桜吹雪に攫われて

作者:朱乃天

「……桜に攫われるって、どんな気分なんだろうね」
 夜の帳が下りた空には雲一つなく、この日は月が眩しいくらい輝いていた。
 自身を照らす銀の光を瞳に映し、一人の女子高生が独り言ちるように呟きを漏らす。
 高校からの帰宅途中、普段歩き慣れた通学路を外れて、川沿いの方へ足を伸ばすと。
 暗がりの中、月明かりを浴びた桜並木が妖艶に浮かび上がっていた。
 薄紅色の花が咲き乱れる様は、見る者の心を釘付けにして。風が吹き抜け桜吹雪が虚空に舞うと、まるで魂までも奪い去っていきそうで。
 ふと足元に視線を移せば、散った花弁が桜色の海のように広がっていて。
 桜の下には死体が埋まっている、なんて話はよく聞くが。この花弁の海の中は、そうしたこの世ならざる世界に通じているのかもしれない。
「もしもそんな世界があるのなら、行ってみたいな……」
 桜の精が人を惑わし常世へ攫っていくという噂。
 ――空の果てに誘うように舞う、鮮やかな桜吹雪に包まれながら。
 ――或いは一面に敷き詰められた、薄紅色の柩に埋もれるように。
 ――誰も知らない場所へと攫われて、眠るように堕ちていきたい。
 頭上に降り注ぐ桜の花弁に目を奪われながら、少女がそんな想いを抱いた時だった。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 突如聞こえる謎の声。少女が声のした方向へ振り返ろうとすると、急に意識が遠退いて、少女はその場に崩れ落ちてしまう。
 声の主――第五の魔女・アウゲイアスが少女の胸に突き刺した鍵を引き抜くと。
 少女の興味が形を成して――桜花舞う、黒い着物を纏った女性となって顕れた。

「桜の花って、つい見惚れちゃうもんね。すっごい分かるよ、その気持ち」
 見渡す限り桜が咲き誇る景色を想像しながら、火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)が思いを馳せる。
 思春期の女子高生にとってみれば、そうした幻想的な怪異に夢を見たくなるのだろう。
 しかしその『興味』がドリームイーターに奪われて、事件を起こしてしまうことになる。
 玖堂・シュリ(紅鉄のヘリオライダー・en0079)はひなみくの顔を見ながら頷いて、改めて事件について説明をする。
「今回生み出されたドリームイーターは、女子高生が興味を抱いた桜の精がモデルになってるようなんだ。桜の花弁をあしらった、黒地の着物を纏った女性の姿をしているよ」
 現場は川沿いにある桜並木だ。時間は夜で、女子高生は部活動を終えて帰宅途中だったらしい。周辺には他に人はいないので、人払いをする必要はない。
 ドリームイーターは噂話をしている者に引き寄せられる性質がある。今はまだ桜並木の中を彷徨っているようなので、戦う際にはその点を利用して誘き出せば良いだろう。
 その後はすぐに襲い掛かってきて戦闘となる。桜の精の攻撃方法は、桜吹雪で心を惑わせようとしたり、血染めの花弁を地面に広げて動きを封じ込もうとするようだ。
 人の魂をも攫っていくような、桜の花の美しさ。それは様々な想像を掻き立てる程に魅惑的であり。しかしそうした好奇心が利用されるのは、非常に由々しき事態と言えよう。
「花を愛でる心というは、大事にしたいものだしね。それと折角だから、終わった後は夜桜でも楽しんできたらどうかな?」
 一通りの説明を終えた後、シュリが一つの提案をする。
 ――桜が連なる並木道は、まるで花のトンネルのようであり。
 空から照らす銀色の月の明かりが、薄紅色の花によく映える。
 そよぐ風の音、木々のざわめき、優艶なる花弁の舞い。
 せせらぐ川は、散り行く花に覆われて、桜色へと染め上がる。
「満開の桜、とっても綺麗なんだろうねっ。何だか考えただけでときめいちゃうね♪」
 お花見と聞いて、猫宮・ルーチェ(にゃんこ魔拳士・en0012)が大きな目を輝かせる。
 美しく咲く花の姿も、花を愛でる人の心も、いつの時代も変わることはなく。
 春の夜に舞う桜吹雪に想いを乗せて、胸躍らせながら彼の地に向かうのだった。


