君を忘れずにいるために

作者:秋月諒

●青い花の噂
 夜の森を、青年は進んで行く。手に灯は無く、木々をかき分ける指先は血に濡れていた。
「両の手は開けておけ。呪いを受け止める為に。あぁ、何だろうが構いやしない。忘れずにいられるのならば」
 マスター、となぞるようにそう紡いだ青年の吐息が白く染まる。かじかんだ指先が思うように動かない。けれど青年は足を止めることは無かった。彷徨うように森を歩く。
「青い桜、奇跡の君。姿を見せてくれ。貴女の呪いを受け止めに来た。どうか願いを叶えてくれ」
 願い請うように青年の声が響く。こぼれ落ちる涙にさえ気がつかぬまま、きつく拳を握り締めるーーその、時だった。声がしたのだ。だがそれは青年の求める青い桜の君ではない。
「私のモザイクは晴れないけれど、あなたの『興味』にとても興味があります」
 第五の魔女・アウゲイアス。
 手にした鍵で青年の心臓をひと突きにした魔女は、崩れ落ちる青年とその傍らに歪む花を見る。
「ふふ」
 甘い桜の香り。青い桜の花を纏い、枝葉を腕にした桜の娘が生まれ落ちた。
●君を忘れずにいるために
「誰かをずっと忘れずにいたい、という気持ちは私にも覚えのあります。分からなくはありません」
 レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)は寂しげな笑みを浮かべ、息を吸った。
「ですがそこにある思いと願いを、勝手に利用されるわけにはいきません」
 不思議な物事に強い『興味』を持ち、実際に自分で調査を行おうとしている者が、ドリームイーターに襲われ、その『興味』を奪われてしまう、という事件が起きている。
「『興味』を奪ったドリームイーターは既に姿を消しているようですが、奪われた『興味』を元にして現実化した怪物型のドリームイーターはそのまま存在しています」
「怪物型のドリームイーターによる被害が出る前に、このドリームイーターを撃破して下さい」
 このドリームイーターを倒す事ができれば、『興味』を奪われてしまった被害者も、目を覚ましてくれるだろう。
 怪物型のドリームイーターは青い桜を纏う樹木の娘だ。枝葉を指先のように動かし、青い桜の花を舞わせて微笑む。
「青い桜の君、奇跡の君、と被害者は呼んでいました」
 青年が青い桜の君に興味を持つようになったのは、青い桜に纏わるある逸話があったからだとレイリは言った。
「桜は、その昔、大切な人を失ったお嬢さんがその人を忘れずにいるために植えたそうなんです」
 通っていた娘が命を落としたその日、桜は青く染まったという。
「お嬢さんは願いが叶ったと言い、親族は呪いだと言った。木を切りに行ったが、その頃には見つからなかった」
 そして言われるようになったのだという。青い桜の君を見つけることができれば願いが叶う。その身に呪いを受ける覚悟があれば、と。

「被害者の青年には忘れずにいたい方がいるようです」
 現場は夜の森、早咲きの桜が咲いている場所だ。被害者の他に、他に森に入っている存在は無いとレイリは言った。
「避難指示についてもお任せを。皆様には、怪物型ドリームイーターの対処と被害者の救出をお願い致します」
 被害者は桜の樹の下に倒れている。周囲は開けており、戦うには問題はないだろう。
「敵は怪物型ドリームイーター一体。配下はいません」
 背丈は大人ほど。枝葉を腕のように伸ばし青い桜の花びらは炎ように人を焼く。
「この怪物型ドリームイーターには、二つほど習性があります」
 ひとつは、『自分が何者であるかを問う』ような行為をするということ。
 今回の場合は「青い桜の君」が正解だ。
 正しく答えられれば見逃し、逆に、答えられなかったり、化け物だといえば怒って相手を殺してしまうのだという。
「上手く答えれば見逃して貰えるかもしれませんが、目的はこの怪物型ドリームイーターの撃破です」
 返答は戦いには影響してこない。
「あとひとつ、この怪物型ドリームイーターは自分のことを信じていたり噂をしている人がいると、その人の方に引き寄せられる性質があるようです」
 青い桜の話を、大切な人を忘れずにいられる、という話をすればドリームイーターは姿を見せるだろう。森の中を捜しまわらずに、戦場に招ける筈だ。
「討伐を、お願い致します。興味も、思いもそこにかけた理由もその方のものです」
 誰かに利用されていいような想いではない。
「それが呪いと噂にあるものでも向かった、か」
「理由はあるのかと。千さんは青い桜の花、みたいですか?」
 問いかける言葉に、ないしょ、とゆるく笑った三芝・千鷲(ラディウス・en0113)に静かに笑ってレイリはケルベロスたちを見た。
「それでは参りましょう。皆様に、幸運を」


