●珈琲が結ぶ縁
冬の気配が色濃い朝に、心を安らがせる香りがふわりと漂う。
「大輔、ちゃんと背筋伸ばせよ。今日は勝負の日だろ」
「…………まぁ、な」
オフィス街の一角にある日当たりの良い半地下に、その珈琲店はあった。
「大丈夫だって。あのお嬢さんも絶対お前に気があるって。だって毎日、わざわざお前を選んでオーダーかけてくれるし。お決まりのブレンド飲みながら、お前のことチラチラ見てるし」
「……うっさいなぁ、親父はもう黙れって」
レトロなコーヒーロースターのハンドルを回す中年の男の磊落な笑い声に、面立ちは似通っていながら少しばかり線の細そうな青年の眉間に皺が寄る。
否、青年が苦しそうにしているのは、揶揄られているからだけではなかった。
「はぁ~。齢19でまさかの初恋! 相談された日の感動をとーさんは忘れない。大丈夫だ、ちょっと年上っぽいけど、俺は全力でお前を応援する……って、大輔!?」
磨いていたスツールに凭れかかるように頽れた息子の姿に、父親は慌ててカウンターの中から飛び出す。
「おい、どうした大輔!?」
「……く、る……し」
体を支えられた青年は、苦し気に胸を掻きむしる。ドキドキする、苦しい苦しいと繰り返し。
そして青年――大輔の意識は、カランカランと来客を告げるカウベルの向こうに長い髪を高く結わえた待ち人の姿を捕えることなく、深い海の底に引き摺り込まれるように失われた。
●恋の話
2月14日、バレンタインデー。
恋の花が咲き誇るこの日、日本各地の病院から原因不明の病気に関する連絡があった。
何でもこの病、誰かに純粋な恋をしている人物が罹るらしく、症状は『胸がドキドキして食べ物はおろか飲み物さえ喉を通らない』というもの。
「冗談を言っているんじゃないですよ? 本当に何も喉を通らないそうなんです。例えば、無理やり水を飲もうとしたら咽て吐き出してしまうらしくって」
恋の病はお医者様でも何とやらと言いますがと、眉を顰めて告げたリザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は、すぐさま表情を和らげた。何故なら今回は幸いな事に、お医者様の見立てに相応の効果があり、病院に担ぎ込まれた患者は点滴を受けて命の危機そのものは脱しているからだ。
しかも話を聞きつけたアイオーニオン・クリュスタッロス(凍傷ソーダライト・e10107)らの調査によって原因は判明している。
「諸悪の根源は、『恋の病』という病魔です。皆さんにはこの病魔を倒し、大輔さんを助けて欲しいんです」
父親が経営する珈琲店を手伝う大輔青年は今朝、開店直後に倒れて病院へ担ぎ込まれた。そして事態を把握した病院側の計らいで、今は病魔と戦闘が可能な病室で伏している。
あとはウィッチドクターが病魔を引き離しさえすれば準備は万端。
「もし皆さんの中にウィッチドクターがいなければ、僕の方で病院に連絡して医療機関のウィッチドクターにお手伝いをお願いしておきますので心配ご無用です」
とんっと胸を叩いて一つの安心情報を齎したヘリオライダーの少年は、肝心の『恋の病』の病魔についても語り出す。
曰く、姿は悪戯な天使のよう。攻撃の手段は、携えた弓で敵を射貫き、魅力的な瞳で惑わせ、甘い口付けで命を吸い上げる、という三手を有しているようだ。
「戦闘力はあまり高くないので、油断さえしなければサラリと倒せると思うのですが――」
語り口同様朗らかだったリザベッタの表情が険しくなるのは、『後遺症』のせい。
「どうやらこの病気は、経験した苦しみがトラウマになって恋をするのを怖がる可能性が高いらしくてですね」
それは、恋のいろはも知らぬ少年紳士も顔を顰める程度には大問題。だって人は恋をせずにおれない生き物な筈だから。
「珈琲の香りと倒れた記憶が強烈に結びついてしまっていますから、珈琲を嗜みながら魅力的な経験談など聞かせてあげたりするといいかもしれません……ね?」
最後の最後に、未知の領域ゆえの疑問符を滲ませ、リザベッタは大輔のこれからの人生を左右する一大事件をケルベロス達に託す。
子供の舌には、苦い珈琲。
恋を覚える頃には、砂糖とミルクで甘く甘く。
今のあなたにとって恋はどんな味?
