最後の宿縁邂逅~縁のいやはて

作者:天枷由良

●作戦説明
「改めてになるけれど、最後のケルベロス・ウォーの勝利おめでとう」
 微笑みと共に祝福を贈って、ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)はケルベロスたちの顔を見回した。
 約六年に亘る戦いが終結してから、早くも一週間以上が経つ。巷では今年も開催される事が決まったケルベロス大運動会が話題となるなど、世の空気は平穏になりつつあるが――。
「今日、此処に集った皆の戦いはもうちょっとだけ続くんじゃ」
 きりりとした表情でファルマコ・ファーマシー(ドワーフの心霊治療士・en0272)が言うと、ミィルも姿勢を正して言葉を継ぐ。
「7月7日には、いよいよTANABATA……いえ、七夕の魔力を用いたピラー改修作戦が行われるわ。けれども、その魔力、すなわち『遠く離れている二つを結びつける』という効果の余波で、ケルベロスとの奇縁抱く『宿敵』も引き寄せられてしまう事が分かったの」
 季節の魔法の力の大きさゆえか、宿縁に導かれる敵は種々様々、数も決して少なくない。
「この在り得ざる邂逅に対応すべく、皆には七夕当日の夜、迎撃作戦を行ってもらうわ」

 戦場となるのは、比較的大きな七夕祭りが開かれている地域。
「皆に向かってもらうのは神奈川県平塚市ね。関東でも有数のお祭りが開催されるところで、中心市街地から市内の至るところまで、様々なイベントや飾り付けが行われるわ」
 先述の通り、戦いが発生するのは夜。具体的には22時から24時頃だ。
 加えて事前に避難が通達されるので、戦いの最中に一般市民が紛れ込む可能性はない。
「とはいえ、街中を戦場とするのは躊躇うところよね」
 そこで、迎撃には平塚駅から少し北上したところにあるサッカースタジアムを借り受ける事となった。総合公園の一角にある施設で障害物もなく、広さも充分だろう。
「……さて、次は迎え撃つべき相手についてだけれど」
 ミィルは手帳に目を落とすと、予知された情報をゆっくりと告げていく。

●宿敵解説
 此度、呼び寄せられる敵は4体。
 1体目はダモクレスの『PIC=01』だ。ピコ・ピコ(ナノマシン特化型疑似螺旋忍者・e05564)と結びつく彼女は、敵味方問わずにあらゆるものを侵食するという。
「その性質を持て余したが為に、最終決戦にも投入されなかった……というところかしら。様々なデウスエクスを取り込んだような外見で、広範囲殲滅攻撃を得意とするわ」
 精度という点では少々脆弱な部分があるように思われるが、威力は特筆すべきものだろう。隊列の工夫や防御術、妨害を狙った攻撃などで堅実に対応しておきたい相手だ。

 2体目は『ジ・イービルアイズ』なるオーク。
 腹部や触手に邪眼を備えた不気味な相手であり、そして言わずもがな、女性の敵である。
 その凶牙は宿縁結ばれたシフォル・ネーバス(アンイモータル・e25710)だけでなく、居合わせた全ての女性へと向けられる。其処にはケルベロスとデウスエクスの区別すらない。
「邪なる眼差しには守りを弱める効果があるわ。オークだからと侮らず、しっかりと対処できるようにしておきましょう。特に、女の子は気をつけてちょうだいね」

 3体目は、逆井・鈴都(宵奏・e22382)が縁持つ死神『オルクスの柩』である。
 黒い片翼。色を失ったような肌と髪。貴族のごとき気品を感じさせる装い。
 紫の花弁と共に現れる彼は、予期せぬ邂逅にも悠然と臨むだろうか。
「美しいものを好む一方、飽きやすい質で興味を失うのが早いらしいわ。その性格からして、同じ相手に続けて攻撃を行う可能性は低いんじゃないかしら」
 また、自らの美しさにこだわる彼は戦闘面でも自己強化の術を用いる。
 他のデウスエクスへの対応に終始した結果、大きなパワーアップを許してしまった……などという事がないよう、彼の動きは常に注視しておきたいところだ。

