素敵な虚言に溺れて

作者:秋月きり

 薬師寺・京都は彼の事を『先生』と呼んでいた。
「先生と言う大仰な仕事はしていないのだけどね」
 困ったような苦笑も、その奥の真摯な瞳も、全部、好きだった。
 別に教師と教え子と言う間柄でない。京都が通っていた音楽教室に出入りしていた調律師。それが彼だった。本名はシントニスモス・アコンダビッドと言うらしいが、長ったらしいので先生で通していた。何処かそんな雰囲気を持った人だったから。
 やがて二人だけの時間は長くなり、ようやく漕ぎ着けたデートは、夜景の綺麗なホテルのレストランで行われる事になった。
 ――だが。
「……はい。そう、ですか。判りました」
 ディナーの後に響く携帯電話の音は、二人を分かつ悪魔の様に思えた。
「お仕事?」
「……そうだね。上司に呼ばれてね」
 いつもの如く困った表情を浮かべた先生は、ああ、そうだ、と京都に問う。
「ミヤちゃんは、僕の事、好きかな?」
 突然の告白にドギマギしてしまう。なんと答えたか、覚えていない。激しく頷いた気もするし、「はい」と一言だけ呟いた気もする。
「そうか。良かった。どうも、僕はこう言う事に疎くてね」
 先生の手が頬の触れる。頬を撫でる。顎に触れる。首に触れる。
「キミのグラビティ・チェインならばレジーナも喜んでくれるだろう」
 ごきり。
 京都が最期に聞いた音は、自身の脛骨が彼に握り潰される音だった。
「さて。手土産は多い方がいい。調律を始めるとしようか」
 潜伏中のダモクレス、シントニスモス・アコンダビッドによる虐殺は、彼を慕う少女を犠牲にする事から、始まった。

「指揮官型ダモクレスの地球侵略が始まった事は、もう聞き及んでいると思う」
 ヘリポートに集ったケルベロスを前に、リーシャ・レヴィアタン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0068)は難しい表情を浮かべる。
 リーシャの見た予知は指揮官型ダモクレスの一体『コマンダー・レジーナ』に関わるものだった。彼女は数多くの配下を地球に送り込んでいた様なのだが、それらが彼女の着任と共に動き出したのだ。
 配下の多くは命令に従い、そのまま撤退したようなのだが、中には行き掛けの駄賃の如くグラビティ・チェインの略奪に走る者もいた。リーシャが見たシントニスモス・アコンダビッドもその一人である。
「彼は潜伏中に知り合った女性を殺害し、グラビティ・チェインを奪うわ」
 そしてそれを皮切りに、その場にいた人々を次々と惨殺し、グラビティ・チェインを奪取するのだ。
「みんなは彼が行動を起こそうとする直前に乗り込む事になる」
 すなわち、シントニスモス・アコンダビッドが女性――薬師寺・京都と言う名前の少女を殺害する直前だ。だが、此処で問題となるのは彼女の扱いだった。
「恋する少女の盲目さと言うべきか、みんながシントニスモスを害そうとすれば、彼女は彼を庇うでしょうね」
 ケルベロスによる説得も意味を成さない可能性が高い。それでも説得するか、或いは力尽くで排除するか、臨機応変な対応が必要だろう。
「とは言っても、シントニスモスの目的はグラビティ・チェイン奪取。隙あらば彼女の殺害を企てるわ」
 見捨てると言う選択も残されているが、それは避けた方がいいだろうと言うのがリーシャの助言だった。
「あと、シントニスモスは音楽に関わるグラビティで攻撃してくるようね」
 精神に働きかける能力が主になると言う。それも充分に気をつけて欲しいと言葉を続ける。
「グラビティ・チェインの奪取を終えた彼もコマンダー・レジーナの元に向かおうとするはず。彼女にこれ以上の情報を渡さないよう、ここで撃破して欲しいの」
 そしてリーシャはいつもの如く、ケルベロス達を送り出すのだった。
「それじゃ、いってらっしゃい。みんななら大丈夫って信じてる」


