銀の笛、花の音

作者:藍鳶カナン

●銀の笛
 辛くて苦しくて、悲しくて泣きたくて。
 けれど、逃げ場なんてほとんどなくて。
 ただ、フルートの音を奏でている時だけは忘れていられたのに――。

「さあ、我が娘よ、歓びとともに目覚めなさい」
 古き時代からの高級住宅地の片隅、誰も住まなくなって久しい洋館の奥でのこと。
 寝台――あるいは、実験台の上で眠る少女が泡沫のように幾つも洩らしたうわごと、そのすべてを聞き取った仮面の男が、穏やかに彼女の目覚めを促した。
「歓び……?」
「そう、あなたに植えつけたドラゴン因子が、あなたにドラグナーの力を与えたのです」
 夢現の少女に語りかけた仮面の男――『竜技師アウル』は、但し、と言を継ぐ。
 少女はドラグナーとしては不完全。ゆえにこのままでは遠からず死亡するが、与えられた力を揮って多くのひとびとを殺しグラビティ・チェインを奪い取れば、完全なドラグナーとなることが叶うのだ、と。
「殺す、の……? 中学でも塾でも、醜い醜いって、私のことを哂ってなじり続けたあの子達を……? 受験だからって私からフルートを取り上げた、パパとママを……?」
 戸惑うのでなく、夢を揺蕩うような声音で応える少女に、望みのままになさい、と鷹揚に頷いた竜技師が手を翳せば、何処からともなく銀の小鳥が舞い降りる。
「私からの贈り物です。受けとりなさい、我が娘――花音よ」
 彼の手からふわり羽ばたいた小鳥が少女の手にとまった瞬間、大きく見開かれた少女――花音の瞳から涙が溢れだした。触れた途端に解ったのだ。この小鳥は必要な時には杖に姿を変えると。銀のフルートのかたちの、杖に。
「私の、フルート……!」
 勿論、花音が長年愛用していたフルートではなかった。
 両親に取り上げられてしまったフルートではなかった。
 けれど、眼前の男が花音のためだけに用意してくれたフルートなのだとすぐに解った。
 花音は心から竜技師に感謝した。
「殺すわ。あの子達もパパもママも、邪魔するひともみんな殺してくる。そして――」
 誰にも煩わされず、誰にも邪魔されない世界で、ずっとフルートを奏でて暮らすの。

●銀の笛、花の音
 ――醜くなんて、ないんだよ。
「可愛いって思うひとは多いだろうし、僕は綺麗な子だと思った」
 予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)は、淡い苦さを含んだ声音でそう続けた。
 きっかけは本当にささやかなもの。
 ある男子生徒が『クラスの中じゃ誰が好み?』と訊かれ、何気なく花音を挙げただけ。
 数分もせず皆が忘れていくような他愛ない日常会話。だがそれを聞きとがめたのが、その男子生徒に恋心を抱く、女子のリーダー格である少女だっただけ。
 けれど、それだけのことで、花音を取り巻く世界は一変した。
 学校だけでなく通う塾まで彼女と同じとなれば、逃げ場がないと中学生の花音が思うのも当然だろう。そして。
「ずっと続けていたフルートだけが花音さんの心の支えだったんだけど……彼女、四月から中三でね。受験があるからって、御両親がフルートを取り上げて、通ってたフルート教室も辞めさせちゃったらしくて」
 花音の心はそれで完全に折れてしまった。
 ――竜技師の実験台に横たえられていた花音が洩らしたうわごと。泡沫のようなそれらを総合するとそういうことになる。
 もちろん両親も心から娘のことを思ってしたことだっただろうし、それで世界のすべてに絶望するのは早すぎると思う者もいるだろう。だがそれを理解するには花音は若すぎた。
 未完成とはいえ、花音はすでにドラグナー。もう元には戻れない、戻せない。
「放っておけば、彼女は大勢のひとの血にその手を染める。――そうなる前に、あなた達の手で、終わらせてあげて」
 彼女にドラゴン因子を移植した『竜技師アウル』は既に痕跡ひとつ残さず消えている。
 だが、急行すれば花音が件の館の敷地から出る前に捕捉できると遥夏は告げた。
「避難勧告は出してるから近隣のひと達のことは気にしなくて大丈夫。庭で戦うことになるけれど、かなり広いから障害になるようなものもないよ」
 戦いとなれば花音は銀の小鳥をフルート状の杖に変え、ファミリアロッドのグラビティを揮う。そして、ドラグナーとしては未完成な花音はドラゴンに変身することはできないが、
「杖……フルートを奏でて銀の竜の幻影を生む力があるみたいだね。フルートの音色とその幻影の竜の唄で複数の相手を魅了する技を使ってくる」
 泣きたくなるほど心を震わす魅了は深く、杖から放たれる火球の炎も、ファミリアである小鳥が厄を強める様も幾重にも重なってくるという。立ち位置はジャマーだろう。
「主力として使ってくるのは当然、銀竜の幻影だろうね。……きっと、思う存分フルートを奏でたいって思ってるだろうから」
 切ないね。
 小さく呟いて、彼は言葉を続ける。
「彼女は元には戻せない。だけどあなた達なら、花音さんがその手を、魂をも穢してしまう前に終わらせてあげられる。そうだよね?」
 挑むような笑みに確たる信を乗せて、遥夏はケルベロス達をヘリオンに招いた。
 さあ、空を翔けていこうか。
 銀の笛を奏でる、少女のもとへ。


