無残にひしゃげた乗用車の列、鮮血で真っ赤に染まった歩道。哀れな犠牲者たちが点々と横たわる様子は、さながら血の池地獄に溺れる亡者だ。そのだれもが、五体を満足に留めていなかった。
「いた、い……やめて、もう、やめて」
己の命がだくだくと体外に流れ出ていくのをむざむざと見せつけられながら、それでも男は生かされていた。苦痛なき死を迎え入れることすら、襲撃者は許さなかったのだ。
「おね、がい……た……たすけて」
言葉など通じないとわかっていながらも、彼はうわごとのように命乞いを繰り返していた。かろうじて震える喉を、襲撃者――虎は、前肢のひと踏みで掻き切った。
いよいよ、視界に動くものがなくなってしまった。つまらないとでも言いたげに尾を揺らし、虎は次なる遊び道具を探しに車道を歩き始めた。そう、遊び道具。罪なき市民をいくら仕留めたところで、虎にとっては余興にすぎない。
いたずらに人をいたぶり続けるこの悪趣味な遊戯には、ひとつの目的がある。好き放題に散らかした屍のひとつひとつが、いわば鯛を釣るための海老だ。鯛、すなわち、虎にとって狩るべき価値のある獲物はただひとつ――デウスエクスに死をもたらす地獄の番犬・ケルベロス。
虎の名は『ジ・アース』。踏破王クビアラに組する、対ケルベロス用前線配備ダモクレスが一機である。
……事態のあらましを語り終えると、白鳥・セイジ(ドワーフのヘリオライダー・en0216)は己の頬をパチンと張り、沈痛な面持ちから果敢なヘリオライダーの顔へ切り替えた。
「指揮官型ダモクレスたちが競って地球侵略に本腰を入れ始めたのは、皆も知っているだろう。そのうちの一体、『踏破王クビアラ』が新たな手勢を送り込んできた。特定の敵に特化した恐るべき力を与える能力――『魔障』をより強化するため、ケルベロスの戦闘データを採集しようとしているらしい」
これまでも、複数体のクビアラの配下がケルベロスとの戦闘経験を得るために地球に現れた。その誰しもが、ケルベロスと戦うためならどんな手段も選ばない残虐な強敵であった。いままさに対峙しにいく敵もなんら変わらない。ケルベロスを挑発するかのように、帰宅ラッシュをむかえたオフィス街を襲撃し、道行く人々を生前の面影も残らぬほどもてあそんで殺す……そんな非道極まりない行為を繰り返しているのだ。
「非常にふがいないことに……ヘリオンの全速力をもってしても、敵の襲来には間に合わない。……ならば我々がとれる最善策は、一刻も早く敵を排除し、被害の拡大をくい止めることだ。ケルベロス諸君、どうか協力してほしい」
オフィス街に現れたジ・アースは、外見こそ実在するアムールトラと同一であるものの、その実態は生態系の頂点たる猛獣の攻撃性を極限まで高めるよう設計されたダモクレスだ。強大な大爪で獲物を捕らえ、大顎で確実に急所を食い破る。単純ゆえに洗練された捕食者の挙動が、ケルベロス相手に通用するほどに強化されているのだ。さらに、究極に高められた瞬発力は衝撃波による遠距離攻撃さえ可能にしている。
「ケルベロスとの実戦でデータを取得させるために差し向けられた個体だ、一筋縄ではいかない強敵だろう。しかし、敵の思惑にむざむざ乗ることなどない。データを取らせる暇さえ与えないほど電撃的に攻撃を畳みかけ撃破するのがひとつの手だ。有効なデータを掴ませない策を考えるのならば、わざと手心を加えて我々の力を見誤らせることや、いままでまったく使ったことのない戦略を駆使して挑むことも有効だろう。……ただし、まず優先すべきは敵の撃破だと覚えていてほしい。戦況を見誤ると、君たち自身が劣勢に立たされることにつながりかねない。それに、策を見破られれば、ジ・アースはこちらを挑発するため一般人に手をかけることさえ考えられる」
考えながら話すうちにできた眉間のしわを解き、セイジは改めてケルベロスひとりひとりの顔を見上げた。
「失敬。どう戦うか選択するのは、実際に立ち向かう君たち自身だったな。どんな思惑があろうと、この地上で連中の好きなようにはさせまい。さあ、行こう」
彼の誘導に従い、ケルベロスたちはヘリオンの搭乗口へと歩み始めた。
参加者 | |
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アルフレッド・バークリー(行き先知らずのストレイシープ・e00148) |
