●びるしゃなのしゅちょう
桜のつぼみを膨らませる麗らかな陽ざしが注ぐ、その日の午後。
繁華街の一角に居を構えたカフェは、ひよこのような黄色いふわもこの羽毛に覆われた全身を海老茶色の燕尾服に包み、明らかにサイズ感がおかしい小振りなシルクハットを頭に乗せた鳥の異形――とどのつまりのビルシャナと、そのご一行様という珍客を迎えていた。
「珈琲はハンドドリップが一番であります。優しく蒸らしたその後に、細口のケトルから湯を注ぐ楽しみ! 漂う香りは麗しく、しかして旨味を最大限に高める為に、細心の注意を払う奥深さ!!」
うっとりと身をくねらせ、ビルシャナは恍惚に目を染める。
が、直後。
賛辞は絶対拒否の否定に変わった。
「だというのに、サイフォンとは何事ですか! こぽこぽ無駄に湯を躍らせ、粉はわしゃわしゃかき混ぜる! サーカスでもあるまいに!!」
ずびし。
羽先で指し示されるのは、ミニサイズのサイフォンセット一式。
「しかも一人用ですと!? 有り得ませぬ、有り得ませぬ!! 何たる押しつけがましさ!!!」
「そうだーそうだー」
「ハンドドリップ、イケてるじゃーん」
紳士を気取るビルシャナの御高説に、従う幾人かがやんややんやの声を上げ。併設のオープンテラスからは、危険に気付いた客らがすたこらさっさ。
「ですから、わたくしは正義の鉄槌を下すのあります! ハンドドリップ以外、滅びるべし!!!」
どがーん、がしゃーん、ばりーん。
轟く擬音は、破壊行動の証。
折しも、苺のデザートフェアを催していたカフェは、熱々珈琲に加え、ショートケーキにロールケーキ、それからタルト、ゼリーにムース、マフィン、スコーンらが飛び交う阿鼻叫喚の地獄絵図に変わり果てるのだった。
●珈琲と苺の相性に関する考察
珈琲はハンドドリップでこそ淹れるべき。
そう主張するビルシャナが、己が言い分に反するカフェを襲う事件が起きる。
惨劇の地となるのは、オープンテラスを備え、店内は一枚ガラスの大きな窓が目を引くとあるカフェ。専用のミニサイフォンで個別に淹れる珈琲が実に美味いと評判の店だ。
「連城さんが仰る通りになってしまいましたね」
「拘りが強いのは怖いな。ぶっちゃけ、私なぞ美味けりゃなんでもいいと思うんだが」
リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)の説明を一頻り聞き、六片・虹(三翼・en0063)は軽く頭を抱える。世の中、奥深過ぎる。
ともあれ全ては、珈琲好きの老舗和菓子屋次男坊(日本茶でない辺りに彼の拘りを感じないでない)な連城・最中(隠逸花・e01567) が危惧したままというわけで。
ケルベロスの方々には、このハンドドリップしか絶対許さない明王(外見的に、以後『怪鳥紳士』と呼ぶことにする)の撃破と、妙に説得力ある訴えにうっかり同意しちゃった一般人の皆さんの対処をお願いする流れ。
「ビルシャナに付き従っている一般人さん達は、怪鳥紳士の主張を覆すようなインパクト大な訴えをすれば、正気に戻ってくれると思います」
例えば、サイフォンの素晴らしさを説いたり。
或いは全く予想外の方向から、美味いなら何でもいいじゃんと納得させたり。
まぁ、正気に戻せなくても怪鳥紳士さえぶっ倒せば、何とかなる。しかしそれだと、戦闘に加わって怪鳥紳士を援護しようとするのは厄介だ。だから出来るだけ、教義に離反して貰える方が楽。
「現場は先ほどお伝えした通りです。店に話は通してありますので、皆さんは出入り口横のオープンテラスで敵を待ち受け、そこで撃破して下さい」
従業員やその他の客は建物内に避難して貰えば、一先ず安心。テラスに配されている椅子やテーブルに多少の被害は出るかもだが、そこはヒールで何とかなる部分。あまり気にせず戦う事が出来るだろう。