参加者
燈・シズネ(耿々・e01386)
飛鷺沢・司(灰梟・e01758)
バルタザール・エヴァルト(おっさんの刀剣士・e03725)
サイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)
レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
ルル・キルシュブリューテ(ブルーメヘクセ・e16642)
カノン・クラサワ(故郷を求めて・e33849)

■リプレイ

●夜と願い
 月明かりは帯のようにその空間に降りていた。
「さて」
 吐息ひとつ、夜の闇に溶かしてサイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)は視線を桜の樹へと向けた。瞬間、ぴん、と空気が張り詰める。虫の音も、夜に鳴く鳥の声もない森に静寂がおちた。
「あぁ、ここで倒れてんな」
 桜の樹の下にいた青年にバルタザール・エヴァルト(おっさんの刀剣士・e03725)は膝を折る。見る限り怪我などは無さそうだ。腕を引き持ち上げれば、手伝おう、とレスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)はぐったりとした青年の腕をとった。
「……」
 男二人に引き上げられても、青年は目を覚ます様子は無かった。ただ腰の明かりを受けて白い頬が見える。一筋、涙の辿った痕がみえた。
(「忘れたくないこと、か……」)
 青年はそれをかけてこの地に来たという。
 小さく、レスターは息を零す。
 桜から離れたこの場所までくれば、青年を戦闘に巻き込むことも無いだろう。
 瞳を伏せたままの青年に、バルタザールは小さく息を吐く。
(「確かに忘れたくないと思う人はいるが……今も、大事だと思うんだよな。今、大事なやつが居るなら、尚更ってな」)
 まぁ、被害者の奴はそういうのが居なかったから、今回被害者になったんだろうけど。
(「理解できないワケじゃねぇけどな、世の中世知辛いねぇ」)
 視線をあげれば、弱い風に桜が揺れたのが見えた。こっちは終わりだと告げれば、桜の袂に来ていた飛鷺沢・司(灰梟・e01758)が視線ひとつ、頷きを返す。
(「誰かを忘れないでいたい気持ちは、痛いほどわかるつもり」)
 ヘッドライトで照らされた先、青年の姿を見ながら カノン・クラサワ(故郷を求めて・e33849)は小さく息を吸う。敵はその想いの力で自分を満たそうとするのだろうけど、結局は被害者のものでしかない。
(「ドリームイーターは敵だけれど、満ち足りない悲しい人たち……こんなことはやめさせたい」)
 夜の木々を揺らす風が止む。
「……始めるか」
 レスターが告げる。静かにひとつ、夜の闇を見据えてサイガが頷いた。

