「どうして食べられないんだろう……」
夕飯時、テーブルに並べられたあたたかな夕食を前に長い黒髪の少女がぽつりと呟く。
「もう2、3日何も食べてないんだから、今日こそ何か食べてちょうだい」
少女の母が心配そうに言う。もちろん、少女も母の気持ちを無下にするつもりは毛頭ない。だから昨晩の夕食だった鍋の出汁や具を使った卵おじやを食べたいという気持ちはあるのだ。
けれど、食べられない。
おじやだけではない。食事に添えられたお茶、水も飲めない。
最初は、ただ胸が詰まっているだけだと思った。彼のことを考えるだけで胸がいっぱい。そんな甘酸っぱいものがまさか自分に訪れるなんて思わなかったけれど。
「……今日も食べられないの……?」
気遣わしい母の言葉が胸に刺さる。
部屋に戻ろうと立ち上がる――と、視界がぐにゃりと歪んだ。
「さち子!」
母の悲鳴がどこか遠くのほうから聞こえたと思った。
集まったケルベロスたちを、御門・レン(ヴァルキュリアのヘリオライダー・en0208)はくるりと見回すと一礼した。
「お集まり頂いてありがとうございます。本日、日本各地の病院から原因不明の病気についての連絡がありました」
この病気は、誰かに純粋な恋をしている人がかかるらしく、その症状は『胸がドキドキして、食べ物も飲み物も喉を通らない』というものらしい。
「食べ物も飲み物も喉を通らない、というのは比喩表現ではありません。自発的に食べられないだけでなく、食べさせられると噎せ込んで吐き出してしまうそうです。……病院に運ばれた患者たちは点滴を受けることで命の危機は脱しましたが……」
根本的な解決策である、治療方法がまったく判明していないのだという。レンは悲しげに目を伏せた。
「この病気の症状を聞いたアイオーニオン・クリュスタッロス(凍傷ソーダライト・e10107)さんたちが調査してみたところ、原因は『恋の病』という病魔であることがわかりました。この病魔を倒し、恋の病に冒されてしまった人たちを助けて欲しいのです」
病魔の能力については把握してあるのだという。
「恋の病は人間の女性の形をしていて、武器は弓とハートの矢です。病魔と戦闘可能な病室に患者を運んでいるので、ウィッチドクターがいれば患者から病魔を引き離して戦闘を行うことが可能です。また皆様の中でウィッチドクターがいらっしゃらない場合には、事前に病院に連絡しますので、医療機関のウィッチドクターが手伝いに来てくれます」
だから心配なく戦って欲しい、とレンは言う。
「恋の病は、武器の弓矢で攻撃してきます。遠距離攻撃が得意のようです」
レンはまっすぐケルベロスたちを見つめた。
「病気にかかったことにより、被害者は恋心を抱くことに臆病になってしまう可能性が高いようです。可能であるなら、被害者がこの件でこの先、恋することに臆病にならないようにフォローをしてください」
救出した後、被害者にフォローをすればきっと大丈夫のはずだとレンは教えてくれた。
「恋を逆手に取るような病魔は許しがたいものです。みなさん、よろしくお願いいたします」
参加者 | |
---|---|
楠・牡丹(スプリングバンク・e00060) |
マキナ・アルカディア(蒼銀の鋼乙女・e00701) |
グラディウス・レイソン(黄鮫のお母さん・e01063) |
柊城・結衣(常盤色の癒し手・e01681) |
斎藤・斎(修羅・e04127) |
ノルン・コットフィア(星天の剣を掲げる蟹座の医師・e18080) |
風戸・文香(エレクトリカ・e22917) |
風間・水紅羽(新しい歌・e35492) |
●召喚
ヘリオライダーからの依頼を受け、8人のケルベロスが向かった先は病院。地域で一番大きな病院の広い個室へと患者を移し、周辺の病室からも患者を移したのは、これから始まる病魔との戦いに備えてのこと。狭い場所での戦いにも動きに支障は無いが、一般人に対してなど不測の事態に備えてのことだ。
(緊張する……)
病室へと向かう廊下を歩く中、自分の肩に力が入っていることに気付いたのは風間・水紅羽(新しい歌・e35492)だ。