配下になりかけているのは、トレンド好きっぽい若い女性二人と、癒しを求めるサラリーマンらしきスーツ姿の男性三人。それから珈琲に一家言ありそうな初老の男女一名ずつに加え、ふわっとした印象の老夫婦が一組。
「皆さんなら何とかして下さると信じ――」
「ところでリザベッタよ。このカフェでは珈琲に合う苺デザートフェアとやらが催されているというのは本当か」
虹が真顔で問うたのは、リザベッタが話を締めに入った瞬間。むしろこのタイミングを狙っていた気さえするのは――多分、気のせいじゃない。
「え? あ、はい。黒イチゴのタルトとか、白イチゴの真っ白ショートケーキとか。果肉を丸ごと使った春色ゼリーとか、作り立てのジャムを添えた焼き菓子とかがラインナップされてま――」
「つまりだな。無事に解決出来れば、後は珈琲と苺の相性が如何なものかじっくり考察しても構わないということで宜しいか!? お一人様用のミニサイフォンで御洒落に饗してくれる珈琲を味わいながら、すとろべりー祭も開催しても宜しいということかっ!?!?」
「……宜しいかと」
いつにない虹の迫力に押されたリザベッタは、つい釣られ口調で是を返し。それからハッと我に返り、皆さんも宜しかったら、と紳士の微笑をケルベロス達へ振り撒いた。
参加者 | |
---|---|
絶花・頼犬(心殺し・e00301) |
雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749) |
連城・最中(隠逸花・e01567) |
天矢・和(幸福蒐集家・e01780) |
光宗・睦(上から読んでも下から読んでも・e02124) |
浅羽・馨(星斗・e05077) |
ジェス・シーグラム(シャドウワーカー・e11559) |
花唄・紡(ピティリリー・e15961) |
●美味しい正論
絶花・頼犬(心殺し・e00301)は言う。
「珈琲は美味しい。だから、飲めれば何でもいいと思うんだけどなぁ。ね、栞さん?」
問われたのは、白のオフショルダーのワンピースを青蝶に揺らす女性。しかし脚を有さぬ彼女は応える事なく、代わりに雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)が首肯する。
「その通りだと思う。まぁ、私の場合。経験値が足りなすぎるっていうか……」
珈琲はまだまだ口に苦いお年頃の少女は、むぐぅと押し黙って額を掻く。
だって、一つに絞ってしまうのは勿体ない。味覚というのは、様々を味わい育てていくものだと聞いたし。
「珈琲はね、淹れる時間そのものも大切なんだよ」
ぬーんと唸る男と少女を眺め、天矢・和(幸福蒐集家・e01780)は穏やかに笑う。
和自身も、ハンドドリップで淹れる派。手順一つ一つも、味わい深く愛おしい。
だから。
こだわりが過ぎて、珈琲で誰かを傷付けてしまうのを和は看過できないのだ。
「さぁ、行こうか」
珈琲は人を幸せにするもの。決していがみ合う為のものでは、ない。
●人間の主張
「ちょっと待ったー!」
どやどやと押しかけてきた一行は、店の扉を蹴破る直前、オープンテラスから投げれられた声に、素直に足を止めた。
「ひよこ紳士に物申す!」
「ひよこ!?」
ぴくんっと小振りなシルクハットをビルシャナ――怪鳥紳士に跳ねさせたのは、浅羽・馨(星斗・e05077)だった。そして馨の勢いは止まらない。
「ハンドドリップだけが全てではない、その証拠に色んな珈琲の淹れ方があるのではないか? 私はサイフォン式が好きだ。並んでいると理科室みたいで楽しいし、沸騰した湯が上がってくる様子は見ているとワクワクする」
「……ひよこ、ですと?」
「しかも! ここに用意されているのはお一人様サイズ! 贅沢だとは思わないか? この現象を独占し心行くまで楽しめるんだぞ! 私も欲しいくらいだ!」
「ひ、よ、こっ」
