花が、此方を手招くように揺れていた。
現と幻が重なり合う光景を見ていると、この地で囁かれる噂――悲恋の果てに亡霊となった姫君も、本当に居るのではないかと思えるほどだ。
「愛に生きた女の亡霊、ね。自身の矜持を保って生きたそいつはきっと……」
イイ女だったんだろうな、と――金の髪を無造作にかき上げるハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)の微かな呟きが、はらりと空へ舞い上がっていく。その残滓を耳にした北郷・千鶴(刀花・e00564)は、真っ直ぐに背筋を伸ばしつつも、紫黒色の瞳に静かな憂いを滲ませていた。
「最期まで想いを貫いた姿勢は、見習うべきとも思います。然れどその想いの果てがこれでは、余りにも――」
伏せられた睫毛が、彼女の相貌に哀しい翳を落とすが――それでも千鶴の姿は凛としていて、研ぎ澄まされた美しき刃を思わせる。噂はあくまで噂でしかなく、実際その正体はドリームイーターであるのだが、氷月・沙夜(白花の癒し手・e29329)は道ならぬ恋に焦がれるとはどんな気持ちなのだろうと想いを巡らせていた。
(「私は恋をした事がありませんが、姫君が辛かった事だけは理解出来ます」)
だからこのままにはしておけないと、沙夜は夢を終わらせる為に立ち上がる。一方で、己は恋愛ごとに疎いと自覚する吉柳・泰明(青嵐・e01433)もまた、弔いの一助となれるよう心身共に力を尽くすことを誓った。
「さて、それでは手分けして動くとしようか」
――其処でデニス・ドレヴァンツ(月護・e26865)のゆったりとした声が、悲哀に満ちた空気を断ち切っていく。何処か飄々とした様子の彼に頷いた一行は、其々が噂をして囮になる者と、隠れて待機する者とに分かれて行動を開始した。
「身を隠すとすれば、城壁の陰が丁度良いか」
手頃な遮蔽物を見繕っていたハンナは、城跡に残る石垣に身を滑らせ、更に特殊な気流を纏うことで気配を消していく。デニスも隠密気流を展開させつつ、素早く物陰に隠れる中――千鶴と沙夜は目立たない色の衣装を羽織り、何かあったら直ぐに飛び出せるよう、不意を打つ機会を窺うことになった。
(「……あの御方を泣かせる様な事があってはなりません」)
ウイングキャットの鈴にも羽織をかける千鶴――彼女の見つめる先には、囮に志願した泰明の姿がある。そうして互いに信を置き、尊敬する同志である彼を支えようと千鶴が誓う中、遂に囮役による誘き出しが始まった。
「死した人の思念が現世に留まるというのは、今の時代でも否定は出来んな」
と、先ず口火を切ったのは伽羅楽・信倖(巌鷲の蒼鬼・e19015)であり――幾多の戦場で死を見つめてきた彼の言葉は、奇妙な説得力を持って夕暮れの城跡に響き渡る。
「……想いが強ければ、肉体は滅びても精神は残るかもしれん」
そう静かに告げる信倖の姿は、気高くありながらも何処か陰を帯びていて。恋なぞ自分には程遠いものだが――との呟きには、泰明もそっと同意してから唇を開いた。
「だが……死して猶、想いを貫く姫君ともなれば。それ程までに想われた存在も、揺らがぬ心を抱き続ける姫君自身も、ある意味では倣わねばと思う」
多分、相手を一途に恋い慕うのは、仁義を通すことに似ているのかも知れない。そんな風に生真面目に考える泰明は、吐息をひとつ零してからしみじみと呟く。
「……一度、会ってみたいものだ」
――昼と夜のはざま、刻々と色合いを変える空はゼレフ・スティガル(雲・e00179)の透き通る髪を淡く染めて。飄々と雲のように漂う彼は今、かつての思い出と向き合うようにして、墓標の如き城跡を見つめていた。