(大丈夫、この依頼はひとりじゃないから……大丈夫……)
ケルベロスとして覚醒して初めての依頼だが、ウィッチドクターらしく働けると聞いて志願した。――やはり緊張は隠せない。
水紅羽の背や肩に覆い被さっている緊張を払うようにぽんと叩いたのはマキナ・アルカディア(蒼銀の鋼乙女・e00701)だった。
「マキナさん……」
「初めての依頼、だったわね」
「大丈夫よ」
マキナの反対側からさらに水紅羽の背をぽんと叩いたのは楠・牡丹(スプリングバンク・e00060)。
「私たちにも初めての時はあったよ。大丈夫大丈夫!」
その言葉にノルン・コットフィア(星天の剣を掲げる蟹座の医師・e18080)も頷く。
「私たちのような大ベテランもいるわ。安心して」
力づける彼女らを後目に、前を見つめている長い緑の髪を三つ編みにしているのは柊城・結衣(常盤色の癒し手・e01681)と眼鏡をかけた黒髪のドワーフは風戸・文香(エレクトリカ・e22917)、先頭に立って歩いている凛々しい姿は斎藤・斎(修羅・e04127)。
彼女らの一番後ろについているのはグラディウス・レイソン(黄鮫のお母さん・e01063)だ。
(……何この女性率……)
ものすごく自分が場違いな気がして、少し遠い目になる。出現した際の敵の形状も女性型だというから、グラディウス自身以外すべて、被害者も含めて女性ばかりだ。こんな中でひとり男は浮いてしまう――と言い切りたかったが、グラディウスの容姿は中性的のため、この集団の中でも浮いていると言い切るほどではない。自身でもそれを薄々とわかっているが、ソレが余計にツライ。
グラディウスが溜息を吐いたタイミングで、斎が足を止める。被害者が眠っている病室の前。静かな緊張。
音を立てずに8人が病室に入ると、すぐに窓際のベッドへと向かう。眠っているのは少女、彼女がさち子なのだろう。
す、とノルンが手を少女にかざす。
病魔召喚。
黒い靄のような影が少女から立ち上ってくる。蒸気のようだったそれはぐるぐると集まって固まり、渦を描き――ついには人のような形を取った。その姿は、一般的に思い浮かぶであろうキューピッドと呼ばれるものに似ていた。
人懐こい笑みをこちらに寄越されたからといって、友好的にしなければならない法律はない。
「人の恋路を邪魔するやつは馬……もといケルベロスに蹴られ……じゃなくて噛まれて地獄に落ちろ、……でいいかしら?」
マキナがほぼ棒読みで言い、左右を見て確認する。グラディウスがあははと笑う。
「この場合はそれが正解、な気がするな」
頷く間もあればこそ。
全員が戦闘態勢に入っていた中、誰よりも早く一歩を踏み込んだのは結衣だった。
「人の恋心につけこんで悪さをするのは許せません!」
突風のような早さで螺旋掌を見舞った。
●攻勢に次ぐ攻勢
一瞬顔を歪めた『恋の病』に隙有りとマキナが斉天截拳撃を繰り出すが、これは上手く避けられ、あまりダメージを与えられなかった。
間を開けず、仲間たちの背後でカラフルな爆発が起こる。牡丹が引き起こしたその勇気色の爆風は、ケルベロスたちの士気を高めた。
ノルンの周囲に白の焔が生み出されていく。コートのように纏っている白衣がふわりと揺れた。
「白き焔舞い踊り、立ち上がりし者らに祝福を。仇名す者を惑いへと誘う加護を与えん」
謳うような声音、言葉に合わせるように動く幻想的な焔は、うねり、踊り、揺らめき、前衛の者たちに力を与える。その御業は『白焔蜃陽楼(ハクエンシンヨウロウ)』という。続けて文香がスターサンクチュアリで耐性を前衛に付与した。
だが恋の病もやられている一方ではなく、手に構えた弓を引くと心に突き刺すような矢を射かけてくる。狙われたのは結衣だったが、幸いクリティカルは免れた。
「牡丹特製、元気の出る一杯を振る舞ってあげるよ」
カクテルを作る手つきで魔力をシェイク、癒やしの力へと変換した技は『リバイバー・カクテル(リバイバーカクテル)』だ。手つきは様になっていて、実際に彼女がシェイカーを振っていることを窺わせる。