 そして、最後の4体目は『詩音』という名の螺旋忍軍。
「彼女は……そうね、コスプレイヤーの女の子って言うのが一番しっくりくるかしら」
 そこそこ露出度のある格好で男性諸君を誘惑して、後ろからバッサリやっちゃうタイプのようだ。或いは命などより、お財布や社会的地位にダメージを与えてくる系統か。
 だとすれば、白焔・永代(今は気儘な自由人・e29586)と宿縁結ばれるに至った経緯も気になるところだが――まあ、それはそれとして。
「小手先の詐術ばかりでなく、ちゃんとした忍術や剣術も使ってくるわ。その狙いは女子よりも男子に向くことが多いだろうから、充分に注意するのよ」
「うむ。空の彼方で織姫と彦星が逢瀬を叶えている頃、此方は下界で色仕掛けにやられていました……では、いやはや何とも、格好がつかないからのう」
 緩やかに笑ったファルマコが、短冊の括り付けられた杖で地面を軽く叩いた。

●祭りのあと
 そして、作戦当日。
 週末には多くのファンで賑わうだろう競技場も、今はもぬけの殻。
 日中の蒸し暑さも落ち着き、大型照明に照らされたピッチは涼やかな風が抜けていく。
 静まり返った其処では葉擦れの音くらいしか聞こえてこない。
 そんな中だからこそ――ケルベロスたちは異変を鋭く感じ取った。
「来るぞい!」
 ファルマコが声を上げれば、忽然と現れたのは件のデウスエクスたち。

「――ぶひょひょ!!」
 真っ先に反応を示したのは眼球過多の不気味なオーク。
 ドラゴンの敗北後は何処かでコギト化していたのだろう彼にとって、幾人かの女性を前に抱く思いは困惑でなく悦楽。その欲望を満たす以外に考える事はなさそうだ。
 植物の根や竜首を蠢かせているダモクレスもまた、己以外の全てを敵として認識したように思える。言葉もなく銃砲へのエネルギー充填を始めた彼女は、ただ全てを破壊/侵食する為だけに動くだろう。
 それらを観察する黒片翼の死神は、この不可思議な状況に少なからず驚愕したようだが……しかし、自身が逃げ延びるに戦う以外の道が無い事は理解している様子。
 一方、螺旋忍軍の娘は――明らかに、明らかに動揺していた。
「えっ……え、なにこれ、どういうこと!? 七夕コスプレイベントは!?」
 目をぱちくりと瞬かせた後、永代を見てからまた狼狽える。
 其処には、ケルベロスとの命を懸けた戦いを望むような気配などない。恐らくは仕えるべき主も失くし、しかしケルベロスに無謀な戦いを挑むほどの恨みつらみもなく、ともすれば気ままに地球での隠伏生活を楽しんでさえいたのかもしれない。
 だとすれば、刃でなく言葉を交える事も出来るはずだ。闘って此処で死ぬよりも、地球に敵対しないと確約して生き延びる方が良いと、そう思わせられたなら倒す以外の結末も十二分にあり得る。無論、端から刃でズバッと切り捨ててしまっても構わないが。
「微力ではあるが、わしは回復術で援護しようぞ。皆は思うように戦うのじゃ」
 ファルマコが杖を構え、競技場は戦場への変化を強めていく。
 果たして、四条の宿縁絡み合う混沌は如何なる結末を迎えるのか――。


参加者
源・那岐(疾風の舞姫・e01215)
霧島・絶奈(暗き獣・e04612)
ピコ・ピコ(ナノマシン特化型疑似螺旋忍者・e05564)
逆井・鈴都(宵奏・e22382)
シフォル・ネーバス(アンイモータル・e25710)
紺崎・英賀(自称普通のケルベロス・e29007)
白焔・永代(今は気儘な自由人・e29586)
リティ・ニクソン(沈黙の魔女・e29710)