「身を焦がす恋に灼かれて尽きた姫君か。……ねぇ景臣君、もし亡くなる前の藤姫に会えたなら、何て言葉をかければいいだろうねえ」
「亡くなる前の、ですか?」
咲き誇る藤の花に意識を傾けていた藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は、はっとした様子で眼鏡の位置を直して――藤に包まれた一軒家の面影を拭い去る。
「そうですね……もし、僕でしたら。今迄辛かったでしょう――そう、伝えるでしょうか」
遺された者の抱える辛さは、景臣もゼレフも身に染みて分かっていた。けれど、遺す側の立場は――愛する人を残して逝ってしまうと言うのは、自分たちが思っているよりもずっと辛いことなのかも知れない。そう確りと告げた景臣の横顔を見て、ゼレフは早逝した亡き妻を想う。
(「今更何も叶えてやれず、嘆きはせず只、どんな思いだったのだろう」)
――独り旅立つ側も寂しいだろうな、と。だれも連れず、愛した人と世界から手を放すしかなかったひとを想う彼の呟きが、『彼女』を呼ぶ最後の一押しになったのだろう。一陣の風と共に啜り泣く声が聞こえてきたと思ったその時、彼らの前には藤の着物を纏う亡霊――ドリームイーターが姿を現していた。
『私は、誰』
己の在り様を問う儚い声は、聴く者の心を酷く軋ませるものであったが、ゼレフはその応答を仲間たちに明け渡すと決めていたのだ。――もし、故意に誤った回答を行うことで、敵の攻撃を誘導出来るのなら。その望みを賭けて景臣が、ゆったりとした物腰で挨拶をする。
「御機嫌よう、幽霊さん。貴女を探しておりました」
「ああ、お前は藤姫の『亡霊』だ、残った思念に過ぎぬ」
そして信倖もまた、敢えて望まぬ答えを口にしつつ、お相手仕ろうと神槍を手に身構えた。望む答えを口にしなかった者たちを前に、ドリームイーターの殺気がみるみる内に膨れ上がり――其処で近くに潜伏していた仲間たちが飛び出し、藤姫の亡霊を一気に取り囲む。
「……姫君と少女の心を利用し人を襲う真似は許しません、夢喰よ」
白き翼をはためかせて羽織を脱ぎ捨てた千鶴が、藤の色彩を映した刀を手に凛然と立ち向かい――その瞳は護るべきものを見据え、強き意志を宿していた。
(「離れてはならぬ人を見失わぬよう、尽くしましょう」)
――かくして、異形との戦いは幕を開ける。
●待ち続けた、その果てに
ドリームイーターを待ち受ける間に日は陰り、辺りには薄闇が忍び寄って来ていた。しかし、念の為に灯りを持ってきた仲間たちにより光源が確保され、その光は藤の姿を幻想的に浮かび上がらせる。
(「死しても尚、恋に病むか。きみの想い人は、もう何処にも居ないのに」)
啜り泣く姫君をちらりと一瞥してから、念の為デニスは迷い込むものが現れぬよう、殺界を生み出して人払いを行った。その間にも鍛え上げられたハンナの拳が、銃弾を越える速度と破壊力を伴って、一気に藤姫へと叩きつけられる。
「胸にぽっかりと穴が開いちまってかわいそうに。お前、死んでも尚思い続けられる相手に出会えたなんて、幸せだと思うぜ」
胸元に広がるモザイクを見つめるまなざしに込められたのは、憐憫か或いは憧憬か。けれど麗しい美貌にそぐわぬ軽口を叩いたハンナは、次の瞬間に颯爽とその身を翻していた。
「……なんて。結ばれなきゃあ、本当の意味で幸せになんて、なれないか」
男前だねえ、と微笑むゼレフに彼女が不敵な笑みを返す中――沙夜とデニスは仲間たちを状態異常から護るべく、手分けして加護を与えようと動く。
「彼女の名が血で穢される前に、終わらせましょう」
星辰の剣を掲げる沙夜が、守護星座の煌めきを大地に描き出すと、デニスは黄金の果実を実らせ――その聖なる輝きで進化を加速させていった。