参加者
天尊・日仙丸(通販忍者・e00955)
ヴィルフレッド・マルシェルベ(路地裏のガンスリンガー・e04020)
七星・さくら(桜花の理・e04235)
ノイア・ストアード(記憶の残滓・e04933)
近藤・美琴(鍵上の神子・e18027)
千里・雉華(月下美人と白詰草・e21087)
ジェミ・ニア(星喰・e23256)
リビィ・アークウィンド(緑光の空翼騎士・e27563)

■リプレイ

●夢見る少女
 中学の頃、臨時講師として『先生』は学校にやって来た。だから初めて出会ったのは4年前になるだろうか。
 物静かな人だった。冷血漢と言うわけではなく、何処か一線を引いている感はあったものの、どんな生徒にも分け隔てなく接する、優しい人だった。
 そんな彼に放課後、ピアノを教えて貰ったのはちょっとした優越感を感じていた。だが、それよりも、彼にとって自分が特別な存在だと思えた事が幸せだった。
 ――今にして思えば。
 その淡い感情は、恋だったのかな、と思う。

(「そう。今にして思えば」)
 ヘリオライダーの予知を聞いて、さほど驚きを感じなかった自分に近藤・美琴(鍵上の神子・e18027)はむしろ、戸惑いを覚えてしまう。
 分け隔てなく接していたのは、彼――シントニスモス・アコンダビッドがダモクレスだったから。人に掛ける情を持ち合わせていない超常存在だからこそ、何も感じず、誰しも平等に接する事が出来た。
 自分に優しくしていたのは、何処かでケルベロスの素質を感じていたからなのだろうか。いずれ、グラビティ・チェインを刈り取る為、近くに置いておきたかった。それだけなのだろうか。
 つまり。
「美琴……」
 千里・雉華(月下美人と白詰草・e21087)の声に大丈夫と応える。心配そうな視線は親友からだけではない。天尊・日仙丸(通販忍者・e00955)の優しい眼差しも、七星・さくら(桜花の理・e04235)の心配そうな表情も、ジェミ・ニア(星喰・e23256)の静かな頷きも、誰も彼もが自分を支えようとしてくれている。恩師と仰いだ存在を討つ事に痛みを覚えても、それを行わない理由は思いつけなかった。
「そろそろ、時間です」
「京都さんを助けに行きましょう」
 リビィ・アークウィンド(緑光の空翼騎士・e27563)の言葉と、ノイア・ストアード(記憶の残滓・e04933)の宣言が淡々と紡がれる。
「出入口は全て確認済。避難誘導も問題なし。……後は、美琴さん。貴方次第だよ」
 力強いヴィルフレッド・マルシェルベ(路地裏のガンスリンガー・e04020)の言葉に、無言で頷く。
 先生による事件の犠牲者と予知された少女、薬師寺・京都――ミヤちゃんは必ず助ける。そう決めた。そう誓った。
 何故なら。
(「彼女は、私だ」)
 自身に起きたかもしれないもう一つの未来。だから。
 ――何が何でも、彼女だけは助けたかった。