安曇・柊(神の棘・e00166) |
ロイ・ベイロード(剣聖・e05377) |
メルーナ・ワードレン(小さな爆炎竜・e09280) |
御影・有理(書院管理人・e14635) |
九十九屋・壬晴(迷い猫・e16066) |
ジャニル・クァーナー(白衣の狩人・e20280) |
マリー・ブランシェット(銀朱・e35128) |
●瞬く灯火
薄雲りの空の下で街灯が地上の星空のように輝く街の中、不自然に静まり返った一角を、尾を引く光が走る。すれ違いざまに光が照らしていくのは、ショーウインドウが見る影もなく砕け、根元から曲がった標識の下で乗り手を失ったバイクが潰れ……どこもかしこも、熱を失った赤黒い液体で塗りたくられている光景。
「ジ・アースだったか。狩人を気取る模倣の虎は」
走る光――ジャニル・クァーナー(白衣の狩人・e20280)の左目は、惨劇の跡に影を落としながら、いっそう激しく火の粉を吹きあげた。
「冗談じゃない。こんなもの――」
「あいつ、遊んでやがるんだ……ふざっけんじゃないわよ……ッ!」
ジャニルの言葉を継ぐように、メルーナ・ワードレン(小さな爆炎竜・e09280)が強い怒りを嚙みしめる。普段は黒い影がくすぶる彼女の翼と尾は歩を進めるごとに火勢を増し、いまや相棒のミカンの鱗と変わらぬ紅一色と化している。デウスエクスによる暴虐の中で灯った彼らの地獄の炎が、許されない非道を前にして声なき怒号をあげているのだ。
ケルベロスたちの先頭を走る九十九屋・壬晴(迷い猫・e16066)が、白い上着の余らせた袖を旗のようにぶわりと広げた。
「みて。……アレ、とらさん?」
彼がのぞいた曲がり角の先に、横転した車に乗りあがって執拗に内部を掘り返す警戒色の巨体。虎という生物を見たことのない壬晴は、丸い瞳を大きく見開く。
「見た目だけなら、そうですね。ただの虎さんであれば、どんなにましだったことか」
嘆息まじりにそうつぶやいたのはマリー・ブランシェット(銀朱・e35128)。姿かたちは虎そのものでも、彼らが道すがら目に焼き付けてきた災禍の根源である存在が、ただの生き物であるはずがない。
アルフレッド・バークリー(行き先知らずのストレイシープ・e00148)は愛用のドローンに警戒態勢をとらせ、いまだ車に執着する敵を引きつけるべく声を張りあげた。
「ボクらは、ケルベロスはここにいます。これ以上一般人を襲う真似は止めてもらいましょう!」
ぴたりと動きが止まり、岩ほどもある大きな頭がぐるりとケルベロスのほうを向く。虎――ジ・アースと目が合った一瞬、安曇・柊(神の棘・e00166)は、ウイングキャットの冬苺をかかえる両腕を強張らせた。顎の毛皮はしたたるような深紅に染まり、ナイフのような牙がずらりと並んだ口には、本来ならば人であったはずのものがくわえられていたからだ。
「ひ、ひどい……!」
思わず口を覆う柊のまえに立ちふさがる形で、ロイ・ベイロード(剣聖・e05377)がケルベロスたちの先頭へずいと進み出た。ロイにとって目の前の敵は、かつてほかの戦場でまみえた、今度こそ倒すべき宿敵にほかならない。
「久しぶりだな、プラネットフォース3番機『地球』よ! 他のシリーズはどうした? 喰っちまったんじゃないよな?」
ジ・アースは答えない。発声機能がないという理屈以前に、機械化した脳が体にくだす命令はただひとつだけだったからだ――『戦って、殺せ』。車から飛び降りたジ・アースは首を大きく振り、口にくわえていたものを放った。お前たちもじきにそうなる、と言わんばかりに。足元に投げてよこされた哀れな亡骸を見下ろすとき、御影・有理(書院管理人・e14635)の脳裏を、大切なものを奪われた日の記憶がかすめた。
「もうたくさんだ――これ以上、奪わせはしない」
彼女の肩の上で敵に威嚇の視線をむけるリムも、ともに戦う仲間たちも、口にはせずとも思いは同じだ。非道な簒奪者に死という裁きを下すための戦いがはじまる。
●火中の夜
銀の薔薇のペンダントに触れるのは、心にかかる暗雲を振り払う有理なりのおまじないだ。澄み切った思考が、走り迫る敵の頭上から飛び蹴りを叩き込む走行ルートをはじき出す。アスファルトに火花を散らすエアシューズの最高速度を、ジ・アースは――まさか、目で追っている?