●青い桜の君
「なぁんだ、青っぽいのは見当たんねえね」
 吐息ひとつ零し、サイガは夜の空を見上げた。
「青い桜を見つけりゃいいんだったか。……あんたらにも、叶えたい願いが」
 レスターが横を見れば青い桜ねぇ、とバルタザールの声が返った。
「忘れたくない人の想いを忘れずに居ることが出来るか。……それって嫌な思い出もあると思うんだが、どうなのかね」
 空気が揺らぐ。何かの視線を蓮水・志苑(六出花・e14436)は感じていた。
「願いを叶える青い桜、この世に存在しない花はどこか幽世たる、人を惹きつける魅力がありますね」
 だからこそ、噂の言葉を紡ぐ。
「もし、あるならこの世の物とは思えない光景でしょうね」
 本当に、叶えてくれるなら、私は……。
 胸の奥、滲む思いに志苑は唇を引き結べば、我に帰らせるように風が吹いた。見られている感覚を肌に司は口を開いた。
「大切な人を忘れずに……か。時と共に薄れるのが自然なら、永遠に忘れないのは呪いなのかもしれないな」
 静かな囁きをぽつりと零したーーその、時だった。
「ふふ、うふふ」
 甘く響く声音と共に影が落ちた。それは樹木の娘であった。しなやかに伸ばされた枝の腕には青い桜の花を咲かせーー問う。
「私の名は?」
 樹木の腕が伸ばされる。両の腕を見据え、司は言った。
「青い桜の君」
「おめぇはそんな綺麗なもんじゃねぇ、ただのバケモンだ」
 続けて燈・シズネ(耿々・e01386)はそう言い切った。
「人の形をしてても、結局は敵。化け物だもんね」
 ルル・キルシュブリューテ(ブルーメヘクセ・e16642)がそう言えば、青い桜の枝先が動いた。
「あなたはいいわ、けどそこの二人ははずれだから」
 逃がしはしないのよ。
 そう言って青い桜のドリームイーターは笑った。
「さぁ呪いの時間よ!」
 夜の空気が熱を帯びる。青い桜が一斉に咲き誇れば甘い香りが戦場を満たした。

●願いと思い
 歌うような声と同時に、青い花びらが夜の森に生まれた。舞い上がる花びらに香りは無く、降り注ぐ花弁が持つのはーー鋭さか。
「あは」
 笑う青い桜の花びらが、一斉に前衛へとーー落ちた。斬撃ほどの鋭さに、肌が裂ける。
「生き返らせたいとかじゃなくて忘れずにいたい、か。段々声も思い出せなくなって、少しずつ大事なやつが消えていくのは何かに縋りたくもなるよなあ」
 指先の残る痺れに、シズネは息を吐く。問いかけへの返答は戦闘には関係ないようだ。シズネは、たん、と地を蹴る。体は前に、向いた視線ひとつ受け止めてーー飛び上がる。
「ま、コイツはその青い桜じゃねぇ。偽物には消えてもらうぜ」
「ふふ」
 笑みを浮かべ、青い桜が腕を伸ばす。だが空へと伸びた腕はその途中で崩れ落ちた。
「あら」
 司のナイフだ。月光を宿す刃は、一拍の後に炎を零す。
「興味ねえんだよなあ、紛い物には」
 紙兵を空に夜の空に舞わせ、サイガは口の端をあげた。樹木の娘の視線ひとつ向けば、その額に濃いーー影がおちた。
「忘れてもらったら困るぜ?」
 落下の勢いさえ利用してシズネが蹴りを叩き込む。ガウン、と重い音が響けば、ぶわり花の香りが濃くなる。
「いらないの?」
 問いかける声は同時に殺意を滲ませていた。ぐん、と身を前に出す青い桜にレスターは銃弾を叩き込む。バキン、と枝が爆ぜる音が耳に届いた。
「千鷲、スナイパーで頼む」
「仰せのままに」
 三芝・千鷲(ラディウス・en0113)が腰の刀を抜く。た、と横を抜けた姿を視界に、ルルは告げた。
「貴方は、私たちが守る」
 それは誓いに似た調べ。姿を見せるは花精の一人・著莪の騎士。矛を持たず、盾のみを携えた騎士はルルの言の葉と守護の意思と共に前衛へと守りを紡いだ。
「イコちゃん、どんどん回復をお願い」
 しゅた、と手をあげたイコと共に見据えた戦場に、火花が咲く。降り注ぐ青の花に、炎にその身を閉じ込められながらも、前に出る。武器を手に踏み込み行けば、耳に届くのは笑う青い桜の声だ。
「あは」
 笑い腕のように伸ばした枝が志苑を斬る。だがその痛みの中、刃は迷い無く抜き放たれる。
「迎え撃ちましょう」
 紫の双眸は敵を見据え、暴れるように動いた枝を躱し舞うように次の一撃の構えを取った。
「切なる人の願いを喰い物にする者を」
 鋭く響く声と共に。