「えとですね。馨さんは多分、見た目も魅力的だって言っているんだと思います」
「っは!」
一気にまくし立てた馨の弁を連城・最中(隠逸花・e01567)が要約するに至り、怪鳥紳士改め、ひよこがやっと我に返った。
「それこそ見た目など問題に非ず!」
「でもでも。見た目も大事だよ! ほら?」
しかしひよこに多くを語らせず、割って入った光宗・睦(上から読んでも下から読んでも・e02124)は若い女性二人連れの前へカフェ・ラテのマグを差し出す。
「?」
「あのね、これをこうして……」
今どきギャルな睦は小物をデコる器用さで、ミルクの泡のキャンバスにチョコペンを走らせる。
「でね、ほら!」
「かわいいー!」
見事に描き上がった可愛らしいゾウさんに、二人の目は既にハート。
「こういうのはね、しっかり苦くて濃い珈琲のが合うから。私的には、サイフォンやエスプレッソがおススメなんだよ!」
「そぉなんだぁ」
すっかり睦の技術と話術に虜のお二人様。続いた「飲み方や気分によって淹れ方を変える方が違いの分かる大人って感じで素敵じゃない?」に加え、エリヤの「サイフォンのゆっくり具合も落ち着くし良いよね」の駄目押しにイチコロだった。
「あたし達、ハンドドリップ絶対にお別れします!」
速攻での宗旨替えに、ひよこ愕然。その隙に、老夫婦までラテアートにっこり。
「あら、素敵ねぇ」
「そうだねぇ」
そんな夫妻へ、シエラは問う。淹れ方で味や趣が変わるというけれど、それだけが大事なのかな、と。
「拘りとか、突き詰めとか……そんな楽しみ方を否定しないけれど。飲み食べするんだったらさ――」
美味しい。
誰かと一緒に楽しくなれて嬉しい。
まずはそれが大事なんじゃない、と孫ほどのシエラに言われただけで夫妻のほっこり度はストップ高だったのに、これまた孫年齢なジェス・シーグラム(シャドウワーカー・e11559)にまで、
「ハンドドリップとサイフォン、どちらも根本にあるのは『美味しい珈琲を淹れたい』という事ではないでしょうか? つまり、どちらかを否定するのは勿体ないと思いますよ」
と説かれてしまえば、頷くしかない。
この場にいるのは皆、珈琲好きだとジェスは分かっている。ならば、美味しいものは美味しいと、皆で笑顔で珈琲を楽しんだ方が良いに決まってる。
「その方が、更に美味しく感じますよ」
ジェスの笑顔に、「サイフォン式だとすっきり飲み易いのも淹れ易いですし、お二人のお口にも合うと思います」という瑛華の気遣い。挟まれてしまえば、老夫婦もほこほこ陥落。
「ちょっ、チョロ過ぎではないですか!?」
ひよこの背中は、既に寂し気だった。
●神髄発揮
サラリーマンとは、とかく何かに追われて生きるもの。だからこそ求める癒しは理解に容易く。頼犬は、ふぅと疲れた体を装いスーツ姿の男らに近付いた。
「俺もさぁ、お店でなら何でも飲むけど。家で自分で作るなら、インスタントかな」
まさかの一番お手軽推しにひよこは瞼を押し上げるが、頼犬はそんなの気にせず続ける。
「お湯を沸かすだけで、簡単美味しい!」
それはサラリーマンズの心を捉える魔法の言葉。
「甘いのが飲みたかったら、珈琲薄めで牛乳いれてカフェオレにすると胃にも優しいよね」
胃に優しい、大事。
「あと秘密だけどね。オレンジリキュールをちょこっと入れるとすっごく美味しいんだよ。体もあったまるし」
嗚呼、何という素敵誘惑。聞いているだけで、日頃の疲労が抜けていくよう。
「オレンジリキュールか……今度試してみるかな」
「折角だから、味わってみるといいよ」
抗い難い癒しに、男たちは顔を見合わせ。丁度のタイミングで和が差し出した薫り高い珈琲に敗北の白旗を上げた。しかも、和が用意していたのはそれだけではなく。
「そこの紳士にマダム。喉乾かない?」
持ち込んだ機材は複数、エスプレッソにプレス、パーコレーターにハンドドリップ。そしてサイフォン。