参加者
ジエロ・アクアリオ(星導・e03190)
峰谷・恵(暴力的発育淫魔少女・e04366)
葉室井・扨(湖畔・e06989)
灰縞・沙慈(小さな光・e24024)
長瀬・千夜子(向こう側・e28656)
ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)
テト・アルカマル(死者の翼・e32515)
ミスル・トゥ(本体は攻性植物・e34587)

■リプレイ

●春の庭、銀の笛
 天翔けるヘリオンから跳べば、眼下に咲き誇る花々に抱きすくめられる心地。
 誰も住まなくなって久しい館の庭に残された花海棠の木。その傍らに降り立てば、最速の手段で現場へ到った灰縞・沙慈(小さな光・e24024)達ケルベロスは、庭を突っ切って門へ向かおうとしていた少女――花音の前に立ちはだかる形となった。
「これ以上先へは行かせない。通せんぼだよ」
「嬢ちゃん、その小鳥の笛を誰かサンに聞かせる前に、俺達に聞かせてくれねェかぃ?」
 沙慈が御業の力を解き放たんとし、ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)が黄金の果実を実らせんとし、テト・アルカマル(死者の翼・e32515)が螺旋の力を練り上げるが、
「はじめまして、花音さん。あなたを殺しに来ました」
「もしかしてケルベロス!? 邪魔しないで……!!」
 事態を悟った花音の手で銀の小鳥が銀の笛に変わる方が速い。
 悲痛な叫びとともに迸ったのは灼熱の火球、テトを狙ったそれが爆裂と炎で前衛陣を呑み込んだ次の瞬間、邪魔しないわけにはいかないよ、と声を張ったのは峰谷・恵(暴力的発育淫魔少女・e04366)。
「デウスエクスやその手駒による被害を防ぐのが、ボク達ケルベロスの仕事だからね」
 ――13・59・3713接続。再現、【聖なる風】。
 封じていた魔術回路を開放すれば恵の左手中指に浮かびあがるのは淡い青白の光、回路を奔った魔力に癒し手の力も乗せ、二重の浄化を齎す風で仲間を苛む炎を一気に散らす。
 彼女のそれと黄玉色の瞳のウイングキャットの清らな風を背に受け、沙慈が撃ち込むのは御業の炎弾。視えた命中率は精鋭たる彼女でもいずれも100%には届かない。
 花音一人を相手にこの人数で挑まねばならないということは、ドラゴン因子を移植されて間もないとは言え個体の戦闘力はあちらが上だということだ。
「やはり、余裕のある戦いとはいかないようだね」
 仲間の分まで灼熱を受けたジエロ・アクアリオ(星導・e03190)も己がボクスドラゴンに涼やかな癒しを注がれつつ、黄金の果実の輝きを溢れさせれば、
「護りは任せたよ、ドクター。――行こう甲斐姫、キミの美しさを魅せてくれ」
 盾となってくれた彼へ笑み、葉室井・扨(湖畔・e06989)が矛たる己の役割を果たすべく麗しき愛刀を抜き放つ。薄氷めく刃が光に融けた刹那の一閃は斬霊斬。だが、彼の手持ちで最も命中率の低いそれは難なく躱された。跳び退った花音へテトが撃ち込んだ氷結の螺旋は彼女を捉えたものの、辛うじての命中。手応えは浅い。
「未完成ったって流石はドラグナーってとこかねぃ。侮れねェぜ!」
「ええ、確実に足止めしていきます!」
 幾重もの黄金の輝きは中衛のヴィルトが後衛へ贈ったもの、加護の光の中で確実に狙いを研ぎ澄ませ、長瀬・千夜子(向こう側・e28656)が竜の槌を揮えば轟と吼えた砲撃が花音の脚を撃つ。同じスナイパーたるミスル・トゥ(本体は攻性植物・e34587)も白花咲く蔓葉で花音を捕えて締め上げた。
 庭に潜むなり何なりの仕込みをし戦闘開始と同時に仕掛けるのがミスルの理想だったが、急行することで何とか花音が『館の敷地』から出る前の捕捉が可能、という状況だ。
 戦闘前に策を弄する猶予はなく、練度が突出して高いわけでもない彼女が先制することは叶わなかった。仲間達と心を繋がぬ身では素早い連携も難しい。
「負けない! 私は誰にも邪魔されない世界で、ずっとフルートを奏でて暮らすの……!」
 蔓草を引きちぎった花音が笛の歌口に唇を寄せる。
 空高く渡る風の如き音が流れると同時、朝の光のように耀く幻影の銀竜が顕現する。
 笛が唄う竜が唄う。哀しいくらい澄んだ音で、泣くように、哭くように。
 ドラグナーだ。
 花音が『完成』すれば、きっとあんな竜に変じる力を得るのだ。
「トパーズ! 力を貸して……!!」
「あなたの最後の一舞台、わたし達が見届けます!」
 花音は悪くないと解ってはいても、ドラグナーを見れば沙慈の心の傷が血を流す。癒し手たる愛猫の羽ばたきで魅了を克服して竜の爪を揮う少女、その背中越しに花音を見据えて、千夜子が解き放つのは世界で唯ひとり彼女だけが揮える足止めの鏡、夢魘の海。
 鏡の中にはまた鏡、幻は廻り反響は彷徨って、覗けばもう戻れない。
 ――あなたも、わたしも。