参加者
隠・キカ(輝る翳・e03014)
八上・真介(徒花に実は生らぬ・e09128)
火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)
輝島・華(夢見花・e11960)
暁・万里(レプリカ・e15680)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
テトラ・カルテット(碧い渡り鳥・e17772)
ドルミール・ファーゲル(誰かに捧ぐ絶えぬ唄・e31016)

■リプレイ


 艶やかに咲き誇る桜の花は、いつの時代も変わることなく人々の心を魅了し続ける。
 夜の紗幕に覆われた空から月明かりが零れ落ち、薄紅色の花を一層優美に照らし出す。
 自然が織り成す幻想的な景色に足を踏み込めば、そこが現世と常世を隔てる境界線であるような、不思議な錯覚に囚われてしまうだろう。
「夜の桜のトンネル、きれいだね。ちがう世界の入口みたい」
 川沿いに連なる桜並木が、どこまでも続いて咲いていて。隠・キカ(輝る翳・e03014)の青い瞳には、ここが妖精の住処であるかのように映って視えた。
 もしもそんな世界があるのなら、行ってみたいと思ってみるが。しかし今の世界に帰れなくなるのも怖い気がして。キカは不安そうな表情を浮かべながら、仲間達の顔を覗き見る。
「確かに、こんな不思議できれいな雰囲気なら、妖精さんだっていそうよね。そういう世界があるなら、ルミィも行ってみたいの」
 頭上を彩る桜のトンネルを見上げて眺め、ドルミール・ファーゲル(誰かに捧ぐ絶えぬ唄・e31016)が遠き世界に想いを馳せる。
 桜の花が人を攫うという噂。それは桜の花の妖精が、人の心を惑わし妖精の国の中へと連れて行くのではないか。などということをドルミールは空想し、桜の精が現れるのを期待しながら待ち侘びていた。
「桜の精というのはどんな方なんでしょう? やはり名前通り、綺麗な方なのでしょうか」
 輝島・華(夢見花・e11960)もまた、桜の精のことが気になっていた。彼女の青紫色の双眸に映る桜の花と同様に、見目麗しい容姿なのかと思い巡らせて。
 しかしその妖精も、夢喰いによって作られた存在だと考えると憤慨せざるを得なくなり。華は舞い降る花弁を目で追いながら、この忌まわしい悪夢を早く終わらせようと決意する。
「夜の桜も凄くきれーい……っと。桜の絨毯は黄泉への道しるべー、なんて。変な噂思い出しちゃった!」
 明るく元気な調子で燥ぐのはテトラ・カルテット(碧い渡り鳥・e17772)。ふと足元に視線を落とすと、散った花弁が地面を埋め尽くし。桜色の絨毯が一面に敷き詰められていた。
 桜の下には死体が眠り、死者があの世へ引き摺り込もうと這い出ずる。そうした負の印象が植え付けられるのも、桜が浮世離れした美しさだからだと。とはいえ物騒な噂話は似つかわしくないと、テトラは快活に笑い飛ばした。
「桜の海の向こうの世界。この世ならざる場所、か。……綺麗だろうな」
 片や対照的に、口数少なく静かに桜を見つめているのは八上・真介(徒花に実は生らぬ・e09128)だ。足元に広がる桜の海の下に在る世界。そこに異界が繋がっているのなら――。
 見てみたいと思えども、一度行ったら二度と戻れない世界だろうと。真介は独り言ちるかのように、頭の中で想像の世界を膨らませていた。
 桜の花弁に埋もれるように落ちてゆき。隠世に行き着いたとしても、誰にもそれを伝えることは叶わない。御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)が桜の海の中へ足を踏み入れた途端、異質な空気を肌で感じ取る。
「……お前はそこへ連れて行くというのか、桜の精よ」
 蓮が桜並木の奥を眼光鋭く見据えると、一陣の風が吹き抜け桜吹雪が夜空に舞う。すると薄紅色の花嵐に包まれながら、一つの影が朧気に姿を顕した。
「例え桜の精が美人でも。うん、大丈夫、惑わされたりしないって……多分」
 まるで春霞のように揺らめく黒い着物姿の女性の影を見て、暁・万里(レプリカ・e15680)は自分に言い聞かせるように言葉を飲み込む。
 この場所に訪れた時から感じる奇妙な違和感。足先から身体を凍て付かせるような感覚に襲われて。そうかと思えば、腹の奥が煮え繰り返るような焦燥感に駆られそうになる。
 自分では制御できない胸の疼きを抑える為には、目の前の元凶を断つしかないと。万里は射殺すような目付きで、色香漂う桜の精を睨め付ける。
「桜のように他人の命を散らすだなんて、そんなことは絶対にさせないんだよ!」
 火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)が声を張り上げ仲間を鼓舞し、武器を持つ手に力を込める。番犬達と対峙する桜の精は、妖艶な笑みを浮かべて手を差し伸べる。
 その手で引き込もうとするのは黄泉路の果てか。しかし彼女の誘惑には惑わされまいと、ケルベロス達が一斉に攻撃を開始する。