「飲んでみて?」
幾つものカップの中から渡された一つを促され、一家言ありそうな男女は渋々といった体で口をつけ――目を瞠った。
「ね、美味しいでしょ? 甘みと酸味のバランスのいいキリマンジャロの特徴がよく出てると思わない?」
嘘を許さぬ味と、緩く髪を結わえた男の口調が責める響きでないのに、二人はしおしお頷く。
「それね、サイフォンで淹れたんだよ」
サイフォンの良い所は銘柄の特徴をしっかり出せる所だと思うんだと言いつつ、和は慣れた所作で今度はハンドドリップに手をつけ、漂う香りに鼻をくんと鳴らす。
「そりゃあこっちは香りはいい。だけど、いつもいつもハンドドリップで本当に珈琲の魅力を味わい尽せていると思っているのかい?」
「因みに俺は豆本来の味を楽しめるプレスと水出しもお勧めします」
ぐぅと押し黙った一家言組に、最中がそっと添う。そしてちゃっかり全ての珈琲を堪能した花唄・紡(ピティリリー・e15961)は、違う味わいに頬を押さえて未だ渋る二人に向き直る。
「一つの飲み方に拘るのもいいけど。色んな飲み方で楽しめるからこそ、珈琲って皆に愛されてるんじゃないかな?」
あれもこれも全部美味しいよ、と紡は気さくな笑顔を振り撒き、ついでにサイフォンの良さをさらりと付け足す。
複雑そうだけど、一度覚えてしまえばハンドドリップより簡単に楽しめるのが、量やテクニックが殆ど決まっているサイフォンならではの推しなのだと。
「濃い味を出せるのもいいですね。甘いデザートを引き立たせてくれます」
「演出も素敵です……!」
紡の傍らの螢、そして最中らと憩いの一時を満喫するつもりの鏡花の援護に、和は再びゆるりと口を開く。
「豆の種類、焙煎方法。TPOに合わせた抽出方法を選択してこその珈琲通ってもんじゃないのかな?」
確たる珈琲好き魂を宿した赤い瞳に、粘る二人の眼が揺れた。
そして。
「無論、俺達だってハンドドリップの良さは解かっています。何なら一緒に語り合いたいくらいです――けど、切っ掛けは何であれ同志が増えるのは喜ばしい事。仲間同士での争いは不要です」
一緒に魅力溢れる珈琲を楽しみましょう、という最中の眼鏡キランな誘いに、一家言組も遂に折れ。
「っは。思わずわたくしまで聞き入ってしまったではないですか!」
後にはぼっちひよこが残された。
●腹ごなし
睦の張ったキープアウトテープの外で、虹が避難誘導をする頃。
「よくも珈琲を台無しにしてくれましたね」
眼鏡を取っ払った最中は、ひよこを鋭い視線で射貫き、
「予知の話? 知りませんね――天誅、です」
色んな事を棚に上げて素敵燕尾服を意思の力で爆ぜさせた。
「おぉ。もっくんが普段よりテンションが高い」
余人からでは判別不能の幼馴染の常態とは異なる風情を気取った馨は、驚きと喜びに目を瞬かせると、弾む足取りでひよこの襟元を鷲掴み、空いた手で遠慮なくぶん殴る。
戦いが幕を開けた直後はやや安定感に欠いた命中率も、攻守を重ねる間に安定した。つまり、ひよこはもういい感じに追い詰められている。
「栞さんはあまり無理をしなくていいからね?」
流星と化して敵を貫く頼犬が気遣うと、心なし口角を上げたように見えたビハインドも思念で飛ばした木枝などで敵を討つ。
ちなみに頼犬はひよこの『ハンドドリップ絶対!』な訴えに苛まれた直後なのだが、これは睦が楚々と具現がさせた光の盾で癒した。その実、普段は暴力的アタッカーな睦。本日は繊細な友人の前なので、大人しく猫を被っていたりする。
ともあれ。
「その右手は、凶獣の如く……引き裂け《セリアス》!!』
敵の足が止まったのを良い事に、ジェスは己が許容限界のグラビティを籠めた影の如き爪でひよこの横っ面を張り、
「おのれなのであります!」
ムカッ腹返しに投げ返された炎からは、和のビハインドの愛し君によって庇われて。