●銀の笛、竜の夢
 爆ぜる灼熱の火球、鋭い旋風の如く翔ける小鳥。
 それらを織り交ぜながら花音は幾度も銀の笛を奏でて、幻の銀の竜を生んでは深い魅了の波濤を叩きつけてくる。
 春風に揺れる黒髪。白い肌。花音の瞳は黒だけど、それは銀の笛を映し――。
 年の頃さえ同じで、扨は胸奥の大切な面影を知らず重ねたが、
「彼女は敵だよ、惑わされないで!」
「ありがとう恵、大丈夫だよ。――行ける」
 魅了に心が揺れるより速く恵が聖なる風を吹き寄せてくれる。膨大な魔力から転換された恵の浄化の風、背を押されて地を蹴れば扨の胸元で白銀の鈴が鳴るから、迷わず花音との、敵との距離を殺して鋼の鬼に殺気を重ねた拳を打ち込んだ。
 哀れで、悲しく、そして美しい。
「けれど、君がその美しさと引き換えにしたものはあまりにも大きいよ」
「葉室井の旦那の言う通りだぜぃ。大きすぎらァな」
 いつか拓けるはずだった世界。未来。希望。
 己が世界全てが灰塵と化し、けれどそれでも、この手に戻ってきたものだってあるのだと伝えるよう、ヴィルトが叩きつけるのは地獄の白炎。娘を想って悩んだ末のことだろうが、事を知れば両親は、花音からフルートを奪ったことを後悔するだろう。
 だって花音はこんなにもフルートを愛している。けれど今、彼女が奏でる音は――。
「その力を揮っちゃならねェのさ。心が消えるから」
「別にいいの、私の心なんかもう死んだんだから!」
「じゃあ何で、嬢ちゃんのフルートの音は泣いてンのさ」
「……!!」
 知らない――!!
 ヴィルトをめがけ癇癪の如く炸裂した火球を己が身で遮って、テトは爆炎と熱波を貫いた縛霊手で容赦なく殴打を見舞う。綺麗事は言わない。只、仕事として花音を殺しに来た。
「好きなだけ足掻いてくれて構いませんし、恨んでくれて構いません」
 情を交えず冷徹に。
 だが霊力の網が噴出した刹那、己が手首で光を弾いた鉄虎目石の煌きが彼の心に刺さる。次の瞬間、光の網に捕われた花音の手許が盛大に爆ぜた。ミスルの力だ。
 狙撃手としての立ち位置を活かし花音の武器たるフルートを狙ったミスルだが、極限まで研ぎ澄ませた精神で起こした爆発は花音自身に確かな痛手を与え、フルートに罅を奔らせたものの、破壊には至らない。
 予知によれば竜技師が直々に用意したものだというし、
「彼女自身は未完成でも、武器は半端じゃない代物ってことですか」
「これで花音さんが完成したら……どれだけ強くなるんでしょうね」
 迅速に終わらせなければ、と強くナイフの柄を握った千夜子が歪な稲妻型へと変じた刃を躍らせれば、切り刻まれながらも花音がフルートを口許に寄せた。
 息吹が音色になる。キィに指が踊って旋律になって、幻影の銀竜が顕れ唄う。
「――……!!」
 後衛陣へと襲いかかった魅了の波濤を護り手達が受けとめた。注がれた癒しで深い魅了を浄化され耐性の加護で克服するが、攻勢を浴びつつ花音が再び力を揮う。
「邪魔、しないで!!」
 銀の笛が小鳥に戻った途端、ジエロめがけて一気に翔けた。
 鋭い嘴と爪で抉られれば目蓋の裏に灼きついていた銀竜の幻影がぶれて何重にもなって、銀の鱗の『誰か』が口を開く。
 銀鱗青瞳の一族に生まれた黒鱗黒瞳のドラゴニアン。
 黒は異端だと謗る『誰か』の声が耳に谺した気がした瞬間、ジエロは声を迸らせていた。
「……ッ、私は悪くない!」
 張りつめた心が裂けるような叫び。常に穏やかな黒の双眸に激情が燈ると同時、彼の纏う雪華の輝きが凝った拳が風を裂き――。