■リプレイ

●一
 ひらり、と。
 何処からか流れてきた一枚の短冊が、戦場を横切って過ぎる。
 誰が如何なる願いを記したものかは定かでないが、しかし。
(「感謝するぜ」)
 紙片が象徴する風習。7月7日という今日この日に告げて、逆井・鈴都(宵奏・e22382)は薄蒼い気を滾らせる。
 もはや邂逅は叶わぬものとばかり思っていた。
 けれど期せずして、出逢いは転がり込んできた。
 ならば。
「テメェだけは――」
 逃すわけにはいかない。
 ぽつり、恐ろしいほど冷ややかに燃え盛る怒りが言葉となって零れ落ちる。
 それを耳にした白い肌の死神、オルクスの棺は片翼翻しながら微かに笑みを浮かべて、囁いたのだ。
「……はて、何方様でしたか」
 刹那、湧き上がるものが在った。過る光景が在った。
 一日たりとて忘れはしない。忘れられるはずがない。ただ胸に秘していただけで。
 なればこそか、鈴都は衝動に振り回されもせず。
「そんな事だろうと思ってたぜ……!」
 吐き捨て、振り上げた剣を――死神でなく大地へと突き立てる。
 相手は己が宿敵のみにあらず。四条の縁縺れる混沌で討つべきを討ち果たさんと願うなら、物事の手順を間違えてはならない。
 その証左となるように襲来したのは、異形の機械神からの一撃。
 刃で芝生に描いた陣より星の加護が湧き出た直後、竜の咆哮とも天使の嘆きとも聞こえる音と共に迫ったPIC=01の『侵食』は、鈴都たちケルベロスの後衛陣へと届く寸前、間一髪で立ちはだかった盾役たちを痛烈に蝕む。
「さすがに手ごわいな……頑張ろうね……」
「うむ」
 共に癒し手を務める紺崎・英賀(自称普通のケルベロス・e29007)に応じて、ファルマコ・ファーマシー(ドワーフの心霊治療士・en0272)がエクトプラズムを作り出した。
 その傍らでは。
「聞いていた通りの威力ですね」
「……姉がご迷惑をお掛けします」
 霧島・絶奈(暗き獣・e04612)の言葉に、ピコ・ピコ(ナノマシン特化型疑似螺旋忍者・e05564)が返して続けた。
「姉の侵食はこちらで防ぎます」
 言うが早いか、展開されたナノマシンはピコ曰くアンチプログラム。
 同系列・後継機であればこその芸当だろう。得心した絶奈は、しかし口を噤んだままで砲撃形態の巨鎚を構える。
 先の呟きは仲間を庇って転げ回る己のテレビウムを見ての独言。責めたつもりはない、と。そう慰めてみたところで、ピコの疚しさは解けまい。
 それよりも。此処に因縁持たぬ己が為すべきは、悔いなき決着への手助け。
 即ち、敵への実力行使。
(「各々が望む終幕を迎えられるよう、力を尽くしましょう」)
 無言の決心が砲弾と化して鎚から飛び出す。
 その正確無比な一発と、連れて源・那岐(疾風の舞姫・e01215)が刃の一振りから繰り出した強烈な花嵐、さらにシフォル・ネーバス(アンイモータル・e25710)が喚んだ戦女神の幻影は、オルクスの棺の薄笑いを曇らせるに充分。
「どうにも、一筋縄ではいきそうにありませんね。如何しましょう?」
「……あ、あたし? あたしに聞いてる?」
 忽然と死神から水を向けられて狼狽える螺旋忍軍、詩音は……未だ現状に理解が及んでいないのか。はたまた、現実から目を背けているだけなのか。
(「どっちにしても可愛いけど、ちょーっと危ういよねん」)
 白焔・永代(今は気儘な自由人・e29586)が軽薄な笑みと共に視線を動かす。
 その先で佇むのは、竜のしもべとして度々暴虐を働いた卑俗な怪物。
「ぶひょひょ、オレも色々と聞きたいぶひ……」
(「ほーら、言わんこっちゃない」)
 ジ・イービルアイズなるオークの猥らな眼差しが詩音を射抜く。
 ケルベロス側も半数以上が女性であるというのに、態々其方へ目を向けたのを物好きと謗るべきか否か。
 考えるまでもなく、永代は螺旋忍軍の娘を庇うようにして立つ。
「え……?」
「会うのは久しぶりだよねん、元気にしてた?」
「あ、あんたやっぱり覚えて……」
「え、うん。っていうか、君が忍者なのも最初から知ってたけど、それが?」
 永代はけろりとした顔で言ってみせる。それだけでも困惑が強まるところ。
「戦いが終わったら……お前に伝えたい事がある! だから離れて待ってて!」
「ええ……?」
 唐突で意味深な英賀の言葉を処理できず、詩音は立ち尽くす。
 しかし、事態は彼女を置いて突き進む。
「さあ来い子豚。お前の相手は私だ」
 リティ・ニクソン(沈黙の魔女・e29710)が永代のさらに前で宣えば、性獣は躊躇いなく狙いを変えた。
 そして勇敢なケルベロスと困惑するデウスエクス、双方の胸元を幾らか見比べた後……何故か溜息を吐いた。
「……」
 確かに自慢する程のものは備えていないが、其処までの差があるわけでも。
 なんて考える意味も、オークに落胆されたくらいで苛立つ必要もない。
 だが、こうもあからさまな反応に腹を立てるなと言うのも難しい。
「……躾がなっていないようね」
 能面のような顔で言葉少なに。
 けれど明確な怒りを以て相対するリティへと、イービルアイズの触手が妖しげに蠢く。
 それを横目に見やって、オルクスの棺は嘆息した。
 醜い獣など視界に入れておきたくない。忍びの娘は役に立ちそうもない。
「この場を逃れるには、貴女に暴れて頂く以外ありませんか」
 無秩序に、無差別に、全てを飲み干さんとする破壊の女神。
 PIC=01。その凶行を唯一の活路と見定めて、死神は紫花を捧げるように術を編む。

