深夜。老人が一人、神社へと続く道を歩いている。酔っているのだろう、その足取りは少々おぼつかない。
一本道の左右には桜が連なるように植えられている。とはいえ花はもうまばら。盛りだったのは少し前の話だ。今はただ名残のようにちらちらと薄紅色が混じるのみであろう。つられた提灯の明かりも寒々しく、道を往くのは老人だけのようであった。
けれども老人はその桜の一本一本を、確認するように歩いている。ときどき「やっぱりないな」「やっぱり噂だったのかな」と、若干寂しそうな声が漏れた。
その話を総合すると、老人は一つの噂に興味を持って、それを探しに来たらしい。
それは荒唐無稽であり、けれどもほんの少し浪漫のある噂だった。
「神社向かう桜並木の中に一本だけ、永遠に散らない、藍色の花をつける桜がある……か」
その桜を見つけた時。あなたの初恋に会えるらしい。ただし……、
「『初恋には毒がつきもの。恋は命をかけなくちゃね』ときたか。桜が襲ってきて恋する力を物理で試すとか、最近の女の子ってのはわからないな」
孫の言葉を真に受けるなんて、と、ふと立ち止まって老人は笑った。
「大体何が初恋だまだ子供のくせに。俺の目の黒いうちは初恋なんて……」
と、老人が呟きかけた時。視界の端に何かが映った。
とっさに老人は振り返る。誰かの名前を呼んで、そしてそれに自分で驚いたようだった。けれども出逢ったのはその誰かではない。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
現れたドリームイーターは、手に持っていた鍵で老人の胸を一突きする。
老人が地面へと崩れ落ちると、その傍らには藍色の花びらを持つ、それはそれは見事な桜が現れていた……。
●
「初恋、ね」
およそ初恋なんて言葉には遠そうな顔で、浅櫻・月子(オラトリオのヘリオライダー・en0036)は喉の奥で笑った。それから萩原・雪継(地球人の刀剣士・en0037)の視線に気が付いたのか、
「失敬な。わたしだって人だ。初恋の一つや二つはあるだろう」
「初恋に、二つはないと思いますな」
のたもう月子に雪継は軽く笑った。月子もそれ以上は言わずに肩をすくめて話を続ける。
「とにかく、不思議な物事につ用興味を持って、調査しようとしている人間がドリームイーターに襲われる事件が起きている」
その結果、興味は奪われ、それが具現化して怪物型のドリームイーター化してしまうらしい。
「興味を奪った張本人はすでに姿を消しているようだが、現れた怪物型のドリームイーター幅に残る。被害が出る前に、このドリームイーターを撃破してほしい」
そうすれば、この興味を奪われてしまった老人も目を覚ますだろうと、月子は言った。
「実際に現れるのは、桜の大木のようなドリームイーターだ。枝や根を蔓のようにしならせて攻撃してくる」
配下はおらず、一体のみらしいと月子は言う。
「まあ、もちろん舐めてかかってはお察しだが、それほどガチガチに挑まなくてもいいとは思う。要するに油断せず、いつも通りに行けば諸君らであれば問題ないだろう。……そうだ」
不意に、彼女は思い出したように言った。少しなぞかけをする子供のように、一度目を閉じて。それから開けて、
「このドリームイーターはね。『自分が何者であるかを問う』ような行為をするんだ。正しく対応できなければ、相手を殺してしまうらしい」
「何者……つまり桜、ですか?」
「君は本当に浪漫がないな。そんな回答正しいが見たまんまだろう。そうじゃないだろう。こういうのはもっとこう、愛と勇気と浪漫に溢れてるべきじゃないか」
思いの他の無茶振りに、雪継は瞬きをする。じゃあなんだというのですかと聞き返すと、彼女はしたり顔で言った。
「つまりは、初恋ね。あなたたちにとっての初恋をこたえるべきよ。ええ、それはもう」
「なる……ほど。そういうものですか」
「まあ、正解でも不正解でも結局倒すんだから気楽にね。答えればいいの」
なんて月子は言って、それから肩をすくめる。そしていつものように、
「……なんにせよ、夢やロマンを形にして化け物を作り出すなんて悪趣味なことだ。そういうのは、さ。形になるようで、ならないのがいいんだと思うよ」
だから、気を付けて行っておいで、と月子は言う。雪継も、微力ながらお手伝いさせてください。よろしくお願いしますと。そう言って軽く頭を下げた。
参加者 | |
---|---|