参加者 | |
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春日・いぶき(遊具箱・e00678) |
泉本・メイ(待宵の花・e00954) |
立花・ハヤト(白櫻絡繰ドール・e00969) |
連城・最中(隠逸花・e01567) |
霧島・カイト(凍護機人と甘味な仔竜・e01725) |
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879) |
天津・総一郎(クリップラー・e03243) |
綾瀬・沙織(クレイジーフォーユー・e14743) |
●恋の病、治します
広い個室にぽつんと残されたベッドは、病を患う人の心のように頼りなく。
「大輔さん、私達が絶対助けるからね!」
だから泉本・メイ(待宵の花・e00954)は、横たわる大輔を励まそうと手を握ったのだけれど。彼は視線を彷徨わす。
「恋は生きる上での一過程だとは思いますが、非常に繊細で大切な部分。人の恋路を邪魔する輩は、わたくし達が排除致します」
大輔さんは安心していて下さいね、と視界から和ませようと小悪魔な着ぐるみ姿の立花・ハヤト(白櫻絡繰ドール・e00969)が重ねても、大輔は「ありがとう」と応えながらも眉根を寄せる。
どうやら大輔、少々居た堪れないらしい。だってこの状態、即ち自分の恋心云々がケルベロス達に知られているということ。19歳はまだまだ難しいお年頃なのだ。
年齢的に近い木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)は、そんな大輔の心中を察してか、眇めた眼の奥に想いを描く。
(「年上の女性に初恋か」)
きっと甘酸っぱいものなのだろう。生憎と、想像でしかないが。しかし大輔に幸せになって欲しいと思う気持ちは真実。その為にもきっちりやってやろうぜ、とウタは胸裡でぐっと拳を固め。そして続いた綾瀬・沙織(クレイジーフォーユー・e14743)の言葉に、大輔の強張りも少し溶ける。
「私が一般人なら、5回は恋の病魔に罹っていたと思いますわ」
神妙な頷きが醸す『恋心は誰にとっても変わらぬもの』だという沙織の想いに、治まり切らぬ苦しさに青白い頬をした大輔も顔を綻ばせた。
――珈琲の香りごとトラウマに、なんて捨て置けません。
大の珈琲好きな連城・最中(隠逸花・e01567)としても、珈琲店の跡取り息子が恋の病に敗れてしまうのは頂けず。故に男は、青年が落ち着いた頃合いを見計らって眼鏡を外した。
それは、最中にとって戦闘開始の合図。
「では春日さん、お願いします」
「はい、お願いされました。お任せ下さい」
一人退き、二人退き。大輔と一対一で見合い、ウィッチドクターの春日・いぶき(遊具箱・e00678)は悪戯っ子のように笑む。
「恋を恐れる後遺症とか、勘弁して欲しいですね。皆さんには、素敵な恋をたくさんして頂かないと。僕のおなかに関わります」
腹ペコは困ります、と笑ったサキュバスの男は、久方振りの本業仕事に張り切って施術黒衣の裾を閃かせた。
●恋の病は、恋煩いに
正直、戦いを終えた後を思うと天津・総一郎(クリップラー・e03243)の気分はやや重い。
(「だって、……いや、今はやるしかねぇっ」)
ハタチの青年らしく脳内に渦巻くあれやこれ。だが総一郎はそれらに蓋をすると、いつもより低めの軌道で重力に引かれる蹴りを『敵』に見舞う。
衝撃に二枚翼を羽ばたかせ、愛らしい姿の天使もどきは中空で一回転。姿勢が元に戻ると、意趣返しとばかりにハートの鏃を総一郎へ向ける。
「させんっ」
けれど総一郎が射貫かれるより早く、バイザーで顔上半面を覆う霧島・カイト(凍護機人と甘味な仔竜・e01725)が己が身を盾と晒した。氷を思わせる装いに、刺さるピンクの矢。されど痛みはさほどなく。
「返すぜ」