●竜の夢、花の音
 雪の華と紫水晶の煌きが鮮烈に爆ぜた。
 一瞬の、目を奪うほど美しい輝きに瞬きをすれば、ジエロの眼前にいたのは『誰か』でも花音でもなく、沙慈だった。肩を並べて戦う仲間。
 催眠で味方と敵を誤認したのだと気づけば激しい動揺に襲われたが、
「――すまない! 大丈夫かい!?」
「大丈夫、この子と一緒に相殺できたから。あなたは誰も仲間を傷つけてないよ」
 銀色に紫の煌き踊る流体金属を纏った拳を見せ、沙慈が笑み返す。ハウリングフィストを戦術超鋼拳で相殺したのだ。精鋭たる彼が攻撃した相手が実力の伯仲する彼女であったのが不幸中の幸いだった。
「ヒールとキュアを! 今のうちにお願いします!!」
「頼んだぜぇ! 花音の嬢ちゃんは何とか抑える!!」
 再び彼を見据えた花音がフルートを構えるが、歌口へ息が吹き込まれるより速く千夜子が超音速の拳を揮う。吹き飛ばされた花音の背が花海棠の木に打ちつけられた衝撃ではらはら舞う淡桃の花弁、ヴィルトの腕から奔った蔓草がその花海棠の花弁ごと花音を捕えて三重に縛めた隙に、
「ヒールは峰谷さんで足りるでしょうが、念のため俺もキュアを!」
「うん、念には念をってね!」
 癒しと浄化を凝縮させた気をテトがジエロへ向けるのに重ねて、恵も二重の浄化を乗せた甘やかな桃色の霧で彼を包み、完全に催眠を払拭する。沙慈が泣きたいような心地で御業の炎弾を解き放つ。
「叶うなら私は、殺意なんかない花音さんの音色を聴きたかったよ」
 本当は戦いが好きじゃなくて。
 誰かが傷つくのは胸が痛くて。
 だけどドラグナーを殺せと心の傷が叫ぶ。仲間を護れと心の空隙が震えて泣くから。
「私だって! ただ幸せな気持ちでフルートを奏でていたかった!!」
 眩い炎の中で叫んだ花音が笛を吹く。流れる音色に銀の竜が顕現し、音と唄が響きあって加速して、どうしようもなく胸を締めつける旋律で襲いきたけれど――今はその旋律よりも彼女の叫びがジエロの胸に痛かった。その響きを識っていた。
 世界が終わったような、絶望。
 咄嗟に護り手として動いた彼は沙慈への痛手を肩代わりしたが、自身へのそれは思いきり跳びついてきた箱竜が引き受けた。ありがとうクリュと告げ、迷わず蔓草を迸らせる。
 歯車が巧く噛み合わなかった。思いやりも、願いも何も、彼女の世界には届かなかった。
「……世界から大切なものを失えば、誰しも陥ることだ」
「そうだね。誰でも陥ることだ」
 ――甲斐姫、絶ち斬っておくれ。
 奇しくも胸に抱いていた言の葉はほぼ同じ。蔓草に締め上げられた花音が身をよじる間もなく、扨の斬撃は刹那の閃きさえも見せずに鋭い裂傷を刻んでいた。
 一拍遅れ血をしぶかせた彼女へ、千夜子が撃ち込んだ気咬弾が喰らいつく。
 ――わたしも、ただわたしらしく笑って泣いて、そうして生きたかっただけなのに。
 気づけば顔も首も地獄にすげかえられていて元には戻れない。どうして自分がこんな目に遭わなきゃならないのと嘆いたのはきっと千夜子も花音も同じで。
 瞳の奥に地獄とは異なる熱が生まれる。唇を引き結ぶ。
 麗らかな春の陽射しに淡桃色の花が舞う。世界は綺麗で、暖かで。
 なのにどうして。
 こんなにも理不尽に満ちているの。

