恋の病魔事件~キミと、キミの好きな人

作者:古伽寧々子

 目の前が霞む。
 朦朧とした意識、ゆるゆるとした足取りで、結城・陽は何とか手洗い場の縁に手を掛けて身体を預けた。
 昨日、いや一昨日だろうか。いつから何も食べていないだろう。
 食事だけでなく水すらも、身体は欲しているはずなのに、喉を通っていかない。
 それもこれも全て、この胸の痛みのせいだ。
 水道の蛇口をひねる。
 飛び出す水は勢いよく跳ねて、キラキラと陽光を受けて輝く。
 それに唇を付けて飲み込もうとしたその瞬間、激しく咳込んで吐き戻し、陽は廊下にくずおれた。
「陽? ――陽! 大丈夫!?」
 そこを通りかかった少女が慌てて、陽の背中を撫でようと駆け寄る。
 触れそうになった手を払い除けて、ただただ苦しさにえずく。
 鼓動の音が早くなる。胸が、苦しい――。
「繭、触……るな、触らないでくれ。頼む……から」
「けど陽っ」
 そのままずるずると意識を失って倒れ込む陽に、少女が取りすがる。
「陽! 誰かっ助けてっ」
 悲痛な少女の声だけが、廊下に響き渡った。
 
「好きな人に好きな人がいたら……貴方なら、どうするかしら」
 そして、その好きな人が自分ではないと知ってしまったら。
 ――好きな人の気持ちは無視して、自分の方を向かせる?
 ――相手の気持ちを慮って、自分は身を引く?
 ぱちぱちと瞳を瞬いて、詩・こばと(ミントなヘリオライダー・en0087)はことん、と首を傾げてそう訊ねた。
「……僕なら、奪って彼女も幸せにしちゃうかな?」
 芹城・ユリアシュ(君影モノローグ・en0085)がにっこり笑むのに、こばとが肩を竦める。
「そう」
 傾げた首の角度を深くするこばと。
「ところで、原因不明の病気でたくさんの人が入院したらしいわ」
 話を切り替えたこばとに唇を尖らせるユリアシュだったが、そんなことより、バレンタインデイに、純粋な恋をしている人が掛かる病気の方が重要だ。
 その症状は、『胸がドキドキして、食べ物も飲み物も喉を通らない』――それも比喩ではなく、本当に。水さえも身体が受け付けずに、吐き出してしまうため、脱水症状を起こしている人が多いらしい。
「病院に運ばれた人は点滴で何とか助かったけど……根本の原因がわからないと、ごはんが食べられないわね」
 と、いうワケでアイオーニオン・クリュスタッロス(凍傷ソーダライト・e10107)さん達が調査をした結果、その原因は――。
「『恋の病』っていう病魔なんですって」
「……恋の病」
 ふぅん、と繰り返すユリアシュ。
「そ、だから皆で病魔を倒して、恋の病に掛かってしまった人たちを助けてあげて欲しいの」
 脱水症状を起こして病院に運ばれた少年は、病魔と戦闘可能な病室に運ばれているので――そこで、患者から病魔を引き離して、倒して欲しい。
「ウィッチドクターが居れば簡単ね」
 ウィッチドクターがいない場合も、事前に病院に連絡しておけばウィッチドクターを手配しておいてくれるので、心配は無用だ。
「キューピットみたいな病魔は恋とか愛とかの弓矢を打ってくるみたいだから……」
 ダメージもそうだけど、精神的にもやられないでね、とこばとはふんわり笑んだ。
「それと、戦うだけがケルベロスのお仕事じゃないから」
 大事なのは少年――結城・陽が、この病気をトラウマにしてしまわないこと。
 救出した後、経験や、想いを話してあげることはきっと、彼の今後に役に立つことだろう。
「俺たちにしかできないからね」
 ユリアシュが笑む。
 そう、それもまた――ケルベロスの大事なお仕事だから。
 その恋が叶っても、叶わなくても。


参加者
アマルガム・ムーンハート(ムーンスパークル・e00993)
平坂・サヤ(こととい・e01301)
キース・クレイノア(送り屋・e01393)
アストラ・デュアプリズム(グッドナイト・e05909)
鋼・業(サキュバスのウィッチドクター・e10509)
保村・綾(真宵仔・e26916)
長瀬・千夜子(向こう側・e28656)
風陽射・錆次郎(戦うロボメディックさん・e34376)