●桜花
 降り注ぐ花と炎が夜の戦場を彩っていた。剣戟を重ね、加速する戦場にケルベロス達は踏み込んで行く。攻撃の手を休めず、伸びた枝を今度は躱し、バルタザールは一気に地を蹴って踏み込んだ。
「……その足、貰い受ける」
「!」
 そこは敵の間合い。その死角。斬撃に、ぐら、と青い桜は傾ぐ。
「呪いを」
「させない」
 告げる声と共にカノンの銃弾が青い桜を襲った。グリュック、と娘が声をあげれば、続けて炎が戦場を走った。
 枝葉を散らし、血を流し。
 森の戦場は激しさを増していた。剣戟と同時に火花が散る。傷はこちらの方が少し多いか。先に耐性を紡いでいたからだろう。志苑にルル、サイガの紡いだ力のお陰で、指先に残る痺れも、炎も振り払うことができている。
(「なら、後は……叩き込むだけか」)
 死は終わり。関心は生者、共に歩く彼の人へこそ。 願うより戦って在る明日を叶える。
「私の花を落とさないでね?」
 歌うように告げた青い桜が見据えたのは司だ。来る、と思った次の瞬間、青い花びらが司を包んだ。
 炎が、身を焼く。
「——ッ」
「回復する」
 サイガの声が戦場に響く。一瞬、歪んだ視界で、だが膝をつくことなく司は敵を見据えた。青い桜の狙いは恐らくは攻撃手だ。より多くの花を落とす相手を、狙うということか。
「けど、狙いが分かるなら」
 やりやすくもある。
 戦場の流れを掴むにも。止めた足の分、次の一撃の為にナイフを握る。た、と先を行くのはレスターとカノンだ。途切れることなく、連携を意識して攻撃を叩き込む。併せて、空を舞った志苑の蹴りが青い桜に落ちた。
「っグ」
 呻く青い桜の花が散る。暴れるように伸びた枝をよければ、横をルルの一撃が届く。枝にぶつかれば堅音が響いた。刃のような音を聞けば、火花が散るのも不思議はない。
 後少しだ、とシズネは思う。後少しで戦場の流れは完全にこちらのものになる。カノンのサーヴァントが回復を紡ぎ、サイガと重ね合わせれば前衛陣の体も軽くなった。
「いくか」
 息を吐き、地を蹴る。身を前へと飛ばせば、夜の闇の中、足音なく踏み込んだサイガの指先が幹に触れた。
「な」
 瞬間、夜闇に生まれたのは黝い炎。
「ようこそ。ごゆっくり?」
 桜の青より濁って凍てた炎は「昨日」を焦がし燃え散る。
「ぁああ……ッ」
 一撃、選んだのはその機と見たからだ。傾ぐ青い桜に続けて踏み込むのはレスターだ。
「夢喰いの呪いなんぞ受けねえよ。死にゃ会えるなんて幻想は、責を果たしてから抱くもんだ」
 吐き出した息ひとつ、レスターの右腕で銀炎が唸った。ごう、と吹き出す地獄の炎が手にした刀に触れる。
「尽きろ」
「——!」
 瞬間、地獄宿す刃を荒波の如く打ち寄せれば、銀炎は飛沫と為し砕け舞う。庇うように伸びた腕を押し返し、斬撃が叩き込まれれば樹木の娘は大きく態勢を崩した。
「ぁ」
 桜が散る。ぼう、と光るような鮮やかな青を視界にレスターは次の一撃を狙う。握る拳が音を鳴らした。
 胸の奥、恐れは真実この身にもあった。
 嘗てのように戦いに溺れ、死んだ妻や娘を忘れてしまうことへの恐れ。思い出も記憶も今は、復讐の道を歩む己を保つ唯一の標だから。
 舞い落ちる花びらの中、ケルベロス達は動き続ける。落ちた血を今は飛び越して、身を前に、一撃を叩き込む為にーー行く。
「呪いを」
 腕を伸ばす青い桜の間合いへと司が踏み込む。ナイフの刃が深紅に染まった。それは地獄の炎。
「……ッ!」
 炎が混ざり、司は眼を顰めた。
 思い出すのは――朧げな記憶に映る少女。此方に手を伸ばしては微笑む顔は途中で霞れ柄を握って刃ごと炎をーー薙いだ。記憶ごと振り切るように。
「ぁあ……ッ」
 バキン、と青い桜が割れた。枝に罅が入り、花が落ちる。
「ッ花をもっと!」
 腕を伸ばし、だが舞い上がらせた花びらは空でーー消えた。
「!」
 紡ぎ重ねた制約が一撃を散らしたのだ。息を吐き、バルタザールが続く剣を突き立てる。唸る雷の中、ルルは魔法の光を放つ。
「いくよ」
 一撃は庇う腕を石へと変えた。息を飲んだそこに、届くのは居合の一撃。
「じゃあな」
「!」
 一撃の後、近づくなとばかりに伸ばした枝の腕がーー落ちた。それは無数の斬撃。視認可能なはじめの一閃の後、追うように刻まれる圧倒的な剣技。
「呪い、は」
 衝撃に、花が散る。声を震わせ、やがて花が枯れゆくように、ドリームイーター・青い桜は崩れ去った。

