湿原の牢獄~氷鏡のフェアボーテネ

作者:犬塚ひなこ

●湿原の真相
 釧路湿原で事件を起こしていた死神、テイネコロカムイ。
 かの死神が撃破されたことでケルベロス達に新たな情報がもたらされた。
「テイネコロカムイの目的が分かりました。グラビティ・チェインを略奪して、牢獄に幽閉されている仲間を脱獄させることだったようです」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は、判明した情報を説明していく。
 湿原から繋がっている異空間通路の先にある牢獄。其処に幽閉されていたのは、死者の泉を見つけ出したとも伝えられる『古のヴァルキュリア・レギンレイヴ』とその軍団であることが突き止められた。
 悠久ともいえる時間幽閉されていたレギンレイヴは、世界の全てに対する復讐を遂げる事を目的としている。彼女が解き放たれれば多数の一般人が殺害され、その魂からエインヘリアルが生み出されるような大変な事件が起こってしまうかもしれない。
「テイネコロカムイが撃破された事で、レギンレイヴ達がすぐに地上に出てくる危険はなくなりました。ですが、テイネコロカムイが脱獄していたようにこの牢獄も完全ではないと思われます」
 何らかの理由で牢獄の壁が壊れ、レギンレイヴ達が解き放たれる可能性も否定できないとセリカは語る。更に彼女達の存在を他のデウスエクスが発見して利用しようとすることも考えられる。
「懸念はエインヘリアル勢力です。彼等が彼女の力を手に入れてしまうと勢力が一気に拡大してしまうでしょう」
 そんな危険を防ぐためにも牢獄を制圧し、古のヴァルキュリアと死神達を撃破しなければならない。よろしくお願いします、と告げたセリカは深く頭を下げた。

●牢獄の死神
 今回の倒すべき相手の名はフェアボーテネ。
 死神の一体であるそれは、大きな楕円系の鏡に映った少女の姿をしている。
「皆様にはフェアボーテネの討伐をお願いします。テイネコロカムイを撃破したときに手に入れた護符を利用すれば、牢獄のある場所へと移動する事が可能です」
 セリカは移動方法を告げ、其処が異空間であると語った。
 移動した場所には、四十以上の牢獄が『鳥篭』のように浮いており、その一つ一つに一体のヴァルキュリアか死神が幽閉されている。牢獄に幽閉されている死神達はこの鳥篭の外に出る事はできないが、牢獄の外から来たケルベロスならば自由に移動する事が可能だ。
「鳥篭の外から内部への攻撃は一切不可能なようです。そのため内部に潜入するまでは、こちらから攻撃を行う事はできません」
 ただし、威力は弱まるが、鳥篭の中から外へは攻撃が可能らしい。
 そのため敵の鳥篭の中に潜入するのに手間取れば、その間ずっと攻撃を受け続けてしまうかもしれない。
 特に特定のチームが四十体のデウスエクスに集中攻撃を受けるような事があれば、威力が弱まっていたとしても耐え切れない。
「そこで皆さんはフェアボーテネを挑発するように近付いて、攻撃を自分達に向けさせるように工夫してください」
 気を引き、鳥篭内部まで入れば後は全力で敵と戦うだけ。
 フェアボーテネは悠久ともいえる時間を鳥篭の中に幽閉されていたので狂気を孕んでいる。叶える力すら残っていないというのに大切な人に会いたいかと問い続け、淡々と目の前の者を殺そうと動く。
「敵は牢獄から脱出するための力を求めています。戦闘中であってもケルベロスを殺してグラビティ・チェインを奪い取るチャンスを狙うと予想されます」
 セリカは危険が迫ったらすぐに鳥篭の外に避難して欲しいと告げた。
 戦いは一筋縄ではいかない。戦闘不能になった仲間や、或いは危機に陥った仲間についてはすぐに撤退させるなど、殺されない為の工夫が必要だ。
 そして、セリカは更なる注意事項を語る。
 鳥篭に囚われているデウスエクス達も少量ではあるがグラビティ・チェインを持っている。他の鳥篭の敵が死ぬと、溢れ出たその力を利用して、残りの一部の敵が牢獄から脱出をはかる可能性がある。幸いにして牢獄は外部から内部を確認できるので、他のチームの戦闘状況などを見ることが出来る。
「脱獄の危険性を減らすなら、他の鳥篭とできるだけ同じタイミングで敵を撃破できるようにした方が良いでしょう。場合によっては敵の撃破を待つことになるので、その間に敵に逆転される懸念もあります」
 最終的にどのような戦い方をするかは向かった者に委ねられる。内部と外部のそれぞれの状況に応じた心構えを持っておくべきだろう。
「以上となります。危険な戦いとなりますが、どうか無事に帰ってきてくださいね」
 そして、信頼の宿った瞳を向けたセリカはケルベロス達の健闘を願った。