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218) |
寒島・水月(吾輩は偽善者であるが故に・e00367) |
雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749) |
アマルガム・ムーンハート(ムーンスパークル・e00993) |
和泉・紫睡(紫水晶の棘・e01413) |
ルディ・アルベルト(フリードゥルフ・e02615) |
朔望・月(欠けた月・e03199) |
柊・乙女(春泥・e03350) |
●
ひらり、ひらり。……ひら、ひらと。
舞い散る花びらは藍の色をしていた。
一枚。それを手につかんで和泉・紫睡(紫水晶の棘・e01413)は思う。なぜそれが愛らしい薄紅色ではなく、藍の色をしているのかを。
「……あぁ」
ふと、思い至ったように呟いた紫睡にアマルガム・ムーンハート(ムーンスパークル・e00993)が顔を上げる。それは簡単に見つかった。というよりは気が付けばすぐそこにいた。本当に、いつからそこにあったのか。どうしてそこにいたのか。そんなことも思う間もないくらいに唐突にさりげなく。そして当たり前のようにそれはあった。
「んー。なんていうか、これぞ初恋、って感じだよね♪ もしかしてみんなの初恋のイメージを集めたら、こんな色になるのかなぁ」
なんともお気楽に言うアマルガムだが、割とそれが確かであろう気がしている。仲間をふと見まわせば、少し陰った表情のものとどこか愉快そうに笑うものがいて、なんとなくそれも初恋そのもの、のような気がしている。
「初恋に会えるんだ? 何ともロマンチックだね。如何にも女の子が好きそうな噂だ」
ルディ・アルベルト(フリードゥルフ・e02615)もどちらかというと後者のほうだ。口笛でも吹きそうな気が類雰囲気で言ってみて、そして笑う。それはどこか、はるか昔の恋を懐かしむような声だった。
「藍桜……。恋が実ると愛になるから、かしら。散らない桜って万年桜っていうんだったかしら? なんだかとってもロマンチック」
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)も何となくそうつぶやく。
「初恋に会える……。初恋の、「人」じゃないところが、ふしぎなの」
それに寒島・水月(吾輩は偽善者であるが故に・e00367)が一つ、瞬きをした。
「なるほど確かに不思議な話だ。なぜ、そのような噂になったのか」
あるいはよほど人でないものに恋い焦がれるものが多いのだろうかと。そのどこか遠くを思うようなつぶやきに、柊・乙女(春泥・e03350) は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「まったく、悪趣味極まりない。その上野暮とくれば救いようも無い。……散らない桜なんてものは、作り話のなかにあるからこそ価値があるのだろうに」
噂は噂。叶えと願い、そして叶わぬからこそ意味があるのだと言わんばかりの口調である。朔望・月(欠けた月・e03199) はそっと胸に手を当てた。ああでもそれは、素敵な話だよ、と。胸に手を当て「今」の自分の「初恋」に思いをはせた。そんな一同の様子に、雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)は腰に手を当てる。
「いやなんだろう。なんだかとてもいたたまれないね。そりゃ、そういうお年頃だけれど……、初恋…私にはまだ早いかなー……なんて」
言ってて、なんだか妙に照れてくる。萩原・雪継(地球人の刀剣士・en0037) が穏やかに微笑んで、けれどもそれ以上。何も言わなかった。
……そんな、各々の思いに呼応するかのように桜は花弁を散らす。一面の桜吹雪は息をのむほどで、幻とわかっていてもつい飲まれてしまう。
尽きることのない思い。敵意の無い圧倒的な暴力。降り積もるその心をまるで収集するかのように桜は花弁を散らす。……そして不意に、
「――、―」
問われた。音もなく、言葉もなく。ただ誰もが問いかけられたと理解した。……曰く。我は何者であるかと。
答えは千差万別。どれをとっても同じものなどありはしない。それを桜は善しとする。
肯定しよう。ならばその願いのために、この試練を討ち果たすがよい、と……。
●
花弁が散る。藍色のそれに思わず指先で触れ、月は息をつめた。
