アリス・ザ・リッパー

作者:藤宮忍

●斬り裂きアリス
 ふわふわ赤い髪の女の子が、スマートフォンで通話している。
 背丈や顔の造作を見れば中学生くらいだろうか。胸は比較的大きいので女子高生に見えなくも無い。童話に出てきそうなエプロンドレス姿の彼女は、立っているだけで通りすがりの男性の目をひきつける可愛らしい容姿をしていた。
 夕方の電気街は帰宅途中の人々で賑わっている。
 雑踏のなかで通話を終えた赤い髪の彼女は、端末をポケットに仕舞い込み、暫し思案げに付近を眺めていた。
 本当は、スマートフォンなど彼女には不要だった。
 なぜなら通信する機能は身体に備わっている、機械なのだから。ただ単にヒトの真似をしたいだけ。
 彼女の名はアリス。コマンダー・レジーナの配下として街に潜伏していたダモクレス。
「はぁ……撤退かぁ、残念。まだ帰りたくないなぁ」
 つぶやく声が、付近を通り掛かった男の耳に届いた。
「キミ、今日はまだ帰りたくないのなら、俺と遊ばないか?」
 とてもわかりやすいナンパだ。
「うーん。遊んでいる暇はないのだけど……」
 くるりと振り返ったアリスは、男を見上げて興味深げに瞳をまたたく。そして、その表情を笑みに変えた。
「あら貴方、レプリカントなのね」
「そうだけど、それがどうかした?」
 にっこりと微笑んだアリスは、男の腕を取って引き寄せ、裏路地の方へと誘った。
「私、貴方と遊びたいな!」
 アリスは一般人のレプリカントを人気の無い場所へと連れ込む。そして彼に告げた。欲しいものがあるの、と。デート代わりに何か買ってあげると答えた男に、アリスは首を振ってじっと見つめた。
「私が欲しいものはね、貴方が持っている『心』という回路なの」
 それは何処にあるのか? 心臓? それとも脳の中?
 満面の笑みを浮かべたアリスの手は、レプリカントの身体を破壊してひとつひとつ確かめていく。心という名称の回路を探して。
 
●依頼
「指揮官型ダモクレスの侵略活動が続いております」
 凌霄・イサク(花篝のヘリオライダー・en0186)が口を開く。
 指揮官型の一体『コマンダー・レジーナ』は、既に多くの配下ダモクレスを地球に送り込んでいたらしい。レジーナの着任と同時に、潜伏していたダモクレスが動き出している。
 動き出したダモクレスの大多数はそのまま指示どおり撤退したようだが、中には指揮官への手土産や自己満足の為にグラビティチェインを略奪するものも少なくない。多数の事件が予知されている。
「今回ケルベロス様方にお願いしたいのは、電気街で男性レプリカントを誘い込み、『心という回路』を探したあげく、見つけられずに解体した身体を余剰獲得物としてダモクレスの工場へと持ち帰る者。無垢なるアリスと呼ばれるダモクレスの撃破です」

 イサクは敵の名を告げた後、神妙な面持ちで状況を説明する。
「アリスは指揮官レジーナの指示通り、街に潜伏して情報収集を行っておりました」
 その間、アリスは事件を起こしていない。撤退命令を受け取ったが、そのまま帰還する事に不満を感じて、自身の探している心の回路を探す為にレプリカントを解体してしまう。
「見つからなくても、余剰獲得物を持ち帰れば手土産になるからレジーナの為にもなるだろうという考えですね」
 起ころうとしている事件の流れを告げたイサクは、小さくため息をつく。
「場所は夕刻の電気街。容姿及び出没場所は予知の通り、見つけ出す事は容易と思われます。当日は警察に周辺の安全確保を依頼出来ますが、敵を釣り出す為には直前まで状況を普段通りにしておく必要がありますので……」
 そこで説明を切ると、イサクは貴方達を見渡した。
「レプリカントが囮となって裏路地へ誘い込む。或いは、予知情報のナンパ男が誘い出すのを待って囲い込むか。作戦としては二択となります」
 表通りと比較すれば裏路地は狭いが、戦闘には充分な幅がある。元々人通りが少なく、戦闘時には警察が一般人の避難を行うようヘリオライダーが手配するとの事だ。
「タイミングを合図していただければ、更に確実に動けるかと思います」
 誘い込むつもりの敵を裏路地で捕捉して、撃破することが目的となる。
「このダモクレスは、興味の向く侭にレプリカントを狙う性質です」
 そして手足を斬り裂き身体を砕き、分解する。そういう戦い方をするのだ。
「かなり多くのダモクレスを潜伏させていた『コマンダー・レジーナ』は、指揮官としては厄介な部類だと推測いたします。これ以上の情報収集をさせない為にも、このダモクレスはここで撃破してくださいませ」
 イサクは一礼すると、貴方達をヘリポートへと導く。
「それでは現地までご案内致しましょう」