● 
 ひなみくの拳から青白い冷気が噴き上がり、拳を叩き付けるように突き出すと。冷気を帯びた弾が発射され、桜の精の時の流れを凍結させていく。
「わたし達が注意を引き付けるから、華ちゃんは補助の方をお願い!」
 力強い口調で呼び掛けるひなみくに、華は応じるように小さく頷き、雷纏う杖を振るう。
「やはり綺麗ですけど、所詮は紛い物ですからね。偽りの桜の精は、私達の手で倒します」
 杖から放出された雷は、敵の魔力を打ち消す障壁として、番犬達を護るように築かれる。
「そうそう、本物の美しさには敵わないよね。じっくり夜桜を楽しみたいから、その為にも早くやっちゃうよー!」
 瞳の中に映る桜は、戦っていることを忘れそうになる程麗しく。テトラはつい見惚れそうになる気持ちを抑えつつ、白き刃を振り翳して斬り付ける。刃は月の光を浴びて妖しく煌めき、鮮やかな血飛沫の軌跡が春の夜空に描かれる。
「あなたは妖精さんなんかじゃない。人の心に付け込むような、夢喰い達は許せないわ」
 人が抱く好奇心を利用し、想いを貪るドリームイーターに、ドルミールは怒りを露わに心を震わせる。彼女の滾る激情が、紅蓮の炎となって両脚から燃え盛り。灼けつくような熱い蹴りを桜の精に叩き込む。
 ケルベロス達が怒涛の攻撃を繰り広げる一方で、防戦気味だった桜の精が反撃に出る。掌を上に向け、息を吹きかけると――桜吹雪の幻影が、番犬達の視界を覆い尽くさんばかりに降り注ぐ。
 視る者の心を虜にする花の舞い。桜の精に意識を奪われそうになった時、キカが癒し手の力を音に宿してギターを爪弾く。
「桜は血の色じゃないよ。やさしい色なんだよ」
 少女の想いを乗せた曲調は、優しい音色を奏でて心を癒し、仲間を現実世界に引き戻す。
「――出番だ『Arlecchino』」
 万里が呼んだその名に応えて、召喚されたのは道化師の手だ。気紛れ道化が虚空に手を掲げると、手品を見せるようにトランプの束が手元に現れて。意趣返しとでも言いたげに、投げ飛ばしたカードの群れが、桜の精の身体を斬り裂いていく。
「桜の精、というには陰気だが。まあ、風流ではあるな」
 妖精と名乗るのであれば、可憐な姿を想像するのだろう。とはいえ目の前にいる彼女も、趣があって悪くはないと。真介は得心しながら、白銀の槍に闘気を込める。
 槍の穂先に雷が迸り、紫電の如き突きから放たれる一撃が、桜の精の肩を鋭く穿つ。
 桜の精が攫おうとする、その先にあるのは神域か黄泉國か。何れにしても禄でもない場所に違いないと、蓮が嘆息混じりに書物を広げる。
「生憎だが、俺はまだそこへ行きたいとは思わない――喰らえ、そして我が刃となれ」
 頁を捲ると古書に封印されし思念が具現化し、蓮の霊力を触媒として赤黒い鬼の形を成していく。鬼は主の意の侭に、爪を振り回して風の刃を巻き起こし、桜の精を薙ぎ払う。
 更にオルトロスの空木が飛び掛かり、口に咥えた霊剣で斬り付けて追い討ちを掛ける。
 尚も手を緩めることのないケルベロス達の猛攻に、桜の精は次第に追い詰められる。力を削がれて致命傷を負いながら、それでも桜の精は死力を尽くして抗おうとする。
 身体から流れる血が滴り落ちて、地面に滲んで広がっていく。それは血染めの花弁に変化して、ケルベロス達を花弁の海に呑み込もうと迫り来る。
 大地が赤く染まり行く、その光景に万里は既視感を覚えて動きを止める。心は虚空を彷徨うように茫然と立ち竦み、近くで叫ぶ仲間の声も遠退いて。桜の柩に囚われそうになる瞬間、万里の周囲を淡い光が包み込む。
「みんなの桜の思い出、きぃに貸してね」
 心の奥底で聴こえたのはキカの声だった。彼女が記憶の波長を合わせて、心に巣食う闇を消し祓い。どこか懐かしくて優しい思い出が、刹那の安らぎを齎していく。
「さあ、よく狙って。逃がしませんの!」
 華が魔力を凝縮させて、掌の中で生成したのは花弁だった。風に舞って飛ぶ花弁は、桜の精に纏わるように渦を巻き、嵐となって吹き荒れ刃の如く斬り刻む。
「もう十分だろう――疾く往け」
 永劫の別れを告げる真介の手には、魔力で創り上げた刃が握られていた。真介は音もなく瞬時に間合いを詰めて、流れるような動作で刃を走らせる。
 闇に閃く一太刀は、夢を喰らいし怪異を断ち斬り――偽りの生を終わらせ、桜の精は花を散らすように消滅していった。