「――生憎、私は愛した女を間違えたりしない。きみではない」
呪詛を用いて此方の心を惑わそうとする藤姫に、デニスはそうきっぱりと告げて。彼女はもう、この世にはいない唯一の女なのだと――続く言葉は囁きとなり、それも剣戟の音に紛れて消えていく。その音色を奏でる千鶴はと言えば、緩やかな月の弧を描く斬撃を繰り出し、月光の如き太刀で標的の足取りを鈍らせていった。
(「私の居場所は戦場にある。守る者達を失っても尚、私は戦いに生きている」)
一方の信倖は、獄炎を纏う竜腕で豪快に槍を振るい、稲妻を帯びた鋭い穂先がドリームイーターを一直線に貫いていく。戦うと言うことは常に死と共に在ると言うことでもあり、自分もいつか先に逝った仲間達の元へ向かうのだろうと信じていた。
(「脅威を払うことが人を護り、幸福に繋がるのだと日々戦い続けてきたが……もし、姫の想い人が私のような輩だったら、親は許さんだろうな」)
――まぼろしのように現れた藤花の群れが、溢れんばかりに視界を埋め尽くして身動きを封じる中、信倖はそれに絡め取られぬよう只歯を食いしばる。
「自覚している、だから踏み出せないのだ」
どうやら向こうは、答を違えた者を率先して狙って来ているらしい。思惑が上手くいったことに安堵しつつ、景臣は洗練された剣術で神速の突きを見舞うが――傷つくことを厭わぬ彼の戦い方に、ゼレフは微かに舌打ちをした。
「……ごめんよ、その人は渡せない」
割って入るように突き立てられたゼレフの刃は、恋に酔う姫君の内に銀炎を生み、その身を熱く焦がしていく。しかし、只攻撃を加えた位で注意を引くことは叶わず、砕心の呪は確実に盾となる者の心を蝕んでいった。
「未だ焦がれる程の相手と、俺のような者を見間違えてはいけない」
そして自身も、違えぬようにせねば――切り結ぶ泰明は肩で大きく息を吐きながらも、刃を一閃して黒狼の影を呼び出す。雷宿す牙を鳴らし、嵐の如く駆け抜ける奔狼が亡霊の動きを封じた隙に、沙夜は手早く呪的手術を行って泰明の傷を塞いでいった。
「ああ、愛する……と言っても、娘は別だよ。あれは私の特別だからね」
そして、デニスも回復に奔走する一方で古代語魔法を紡ぎ、着々と――冷静に揺るぎなく、石化の呪を重ねていく。君に誑かされたりはしないと告げる彼は大人の余裕を窺わせ、成程、もう恋に病む年頃と言う訳ではなさそうだ。
(「特別、ですか……そう想われるものなのでしょうか」)
と、娘への溺愛っぷりを覗かせるデニスを見て、沙夜はぱちぱちと瞳を瞬きさせる。自分の両親も、過保護な位愛情を注いでくれているけど――と、其処まで考えた沙夜だったが、今は戦いに集中しようとかぶりを振った。
――幸い的確な回復を心掛けていたこともあり、敵の攻撃を凌ぎきれない事態までには陥っておらず、信倖やハンナが一気に押し切ろうと追い込みをかけているようだ。生命を食らい尽くそうと放たれる炎弾に、尾を引きながら気咬弾が続き――ハンナは調子が良いと、煙る白の闘気を揺らめかせる。
「……夢喰いが生み出した、紛い物の姫君。今はそうだとしても。もう行ってあげなよ、……待ってくれているよ、きっと」
更にゼレフが大剣を振りかざし、沈まぬ夜の炎を思わせる獄炎が藤姫を呑み込んでいった。居ないひとに、してやれる事はもう無い――けれど、その痛い位の想いも全部連れていく。
(「それが、『こちら側』の覚悟だ」)
「純粋だった筈の想いが、眼曇らす枷に、人を傷付ける悪夢となり続けぬよう……目を醒ませ」
貴殿の在るべき場所は、と続く泰明の声は劫火に掻き消されたが――刀で受け流しを試みる景臣が標的を引き付けてくれている内に、素早く地を蹴った千鶴が間合いを詰めていた。
「共に待つ事は出来ずとも、此処から送り出す事ならば、或いは」