●鏡の少女
 『鳥篭』の中、鏡の中の少女は呟く。
「あなたは、死んでしまった大切な人に会いたいと思いますか?」
 この牢獄の中には鏡の形を取った死神しか存在していない。問いかける相手など居ないというのに、鏡の少女・フェアボーテネは淡い声を紡ぎ続けた。
 其処から感じられるのは空虚さ。
 永遠にも思える時の中で死神の精神は摩耗し、彼女は静かな狂気に侵されていた。
 ゆえにフェアボーテネは何もない空間に問いかけ続ける。それが無意味だと気付くこともなく、ただひたすら同じ意味の言葉を口にするだけ。まるで壊れた玩具のようだが、其処にはそう評する者すらいない。
 ゆっくりと開いた瞼から覗くアイスブルーの瞳は、虚ろな色を宿していた。
 そうして、鏡の少女は何千何億と紡いだ言の葉を繰り返す。
「――あなたは、大切な人に会いたいですか?」


参加者
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)
月織・宿利(ツクヨミ・e01366)
キアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)
ヴェルセア・エイムハーツ(ブージャム・e03134)
東雲・苺(ドワーフの自宅警備員・e03771)
野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)
千代田・梅子(一輪・e20201)
月井・未明(彼誰時・e30287)

■リプレイ

●牢獄の鏡
 かの死神の名は、フェアボーテネ。
 深い闇を宿す鏡面に浮かび上がる少女。その虚ろな瞳が何も映すことのないように、死神の鏡が何かを映し返すことはない。
 辿り着いた異空間の中、月井・未明(彼誰時・e30287)は周囲を見渡す。
「すごい空間だ。けれど、居心地の良い場所じゃない」
「あれがフェアボーテネね。まだ此方には気付いていないみたい」
 遠くに見える標的を確認した月織・宿利(ツクヨミ・e01366)は、前方を指さした。
 鳥篭までの距離はそれなりにある。何かを問われたら答える心算ではいたが、フェアボーテネはまだ此方を認識すらしていない。
「フェアボーテネ! ……駄目みたい、声が届いてない」
「みんな、出来るだけ早く急いでこ!」
 野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)がその名を呼んでみても、とキアラ・ノルベルト(天占屋・e02886)とテレビウムのスペラがぶんぶんと手を振ってみても、敵は此方に見向きもしなかった。
 他班は皆が声をあげ、其々の敵の気を引いている。
 それに反して、呼びかける役を二人に絞ってしまった自分達には注意が向いていなかったのだ。おそらく、このままでは自分達以外の班が敵の攻撃を受け続けてしまう。
 たとえば全員でフェアボーテネに声をかければ気も引けただろうが、既に敵の狙いは違う場所に向かっていた。
「チッ……仕方ないカ」
 すぐさまヴェルセア・エイムハーツ(ブージャム・e03134)が最短距離を取れるように先導し、その後に他の前衛達が続く。
 メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)は頷き、キアラ達の後に付いた。
「わたくしと一緒にがんばろうね、コハブ。えいえいおー」
 現状の拙さにめげず、相棒竜に声をかけたメイアは未だ遠い鳥篭を見つめる。同じく、東雲・苺(ドワーフの自宅警備員・e03771)も走りながら布陣を整えた。
「とにかく、フェアボーテネを牢獄から出さずに止めないとだねっ。閉じ込められてたというのはかわいそうだけど、ここは制圧させてもらうよっ」
 逆に考えれば、敵の気を引けていない現状、鳥篭の中から自分達が攻撃されることはない。他班への攻撃は続くが、苺達自身は無傷で戦場に辿り着ける。
 だが、それで良いのだろうか。
 良いはずがないと感じた千代田・梅子(一輪・e20201)は懸命に駆けながら、ぱたぱたと両手を振って敵に呼び掛けた。
「フェアボーテネ、こっちなのじゃ!」
「少し、こっちを向いた……?」
 梅子の呼び掛けによってフェアボーテネが僅かに動いた気がした。未明はこのまま行こう、と仲間に告げ、一気に鳥篭を目指す。
 引き付けは成功とは言えない。だが、攻撃を受けなかったことで素早く鳥篭まで移動することが出来た。
 突入を、と宿利が促すとヴェルセアが扉に手をかける。
 次の瞬間、先陣を切ったキアラとイチカがひらかれた鳥篭の中に駆け込んだ。
「もう無視はさせへん!」
「挑発するより戦ったほうが、きっと早いだろうってね。さあ、はじめよ!」
 炎を纏ったキアラが跳躍し、地獄の焔を巻き起こしたイチカが真っ直ぐに突撃する。頭上と正面の両方から繰り出された火炎が標的を包み込み、赤熱が迸った。対するフェアボーテネは目を閉じたまま、番犬達の方に向き直る。
 その際にメイアは、何故だか胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
 鳥籠は、きらい。閉じ込められるのは、きらい。それでも。
「鳥ならば出してあげたいけれど、あなたは、ダメ」
 囚われの身が哀れに感じたとしても今は情けも容赦も必要ない。メイア達の視線を受けた死神はようやく此方を認識した。そして、鏡の少女は問いかける。