 それによって威力を増した侵食は、ケルベロスたちを苛烈に攻め立てた。
「情熱的な女の子も嫌いじゃないけどさ……!」
 長く耐えられるものでもない。身を擲って仲間を庇う永代がちらりと目配せすれば、オルクスの棺へと紫電一閃の如く迫ったのは――那岐。
「貴方自身には怨みなどありませんが」
 死神ならば。親類の身体奪った者と同じく、冥府に連なる存在であるならば。
 生かしてはおけない。
「此処で潔く散りなさい……っ!」
「ええ、お断りします」
 飄々とした態度を繕い直して宣い、死神は間近で撃たれた炎を避けて嘲笑う。
「このような所で朽ちるなど美しくありませんから」
「死に場所を選り好みしてんじゃねぇ」
 何処までも冷たく言い捨てて、鈴都が時すら凍てつかせる弾丸を撃つ。
 オルクスの棺は表情を保ったまま、それも躱して後退り――。
「……っ!」
 忽然と顔を歪め、脇腹を押さえながら今日初めて、鈴都とまともに視線を交えた。
「何、を……」
「物覚えが悪ぃようだから何度でも言ってやるぜ」
 弾丸は囮。撒き餌。
 本命は回り込むようにして仕掛けた不可視の虚無球、ディスインテグレート。
 鈴都が語るのは攻撃の種明かし――ではなく。宿縁を断ち切るという、その決意。
「絶対に逃さねぇ。此処が、テメェの、墓場だ」
「御冗談を……!」
 そんなつもりは毛頭ない。
 オルクスの棺が拒むように腕を振れば、意図せず力を引き上げられたPIC=01が戦場そのものを取り込まんとばかりに荒れ狂う。
 それはいつ死神自身に及んでもおかしくない程。ともすれば何もかもが壊されてしまうくらいの混乱を起こさなければ、逃げる事もままならないと踏んだのだろうが……しかし。
「……何処に行くの? 帰る場所も無いのに……」
 英賀は純粋で残酷な疑問をぶつける。それも敵の真後ろから、ひっそりと。
 然しもの死神とて驚き、目を見開いて振り返る。
 けれど、暗殺を生業としていた頃の機敏さで動く青年の姿は既になく。
 代わりに来たのは絶奈の黒鎖と、シフォルの稲妻と。
「風よ、彼の者が進むべき道を切り開け!!」
 哮り舞う那岐が起こした、空色の風。
「くっ……!」
 畳み掛けるような攻勢に死神が怯んだ。
 その僅かな隙。待ち望んだ一瞬。終焉へと通ずる一条を彼が逃すはずもない。
(「琴、力を貸してくれ!」)
 言外の願いに応じるかのように、テレビウム『琴』がオルクスの棺へと駆ける。
 そのまま浴びせかけたのはト音記号を凶器としての一撃。
 単なる打撃。端から見ればそうとしか映らないけれども。
「貴方、は――!」
 オルクスの棺が視る世界だけに流れ出す幻像。
 その中で唯一、現在と重なる者が在る事に慄けば。
 紡がれる呪詛。迸る雷。
 積年の詛い全てを込めて呼び起こされる雷鳴が、天を裂いて墜ちた。