「喰らえ……!」
グラディウスの手のひらからドラゴンの幻影が生じ、次には恋の病へ襲いかかる。ドラゴニックミラージュはクリティカルし、水紅羽の時空凍結弾も上手く肩を狙えた。
強敵というわけではなさそうだ。手応えや、恋の病が苛立つように動かす羽根の動きからそんなことを思う。
攻撃が2巡もすればそれは明かで。
「一斉に攻撃しましょう!」
だから、ノルンの提案に反発する者はいなかった。
「――大きな音がするので気をつけてくださいね」
結衣がそう前置きしつつ、恋の病へ小包を投げつける。破裂音、衝撃。このふたつによる攻撃は『爆響鳳仙花(バクキョウホウセンカ)』という。恋の病の胴体へ見事に的中した。
「解放します!」
凛々しい宣言は文香だった。
「サン・ニー・イチ・開放!!」
恋の病の頭上、何もない虚空を、生じたプラスティックのフックで引き下げる動きをする。まるでそこにあるスイッチの電源をオフにしたように。
不可解な現象のようだが立派な攻撃で、その証拠に恋の病のHPが大幅に減っている。
苦々しい顔の恋の病が放った矢は、狙った水紅羽にではなく、彼女を背に庇った牡丹の肩に突き立った。
「……ッく、……!」
手痛い一撃。だがすぐに、グラディウスが青の燐光を生じさせた。それは黒の羽根に変わり、牡丹の身体を、傷を覆う。
「唄え、闇結鴉」
囁くような詠唱に呼応するかのように、次々と生まれた燐光が羽根へと変わり――やがて溶けるように消えた。
「ありがと!」
傷が癒えたことに礼を言う間に、マキナの知覚と直感力が極限まで集中によって高められていた。触れれば射貫かれるような緊張感の高まり。
「Code S.T.R.U.C.T……,start up. Tow"Core",for one.……Ready,Engage!!」
共振、調和する心と炉心。一時的に引き出された膨大なパワーが、彼女の全兵装をもって恋の病へ集中攻撃を浴びせる。『ACP S.T.R.U.C.T(アサルトコンバットパターンストラクト)』だ。
「アアアアアアアア!!」
悲痛な、空気を裂くような恋の病の叫び。体の輪郭が溶けていく。だが、同情する者は誰もいない。
●応援
病魔、恋の病が霧散して勝利すると少しして、被害者であるさち子がゆっくりと目を覚ました。勝利の余韻に浸る間もなく、彼女の周りに集まる。
「あなたの身体に掬っていた病魔は倒したのだけれど、身体のほうはどうかしら?」
どこかまだ具合の悪いところは残っているだろうか。
マキナの問いかけに、幸子は慌てたように首を振る。
初め、彼女はケルベロスに囲まれていたことに驚きを隠せないでいる様子だったが、事情を話すと納得はしてくれたようだった。
けれど表情は固い。
「恋をしたら、また……」
今回と同じように食事ができなくなり、また倒れてしまうのではないか。怯えたようにさち子は俯く。
ケルベロスたちは互いの顔を見合わせると頷き合った。
「……今回のことは、デウスエクスが原因なのであって、恋愛そのものが悪い、ということではありません」
斎が金の目を優しく彼女へ向ける。
マキナはさち子の手を取るとぎゅっと握った。勇気づけ、できるなら彼女の臆病心を取り除けるようにと。
「心から溢れた想い、大切にしてほしいわ。何よりもあなたを表し、願が形になっていく、その原動力なのだから……」
心を得た時に、戸惑いも驚きもあった。けれど今思えばそれも今の自分を形作る大切な衝動だった。
牡丹が頷き、さち子を見つめる。
「ご飯が食べられなくなるくらい悩んだり、息が詰まるくらいに好きになれるって、それだけ相手のことに真剣だってこと。それってすごく大事なことだし、素敵なことだよ」
「そう……でしょう、か」
「そうだよ!」
「牡丹さんの言う通りです」
今度は結衣がさち子の手を取った。
「恋をした時に感じたのは、胸の苦しさだけですか? 恋は苦しいだけのものではないと思います」
そうでなければ、数多くの語り継がれてきた物語や、数多くの歌い続けられてきた歌の題材に使われることはないだろう。