■リプレイ


 点滴で何とか命を繋いで、ベッドに腰掛けた青白い顔の少年。
 どこかぼんやりと気だるげなのは、身体が本調子ではないせいだろう。
「恋の病は物の喩えじゃなかったんですね」
 長瀬・千夜子(向こう側・e28656)がそっと、少年――陽に寄り添って、柔らかな声音で言う。
「こんな調子で色々な病魔が生まれると大変かも……いたっ」
 その為にはまず、目の前の病魔退治! アストラ・デュアプリズム(グッドナイト・e05909)が仕方ないなぁ、と言うように肩を竦めるのに、ミミックのボックスナイトがごつん、とそれなりに痛そうな体当たりを食らわせていた。
 ……もちろん、ダメージにはならない範疇で。
(「なかなかに浪漫のある症状ではありますが」)
 病室の外にはキープアウトテープを張り付けた平坂・サヤ(こととい・e01301)は、ふむぅ、と吐息を漏らして、少年の方を見遣った。
「なかなか複雑なようだな」
 ほぅ、と少年を見詰めて、吐息を漏らすのは、キース・クレイノア(送り屋・e01393)。
 保村・綾(真宵仔・e26916)もその隣から、心配そうに陽の顔を覗き込んだ。
 恋って、本当に苦しくて辛いものなのだろうか。
 だとしたら、どうしてみんな恋なんて、するんだろう?
 ちらり少年を見、そして――隣に立つアマルガム・ムーンハート(ムーンスパークル・e00993)の顔も見上げる。
 なんだか、陽と同じような苦々しげな表情をしていた気がしたから。
 視線に気付いて、瞳を瞬いたアマルガムがにへりと笑う。
「じゃあいくよー」
 ウィッチドクターである鋼・業(サキュバスのウィッチドクター・e10509)が軽やかな声で言いながら視線を送るのに、ケルベロスたちは頷いて応える。
 風陽射・錆次郎(戦うロボメディックさん・e34376)は指をゆっくりと丸めるように拳を握り締めて、軽く口元だけで笑んだ。
 『恋の病』、それは、若さゆえの病気かもしれない。
 それは少し、羨ましくもあり――だからこそ、守らなくてはならないと思うのだ。
「出ておいで、可愛い恋の悪魔ちゃん」
 業の声に呼応するように、少年が呻いたのはホンの一瞬。ウィッチドクターの技があっという間に病魔を少年の身体から引きずり出す。
「もー。せっかく素敵な恋を感じてたのにー」
 姿を現したのは、キューピットのような愛らしい――少女、の姿の病魔。
 彼女はケルベロスたちを見回して、ぷんすか唇を尖らせている。
「物理的に厄介な恋の病には、お帰り願いますよー」
 サヤが抑揚のない口調で言って、『月夜』と呼ぶ鎌を振るって見せる。
「ふぅん」
 病魔はぴしり、とハートの矢の先をケルベロスたちに向けた。
「じゃあ、みーんな素敵な恋させてあげる!」
「……押し付けられる恋は、要らないかな」
 芹城・ユリアシュ(君影モノローグ・en0085)が長い髪を掻き上げる。
「結城くん」
 仲間たちが気を引いているその隙に、千夜子がベッドの少年の手を引く。
 アストラと、錆次郎が陽が標的にならないように、病魔との間に割って入る。
 千夜子は二人に目配せして、少し朦朧としているのか、素直についてくる少年を病室から引き離す。戦闘に巻き込まれては、大変だから。
 ぽん、と軽く手を撫でて、出来る限り優しく、落ち着いた口調で彼に言う。
「大丈夫ですよ、きっとすぐ治りますからね」
 なんだか他人事とは思えなくて、だから――頑張る。
 ひらり、戦場に舞い戻る千夜子の背を、少年は見詰めていた。