「っ、……!」
痛い。花びら自体が刃になってしまったかのように熱を持っていた。それと同時に桜の枝がしなる。まるで鞭のように襲い掛かるそれを、
「……こっちだ!」
ルディの縛霊手が叩き落した。息をつく月を肩越しに振り返り、ルディは軽く片眼をつむって笑いかける。
「大丈夫大丈夫。気にしないで」
からりとルディは笑う。先ほどから月の戦いにキレがないことを感じていたのだ。軽く手を挙げて降るしぐさ。そして先ほどの問いの答えを、ルディは脳裏に思い浮かべた。
彼にとっての初恋は幸福だ。ささやかでありきたり。めったに見ない、けれども捨てるには惜しい古いアルバム。何度か遊んだ小さな女の子……。
「感謝しないとね、この、幸福に」
思い出し、ルディはその腕を振るう。世の中にはそうでない人間がいる。そんな人のためにルディはこの腕を振るう。……その、思い出に感謝して。
「いや、もう。なんていうか。……うん」
そんな彼に続くように、シエラは足元に絡みつく木の根を蹴り倒した。その顔がほんのり赤い。さっきまで恋愛なんて早すぎると言っていたはずなのに、彼女の脳裏に浮かんだ顔はさすがに想定外で動揺せずにはいられなかった。
「……何かの間違いじゃないか。だいたい、毎日見る顔なのに。そういうのは」
困ると。けれども、分かってたと。言うかのように、シエラは独白して微笑む。
浮かんだ顔は敵から与えられたものではない。
自分が思い浮かべたものであることに相違ない。
だから、何でと言いつつも、本当に仕方がないと彼女は言う。
「……」
月の顔色は蒼白で、そんな彼らの声など耳に入ってもいないようだった。ただ状況を見。杖を振るい。傷をいやす。意識から乖離した体は機械的に役割を果たしてくれる。それだけが幸いか。
「……大丈夫ですか?」
そっとその背を雪継が叩く。月は黙ってうなずいた。
……どうして自分は思ってしまったのか。用意していた問いと違う答えを。
かつての幼馴染の。身分違いの記憶を。踏みにじられたその最期の思いまで一緒に。
答えは出ないと、表情がないまま。声が出ないまま月は叫んだ。その顔に乙女は軽く眉根を寄せる。
仲間とはいえ友人でもないやつに親切にしてやる謂れはない。足を引っ張らなければその内面がどれだけ傷つこうと関係ない。それが彼女だ。……なのに。
「あんなものは……ただの失敗、過ちだ。ただ、それだけだ」
仔細はわからない。けれどもその顔には黙ってはいられない。恋を踏みにじられ、台無しにされるのは……、
乙女は地を蹴り、高く飛ぶ。その足に絡みつこうと木の根が伸びる。……あぁ、なんと醜いことだろう。すべてを憎み一人で生きてきた彼女を、空高く飛ぼうとする鳥を、地に縫いとめるかのように。それを拒むかのように、彼女は喚び出す御業を足に纏わせる。体にある百足の痣に意識を向ける。
「ただそれだけの……理由と結末だ」
沈めと。敵を憎むあまりに自身をも蝕む呪詛とともに乙女は根を蹴り落とす。それは桜に絡みつき動きを阻害していく。
忘れてしまえと、言うは容易い。けれども忘れてしまえという他はない。……我ながら甘いと、そんな言葉でもかけずにはおられなかった自分に、内心苦笑しながら。
「柊先生……」
そんな彼女を、どこかまぶしそうな目で水月は見つめた。それから思いを振り切るように、軽く首を横に振る。
「間違いでも、苦しみでも……それは、間違いではないはずだ。その思いの多くは、たとえ許されるものではなかったとはいえ、本物だったと思う」
彼女の初恋はどんなものだったのか。思い描くのは水月と乙女がが密やかに交際をしているからだろう。この恋の行方はまだだれにもわからない。
彼自身の初恋の記憶は、遠く。
許されざるドリームイーターとの恋であり、その恋の決着はすでについていた。
そしてそれは、間違いではなかったと胸を張って言えるものだった。
……だから。
「――とっておきだッ!!」
今、目の前のこの恋に。轟雷咆のエネルギー弾が、桜の枝にぶち当たる。ひらひらと枝がちぎられて、桜は舞い落ちた。
それもまた一つ、初恋の宿命なのかもしれないと。遠くの美しい姿を思い出しながら、水月は思った……。
「……あぁ」
仲間たちの姿にメイアは目を開いて天を仰ぐ。何とも複雑な人の色だろう。
彼女はまだ恋を知らない。いや、記憶がなくなる前はあったのかもしれないが今の彼女にはわからない。