●花の音、生の涯
 恋心を抱いていたのは花音でも男子生徒でもなく、同級生の少女。
 花音は唐突な理不尽に呑まれただけ。
 男子生徒に恋心を抱く少女が、その恋情の熱量を歪め、間違った方向に向けただけ。
「恋心と乙女心にゃだァれも勝てねェけどさ」
「ええ、本当に厄介ですよね。……恋ってヤツは」
 花音自身にはどうしようもない処で生まれた悪意。ちっぽけな世界へと満ちたそれに追い詰められて終には支えも失った彼女が再び得た銀の笛。その音色を存分に心に刻みながら、やるせなさを噛みしめたヴィルトが凍結光線を撃ち放った。迸る輝きをテトの螺旋の氷結が追いかける。
 そんな力を手に入れずとも、死ぬ気になれば何だってできたろう。
 女の子達の悪意に抗うことだって、両親の意に逆らうことだって。
 けれど何もかも、取り上げられたフルートに手を伸ばすことさえ諦めてしまった花音の、どうしようもない虚無感がテトの心をひりつかせた。自嘲する。
 情は交えぬつもりだったのに、竜技師や花音の両親や同級生への憤りが胸に滲む。
 ――自嘲の理由は、それだけではないけれど。
「救えないなら、せめて私達で介錯くらいはしてあげないとね……」
 幾重もの傷や厄に苛まれて、力も命も存分に殺ぎ落とされた花音へ向けて、ミスルが撃ち込んだのはグラビティを内包した種。終わらせてやるしかないと解っているからこそ、種は苛烈に爆ぜて彼女の命を更に奪う。
 誰もが覚悟を抱いてこの庭に降り立った。
「そうだね。もう救えないいのちなら」
 ――死の、救いを。
 花音は抗った。けれど重なる捕縛が彼女の手許を乱して、大地に爆ぜた火球の炎を無傷で越えたジエロは、清冽な雪華の輝き凝る拳を今度こそ花音へ打ち込む。吹き飛ばされた花音を追い詰めるように沙慈が駆けた。
 あなたがドラグナーになる前に助けてあげられなくて、ごめんね。
「せめて綺麗な手のままで逝かせてあげる」
「誰かを手にかければ、キミは敵として、ドラグナーとして記録されただろうね。けど」
 夜空に星鏤めたローブを翻し、沙慈の竜の爪が彼女を貫けば、攻勢に出た恵が掲げた杖から無数の魔法の矢が迸って降りそそぐ。今ここで生を終えれば、キミは憐れな犠牲者として記録されるよ。
「お眠り。次はもう少し広い世界へ羽ばたけますように」
 胸元で歌う鈴の音と同じように優しく囁いて、けれど扨はひとかけらの躊躇いもなく刃を一閃した。大きく胸を裂かれて鮮血を迸らせて、なのにまだ花音は銀の笛に唇を寄せようとするから、千夜子は渾身の力で斬りつける。
 優しくなくってごめんなさい。
 だってその音色は綺麗すぎて悲しくて、刃を握る手が震えてしまいそう。
 ホント、生きづらくって仕方ないですよね。そう告げて、
「生きてることに答えはあるんでしょうか、なんて。……なんて、愚問ですよね!」
 迸らせた想いごと、花音の喉をナイフで裂いた。
 大きく瞠られた瞳が何かに気づいたように緩む。
 ――おねーさんは、がんばって。
 唇がそう動いたと見えたのを最後に、花音は世界に還った。

 竜技師は痕跡ひとつ残さず消えたというけれど、彼ではなく。
「花音さんの遺留品とか、館の中にないかな……」
「探してみようか。御両親に報告にいくつもりだから、私が持っていくよ」
 様子を窺うように館へ瞳を向ける恵に、ジエロは柔くそう笑んだ。
 竜技師が与えたフルートは花音とともに消えたけれど、両親のもとには真実花音が愛したフルートがあるはずだ。何と思われようと、これだけは必ず伝える。
 どうか彼女のフルートを。
 ――好きだった世界の礎を、大切にしてあげて欲しい。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年4月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 0
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