「まずは、センセイからー♪」
 弾むような病魔の声は、少し突き刺さるようで痛い。
 ハートマークの矢を放った。
「おっと」
 避けようと身を捩った業を、矢は確かに捉える。
 走る痛みと共に、脳裏に過去のトラウマが過ぎる。
 想いを告げたかった二人の顔。
 ――それぞれに告げられなかった、苦しい記憶。
「……ムツミちゃん」
 違う。
 彼女は、彼女じゃない。
 ビハインドのムツミちゃんがふわりとナース服のスカートを揺らして業に寄り添う。
 ちりん。
 鈴の音はキース。
 動くたびに鈴を響かせて、仲間たちを守るように立ち塞がる。
「大丈夫!?」
 アストラが癒しの力を重ねて、ぴょん、っと跳ねる。
「ボックスナイト、やっちゃえー!」
 癒しに専念する分、ボックスナイトにはばっちりしっかり頑張って貰いたい!
「きゃー! ナニコレ!」
 勢いよく齧りつくボックスナイトに身を捩る病魔。ぴょこんっと飛び退るのを見計らって、綾は見えない爆弾のスイッチを押した。
 ぽちっとな。
「かかさまっ」
 激しい爆音。吹き飛ばされないように――そっと振れた肩の上の文が、狙いすましたように飛ばすキャットリングが、さらに病魔の切り裂いていく。


「 恋の悩みはお医者さんにお任せ!」
 業の癒し術が仲間たちの傷を癒していく。
 トラウマも、どこか奥深くにある心の傷も癒せたらいい。
 癒えない傷もあるかもしれない。
 それはきっと大人の痛み。
 けれど、その痛みがあるからこそきっと今の自分が居るはずだから。
 それを乗り越えていけるようにするのもまた、医者の役目だ。
「ホンモノのキューピットの弓は愛を紡ぐ為にあるんだからねっ、ニセモノ!」
 自分に重ねた想いが載せられている、炎を纏ったアマルガムの一撃は、何だかとても重たい。
 許せない、純粋な想いを、弄ぶことだけは。
 だから、
「男爵っ、ユーリ!」
「任せて」
 声に頷く梟男爵が放つのは原始の炎。
 合わせるユリアシュの放つ銃弾が、病魔の弓を打ち抜いて――砕かせる。
「もーっあっつい!!」
 辺りが燃え盛る。
 重ねられる炎の応酬に、苛立ったように声を上げる病魔。
「恋の熱に浮かされるわけにはいきませんからね……っ」
 千夜子の声は落ち着いていて、穏やかだ。
 業が、千夜子が、すでに何度か重ねたライトニングウォールが、文の清浄の翼が、皆を恋の病から守ってくれる。だから、大丈夫。
 ふわりと笑んで、千夜子は紡ぐ。
 ――戦闘の、この感覚が嫌いだ。気持ちが悪いから。
  だって、汚れる前に終わらせてしまいたい。
「ご存じですか、鏡の中の鏡に映るもの」
 綺麗な顔を微笑ませて、問い掛ける。
 鏡の中に映るのは、その中を、覗いたら。
 もう――戻ることはできない。
 りん。
 キースの鳴る鈴の音を、魚さんは聞き逃さない。
 視線を合わせなくても、息はぴったり。
 キースの流星の煌めきに合わせ、鋭い爪は病魔の心の奥底、深く深く突き刺さる。
 足を止める。
 その瞬間を、錆次郎は見逃さない。一瞬、見間違いかと思うような瞬間だけの冷たい視線は直になりを潜めて、にやにやと笑う姿に、病魔も引いている、若干。
「悪魔っ子ちゃん、僕と踊って! あと、ついでに体についた肉も」
 デュフフ、と笑いながら縦横無尽に踊り狂い――その銃は、的確に病魔を射抜く。
 普通の男の子。
 悪い病魔になんて、負けさせない。
 つい、とアストラの指先がスマホの画面を叩く。
 画面の中は大炎上中――なんやかんやで、音を立てて、病魔が燃え上がる。
 悲鳴と、悲痛な叫び。
 恋の炎が燃え上がったのだと思えば、本望かもしれない。
 ――燃え尽きる炎と共に、病魔は姿を消した。