 ……衝撃が波として疾走り、機械神でさえも俄に動きを止める。
 そうして生まれた静寂の中、鈴都は言った。
「二度とそのツラ見せるんじゃねぇ」
 答えはない。倒れ伏した死神の身体は片翼だけを残し、朽ちていく。

 これで、きっと――。
 そう、夜空を仰いで呟けば。
 鈴都の翼から抜け落ちた黒羽が一枚、星々の元へと舞い上がった。

●二
 かくして一つの宿縁が断ち切られた。
 その余韻冷めやらぬ中、戦場に響くのは下卑た笑い声。
「ぶひ、ぶひ、ぶひゃひゃひゃ!!」
 興奮を抑えきれないそれは、言わずもがなのオークである。
 ジ・イービルアイズなどと大仰な名を持てども、所詮は獣欲の化身。
 獲物を前にして本能に抗えるはずがない。乱れ波打つ触手は静寂と孤独を愛するレプリカントを散々に弄び、上下に端切れ一枚という所まで追い込んでいた。
「……今に見てなさい。その触手、一本残らず細切れにしてあげるわ……」
「出来るもんならやれぶひ。けど、あんまり激しく動いたら全部見えちゃうぶひひひ」
 あられもない姿を余すところなく味わおうと、蠢く触手のあちこちで邪眼が爛々と光る。
「不味いぞえ、あれは確か」
「ええ」
 直視せぬようにと気を使ったのか、明後日の方を向いて語るファルマコにシフォルが頷いて続けた。
「守りを弱める……いえ、女性というものを詳らかにしてしまう邪悪な眼ですわ」
 縛るでも叩くでも嬲るでもなく、ただ『視る』だけで辱める。
 恐ろしい話だ。そしてリティの尊厳を守るのであれば、もはや一刻の猶予もない。
「その卑しい目つき、わたくしが一つ残らず潰して差し上げますわ」
 同じ女性としての矜持か。
 シフォルは複雑に絡み合うパズルを得物として、オークへと果敢に挑み――。