カイトは病室の床を軽く蹴ると、流星の輝きを秘した足先で病魔――恋の病の横っ面を叩き。カイトに寄り添うボクスドラゴンのたいやきは、良い匂いを立ち込めさせてカイトの傷を癒やす。
「立花さんも仰っていましたが。人の恋路を邪魔する輩には早々に退場して頂きましょう」
冴えた緑の一瞥を最中は恋の病へ呉れ、華奢な体躯を意識の力のみで爆ぜさせる。
いぶきが大輔から切り離した『病魔』は、事前の話の通りにお世辞にも強いとは言えない相手だった。そこに策を盤石に整えたケルベロスが相対すのだから、結果は御覧じろである。
「可愛らしい姿ですが、僕にとっては天敵ですからね」
美味しいご飯を根こそぎ奪うなんて駄目ですよ、と軽妙に嘯いたいぶきは、カイトの残り傷を緊急手術で癒す。
「大輔さん。わたくし達を信じて、其処に居て下さいまし」
背に寝台ごと大輔を庇うハヤトの言葉に、守られる青年はベッドの上で身動ぎすらせず。その様子に彼の信頼を感じ、ハヤトは病魔の隙をついて病魔に肉薄すると、地獄の炎でその身を灼き上げる。
「可哀想な気もしますけれど」
外見は恋を結ぶキューピッド。責め苛むのは若干、気が引けるけれど。そんな同情めいた心ごと、沙織は肩に担いだ長大なライフル銃から放つ光線で敵を凍てつかせた。
だってそれは、大輔の恋心を弄ぶ災厄。そして意を決す者らの猛攻に晒された病魔は、見る間に弱り果てる。
「そろそろ仕上げか……」
引き寄せる終焉に僅かに心臓を跳ねさせ、総一郎は固めた拳で病魔の命を啜り。
(「あれ、お日柄的に今日の俺はこれやってはいけない気がする……?」)
どちらかと言えば爆破される側に属するカイト、微妙な戸惑いを覚えつつ遠隔爆破で恋の病をドカン。
連撃を貰った病魔は、必死の体でいぶきへウィンクを飛ばすが、それはハヤトが叩き落し。
「ったく。折角のバレンタインに水を差すようなことしやがって。そんな奴は馬に蹴られて――じゃなくて、ケルベロスに咬みつかれて死ぬぜ?」
忠告したところで遅いけどな、とウタは指のリングを輝かせる。
「そらよっ」
気迫と共に母なる星の青を纏う刃を発し、小さな翼を薙ぎ棄てた。そうすれば、偽りのキューピッドは消失の間際。
「あのね、私はまだよく分からないけど」
弾むステップで病魔との間合いを詰め、メイは年下の幼子の悪戯を咎めるように病魔と視線を合わせる。
「悪さは駄目だよ、恋の病さん」
ばいばい。
告げてメイは、光を集めて銀色のシュガースプーンを形作った。
「甘い魔法を、ひとさじ」
ちりん、ちりん。
母が饗してくれる素敵なおやつの時間を思い浮かべた少女の、幸せを掬うような匙遣い。浚われた恋の病は、ただの恋煩いへと昇華する。後に遺ったのは、ウタが奏でるメロディアスな鎮魂歌。
(「安らかに眠れ」)
そうして再び幕を開ける一時は、未来を夢見る恋の時間。
●聞いて、恋の話
ハヤトはスウィートとビターなチョコ二種。ウタはチョコパイ、メイは母と作ったチョコマフィン。沙織はブールドネージュ。
「だからっ、お前はこっちだって」
そしてカイトは、持参したバタークッキーに食いつこうとしているたいの隔離に悪戦苦闘。いつの間にか上げられていた彼のバイザーに、かけ直した自分の眼鏡と同じ役割を感じながら最中は、菓子の山へそっと焼きメレンゲを忍ばせる。
病魔を倒したからか、大輔の顔色は随分よくなっていた。今はケルベロスらと共に、病院のカフェスペースでハヤトと楽し気に珈琲を淹れている。漂うアロマは、癒し効果抜群。最中の顔も、綻ぶ程に。
「はい、どうぞ。甘くしたよ?」
そうして暫し、淹れ終えた珈琲をハヤトが皆に配膳する傍ら。大輔はカフェオレのマグをメイへ差し出した。砂糖の代わりに蜂蜜を使っているのだろうか、仄かに漂う花の香りにメイは瞳を輝かせる。
「ありがとう!」
苦い珈琲はまだ飲めないけれど。母を彷彿させる甘さに少女は頬を染め、そう言えば、と大切な始まりの物語を紐解き始める。