 幻のように儚く散る桜。例えそれが紛い物であったとはいえ、万里の心の中には深く刻み込まれていた。
 ドリームイーターを倒しても、心に空いた虚無感だけはどうしても埋められない。それに仲間と喜び合える気分でもなくて、足早にこの場を立ち去ろうと踵を返すと。クローチェが隣で寄り添うように、歩調を合わせる。
「桜の下には死体が埋まっているんだって……それは、誰の、なんだろうね」
 誰かに聞いてほしいわけでなく、無意識の内に万里の思いが吐露される。
 ――誰かが埋まっていてほしいのですか?
 喉まで出掛かりそうになった一言を、クローチェは堪えながら彼の顔をじっと見る。
「気になるなら掘り返してみちゃいますか?」
 少し揶揄うように、でも半分は本気交じりでもあるが。投げた問い掛けに反応を示さない彼に対して、レプリカントの青年は真剣な表情で。
「……私は、誰も埋まってないと思います」
 これ以上の話は彼を傷付けるかもしれない。それでも、親友の問いは真摯に受けたいからと、考え抜いた答えを口にする。
「……そっか」
 たったそれだけ呟くと。万里は茫洋とした灰色の瞳で月を眺めて、桜並木を後にする。
 戦いの中、幽かに感じた不思議な感覚。思い出そうと記憶を探っても、霧の中に迷い込んだように掻き消えていく。けれども唯一つだけ、確かにそう考えたことが頭の片隅に引っ掛かっていた。
 ――あの日、桜に攫われたのは、誰だったのだろう。