「気分はどう?」
 怪我がないだろうかをしっかりすっかり確かめた業が訊ねたので、少年はこくこくと首を縦に振った。心なしか、顔色も良くなってきている――ような気がする。
 病魔のせいで胸が痛んでいたのがなくなっただけでもだいぶ楽だろう。
「うん、大丈夫そうだね」
 まずはホッと一息。
「胸の痛みはどんな感じ?」
 ひょい、とアストラが陽の顔を覗き込む。
 怪我だけでなく、病魔だけでなく、重要なのはもう病魔を再発させないこと。
「え」
 少女に訊ねられ、陽は癖になってしまったのか、自分の胸元に手をやる。
 眉間の皺と、引き結ばれる唇。
 自分の裡に、押し込めようとする想い。
「苦しいと思うのも恋なのかな」
 ぱちぱちと大きな瞳を瞬いて、軽く首を傾げるアストラ。
「こんなに苦しくなるくらい好きなら、ちゃんと伝えたほうがいいと思うよ」
 業の静かな声に、陽は一瞬逡巡して、微かに呻く。
「……でも」
 不安が付き纏う。
 そんなことを言って、嫌われたら?
 そうでなくても、それが彼女の負担になったら?
「――まぁ、俺も身を引くだろうな」
 口を挟んだのはキース。
 それが、相手の幸せとは限らないから。
 そう告げて、陽だけでなく皆の視線が集まったので、照れ隠しに軽く髪を掻くキースの身に着けた鈴が、ちりん、ちりんと小さな音を鳴らした。
「あー……でも、気持ちは伝える。逃げはよろしくない」
 マイペースな魚さんにちょっと助けを求めてみたけれど、ほんわか視線だけを向けられたので結局自分で言葉を探すしかなさそうだ。
 話すのは、あまり得意ではない。
 だって、いつも心の在り処を探してしまうから。
 でも、届いて欲しい。
 少しでも、半分でも、伝えられるのなら――伝えることを、諦めてしまいたくはないのだ。
「そんなに簡単に壊れる、友人という関係ではないだろう?」
 きっと、キミが好きな彼女なら、そんな簡単に嫌ったりはしない、ハズだ。
「あきらめるのは、よくないのじゃ」
 綾がこくこくと頷く。
「ひとりでいっぱい考えるより、陽さまが繭さまと向き合ってちゃんと笑えるようにするといいなって思うのじゃ」
 キミが好きな彼女を、信じて欲しいと、思うから。
「それに男の子は失恋して強くかっこよくなるって聞いた事も有るからね」
 そうやって強くなった男の子はステキだ、と、錆次郎おにーさんは思います。
 恋愛経験値少なめの身で言えることは少ないけれど、後悔しないことはとても大事だ。
「どんな結末であろうと、それが無駄になることってないと思います」
 だってこんなに胸が苦しくなるほど誰かを強く思えるなんてこと、一度も経験しないまま、生涯を終える人だって少なくないはずだ。
 千夜子だって、憧れる。
 けれど、探したからって見つけられるものでもない。
 その瞳があんまり真剣だから、困ったように陽は笑った。
 心配してくれる気持ちが、痛いほど伝わってくるから。
「わかるよ」
 だから寄り添うように、アマルガムがそっと言う。
 わかってる。きっとそれが正しいって。
 でも――怖くて。
「俺もおんなじなんだ」
 片想いの幼馴染の顔をそっと思い浮かべて、アマルガムは微笑む。
 彼女に幸せになって欲しい、でも、なら、自分の気持ちは?
 悩めば悩むほど堂々巡りで、気が付けば。
「恋の病になっちゃってた」
 治せない、自分でもままならない、想い。
「でも、思ったんだ。俺はきっと、ずっと彼女が好きだから。いつか彼女に相応しい人間になれるよう頑張ろう。いつも笑顔で彼女のそばに居られる様、幸せに毎日生きようって」
 少しだけ、悪戯っぽくアマルガムは笑って、付け加えるスパイス。
「……そうやってれば振り向いてくれるかもって下心もあるけど」
「そうだったら、いいのに」
 陽が困ったように、頷き返す。
 ふむぅ、と息を吐き出したのはサヤ。
「恋は、サヤにはよくわかりません、…… でも」
 きっと幾多の想いがあって、その想いが重なり合うことは奇跡に近い。
「だれかのしあわせをねがうことは、よきことだと思うのです」
 物理的な怪我や病気は治せても、心の奥底までは難しい。
 でも、きっと。そうやって一つ一つ、心を紐解いていけば――いつか解けるはずだ。
「……陽のねがいは、なんですか?」
 サヤの直球な質問。
 それにだけは、答えることができる。確かに。
「繭が幸せになること」
 その瞳はまっすぐで、真摯で、迷いなんて一筋もない。
「君が『好きな子に幸せになってほしい』と思うのと同じように、俺は、陽ちゃんに幸せになってほしいな」
 業が口元に笑みを浮かべて、静かにそう告げた。
 陽の瞳が見開かれる。
「お前は彼女が他の奴と幸せそうにしていて、それで満足できるのか?」
 何も告げないまま、「あのとき想いを告げていれば」――そんな思いを抱えたままで、彼女を応援し続けることなどできるだろうか?
 キースの問いは確かに、深く深く、陽の胸に突き刺さる。
「悩む時間はいっぱいありますから」
 たくさん悩んで、後悔のない選択をしてほしい。
 きっと、誰もが願っている。誰しもの幸せを。
 千夜子は艶やかな黒髪を揺らして、そう、頷いて見せるのだった。