「あのね。お父さんとお母さんが出会って、恋をして。そして私が生まれたの」
もし、父と母が恋をしてくれなかったら。メイはこの世界にいなかった――そう聞かされた時の衝撃を、メイは忘れない。ああ、恋って何て凄いのだろう。だって恋がなければ、温かい家も、楽しい毎日も始まらない。両親の恋があったから、『メイ』が始まったのだ。
「きっと私、産まれる前からお父さんとお母さんの所に行きたくてウズウズしてた気がするの」
――もしかすると、雲の上で早く大輔さんの所に行きたいって思っている子がいるかもだよ。
お終いは、耳元で内緒話をするように。未だ恋を知らぬ少女に、『その子を迷子にしないであげて?』とお願いされた青年は、一気に耳まで茹で上がった。
「えっ、あっ、そのっ」
大輔の態度は、何処へ考えが至ったのか想像に容易く。その慌てぶりに和んだ最中は、救いの手がてら問いを投げかける。
「大輔さんの想い人は、どんな方なのですか?」
「あー……カッコいいんだけど、笑うと可愛くて。身形とかはしっかりしてるのに、ドジな所もある人で……」
気が動転していたせいか、それとも腹を括ったのか。大輔は、ぽつぽつと恋る人の事を嬉しそうに、困ったように明かす。そして――。
「年齢は多分、5つくらい上かな」
「あー……それだと躊躇うよなぁ」
年齢差の話題になった時、それまで黙って聞いていた総一郎が深々と溜息をついた。
「2、3歳ならまだ何とか、なんだけど。それ以上だと、年の差を理由に本気で相手にされない気がするよな」
「そうなんだよ!」
永遠に詰められない『絶対』は、高い壁。完全に意気投合した青年二人は、真顔で語らう。頭で考えても答えが出ず、心で感じるものが恋だから。
「いきなり好きって言うのが難しいなら、例えば珈琲に入れる砂糖の量みたいにさ」
そこで一度、総一郎は珈琲カップを傾ける。大人ならやっぱブラックだよな、と見栄を張り。けれどストレートな苦みは耐え難く。総一郎は顔を渋らせ、しおしおと砂糖を、一杯、二杯。
「――ホントはもう一杯いきたいとこだけどな。こうやって少しずつ減らして、最後はブラックに到達するように階段を踏んでいけばいいさ。そしたら……珈琲に溶けていく砂糖みたいに、すっと受け入れられるかもしれないぜ」
「それって、実体験?」
「へっ!? そ、そそそんなことねーよ!」
大輔のツッコミに、今度は総一郎が狼狽する番。本人は抽象的に語ったつもりだったが、一語一語丁寧に紡がれた言葉たちには、経験者しか分からないものが見え隠れしていたのだ。
しかしお陰で大輔もすっかり落ち着いた風で、
「俺の場合。相手の職業柄、告白していいのか分かんなくてさ」
しかももっと年上の人だぜと、実は二十代も半ばを超えてから初恋を経験したカイトの話に真剣に耳を傾ける。
「でも、去年。囲われる形で告白したらさ、OK貰えたんだ」
「「おお!」」
上がった歓声は複数。それにカイトは少し照れ、甘い恋を噛み締めるように辿り出す。
「それからは、慣れないなりに誘ってみた。喜んで貰えてさ……嬉しかった、かな。だから俺は、告白して良かったって思うよ」
色々難しいだろうけどさ、とカイトが肩を叩くと、大輔は視線を迷わせる。それは、彼の裡の葛藤の証。それを見て取り、沙織もゆっくりと口を開いた。
「私の片思いなのですけれど」
一つ前置き、沙織は言う。恋は、人生の転換期だったと。
相手は優しく真面目、そして謙虚で一生懸命な人。その姿は、見ているだけで沙織に生きる力をくれた。どんなに辛い事があっても。
「私は……ある時から、只々命を繋ぐ為だけに生きてきました」
けれど、『彼』に恋をしてから。沙織の中に生への執着が湧いた。
――恋は、彩。生きる糧となり得るもの。
重みのある話に、しんみりしてしまった空気。それを打破するように、いつもは『彼』以外の異性には辛口の沙織は、柔らかく微笑む。
「年上の女性は年下男性の真摯さに意外と脆いものです。大輔さんにアピールしていらっしゃるなら、尚更に」