 桜はその昔、弔いの花として風葬地に植えられたそうだと。伝え聞いた話と重ねるように、蓮は桜の花を仰視する。
「弔いの花、か……。旅立つならば、美人に囲まれたいものだろう」
 書生服を着た少年の傍らで、累音が言葉を漏らして見上げると。銀色の光を浴びた桜の花弁が、風に乗って流されて。掬い上げるように手を差し出せば、一片の可憐な花弁が、掌の中へと舞い落ちた。
 二人は木の下に腰を下ろすと、持参したジュースを紙コップに注いで乾杯しつつ。夜闇に浮かぶ幽玄なる世界に酔い痴れるのだった。
 酒を呑める歳になったら、改めて此処で酌み交わそう。などと弟のように自身を気に掛ける累音に対し。蓮は申し訳なさそうに礼を云う。
 だがもしその日が来る前に、桜に見送られることになったら……杯を桜に添えてほしい。
 どこか遠くを見つめるように呟く累音だが。真面目に聞き入る蓮に気付くと、冗談だと肩を竦めて苦笑する。
 先の約束は、生きる意味を持たせてくれる――蓮は言葉の意味を自分なりに解釈し、ジュースを一杯口に含んで喉を潤した。

 戦闘を終えて静寂を取り戻した桜並木を見渡すドルミール。その時彼女の目に留まったのは、よく見知った顔だった。
「あれ、カメリアも来ていたのね。よければ、ルミィのお花見につきあってちょうだい!」
「ルミィの方こそ、来てたんだね……って、ちょっと待ってよ!」
 白髪に赤い花を咲かせた少女を見つけると、ドルミールは答えを聞くまでもなく、彼女の手を取り桜並木を散策し始めた。
 幼い少女達は、頭上に咲き誇る桜色のトンネルを仰ぎ見て。その余りの美しさに言葉を失い、暫しの間一言も語ることなく桜を見続けた。
「……こんなに綺麗な風景、みんなと見たかったわ」
 ドルミールの口から漸く零れた言葉に、カメリアは首を縦に振り。彼女の蜜色の髪に手を乗せて、悪戯っぽく撫で回す。
「お兄ちゃんたちがいなくなっても、ルミィはひとりぼっちじゃないからね」
 だって一緒に遊んだりできるともだちが、いっぱい傍にいるから。だから寂しくないように、元気を分けてあげると満面の笑みを浮かべるのだった。

「あったかいミルクティーとカップケーキ、持ってきたの。ルーチェもいっしょに、どう」
「うん、いいよ! 一緒にお花見楽しもう!」
 キカのお誘いに、猫宮・ルーチェ(にゃんこ魔拳士・en0012)は二つ返事で大きく頷いて。手渡されたミルクティーに息を吹きかけ飲みながら、身も心も温まるのだった。
「やはっ♪ あたしも一つもらっていいかなあ? それにしても、戦闘の余波で散らなくてよかった! うむうむ、よきかなー♪」
 そこへテトラも割り込んできて、三人は思い思いに花見を楽しみながら盛り上がる。
「キキ、見える? あかりがほんわかてらしてて、きれいだね」
 キカは両手で抱えた玩具のロボを、桜の下で掲げて見せる。大事そうに抱えるソレは、両親からの大切な贈り物だった。
 桜の天蓋から漏れる月光が、白金の髪を照らして虹色に染めて。ひらひらと落ちる薄紅色の花弁が、キカの頭の上に舞い降りる。
 両親と三人一緒に見た桜の景色は、今も覚えているから。今日のこの桜の記憶も、ずっと忘れないように留めていたい。
 いつか自分が、こわれたとしても――。
「『桜が常世へ攫う』の真意か……綺麗は綺麗、散り際美しきは桜の末路なりき」
 先程まで桜に見惚れて燥いでいたテトラであったが。一息入れて落ち着いたのか、神妙な面持ちになって考え込む仕草を見せる。
 人は死の間際に最も美しい記憶を思い出す。であればこそ、黄泉の旅路は満開の桜に見送られたいのだと。故に桜と死を結び付けるのも、人の願望なのだろう。
 金色の瞳に映るは月明かり。テトラは束の間の感傷に浸りつつ、手にしたカップケーキを美味しそうに頬張った。