「よそ見してんじゃないわよ、こっちを見ろ!」
そうと気づくが早いか、メルーナは彼自身でも信じられないほどの瞬発力をもって、剣よりむしろ鉄塊に近い得物を振り抜いていた。仲間に降りかかりかけた爪の一撃を正面からに受けても、彼女の闘志の炎は揺らぎさえしない。
「ドローン展開。戦闘領域――構築完了、間に合った……!」
爪が深く身を裂くより早く、アルフレッドのヒールドローンが傷をふさぎに飛来する。旅団の仲間としてともに過ごした時間が、間一髪の連携を成功させた。
「ありがとう、でも無茶は避けてほしい。私たちはみんなで戦っているんだから」
スターゲイザーを叩き込んだ反動を利用して飛び退りながら、有理はいつになく背を真っ赤に燃やす友人に声をかける。
「まあまあ、そのお嬢さんをあまり咎めてくれるな。ジャニルもまた、今日ばかりは行儀よくできそうにないのでな」
「火の手のように速く――今回ばかりは理にかなっています。貴方にも、貴方の後ろにいる『魔障』とやらにも目的を達成させる訳にはいきません!」
畳みかけるようにジ・アースの横腹を刺したのは、ジャニルとマリーのスターゲイザーだ。まず敵の動きを制し、一撃でも多くのグラビティを確実に叩き込む。戦闘データをとらせるより早く敵を倒し、この場所から危機を排除するためにケルベロスたちが選んだ作戦だ。ジャニルが着地するのを待たず、丸太のような後ろ足を寸断せんばかりの旋刃脚がジ・アースの体勢を揺らした。
「貴方にあげる情報なんて、ない……ですよ、ダモクレス。だから……あの、もう、動かないでください」
「そう、『待て』。躾がなってないなら、力づくでやるしか、ないよね」
ぱちんと打った柏手で、壬晴の呪詛は成立した。ジ・アースの首根っこを御業の腕が天からとらえ、ぐいと地面に押しつける。そうして敵の動きが大きくにぶる瞬間を、ロイは狙いすましていた。
「今までの連中の行った所業、ここで払ってもらうぜ――喰らうがいい!」
雷の霊力を帯び切れ味を増した大剣が、鎖帷子のように頑丈な毛皮に大きな穴を開ける。自身から流れた血がアスファルトを汚すさまを見てとり、ジ・アースは牙をむき出して大きく息を吸った。
●咆哮
――ゴゥッ。
突風と共に響いた落雷のような轟音。それはジ・アースの咆哮であり、隠し玉の攻撃手段でもある。
「なっ、冬苺……? こんなことって……まっ、まさか」
なんの前触れもなくビルの壁に叩きつけられた冬苺を見た瞬間、柊は驚愕とともにそれを察した。
「こっちを見ろってば! アンタなんか、ゼッタイ許さないんだから!」
冬苺を助け起こすため飛んでいくミカンを横目に、メルーナは怒りの気迫を気咬弾に込めて撃ち放つ。
「衝撃波! 超高速移動ばかりが発生源だと思っていたが、そうきやがったか!」
「もっとおとなしくなってもらわないと、まったく油断できないわけですね……!」
宿敵の手ごわさを改めて知ってもなお、ケルベロスは果敢に前線へと立ち向かい続ける。まだ傷が浅いならば、敵の足を止める傷をより深くするまでだ。ロイは絶空斬を楔のように撃ちこみ、マリーは裂かれた脚をチェーンソーで狙う。壬晴も巨体にまとわりつく影のように間合いを保ち、開いた傷口をナイフでえぐる。返り血が視界を覆おうが彼にとっては慣れたことだ、なめてきれいにすればいい。
「……ん。ふつう」
あまりにも慣れきった生物の血肉の味――ジ・アースの体は生身のパーツが多いらしい。
「ならば、こいつにとっても馳走だろう。さあ食い殺せ、今日の獲物は大物だぞ!」