「――あなたは、大切な人に会いたいですか?」

●映し鏡
 虚ろな質問と同時に、鏡から破壊の魔力が解き放たれた。
 任せて、と踏み込んだキアラが衝撃を受け止め、フェアボーテネを強く見据える。イチカも守りに入り、その隙に攻勢に入ったヴェルセアは炎の蹴りを放った。
「お前にそれを答える必要はない」
 不敵に哂ったヴェルセアに対し、梅子は小さく俯く。
 ふと思い浮かんだのは過去の記憶。若かりし頃、通っていた学校で出来た唯一の友達のこと。梅子が何かを答えようとしたとき、未明がぽつりと口を開く。
「会いたいか、なんて……どうなんだろうな。わからない」
「そうじゃな。少なくとも、今は」
 未明の声に頷き、梅子は敵に狙いを定めた。炎を纏った一撃が放たれた直後、未明も竜槌を振り上げて轟竜の弾丸を解放する。
 それらを受けたフェアボーテネは表情すら変えず、再び質問を行った。
「あなたは、死んでしまった大切な人に会いたいと思いますか?」
「そうね、逢えるものなら会いたい……」
 宿利は素直な気持ちを語りながら、オルトロスの成親と共に攻撃を仕掛けにゆく。蹴撃の直後、神器の瞳が敵を射抜いた。
 その間にメイアはコハブと一緒に仲間の援護に回り、床に守護星座を描く。力の加護を広げたメイアは敵を瞳に映し、ゆっくりと問いに答えた。
「わたくしも会いたいわ。会いたいけれど、会いたくないの」
 大事なおばあ様はもう居ない。もし会えたとしたら、それは悲しいこと。
 だから、と瞳を伏せたメイアは仲間達を支え続けようと心に決めた。其処に続いてテレビウムのスペラが動画を再生し、皆を応援していく。
 キアラも次の一手を放つべく敵の横手に回り込んだ。その際、大切な人との思い出がキアラの脳裏に過る。
「……いっちゃん大切な人には会いたくない」
 大切な人は母さまだ。けれど、偽物の骸しか見つからなかった。会いたいと答えてしまったら、母が死んだと認めることになってまう。それゆえに逢いたいと望みはしないと誓い、キアラは電光石火の一閃を見舞った。
 苺も黄金の果実を解き放ち、ボクスドラゴンのマカロンに皆を守るよう示す。
 苺とて、長く生きている故に色々な事があった。
「先日はドラグナーになったわたしの大事な人の一人を倒すしかなかったから、もう一度あのコに会って話がしたいかな?」
 そう語った苺だったが死神は反応すらしない。やり辛いナ、と眉を顰めたヴェルセアは更に攻撃を重ねるべく、王殺しの怪物を解放した。
「感謝しロ、お前の刑期は今日で終わりダ」
 問いには敢えて答えない。喪ったとしても、自分は笑い続けるだろうから。
 しかし、鏡は更に問う。
「大切な人に、会いたいとは思いませんか?」
「あわせてくれるの? だってわたしはあいたかった。ずっとずっと、待ってた」
 お姉ちゃんにまた会う日を、と口にしたイチカは掌をぎゅっと握った。けれど、それを叶える日はもっと先になる事も解っていた。
 ファミリアを放ったイチカに続き、宿利も思いを言葉に変える。
「兄様に、家族に。沢山聞きたい事がある、伝えたい事がある。でも、貴女にそれは出来ないのよね……?」
 狂気にのまれた相手に答えは求めていない。
 それでも、只管に繰り返される無意味な質問に、そう返さずにはいられなかった。