●青い桜と呪い
 青年が目を覚ましたのはドリームイーターを倒して、少ししてからのことだった。事情を説明すれば、驚いた顔をした後に青年は頷いた。
「そう、でしたか」
 キツく握り締められた拳に、カノンが事情を聞けば、長く仕えていた主を忘れたく無かったのだと青年は言った。
「もうあの方と同じ歳になりますから」
 静かに響いたその声に、カノンは薄く唇を開く。
「私には、大切なのに忘れなければいけない人が、いるんだけれどね……」
 悲しげに俯いた彼女をグリュックは心配そうな顔で覗き込んだ。頬に触れた影に気がつき、カノンは顔をあげる。
「私は大丈夫。グリュックがいるもの」
 明るく笑ってカノンは気を取り直す。
 未練を残すように桜を見上げる青年に、レスターは言った。
「奇跡に頼らなけりゃ忘れちまうその程度の想いなのか?」
 敢えて紡いだその言葉に、青年は声をあげた。
「違う! 忘れるつもりなんかない、けど、それはいつまで続けていられる? もしも思い出せなくなったら、俺は……」
 落ちた声は震えていた。涙が落ちて漸く自分が泣き出したことに気がついた青年が自分の顔に触れる。
「れ、あ、すみま……」
「あなたのご主人を忘れたくない想いって、誰かを頼って遂げるものなのかしら……」
 説得するように、カノンは言った。
「ぁ」
 青年が小さく声を漏らす。説得に、瞳が揺らいだ。
「それだけ必死な想いがあれば、きっと忘れないだろうさ」
 助けて貰ったのに、と、口にした青年に司は言った。こくり、と彼は頷く。そうだといい、と。奇跡に頼ったと聞けば、きっと笑うような人だから、と。

 夜の桜が揺れる。早咲きの桜は爽やかな甘い香りをしていた。
 薄紅の、淡い桜の花だ。
「……シズネも、忘れたくない人が居るの?」
「オレにも忘れたくないやつはいるんだ。「忘れちまって、罪から逃げるわけにはいかねぇ」
 そこまで言って、シズネは傍を見た。
「……そんなことより、ラウルの話を聞かせてくれよ」
「俺の忘れたくない人は……俺にとっての道標で、世界の全てだったよ」
 ややあって響いたラウルの声にシズネが小さく瞬いた。
「おめぇは道標を、世界の全てを失ったのか?」
 儚い笑みに痛みが滲んで見えた。せめて、灰色の世界に囚われてしまった彼の、足元を照らす燈になれたらーー……。
「知ってるか? 死人の記憶で最初に忘れるのは「声」らしいぜ」
 哀しげに笑う彼を見遣れば眦を緩めて、呪いにも似た祈りを込めてラウルは言葉を紡いだ。
「俺は忘れないよ、シズネの「声」――……」

