恋の病魔事件~浮いて揺らいで

作者:ヒサ

「お前、大丈夫か?」
 隣を歩く幼馴染みの顔色が悪いと気付いた少年がふと、心配そうに口を開いた。
「え? ……うん、平気だよ」
「そうか?」
 友人が応えて微笑むのを見、少年は首を傾げたが。
「調子が悪いなら、体育とか無理するなよ。今日、あいつに渡すんだろ?」
「ちょっ……声、大きい」
 人気の少ない朝の道、彼の声量もごく普通のものだったが、少女は慌てて少年を咎める。
(「……放課後に、って約束は……昨日、したけど」)
 その時点で用件は相手方に伝わっているようなものだが、チョコレートと共にきちんと気持ちを伝える予定なのだと、声をひそめた彼女は頬を染めた。
(「じゃあ緊張してるのか? 本番で倒れるなよ──」)
 短く謝罪し声量を相手に合わせて少年は、からかい交じりに少女を気遣う。
「──って、おい!? しっかりしろ!」
 して、改めて彼女へ視線を向けたところで彼は異変に気付く。学用品と共にチョコレートを入れた鞄を抱え込んで少女は、真っ赤な顔で足を止めていた。照れの為などという可愛らしいものを超えた異常な顔色で呼吸を乱し、彼女がふらりと倒れる。少年が彼女を助け起こして呼び掛けても一切の反応が無い。
 意識がはっきりしていないのだと気付き、彼が救急車を呼ぶのはもう少し後の事。

「『胸がドキドキして、食べ物も飲み物も喉を通らない』……という症状に悩む患者さんが、日本各地で沢山出たのですって」
 物理的に、と篠前・仁那(オラトリオのヘリオライダー・en0053)が眉をひそめた。『胸がいっぱいで食欲が湧かない』などでは無く、『飲食物を体が受け付けない』状態なのだという。動悸、脱水、飲食物を拒んでの嘔吐などにより酷く消耗し、危険な状態に陥る者も多く出たようだ。
 報せが集まったのは今日の事。病院に運ばれた患者達は点滴を受け落ち着いたものの原因及び治療法は不明、と。
「──だけどこれ、病魔の仕業らしいんだよね。『恋の病』」
 これを受け調査に当たった一人である星宮・莉央(夢飼・e01286)が口を開く。名の示す通り、無垢な恋心を抱える人を冒す病だ。時季だからかな、と彼は肩を竦めた。
「なので、あなた達の力を借りたいの。その病魔を倒して来てちょうだい」
 告げてのち仁那は、向かう予定の現場の住所と、そこの状況についてを説明する。病院側の協力を得、周囲を気にせず戦闘が出来るよう、広い個室に問題の患者を隔離してある。他の入院患者や来院者達の事は気にせずに済むだろう。
 現場へ向かうケルベロス達の中にウィッチドクターが居れば、その業で病魔を召喚して貰えればすぐに戦闘へ持ち込める。戦場に患者が居合わせる事にだけ注意をして貰えれば良い。
 召喚を行える者が居ないのであれば、病院側に更なる協力を依頼する事になる。その場合は、召喚の為に派遣されたウィッチドクターの安全にも配慮する事が望ましい。
「この病魔は、あなた達ならば余程の事が無い限り、問題なく倒せるでしょうけれど……」
 仁那の視線が束の間、途切れた言葉の続きを探し彷徨った。
「……問題は、患者さんの方みたいなの。この病気に罹ると、『こんなに苦しいのならもう恋なんて』と心を閉ざしてしまう事が多いらしくて」
 唸る少女は未だ恋を知らぬゆえだろう、不可解そうに首を傾げた後、己の所作に気付いたかのよう目を瞬いたのち姿勢を正す。
「恋をする事が怖くなる……というのかしら。気になる人が居ない、とかとはまた違うのでしょうし、こうなってしまっては、きっと良くないわ。だから、もし良ければ、彼女の命だけでは無く心も、助けてあげては貰えないかしら」


参加者
イェロ・カナン(赫・e00116)
ナディア・ノヴァ(わすれなぐさ・e00787)
星宮・莉央(夢飼・e01286)
罪咎・憂女(捧げる者・e03355)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
ヒメ・シェナンドアー(白刃・e12330)
ヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)
妹口・琉華(お兄ちゃん属性の男の娘・e32808)