「マンゴーちゃんも、よろしく」
さらり言ってチェーンソー剣を振り回した紡に続き、お針子さんのような愛らしいドレスに身を包みながらも、幼女風シャーマンズゴーストはつんと澄ましたクールさでデウスエクスに非物質化した爪を穿ち。
「……って言うか、キミ。周りを巻き込んでおいて、実は味の違いが判らないなんてオチはないよね?」
「そんな事はありませぬぅ!」
思わぬシエラのツッコミに、ぶわりとひよこは全身を膨らませ、そのままシエラ渾身の無色透明の炎を帯びた黒く分厚い武骨な鉄塊によって肩を砕かれて、もうよれよれのよろよろ。
「あな口惜しや! はんどどりっぷ――」
「うん、わかったから」
肉薄し一撃を呉れたかと思うと、即座に距離をとって引き金に指をかけ。縦横無尽に、そしてリズミカルに戦場を支配した和は、これが最後と決めて地を蹴る。
「過ぎたるは及ばざるが如し、だよ」
それは、珈琲好きから送る、珈琲好きへの餞。
「ひよー!」
かくて引力に身を任せた和の蹴りに、紳士の証であるシルクハットごと貫かれたビルシャナは黄色い羽をまき散らして四散したのだった。
「――惜しい人をなくしました」
弔う(?)最中へ、彼がテーブルに置いていた眼鏡を差し出し馨はとぼける。
「違うぞ、もっくん。あれはひよこだ」
●いざ、本番!
(「サイフォンなんて久し振りだな」)
春の日差しを目一杯取り込む明るい店内。スツールに腰かけ、和はカウンター越しにずらりと並ぶサイフォンの歌に目を細めて聞き入る。
ことこと、くつくつ。
湧いた湯は吸い上げられて、くるくる珈琲粉と軽やかなダンスを踊る。
随所に木が用いられた洒落た店内は、背伸び心を擽って。シエラはショートケーキをお供に珈琲に挑む。
「……あ、凄く良い香り」
緊張は一瞬。香しさに少女の顔は緩み――しかし、いざカップを傾けると眉根がきゅっと寄る。
「苦い……、でも」
けれど苦みの奥にみつけた大人の落ち着きに、シエラの表情は再び和んだ。
「……いつかあの子も連れて来なくちゃ」
こんな素敵は、やっぱりあの子と分かち合いたい。
「栞さんは苺のムースが好きだよねぇ」
丸いテーブルを挟んで蒼薔薇の目隠しさんと向かい合い、頼犬は真白い苺をぱくりと頬張る。
「いいよねぇ、この時期だけのあまーい招待状」
程よいまろみのブレンド珈琲で一度口の中をリセットすると、今度は栞の前の更に手を伸ばし、スプーンで掬ってパクリ。此方はしゅわしゅわ食感も楽しくて。
こうして店に出るのは、以前は二人とも嫌いで。けれど、何処か楽し気にも映る栞の様子に、「もっとデート行っとけばよかったねぇ」と頼犬は笑み崩れた。
オリジナルブレンドは、その店の特徴が一番よく出るもの。バランスのとれた酸味と苦みのハーモニーを堪能しながら、瑛華はムースを口に運ぶジェスの様子を眺め遣る。
「これ自分でも作れないかな……」
漏れ聞こえた声は、研究熱心な彼らしく。思い出したように顔をあげ、「ロールケーキは美味しいですか?」と尋ねてくるのに、瑛華はふふと笑う。
「折角なので一口、食べさせてあげましょうか?」
はいと差し出すと、一時停止の後に頬を染めた男は、周囲を見渡し――ぱくり。
「美味しいですか?」
「え、あ、はい。あ、あー……その。瑛華さんもムースを一口どうでしょうか?」
差し出し返された苺色も、照れ隠しなのが丸わかりで。
「それでは、お言葉に甘えて」
初々しいくて可愛い、なんて思ったのは内緒の話。
一口ずつの交換は、スイーツを前にした時のお約束。恋愛感情はない、仲良し男女の間でも。
「甘酸っぱい苺と珈琲の取り合わせは美味しいね」
薫る珈琲の香りを満喫したエリヤは、食んだ黒く輝くタルトの酸味を、甘いカフェオレでマリアージュ。
ブラックは早い年頃の睦もカフェオレ片手に、生クリームを纏わせた白い宝石を口に運んで顔を蕩けさせる。
「うん、美味しい!」