「……俺も、俺は、か」
 桜を見上げながら、司はそう呟いた。忘れてしまった事はあるけれど、呪いにも似てた気がする。
「思い出せるのならまた呪われるのも一興かもしれない」
 本音じゃないから言葉にもなる。
 弱い風に揺れる髪をそのままに、司は同じように桜を見上げていた千鷲を見遣った。
「千鷲、君は呪われるのは怖い?」
「怖く無いな。それが本当に呪いだというなら……きっと」
 小さく笑い、君は? と声が届く。
「青は奇跡の色だね。俺は……手が塞がるのは、ちょっと困るな」

 掌にふわり、月影が触れる。
「桜、青い桜かあ」
 見上げる。つい、と足先を伸ばせば爽やかな花の香りに甘さが混じった。
「実際にあったらとっても綺麗なんだろうなって思うけど」
 なんでだろ、とルルは声を零した。
「少し怖い気もするなあ」
 花守の娘の呟きに、肩に腰掛けていたイコが頬を寄せた。
 叫ぶような声が耳に残っている。
 右角の銀環を手にとると、レスターは裏の刻印が消えていないか確かめる。
「……」
 これは己を、大切だったものを忘れぬ為の戒め。薄く開いた唇は久しく口にしていなかった二人の名を紡いだ。
「……大丈夫だ。おれはまだ、ーー」

「……忘れたくない思い出……桜に頼る気持ちも、分からんではないがな」
 小さくマルティナは息を吐いた。
「バルト。……私はこの景色を、あなたと見るこの景色を、忘れない思い出にしたい」
 今、バルトの傍にいる者として、このくらいの我儘は、赦してもらえるだろう?
「この想いは、私のものだ」
 静かに、声はバルタザールに響いた。白の軍服が揺れている。
 忘れたくない人というのは、確かに居る。死んだ奥さんや息子の事は出来れば忘れたくない。覚えてられたら、そりゃ嬉しい。
(「でも、生きててなんぼだと思うのよ。生きてりゃ、新しい思い出だって作れる」)
「いいんじゃねぇの。俺も、ティナと一緒に見たこの景色は忘れたくない」
 別に我儘だなんて思っちゃいねぇさ、とバルタザールは息を吐く。何を覚えていたいかはティナの自由だ。

「本当に願いを叶えてくれるなら、命と引き換えにしても叶えたい思いはありますか」
 志苑の静かな声が響いた。問いかけるというよりは、どこか裡から零れ落ちて来るような言葉だった。
「忘れたくない、忘れないために落とす命に意味はあるのでしょうか」
「意味はある。ただしそれは己がためだけのものとして」
 巽の言葉に、志苑は唇を引き結ぶ。
 愚かな事と分かっていても、あの時の私がこの桜の存在を知っていたら。
「……」
「――……大丈夫か? 志苑」
 瞳を揺らす彼女の肩に触れて問う。顔をあげた彼女と目が合えば揺れる瞳は、小さく息を吸って芯を取り戻していく。
 いつか、彼と彼女も思うのだろうか。忘却。それこそが真の幸い。
 だが忘れられる筈も無く。ただ痛みは、いつか柔らかいものへ変わる。
(「そう信じ、生きるしかないのだと」)

「月下の夜桜も綺麗だけれど…青い灯や炎でてらしたら青くみえない? だめ?」
「そんな呪われてえワケ?」
 本気で探すティアンを横目に緩くサイガは息を吐く。だめな気はするけど、みつからないのだもの、と少女は灰の髪を揺らす。
「自然の経過で薄れるモンは、望まれてんじゃねえの。 死人の気持ちなんざ興味ねえケド」
 青に染む意味を喜びと解くのも退屈で、落ちた息が気まぐれな夜風に揺れる。宵闇に、目はもう慣れていた。死んだ人の気持ちなんてティアンだってしらないけれど、息ついて視線をあげた。
「忘れられる事が望まれていたとしても忘れない事が呪いのようだとしても、忘れない方が、ティアンは嬉しい」
「ふうん……」
 花の下、返る声にサイガは笑いを零して言った。
「ソレってもう呪われてるみてえ」
「……そうだな」
 夜の森に、願いは生まれて、そうして花の香りに抱かれていく。
 辿り着く『いつか』の為に。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年3月4日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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