■リプレイ

●願いごと
 苦しげではあったものの患者の少女には意識があった。ゆえにまずケルベロス達は彼女へこの後の対応を説明し、了承を得た。
「じゃあ、始めて良いかな」
 寝台の傍らに立ち妹口・琉華(お兄ちゃん属性の男の娘・e32808)が問う。向かい側、すぐに少女を逃がせるようにと扉を背にした星宮・莉央(夢飼・e01286)が頷いた。その傍で罪咎・憂女(捧げる者・e03355)は迅速な対応の為にナイフの柄を握るが、首肯の前にとヒメ・シェナンドアー(白刃・e12330)が、彼女の肘をそっと掴んだ。
「大丈夫よ。囮はボク達に任せて」
「あ……ええ、ありがとう。お願いするわ」
 友人を顧みて憂女は一度目を瞬いた後、その意を解して頷いた。患者を傍で護る人間も必要で、そちらが活きる事が無くて済むなら、その方が安全だ。『任せ』得る事の意義を再確認して彼女は、柔軟に動けるようにと僅かに退がった。
「──それじゃあ、行くね。楽にしていて」
 改めて皆を見渡し、小さく頷き。琉華は患者の少女を見つめ、微笑み掛けた。向けられる期待と不安を慮り、滞りも苦痛も無く万事が上手く行くようにと、彼は祈る。
 そうして。姿を得た病はまず、翼を広げた。自身を取り巻く者達を敵と認識しての事だろう、害意を孕む光を撃つ。無論それそのものは、備えていた盾役達が捌いて見せたが、無力な患者がおののくには十分だった。莉央は急ぎ少女を抱え上げる。
「あ、……っ」
「少しだけ辛抱を」
「命を脅かす病がキューピッド気取りか」
「きゃっ……!」
「少しの間、遊んでくれな」
 丁重に扱う余裕はあまり無い。飛び退るようにして敵から距離を取り、空いた路に仲間が割り込むのを見てようやく彼は、少しだけ腕の力を緩める事を許される。その視界の中、窓からの光を遮る位置で振るわれたナディア・ノヴァ(わすれなぐさ・e00787)の大剣が敵に悲鳴を上げさせた──ついでに空になった寝台を叩き折る。衝撃に傾ぐ敵へ立て続けにイェロ・カナン(赫・e00116)が蹴りを浴びせた。
「敵を見定める知恵くらいはある、と」
 更なる追撃を厭い態勢を立て直す病魔がケルベロス達をきつく睨む姿を見、ヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)は小さく笑んだ。杖を握る彼の横を抜け敵へ詰め寄ったシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)は銃を振りかざし、敵の弓手を殴打した。
(「彼女達は……」)
 敵に追い縋る間を与えず離脱する彼女は、密かに後方を顧みる。廊下へ繋がる扉は未だ半開きのまま。憂女が室内の様子を気に掛ける背後では、莉央が廊下での待機を依頼された看護士へ患者を預けている所だった。
「俺達で必ず治します。待っていて下さい」
 看護士と、それから苦しげに俯く少女を安心させるべく彼は告げる。そうして彼女達を護る為、病室の扉は固く閉じられた。