幸福は分かち合えば尚更に。故に二人も、少し切り分け互いへ「はい、どーぞ」。
ヒールで花も添えたオープンテラス。燦々と日の光を浴びながら、硝子のテーブルに並んだムースにショートケーキ、そしてクッキーの小山に紡は目を輝かす。
「人が奢りって言った途端に遠慮しませんね……」
「今さらだよね! それに、理由はどうあれ一緒にいるだけで嬉しいよ」
螢は呆れてみせたのに、紡の笑みは華やぐばかり。
「女性といると黒服男も浮かずに済みますからね。そこだけは、助かります――そこだけ、ですよ。だけ」
そして『だけ』を強調しても、喜色は変わらぬから。螢は戦う相手を黒苺のタルトに変えてみる。されどその美味ぶりに、螢の表情も笑みになりかけた。しかしそれは自称『妹』には不用意に見せたくないもので。螢は無表情を貫く――が。
「苺も珈琲も美味しくて幸せ。お兄ちゃんも嬉しそうだし、よかった」
どうやら、兄は妹に敵わない生き物らしい。
「あたしのも一口食べてみる? お兄ちゃんのも食べてみたいなー」
ちらちらと視線を放られてしまえば、降参せざるをえない。
「……一口だけ、ですからね」
「やったー!」
弾けて輝く年上の女の笑顔に、男は肩を竦める。
「君が誘ったにしちゃ上出来な店ですから」
だからこれはご褒美。またの機会も、暇があったら付き合わないでない。
いつもよりゆるりと流れる時間。
フラスコからカップへ移し終えた珈琲を一口味わい、和は優しい酸味と甘い香りに酔う。
「うん、いい味だ」
黒い苺の酸味とハワイ・コナの相性は、また格別。バランス重視なものでは、これほどの共演は楽しめなかった事だろう。
「ふふ、最高のご褒美だよ」
戦いに、後片付け。労働奉仕の後は、この上ない寛ぎタイム。
しかし馴染んだ男が三人集うと、相応に賑やかで。テラス席の最中と馨、そして鏡花はちょっとばかり少年の様相を呈していた。
「やっぱりこれ欲しいな……」
「あちらで売っているようでしたよ? 買っていきますか?」
ブルーマウンテンを淹れる一人用サイフォンに目をキラキラさせる馨に、春の眩さに藤色の瞳を輝かせていた鏡花が言えば、最年長さんのスイッチはオン。
「そうだな。買ったらもっくんに珈琲を淹れてやろう! 爆発はしない、たぶん」
「爆発……?」
大凡、珈琲に似つかわしくない単語に鏡花はきょとり。
「……爆発は勘弁して下さい」
だが馨を熟知する最中の嘆息に、まさかの現実を悟る。だが、そこで「それくらい美味しい珈琲を淹れたいという気持ちは大切だと、思います」と19歳に言われてしまえば、アラサー達はその優しさにこそ胸を打たれるわけだが。
そうこうしているうちに、彼らのテーブルには苺スイーツがずらりと並ぶ。全ては馨の「全部頼んでみんなで分け合おう」作戦のお陰。しかし、食べきれるかと言えば――。
「六片さん……まだ、食べられます?」
珈琲全種を順に、と此方も豪気なオーダーをかけた最中は、虹を窺い。招集された助っ人は、勿論と胸を張ったかと思うと、
「雨月嬢も誘っていいか? 女子は戦力だぞ。あと、天矢殿と連城殿は珈琲と和菓子の相性談義でも盛り上がれるとみたが」
更なる巻き込み提案する始末。
賑わいは、賑わいを呼ぶ。でも、馨は勿論、最中も控えめながら楽し気な笑みを浮かべているから。クリーム多めのモカを右手に鏡花は、珈琲と苺が齎す幸せにまた藤色の眼を輝かせる。
お付き合いは、最後まで喜んで。
心行くまで、堪能しましょう。
作者:七凪臣 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年3月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 1
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