 ――見事、触手の一本に足をすくわれた。
「ぶひゃひゃ! 飛んで火に入る夏の女子ぶひぃ!」
「何処で覚えましたのそんな言葉……!」
 指摘と広義の間の子も虚しく、シフォルの身体は逆さ吊りとなって浮く。
 こんな流れでも戦の最中。下着を晒す程度の恥は甘んじて受けるとしても。
(「あの邪眼を直視するのだけは、避けなれけばなりませんわね」)
 視線を外しても反抗は出来る。目を瞑り、首を逸し、オークに背いた状態でも。
 戦場へと呟きを零せば。
「世界にあまねく苦痛の刃が不死なるを滅す!」
 途端、顕現した力はイービルアイズを四方から貫いて。
「……ぶひょひょー!」
「この豚……!?」
 シフォルは思いもよらぬ反応に愕然とした。
 泣くでも喚くでもなく、悦ぶとは。相手が女性であれば何でも良いというのか。
「救いがたい浅ましさですわね……」
「ぶひひ、そんな事を言っていられるのも今のうちぶひ」
 血を流して尚、邪な眼の輝きを強めながらオークは笑う。
 その程度の挑発に焦燥を覚える程、シフォルもやわではない……が、しかし。
 己の意志とは裏腹に瞼が開く。それすらも邪眼の仕業だと解した頃には、時既に遅し。
 下腹から込み上げる熱。怪物相手に在り得ざる感覚を示し始めた身体を恥じれば、身動きすらままならない己を突き刺すのは数人、或いは数十人の――否、まるで今日の戦場たるスタジアムを埋め尽くす程の、凄まじい数の人々に淫猥な視線を向けられているような感覚。
「……い、いけませんわ……見ないでくださいませ……」
「ぶひょひょ! そう言われるとますます見たくなっちゃうぶひぃ!」
 荒ぶる触手が衣服を剥ぎ取り、為す術もないまま露わにされた肌は夜風の僅かな刺激さえも悦びに変えて苛む。
 そうして火照りを自覚してしまえば忘れる事も出来ず。耐え難い羞恥は居るはずもない衆目によって益々膨らみ、息を荒くするシフォルを触手で取り囲んだオークの高ぶりはいよいよもって最高潮。
「次は『内側』を見せてもらうとするぶひぃ!!」
「う、うち……?」
 太腿を擦り合わせながら身を捩り、朦朧としつつも思考を巡らせる。
 程なく、オークの言葉が意味するところを理解すれば……その恐ろしい仕打ちすらも期待して淫れる身体は、もはやシフォル自身にさえどうしようもない。
「い、いや……」
「嫌よ嫌よも何とかぶひぃ!!」
 万事休す。
 堪えきれず粘液を滴らせた2本の触手が、シフォルの内側へ入らんと勢いよく伸び――。

 ジ・イービルアイズの至福は、其処で断ち切られた。
 恍惚に浸る醜い面を襲った凄まじい衝撃。
 それを繰り出した絶奈は巨鎚構えたまま、絶えず浮かべている笑みを崩さずに告げる。
「盛り上がっているところ恐縮ですが……その目玉、一つか二つかくらいは周囲に向けるべきだったのでは?」
「ふが……ご……」
 半分潰れた顔ではまともな言葉も返せない。
 もっとも、何某か答えが欲しかった訳でもない。豚人間が反省を述べようと無様に命乞いをしようと、為すべきは何一つ変わらないのだから。
 即ち――。
「一つずつ、一つずつ。終わらせる為に尽くす。それだけですので」
「ぷ……ぎゃ……」
 ぞくりと、イービルアイズを撫でたのは快感でなく。
 己とは明らかに異なる歪み。およそ理解し難いものと接してしまった恐ろしさ。
 触手は萎びて邪眼も光を失う。対照的に、絶奈の表情は歪みながらも輝きを増して。
 より一層の恐怖を覚えたオークは尻を芝生につけたまま、もがくように後退る。
 もはや抗えるものではないと、ともすれば理解していたかもしれないが……。
「――生命の根源にして我が原点の至宝。かつて何処かの世界で在り得た可能性」
 一音一音、刻む毎に狂っていく笑顔。
 それこそが、長きに亘る戦いの最中で幾度も露わにしてきた、絶奈の本質。
「『銀の雨の物語』が紡ぐ生命賛歌の力よ――」
 浮かぶ幾重もの陣から突き出た輝きはオークを飲み込むばかりか、その眩さで戦場に一時の空白を齎す。

 やがて、光が収束していけば。
「ぶひょー……ぜひょー……」
 豚も虫の息。横たわり苦しげなそれは、もはや脅威でない。
「とはいえ、やられっぱなしでさようならと言うのも、ね」
「ええ、そうですわね」
 弄ばれた女子二人が口を揃えて言う。
 ――出来るもんならやれぶひ。
 そう宣ったのは、他でもないオークだ。
 ならば、やってやろう。やりかえしてやろう。
 決断を大型鎖鋸剣へと注いで唸らせ、まずはリティが次々に触手を斬り刻む。
 そうして種族の誇りでもある特徴を失った相手を、シフォルは見下ろして。
「わたくしにまだ使える力が残っているうちで、本当によかったですわ」
 安堵したように呟き、世界に満ちる苦痛の力を刃と変えて再び突き立てた。
 それを悦べる活力など、イービルアイズに残っているはずもない。
 卑しい豚の鳴き声はついに途絶えて……また一条の縁が、此処に解けた。