 黙り込んで考え込んでしまった陽。
 その沈黙に耐えられなくて、はぁー、と深く深く息を吐き出したのは、アマルガム。
「結構悩むし辛いんだからねっ!? ユーリみたいに言えたら楽なんだけどねっ!?」
「言葉にしないと叶わないからね」
 不意に向けられた水とアマルガムの冷ややかな視線が刺さるのに、にっこりと笑んで見せるユリアシュ。
「……まあユーリの場合、実際そうなったら悩みそうな気もするけど」
 返された言葉に、げふん、と咽返ってユリアシュはアマルガムを見た。
 どうして。
 どうしてその青の瞳はどこまでも、全部、見透かしてしまうのだろう。言葉にするのと、現実とは、――違うって。瞬く青の瞳は吸い込まれそうで、ユリアシュは目を閉じる。
「ユーリ?」
「……なん、でもない」
 軽く首を横に振って、もう一度笑みを張り付けた。
「青春を謳歌してるねぇ」
 うんうんと、頷く錆次郎はなんだか満足げだ。ちょっとずるい。もう少し、甘酸っぱい思い出があったらと思わなくもないけれど――。
 いやいや、錆次郎だってまだまだこれから、そんな思い出が作れるはずですよ、きっと、たぶん。
「ちょっと、羨ましいです」
 千夜子はそっと、誰かに聴こえるか聴こえないかくらいに小さく、呟いた。
 身を焦がすような恋。――病魔に目を付けられてしまうくらいの、恋。
 千夜子だって女子高生だ、そんな恋、してみたい。

「もし」
 綾はぎゅっとふかふか柔らかい、養父を模したぬいぐるみを抱き締めて呟いた。
「もし、わらわが恋をして苦しくなった時は」
 誰か、助けに来てくれるのだろうか。
 今、自分たちがこんな風に、陽を助けたみたいに。
 その確信がなかったら、怖くて恋なんてできそうにない。
 だってあんなに苦しそうなのに。
 ぬいぐるみを抱く手に力を込める綾に、文がと柔らかく鳴いて、そっと寄り添う。
 それはきっと、大丈夫、と。
 恋はとても切なくて、とても苦しいこともあるけれど、それ以上に満ち足りて、幸せで、あたたかい気持ちに溢れるはずだから。
 いつか、綾にもそれがわかる日が来るはず、と。
 そう、言っているようで。
「……かかさま」
 抱き締めた温もりに、綾はただそっと身を委ねる。
 そう確かに、苦しくて、辛くて、どうしようもないこともあるけれども。
「好きな人がいるって、それだけで幸せだよね」
 ふんわりと明るい声で、アストラが言った。
 恋に答えを出すのは、彼自身だけれど、皆の、自分の応援が少しでも――彼の心に響いていたらいい。彼の力になれていたらいい。
「『寝ても覚めてもそいつのことを考えていたら。そいつのことを考えると、なんだかニコニコしたり胸が苦しくなったりしたら。そういうのが恋だ』……だそうですよ?」
 恋は分からない。恋は知らない。
 けれど、サヤの知っている定義はきっと、間違っていないハズだ。
 間違っていないのだとしたら、恋はきっと、素敵なものだ。
「叶わなくても満たされるものがあるから、秘めるのを選んだのではないですか? それを続けるかは、陽の意思です」
 ただ、皆が願うのはひとつだけ。
 君の望みが、叶いますように。

 陽は胸元を手で撫でて、息を吸って吐いた。
 胸が苦しい。
 それは病魔のせいでなく、きっと本当の恋の証。
 でもそれは確かに、自分自身のものだと知ることが出来たから。
「大丈夫、やってみる」
 今はまだうまく笑えないけれど、陽はケルベロスたちにそっと、頷いて見せた。
 どうか。
 どうかその想いがいつか報われますように。
 ――そこからは、彼の物語。

 だけど、ケルベロスたちの言葉が彼の胸に響いたのは、確か。

作者:古伽寧々子 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年3月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 0
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