けれども焦がれるものはある。一番最初に目を奪われた。晴れた日の、雲一つない水色の、空。
その色にすべてを支配された。その色が彼女の礎となった。
ならば、これを初恋と言わずになんという。
「けれどもけれども」
少し寂しいとも思う。
この恋は決して彼女を裏切らない。拒絶しない。
けれどもこの恋は永遠に届かない。かなわない。
「いやまあ初恋っていうのは運命だよね」
それはそう、運命みたいなものだと。アマルガムの言葉にメイアは気持ちを引き戻された。いや、
「ほら、俺もしーちゃんとの運命の糸に導かれて日本に来たんだし。同じ空の下で頑張ってるってだけで元気な気分になれるし♪」
アマルガム自身は全くそんな気がなかったのだが。というか彼のそれは全く完全なる偶然な気もしないでもないが、今日という日はそんな風に思っていても構わないだろう。
「あー。ほんと、元気にしてるかなぁ」
会いたいなぁ、なんてあっけらかんと叫ぶ。一目惚れした、かわいい女の子。アムと呼んでくれた子。告白したけれどもあっさり振られた女の子。
……ずっと一緒と、お守りをくれた子。
会いたいと、アマルガムは思う。きっと会えば必ず彼は言う。そういう自信がきっとある。
変わらぬ好きを、伝えたい。その意味合いが変わってしまったとしても、いつかきっと……。
「……私、は」
アマルガムの炎が着の腕を焼く。それに連なるように紫睡が腕を振るった。
「ずっと、会いたいと想ってる人がいるんです」
問いかけをもう一度、舌の上にのせる。
脳裏にそのまばゆい光の娘を思い出す。
迷いのあった自分の目を覚まさせてくれて、次につなげさせてくれた人。
贖罪も使命も関係なく、誰かの為に戦う理由があった彼女。
もう二度と会えないのが苦しいと思う。……けれど、
きっと会えたら、伝えたいことがあるのだと思っていた。
彼女から見れば自分はただの裏切り者の一人。騙して寄ってたかって攻撃されて殺された。そんな複数人のうちの一人以外の何物でもないとしても……。
ごう、と風が吹いた。藍の桜が音を立てて流れ、砕け散る。尽きぬことなき花弁はあまたに収集された恋のように。どれ一つとして叶うことないとあざ笑うかのように枝から離れ空へと消えていく。
それは確かに、この想いの終焉を示していた。
●
舞い散る花弁が傷を作る。殺到する木の根を振り払いそして封じるように、乙女は御業を放った。
「寒島」
「わかりました」
気だるげに乙女の煙草が弧を描く。敵を押しとどめるようなその動き。そのまるで何でもないかのような語り掛けに水月は駆けた。それ以上の言葉なく、稲妻を帯びた槍でその桜の幹を深々と切り裂いた。
見事な連携でおぉ、と桜は蠢く。抵抗するかのように枝を腕のように動かす。
「させない、の。ゆきちゃんも、BSマシマシしてこーう」
「はい、まかせてください」
さあこい。と気合を上げるメイアに雪継は微笑む。それでふと、
「ゆきちゃんゆきちゃん、初恋はなぁに? 家族って言うのはなしよ?」
そんなことを聞いた。
「僕の……ですか?」
雪継は一瞬、瞬きをする。襲い掛かる桜の枝を軽くいなしながら、それは音だと答えた。そういう風に昔の日記に記していたと。
「うーん。じゃあ、今は? ゆきちゃんも、いつか誰かに恋をするのかな」
「はは。僕にはまだ、早いですよ。少なくとも弟妹達が成人するまでは」
彼は笑う。何となくそれ以上は聞いてはいけないような、そんな口調で。
「……」
あるいはそれは、直ぐそば、たまたま聞こえていた月がそう思っていたからだろうか。彼女もまた無言で薬液の雨を降らす。
(「どうして、思い出すの。こんなものは欲しくないのに。……あぁでも」)
この想いはここでは解決しない。だから月は押し殺し包み隠して手を動かす。語る言葉もなく、やるべきことをやるしかない。
「ありがとう。助かるよ!」
癒しを受けて、シエラは走る。戦っているうちに現れた動揺も顔の火照りも飲みこまれていく。黒焔を纏うた一際無骨な様相の鉄塊剣が、それこそ桜吹雪のように無数の斬撃を木の枝に叩き込んだ。
気づけばただ、どうということもない。
幼い頃から共に生きる少女を思い出しただけの話。
当たり前の帰結。だが……。今はまだ、早すぎる。
「本当に大事なことだからこそ……答えは自分自身で見つけたいんだ」
だからかのシエラはまだこの心を故意ではないと否定して。
否定すること自体が答えなのだとわかっていながら武器を振るう。
「……うん、本当に恋の形はいろいろだ」
