五月病事件~モーはたらきたくない!

作者:木乃

●やだやだやだやだーモーやだーーー
 茂木慎太は大学卒業と同時に通勤時間を考慮して近場のマンションを借りた。交通の便も悪くない。
 しかし、今は布団をかぶってカタツムリ状態となり断りなく休んでいた。
「あー……やだなぁ」
 社会進出への期待に胸を膨らませた三月。気合を入れて仕事に臨んだ四月――しかし、世間はそう甘くはなかった。
「なんでも質問していいって言ったのに、コピー機の使い方聞いたら怒られて……出社も昼休みも時間丁度に戻ったら注意されて……定時に仕事を済ませて帰ろうとしたら追加で仕事を増やされ残業続き…………」
 指折り数えては憂鬱な溜息が漏れる。方針ブレまくりな指導には辟易させられるが、就職氷河期の中で掴み取った内定だけにすぐ辞めるのは勿体ないと堪えてきた――のだが。
「………はぁぁ」
 大型連休の先に待ち受けるのはサービス残業!上司との飲みニケーション!全く興味のない合コンの数合わせ!!
 いまどきそんな事が役に立つのか、いや立つはずがないと断言したい。
「…………もうやだなぁ」
 慎太は晴れることのない憂いを抱えて、再び殻に閉じこもった。

「ゴールデンウィークもだいぶ過ぎましたが、もう休みボケしている方はいらっしゃいませんわね?」
 オリヴィア・シャゼル(貞淑なヘリオライダー・en0098)が含みのある笑みを浮かべてチラリと顔を見渡す。
「ご存じの方も多いかと思いますが罪咎・憂女様を始めとした多数のケルベロスの調べにより、五月病の病魔が大量発生していることが発覚しておりますわ。五月病とはある種の燃え尽き症候群ですわ、大型連休で気が抜けてしまった方も多いのでしょう」
 慣れない環境に四苦八苦しながらも気合で乗り切った猛者達は黄金週間によって一度足を止める――そこから再燃せよというのはいささか難しい。
「放っておいても物理的に死ぬことはありませんが、社会復帰が困難になるという意味では死亡しかねませんわね……えぇ、笑い話ではなく」
 『社会的に死ぬ』という容赦ない一言に数人の背に悪寒が走る。
「このまま堕落してしまうとこれまで努力も水の泡になってしまいますし、なにより当人に良くありませんわ。そこで皆様には五月病の病魔を倒して頂きたく存じます」
 病魔と患者を引き離すにはまず接触する必要がある。
「病魔に侵されている方は自室に閉じこもっていますが、意識はあるので普通に訪ねればお会いできるでしょう。居留守を使われたとしても、鍵を壊して踏み込むくらいの気持ちでお願いしますわね」
 少々強引だが修復できるので問題ないでしょう、とオリヴィアは付け加える。
「患者に接触した後は、ウィッチドクターがいらっしゃれば患者から病魔を引き離して戦闘することが可能ですわ。もし不在でしたら最寄りの医療機関からケルベロスのウィッチドクターに臨時で協力して頂きますわよ」
 肝心の病魔はウシに似たシルエットをしているらしい。
「異常なまでに眠気を誘う鳴き声、やる気を奪うごろごろ運動、物理的に寝かしつけるボディプレス……主に精神攻撃が得意なようですわ、気持ちで負けないように気をつけてくださいね」
 今回の被害者、茂木慎太は真面目な気質が祟って入社以来、気苦労が絶えないらしい。
「真面目で几帳面な方ほど五月病にかかりやすく再発しやすくもありますわ。余裕がありましたらお話を聞いてあげるなど、なにかフォローしてあげてくださいませ」


参加者
ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)
アルケミア・シェロウ(罠仕掛け・e02488)
ショー・ドッコイ(穴掘り系いけじじい・e09556)
村雲・左雨(月花風・e11123)
グレッグ・ロックハート(泡沫夢幻・e23784)
ミカ・ミソギ(未祓・e24420)
宮口・双牙(軍服を着た金狼・e35290)
九条・結衣(月来香・e36301)