●激情の繰り手
「ヒメ、無事?」
「そうね……痛くはあるけど、それだけよ」
 虚空を矢が彩る中をくぐり前線へ戻った憂女は、攻撃手を庇い傷を負った友人を案じた。
(「……では、過敏になる必要は無いか」)
 心身を惑わす毒を警戒していたが杞憂で済みそうだと安堵し、彼女は敵を牽制すべく距離を詰める。
「支えるね、ヒールは任せて」
「ありがとう、必要ならボクにも振ってね」
 召喚直後、盾役に護られ無事退がっていた琉華が杖をかざす。援護に白くドローンが舞った。戦線の維持に注力しつつも、此方が消耗しきる前に病を仕留めるべく、最低限の護りが調った所でケルベロス達は攻撃へと移る。敵を捉えた獄炎抱く二人が、獲物を熱に冒さんと動き。
「っ、……力業だけでは厳しいか」
「手伝うわ。当たればデカイみたいだし」
「ああ、頼む」
 されど抵抗に遭いナディアが眉をひそめた。だが臆する事は無いとばかりイェロが笑い掛ける。敵の警戒ぶりからしても、『力業』そのものは悪くない手段と既に見て取れていた。多彩な攻めは仲間に任せ、彼女は身を盾と成すべく機をはかる。
「その“記憶”は、夢と」
 ならば隙を作れば良いと莉央が二色の光を放つ。瞬くそれが敵を呑む間にシィラが標的へ迫り拳銃を向けた。
 銃声は断罪めいて冷徹に。敵の矢は此度惹かれるようにナディアへ向かう。呪詛は眩暈をもたらすが、施された守護が、大事になる前にそれを押し留める。敵の攻撃そのものは侮れぬ威力を持っていたが、その余波は脅威と見なすには弱い。ゆえに、刃を振るい敵を苛む傷を抉る憂女に続く形でヴィルベルもまた攻勢へ。
「──甘美であれよ、愛しき御敵」
 彼の左手が翻る。娘の姿をした病を捉え翠瞳がきらめいた。敵意と戦意を露わにし、此方が企みを抱けば警戒する程度の知能はあるらしき人型が、まさしくヒトに似て振る舞う様は存外新鮮だ。細い手が書を繰るに合わせ、術は敵を深く蝕んだ。
 だがそれで終わりでは無く。術者の呼吸を読んだ如く、鋭く斬り上げたナディアの刀が敵の翼を裂き羽毛を巻き上げた。
 呪を重ね、敵に鎖を掛けた。かの身は、その四肢は重石を抱き、その護りすら阻まれる。形を成した害意は爆発的に質量を増し、其は一人の少女と、その周囲の人々を護る為の剣と成る。
「琉華、今はお願いね」
 ケルベロス達が思い切り動けるのは、患者を無事避難させられたからというのもあろう。飛来した麻痺の矢を軽やかに叩き落としたヒメが、抜いたままの刀を返し敵の身を貫く。鈍りきった敵はそれをまともに喰らい、彼らの追撃を許す。イェロの手元に出でた鳥は矢となり敵を穿ち、シィラは敵の指先一つすら自由にはさせぬとばかり砲弾を雨と撃ち込む。
 目に見えて変わった敵の様に莉央は、仲間達が瞬く間に為した事に圧倒されたよう息を吐いて、けれど気を取り直したよう剣をしかと握り直す。違わず敵を打ち、手応えをはかり。
「多分大丈夫だと思うけど……念は入れといた方が良いかな」
「であれば──」
 躊躇う色が交じるのは、多少は己が為もあろうが、閉鎖空間で立ち回る仲間達を気遣っての事。彼の半ば独言を拾い憂女が援護に動く事を決めた──折角皆と共に在るのだ、最大限に活かし合う事は意義ある事と。
 敵は未だ抵抗を諦める気は無いらしく、ごく僅かな間隙を見出しケルベロス達の護りをすり抜けるよう矢を撃った。狙いをつける腕自体は健在なのだとばかり走るそれは、一際厄介な呪を紡いだヴィルベルへと迫り、
「──私より先に倒れてくれるなよ」
「……ここまで無茶する気は最初から無いけど」
 咄嗟に割って入ったナディアの肩を深々刺した。彼女は強気に笑んで、彼は微かに目を瞠る。
「ぴぃ」
 心配を口にしたのは琉華。治癒を為しながら彼は己がサーヴァントに配慮と援護を命じる。
 何しろ。盾役達で負荷の分散に努めてはいたけれど、敵を煽ればその分だけ偏って爪痕が刻まれ行く事は避けられない。
「大人しく、蹴られていろ……!」
 流れた銀色が小さな足を飾り立てる。爆ぜる花に似た凶器を宿してナディアは敵を蹴り飛ばし。追撃の毒煙の中で藻掻く敵の意趣返しは、とうとう彼女に膝をつかせた。幾重もの護りがあれど、緊張と殺意の中蓄積していく疲労までは癒せない。
 だがそれは敵も同じ事。見て取りヒメが加速をと再度攻勢に出、ヴィルベルが今一度手を伸べ術を紡ぎ、ケルベロス達は速やかな決着を目指した。
「凍って朽ちて」
 シィラの射撃はただただ鋭く。イェロの銃は無数の火を噴いて。砲火の音は重く激しく、聞く者達の耳を塞ぐ。
「これで──終いだ」
 恋う如く強い敵意に身を焦がした呪矢の使い手は、それを超える熱と痛みの前に燃え尽き消えて行った。