 『満月と満開の桜の木の下で死にたい』と言ったのは、誰だっただろうか。
 静謐なる空気に包まれて、真介は一人物思いに耽りながら夜桜を嗜んでいた。
 桜並木に見惚れていると、風に吹かれて騒めく桜の音も、あの世へと誘う呼び声のように聴こえた気がして。自分もまた、そちらの世界に惹かれているのだと。
 このまま誰にも知られずに、消失したいという密かな願い。
 しかしどれ程美しく、魅力的であろうとも。そこに行くことはまだ当分できそうもない。
 何故ならこの世界には、自分を受け入れてくれる仲間達がいるのだから――。

 もしも桜に囚われて、散り際さえ綺麗であったなら――消え逝く桜の精を見届けながら、ひなみくの頭の中に過ぎる想い。
「でもね……まだわたしは散れない。だから……さよなら」
 悼むように餞の言葉を添えるひなみくの両肩に、一枚のジャケットが掛けられる。ふと後ろを振り向けば、手を振りながら微笑む郁と、旅団の仲間達がそこにいた。
「夜桜が楽しめると聞いて、アタシ参上ッ! ノルとお弁当を作ってきたぜ!」
 レジャーシートを敷きながら賑やかに出迎える緋音の隣では、ノルが風呂敷に包んだ重箱を両手に下げて立っていた。
「皆で抓んで食べられたらと思ってね。色々取り揃えてきたけど、一番のオススメは緋音の得意な卵焼きかな」
 二人は互いに見つめて照れ臭そうに笑い合い、早々に宴の準備に取り掛かる。
「あたしも、桜と一緒に作ったの。桜色のご飯の、お稲荷さん……頑張って、作ったよ」
 料理の経験は殆どないアルメリアだが、少しでも皆に喜んでもらおうと。はにかむように自作の料理を差し出した。
 そうして準備を終えた一同は、料理に箸を伸ばして舌鼓を打ちながら、和気藹々と花見を楽しむのであった。
「美味しい! さすが桜姉様です。ノル兄様と緋音姉様の共同作業のお弁当も凄いです!」
 口に運んだ料理がとても美味しくて。華は思わず頬を緩ませ絶賛し、噛み締めるように幸福感を味わっていた。
 その一方でヴィンセントは空いたバスケットを利用して、桜の花弁を詰めて押し花作りに勤しんでいる。
「散ってしまっても、こうすればまた楽しめる。それに……押し花を見ると、桜と出会った頃を思い出すから」
 押し花で作った栞を一瞥し、過去を思い返して懐かしむヴィンセント。
「桜も……ヴィンセントお兄さまと初めて出会った日を、忘れません」
 あの日も桜の花が満開で、運命に惹かれるように二人は出会い。巡り来る季節の想い出を、一片の栞に込めて残した。いつまでも記憶が褪せることのないように――。
「あっ、タカラバコちゃんたら~、ご飯粒ついてるよ」
 ミミックを家族のように思って触れ合うひなみくに、郁が微笑ましそうに目を細め。不意に彼女の口元へと手を伸ばす。
「ひなも、そんなに慌てて食べなくても大丈夫だぞ?」
 まるでどちらも似た者同士だと、苦笑しながらハンカチを添えて。赤く色付く彼女の頬を、春の夜風が優しく撫でていく。
 季節は移ろい変わろうと、抱く想いは変わることなく愛おしく。桜色の世界に溶け込むように微睡んで。
 羽織るジャケットに彼の温もりを感じつつ、ひなみくの顔が嬉しそうに綻んだ。

作者:朱乃天 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年4月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 5
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