■リプレイ

●真面目な奴ほど損をする
 ミカ・ミソギ(未祓・e24420)が『ケルベロスの仕事』と前置きして、茂木慎太の住む部屋を尋ねると管理人はすぐに教えてくれた。目的の階層にあがってショー・ドッコイ(穴掘り系いけじじい・e09556)は携帯端末から周辺情報を検索する。
「ちょうど良さげな空き地があるようじゃのぅ、ここに連れて行くとするかの」
 柔らかなつけひげを撫で撫で目の前のドアを見上げる、天岩戸と化したこの奥に患者は引きこもり中だ。
「こーんな天気のいい日に閉じこもってちゃ勿体ないよねー」
 ぐーっと背筋を伸ばすアルケミア・シェロウ(罠仕掛け・e02488)が空を仰げば白い雲が悠々と泳いでいる。村雲・左雨(月花風・e11123)も難しい表情で街並みを眺めていた。
(「カタツムリになっちまいたい気持ちも分からなくはねえがなぁ」)
 社会に出れば良きにつけ悪しきにつけ、さまざまな出来事と遭遇する。それこそ大海原の船旅を彩る穏やかな波もあれば、船を飲み込む大津波もあるのだ。ある種の不運に見舞われた彼には同情したくもなる。
「では鍵を開けるか」
「……あ、あの……先に、声をかけてみませんか?」
 管理人から借りたスペアキーを差し込もうとしたジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)を九条・結衣(月来香・e36301)が制止する。
 本人の意思で出てくるならこれほど都合が良いことはない。スペアキーでの開錠は最終手段にするとして、左雨がインターホンを押し込むと軽快な電子音が響く。返答はないが在宅中であることは把握済み、気にせず呼びかける。
「茂木、同じ部署の者なんだが……ちょっと出てきてくれねぇか?」
 ――反応がない。プラチナチケットは不特定多数の中に紛れるには効果的だが、特定対象を誤魔化したり、相手が判別できる場合は発揮されないようだ。応答がない様子に宮口・双牙(軍服を着た金狼・e35290)は眉間に深い皺を作る。
「勤め先の関係者には会いたくねぇのかもな……だが茂木慎太、居るのは分かっている。表へ出ろ」
「まあまあ、ここはストレートに用件を話したらどうだろう?」
 ミカが言うように『ケルベロス』という肩書を前にして、茂木も無視することは出来まい。病魔退治を行うならば事情を明かした方が協力してくれるだろう。
「うんうん、慎太くんを治療しにきたんだもんね。言ってみよっか」
 アルケミアも賛同したところでショーがつま先立ちでもう一度インターホンを押す。
「茂木慎太さーん、おるかの。ケルベロスじゃよー。ちょいと顔を見せてくれんかのー」
 ――数秒して『カチャ』という音と共に扉が僅かに開いた。訝しむ瞳がグレッグ・ロックハート(泡沫夢幻・e23784)の青白く燃える左腕を見やり出方を窺っている。
「あの……わたしたち、快復のお手伝いに来ました」
「部屋にこもってても息が詰まるでしょ、気分転換に外へ出ようよ」
 結衣とミカの誘いに茂木は抵抗する様子はなく、どこか億劫そうに外に出てきた。

「それでこないだ免許を取ったんだけど、風を切る感覚が気持ちいいんだ」
「はぁ……やっぱ持ってた方が良いんですかねぇ」
 道すがら雑談を兼ねて茂木に話かけると受け答えはしっかりしている、人の好い応対は日頃の賜物だろう。気だるそうな態度は五月病によるものと思われるがミカとしては気になるところ。
(「正直病気とは呼びたくないけれど……」)
 社会人ならば襟を正さねばならない場面も多い。さりとて、ひたむきな人物が報われるほど世間は公平とも言い難い。真面目な人間を揶揄する皮肉があるくらいに。
(「きっと、相談できる方もいなくて、……」)
 信条を曲げねばならぬほど内心は追い詰められていたのかと、その心情を思うと結衣は胸が痛んだ。
「ここじゃよー、さあはいったはいった」
 ショーの案内で空き地にやってくるとアルケミアがキープアウトテープで出入口を封鎖し、ジゼルは茂木にロッドを向ける。
「患部を摘出する。君の安全は私達が保証しよう、慌てず騒がず指示に従うように」
 不安そうな茂木の様子を受けて双牙とグレッグも声をかける。
「いいか、出てきたらすぐ離れんだぞ」
「端にいれば巻き込まれることはないからな」
 ぶっきらぼうなりの気遣った言葉に茂木は頷き返し、ジゼルがロッドを額に押し当てる――素早く引き離した勢いにつられ、とりもちのような黒い塊が引きずり出される。タクトのように軽快な仕草で回す最中、ショー達も得物を構えて臨戦態勢に移る。
「来い、病魔――治療の時間だ」