●眩さを掬い上げる掌
 荒れた病室と各人の負傷を癒した後、彼らは少女を看ていた看護士に接触した。戦場から離れた個室に運び込まれた彼女は未だ休養が必要な体ではあるが容態は落ち着いたと、改めて面会の許可を貰う。少女の体は救えても心の方は未だ気懸かりで、廊下を進むケルベロス達の足は自然、急ぎがちになった。
 動悸と熱に苛まれていた少女の顔色は、先とは逆に少しばかり青白いものだった。疲れがあるのだろうと解ったが、ケルベロス達に気付き礼を告げた彼女はそれきり黙り込んでしまう。
「……大丈夫?」
 否定を期待して、静かに問うた。けれどまず返った答えは重苦しい沈黙。少女の憂いを言葉として引き出すのには、暫しの時間が必要だった。
 そうして、やがて。少女は瞳からぼろり、涙を零した。
「……苦しかった、んです。私が片想いをしてたせいだって……事も」
 病そのものの苦しみのみならず、と声が落ちた。それが後遺なのだと悟るのは容易く、ゆえに重ねられた過去形を捨て置いてはならぬとケルベロス達は少女へ向き直る。
「……そうだな。恋は、苦しいものだ」
 揺れる心は真綿より柔く硝子より脆い。解る、と、少女を覗き込んだナディアが頷いた。
 しかし。
「そこまで苦しむほどに想われる相手は幸せ者だな?」
「一途で強いその想いは、わたしには羨ましく思えます」
 少女へ微笑むイェロの指は鼓動を納める己が胸を辿った。寝台の傍に膝をついたシィラは眩しいものを見るかのように目を細める。胸に燻り続ける熱は、在り方を強いられて来た心は、少女のような鮮やかで不安定で不格好でひたむきな気持ちを真に正しくは追えないのだと、各々知っていた。
 少女がずっと抱えていた想いは辛いものだけでは無かった筈だと、ケルベロス達は柔らかく諭して行く。
「貴女は知っている筈だ。暖かくて、甘い気持ちもあっただろう?」
 浮き立つ心は時として羽よりも軽やかで、繋ぐ手の熱に似て優しい。屈まずとも少女と同じ高さの目線でまっすぐに、指に揺らめく炎を逆の手に包む彼女が青の目を穏やかに和ませた。
「勿論、優しいだけのものでも無いのだとは、思うけど」
 恋を未だ知らぬヒメは、気遣わしげに口を開いた。今の己には憧れの域を出ないものであっても、それが少女の心の尊い一部であろう事は解るから、声は懸命な色を帯びた。
「諦めるのは簡単だけど、諦めてしまった事はずっと胸に残るものだと思います」
 年長者の耳にも届くからだろう、莉央は己よりもずっと幼い少女へ向けて、丁寧に語り掛ける。
「それはきっと、後悔になってしまう。辛い気持ちと一緒に、大切にしたかったものまで蔑ろにしてしまう事だと」
「…………」
 迷うように俯いた少女の視線が揺れる。それを、憂女が捉えた。
「……想いを抱き続ける事すら辛いと感じる時も、今この時に限らずあったのだと思う」
 甘く激しい恋心とは違えども、強く焦がれる想い自体は己の中にもあるものと、戦いに臨む時に似た常より凛々しい声で彼女は続ける。
「では、最初はどうだったろう。想いを抱いた時、それを自覚した時……あなたがあなたで在る為に不可欠な瞬間だったのではないだろうか」
 共に抱くと見る想いはそれぞれのただ一人の為に。静かで優しい愛などというものは、片恋に身を焦がす少女にはきっと未だ早く、膝を折り目を背ける事は、きっと己を違うものに変えてしまうから──自問を促す声はただ、真摯に。
 結局のところ、答えは当人の中にしか無い。だからケルベロス達は、それを見失ってしまった少女が顔を上げられるようにと、叶う限りの優しさを向ける。君は行動を起こそうとしていた。それだけの強い想いを持っていた。それは誰もが持ち得ながらも、誰もが育てられるものでは無い、宝石のような強くて大切にされるべき想いであると。
「──恋をするのが怖いのは当たり前なんだけどね」
 落ちてしまえば、変わらずにはいられない。自分自身すら制御出来ないような情熱を心の中に飼う行為など、恐れて当然なのだとヴィルベルが言う。真っ向から少女へ向かわない眼差しは、一般論と称しているゆえか、己に似合わぬ事をしていると落ち着かぬゆえか。
 けれど、それは恐ろしいばかりでも無いのだと、きっと少女だって知っている。
「恋してる時って、いつもより輝いてたと思うよ。自分も、周りの見え方も」
 ねえ、と琉華が少女へ手を伸べる。指先をそっと繋いで、ボクもなんだ、とはにかんだ。
「もしまた病魔が来たら、きっとボク達が助けるよ」
 だから、怖がらないで。
「それまでと違うってのは、重ねれば変化で……成長するって事でもあるよね」
「それにきっと『彼』も友人達も、きみを心配してる」
 だからどうか、拒まないで。
「まだ、手遅れなんかじゃない。今日が終わっても、明日も明後日も続いて行くから」
 抱いた心を、あるがままの己を、大切にして欲しいのだと。根気強く語り掛けるケルベロス達を、やがて少女の瞳が映した。淡く潤んだそれは未だどこか不安げに揺れていたものの、瞬きが涙の粒を払うと共に胸に握った拳は、確かな強さを示していた。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年3月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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