「でも、我慢すれば……」
「こわいからといって恋心を抑えるのは、その時は良くても、後になってこうかいすることになるかもしれません。あなたにそういう想いはして欲しくないです」
結衣自身が苦しい片想いをしてきた、という経験は無い。どちらかといえば、そういう経験ができる人が羨ましいとも思う。さち子の恐怖心をあまり強く否定しすぎないように優しく語りかけた。
そうね、とノルンが小首を傾げる。
「我慢、とあなたは言ったけれど……誰かを好きになるという気持ちは、そう簡単に抑えられるかしら?」
今回は病気によるものだった。けれど恋は色々な形で心の中に湧いてくるだろう。
「誰かを好きになることを恐れないで。牡丹も言っていたけれど、恋をするというのは、とても素敵なことだから」
恋かぁ、と呟いたのは水紅羽だった。
「怖いって言ってても、気が付けば落ちてるもんだよ。おびえてても。そんなもんだよ。だから怖がんなくていいんだよ。またこんなことになったって、私たちが絶対に助けてあげるから」
そのためのケルベロス、そのためのウィッチドクターだと微笑む。
「だから負けない気持ちで、立ち向かって。恋する女の子の味方だよ、私は。……多分、ここにいる人たちもみんな」
ね、と隣の文香を見ると、文香も頷いた。
「私が言っても説得力も何もないですが……」
なにしろ年齢と彼氏がいない歴がほぼイコールだ。けれど、理想はある。
「……たった一度だけ静かに、それでも一生に足る恋をできればいいなぁ、とは思っています」
「……ロマンティック、ですね」
「いえ、少しおこがましかった……かも」
女性として生まれた以上、いい人が欲しくないわけではない(キッカケが掴めていないだけで)。けれど自宅警備員なメカフェチが恋の何たるかを語るのは、ほんの少し恥ずかしいような気がしないでもなかった。そんな風に思うのも、文香の姉がいい人を見付けられたせいかもしれないが。
「恋に臆病……、……俺、覚えがあるな」
苦笑いをしたのはグラディウスだった。恋人がいたのだと彼は言う。
「相手から告白してきて……付き合ってる時はドキドキしたし楽しかった。だけど、突然向こうの勝手で振られたんだ」
青天の霹靂。そんな言葉がまさにぴったりだった。
「すごくショックで……しばらく、半分は引きこもってた。おかげで正直、恋愛が怖くなった」
けれど、とグラディウスはさち子を見つめる。
「まっすぐ慕ってくれる子ができて、その子のお陰で今は前を向いて恋もできてる。だからさ、さち子さんにも怖がらずに恋を楽しんで欲しいな。病魔のせいで恋を怖がるなんて、もったいないよ」
「そうですよ。さち子さんがどんな方を好きになられたのかは存じませんが……」
文香がイタズラっぽく笑う。
「それこそ私に『爆発しろ!』と嫉妬させるようないい恋を!」
「そう……そう、ですか……?」
さち子の雰囲気が柔らかくなったことを全員が感じ、頷く。
ここまでは良かった。
「でも、先輩……あ、吹奏楽部の先輩なんですけど、普段もですけど楽器吹いてるところもカッコ良くてモテるから、私もすごくどうしたらいいのかって悩んでてぇ……皆さんは、そういう時ってどうやって仲良くなってったり、告白できる空気に持ってったりしたんですか?」
「…………」
どうやら元気になってくれたらしい。文香が涙目で病室から逃げ出していってしまった。
「……よかったわ」
さち子は恋に臆病なままでは終わらなかったようだ。斎がやわらかく微笑む。
そうして、グラディウスと水紅羽が医師や看護師たちに事件の終わりを告げに行き、病室のヒールも終えると、ケルベロスたちは静かに病院を後にしたのだった。
作者:緒方蛍 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年3月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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