●ダヤダヤウモクチャシ病
 ピンと伸ばした先に不定形の物体は落着する。蠢動する塊は牛に酷似したシルエットを形作り、胴体には謎の『臨時休業』の文字。
「牛か。……煮ても焼いても食えそうにないが」
 鼻ちょうちんを膨らます脱力ぶりに双牙も拍子抜けしてしまうが、こんなのでも病魔なのだと気を持ち直す。
『ふごっ、ふごご…………すぴー』
「なんて奴だ、寝たフリをしているのか」
「所見からして主症状は無気力と過眠だな」
 所感を述べるグレッグとジゼルが一気に躍り出る、ロッドから伸びる稲妻が病魔を貫くとグレッグが鞠のように蹴り上げる。ミカが精神攻撃対策に魔法陣を展開する間に左雨がボクスドラゴンを伴って側面に回り込む。
「わ、わ、わああああっ!?」
「慎太、じじい達の後ろに来るのじゃ。ヨッコイも頼んだぞい」
 左雨の放つ激励の爆風を受けながらショーはボクスドラゴンのヨッコイと共に慎太と病魔の間に割り込む、双牙と結衣も茂木を守るように前に立ち安全を確保させる。
 ショーがドローンを飛ばして病魔の極まれに発揮されるらしいボディプレスに備えていると、ばいんばいん跳ねるように転がる病魔はべったりうつぶせになると口元をもごもご動かし――。
『むぅぅぅぅううううううううううううううううおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお……』
 超低速で再生されるテープのような、間延びした独特の鳴き声を聞きアルケミアは狐面の奥で大あくびをもらす。
「ふわぁぁ……っと、いけないいけない!」
 気を取り直してD1000と名付けたブラックスライムに大口を開けさせる。喰らわせようと伸ばせば病魔は寝返りをうち、最小限の動きでアルケミアの攻撃を凌ぐと不思議な軌道を描いて寝転がっていく。
「五月病など、気合で打ち勝つのみ、だ」
 異常な倦怠感に削がれていく気力を振り絞り、急接近した双牙は垂直にあげた踵を落とす。
「うぅ……か、身体が重い、です……」
 結衣も大きく息を吸い込んで鈴のような澄んだ歌声を響かせていく、歌声に甘やかな桃の香りを乗せてグレッグ達の集中力を押し上げる。左雨達のみなぎる戦闘意欲を病魔は眠気と疲労感でもって殺いでいく。