参加者
アギト・ディアブロッサ(終極因子・e00269)
ヒスイ・エレスチャル(新月スコーピオン・e00604)
西水・祥空(クロームロータス・e01423)
エンミィ・ハルケー(白黒・e09554)
霧城・ちさ(夢見るお嬢様・e18388)
東雲・菜々乃(のんびり猫さん・e18447)
レオン・ヴァーミリオン(リッパーリーパー・e19411)
リプレ・レシュノルティア(スウィーツロッカー・e24078)

■リプレイ

●邂逅
 夕方の電気街を歩く人々と、それを眺める赤い髪の女の子。
 佇む姿は黙っていれば可愛らしく、そして退屈そうに見えた。
 このまま街角に佇んで居れば、誰か声を掛けそうな雰囲気だ。
 案の定、若い男が近づこうとしていたが、それより先に彼女に声を掛けた者が居る。アギト・ディアブロッサ(終極因子・e00269)だった。
「何か困り事でもあるのか」
 年下の子を相手にするみたいに、迷子かそれとも落とし物でもしたかと問いかける。軽い変装はしてきたものの、ダモクレス相手にどこまで通用するかは不明だ。
 アリスは長身のアギトを暫し見上げて、小首をかしげる。
「……ICカードを落としちゃって電車に乗れないの。一緒に探してくれないかしら?」
 あっちだと思う、と彼女が指をさす方向が裏路地。上目遣いの角度で微笑み、アギトの袖を引いた。電車に乗れないと帰れないのだと困っている様子だが、注意してみれば瞳にはレプリカントである彼への興味が窺える。それ以上の何かがあるのか、今は判らない。
「ああ、手伝おう」
 誘われたフリをして、アギトは裏路地へと向かう。
 連れの男がいるのならと、声を掛けようとした若い男も取りすがりの者達も、アリスから興味を失い通り過ぎてゆく。
 だが、彼らが裏路地へ向かうのを追う者が居た。
「うん、うん……OK!」
 エンミィ・ハルケー(白黒・e09554)は、のど飴を舐めて流暢になった声で通信する。女友達への連絡のようだが、相手は警察。エンミィからの合図で裏路地の封鎖が開始する。数名のケルベロス達がアリスとアギトを追って裏路地に入った。

「どの辺りで落とした?」
「多分この辺かな! ねえ、貴方レプリカントなのでしょう」
 先を歩いていたアリスが、笑顔でくるりと振り返る。
「レプリだが、ICカード探知機は持っていない」
「もう! そうじゃなくって……」
 演技を続けるアギトに、アリスは詰め寄っていく。
「私、欲しいものがあるの。貴方の――」
「……ココロ、か」
 アリスの表情がぎこちなく固まった。作った笑みを崩さぬままの警戒。
「気づいていたのね?」
「……」
 アギトが何か言うより先に、アリスは後退して距離を取る。
 視線だけで見遣れば、裏路地はケルベロス達に前後を塞がれていた。