わかってはいたけれど改めて言うとなんだか楽しくてうれしい。ルディは滾る地獄の蓋を開く。……正直彼にとって初恋はありきたりすぎて幸福すぎて。だから初恋に会うなんて噂には正直なところなつかしさしか感じないのだけれど、
つまるところ、自分はそんな人間の在り方を見るのが結構、好きらしい。
「焦らずゆっくりと、きちんと噛み砕いてね」
零れた炎は猟犬のように走る。桜へと喰らいつく。ごう、と桜は花弁を散らした。まるで花のように。
「全く……お前見てると故郷の森を思い出すよ!」
最後の瞬間まで炎に包まれる大木に、アマルガムは魔法の宿木を召喚し天へとハートマークを描く。
「甘酸っぱい想い……そして匂い、柔らかな感触と一緒に、ね」
頭を撫でてくれたその手を思い出しながら。アマルガムは笑う。いっそ燃え尽きる最期の瞬間まで強くいてくれと、おかしなことを敵にのぞむものだと笑うように。
「我はしあわせを想う……森のディアナよ、地に息衝く命に安らぎを。ネミの森王よ、世界に遍く愛を。金枝よ、困難に打克つ強さを……我に与えよ。……さあ」
とどめをと、アマルガムの癒しに紫睡が駆けた。正真正銘、これが最後の一撃だと誰もが理解した。
「エレオノーラさん……」
ただ、かつて自分が恋した人の名前をつぶやいて。
紫睡は力強く、超硬化した爪の一撃をその木の胴へと叩きつけた。
彼女の初恋は、彼女自身も手を下したヴァルキュリア。もうこの世界には影も形もない、敵。
彼女は自分のことを憎んでいるだろう。顔も見たくないだろう。
だがそれがなんだというのだ……!
恋がなんだと問われれば、
それは極論、暴力に他ならない。
される側の感情、事情、運命などもはや関係なく、だというのに一方的に見返りを求められるたちの悪い代物だ。
だからこそ……、
●
「あぁ……若いな」
ふっと乙女が呟いて紫煙を吐き出す。若いですねぇと水月は笑った。
残念ながら恋は期間限定で。大人になれば愛を得ても恋を得ることは難しくなるのだろう。……なんて。
「でも、そういうのも悪くないよ」
ルディが笑う。そうだな。とつぶやいた乙女の顔も、ほんの少し微笑んでいるような気がした。
爪が桜を切り裂く。暴力的で、情熱的で、重々しく身勝手で。
……あぁだが、なんと力強くまっすぐなその一撃。
真っ二つになった桜は赤々と燃え、そして次の瞬間には消え失せていた。
さながら恋に準じる乙女のように。
この想い叶わねば、もう何もいらないとでもいうかのように。
「……」
メイアは天を仰ぐ。空には満天の星。彼女の恋する青空には程遠く、……けれども夜が明ければ必ず、その青空が広がっているだろうと予想された。
「……かえりましょう、なの」
それはとこしえに続く、メイアの恋を見守るかのように。
老人は木の根元で気を失っているのが発見された。怪我は無いようで、桜も消えた。依頼はそれで終わりだった。
「そうですね。行きましょうか……さあ」
雪継が声をかけると、我に返ったかのように月は頷いた。雪継は変わらず穏やかに笑っていて、なんとなくその人を踏みこませないようなありように、安心した。
「……大丈夫だよ」
そっと月は囁く。これは自分がこれから、考えていかなければいけない問題で。
「はっ、てか、他の人の初恋にも興味津々だよ! 皆どんなのねえどんなの? なんて答えたの??」
アマルガムがとても今更な声を上げる。シエラが瞬きを繰り返して、
「……いや。私にはまだ早いかなー……なんて」
あはは。とシエラは笑う。それがまるで儀式の一つだったかのように、その仕事は終わりを告げた。
舞い散る桜は今はなく、あとには何も残らない。
だというのに、紫睡は一度振り返る。
「お前はもう散った桜だ。思い出の中でだけ、綺麗に咲いているがいい」
水月のつぶやきに紫睡は目を閉じる。瞼の裏に浮かぶ姿にそっと思いをはせ、
「さようなら、私のだいすきなひと……」
囁くように、つぶやいた。胸元に手をやる。
まるで少女である自分を、そっとその首飾りにしまい込むように……。
作者:ふじもりみきや |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年5月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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