 緊張感に欠ける病魔の攻撃は、肉体より精神的な打撃を加えてくるせいか、いつも以上に消耗している錯覚を覚えた。ジゼルの飛ばす石礫を受けて病魔が転がりだすと勢いでさらに寝転がっていく。
「らしいっちゃらしいけど、無気力にも程があんだろ!?」
 左雨が下から掬うようにかちあげると病魔がぽーんと上空へ――しかし宙で身を翻したと思うと、病魔の閉じていた瞼がクワァツ!!と見開かれる。
『――ぶもぉぉぉ!!』
 血走った眼で睨みつけると鬼の形相で急加速。狙い澄ました垂直落下にショーが割り込んだものの勢いに負けて地面に激突させられる。
「こ、こやつ……意外とうごける、じゃと……?」
 クレーターの中でうずくまるショーに練気を飛ばすミカは、あのぐーたら病魔の、溜まった鬱憤を晴らすような変貌に肝を冷やした。
(「茂木さん、思った以上に疲れが溜まってたんじゃ……」)
 精神的疲労の蓄積は本人すら気づかない場合もある。この自堕落の化身も、裏を返せば罹患者の無意識に堪っていた不満と鬱屈、怒りが詰まった膿といえよう。
「甘く見たつもりはないが……症状は重篤だったか」
 怠惰は大罪に数えられるほど罪深く、無気力に落とし込むほどのストレスならば有害極まりない。グレッグとアルケミアが視線を交わらせると、零落の権化に挟撃をかける。
 転がる軌道を封じるようにグレッグの竜砲弾が足を止め、その隙にアルケミアが軽やかなステップで間合いを詰めていく。
「頑張る人、今を生きることに必死な姿こそ至高なんだ……!」
 酸いも甘いも噛み締めてヒトは成長していくもの、新たな門出を迎えたばかりの青年を誑かすなんて許せない!
「その邪魔をするなよ、病魔――ッ!」
 その舞、湖面を飛ぶ黒鳥が如し――円を描くように踏み込み華麗なナイフ捌きで病魔を斬り刻めば、肉体から黒い泥のようなものが飛び散る。結衣が口ずさむ魔導書の一小節は双牙の鼓膜を震わせ、脳をすみずみまで冴え渡らせる。
「人生なんて苦楽があって当然だ、メリハリのない人生なんて退屈でしかない」
 砲撃で角の折れた病魔の頭部を鷲掴んだ双牙は左目の獄炎を滾らせ、放り上げた勢いを乗せて足元へ叩きつける。豪快な一撃の衝撃で跳ねていく病魔は頭上で星が回っている。
「さーて、じじい達も加勢するのじゃ」
 強打した腹をさすりながら滑走するショーもヨッコイのタックルに合わせてどてっぱらに反撃のニードロップ――弱ってきたためか、固体化が維持できずにぼやけ始めている。ジゼルがナイフの刀身を閃かせると、病魔は見えない何かに向かってボディプレスを繰り返す。
「真面目な奴ほど怒らせるな――つまるところ、懐が広いだけに暴発する感情も相応ということか」
 地面をヒビ割らせている病魔に向け振り下ろしたジゼルのロッドから雷が落とされる。崩れかけたスライムのように不安定になった病魔へグレッグが一気に踏み込む。
(「俺にはどれだけ辛かったか解らないし、偉そうなことを言える立場でもない……だが」)
「お前は宿主にとって不要な存在だ――消え去れ」
 蒼炎をまとう蹴りの連続は流星群のようだった。幾度にも蹴りつけられた病魔は何度目かの打ち上げを受けて霧散していくと、地上に降り立つことは二度となかった。

●何事ももほどほどに
 戦場の片隅で縮こまっていた茂木は初めこそ困惑していたものの、憑き物が落ちたようにどこかスッキリしていた。とはいえ根本的な部分は解決していない。
「悩みがあるならじじい達がいくらでも話を聞くんじゃよ」
「なんか出来る訳じゃないけど、話したらすっきりするからさ!」
 好きなだけ話したらいい。放置されていた資材に腰掛けさせて、ショーとアルケミアが促すと――まあ出るわ出るわ。
 行きたくもない飲み屋巡り、調子づいて泥酔した上司の介抱。数合わせで巻き込まれた合コンも苦痛でしかなく。矛盾に満ちた指導にもめげず、終業時間に作業を済ませた直後追加される業務。
「お辛かったですよね……よく、頑張られたと思います……」
「……そんな理不尽な上司など、殴り倒してしまえば良い物を」
 結衣は気苦労の多さに目頭が熱くなっていた。双牙も嫌悪とも呆れともとれる真顔を浮かべ、思い出して気が滅入ってきたのか溜息をこぼす茂木に、グレッグは不思議そうに問い質した。
「何故やりたくもないのに引き受けるんだ」
「え、だって、断ったらなんか悪いし……」
「あんたがそこまで悩むほど重要なことでもないだろう?」
 その返答に窮して茂木は言い淀むが、同時に『大して重要ではない』と認識していることを意味する。ジゼルはようやく漏れた本音に安堵して静かに口を開く。
「仕事において真面目と几帳面は、評価される才能だ。だが君が現状、最も学ぶべきは……仕事を上手にサボることだ」
「だな、それになんでも引き受けりゃいいってもんじゃないぞ?」
 周りに気を使いすぎても疲れるだけ、と左雨もぽんと肩を叩くと凝りきった感触が伝わってくる。
「万事、丁度いい具合を保つのが良いのじゃよ。適当が肝心じゃよー」
 適度に余力を残すべし。まだ腑に落ちないようだが時間が経てばおのずと理解できるようになるだろう。
 気持ちを切り替える為にも、まずは美味しいものや甘いものを食べるといいと、処方箋代わりにミカ達は有志でケルベロスカードを渡す。悩める社会人にはこれからも多くの試練が待ち受けている、せめて心折れぬよう柔軟な気持ちを忘れずにいて欲しいと願うばかりだ。

作者:木乃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年5月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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