(「こういう状況なら一気に制圧する、ですよね先生……!」)
 仲間を囮にする事は気が引けるが、無関係の市民に被害が出るよりはいい。
 リプレ・レシュノルティア(スウィーツロッカー・e24078)はそう自分に言い聞かせ、ケルベロスコートを脱ぎ投げ捨てた。それをオルトロス『シンゲン』がちゃっかり回収する。
「リプレ・レシュノルティア、今日は無手で推して参りますぅ!」
 続いて、レオン・ヴァーミリオン(リッパーリーパー・e19411)が路地を塞ぐ。
「ああ、僕のことは取るに足らない塵と侮ってもらって結構」
 冷淡な銀の瞳が状況を映して、静かに武器を構えた。
「じゃあ行こうか。食い破るぞ」
 レオンの声が戦闘開始を宣言する。
「私を罠にはめたつもりなの?」
 アリスが唇を尖らせて周囲を見渡せば、8人のケルベロス。
「可愛い容姿には騙されませんよっ。一般人を襲うダモクレスは許さないのです」
 東雲・菜々乃(のんびり猫さん・e18447)が猫耳をぴるりと振るわせて気合いを入れた。
「可愛らしくてもダモクレス、悪さをするなら放ってはおけませんわね。被害が及ばないうちにおとなしくして戴きますわね」
 霧城・ちさ(夢見るお嬢様・e18388)はアリスの動きを警戒しながら、彼女の服装にも注目していた。なにしろ可愛い。実を言うとああいう服をちょっと着てみたいと思っている。
 ちさの後方では警察が一般人を通行止めにしていた。
「ここは通しませんわ!」
「あら困ったわ。それじゃあ……」
 アリスの指先から放電する。火花が散り、周囲に電流が奔った。
「アギトさん!」
 西水・祥空(クロームロータス・e01423)のサイコフォースによる爆破がアリスのスカートを焦がした。仕事終わりのサラリーマンに扮していた祥空が傍に駆け寄れば、アギトは問題無いと短く答え、旋刃脚の蹴りで僅かに距離を取る。
「そんなにココロが見たいなら、ココから奪い取って見せればいい」
 己を示すアギトの仕草に、アリスの視線が訝しむ。
「今日は、置いていかないの」
 ぽつりと零すアリスをグラビティの乳白色の光が照らす。光は眩い翡翠色の雷となって襲い掛かった。
「悪戯が過ぎましたね。夢を見るのはお仕舞にしましょう」
 ヒスイ・エレスチャル(新月スコーピオン・e00604)の疑似水晶。
「女の子の姿をしたものを破壊するのは心苦しいですが仕方ないですよね」
 身に燻ぶる激情から成る雷が身体の自由を奪い、その身を水晶のように固めていく。
 光の残滓を払って身構えるアリスに、ちさの遠隔爆破が爆ぜる。
「心を理解したいのであれば、人に危害を加えたり物を壊したりするのもよくないというのも覚えておいてほしいですわね」
「どうして?」
 アリスは首を傾げる。
「人には心があるのだから、壊された相手の心を考えることもまた、心ですわ」
 ちさの言葉をアリスは理解していない。
 菜々乃の放つ光のオウガ粒子が、己と祥空、エンミィを覚醒させた。
「ダモクレスも色々いるのですね」
 菜々乃が呟く。
「『心』を探していたみたいですけど、きっと見つけられない。何故なら――」
 リプレの稲妻を帯びた超高速の突きが敵を捉えた。
「それを回路だと妄信している貴女には『心』を理解できないからですぅ!」
 リプレの攻撃にシンゲンのソードスラッシュが続く。リプレは剣先スコップ型のゲシュタルトグレイブを路上に突き立てる。
「回路ではないのなら、何処にあるのかしら?」
 アリスの視線はこの場にいるレプリカントであるアギトと、エンミィを見ていた。
 エンミィは浮遊する光の盾を具現化し、アギトを防護させる。
(「心……」)
 己の中にもある筈のモノ。それが何処なのかどんなモノか、瞬時には浮かばない。
 夕刻の日射しが作る影が動く。
 地を這いずる鎖となって、アリスに近づいた。
「キミはもう何処へも行けない。ここで腐れて沈んでいけ、塵でしかない我が身のように」
 レオンの悪性因子・無限縛鎖(マリグナント・バインディング)――『僕はお前が羨ましい』『だから其処で永遠に止まっていろ』という身勝手な願いを具現化した簒奪術式。鎖となった影が敵を殴打する。
「はい、捕縛成功。――今だよ、痛いのをぶちかませ諸君」
 仲間に淡々と告げるレオンのロングコートが風に翻る。