●過去の幻
 それから、戦いは激しく巡る。
 現状は優勢。フェアボーテネの体力もかなり削ることが出来ていた。
 だが、首魁であるレギンレイヴとほぼ同時に敵を倒すのが今回の目的だ。合図がない以上は勝手に倒してしまうわけにはいかない。
 未明達は視線を交わしあい、癒しと守りを主体にした戦法に移ってゆく。
「スゥ、皆を癒し続けてあげてな」
「コハブも暫くは補助に回って欲しいの」
 キアラとメイアはサーヴァントに呼び掛け、攻撃を止めさせた。そんな中でヴェルセアは溜め息を吐き、気怠そうに肩を落とす。
「持久戦ってあんまり好きじゃねぇんダ、ダルいかラ」
 俺が飽きる前にさっさと本丸を落として欲しいネ、と呟いたヴェルセアは鳥篭の外を見遣った。しかし、どうやら首魁との戦いはかなり長引きそうだ。
 其処から幾度も攻防が続いた。
 ケルベロスは防戦一方。誰かが攻撃を受ける度に癒しの力が施されたが、同時にヒール不能ダメージも蓄積してきている。
 現に今、仲間を守り続けたマカロンが敵の一撃によって倒れてしまっていた。
「これはちょっと危ないかもね」
 苺はいつでも癒しを行える手筈を整え、他班の撃破合図を待ち続ける。しかし、その間にもフェアボーテネの鏡は容赦のない一閃を見舞ってきた。
「気ぃ付けて、そっちに狙いが向かってる!」
 敵の動向を感じ取ったキアラはヴェルセアに向けて呼び掛けた。イチカも庇いに走ったが、死神の動きの方が早い。危ない、というイチカと苺の声が響いた刹那。
「――しまっ、タ……」
 ヴェルセアは鏡の斬撃に貫かれ、その場に膝を突いた。
 仲間が倒れたと察した宿利はすぐさま成親を呼び、彼を撤退させるように願う。
「誰も死なせはしないわ。成親、お願いね」
 主の指示に答えたオルトロスは器用に仲間を引き摺り、鳥篭の外へ運び出していく。その間に梅子が敵の前に飛び出し、敵の攻撃射線を遮った。
 これで一先ずは倒れた者のグラビティ・チェインが奪われることはないだろう。
 それでも、持久戦によって戦線が崩れ始めているのは間違いない。未明は気を引き締めながら身構え、苺もこれ以上誰も倒れぬように癒しを重ねた。
「はーい、みんなっ。絶対うまくいくからついてきてねっ」
 明るい言葉で仲間を鼓舞した苺は、きっと大丈夫だと信じ続ける。
 対するフェアボーテネは此方の危機的状況にもまったく構わず、淡々と同じ問いかけを繰り返していた。
「あなたは、大切な人に会いたいですか?」
 何度も聞いたセリフに対して梅子は耳に胼胝ができると頭を振る。しかし、梅子は敢えてその問いに答えようと口を開いた。
「大切な人に会いたいか、のう。勿論、けれどそれは今ではないのじゃ」
 そう語る梅子も既に満身創痍だ。
 次の瞬間。息を吐き、体勢を整えようとする梅子に敵の一撃が放たれた。イチカ達にも庇う力は残っておらず、梅子は痛みを覚悟する。
 鋭い衝撃が襲い、その身体がぐらりと揺れた。だが、彼女は顔をあげた。
 ――会いたい人に逢うのはきちんと誇れる自分になってから。そうすれば、あいつもきっと笑ってくれるはず。ゆえに!
「こんなところでかっこ悪く死ぬわけにはいかんのう! みなで、生きて帰るのじゃ!」
 痛みを凌駕した梅子は果敢に耐えた。
 すぐさまキアラが飛び出し、仲間の前に立ち塞がる。
「君も黙って灰にされたくあらへんやろ、だったらこっち向き」
 何度だって応えるから。これ以上、彼岸に向かう仲間を増やしたり出来ない。キアラが強い意志を固めた、そのとき。
 レギンレイヴを相手取る仲間達が放った照明弾があがった。
「みんな、今なの!」
 合図に気付いたメイアが懸命に呼び掛け、仲間達は一斉攻撃に入る。
 願うのは、大切な人の魂が永久に安らかに眠ること。メイアは雷獣を呼び寄せ、行ってライちゃん、と敵を示す。
 雷光が尾を引いてゆく様に続き、イチカがフェアボーテネに向けて駆けた。空っぽの心を持つ死神は何だか絡繰りや機械めいて見える。
「長い長い時をきみも誰かを待ってたの? けど、『ずっと』なんてことはないから」
 きみもここで終わるんだ、と告げたイチカは在りし火を顕現させた。
 この死神もまた、鉄と炎以外で動くモノ。それなのに、と呟いたイチカの一閃がフェアボーテネを貫いた。
 苺も渾身の力を揮って地裂撃を見舞い、合わせて動いた宿利も素早い踏み込みで以て、一気に間合いを詰める。
「我が刃が断つは其方の刻を……!」
 光の花弁を伴い、三日月状に斬りあげた一閃はまるで月の欠片が散る様のよう。
 キアラもスペラを連れ、終わりを齎す為に動く。
「君は死神で、もうどんな思いを抱えてたかなんて解らないかもだけど。永遠を終わらせる魔法の言葉をあげる」
 おやすみ、と告げたキアラは天呪の力を発動させた。
 霧と共に迸る衝撃に穿たれたフェアボーテネの鏡にひびが入る。だが、少女は尚も淡々とした口調で問いを投げかけてきた。
「あなたは、大切な人に……」
「会う必要なんかないんだ。おれがいきれば、あいつはしなない」
 すると未明が言葉を遮り、硝子壜の蓋をひらく。烟る彼我に辺りが霞がかった瞬間、未明は不意にこの名を持つ本当の者の姿を思い浮かべる。
 『彼』の代わりに生きている自分がこんなところで倒れるわけにはいかないから。
 未明の放つ薄月の力が敵を揺らがせたことに気付き、梅子は地を蹴った。
「此処で全部、終わらせるのじゃ!」
 そして、彼女は鏡の少女が抱く罪を裁く。執行者として振るわれた一撃は鏡の真正面、少女の心臓を貫き、そして――硝子が砕け散る音が響いた。