ジャニルが解き放ったブラックスライムが巨体とぶつかりあうあいだにアルフレッドは次なるヒールドローン隊を編成し、護衛体勢を着実に築いていく。
「吠えるというなら、私たちも負けてない。そうだろ、リム」
咆哮さえも攻撃ならばこちらも考えがある――有理の意志に従いドラゴニックハンマーは砲撃形態に姿を変えた。応戦の轟竜砲にリムもボクスブレスで加勢する。ジ・アースに動きをとらせないための飽和攻撃は、ケルベロスたちの戦意とともに火力を増していった。
●明日への種火
「……ちょっとは、聞く耳を持ったようね! そうよ、アンタの敵はここにいる!」
肩に穿たれた大きな噛み跡に手を当て、メルーナは未だ燃え盛る気力を溜める。彼女の足元には、身を賭して護衛を担った小さなドローンが落ちていた。
「HD2013MPだけじゃ足りない……すこしだけ我慢してください、すぐによくなりますから!」
脳髄の賦活が効を奏すことに、アルフレッドは心から感謝した。間合いを取って冷静な視点で見ると、ジ・アースの牙は寸分たがいなく相手の急所を狙っている。もしも弱みを見せれば、傷ついても立ち上がろうとする意志すらかじり取ってしまうだろう。派手な攻撃でジ・アースの集中を買ったメルーナは何度も牙や爪の矢面に立っており、体力の限界が近いことをアルフレッドはすでに察していたのだ。
「まったく、一度火が付いたら止まらないんだ、あの子は……!」
言葉とは裏腹に、有理の声に悲壮な響きは薄い。『己の成したいように成し、守りたいものを守る』――朋友の在り方は、有理自身の在り方とも近しいものだったからだ。祖先の力を借りた闇色の鱗の鉤爪がジ・アースの喉元を深く裂いたとき、たしかに手ごたえを感じた。ジ・アースの力も底をつき始めている。
「……安らかに逝けると思うなよ、愚神めが。このジャニルに『殺す』と言わしめた所以、地獄で猛省するがいい」
医療従事者であるジャニルには、この道の上で無慈悲な現実を見てきた――いたずらに弄ばれ、もはやどんな手を尽くしても取り戻せない命たちを。それでも、いま守れるものをひとつでも多く守るため、ケルベロスたちはここにいる。人の尊厳を踏みにじった猛獣を断罪する一太刀に、ロイはすべての力を込めた。
「3番機『地球』よ。いまこそ決着を付ける、これが渾身の一撃だ!!」
右胸から心臓を断ち左肩へと至る逆袈裟斬りは、ベイロード家に代々伝わる奥義。グラビティを叩き込まれた心臓は、二度と動かない。凶悪なる猛虎、ジ・アースは、倒れ伏す巨体でずんと地面を一度揺らしたきり、はじめから地球上には存在しなかったかのように消え失せたのだった。
「怖いものは、いなくなりましたから、ね。……だから、その……なにも怖がらなくて、いいんです。あの……おやすみなさい」
ジ・アースが最後に手にかけ、ケルベロスたちへ投げ渡した亡骸。ひどく傷ついたそれのかたわらに柊は寄り添うと、恐怖に見開かれた両目をそっと閉じさせた。
「今度はほんとのとらさん、見にいきたいな。あんな悪いやつじゃない、ふつうののとらさんを」
壬晴にやさしく笑いかけた後、マリーは改めて、ジ・アースが通ってきた道を見渡した。
「……そうですね。そのためにも、せめて少しでもこの景色を『ふつう』に戻しましょう」
作者:緒石イナ |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年3月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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