●虚像の中で震えている
 扉が開く。迎え入れる声も、人々が奏でる談笑も無視し、一直線にそこに向かう。
 懐かしい顔があった。知らない顔があった。懐かしい顔は懐かしい困ったような表情を、知らない顔は和らげな少女の表情をしていた。
 それらが戸惑いの表情を浮かべるより早く、美琴は言葉を紡ぐ――筈だった。
「お久しぶりです、せん……」
 言葉が途切れた。涙が零れ、視界が揺らぐ。いくらヘリオライダーの予知で彼が敵だと断じられようと、それを心の何処かで認められない自分がいた事を思い知らされてしまう。
 だが。それでも。
 肩に添えられた親友の手に励まされ、続く言葉を紡ぐ。それは決別だった。
「――先生。いえ、ダモクレス、シントニスモス・アコンダビッド。私を覚えていますか?」
 京都の表情を見れば判る。おそらく、惨劇に繋がる告白が終わった処なのだろう。即ち、今、この瞬間は京都の命が刈り取られる間際。美琴の言葉がなければ、彼はそれを完遂していた筈だ。
「ああ。懐かしいね、近藤さん。……いや、美琴ちゃん」
 『ダモクレス』との問い掛けは否定せず、ただ、微笑を形成する。場違いなその表情で理解した。ダモクレスは心を持たない。だから、彼は、今の状況を誤魔化そうとも言い繕おうともしないのだ。
「先生?」
 訝し気な京都の声に、シントニスモスはああ、と頷く。
「昔の教え子だ。懐かしいね。もう、3年……いや、4年になるかな?」
 その後に紡がれた臨時講師の仕事をしていた時に知り合った子だと言う説明は間違いじゃなかった。
 ただ、放課後、ピアノのレッスンをつけて貰っただけの関係だ。それも間違いじゃない。その後、美琴の進級と同時期に臨時講師の職を全うした彼は学校を去っていった。それだけの間柄。
「潜入工作は完璧だった、ですね」
 リビィの独白は、皆の心の代弁だった。おそらく潜伏先で彼がデウスエクスであると気付けた者は誰もいなかっただろう。当時は未覚醒であった美琴ですら、ヘリオライダーの予知を聞くまでは知らなかったのだ。ケルベロスがその場に居合わせても、もしかしたら正体を看過する事は不可能だったかもしれない。
「あの日々は演技だったんですか? 放課後、毎日、ピアノを稽古してくれましたよね?」
「懐かしいね。キミの上達は早かった。感心したものだ」
 美琴の慟哭にも似た問いを、シントニスモスは笑顔で受け流す。傍から見れば痴話喧嘩にも見える言い争いはしかし。
「でも、あれは偽りだった。――信じたくなかったけど、貴方は誰のことも好きじゃなかった! 貴方はダモクレスで――本当に大切なのはレジーナだけだった!」
「それは少し語弊がある」
 教師の如く、美琴の言葉を遮り、シントニスモスは訂正の言葉を口にした。
「上司は大切だ。だが、それはキミの意図とは違う。私は誰も好きになった事はないし、今後もそうならないだろう。……ダモクレスである私は、そう言う風に出来ていない」
 判っていたその言葉に、それでも息を飲む。
(「――先生」)
 本当は否定して欲しかった。違うと言って欲しかった。それが自分じゃなく、京都と言う少女に向けられていても、愛していると一言でも口にして欲しかった。
 だが、彼は肯定した。自分がレジーナの命で潜伏していたダモクレスである事も、美琴達とは異なる存在である事も、何もかもが虚言であった事も。
「どうして……?」
 京都から呆然とした言葉が零れる。少女の夢は瓦解し、しかし、それを意に介せず、シントニスモスは宣言する。――意に介す心を、ダモクレスは持ち合わせていない。
「さて。長話も過ぎたようだ。あまり上司を待たせるのも良くないのでね。そろそろ退散させて頂こう。――キミ達のグラビティ・チェインを手土産として」
 抜刀の如く、シントニスモスが抜き放ったのは自身の得物であるバイオリン。同時にケルベロス達もまた、各々の得物を抜き放ち、身構える。
「さぁ。調律を始めるとしようか」
 シントニスモスの声が騒然とするレストランの中に、響いた。

●素敵な嘘に溺れて
 呆然と座り込む京都の身体を、強引に飛び掛かったリヴィが抱き竦める。彼女が光の翼を展開するのと、シントニスモスのバイオリンが音色を奏でるのは、ほぼ同時だった。
「それを置いて行け」
「断る! 絶対に殺させない!」
 凶器と化した音色はしかし、割って入ったジェミの鎖によって阻まれる。その隙に飛翔したリヴィはそのまま窓ガラスへ。甲高い破砕音が、辺りに響いた。
「――ちっ」
 周囲を見渡せば、日仙丸、ヴィルフレッド、さくら、ノイアの4人によって従業員や客の避難誘導が行われている。質が劣るグラビティ・チェインだが、それを甘んじて逃す理由はない。それらを刈り取ろうと再びバイオリンの絃に弓を押し当てる。
「させまセんよ」
 飛来した雉華の飛び蹴りに、それを遮られる結果となった。態勢を整える為に彼が踏鞴を踏んだのは数度瞬く程度の時間だった。だが、ケルベロス達にとってそれだけあれば充分。
「誰も殺させない。そう言った筈ですよ」
 ジェミの挑発の言葉は守護の魔法陣と共に紡がれる。京都だけでなく、一人の犠牲も出さない。それが彼の誓いだった。
「先生」
 ジャマーの恩恵を身に纏いながら、美琴はその名を呼ぶ。その声に揺らぎはない。覚悟は既に決まっていた。
「――貴方を倒します」