●大切なひと
 映っていた少女は消え去り、豪奢な鏡がその場にぱたん、と倒れる。
「きみは、きみのあいたいひとにあえるといい」
 おやすみなさい、フェアボーテネ。
 未明は目を閉じ、割れた鏡を見下ろした。死神にそんな相手がいるのかは永遠に分からないが、それでも願うことは無駄にはならないはず。
 牢獄の中、他のヴァルキュリアや死神達も殆どが撃破されているようだ。
 此方も戦闘不能者はいるが大事には至らない。何とか役目は果たしたと感じてほっとしたメイアだったが、不意に違和を覚えた。
 次の瞬間。鳥篭が大きく揺れ、空間全体に亀裂が走りはじめる。
「この振動、何だか怖いの」
「もしかして、この場所が崩れてきてるん!?」
「まさか、そんな……」
 キアラがはっとして周囲を見渡し、宿利も言い知れぬ危機を察した。長年の様々な経験上、梅子はこの場に居ては危険だと判断し、鳥篭の扉をひらく。
「急ぐのじゃ! このままだと崩壊に巻き込まれてしまうからのう」
「いけない、この人もちゃんと運ばないとっ」
 その声に応じた苺は鳥篭の外で意識を失ったままだったヴェルセアを運ぶ準備を整える。そうして、仲間達は地上に繋がる鳥篭まで駆けた。
 脱出の際、イチカはそっと振り返り、此処に囚われていた者達を想う。
「わたしもずっと、機械に繋がれていたからわかる。外の世界はひろくて、自由で、」
 きみにも、きみたちにも教えてあげたかった。
 空は青い、陽は金色。夜には、どんな星も綺麗だってことも。
 でも、それが叶わぬことだとも解っている。イチカが瞳を伏せたことに気付き、梅子はその肩をやさしく叩く。行こ、と告げたキアラにメイアが頷き、未明も全員が揃ったことをしっかりと確認した。
 そして、宿利は転移の護符を使用する。
 こうして古のヴァルキュリアと死神達が引き起こす惨事は未然に防げた。地上に戻ればきっといつも通りの日々が待っているに違いない。
 ――あなたは、大切な人に会いたいですか?
 そのときふと、鏡の少女が問いかけ続けた声を思い出し、宿利は小さく頷く。
「ええ、とても逢いたいわ。だから……」
 大切な人に、会いにいこう。
 今手の届く場所にいる、命ある大切な人達に――。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年3月17日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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