●論理迷路
 心はどこにあるのか?
 物理的な在処やロジックを求めるダモクレスに、明確な物証を見せることはできない。
 ただ、そういった意味を求めている現状では、彼女に心を理解することは出来ぬのだと、祥空、ちさ、リプレ達は何となく感じていた。
 心は回路ではない。
 心を得てレプリカントとなった者にも、それが何処にあるのか判らない。
 判らないが、レプリカントであることが、心を得ている何よりの証拠。
 アリスの指先から光が生まれ、損傷箇所を修復すると同時に出力と破壊力を上昇する。
「やっぱり解体してみるしか無いわよね」
 にっこりと笑うアリスに、祥空が仕掛ける。
「心とは個人の内にでなく、他者との繋がりの中にこそ生まれるものでしょうに」
 祥空は気難しげな表情で告げると、敵を「過剰なグラビティ・チェインで満たされた小規模封鎖領域」の内部に閉じ込めてゆく。
「繋がり? 接続してみると判るかしら……きゃっ」
 祥空のグラビティプリズンが発動して、敵を運動機能の低下を伴う中毒症状に陥らせる。
「物理的に繋がるのでは無く、縁というものです。家族や友人、仲間……」
 祥空は何となくアギトを見た。アリスと何らかの因果を持ちそうなレプリカント。
「ダモクレスとレプリカントは違うから、繋がらないわ?」
「接続するとかそういう意味では無くて、関係性はあるでしょう?」
 穏やかに問いながらも、ヒスイの戦術超鋼拳は力強く敵の装甲を砕く。
「違うわ。ないの。レプリカントになった地点で、ぜんぜんちがうモノだわ」
 ダモクレスとレプリカント、近くて遠いその間にあるのが、心と呼ばれるモノ。
 超えられない壁を睨むように、アギトとの間の空間を見据える。
 心の有無は全ての在り方とカタチを変えた。
 心を得た機械と、心を得なかった機械は、袂を分かち永遠に理解しえぬモノとなった。
 間合いごと斬り捨てるようにアギトのスパイラルアームが一撃を与えた。
「……知りたければ奪えば良い」
 アギトには心がある。けれどそれが真実己のモノなのか、信じ切れていない。
 力で示せと敵を嗾けながら、理解できない心を持て余し理解する為の鍵を求めている。
「心というものは解体して見てもわかるものではありませんわっ」
 ちさの旋刃脚が急所を貫く。
「みえない?」
「見えませんっ」
 ちさはきっぱりと言い切った。ウイングキャット『エクレア』がちさに同調するように敵へ跳びかかり猫ひっかきで攻撃する。
 菜々乃のニートヴォルケイノ、明日から本気を出す誓いの心が溶岩へ変わって噴出する。
 その足元を、レオンのサイコフォースが更に爆破した。
「まずは一つ。さあ、君の武器はあといくつかな? すべて残らず叩き潰そう」
 エンミィのメディカルレインが薬液の雨を降らせて仲間を癒していく。
 ウイングキャット『プリン』も清浄の翼をはばたいて回復を補助する。
 リプレの音速を超える拳が、敵を吹き飛ばした。

 壁に打ち付けられたアリスは素早く身を起こすと、幾つもの工具を両手に取り出す。
「分かったわ」
「何が」
 思わず問うアギトに、アリスは電流を纏わせた工具を投げ放つ。
 工具の刃が群れとなって、解体せんと狙い襲い来る。
「ステルスなのよ。だから見えないのね」
「ち……」
 身を庇うようにかざした腕を工具の刃が幾重にも刻みつける。
「探せばいいのね?」
 身体を刻み、解体して、パーツをひとつずつ触ってたしかめれば、見えない回路もそのうち探り当てるかもしれない、と。
 アギトはマインドリングから光の盾を具現化して己の前に浮遊させる。
 それで見つかるようなものならば、理解への鍵など不要だっただろう。
 根本的な部分がかみ合わない。
 ダモクレスは、レプリカントを異星人、いや、異物のように見つめる。
 祥空のフォートレスキャノンによる主砲が発射されて、アリスを破壊してゆく。
 ヒスイのマインドソードが斬り下ろされ、片腕がゴトリと落ちた。
「……ちょっと勢いが余りましたね」
 穏やかな顔をしていながら、ヒスイの太刀筋には躊躇いがなく破壊に力が籠もっている。
「――ッ」
「ひどい姿になるような倒し方はなるべくさけてあげたいですが」
 ちさの戦術超鋼拳が敵を撃つ。
「心配無用……よ!」
 よろりと傾きかけたアリスが体勢を戻した。腕の無い肩部分がジリリと帯電している。
「さぁ、みんなで狩りの時間なのですよ。お宝を戴くのです!」
 菜々乃のネコまっしぐらにゃ!がアギト達を回復する。色々な意味でおいしいものは、見つけたら本能の赴くまま戴く。そのために立ち上がる気力を、みんなにも気合注入する。
 レオンのジグザグスラッシュが敵の傷を切り刻んだ。
 リプレは下半身を獣化する。
「ミュージックファイターだって懐に入り込まれないように近接格闘も学んでるんですよぅ!」
 そして蹴る。強靭な脚力による蹴りは必殺の破壊力を秘めており、両手がギターで塞がるリプレにとってそれは正に奥の手――奥の脚と言える。獣撃脚《兎萌》。
「アルくん……」
 エンミィの声で、カパッと開いたクマの口から、小さな砲身。
「――なう!」
 砲弾を発射。髪飾りの『汎用クマの顔型血戦兵器・アルクトス』の凛々しい口から撃ち放たれるキャノン砲は、敵に当たると弾けて身体を痺れさせた。
「そっちのレプリカントも、解体して欲しいみたいね!」
 アリスの片手に、再び無数の工具が現れる。電流を纏わせエンミィめがけて投擲した。
「いえ、別に……」
 ふるふると首を振って拒否するが、敵の工具は容赦なくエンミィへ飛ぶ。
 しかし攻撃は、タイミング良く間に入った菜々乃が代わりに受けた。レプリカント二人への攻撃は警戒していたのだ。
「皆さん今です攻撃を……!」