「そっ、そうかな?」
「えぇ。気持ちが本物なら、年の差なんて気にする必要はありません」
恋話にほわり色付くカフェスペースの空気。
(「はぁ、美味美味ですねぇ」)
それをいぶきは、甘い菓子たちと一緒にちゃっかり堪能していた。
●まるで珈琲みたいな
「俺は告った経験はないけどさ、後悔したくなきゃ当たって砕けろ、だろ?」
ウタの発破に、大輔はぐぅと言葉を詰まらせる。覚悟はしても砕けてしまうのはツライもの。しかしそんな弱音を隠すよう珈琲を煽った大輔は、ぱっと顔を輝かせた。
「美味い」
「ありがとうございます」
それは最中の淹れたお代わり二杯目。踊る水音に心躍らせ、絶妙の抽出加減の珈琲は苦みと酸味がちょうど良い塩梅。馴染む香りに大輔の表情もまた緩む。
「でも実際。大輔が惚れるような女性なら、恋のライバルがいるかも、だぜ?」
「うー」
「好きなんだろ? その人と一緒の素敵な未来を手に入れたいんだろ? 大輔の手でもっと笑顔にしてやりたいんだろ?」
実直なウタの声に、珈琲を堪能できただけで満足しかけていた最中も、我に返って再び拝聴。
「正々堂々と想いを伝える事。漢の心意気を示そうぜ……甘ーい恋にも、やっぱり珈琲が似合うしな」
男気溢れる口ぶりから一転、ニッと笑ったウタのサムズアップに大輔は虚を突かれたように瞬いた。その表情に少し笑って、最中も話の輪に加わる。
「良い珈琲は恋のように甘い、なんて言葉もあるんですよ」
三十路が近い齢のせいか、はたまた気質のせいか。消えぬこそばゆさに少しはにかみ、
「苦さに不安を覚える事もあるでしょう。けれど苦みを溶かす方法も、甘さの在処も。貴方はもう知っていますよね」
経験皆無とは言わぬが恋の記憶に苦みを呼ばれる最中は、己が事を語れぬ代わりに大輔の背を押す。いつだって、他人のそれは尊く、眩いから。
言葉に換えて、口遊む心地よいスローバラードでハヤトも大輔を励ます。
「……」
「ねぇ、大輔さん」
踏み出しきれない青年の顔を、斜め前から眺める位置。食んでいたマフィンを一度置き、いぶきは首を傾げて猫のように目を細めた。
「恋心は苦しいだけでしたか? 思わず表情が緩むような幸せは、ありませんでしたか?」
それはまるで、お医者様の問診。
「全てに蓋をして、見ないふりして。忘れてしまうことの方が、よっぽど苦しいと思います」
否。いぶきは正しくウィッチドクター。
「どうしても辛ければ、吐き出しても良いんです。恋とは思い悩む事ですから。ご相談ならいつでも。僕は病魔専門医なので、暇なんです」
「――」
沈黙は刹那。
「その時は、お願いします」
心強いお墨付きに、遂に大輔は頷く。
「あのね。両親も珈琲の美味しいお店でデートしてたって。珈琲は恋する飲み物なんだね」
はい、とメイから差し出された四葉のお守りを、大輔は「ありがとう」と受け取ると顔を上げる。
「カイトみたいに上手く行くか分かんないけど。俺も、頑張ってみるよ」
ハヤトの優しい旋律、そしてケルベロス達の励ましに、大輔は恋の痛みへの恐れを克服したのだ! もしもの時のいぶき保険に加入して。
「余計なお世話かもだけど、総一郎も綾瀬さんも頑張って。皆さん、良ければいつでも珈琲を飲みに来て下さいね」
その時は、ぜひ甘い惚気話を――そう言おうとした最中の声は、新たな女性の登場に遮られた。
「大輔君、大丈夫!?」
「奈和さん!?」
果たして恋の行方は如何に?
結末は、大輔の淹れる珈琲の味が教えてくれるに違いない。
作者:七凪臣 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2017年3月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 0
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