 避難誘導が完了するまで、時間にして数分だった。
 息を切らせながら戻ったさくらは目の前に広がる光景に息を飲む。同時に流れる汗は、彼女の焦燥を示していた。
「ジェミ殿、よく耐えたでござる!」
 憧憬を呼び覚ます曲から仲間を庇った日仙丸が表情を歪める。刺激された精神的外傷は、そんな彼の心を削り取っていった。
 腕の中で酸素を求め、大きく喘ぐジェミは、目に見えて疲労の色が濃かった。目立った外傷がないのは、ダモクレスのグラビティの性質によるものだろう。盾役として職務を全うした彼が負ったダメージは、彼らと共に駆け付けたノイアによって癒される物の、完治には程遠かった。
(「3人、だもんね」)
 魔法の木の葉を自身と美琴に纏わせながら、ヴィルフレッドはむむっと唸る。そこには悔悟の色すら、浮かんでいた。
 本来ならば8人で応対するべきダモクレスに、3人で挑んだのだ。避難誘導を完了させる数刻とは言え、分の悪い賭けであった事は事実だった。加えて、3人とも狙いを分散すべく、隊列を異ならせていた。故に、単独で前衛を担ったジェミに攻撃が集中したのも致し方ない結果だった。
「避難は完了したか?」
「ああ。後顧の憂いは断ったでござるよ!」
 日仙丸の言葉に頷いたジェミは立ち上るオーラで自身の傷を癒す。
「じゃあ、あとは奴を倒すだけだな」
 不敵な笑みは、皆が役割を全うしたから最良の結果を得られたと、誇らしげであった。
 避難誘導を4人で行ったからこそ速やかに完了し、犠牲者を出さずに済んだ。リヴィが京都を外に連れ出したからこそ、彼女の犠牲を防ぐ事が出来た。ならば。
(「この程度の痛み、何でもない」)
 こうして間に合ったのだ。恨み言が零れる理由などなかった。
「全く。しぶといですね」
 愚痴にも似た言葉と共に、シントニスモスは自身が奏でる旋律を変更する。その音色の名前は夢。夢魔の如くケルベロス達に侵入するそれは、日仙丸達にダメージと虚脱感とを抱かせる。いつしか、彼らの目の前にいる存在はダモクレス等ではなく。
「美琴……ちゃん?」
 さくらはその名を呼ぶ。ああ。そうだ。この音は彼女が奏でる音だ。ならば目の前のそれはさくらの知る近藤・美琴に他ならず――。
「惑わされては、駄目です」
 淡々としたノイアの声と、彼女の放つ黄金の光がさくら達を侵食する幻影を吹き飛ばす。
 彼女の攻性植物が求めるものは死。それは仲間達ではなく、目の前に立ち塞がるダモクレスの死だ。黄金の果実による癒しは、その成就の為の力であった。
(「ああ、成程、でござる」)
 日仙丸は頷き、友人に視線を送る。
 美琴はシントニスモスを恩師と仰いでいた。シントニスモスは美琴に自身の旋律を伝えていた。ダモクレスとオラトリオ。デウスエクスとケルベロス。交わる事のない二人だが、やはり何処か繋がっていた。
(「これが師弟でス、か」)
 雉華は嘆く。だが、それが親友に伝わらなければ良いとも思っていた。
 もしかしたら、何処かで二人は通じ合えたのかもしれない。だが、その未来を描く事は出来ない。侵略者と番犬。決定的な処で、二人は異なる道を歩む事が決められていたのだから。
(「結末は……判らずとも」)
 突入前に行ったゲン担ぎのコイントスは、彼女の手に収まらず、弾かれる結果となった。その意味を雉華は図る事が出来なかった。
「青いメモリのパスワードを入力。――解除成功。奥の手を使わせていただきます」
 全ての旋律を断ち切るよう、ノイアの声が響く。掌の中で砕けたUSBメモリーの欠片はさらさらと風に流れ、勇猛な戦士の恩恵が、仲間達に施される。
「ぴぃぴぃ、ぴりり、ちぃちぃ、ころり……おいで、おいで、雷雛遊戯」
 追撃はさくらによって行われた。ぴぃぴぃ、ちぃちぃ。旋律に対するは童謡。電光纏う雛鳥達は歌い、その嘴は苛烈に、容赦なくシントニスモスの身体を啄む。
「――やはり、キミ達は邪魔だ」
 シントニスモスは忌々しげに呟き、再び夢の旋律を奏でるべくバイオリンを構える。だが。
「君の事なんてお見通しさ。……ほら、そこ!」
 ヴィルフレッドの弾丸は、その弓を持つ掌に突き刺さった。銃撃に弓を取り落とす事は無かったものの、その損傷は一瞬だけ、彼の奏でる旋律を中断させる結果となる。
 そして、美琴が動いた。
 自身のグラビティ・チェインで虚像のピアノを編み上げ、鍵盤に指を叩き付ける。響く音は彼女の御霊。奏でる叫びは、彼女の想い。
「響け……宇宙で一番、身勝手で大それた音色よ! これが私の、私達の『心』だ!!」
 巨大な槌と化した音が、シントニスモスに叩き付けられる。音は破壊の力となり、その身体を蹂躙していった。
 それは大切な神である彼に捧げる音。彼そのものを――シントニスモスの心を震わせる事を願って織られた、少女だけの願い。
「馬鹿な……」
 シントニスモスの呟きは、自身が破壊される事への忌避か、それとも。
「――これが、心……」
 心持たないダモクレスは、しかし、そんな断末魔の声を零す。
 絶命の間際、それが形成した表情は――何処か、羨望混じりの、それでいてはにかんだような笑顔だった。
 やがて、その表情もまた、身体と共に光の粒子へと溶け、消えていく。
(「それは、まるで、弟子の成長を誇るような、でス」)
「終わったね」
 雉華の嘆息に、ヴィルフレッドの言葉が静かに、重なった。