●三
 放り捨てられていた衣服で身なりを整え、リティは次の相手を見やる。
「豚などでなく、此方を手伝いに来たはずだったのよね」
「……ピコさんの姉、だね」
 呟きを拾い上げたのは英賀だ。此処へと至る前、僅かとはいえ事情は聞き及んでいた。
「……いいの?」
「ええ。覚悟はしていましたから」
 毅然として答えるピコ。
 彼女の表情は変化に乏しく。死神の薄笑いを見てもオークの痴態が視界に入っても揺らがない。故に、言葉と裏腹に幾つもの試算を繰り返していた事は、知己であり同族でもあるリティでさえ確信出来るところではない。
(「確かに覚悟はしていました。していましたが……侵食がここ迄とは」)
 生物無生物、敵味方の識別すらなく全てを取り込もうとする姉。その機能の大元たる部分、コアに隣接したナノマシン生成中枢だけを破壊すれば、或いは――。
(「……いえ」)
 確証はない。余裕もない。二つの宿縁を終わらせるまでの間、姉の侵食から仲間を庇い立てていた永代や絶奈のテレビウム。オーク相手の囮役さえ務めたリティ。治癒で支える英賀。他のケルベロスたちにも、私情だけで迷惑は掛けられない。
 だから討たねばならないのだ。これ以上の躊躇なく。
(「……それでも……」)
 微かな望みに、己のみを懸けるくらいなら許されよう。
 たとえ避けられぬ死だとしても。最期くらいは姉に、姉として在って欲しいのだと。
 七夕に願いを託すくらいは許されよう。

 そうして密やかな願望を抱いたまま、PIC=1との応酬は続く。
 じりじりと首元辺りが焼け付くような感覚は、夏の空気に疑似螺旋力炉の排熱が追いついていないからか。
 けれど、焦燥で折れてはならない。
 姉の力の恐ろしさを一番に知っていればこそ。彼女の様子を窺うのと同じくらい、仲間にも気を払って。ナノマシンを操り、侵食に対処する。
 そんなピコの顔を一瞥して覚悟を受け取り、仲間たちもPIC=01に仕掛けていく。
 テレビウムが殴りつけると同時に絶奈が打つ巨鎚の一撃。那岐の御業から撃ち出される豪炎。シフォルが振るう苦痛の刃。幾分か憑き物が落ちたような面構えの鈴都が放つ、時止めの弾丸。
「内蔵兵装ロック解除……グラビティフィールド展開。放電ユニット起動」
 リティが作り出した雷の鞭は、侵食をも掻い潜る変幻自在の軌道で襲いかかって。
 仲間たちにさえ気取らせない動きで間合いを詰めた英賀が、木の根も骨も装甲も区別なく斬り刻めば。
 垣間見えた一瞬。
 生来の螺旋力と疑似螺旋炉から生み出される疑似螺旋力。二つの異なる力を、ピコは秘めていた想いと共にPIC=01の中枢目掛けて叩き込む。

 同時に行われた無謀が意味を成したのは。
 今日が、離れていたものを結びつけるという奇跡の日であったからか。
 かつて妹から回収した増設型擬似螺旋炉。今はピコの出力を向上させる部品であるそれを生命維持装置の代わりとして、抱き寄せた姉の身体に繋ぐ。
 己の強化にも瞬間的にしか効果を発揮しないものだ。
 どれほど持つかなど計算するまでもないが、それでも。
「……ありがとう」
 PIC=02は。ピコは。私は。
 貴女がいたから、ここにいます。