●童話迷宮
「余計な欲を出すと大変な目に遭う。良い教訓になったのではございませんか」
 祥空のグラビティプリズンが発動する。
 敵は再び、小規模封鎖領域に閉じ込められた。
「残念ながらあなたがその教訓を生かす機会は二度と訪れません。終わりにしましょう」
 終始丁寧な祥空の言葉が、敵に終焉宣告する。
 ヒスイが繰り出す血襖斬りが、アリスのもう一方の腕をも斬り裂いた。
 切断には至らぬまでも、損傷が大きい。
「……ふふ、エルフを先に斬り裂いて、心を取り出しておくべき、だったかしら」
 返り血を浴びるヒスイの姿に、アリスは笑って溜息をついた。
「褒められたのかな? ……アギト」
 ヒスイの声が呼ぶ頃には、既にグラビティを紡いでいた。
 ちさの旋刃脚が敵を貫き、追い詰める。
「――code breaking.『agoraphobia』」
 詠唱の音と共に完成するのは、彼女の為の異界への門。
 幻想書館に収められた書物のうち、制限されていたダモクレスとしての権能を解読した結果開かれた禁書・複製魔典が一つ。巨大な本の形をした門は、アリスを招き誘う異界禁書。
 本の中の亜空間内部に作りあげられた異界は、惑わすことで精神力を削り、力尽きれば書の一部として取り込んでしまう。亜空間の中、疲弊した弱い笑みを浮かべたアリスの唇が音の無い言葉を綴った。――ジョン・ドゥ、そこにいたの。
 禁書が閉じる。
 誰が為に綴られる、愛すべからざる物語は、これでおしまい。
 周囲を静寂が包み込んだ。
 警察のサイレン音が、すごく遠くで鳴り響いているように聞えた。
 アリスの亡骸は跡形も無い。
 この禁書は妹が壊れる様を直視できないアギトが妥協点として編み出した、矛盾の塊。
「さて、名前も知らない自動人形さん、任務ご苦労様。そして「さようなら」だ」
 レオンの声が皆の思考を現実に引き戻した。
「心を知りたいという心が、貴女にもあったはずなのに……」
 リプレはそっと眼を伏せた。
(「心って回路なの? そうなのかも。でも、それだとちょっと嫌。どうせなら、もっと……そう、温かいものだったら良いのに」)
 エンミィは不意に込み上げてきた感情に気づく。
「……あ。こレ、この感じ、ガ、心、かナ? 私、の」
 のど飴が切れたようだ。
「心を得ても機械は機械だろ?」
 独白めいて零れ落ちたアギトの問い。
 機械が、泣くかよ。
 そう考えるのと同時に矛盾を孕む侭、夕闇の迷路で理解という出口を探し続ける。

作者:藤宮忍 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年2月18日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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