●月が心を照らしてる
 リヴィがレストランに戻った時、全ては終わりを告げていた。
 館内は既にヒールが施され、戦闘の痕跡を伺う事は出来ない。シントニスモスの遺体も光の粒に消えてしまったのか、そこに影も形もなかった。
 ただ、美琴が幻想で作り上げたピアノを奏でている。その切ない音色は、リヴィに鎮魂歌を想像させた。
「終わったんですね」
 自身が突き破った窓ガラスも、既にヒールによる修復を終え、冷たい外気を遮断する役目を再開している。その先で赤く染まった月が、まるで自分達を見つめるよう、柔らかな月光を放っていた。
 誰も言葉を発しない。だから、リヴィもそれに倣う。椅子に腰を下ろし、少女の演奏に耳を傾ける。
 ああ。と感嘆する。音楽とはこう言う風に心に響くものなのだ、と。

(「先生……」)
 最期の瞬間、望む奇跡が起きたのか。それは誰にもわからなかった。だから、そうだったらいいなと、それだけ願う。
(「先生。私のピアノ、どうでした? 上手くなったって……褒めてくれますか?」)
 その答えも判らない。ただ、あの困ったような表情で、そうだねと笑い掛けてくれるような気がした。
 だから、心の中の師に言葉を添える。それが、一番ふさわしい言葉に思えたから。
「ありがとう、先生」
 静かな曲の中、静かに、少女の呟きだけが響き、消えていった。

作者:秋月きり 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年3月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 9/感動した 12/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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