 伝えたかった想いを口にして、姉の虚ろな目を見つめる。
 そうしている最中にも、際限ない侵食で作り上げられたPIC=01の身体は端々から崩壊していく。
 終焉が来たのだ。竜の首が落ち、木の根は枯れ、羽も散って鋼鉄は錆びる。
 時の流れを急速に早めたような劣化。それでも未だ残る身体を、ピコは最期まで抱いていようと決めて。
 見つめ直した姉は――PIC=01は、目を細めて微かに笑った。
 声にならない声で囁いた。
 ありがとう、と。
 それは間違いなく。姉から妹への、最後の贈り物であった。

●四
「……さて」
 死神は散った。オークは斃れた。ダモクレスも朽ちた。
 戦場に残るデウスエクスは、あと一人。
 もっとも、それを『敵』と呼ぶべきか否かは悩ましいところで。
「どうしようか。っていうか、どうしたい? 詩音ちゃん」
 永代は問う。螺旋忍軍の娘は、只々佇む。
 デウスエクスとケルベロス。二者が相対すれば、何方かが滅びるまで争う他になかった。
 現に、今でさえ三体のデウスエクスが葬られたのだ。積み重ねられてきた常識に従えば、詩音も今すぐに剣を振るうべきなのだろうが――しかし。
 ケルベロスたちは誰一人、詩音を傷つけようとはしなかった。
 そればかりか、オークやダモクレスから守ろうとした。
 考えてもみなかった状況に詩音も斬りかかる事は出来ず。
 呆然と、成り行きを見守る他なかった。
「どうして……」
「どうしてって、まあ、害がないなら倒す必要もないし?」
 永代はあっけらかんとして宣う。
 そのせいで混迷を深めるばかりの詩音に、ケルベロスたちは諸々の事情を語り聞かせる。

「つまり地球に迷惑を掛けないって約束してくれるなら、もう戦う意味もないってことだよん」
 砕けた態度のままで説明を締めくくり、永代はさらに続けた。
「俺も君を倒したい訳じゃないし。どうせなら生きて楽しんでみない? これからをさ」
「……あたしだって、もうケルベロスと戦う理由とかないっていうか……別に命令とかもないし、そもそもコスプレとかしてる方が楽しいし……でも……」
 そんな都合の良い終わり方が許されるものなのか、と。
 探るような詩音の視線を見かねて、シフォルが口を挟む。
「地球の人々に危害を加えないなら、あなたにも危害は加えませんわ。ねえ?」
「……地球を出て戻らないのであれば………」
 振られた英賀は明らかに渋々承諾した、という雰囲気。
 那岐などは行く末を静かに見守っているが、視線から警戒の色は失せていない。
 其処からは二つの事実が読み取れる。
 一つは、全ての人々があらゆるデウスエクスとの共存を歓迎しているのではない事。
 これは当然だ。英賀が螺旋忍軍を厭うように、那岐が死神を嫌うように。肉親や友人を傷つけ、命を奪い、その血を啜って生きながらえてきたであろう相手と、誰も彼もが何もかも水に流して付き合うのは難しい。
 そして、もう一つは。
 それでも尚、多くの者は闘わずに済む明日を願い、その望みに理解を示している事。
「前に会った時、君も楽しんでたじゃない。戦いとか関係のない気楽な生活」
 主星を拠点とせず、あらゆる所に潜む螺旋忍軍という種族だからこそではあっただろうけれど。そんな暮らしが出来るなら、たとえ地球で過ごす事は難しくとも。
「他の惑星でコスプレ広めたりとか。そういうのも出来るって考えると、此処であえて死ににいくより、良いっしょ、ね?」
 そしていつか、より人々の心が解けた時には、再び地球で……と。
 陽気で軟派な笑いを浮かべながら語る永代の言葉を、詩音は神妙な面持ちで聞いて。
 程なく剣を捨てると、泣き笑いつつ何度か頷いてみせた。

 その反応をもって、ケルベロスたちは戦闘態勢を解く。
 地球に留まる事の難しさは、既に詩音も理解しているはずだ。
 で、あれば。彼女は修復されたゲートを通じて何処かに移り住む事になるだろう。
 其処で本当にコスプレなど広めてしまったとしても……それはそれで。
 きっと、宇宙の平和に少しばかり貢献するに違いない。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2021年7月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 0
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