鈴の鋭い爪がドリームイーターを斬り裂く中、千鶴は静かな構えを一転――其処から鬼すら怯む鋭い一太刀を繰り出す。
「私に出来る事は、唯それだけ――涙の日々は、終わりにしましょう」
――溢れる血の代わりに舞い散るのは、手向けの如き儚い桜花。欠けた心を埋められぬまま藤姫の亡霊は輪郭を失い、やがて咲き誇る藤に溶けるようにして消滅していった。
(「どうか、彼女が心休まる場所へと旅立てますよう」)
●藤色慕情
やがて興味を奪われ昏倒していた少女が意識を取り戻し、沙夜に介抱されてから帰っていったが――何やら、名門女学生っぽい沙夜の立ち振る舞いに瞳をきらきらさせていたようだった。
こうして城跡には静寂が戻り、藤を含め周囲に目立った被害も無い。ならば見事な藤を眺めて楽しんでいくのも良いと、皆は其々に灯りを携えてゆるりと散策を楽しむことに。そんな中、戦を終えた信倖はと言えば改めて己に問いかけていた。
(「果たして、いつ死んでもおかしく無い男と共に居ることは幸福であるのか。……悲しませる、だけではないのか」)
藤姫の最期を目にしても、その答えは未だ出ず――一方で、ハンナはひとり煙草を咥えて一服しようとして、ふとその手を止める。
「……いや、イイ女の部屋では止めておこうか」
――見上げる先には藤の花。鮮やかな紅の付いた煙草をそっと閉まって、彼女は不敵に口角を上げた。
「――なぁ、あれも19歳になったよ」
ゆるり藤を眺めながら歩くデニスは、その美しさに亡き妻を重ねて静かに言葉を掛ける。思うのは、残された大切な娘であり――彼女も恋をする年頃になったと、彼は嬉しさと少しの切なさが滲んだ貌で笑った。
――そして、沙夜はかつて仲の良かった親友たちを思い出し、彼らの恋を眺めていた自分はどうなるのだろうと自問する。両親は、自分に相応しい許嫁を用意すると言っているが、果たして――。
(「私は、その人に恋する事が出来るのでしょうか……」)
鈴や泰明と藤の下へ足を運んだ千鶴は、暫し静かに姫君へ黙祷を捧げてから、知らず呟きを漏らしていた。
「藤の花は、何時も私の心を揺らす――等と零せば、笑われましょうか」
と、其処で彼女は、未だ早い話と続けてかぶりを振ったが、佇む泰明は真剣に藤姫の行く末を考えていたらしい。
「せめて天で一緒に――等と思うのは、綺麗事なのだろう。だがそれでも、そう願わずにはいられない」
「ええ、今は姫君の安らかな眠りと、貴方様と我が君の幸とを祈るばかり――」
ひらひら散っては落ちる藤花が涙のようだと、灯りを手にゼレフと景臣は夜の藤を眺めていた。悲恋の藤姫の、今はその隣を歩くような心地。そう言ったゼレフへ景臣が微笑む。
「風に揺れる姿はまるで、僕達を歓迎している様にも見えません?」
「そうだね、独りじゃ寂しかったのかもねえ」
――藤に見惚れる景臣の脳裏にはいつしか、藤を愛した妻の姿が過ぎって。会いたい、と――叶わぬ願いを抱いた故か、彼の頬をすっと一筋の涙が伝っていった。
けれどゼレフはそれに気付かぬふりをして、せめて彼が凍えぬように、そっと背中を合わせ持つ。その傍らの温もりが酷く優しくて、景臣はただ静かに背を預けていた。
「……ふふ、とても綺麗ですね」
「うん、もしかしたら想い人も、彼女を探しているんじゃないかな」
作者:柚烏 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年5月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 6
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